再会-1-

空中都市シャングリラ。
元天使長ミザールに「容易に行く手段がないのか」と聞いたものの、それへの答えは反乱軍にとって喜べるものではなかった。
以前はカオスゲートのようにシャングリラへの「道なき道」があったが、ラシュディの力によってそれは破壊されてしまったのだという。
その他にたどり着く手段は、ミザールですら知らないと言うことだった。
ソニア率いる反乱軍の一部は当初の予定通り、高度を下げていくシャングリラの進行方向などの予測に基づいて、ディアスポラ方面に向かっている。
地上に残る兵士をトリスタン皇子とウォーレンに任せ、ソニアは別働隊とともに永久凍土から脱出した。
その後、永久凍土手前で駐留していた兵士達と合流し、ウォーレンが手配しておいたルートに沿っての移動に移った。
3日もすれば、ついこの間まで一面白銀の雪景色だったことを忘れさせるような、気候の落差のある土地に戻ることが出来た。
また、みなに危ぶまれていたソニアの体調も徐々に回復してゆき、行軍の4日目には月のものも終わりそうな兆しを見せた。
とはいえ、本人は「こんなものがまた次の月に来るのか」とうんざりした表情で言い、女性陣にその発言を叱られてしまったのだが。
移動途中に数回ほどの交戦もあったが、通常なら喜べないそのことも、逆にソニアにとってはありがたい話だった。
それは、オハラの部隊を慮ってのことだ。
永久凍土でランスロットに対してゾックが申し出た通り、シャングリラ侵攻予定の一部隊であるオハラ隊から、一時的にゾックが退いた。彼はトリスタン皇子率いる別働隊でアッシュの指示を受けることとなっている。
その代わりにオハラ隊に抜擢されたのは、パラディンのビクターと有翼人キャスパーだ。
反乱軍の形態になる以前からソニアと行動を共にしていたビクターは、最近はもっぱら部隊長として中堅的役割を担っている。そんな彼を部隊長という立場から外しオハラの部隊に入れることを、正直、ビクターの部下達は喜びはしなかったようだ。
しかし、当の本人は「俺は部隊長っていう柄じゃないし、ありがたいですよ」とのんびりとしており、自覚がまったくない部下泣かせだ。
プリンセスという特殊な称号を持つオハラは持っている能力も特殊であり、それゆえにソニアも気を使う。
彼女が率いる部隊が戦闘に入った時――スルストが説明してくれたことによると、「プリンセスに命の危機が迫った時や、敵意を持つものが近づいた時」とのことだが、実際は検証しようがない――彼女を中心に一定の距離内にいる彼女の味方は、身体能力を大幅に引き上げられる。戦では大層役立つ力なのだが、いくらかの問題を抱えている。
ゾックやテリーは十分わかっていたことだが、それに慣れてしまえば「それが自分の本当の力」と勘違いする兵士も出てくるのではないかという懸念。
どれほどに有能な戦士であろうと、己の力を見誤ることは相当に危険なことだ。
そうなると、オハラ隊に所属する人間は、新兵はもちろんのこと、相当に自制心が強く、ソニアからの信頼も厚く、かつ野心を持たないような穏やかな人物が望ましいと考えられる。
更に戦力の要素も考慮すると、この軍ではビクターが最も適した人材とソニアは判断を下した。
そんな経緯でビクターがオハラ隊に所属したわけだが、新しい部隊での初戦がシャングリラでの戦いになるのは、いささかソニアも不安に思えていた。
だから、行軍途中に一戦交えることが出来たのは、ビクターのためにもなり、オハラのためにもなり、ありがたいことと思えたわけだ。
また、シャングリラへの進軍を開始する時には、まずは飛行が出来る魔獣や有翼人を必ず一人一部隊に投入し、空へ向かわなければいけない。
前述のオハラ隊もそれは例外ではないのだが、知性があまり高くない魔獣へのプリンセスの能力の影響は未知数だ。ゴーレム達はドールマスターやエンチャンターがいれば制御出来るとわかっているのだが、飛行系魔獣にビーストマスター達が必ず同伴出来るほどの人数もないし、そのかつてない試みをこんな状況でやろうとは思えない。よって、シャングリラにたどり着くまでは、ビクターの代わりに有翼人のキャスパーが運搬役になるというわけだ。
しかし、まだまだ問題は山積みだ。
シャングリラでの戦闘が始まっても、不測の事態を考慮し、出来る限り各部隊に飛行型の魔獣達を配置したい気持ちも正直ソニア達にはある。しかし、飛行系魔獣は戦力的にはいささか心許ないものもいる。
永久凍土を出る前からずっとソニアやランスロットの頭を悩ませてきたのは、そのあたりの割り切りどころだ。
ラウニィーは多少的外れながらも「どうせワイバーンとか乗りこなせないから、不測の事態とやらになったら尚更混乱しちゃうわ。だから、別にわたしの部隊はいらないわよ」とはっきり言うのだが、それではなんの「不測の事態に備える」なのかがまったくわからない。
どちらにせよ、シャングリラに到達するまでは悩んでいても仕方がないことではあるのだが。

「ソニア、遅くなってすまない」
ソニアの天幕にギルバルドが現れたのは、夕食を終えてゆうに一刻は過ぎた頃だった。
「お疲れ様」
「ああ、サラディン殿も、ランスロットも、申し訳ない。もしかして、お二方のことも待たせてしまっていたのかな」
「いやいや、わたしは別件で参っただけで。気にすることは何もない」
天幕の入り口付近にいたサラディンはそう言って、ギルバルドに席を譲った。
ソニアの隣にいたランスロットはギルバルドに穏やかな表情で軽く会釈をすると、手元の地図にすぐに視線を戻す。
彼は、ビクターが作った地図に定規をあてながら、あれこれと書き込んでいるところだった。
ちらりとその様子を横目で見てから、ソニアはギルバルドに問い掛けた。
「で、どーだ?ギルバルド」
ソニアの声音を聞けば、彼女がすっかり元気になったということがギルバルドにもわかる。
彼は表面には出さなかったが、胸中では「いつもどおり」のソニアにかなりほっとしながら、獣の皮の上に腰を下ろした。
「うむ、ガストンが、頑張ったようだな」
「ははは!そっか。ギルバルドが評価してくれるなら、喜ばしい」
「ガストンはもしかすると、魔獣の調教より・・・乗り手の指導に向いているのかもしれないな」
「ほう」
それへ反応してランスロットは顔をあげる。
「それは・・・本人は・・・喜ぶ、かな?」
ランスロットがちら、とソニアを見ると、ソニアは肩を竦めて
「どうだろうな。でも、少なくともガストンは、ギルバルドに褒めてもらったらすごい嬉しいだろうから、そこは喜ぶだろうね」
そんなやりとりを聞きながらサラディンは、ソニアが用意しておいたらしいカップに茶を注いでギルバルドの前に置いた。
ギルバルドはそれに恐縮するが、サラディンはまったく気にしないように軽く手の平を向けて微笑む。
「しかし、きっと本人は・・・魔獣の調教か、ビーストテイマーの指導に力を注ぎたいのだろうな」
茶を取りながらギルバルドはそう言って、カップに口をつけた。
「乗り手の指導はまた、別なんだもんね。あんま、気にしてなかったけど」
「ガストンが選んだのか、あの乗り手達を」
「うん、アンタリア方面から戻るためにね。それ以前に、アンタンジルに向かう時だって、魔獣使いになりたての新兵がいただろ。それの指導だけであっぷあっぷだったのに、その上素人から選んで乗りこなすだけの人員を増やせ、とかほんっと、ひどいよね」
「ひとごとのように言う」
と、ランスロットは苦笑を見せながら口を挟んだ。
シャングリラ攻略に欠かせないのは、空を飛ぶ魔獣と有翼人。
しかし、反乱軍の全勢力をもってシャングリラへ向かうわけではない。
またも分断されてしまった彼らにとって、迅速に合流出来る手段はお互い必要となり、ガストンを筆頭にして、何人か空を飛ぶ魔獣を乗りこなせる人間、有翼人、そして魔獣が永久凍土の残処理を行うトリスタン達のもとに残っている。
そして、ガストンがアンタリアで魔獣の乗り方を教えた兵士達も、今回の即戦力、いや、即移動力としてシャングリラ攻略に抜擢されているのだ。
彼からすれば「俺が選んだ兵士を見て、ギルバルドさんはどう思うだろう」と内心びくびくしていたに違いないが、むしろギルバルドからの評価はこのように高い。
とはいえ、それが、ガストンが待ち望んでいた評価なのかといえば、また多少違うのかもしれないが。
ランスロットは穏やかな笑みを浮かべ、地図を傍らに置きながら言う。
「ガストンは人当たりも良いから、魔獣相手だけではなく人相手の作業が良いのかもしれない」
「それは以前からわかっていた。おぬしらもそうだろう?だからこそ、あの血気盛んな猛獣を唯一制することが出来ているのだろうしな」
ギルバルドが言う「血気盛んな獣」とは魔獣のことではなく、ブラックナイトのノーマンのことだ。
みなは笑っているが、ソニアは茶を一口飲んでから難しい顔を見せた。
「どうした?ソニア」
ソニアの表情に最初にサラディンが気付いて、声をかける。
それへは、言葉を選ぶように少しの間を置いて、ソニアはゆっくりと返事をした。
「いや、そろそろ、ノーマンもガストン離れをさせる時期かなーと思って」
彼女の言葉は、その場にいる全員に多かれ少なかれ驚きを与えた。
そんな答えが返ってくるとは誰一人として思っていなかったし、そしてまた、彼女がそんなことを考えていることすら想像出来なかったに違いない。
「ときどき、この娘は一体本当は何歳なのかと疑うものだ。人の成長、兵の成長、軍の成長。物が成長をする過程について、よくもまあその若さで考えることよ」
ギルバルドは苦笑いを浮かべて、サラディンに同意を求めるようにそう言った。それへのサラディンの返事は、ひっそりとした苦笑いだった。
「でもなぁ・・・そうは言っても、あたしが考えられるのは、よく知っている兵のことだけだ。全員のことを考えられるわけじゃない。申し訳ないんだけど」
困惑の表情を浮かべながら、本当に申し訳なさそうにソニアはそう言って小さく息をついた。
あまりに神妙なその様子に、ランスロットは穏やかに言葉をかける。
「それは当然のことだ。それに、そうだからといって誰もそなたを責めることもない。それらは、部隊長達に任せておいて構わないことなのだ」
「・・・そか。じゃ、あたしは考えすぎなのかな」
「いや、ノーマンについては考えてくれて一向に構わないが」
珍しくランスロットがそんなことを口走ったものだから、「おいおい」とギルバルドも再び表情を緩めた。
が、次の瞬間、漏れた笑みはギルバルドの顔から消え、その代わりに眉間にしわが現れた。それとほぼ同時にソニアの頬がぴくりと動く。
それは、ぱたぱたと軽く、少しばかりせわしない足音が、天幕の前で止まったからだ。
その足音の軽さは陽気な軽さではない。もともとの体重の軽さを思わせるものだ。
そして、その足音の主は、普段はそうやって足音をたてることなぞなく、物静かに歩くのだとソニアは知っている。
ちらりとランスロットとソニアがお互い目配せをしあうのと同時に、天幕の外から声が聞こえた。
「ソニア様、ヘンドリクセンです。お話中とは存じますが、失礼してもよろしいでしょうか」
「入れ」
「失礼いたします」
天幕の入り口の布を上にあげて中に入ってきたのは、体全体を茶色のローブで覆っている、相当に痩せた青年――ヘンドリクセン――だった。
ヘンドリクセンは、ウォーレン・サラディン両名から可愛がられている有望な魔法の使い手だ。
ウォーレンからは魔法についてだけではなく、ゼノビアの歴史等も教え込まれており、時にはランスロットですら知ることのないゼノビア王族のことをソニアに話すこともあるほどにまでなってしまった。
また、以前は何かにつけ読書に没頭していたのだが、最近ヘンドリクセンには変化が見られている。
彼はもともと書物を読むことを相当に好む気質であったけれど、ここ最近はサラディンの教えのもと魔の気や天の者の気、それとも違う自然界の気などの「気を読む」ことを会得するため、天幕にこもることが少なくなってきた。
ソニアは単純にそれは喜ばしいことだと思っているのだが、長年の付き合いのビクターの意見はまた違う。
ビクターは「ああいう愛想がないやつが出歩くと、扱いかねて周囲が困る」と主張をする。そういわれてみれば、それはそれでソニアにもわからなくもない。
ヘンドリクセンは、彼にとって「魔道の分野で新たな試験体」については――たとえばオハラなど――相当に気を使って接するし、魔法使い志望の新兵への指導も、ソニアから一任をされている程度は人付き合いは出来る。
しかし、それ以外の対人についてはからきし淡白で、「人に興味がない」のではないかと囁かれることすらあるのだ。
あの「喋らない」ゾックよりも、「得体が知れない男」と周囲には思われている様子も見受けられる。
まあ、だからこそ、そんなヘンドリクセンとうまく付き合いが続いているビクターのことを賞賛する声もあるのだが、当のビクターはそのことをまったく知らない。
以前、ソニアは何度か兵士達にヘンドリクセンのことを聞かれたことがあった。それに対してけろりと「頭がよくて、でも、ぼーっとしてる時も多いやつだ。あ、そういえば、熟れた果物が苦手なんだよな」と、別段誰も欲しくない情報を答えたものだ。
それがヘンドリクセン本人の耳に入って「食べ物の好き嫌いを知る仲だと思われますよ?」と釘をさされたこともあった。
ソニアにとっては「別にいいけど。だってビクターと三人でいた頃は、食事作ってたのあたしじゃないか」といったところだが、ヘンドリクセンからすれば他者から必要以上に勘ぐられることはお断りであったし、何より食事時に明らかに熟していない果物ばかりを渡される、というあからさまなことを女性兵からされることも不愉快なのだ。
まあ、いささか話は逸れたが、そういうヘンドリクセンが「せわしない」足取りで天幕に来たからには、そこそこに重大な話を持ってきたのだろうと一同は気づいていた。
中でもソニアとランスロットは、今ヘンドリクセンが「何」を観測する役割なのかを誰よりも知っていたため、否が応でも緊張が高まる。
「どうしたんだ?珍しい」
ギルバルドがごそごそと体を動かして天幕の奥へと詰めたが、ヘンドリクセンはそもそも体が細いため、あまり皆の邪魔にもならない。サラディンはもうひとつカップを手にとろうとしたが、それへはヘンドリクセンが片手を軽くあげて、いらないという意志表示を見せる。
「端的に申し上げますと」
「ん」
「3日ほど前からシャングリラの下降角度が、わずかではありますが鋭角になりました」
「うん?」
ヘンドリクセンの言葉にソニアは眉根を寄せる。それを見て、「しまった」と彼は心の中で苦笑をした。
この言葉で表現するのはソニアには難しすぎたか、とすぐに気づいたからだ。
「今までよりもいっそう早く下降しているということです」
「うん?でも、下降が早くなっても、ゼノビアの位置そのものは変わらないんだし・・・低空飛行を続けるってことか?それとも、もっと手前で落としたいということなのかな?」
「それは、わたしには量りかねますが」
「速度そのものはどうなのだ」
ランスロットの問いはもっともだ。
「今のところ速度に変化はないように見受けられます。しかし、それではゼノビアよりもかなり西寄りで落下するでしょうから、本当にゼノビアに落下させようと思っているならば、いずれは速度が落ちるか、角度修正がなされることでしょう」
「罠ってこともないよな。高度が下がればこっちは早めに攻め入りやすくなるが、それだってゼノビアに近ければ近いほど我々を帝国領から離せるんだし」
ソニアは軽く唇を尖らせた。
ヘンドリクセンの報告は昨日今日でわかったものではなく、永久凍土に入る前から一日何度も観測隊からの報告を受けてこまめにつけていた数値の結果をまとめている。
それらをどのように測るのかとか、どれほどの人員が動いているのか、などの細かいことをソニアは知らない。ウォーレンに任せればいいことは、あれこれと首をつっこまないようにとしているし、実際に説明されても理解出来るはずもないからだ。
「3日ほど前か・・・永久凍土を出た頃だな」
「タイミングがカンに触るな。ラシュディの仕業だろうか」
サラディンとギルバルドはそれぞれの呟きを口にしたが、そのどちらも何の解決の糸口にもならない。
ヘンドリクセンのもとに報告に来る「観測隊」は、ウォーレンが個人で特設してとりまとめているものだ。ソニア達がアンタリア大地からアンタンジルに向かっている間、ウォーレンはその観測隊を使ってシャングリラの移動速度などを調べ続けていた。
ソニア達が永久凍土をあとにしてシャングリラに向かうにあたり、観測隊への命令権限をウォーレンはヘンドリクセンへと譲渡した。そのことで、どれほどウォーレンがヘンドリクセンの能力を高く評価しているのかがわかる。
そのヘンドリクセンは、静かに自分の考えを口にした。
「どちらかというと、落下の準備を始めた、と見るのが妥当ではないかと思います」
「何故そう思える?」
「我々には、どういう原理でシャングリラが動いているのかはよくわかりません。ですが、いくらゼノビアに落下させるとはいえ、高度が高いままで真上にぴったりと停止させてから落とすというやり方より、落下のための角度や速度を調整しながら目標を定める方が無難に思えます。今までの角度での落下と今までの速度での移動でもゼノビアに目標が定まっているのはわかりますが、それはおおまかな目安にしかなっていませんし・・・」
「なんにせよ、早いうちに高度が下がってくれる方が、こっちとしてはありがたい。あまり軍を分けたまま遠出したくないものだしな」
ソニアは軽くそういって、飲みかけの茶が入ったカップを手にとり、ごくごくと飲み干した。
喉が渇いているのか、サラディンの傍に置いてあった陶器のポットに手を伸ばして、いささかぬるくなった茶を自分のカップに注ぐ。
そして、カチャカチャと小さな音をたてつつも、ちらりとヘンドリクセンを見て話を続けた。
「その3日ほどの推移を元に、落下予定地点を予測しなおせるか?今後も微調整されて、予測通りにはならない可能性があるってのはわかっているけど、念のため。それから、我々が接触出来る高度になる位置も、当然予測してくれるだろう?」
「はい。明日の朝の観測までに移動速度が変わらなければ、その速度で移動すること前提で予測をすることは可能です」
「わかった。じゃあ、ヘンドリクセンは朝の観測隊の報告後にそれを教えてくれ」
「わかりました」
すると、それまでほとんど口を挟まなかったサラディンが、ううむ、と小さくうなり声をあげる。
一同の視線はサラディンに集まったが、彼が口を開くのには少しばかりの間があった。
それは、彼自身「誰も答えを知らない」思っているを問いを口にするべきかどうするべきか悩んだ間だ。
「・・・ウォーレン殿は、ソニアに女神フェルアーナに会いにいけとおっしゃっていたが」
「そーだね」
「もし、仮に女神フェルアーナがシャングリラにおられるとして、この事態をどう思われているのだろうか」
「自分ちの庭をのっとられて、地上に落とされるっていう状態について?」
ソニアの表現はかなり噛み砕かれていたが、それゆえにわかりやすい。
「庭といっても、ただの庭ではない。シャングリラにはシャングリラの住民達がいると、昔から書物にも記されている」
サラディンが言いたいことは、女神フェルアーナが己の懐に居を構える住民に対して、何らかのアプローチをしているのか、ということだ。もちろん、その存在すらよく知らない彼らがそれについて口にしても、適当な予測しか出ないことをサラディンも知っている。
「放置しておけばそのうち、フェルアーナが動くかとも多少は思っていたのだがな。そうすればソニアが行かずとも済むのではないかと。まったくの期待はずれではあったが、それが神たる所以なのかもしれぬ」
「その件に関しては、スルスト殿から残念な回答をいただいておりまして」
そのヘンドリクセンの言葉を聞いた途端、ギルバルドは頬をゆがませた。
ソニアはそれを目ざとく見つけ、ヘンドリクセンの言葉を促すよりも先に、「なんだ?」と、ギルバルドの言葉を急かす。
「い、いや、失礼。まったく関係のないことだ」
「関係なくないだろ?何か気になったのか?」
「いや、本当に、その」
もごもごと言い訳にもならない言い訳を口走るが、ギルバルドがこういった会合の時に、他のことに気をとられることは少ないとソニアはよく知っている。とりわけ、年長者であるサラディンもいるような状態では、尚のことだろう。
だからこそソニアはしつこく追求をした。
「いや、スルスト殿のことを。もし、カノープスがここにいれば、きっと」
ついにソニアの追求に音を上げて、ギルバルドは申し訳なさそうに言う。
「うん」
「あの御仁は、いろんな意味で残念だからな、とでも悪態をつくんだろうと思ってな」
そのギルバルドの言葉に、初めにサラディンが「違いない!」と賛同をして声をあげて笑った。
ランスロットとヘンドリクセンは、声のない苦笑いを浮かべるだけだ。
しかし、ソニアはいささかぽかんとした表情で周囲の反応を見て
「スルスト様の何が残念なんだ?」
とギルバルドに聞き返す始末だ。
真っ向からのその質問にギルバルドもまた苦笑を浮かべ、内心では(ソニアも残念だ)と思いつつ話を逸らした。
「話の腰を折って申し訳なかったな、ヘンドリクセン。先を続けてくれないか」
「はい。スルスト様のお話では」
ヘンドリクセンも、ソニアの問いにギルバルドが答えていないことはわかっていたけれど、それを追求してもきっとソニアには理解出来ないのだろうことを知っている。ギルバルドからの要請を受けて、彼は淡々と話し出した。
「フェルアーナご本人が神殿にいるかどうかは定かではないと。たとえそこで会えるとしても、実体がそこにあるのかどうかは、スルスト殿もご存知ないそうです。仮に、実体がそこにあったとしても、フェルアーナにとってはシャングリラの住民も地上の住民も同じ人間。地上の諍いにシャングリラが巻き込まれたとしても、シャングリラの民だけを助けることはないと・・・」
「同じ人間?でも、人間は人間でも天界と地上ではあれこれ道理も違うんだろうし、別じゃないのか?」
とソニアが言えば、ヘンドリクセンは「同じです」とはっきりと答える。
「そもそもシャングリラの住民達は、昔は地上にいた人間が、地上の諍いを忌み嫌ってシャングリラに移り住んだという話です。まあ、その方法はわかりませんが・・・天界に属する者は、そういう意味では本来少ないのですよ。スルスト様やフェンリル様の部下の方々だって、天界に属する者か地上に属する者かを追求すれば、本来は地上で生きる人間となんら変わりはないのです」
「しかし、天界で生まれ天界で育てば、地上人と自らは違うのだと思わずにはいられぬだろうに」
そのサラディンの言葉はもっともであったが、ソニアとランスロットといった、ムスペルム、オルガナに足を運んだ人間からすれば「むしろ同じ」感覚は、最初から感じ取っていた。
住む地によって多少の道理が違うのは、地上とて同じ。
それが、天にあるか、地上にあるか。
天使と人間と悪魔、といった、生態そのものがまったく異なる生物同士ではないのだし。
「まあ・・・あるいは、我々が試されているとも思えるが」
サラディンはそうつぶやいて、ちらりとソニアを見た。その視線に気付いたソニアは、大げさに肩を竦めて
「あたし達がわかってることは、女神フェルアーナは今の時点じゃ全然味方でもなんでもないってことだ」
「敵ではないと思いたいがな」
「うん。とりあえず、天空の三騎士みたいに操られていないといいんだけど」
そのソニアの言葉に一瞬天幕の空気が揺れた。三者三様というか、四者四様の反応のせいだ。
女神とも呼ばれる、それこそ文字通り空の上の存在が、ラシュディに操られる。
確かに可能性としてはゼロではないが、それを考慮している割には、ソニアの言い草はなんだか随分呑気にも聞こえた。
「まあ、シャングリラを動かす力が何の力かはわからなければ、フェルアーナが動かしている・・・という線も考え得るのだしな」
そのサラディンの言葉にランスロットは強く頷いた。
「確かに。フェルアーナが操られて、動かしているという線は疑っても良いと思われる」
「どっちにしたって、シャングリラに行かなければなんにもわかりやしないんだろう」
はー、と大きく息を吐き出して、ソニアは体を動かした。
この話し合いにも少しばかり飽きてきたのが伺える。
それを察知したから、というわけでもないだろうが、ヘンドリクセンが腰を浮かせながら退出の意を示した。
「それでは、また明朝ご報告にお伺いいたします」
「ああ、わかった。頼むぞ」
「はい」
立ち上がってから一同に深く頭を下げて、ヘンドリクセンは天幕から出て行った。
入り口を覆う布がパサリと音を立ててもとの位置に戻ると、ギルバルドも「では俺も」と腰を浮かせた。
「シャングリラの高度にもよるが、余ほどの長距離でなければ問題なく彼らも使えるだろう、という簡単な話をしにきたんだった。すっかりおろそかになるところだったが」
「ギルバルドのお墨付きなら、あたしも安心出来る。それぞれの魔獣にカノープス達有翼人を一人ずつサポートつけるわけにもいかないから、ちょっと心配だったんだ」
「心配には及ばない。では、ソニア、よく寝るんだぞ」
「ああ」
ギルバルドは自分が飲んだカップを手にして一同に軽く頭を下げ、ヘンドリクセンに続いて天幕から出て行く。その後姿が視界から完全に消えないうちに、サラディンも「よっこらしょ」と小声で言いながら立ち上がる。
「わたしも長居してしまったな。では、先に休ませて貰おう。ソニアも、よく眠るのだぞ」
「なんだなんだ、ギルバルドもサラディンも、人のこと子供扱いして!」
「わたしより見れば、そなたの隣の聖騎士ですら、まだまだ若者だ。ならば、ソニアはもっと」
そういいつつも、ソニアをからかう意志が含まれていることが声音でわかる。ランスロットは曖昧な苦笑を向けただけだったが、ソニアは唇を尖らせ
「子供なんだから、もっと大人がいっぱい手を貸してくれ!」
「貸すべき時がくればくれば、いくらでも貸す心積もりはあるのだが」
そう言って、はっは、と軽く笑うとサラディンもまた退出してしまった。
ソニアの隣のランスロットは、ギルバルドが来た時と同じように地図に目を落とす。
そこには、現在地とゼノビア、永久凍土、マラノを含んだ地形が描かれており、これまで観測されていたシャングリラの軌道が記されている。明朝になれば、ここにまたいくらかの線が引かれるのだろう。
「難点は・・・シャングリラからの迎撃の問題と、シャングリラに着いてからの本拠地の確保だな」
とんとん、とランスロットは地図のふちを軽く叩いて呟いた。
それは、先日からずっと軍議で出ていた話で、また、こちらとしてはまったく対策も何もあったものではない、手のうちようのない問題だ。
戦では基本的に頭上からの攻撃を防ぐことが難しい。それが空であっても同じことだ。
慣れぬ高度で飛ぶ有翼人や、慣れぬ使い手に操られる魔獣の負担が大きいばかりか、シャングリラの地について再編成をするまでは基本的に普段の部隊よりどの部隊も戦力が落ちるのだ。
シャングリラにはスルストが共に行くことになっているため、申し訳ないと思いつつもスルストに先陣を切ってもらうことになっている。
危険を伴うことなので、スルストに同伴するのは、ワイバーンを操るギルバルドだ。
そして、ギルバルドにその大役を任せる以上、他の魔獣を操る兵士達を統括するのは、他の魔獣使いがやらざるを得ない。本来はそこがガストンの役目なのだが、このように軍が分断される以上、ガストンとギルバルドが肩を並べることはなかなか難しい。
「本拠地の確保は、まあ、頼ってもいいとスルスト様がいっていたんだけど・・・シャングリラの地形を完全に把握してるわけじゃないようだから、どこまで頼っていいのやら」
「あの方の知識を頼って、シャングリラの地図を起こす予定ではなかったか?」
「ビクターにそれを頼んだんだけど、スルスト様にあれこれ聞いてみたら、てんで地図にならないよーな曖昧な記憶しかないみたいだった。でも、シャングリラにいる知り合いの女性がいる都市は知っているとか言ってたから、それをつてにするつもりだと思う」
「・・・ソニア殿、そのあたりが残念だと」
先ほどの会話を思い出して、ランスロットが苦言を呈するように呟いた。
「ん?スルスト様の記憶が曖昧なところ?」
「いや・・・どこでも『女性の』知り合いがいることだ」
「顔が広くて、いいじゃないか?」
「どういう知り合いなのか、追求してみるといい」
「うーん、人の恋路に云々っていうじゃないか」
「・・・どこまでそなたはわかって言っているのやら」
ランスロットは小さく息をついたが、その表情は決して呆れたものではない。
むしろ、この少し聡くて、時々鈍くて、本当は繊細すぎる目の前の反乱軍リーダーのそのあっさりした態度が好ましく思えたからだ。
敢えてその話題を続けずに、ランスロットは地図を畳みながら話を戻した。
「なんにせよ、明日のヘンドリクセンの報告で、こちらも対応を考え直す必要がありそうなのは確かだな・・・この先に手配されてある野営地に、予定通り寄るとも限らないわけだし」
「うん。まあ、明日の補給予定はそのままとしても。ウォーレンの手配通りに動けない可能性が高いのは確かだね」
ソニアはそう言うとのびをひとつした。
「あとは、シャングリラに攻め込める高度ってのがさ・・・あたし達にとって、空気が薄すぎないといいんだけどね」
「その辺は、スルスト殿は大丈夫だと言っていたのだろう?」
「空中都市の上では少し空気に制御がされているって言ってた。でも、問題はたどり着く時までだろ?あたし達はいままでカオスゲートからしかムスペルムとか行ってないし・・・スルスト様の話は、普段空中都市にいる人たちが魔獣で都市を出ても、空気の薄さを感じないから大丈夫・・・みたいな話だから・・・」
うまく説明出来ないことをもどかしげに、ソニアはもごもごと口の中でああでもないこうでもない、と言葉を呟く。
彼女の懸念をランスロットもよくわかってはいた。
先ほど「空中都市にいるのは、地上からの移民」とは行っていたが、実際の移住は相当に昔の話だ。
今日での歴史の中、空中都市に住む人間と地上にいる人間では、多少身体的に違いがあってもおかしくはない。
スルストの話では、ムスペルムでスルストが取り仕切っていたムスペルム警備兵達は、魔獣を使ってムスペルム周辺の空を飛ぶことが当たり前らしい。そして、そのときはそんなには空気の薄さを感じないし、ムスペルムにいたスルストがこうやって地上で普通に生活をしているのだから、地上の人間が空中都市近くまで飛んでも、身体に影響はないのでは、ということだ。
しかし、ソニアからすれば「ムスペルムの高度自体、よくわからないし」であり、「スルスト様だから空中都市でも地上でも変わりなくいられるのかもしれないし」という気持ちもある。そのうえ、空中都市で空気の制御がされている、と聞いてしまっては、尚のこと疑わずにはいられないということだ。
「間違いなく、ムスペルムやオルガナよりは高度が下がるだろうから、少しは安心出来るのかなあ。もう、誰も何も保障出来るわけじゃないから、ほんっと、面倒だね」
「そうだな。しかし、面倒だからこそ・・・有る意味、そなたが行ってくれることがありがたいな」
「・・・トリスタン皇子に任せるには、まだちょっと難易度が高いもんね」
そのソニアの言葉を聞いて、ランスロットは眉根を潜めた。
それは、トリスタンの実力を低く見られたから、ではない。
ソニアは「まだ」と表現をした。ということは、そのうち、こういった特殊な状況での進軍も、トリスタンに指揮をとらせるつもりでいるのだろうか?
ふと、先ほどのギルバルドの言葉を思い出す。

――ときどき、この娘は一体本当は何歳なのかと疑うものだ。人の成長、兵の成長、軍の成長。物が成長をする過程について、よくもまあその若さで考えることよ――

(皇子の成長ですら、考える余裕があるのか、この子は。そして、反乱軍を多少なりと、皇子に譲ろうとでもいう気持ちがあるのだろうか?)
それが、良いことなのかどうなのか、ランスロットには判断出来ない。
この軍は、反乱軍であり、ソニア軍ではない。
しかし、ゼノビア軍でもなければトリスタン軍でもない。
ここ最近のめまぐるしくも曖昧な状況の中、ソニアは冷静に多くのことを考えているのだろう。
ソニアは、自分に注がれているランスロットの視線に気付き、慌てて問い掛けた。
「な、なんだ、ランスロット。何か言いたいことでも、あるのか?」
「あ、いや」
ランスロットは、自分がついついソニアを凝視していたことに気付いていなかったようで、その問い掛けに困った。
そして困った挙句に
「その・・・今日は、ゆっくり眠ると良い。調子が戻ってきた時に油断をするのが、一番よくないからな」
なんてことを口走った。
それを聴いてソニアはふてくされた表情を見せた。
「ランスロットまで、子供扱いだ!言われなくたって、よく寝るよ!」
「はは、悪かった。そういうつもりではなくて」
「じゃあ、どういうつもりだ!」
「・・・そなたが元気になって、みな、よかったと思っている、ということだ」
「・・・むう、そう言われると、黙るしかないじゃないか」
ソニアはそう言うと、またも口を軽く尖らせ、二杯目の茶を飲み干した。



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