再会-2-

クァス・デボネアは身包みをはがされた状態で拘束をされ、石造りの冷たい牢獄に囚われていた。
彼は、こんなところにも「牢」と呼ばれるものがあるのか、と内心驚いていた。
彼が囚われているその場所は、女神フェルアーナがいると言われている天宮シャングリラ。
実のところ、ここが「それ」だと知ったのもガレスからの言葉によるもので、彼自身はこの地がシャングリラであることを最初は気付いていなかった。
ディアスポラでソニア達反乱軍に敗れた彼は、己の主である女帝エンドラに、今の帝国の有り様について話し、説得をしようと敗北の地を離れた。
しかし、長旅の末にようやく訪れたエンドラとの謁見の場で、彼はあれほどまでに忠誠を誓って尽くしてきた主から、裏切り者と罵られて捕らえられてしまったのだ。
彼が最初に入れられた牢獄は、処刑を待つ大罪人が入れられる場所だった。
そこからの脱獄なぞ到底不可能であることを、帝国軍人の彼はよく知っていた。そのため、知っているがゆえの深い絶望を突きつけられたのだ。
彼は、このまま自分が朽ち果てることも、処刑をされることも受け入れ難かったが、そのことよりも心を痛めたのはエンドラと帝国のこと。囚われの日々が続き、朝も夜もわからなくなった状態でさえ、彼は、いつかはエンドラが目を覚ましてくれるのではないかとそれだけを祈り続けた。
彼が知っている女帝エンドラは、いくらかのいたしかたのない強引なやり口はあったものの、基本的には帝国の民のことを思い、決して理不尽なことを押し付けることはない人物だった。
女性というものは、みな母になり得るものなのだ、とデボネアは昔から甚く感じ入っていたものだ。とりわけエンドラは、子供を産んだ母として、なおかつ国の母として、彼らが誇れる人物だったはずだ。
だから、何かに仕組まれ、今は御自身を見誤っているだけ。そうデボネアは信じたかった。
しかし、投獄されてからしばらく経ったある日、またエンドラのことを考え、ふと彼は思った。
もし、自分を処刑した後で「その時」が訪れても構わない。陛下の目が覚めれば、きっとこの国は元通りになるだろう。
恋人であるノルンは哀しむかもしれないが、それでも、彼女が住みやすい国で生きられるのならば・・・。

今、自分はなんと思った?
自分がこの世界から消えた後で?

それは、許されない、とデボネアは思った。
気弱になるのもいい加減にしろ、と彼はようやく己のなすべき事に気付いた。
脱獄が不可能だと知っていたから、脱獄を考えなかったわけではない。
脱獄の素振りを見せないことで、エンドラへの忠誠心を試されるのではないか、という勘繰りも僅かに彼にはあったからだ。
しかし、もはや彼は自分に時間がないと思えた。
ありとあらゆる手段を考えた。
ありがたいことに食事は運ばれたから、今のところ彼を生かしておく意志がエンドラに――あるいは、エンドラの影でなんらかの権力をもつものが――あるのだとわかった。
とはいえ、いつそれに毒が入れられ、毒殺されるかも知れなかったのだが。
そうこうしているうちに、脱獄をする機会も与えられぬままにある日牢の鍵が開いた。
処刑の日が来たのかと覚悟を決めたが、やってきた兵士は厳重に周囲を伺いながらデボネアを牢屋から連れ出した。
行き先も聞くことが出来ないままデボネアは目隠しをされて随分歩かされた後に眠らされた。
そして、気が付いた時は、この牢獄に投獄されていたのだ。
まず、空気が違う、とデボネアは思った。そして、案外と清潔な牢だと感じる。
牢獄というものはどんなところだろうが大概は陰鬱な場所だと彼は思っていた。
それまで彼が見たことがあるそういう場所は、湿っぽい重たい空気が満ちていることがほとんどだった。
(間違いなく牢獄に思えるが・・・空気が澄んでいる)
それは、この牢に投獄される者達が、それなりの待遇を受けているということを物語っている。
帝国領のどこなのかはわからなかったが、少なくともこの牢を管理している者は、犯罪者に対してもそれ相応の人権を重んじているのではないだろうか、と彼は考えた。
高い位置にある窓は厳重な格子枠がはまっているため、外の様子はわからない。そして、明かりもあまり差し込まない。
それでも、過ごしやすい空気に満ちているとデボネアは気付いた。
ある意味ではそれはデボネアにはありがたいことだった。が、一方で、何故わざわざ眠らされてこの場所に運ばれたのかが、彼にはまったく理解が出来なかった。
牢に入れられて半日。
ようやく、彼をこの牢に移した人物が彼の元に現れた。
ガレスだ。
ガレスの口から語られた内容は、デボネアの想像をまったくもって越えたことばかり。

「ここは、女神フェルアーナがいるといわれている、シャングリラだ」

「空に浮かぶ島に、我々はいるのだ」

「そして、この島は移動をしている」

それが本当なのかどうかを確かめる術をデボネアは持っていなかった。
たとえ真実だとしても、それでは何故そんな場所に自分を連れてきたのかが彼にはわからない。
その理由についてガレスはデボネアには語らなかった。
ただ、嘲るように笑い
「天空には罪人がいないのか、やたらとその牢も過ごしやすそうだな。裏切り者には不似合いなほどだ」
と皮肉を言い放ってその場を去っていった。
それが、シャングリラでの初日のことだった。


空を飛ぶ魔獣は、それぞれに心地よく飛べる高度というものがある。
彼らは常日頃、上へ上へと目指して翼を羽ばたかせているのではない。
だから、あらかじめウォーレンが計測部隊やヘンドリクセンに教えていた「魔獣に乗って上がれる」高度と、「魔獣に無理をさせない」高度は違う。そして、カノープスを筆頭にした有翼人にとってもそれは同じことが言える。
ユーシスに頼んで天使達を使わせてもらうという手段もあったが――彼らは環境変化から己の身を守る術を持っているので――、ユーシスを見る限りでは、あまり天使というものは人を運んで飛ぶことには長けていない。
有翼人達が「なんとかいける」高度と、空を飛ぶ魔獣が気持ちよく飛べる高度は同じくらいだ。
しかし、有翼人の中でもカノープスはずば抜けた身体能力を持っているため、魔獣達とあまり変わりがない高度も人を運搬することが可能だと、それはソニアも知っていた。
よって、ソニアの部隊にはカノープスが起用されることになり、それを軸に兵士を選んだ結果、ソニア、ランスロット、カノープス、そしてプリーストのオリビアと、フレイアのテスの五人となった。
この、いささか「懐かしい」感のある部隊編成は、以前天空都市オルガナでフェンリルに戦いを挑んだ面々だ。とりたてて特別な意図はソニアにはなく、「選んでいったらそうなった」結果ではあるが、ランスロットもまた「きっとソニア殿も安心して指揮を取れるだろう」と妙な安心感を覚えたほどだ。
ソニア達はシャングリラの高度が下がったという報告の翌朝にもヘンドリクセンの報告を受け、反乱軍陣営は慌しく動き出した。
出撃部隊は、ギルバルドを中心とした魔獣に乗って攻め入る部隊と、キャスパーを中心とした有翼人の運搬によって攻め入る部隊と、大きく二つに分けられる。(カノープスはどちらでもありどちらでもないと言える立場だ)
シャングリラに近づく間に上からの攻撃を受ける可能性がある今回の出陣は、グリフォンとコカトリス達の活躍にかかっていると言えた。反乱軍にもともと所属している空を飛ぶ魔獣はそう多くないため、アンタリアからウォーレン達の下へ合流をした時のように、商人から魔獣を数体借りることとなった。その時に、あえてワイアーム、ワイバーンではなく、グリフォンとコカトリスを選んだ。
空中でなんらかの戦いを挑んでこられるのは有翼人か、空を飛ぶ大きな魔獣、そして翼を持つ天使や悪魔達と考えられる。
魔獣からの攻撃であれば、それを操る人間が必ずいるのだろうから、コカトリス達のペドロブレスで状態変化をさせて人間の動きを止めることさえ出来れば戦いを回避出来る。
有翼人については、基本的には彼らが「なんとかいける」高度へ攻め入る前提で動けば、帝国軍の有翼人にとっても高度が高すぎて苦しい付近では出陣してこないのではないかと思えた。
残る天使や悪魔に関しては、グリフォンの突風で凌ごうという算段だ。
後続の有翼人部隊にあまり負担をかけないように、シャングリラに到着するまでは魔獣部隊に力を尽くしてもらう必要がある。
もちろん、「ようやく魔獣を操れる」程度になった兵士の部隊もいくらかあるわけだが、その部隊にはもともと反乱軍に所属しているコカトリス達を配置している。ギルバルド曰く「ずっとここにいるこやつらは、ヘタクソな乗り手には手厳しいが、こと戦に関しては鋭敏で勘が良い。出発前にようく言い聞かせれば、そう危ない局面にはならんと思う」ということだが、実際はどうなることやら、とソニアも少し気がかりになっている。
「もうひとつ気がかりなのが」
出陣の準備を終えたランスロットは、ソニアの天幕の前で周囲の兵士達の様子を伺っている。その横で座り込み、剣の鞘を止めている革ベルトの調節をしながらソニアは口元を緩めながら呑気に言った。
「うむ」
「ギルバルドが、相性がいいといいな。出来るだけへこたれないでくれるとありがたい」
「・・・ラウニィー殿だな」
ワイバーン達なんて乗りこなせないし、とラウニィーは言ってはいたが、それはシャングリラに到着してからの編成についてのことだ。シャングリラに行くまでは、どうしてもなんらかの魔獣部隊か、有翼人部隊に入らなければいけない。
そして、魔獣部隊にはそれぞれ、物理攻撃以外に戦う手段を持った兵士が配置されることになっている。
今回シャングリラに到達するまでに最も荷を負うギルバルド隊には、本当はサラディンが配属されるはずだった。
しかし、サラディンほどの人物であれば、逆に他の部隊にいた方が戦力としてだけではなく知力として平均化され、何かがあった時に助かるのではないかと考え、ラウニィーが配属されることになった。
そのラウニィーといえば己の立場のわきまえはあるものの、あまりの勇敢さにみなが舌を巻いてしまうほどの女傑と言える。
そんな彼女を時には扱いかねる人間も多く、実のところソニアもそのうちの一人だ。ランスロットに言わせると、ソニアとラウニィーは大層よく似ているというのだが、ソニアはそれには合点がいかない。
余談ではあるが、ギルバルドといえば、永久凍土といい彼は反乱軍の中でも少々オーバーワーク気味だった。
しかし、ソニアが「シャングリラについたら、空の旅を満喫していいぞ」と彼女なりの労いの言葉を告げると、それはそれで彼の気に触ったようだった。
ギルバルドが「この程度で疲労を訴えるような年ではないぞ」といささか売り言葉買い言葉気味に返事をすると、ソニアは「サラディンよりは若いもんなぁ」なんて、これまた的をはずした言葉を返したものだ。
まあ、なんにせよ、ソニアはソニアで「この前はあたしのお守、次は責任ある立場でラウニィーのお守で、ギルバルドは早死にしそうだ」と彼女なりに気にはしているのだが、実のところギルバルド隊にラウニィーが配属されるのは、部隊構成としてはまったく悪くない。悪くないから、そうせざるを得ないというわけだ。
「が、有る意味考えれば、ラウニィーがついている限り、ギルバルドの身は安全だろうな。手練であることは間違いがないし」
「うむ。それは、その通りの期待をして良いだろう」
ランスロットが同意をするのと同時に、二人のもとに数人の部隊長達がやってくる姿が遠目に見えた。
出陣の準備が整ったのだということは、言われなくともその様子だけでわかる。
「行くか、ランスロット」
ソニアはぴょこんと跳ねるように立ち上がって、ランスロットを促した。
「うむ」
と、ランスロットは同意をして歩き出そうとしたが、何故かソニアはその場を動かず、不思議そうな顔でランスロットを見上げている。
「・・・?どうしたのだ?」
「あ、うん。なんか、昔みたいだな、と思ってさ」
「何が、かな?」
「ランスロットとこうやって出陣するのが。なんだか、すごく昔みたいな、そんな気がしたんだ」
何を言う、永久凍土では一緒に・・・そうランスロットは言おうとして、喉元で言葉が詰まった。
多分、そういう意味ではないのだろうと、彼の心の中で何かの制止がかかったからだ。
ソニアの言葉には、とても多くの意味が本当は含まれているに違いない。けれど、何よりもランスロットの気持ちを曇らせたのは、「昔みたい」というソニアの発言だった。
だが、きっと当人は自覚がないのだろうとランスロットは思う。
そして
「すっかり元気になったようだな。そなたの元気がないと、みなが哀しむ」
「うん。もうすっかり元気だよ。まあ、またアレだ、その、月のものが来るとへこむかもしれないけど」
「それは、いいことだから別に良いのだ。そなたの元気がないと・・・わたしも、悲しいな」
少しだけ話をはぐらかしつつも、ランスロットは心からそう言った。
もちろん、ランスロットの内心ではソニアの体調のことばかりではなく、ゾックへの恋愛感情がどうの、とか、他の意味合いもあったのだが、そこまではソニアに知られなくとも良いと思える。
当然ソニアもそんなことは気付かず、じっとランスロットを見てから再び歩き出した。
「・・・そっか。うん。もう、元気だぞ。いこう」
「ああ」
ソニアのその言葉に、ランスロットは笑みを浮かべ、彼女の背を慌てて追った。


その日は雲が空を厚く覆っていたが、雨足とは無縁で程よい気候と言えた。
ギルバルド率いる魔獣部隊がシャングリラ目指して空を高く舞ってゆくシルエットを、地上に残った本陣守備部隊が見守る。
ほどなくして、飛行速度、飛行高度共に追いつくことが難しい有翼人達が兵士達を抱え、後を追うように飛び立った。
その先頭にはソニア達を抱えるカノープスの姿があった。
有翼人達はあくまでも運搬を主にしているから、出来る限り戦闘は回避しなくてはいけない。
シャングリラに辿り付くまでに、帝国兵の迎撃がなければ良いが・・・誰もが当然のようにそう思っていた。
ギルバルドが操るコカトリスに振り落とされないように掴まっていたラウニィーは、ぐっと己の足元の鐙に強く力を入れ、背筋を伸ばした。
それは、今まで彼女が体感したことがないほどの高度で、いくらか吸い込める酸素が薄くなり、呼吸も浅くなっているように感じられた。ちょうど、その頃だった。
「楽は、させてくれないようね」
左腕の肘の内側で、コカトリスの胴体に括りつけてある革ベルトを挟み込み、右手でオズリックスピアを前に突き出した。
コカトリスを操っていたギルバルドは背中でその様子を感じ取っていた。
「怒りの雷よ」
それは、雷魔法サンダーフレアの完全詠唱の出だしだ。
「空を劈き(つんざき)大地にほとばしりて、すべての命を震わす轟きと共にそのあふれ来る力を与えたまえ」
ギルバルドが操るコカトリスの飛行速度は落ちない。
びゅうびゅうと冷たい風に煽られ、ラウニィーの耳は冷え、痛みすら感じているはずだった。
しかし、彼女は正した姿勢をまったく崩さず、ギルバルドがコカトリスを向かわせている、その真正面に見えた黒点を見据えていた。
空の日差しが雲に遮られ、上昇中でも上空の的を捉えることが出来る。
コカトリスの胴体を挟んでラウニィーの反対側にいるプリーストのハイネは、呼吸を詰めて前方を見つめていた。
「我が力を媒体として我に敵為すすべての生き物に天罰を与えたまえ」
ラウニィーの詠唱は、ギルバルドの耳にもハイネの耳にも届かない。
ただただ風の音が彼らの鼓膜を震わせ、その中にもぞもぞと言葉の断片が飛び込んでくるだけだ。
呪文の詠唱というものは、聞こえる聞こえないではなく「正しさ」と、それを行使する能力が必要とされる。
しかし、それを知りつつも、ラウニィーの声量は上がった。
「降り注げ、サンダーフレア!」
手に持ったオズリックスピアの切っ先を、上空に見えていた黒点――それは既に形を現し、ワイアーム部隊であると判断出来るほどだったのだが――に向け、詠唱を完成させる。
帝国兵部隊の下降速度と、ギルバルド達の上昇速度はどちらも衰えない。
ギルバルドはコカトリスを操りながらも、腰の鞭を片手で抜いた。
ラウニィーが行使したサンダーフレアが帝国兵部隊に降り注いだ瞬間には、それが目視出来るほどの至近距離になる。
「もう一発いくわ!ギルバルドはそのまんまでいい!」
「うむ!」
こういう時、女性の甲高い声は案外と聞こえがよくてありがたい。
そんなことをギルバルドは思いながら、手綱を慎重に操り、帝国兵と接触をしすぎないようにコカトリスを誘導する。
黒点は複数見え、ラウニィーが狙った先頭の部隊の一つ後ろ――厳密には、一つ上空の――の魔獣部隊に、ギルバルドの後を追っているグリフォンに乗ったサラディンが詠唱した魔法が襲い掛かる様子も見えた。老齢にも関わらず、この距離間、この飛行速度の中、なんという集中での詠唱かとギルバルドは胸の内で驚いた。
と、ワイアームに乗った帝国兵の中にはアマゾネスがいるらしく、上空から矢が射掛けられる。
それは有る意味なかなか地の利を生かした部隊構成だといえよう。
その矢は、コカトリスに乗っている人間ではなく、明らかにコカトリスの翼の付け根を狙っている。それを察知したギルバルドはコカトリスの飛行軌跡を左右に振り分け、的を絞らせないようにしつつ上昇を続けた。
それは、たとえガストンくらいの経験者であろうと、慣れた魔獣でなければ難しい技術だ。ギルバルドは難なくそれをこなし、後続の操り手に」負担をかけないように囮になろうとしていた。
「降り注げ、サンダーフレア!」
もう一度、ラウニィーの詠唱。
そして、ギルバルドの巧みな操縦によって接触しない程度に近づいたコカトリスは、ぐるりと帝国兵が乗るワイアームの周囲を回るように羽ばたくと、ペトロブレスを放って再度上昇をした。
ハイネからの合図がないところを見ると、ワイアームの乗り手はコカトリスのペトロブレスの餌食になったのだろう。
耳にかすかに聞こえる、後続部隊が他の帝国部隊と接触した音。
それは、グリフォンの大きな羽ばたきの音だ。
ついてくる反乱軍魔獣部隊に遅れがあったり問題があれば、すぐさまハイネがギルバルドに声をかけるはずだ。
それでもまたハイネからの合図がないから、とりたてて問題はないのだろう、とギルバルドは判断し、上昇を続けた。
そんな彼の背後で、もう一度ラウニィーがサンダーフレアの詠唱を開始する。
遠い雲と雲の合間から、また。
「なかなか、楽には行かせてもらえないようだ」
ギルバルドは、先ほどのラウニィーの呟きと同じ主旨を呟き、表情を歪めた。
後続のサラディンが乗るグリフォンと、スルストが操るコカトリスが、ギルバルド達の援護をするように斜め後ろに追いついてきた。
その後にも、魔獣部隊が続く。
ラウニィーの詠唱が再び完成し、雲間から現れた帝国部隊に雷が降り注いだ。
それとほぼ同時に、上空から炎攻撃がギルバルド目掛けておちてきた。
「レイブンか!」
体全体を炎に煽られ、ギルバルドは僅かにひるんだが、ハイネがすぐさま回復魔法を唱える。
「それは、任せてクダサーイ!」
有翼人に支えられているらしい部隊には、スルストが接触をするためぐんと速度を上げた。
スルストが振り払うザンジバルの剣圧は空でも健在で、まるでソニックブームを放っているかのように遠い間合いでも敵に届く。
それで動きを止めた後に、ペトロブレスをお見舞いするつもりなのだろう。
地上の人々が既に確認できないほどの上空で、それまで見たことがないような空中戦が繰り広げられようとしていた。


上空の魔獣部隊の奮闘のおかげか、有翼人部隊の飛行は何も障害がなく、あるとすれば薄くなっていく空気との戦いのみだった。
カノープスはまったくもってあまりにも強い固体であり、環境変化にもそうそう困ることはないが、他の有翼人達もそうだとは思えない。
ギルバルド部隊のハイネのように、オリビアとテスが後続部隊の様子を逐一確認して報告をすることになっているから、余程のことが起きない限り、カノープスはそれなりの速度で上昇していく。
「薄い、な」
カノープスの左腕に抱えられているソニアが声をあげると、逆側にいるランスロットは頷いた。
オリビアとテスは、カノープスの胴体に回されているベルトを持ちながら、彼の胴に掴まっている。
もちろんそれだけでは振り落とされてしまう場合もあるから、そのときはカノープスが迅速に体勢を変えてくれる。
その辺りは彼もまた熟練者であり、ギルバルドのコカトリス操縦以上に信頼が置けるものだった。
他の有翼人はその辺りが不安で、特にオハラ隊のように通常あまり飛行を経験していない部隊は、運ぶ人間と運ばれる人間の相性もあるものだから、近くには補佐としてヘンドリクセンとレイモンドのみを抱えている有翼人を配置していた。
まったくもって空の旅というものは、口で言うほど楽ではない。
それが、高度をどんどん上げるものであれば、尚更だ。
と、かなりの高度まで上がった頃、カノープスが声をあげた。
「ソニア!」
「うん」
それは、驚くほどに大きな爆音。
後続部隊を慮って、かなり遠くへと放られた火薬での爆音だったようで、それによって出た灰その他は、特に上から降ってこない。
風の流れも計算されているのだろう。
「シャングリラに」
魔獣部隊が、シャングリラに到達した合図だ。
その合図には続きがあり、もう一つの爆音が聞こえる。その音の種類を聞き分けて、ランスロットは叫んだ。
「結構、消耗しているようだ!」
ソニアが声を荒げた。
その合図は、出来ることならあまり聞きたくなかった音だったのだ。
「急げ、カノープス!もう後からついてくる部隊は気にしなくていい!向こうで何が起こるかわからないから、早く戦力を補充してやらないと!」
「わかってる!」
オリビアは後続部隊に合図を送った。
それは、「無理のない速度で来い」という合図でもあり、また逆に「行ける者は速度をあげろ」という合図でもあった。
それにいち早く感づいたのは、ヘンドリクセンの部隊だ。
そもそも運搬している人数が少ないのだから、飛行も楽に決まっているのだ。
それに、何よりヘンドリクセンと共にいるレイモンドは斥候役として反乱軍で活躍しているニンジャであり、知らぬ地に行ってもその能力をいかんなく発揮する。
オハラ部隊のことを考えて有翼人部隊に配置していたが、出来る限り早くレイモンドがシャングリラに早く着くことは、反乱軍にとっても良いことと思える。
「ご一緒、いたします!」
滅多に大声を出さないヘンドリクセンが、カノープス達の斜め下から声を荒げた。
先にいくには戦力が心許ないが、ソニア達と共に行くのであれば問題はない。
「おっし、来い!」
そう言うのはカノープスだ。
抱えている兵士の数が倍だというのに、そんなハンデは微塵も感じさせることなく、カノープスは更に速度をあげた。
他に2部隊ほどがそれについてこようとしたが、それ以外の有翼人部隊はオハラ隊の速度に合わせて一塊になった。
何かが起きても、オハラ隊がいれば空中戦であろう心強いからであり、それは前もってソニアから出ていた指示通りのことでもあった。
広い空を舞う有翼人達。
ソニアは自分達の後ろをついてくる彼らへと視線を投げかけ、叫んだ。
「くれぐれも、無理をするなよ!」
その声は、どれほどまでに聞こえているのかは、ソニア自身もわかっていない。
それでも呼びかけの意図は伝わるのではないか、と思う。
カノープスの力強い羽ばたきの音を聞きながら、彼らは少しずつ上昇をしていった。
そして、その視界にようやく。
「あれが、シャングリラだ!」
そこには、不思議な光景があった。
雲と雲の切れ間から見える、まるで地面をくりぬいたかのような形の浮遊大陸。
空中都市と呼ばれるものに、ソニア達が行くことは初めてではない。
けれど、以前訪問したムスペルムもオルガナも、ソニアとブリュンヒルドの力によって、「カオスゲート」と呼ばれる空間転移の特殊な移動手段があった。よって、空に浮いている都市を真下から見上げることなぞ、初めてのことだ。
ソニアの声で上空にあるシャングリラを視界に捉えた一同は、一瞬声を失った。
すごい、とか、信じられない、とか、やった、とか。
何も言葉を紡ぎ出すことが出来ない。
ランスロットは甲冑の中で、自分が冷や汗らしきものをかいていることに気付き、そっと苦笑をした。
多分、テスもオリビアも、あまりの光景に感嘆の溜息すら出ていないのではないか、と彼は思う。
球の下部分を切り取ったような、けれど、土やら岩で固められていびつでごつごつしているように見える、それがシャングリラを支えている部分だ。
円の周囲を雲が厚く覆っているようで、土台らしき部分の上――当然、その上に居住区があるわけで、普通の土の層があるのかどうかは未だにソニア達はわからない――が雲のせいでまったく見えない。
(当たり前だが、相当に大きいな)
ある程度の距離を考えて飛んできた彼らは、太陽の位置と、光の反射で知らされるギルバルド達の所在を測り、自分達が「その辺りで合流したい」と思える方角に間違いなく飛んでこられたことを知ることが出来た。
最初から目印を決めておかねば、シャングリラを発見した後にどの位置に合流をすればよいかがわからない。
彼らはただひたすら出来る限りに垂直に上昇をしてきた。
有翼人ではなく、先に飛び立った魔獣使いは、交戦のためいくらか初めに想定していた位置からずれた状態で、シャングリラの地面にあがったように思える。
その位置を合わせることは容易なことではなく、有翼人部隊に負担をかける。
太陽の方角を確認しながら、ヘンドリクセンは指示を出す。
上陸をもたもたしているだけで、ギルバルド達の状況になんらかの変化があるかもしれないため、迅速な対応が必要とされている。
「こんなデッカイとこの一箇所に上陸なんて、もー、こんな面倒なのは、嫌だな!言ってるほど簡単じゃない!」
ソニアが癇癪気味に叫ぶと、カノープスが同意をする。
「俺の方が、嫌だ!」
その声はいつもの彼らしくなく少し掠れている。
カノープスは体全体にじんわりと汗をかいており、普段の飛行よりも体力も気力も振り絞っているのだということが見て取れる。
敵兵の襲撃がないことを確認しながら、ギルバルド達の位置に向かってシャングリラの下部周囲をぐるりと回るのは、それだけでも骨が折れることだ。
酸素が薄いことはもちろんだが、今までの行軍で初めてともいえる、決して休憩を出来ない長距離飛行に、さすがにカノープスと言えども疲労の色が見えてきた。特に、後続部隊と違ってギルバルド達が上陸した位置を探りながらの飛行だから、よりいっそう気も使わなければいけないし、警戒も必要なのだ。
「帝国兵からの攻撃がないな!あの雲を突き抜けた時に、一斉に攻撃される恐れはあるだろうか」
ランスロットが声を張り上げてソニアに言えば、ソニアもまたそれに大声で答えた。
「いや、間違いなく最初のは、様子見だ!あの雲を使うなら、最初からそうしてるだろう!あたし達を上陸させちゃってからの計画があるようだな!」
それは、既に地上で考えられていたことだ。
また、残してきた地上部隊の撲滅を帝国軍が計画しているのではないかという見方もあり、それにも十分な警戒をしてきた。
兵力の分散は不安要素ばかりだし、気も滅入る。かといって、このような大博打ににた手段で攻め入るしかない彼らにとっては、地上部隊を残さずに、預かった全兵力をシャングリラに向けることは更に危険に思えた。
事実上反乱軍は今三分割されており、上空で何らかの変化があれば様子を伺うために、地上部隊にも空を飛ぶ魔獣――こちらはワイバーン達さが――を残してきた。
シャングリラの高度が下がったからといって、早々地上から目視出来るほどの高さではないため、少ない兵力、あまり多くない資金ででき得る限りのことは準備してきたのだが、考えても考えても、何一つ安全策と呼べるものはなかった。
それは、シャングリラに上陸してからのことも同じだ。
カノープスは嫌そうに叫んだ。
「罠があるってことかよ!?」
「まあ、可能性はゼロじゃあないね。とりあえずギルバルド達は間違いなく上陸しているんだろうから、罠があんなら、そっから先だよなぁ」
いくらか呑気そうにソニアはそう言った。
上陸後に交戦が始まった場合の合図も決まっている。
彼らが用意した合図用の火薬は、余程のことがない限り、簡単に打ち上げることが出来る仕掛が作られていた。
たとえ、なんらかの襲撃があったとしても、それを打ち上げられずに全滅をすることなぞは考えられない。
その合図がされない間は、ある程度は安心して良いと思える。
それでも、カノープスはもとより、ランスロットにも、テスにもオリビアにも、当然ヘンドリクセン達にも、それぞれに妙な緊張感が伝わっている。
何かがあれば、ここは空だ。
落ちる時は落ちる。
そして、落ちたら死ぬ。
それを誰一人として忘れることなぞ出来るはずがないのだ。
と、その時、ヘンドリクセンが声を荒げた。
「あれは、味方でしょうか!?」
シャングリラを覆っている雲の厚い層の中に、大きな影が動く様子が見えた。
やがて雲間から姿を現したそれがスルストが操るコカトリスの影だということは、すぐさまソニア達にはわかった。
「ありがたい。誘導してくれるようだな」
カノープスは掠れた声で、けれど、ほっとした声音でそう言った。
誘導もありがたいし、有翼人部隊になんらかの事故が合った場合も、コカトリスのスピードで飛んでフォローをしてもらえることは相当に心強い。
「もうすぐデスヨー!!」
スルストが、口元に両手を添えて、大声でソニア達を迎える。
広い空のもと、雲と太陽を背にしたその姿はなにやら神々しくすら見え、一同に不思議と安心感を与えた。
「たまには、天空の三騎士らしいことするじゃねぇか」
とカノープスが呟いたが、きっとそれをスルストが聞けば拗ねたように反論するのだろうな、とランスロットは思う。
なんにせよ、彼が姿を見せたことで、シャングリラに先に上陸していたギルバルド達が無事であり、かつ、スルストがその場を離れても問題がない状態であるということまでわかる。
そのことが最もありがたいことだと、誰もがわかっていた。
スルストが操るコカトリスが、羽ばたきによって起こる風の向きに気をつけながら、カノープスの近くに寄ってきた。
「ハーイ、ソニア、どうデスカ?お元気デスカー?」
「って、そんなこと聞かれるほど久しぶりじゃないでしょうが!」
ソニアは笑いながら答えた。
「OH!そういわれれば、そうかも知れませんネー!カノープスサン、このまま、上昇してクダサイ!空中都市の中ほどをブ厚く囲んでいる雲を突き抜ければ、都市の上空に出ることが出来マース!こちらは、後からやってくるバルタン達の様子を見て来マース!」
「おう!」
ということは、このまままっすぐ上昇すれば良い場所まで、スルストが誘導してくれたということだ。
空中都市を支える土台となる部分は、固い岩になっているように一見思える。しかし、本当はそれが一番外側なのではなく、不思議な力で守られているように、目に見えない薄い膜があるようで、一定以上土台部分には近づけない。
が、とりあえずは密着しそうなほどその土台に近づいてから、カノープスは間違いなくまっすぐ上へと飛び上がった。それへ、ヘンドリクセン達もついていく。
ちょうどその時、雲が風に吹かれてゆっくりと流れ、太陽の光が彼らを照らした。
眩しさでソニアは目をこする。
と、その間にどんどんカノープスは飛び上がり、空中都市の土台部分を既に越え、ぐるりと円を囲むように分厚い層になっている雲に入り込んだ。
「あれ?」
ソニアは身を竦めた。ソニアとカノープスははいささか肌の露出があるので、雲間に入った時に冷えるのではないかと思って構えていたのだが。
しかし、まったくそんなことはなく、いささか拍子抜けだ。
「これは、普通の雲ではないな」
ランスロットが呟いた、その直後。
カノープスは雲を抜けた。そして・・・。
「おおおおお!!?」
目の前に広がるのは、まるで地上と変わりのない景色。
広がる緑、遠くに見える数々の建物。
遥か彼方には地平線が見えるが、きっとその更に向こうには厚く覆っている雲がまたあるのだろう。
空中で羽ばたきつつカノープスは停止をして呟いた。
「・・・息が、苦しくねぇぞ・・・?」
「うむ、スルスト様がいってたとおりだな。もう、ここは『シャングリラ』なんだな。だから、空気も」
そういいながら、ランスロットも興奮を隠せないようだ。
今、ようやく反乱軍は天空都市シャングリラに辿りついたのだ。


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モドル