星に願いを

ウィルクスランド砦から発ち、ソニア率いる反乱軍の一部は永久凍土を後にした。
日が落ちてしまったけれど、それでも今日中に斥候役達が確保してくれた小さな砦まで到着する必要があり、当初はそれがかなり厳しい予定だったのだが、ありがたいことにどうにか時間内に砦に到着できた。
それは、ソニアやランスロット、ギルバルドそいったバルハラから戻ってきた兵士達が休養を減らすことと、バルハラ制圧の報告が予想より早く入ったおかげだ。
反乱軍は戦力を分散させ、ソニア率いる一部の兵士は今から空中都市シャングリラに向かう。
それは、可能な限り急がなければいけない任務のため、ソニアはこの予定をこなすべく、体に鞭打っていた。
ウィルクスランド砦自体が永久凍土の入り口と言える場所だったので、そこから僅かに離れるだけで冷気は僅かに和らいだし、ところどころの土は剥き出しになっていた。
けれど、完全に雪が消えたかといえばそうではなく、むしろ、まだ雪が降り積もった平地が広がっている。冷気だって和らいだだけであって、決して「収まって」はいないのだ。
当初は野営をする予定で場所を探し、それなりに土が広がっている場所も確保出来ていた。
しかし、天候の変化がおきた時に、その地はまだ相当に強い寒風が猛威を振るっていたため、泣く泣く手狭な小さな砦に身を寄せることになってしまった。
永久凍土は一年中、昼の陽射しはあまりにも弱い。
狂わされてしまった自然は、何の罪も無い人々にその牙を剥き、この地を愛していた民たちは一人、また一人と去っていく。
その土地は、本当はなんと呼ばれていたのか。
外部の人間は、それをもはや忘れてしまっているのではないかと思える。
5王国の一つであった旧ホーライ王国領。
その中心であったバルハラ平原は、最早誰の目にも「バルハラ平原」ではなく「永久凍土」だ。
この先も途切れることがないと思われるような、刺すような冷気。
常に降り積もる雪。
そこから少しでも早く離脱をしたい、と思っている者達の足には、内側も獣の毛で覆われた履きなれぬブーツ。
鎧すら重いというのに、いっそう冷えてしまうそれのみでいることに耐え切れず、重たい毛皮のマントで体を覆い、体力の消耗は激しかった。
空を飛ぶ魔獣は吹きすさぶ風と寒気に機嫌を損ね、人々を何度も運ぶような役割を担ってくれない。
毛皮を持つケルベロス達とて、その毛皮は冬に備えられたものではない。
ただでさえ首を三つ持つ彼らが、さらに一頭二頭と体を寄せ合うがために、魔獣使い以外のものが見れば、それはかなりぎょっとする光景だ。
ソニアは、この厳しい寒さに対して、誰よりも文句を言えない立場だった。
それは、永久凍土に行くという我侭を通したのが、彼女自身だからだ。
優れぬ体調の中、みなに申し訳ないと思う気持ちやら、どうにか早く次の砦に行かねばという焦りもあり、砦に到着したと共に彼女の表情は相当に疲労の色を見せる。
「ソニア殿、もう、そなたは休むがいい」
「いい。ランスロットだって、つらいはずだ。ちょっと、今日は働かせすぎている」
「我々が何時に起きればよいかだけど確認すれば、後はサラディンとカノープスに残処理は任せる。既に夜だから、見張りは二交代で良いだろうな・・・それから、テスとオリビアに女性兵に指示を出して温かいスープを作らせる。それでよいではないか」
「・・・あー・・・そうだな」
「ギルバルドは、魔獣達の寝床確保で忙しい。彼も、それ以外のお役目は免除してやらねばな」
「だな・・」
彼らが到着した砦は、残念ながらあまり造りが良いとはいえない。
あちこちから隙間風が入ってくるため、新兵が借り出されてぼろ布をひび割れた壁や板と板の間につめている。
全員を収容すれば相当狭くなるほどの大きさなので、男性兵も女性兵も床の上で眠るしかない。
せめて毛布が多ければと思うが、確保は難しかったようだ。
唯一の救いは、体調が優れないソニアがゆっくりと休める小部屋にはベッドがあり、隙間風が入ってこないことだ。
それへソニアは「むしろあたしの方が、床で寝るのに慣れているのに」と申し訳なさそうだ。
とはいえ、彼女以外の者にその部屋をあてがうということになると、それはそれで問題が起きてしまうのだけれど。
「じゃあ、悪い、先に、休む」
切れ切れにそう言って、ソニアは小さな部屋に入っていった。
彼女がそのようにあっさりと身を引くことは、珍しい。
ランスロットはその姿を見送って
(疲れていないはずが、ない)
小さく溜息をついた。
永久凍土でミザールとの会見を終えてウィルクスランド砦に戻っただけで、通常ならば十分な休養が必要なのだ。
それを、僅か一刻ほどの仮眠で出発して、一刻以上もあの冷気の中歩いたのだし。
(それにしても、この永久凍土は、本当に厄介だ)
通常ならば、ウィルクスランド砦から僅か一刻強の距離にあるこの砦に、無理に今日のうちに移動する必要があるとは考えにくい。
そう、通常ならば。
けれど、永久凍土の気候は時に荒く、進軍を妨げる。
ほんの一刻強とはいえ、それが移動不可能になる可能性もあるのだ。
バルハラ城からウィルクスランド砦に戻る途中でも雪が降ってきたし、今は冷気のみで空は静まっているけれど、きっと夜や明け方にはまた降る。
動ける時に僅かでも動いておかなければ、無駄な足止めを食う。
それを、永久凍土に向かって進軍してきた時に、彼らは嫌というほどにわかったのだ。
ありがたいことに、地理的に日照時間が少ないわけではないから、それなりに日中は長く移動が可能だ。だからこそ、無理をして今日のうちに、移動出来るだけ移動してしまえ、という強行突破が出来たのだ。
もし、明日吹雪いていなければ、完全に永久凍土の外に出られるだろう。
「ランスロット殿!どちらにおいでですか!サラディン様がお呼びです!」
「ああ、今、行く!」
(みなも、寒さで苛立っている。穏便にどうにか今日明日を乗り越えたいものだ・・・)
もう一度小さく溜息をついて、ランスロットは呼ばれた方向へと歩き出した。


「おい、ランスロット、お前、すごい顔してるぞ」
「!」
ぽん、とカノープスに肩を叩かれて、ランスロットは飛び上がらんばかりに驚いた。
彼がそのようにぼうっとしていることは珍しい。
辺りには兵士達が毛布を持って行き来したり、部屋から部屋へと大声を張り上げたりと未だ賑やかだ。
「大丈夫かよ。もう休め。俺とじーさんで、適当にしとくから」
「とりあえず、少し温かい物を体に入れたいと思って、な」
「あー、そうだわな。いいよ、あったかいもんが出来たら起こしに行くから、寝てろよ。もう、ついさっきギルバルドのやつもダウンしちまったし」
「ギルバルドも。では、魔獣は」
「若手の魔獣使いに任せようだぜ。一応寝床作るところまではやったから、後は寒さを凌がせるだけだってよ。あいつも、すっげー顔してた。お前ら、今日は働きすぎ」
「・・・うん」
珍しく素直にランスロットは頷いた。
そんな様子にカノープスは苦笑して
「なんだ、その『うん』ってのは!そんな可愛らしく言ってるのは、疲れてる証拠だ」
「か、かわい、らしく!?」
「いつもは、もっと堅苦しいくせによ。おらおら、さっさと寝ちまえ!」
カノープスはそう言いながら、軽くランスロットの尻を蹴った。
普段なら彼はそういうことをしないし、もし仮にしたとすれば、即座にランスロットが「何をするんだ!」と怒ったことだろう。
しかし、今日のランスロットはほとほと疲れていたようで、それに特に反論もせずに、軽く手をあげてその場から離れた。


みなでごろ寝をするとなると、いつもネックになるのが甲冑だ。
普段は甲冑を雑に扱うことをしないランスロットでも、一部屋に10人など詰め込む時は仕方がない。
通路に各々自分の甲冑を並べておくしかないのだ。
(しかし、冷えるだろうな・・・これは、起きてから、着込むのは厳しいな)
腹を括って、この永久凍土を出るまでは砦の中では防寒着のみにしよう、とまた溜息ひとつ。
(剣だけは手放すわけにはいかない)
床には、おんぼろの毛布が敷き詰められている。
寝返りをうっても毛布が丸まって床が剥き出しにならないように、それらはかなり大雑把ではあるがそれぞれ糸で縫い合わされていた。
聞けば、それはこの砦を確保した兵士達が気を利かせて、待機の間三刻も費やして縫い合わせたものだという。
その気遣いをとてもありがたく思い、ランスロットはふっと口元を緩ませた。
部屋の片隅には既にギルバルドが毛布に包まって、縮こまったまま眠っている。
(本当に、本当に、本当に疲れた・・・!!)
ぶるり、と冷気に身を震わせて、ランスロットもギルバルドのように毛布をかぶって縮こまった。
思えば、昨晩も睡眠は分断されていた。
夜中に二刻。明け方二刻。
今日だって、砦に着いたのが夜だったがゆえに、睡眠は短くなるのが当然だ。しかし、どうにか明日永久凍土から出れば、シャングリラ行きのために待機をしている兵士達と合流して、もっと楽になれるはずだ。
(疲れた・・・体も、気持ちも)
ソニアの体調が優れなかったこと。
ソニアが、今まで月のものが止まっていたということ。
ミザールに会いに行く間に聞いた、ソニアの過去のこと。
彼女を守ると誓ったこと。
そして、ミザールとやるせない言い合いをするソニアを見つめることしか出来ない、不甲斐ない自分のこと。
知らないうちに少し痩せて、けれど、女性的になっていたソニアのこと。
それから。
ゾックを思っているらしい、ソニアの、こと。
ぐるぐるとランスロットが考えることは、ほとんどがソニアのことだ。
そうなっても仕方がないほどに、この地はソニアにとって、重苦しい、ひとつの運命の歯車といえる場所だったように感じられる。
ランスロットはかなり長い時間毛布の中で息を潜めていたけれど、なかなか寝付くことが出来ない。
体は間違いなく疲れているはずだ。けれども、感じるのは「寒い」という感覚と、頭によぎるのはソニアのことばかり。
いっこうに眠りにいざなう、あの曖昧な、ふうっと入っていく意識の暗闇にたどり着くことが出来ない。
やがて、彼は自分の体温だけでは自分を眠りに導けないことに苛立ち、体を起こした。
ギルバルドは、静かに寝息を立てている。
と、その時数人の兵士が部屋に入ってきた。
薄暗い中、彼らはランスロットが体を起こしていることに気付いたようで
「あっ、起こして、しまいましたか」
「ああ、違う。自分で起きただけだ。もう、休めるのか」
「はい。俺たちは三刻寝て、起きたら早朝番にたちます」
「そうか。床に毛布が敷いてあるが、かなり冷える。自分達の防寒着も被った方が良いかもしれんぞ」
「わかりました」
ランスロットがそう言うと、兵士達はみな素直に従って、外套掛けに引っ掛けておいた上着をそれぞれ手にして、毛布の上から被った。
一気に人数が増えたというのに、室温はまったくあがっているように思えない。
ランスロットは苦笑いを軽く見せて、立ち上がった。
やはり、温かいものを体に入れたい。
自分がかぶっていた毛布の中はそれなりに空気が暖かくなっている。
けれど、手足の冷えがどうにも我慢が出来ない。
「おやすみー」
「おう、おやすみい」
兵士達が小声で言い合う様子をちらりと見てから、ランスロットはブーツを履き直した。


「お、今呼びに行こうと思ったのに。すごいタイミング」
「いや、寒くてちょっと眠れなくてな」
ランスロットは通路でカノープスにばったりと出くわした。
「スープ、出来てるぜ。先に飲んだやつらが、もう寝にいっただろ。うるさかったか」
「いや、大丈夫。ギルバルドはぴくりともしなかったし」
「へー、珍しい。よっぽど疲れてたんだろうなぁ。スルストが起きていてくれるってよ。俺も今から寝て早朝番にたつ。おまえらは、いいよ、今日は朝まで寝ろよ」
「そうか。スルスト殿が起きていてくださるならば、安心だな」
「だな。眠りの周期とやらには、まだ入らないって断言してたからな。そこらへんは頼もしい。んじゃ、おやすみい。お前も温まったらさっさと寝ろよ」
「おやすみ」
なんだかんだとカノープスはやろうとすれば、かなりあれこれと細かいことも出来るのだ。
それを知っているランスロットは、カノープスがもう休むならば大丈夫だな、と内心安堵の息を漏らした。
ランスロットは見張り兵が暖を取っている二部屋に顔を出し、それから、女性兵が眠る部屋付近をちらりと様子を伺ってから、小さな厨房へと向かった。
見張り兵の部屋ではみなが既に、温かい茶らしきものを手にしていたから、とっくに皆はスープを飲み終えているのだろうと思える。
(カノープスのやつめ。気を利かせたのか、それとも忘れていたのか)
案の定、厨房近くに人の気配はない。
丁度スープが出来た、という頃ならば、人々はまだ賑わっているはずだ。
それがないということは、スープが出来てからそれなりに時間がたっており、既にその食器も洗い終わっているということだ。
(となると・・・わたしは、相当な時間、毛布の中にいたことになるな・・・)
それは、時々ある、と思う。
眠っているようで眠っていなくて、いつまでも眠れないと思っているのに、気が付くととっくに一刻も過ぎていて、その間の意識がどうだったのかもよくわからなくなるような状態。
そんな翌日は相当眠くなるだろうと思っても、体が緊張しているのか、むしろ一日つつがなく終わってしまう、不思議な眠りの日。
(だが、間違いなくその時は、体に負担をかけている)
温かいスープを飲んで、ゆっくり寝よう。
そう思いながら厨房に足を踏み入れた時。
「!!何をしているんだ!」
「あっ、ランスロッ・・・イダッ!!!!」
がつん。
「・・・どれから、どれから、わたしは怒ればいいんだ・・・」
「い・・・痛い・・・痛い・・・」
狭い厨房には、何故かソニアがいた。
そして、それのみならず、ソニアは小さな窓を全開にして、首を外に突き出していた。
ランスロットの声に驚いたソニアは慌てて体を引こうとして、窓枠に後頭部を打ち、声をあげる。
呆れたランスロットの前には、開け放されて冷気を室内にいれまくっている窓と、頭をかかえて座り込むソニアと、必死に燃え盛っているのにどうやら火をくべた主が窓を開けたせいで、なかなか鍋を温められないかまど。
「何故、休んでいないんだ。何で窓を開けているのだ。それから、何で、子供のように頭を外に突き出しているんだ。この寒い中」
「どれから、って・・・目一杯全部怒ってるじゃないか」
ソニアは頭を抱えたまま、体を起こした。そして、仕方なく唇を突き出して窓を閉めた。
「お腹減ったんだもん」
「誰かに言えば、部屋に持っていってもらえるだろう」
「だって、みんな疲れてるし」
「そなたも疲れているだろう」
「なんで。ランスロットだって、今頃なんでここに。こういうのはお互い様っていわないのか。あんまりうるさいと、ランスロットの分のスープも、全部食べちゃうぞ」
その、脅迫ともいえない脅迫に呆れて、ランスロットは大きな鍋の蓋を開けた。
鍋の中には大量のスープが作られており、間違いなく翌朝の分もそこには満ちている。
「・・・」
疲れた。
ランスロットは、彼にしては珍しく、心底の疲れを隠すことが出来ず、寒い厨房の中で壁にもたれてずるずると座り込んだ。
「わあ!どうした、ランスロット!具合が悪いのか!」
「・・・悪くない。疲れただけだ・・・そなたは、先ほどよりは、少し元気になったようだな・・・」
「えっ。だって、もう二刻も寝させてもらったもん」
「二刻」
ソニアが眠って二刻ならば、ランスロットにとっても一刻半以上だろう。
それは確かにスープも出来て、全員がそれの恩恵に預かったことだろう。
ランスロットはそのことに驚き、その反面、少しだけ元気になったソニアの様子に、苦笑を見せた。
「あっ、そうだ、小さな鍋に移した方がいいなって思ってたんだ」
ソニアは厨房の棚を漁って、小振りの鍋を取り出した。
そして、今かまどに乗っている鍋の中からいくらか中身を移し変える。
「・・・ランスロット、手伝ってくれ。そしたら、ぐったりしてていいから」
「そなたが、人使いが荒いことはよくわかってる。しかし、ぐったりしてて良いなぞ、そんな許可はいらないよ」
いつもより少し苛立った口調で、ランスロットは体を起こした。
それは、ソニア一人ではその大きい鍋を動かせない、という意味を理解したからだ。
かくして、かまどには小さな鍋がのせられ、ソニアの思惑通りにすぐにくつくつと煮立ってきた。
ランスロットはソニアから許可を『わざわざ出していただいた』通り、また床に座り込んで
「・・・外を、見ていたのか」
と、問い掛けた。
高い棚から物をとるためのスツールにソニアは無理矢理座った状態で、それへ頷いた。
「空が、澄んでいる。昼間はもやっとしていたのに、不思議だな。雲が消えて、霧もないし、雪も降っていなくて、びっくりするほどの星空だ」
「・・・そうか」
「砦に入るまでは、あんなに澄んでなかった。外に出てみようかどうしようか考えたんだけど、そんなことみつかったら、ランスロットに怒られるかと思って、仕方なく窓から・・・って、結局怒られた」
「・・・はは」
力なくランスロットは笑った。
「わたしは、そんなにいつもそなたを怒っているかな・・・ああ、怒っているんだろうな」
「・・・ランスロット」
本当にランスロットが疲れているということにソニアは気付いて、失言をしてしまった、と軽く眉根を寄せた。
とはいえ、彼女の言葉にはまったく嘘をつかなければいけない場所もなかったのだが。
「あ、あったまった、みたいだ」
困ったようにソニアはそう言って、鍋から皿へとスープを移した。
ランスロットにそれを渡して、ソニアは一回り小さな皿に残りのスープを入れた。
二人は無言でそれを体の中に入れる。
ばつが悪くて会話を止めたのではない。
そのスープはとんでもなく彼らにとってはありがたい暖であり、体中に染み渡る様子を自分で感じられるほどに、彼らの助けになったのだ。そして、空腹もまた癒す。
「うっわー、おいしかったぁ」
「うん。本当に、温まるな。冷えぬうちに、部屋に戻るといい」
「そうだね」
そういいながらソニアは、ちらりと窓の方へ視線をやった。
彼女のその様子を見て、ああ、きっともっと星空を見たかったのだろう、とランスロットは気付いた。
「・・・そうだな。そなたは、星を愛でる、と言っていたな」
「・・・え」
「祭りの日に」
ソニアは驚いたようにランスロットを見た。
「ロスアンヘルスで」
「・・・あ、う、うん・・・覚えていて、くれたのか」
「それは、覚えているだろう。そなただって、覚えていてくれていたのだろうし」
「・・・」
ソニアは、静かにランスロットを見つめる。
その視線の意味を特にランスロットは気にする風もなく
「覚えている。そなたは、星に願ったな。その・・・また、怒ってしまったが」
「そーだ。あたしは、ランスロットに、怒られないように、もっと色々わかるようになったらいいなーって」
「なっている。とてもよく、効くらしいな。我々の旅も、今のところ成功と呼べるだろうし」
そう言いながら、ランスロットはソニアの表情が硬いことにはっと気付く。
ロスアンヘルスでの祭りの夜。
ソニアが、ソニアの村には星祭りがあるのだ、とランスロットに教えた。
それの真似をして彼らは、空に、星に、三回祈ったのだ。
この旅の成功を。
ランスロットに怒られないよう、色々なことがわかるようにと。
「ソニア殿」

――村には占い師がいて、いつ次は星がたくさん出る日なのかを占ってくれる。それはなんだかぴたりと当たるんだ。その日は家族みんなで星空をみて、願い事をしていた――

――家族みんなで星空みて、お願いするって。・・・別にランスロットは家族ではないけれど、今はひとつ屋根の下で寝泊まりしている仲だからな。家族みたいなものだ。・・・手をつなぐんだ。本当はみんなで背中合わせで輪になるんだけど――

あの時ランスロットは、ソニアの村にはなんと不思議な祭があるのだろうと思いつつ、その光景を想像して微笑ましくも思ったものだ。
けれど。
今ならばわかる。
あの時のソニアは、すでに家族を一人、また一人と失い、故郷も焼き払われて。
もう二度と、共に星を愛でることもないとわかっていたのだ。
わかっていても微笑んで、星祭りのことをランスロットに教えて。
そして、彼に、手を貸せと言って。
辺境の村に住んでいて家族がもういないことは、かなり以前からは知っていた。
けれど、それがどれほど壮絶な死に様だったのかは、今日初めて改めて彼女の口から語られたのだ。

――最初に、走れなくなった母さんが、生まれて間もない赤子を抱いたまま、あたし達と別れた。赤ん坊は泣き声をあげてすぐにみつかってしまうし。あたしの赤毛は、母さん譲りだ。みつかれば、間違いなくあたしの親だとバレるだろう。だから・・・多分、母さんはその辺りで追っ手に捕まって殺されたのだと、あたしは思っている――

――妹は、本当にただの普通の女の子だった。だから足手まといになっていた。山越えの時に、父さんと妹の体を繋いでいたロープが切れて、崖に落ちて・・・多分、死んだのだろうと思う。あれは、事故のふりをしていたけれど・・・多分・・・―

――父さんが・・・少しでも多くの家族が生き残るために・・・妹を・・・自分の娘を、捨てたのだと思う・・・――

それらの言葉を搾り出すために、目の前の彼女がどれほどの覚悟が必要だったのかと思う。
ランスロットは一瞬息を飲んでから、素直に謝罪をした。
「申し訳ない。つらいことを、思い出させたか」
「違う」
「ソニア殿」
「大丈夫だ。大丈夫なんだ、ランスロット」
そう言って、ソニアは泣き笑いの表情を向ける。
せめて、せめて今日でなければ。ミザールと、あんな風にどうしようもない繰言をお互い言い交わすだけの、辛い会合の後でなければよかったのに。
なんという失言か、とランスロットは己の阿呆さ加減に呆れて立ち上がった。
「一緒に、行こう」
「え」
ランスロットは、ソニアの手を強引に掴んだ。
「怒らないから」
飲み終わった皿を片付けずに、二人は厨房を出た。というより、ランスロットにしては珍しく、ソニアを強引に歩かせるようにぐいぐいと引っ張っていく。
「ちょっ・・・ランスロット、お、い!」
ランスロットは、途中の見張り兵の休憩所の入り口に掛けてある外套を二つ無造作に取った。
その様子を見て、彼が外に出ようとしているということに、さすがにソニアも気付く。
足元はずっと、温かいブーツだ。確かに外套があれば、いつでも外に出ることが出来る。
「ランスロット、いいのか」
「いい。怒らないから、外で見よう。それで気が済んだら、眠りなさい」
「・・・うん」
本当は、もっと、見ていたかったのだろう。
なのに、自分が邪魔をしてしまった。
ランスロットは、他に自分が彼女に対して償う方法を思いつかない。
そして、彼女を今一人にすることは、彼の立場上出来ないことだった。
だから。
防寒着をもそもそと着たソニアは、大きさがあっていないようで袖口も長く、裾もぎりぎり地面についてしまう、という不恰好な様子で完全に服に着られているようだった。
それでも、彼女は文句を言わずにランスロットと共に外に出た。
見張り兵に対して軽くソニアとランスロット二人が手をあげれば、誰もそれを咎める者などここにはいない。
冷たい、肌を刺す、夜の冷気。
目に見えないけれど、その空気のはりつめた感触や研ぎ澄まされた感触は、体感でわかる。
ランスロットの瞳にびゅっと寒風が入り込み、じんわりと目の縁に涙が浮かび上がった。それは、なんと温かいのだろう、と思う。
砦の周囲には剥き出しになった土と、まだ厚く積もっている雪、そこから僅かに離れたところには氷の平原が広がっている。
氷の平原に夜明けが訪れたら、それはどんな光景なのだろうか、とランスロットは想像した。
そして、想像しただけで圧倒されてしまいそうだ、と彼にしては珍しく口端を軽く歪めた。
「凄い、というよりも、凄まじい」
ソニアは、夜空を見上げてそう言った。
凄いではなく、凄まじい。
「・・・ああ」
それは、言い得て妙だとランスロットは小さく頷いた。
しばらくの間、ソニアは上を見上げていた。
深くて遠い夜空。
永久凍土の昼はどんよりとして、むしろ空が低いように思えたのに、この夜空は遠くて遠くて、空というものがとてつもなく遠いものだと実感させられる。
そして煌く星たちは、25年前に呪いをかけられてしまったようなこの哀れな土地を、それよりもずっとずっと昔と変わらぬ様子で見下ろしていることだろう。
「ランスロット」
「・・・うん?」
「また、二人で星祭をするって、約束をした」
ソニアは空を見上げながらそう言った。
ランスロットは瞬きをひとつ、自分が吐いた白い息が消える様子を見てからゆっくりと応えた。
「ああ」
「次は、努力だけではどうにもならないよーな願い事を考えるって、ランスロットは言っていた」
そう言って、ランスロットへ視線を向けるソニア。
「ソニア殿は、何を願う?」
「・・・空の上にいるような者は、何もきっと叶えてくれない。天使達がそうであるように。スルスト様達が天空の三騎士と呼ばれるように。だけど、星があるのは、空より、もっともっともっと、遠いんだろう?」
「そう、だと思う」
「じゃあ、願ってみようかな。どうにもならないことを」
そういって、ソニアはずず、と鼻を鳴らした。
やはりまだ風邪気味か、と慌ててランスロットは彼女に「もう帰ろう」と言おうとした。
が。
鼻をすすりながら、ソニアは目元を乱暴にこすり、もう一度冷たい夜空を見上げる。
(・・・涙、か)
ランスロットはそれ以上何も言わず、勇気を出してソニアの手をとった。
もし、彼女が今星に願いを託すとしたら、それは何なのだろうか。
もう、戻ってこない家族を取り戻したいと思うのだろうか。
自分を今の境遇から助けて欲しい、と、苦しみをぶつけるのだろうか。
それとも。
ソニアはランスロットの意図がわかったように、照れ臭そうに小さく微笑んだ。
二人は、かつてそうしたように、背中合わせで星を見上げた。
遠いあの日に交わした「いつか」の約束が、ひとつ叶う。
他にも、彼らは交わしていた約束がある。
けれど、今はただひとつ。まだ、知り合って間もなかった頃の、無邪気なソニアと交わした約束だけを。
ランスロットは、あまり大きい輝きではない、けれどもぽつんとひとつだけ離れた星を見た。
好きだと思える星に願うのだと、ソニアはあの時いっていた。
心の中で三回。
(ソニア殿が)
いつでも、笑っていられますように。
そんなことは、最初から無理な願いだ。
それでも、数奇な運命の彼女を間近で見ていれば、それこそ彼の努力だけではどうにもならず、彼女の努力があってもどうにもならないそういう願いこそが、星に託すべきことに思える。

いつでも、笑っていられますように。
いつでも、人々に愛されますように。
いつでも、己を見失わずにいられますように。

本当はひとつの願いごとを三回。けれど、ランスロットはそれを守れなかった。
きっとひとつの言葉に集約すれば、「ソニアが幸せになりますように」という願いに違いない。けれど、それはあまりにも傲慢で、そして、曖昧な願いだ。彼は、自分がソニアの「幸せ」というものが何なのかを知らないと思えるし、彼女自身に聞いても答えが返って来ないだろうと思った。
だから、どれひとつとっても、願わずにはいられなかった。
「ランスロット」
そっとソニアの方から繋いだ手を放して、振り返り、上目遣いでランスロットに聞く。
「願い事、ちゃんと3回心の中で唱えたか?」
「・・・ああ。」
「何お願いした?」
そのやりとりは、以前とひとつも変わらないものだ。けれど、ランスロトの回答だけは違っていた。
「内緒にしておくよ」
「そうか」
彼はまた、ソニアの願いも聞かなかったし、彼女からも自分の願いを伝える言葉は出てこない。
あっさりと引き下がって、ソニアはまた空を見上げた。
その時、ごう、と冷たい風が彼らを襲う。もうそろそろ潮時だろう。
「ソニア。帰ろう。また風邪をぶり返されても困る」
ランスロットは手を伸ばして、ソニアの肩を抱き寄せるようにひっぱった。
呑気に上を見上げていた小さな体はそれに抗わず、簡単にランスロットの傍らに引き寄せられる。
「帰って、温かいものをもう一度飲んで、寝よう」
「うん」
素直に頷いたソニアは、ランスロットの防寒着を手で掴んだ。
「どうした」
「コート。時々踏んで、歩きづらいから、掴ませろ」
「そうか」
ランスロットはそう言って、ゆっくりと歩き出した。
ソニアが決して焦らないように、歩幅を緩めて。
それでも時々、ソニアの足裏がじゃりっと音を立てた後、くん、と彼の服を掴む手に力が入ることにランスロットは気付いた。
来る時はまったく気にしていなかったけれど、きっと彼女は悟られないように懸命に歩いていたのに違いない。
「・・・はは・・・」
「な、なんだ、ランスロット、何笑った」
「以前、あった」
「は?」
「そなたが、水に濡れたブーツを履いて砂浜を歩いて。がぽがぽと音を立てていた」
こうやって後ろから必死についてきていた。
あれは、カストラート海でのことだったか。
「ああ、あったな。あったあった」
「だろう?」
「ランスロット」
「うん」
「遠くへ、来たな」
「そうだな」
「まだ一緒にいるなんて、不思議だな」
「・・・ああ」
後ろから聞こえるか細い声を不安に思って、ランスロットは自分の防寒着を掴んでいたソニアの手を握り締めた。
それを少しだけ驚いたように、けれども、少し嬉しそうなソニアの声。
「ありがとう」
「礼を言われることでもないよ」
ランスロットは瞬きをした。
冷気は目に染みなかったけれど、泣きそうだ、と彼は思った。


Fin


モドル