重なる思惑-1-

空中都市シャングリラ。
空中都市シャングリラの墜落を回避したソニア達は、いくらかその後の処置に手間取っていた。
シャングリラの高度をあげれば地上に戻れなくなるため、ひとまずは墜落しても損害が少ないと思われる、出来うる限りの広さの草原を探す。
とはいえ、その「損害が少ない」に関しては地上の損害に限ってであり、実際はどこに墜落しようとシャングリラの民達の命が奪われることに変わりはない。
よって、一度シャングリラの高度や移動に関わってしまったからには、この先もシャングリラの動きを監視しなければいけない、という厄介事を彼らは背負う羽目になってしまった。
「女神シャルアーナがサクっと出てきてさあ、どうにかして欲しいんだよねぇ」
とソニアが言えば、ラウニィーも憤慨したように
「そうよね。なんかこう、『ガレスの力によって封じられていました。助けてくださってありがとうございます。シャングリラはもう大丈夫です。あなた方を地上へ送りましょう』ぐらいのことしてくれたっていいじゃなーい?」
と都合の良いことをぶつぶつ言う。
サラディンはそんな二人をたしなめはしなかったけれど、ランスロットは明らかに「やれやれ」という視線を二人に送っている。
そんな都合が良いことがあるならば、自分たちの旅はとっくの昔にもっと楽になっているに違いない。
しかし、ソニアのつぶやきも最もだ。
彼らにはあまりに情報が少なく、ソニアがこのシャングリラの移動装置を動かせることがわかったものの、それだって自分達が思い描いたように動かせているのかわかったものではない。
しばらく時間をとって、高度が下がっていないことを地上からの観測で確認をして、そののち移動をしなければならない。
それらすべてにソニアが立ち会わなければいけないというのは、相当にネックとなることだ。
「しかし、ソニア殿が来てくださって本当によかった」
と、ランスロットが言えば、サラディンもそれにうなずく。
ソニアは永久凍土でかなりの駄々をこね、シャングリラに行くよりも天使ミザールに会う方が自分にとって重要度が高いのだと都度訴えていた。
その無理難題ともいえるわがままを受け入れて、彼女を無理にでもシャングリラ行きと両立させたことは、まことに懸命な判断だったと言えるだろう。
とはいえ、ここまで時間を必要とされるとは思ってはいなかったけれど。
シャングリラに行けばなんとかなる、という無謀な考えてきて、なんとかはなった。
それならば、この程度の負担でどうにかなるならば、本来は安いものと思わなければならないだろう。
この反乱軍の長居でソニアが「よかった」と思うのは、ユーリアのことぐらいだ。
傷ついてモンテローザで保護されていたユーリアは後に移動をして反乱軍と合流し、反乱軍がシャングリラから離れる時に共に地上に戻ることになった。それは、一般人である彼女を戦に巻き込んでしまったゆえの、ソニアの配慮だ。
もちろん彼女は「自分で勝手にやったことだから」と辞退をしたが、カノープスが珍しく兄貴風を吹かせて「ソニアの気持ちも考えろ」だとかなんだとか言って押し通した。
とはいえ、カノープスのそれは本当にソニアのことを考えていたわけではなく、もちろん親友ギルバルドのことを考えてのことだったのだが。
ギルバルドの心中では、何かの決意があるのだろうとソニアは思う。そして、それはきっとこの先も揺るがないのだろうと。
ユーリアの気持ちはわからなくとも、ソニアはギルバルドのひととなりを知っていたし、彼を好ましく思って慕っていたからなんとなくはわかると思う。
彼の想いがどんなものかを知らなくとも、きっと彼にとっては正しく、貫き通す必要があるのだろう。
一方のユーリアは傷もすぐに癒え、エルシリアで「地上の歌姫」としてもてはやされていた。
地上では、有翼人であることもともなって「天使の歌声」と言われており、それを天空人達はどう思うのだろうかといささか周囲はひやひやしたが、何の心配をすることもなかったようだ。
まったく天使のそれとは違う翼であろうと、間違いなく彼女の声は天使と評されてもおかしくない、聞く者の心を振るわせる歌声だ。
文化が違えども、心を揺さぶるもの。それが芸術というものなのだろうと、ソニアは初めてそれを目の当たりにしたものだ。



一日、二日、三日。
地上からの観測報告を複数回受けるためには、その程度の日数は必要とされていた。
ヘンドリクセンを中心として、ギルバルドとカノープスに交代で地上での観測隊との橋渡し役を頼み、他の者達はいささか呑気に天空暮らしを満喫している。
連れてきた部隊のいくらかは地上に返してもよいのだが、既に二分割されている反乱軍勢力を、どんどん細分化していくことはあまり良いと思えない。それがソニアの決断だった。
シャングリラ制圧後三日目のこと。
カノープスと共に早朝から地上に降りていたヘンドリクセンが、苦々しい面持ちで戻ってきたのは夕方近くのことだ。
ソニアは、シャングリラ城の一室でここ数日寝泊まりしている。
といっても、陣営そのものは城の前に天幕を張って、いつも通り野営を続けている。
近隣の町から廃墟となっている建物の解放などの申し入れがあったけれど、それをソニアは断った。
シャングリラの進行を制御出来るソニアがシャングリラ城の近くにいる方が良いとも思えたし、かといって女神フェルアーナの住処とされているシャングリラ城を反乱軍が「のっとっている」様子になるのも問題だ。
結果、反乱軍は「シャングリラを帝国から守るため」城の傍で野営をし、かつ「シャングリラの運行を制御出来る者のみ、城の一室をお借りする」という形で体裁を整えた。
ソニア自身は「自分もみんなと一緒に天幕で」と軽い駄々をこねたが、永久凍土付近での体調不良を慮ったランスロットが、相当にごり押しをして彼女のわがままをねじ伏せたのだ。
「・・・いやーな、顔をしてるな」
室内に入ってきたヘンドリクセンの表情を見るなり、ソニアは口をへの字に曲げた。
それへは、ヘンドリクセンは何のフォローもなくはっきりと
「はい」
と肯定する。
城の一室とはいえ、あまり出入り口に近い部屋ではそれはそれで危ない、と、奥まった客室らしき場所をソニアはあてがわれている。
主のいない城は多少の埃っぽさはあるものの、それでも普段彼らが根城にする廃墟やら野営の天幕に比べるのが申し訳ないほど、快適で清潔で、何より建築物として部屋の内装も美しい。
が、当のソニアはその居心地の悪さゆえか、ベッドの近くに椅子やらテーブルやらをひっぱってきて、小さな砦を作っていた。
ヘンドリクセンは薦められるがまま、テーブルを挟んでソニアの向かいにある椅子に座った。
すぐそばにベッドがあり、そのベッドは壁にくっついている。どう見ても「そうじゃなかっただろう」といわずにはいられない不自然さは、部屋の面積に比べて「砦」として一箇所に家具が密集しているからだ。
が、ヘンドリクセンもまた、そういった手狭な場所の方が好きなため、広々とした応接間などよりはよほどこちらの方が良い、と心の中で頷く。
「シャングリラ、降りてる?」
「いえ。今の時点でシャングリラの高度は一定です。移動もしておりません。観測部隊の算出結果では、あと二日ほど高度が下がらなければ、その後下降が発覚しても当面問題ない速度と判断出来るとのことです」
「んー、その当面っていうのは」
「あなたが、帝国領で暴れて、この大陸を統一するまで、という意味でしょうね」
「なんだかなー」
すっぱり言い切るあたりが、ヘンドリクセンの良いところであり、ソニアとの親密度もうかがわれる。それへ返すソニアの呑気な応えも、二人が出会った頃からあまり変わっていないようだ。
「カノープスが、疲れた寝る、詳しくはみっちりヘンドリクセンに聞け、と伝言を寄越したので」
ソニアは肩をすくめて見せた。
「慌てた風がないってのは、シャングリラは大丈夫なんだろうなーって予想は出来た。でも、みっちり聞けって言うからには、報告があるわけで」
「先に、お人払いしていただき、ありがとうございます。わたしの口から、ランスロット様達の退出を促すのは、少し・・・」
「あーやだやだ。ランスロットの名前が最初に出るって、やっぱり、何。ゼノビア関係?なんか地上部隊が揉めてる?」
「地上部隊が、自然災害にあいまして」
「え」
「竜巻に、やられたらしいです」
「はあ!?」
ソニアは声を裏返して叫んだ。
「どこで!?永久凍土のわけないから・・・予定していた、野営地でか?」
「はい」
永久凍土を出た地上部隊はソニア達が永久凍土から移動した後、戦の残処理を行って永久凍土を後にする予定だった。そして、次の目的地への準備を兼ねて、前もって予定していた野営地へと移動する手はずになっていた。
しかし、それでもソニアにはにわかには信じられない。
「あんなところで?竜巻ってやつは、そこらどこもかしこも発生するもんじゃないだろう」
「とは思うのですが、出来れば本当に自然災害ということにしておいていただきたいと、ウォーレン殿が」
「・・・あー・・・」
そのソニアのうめき声を聞いて、ヘンドリクセンは「この人は聡い」と心中でつぶやいた。
そもそも、彼女は「被害は」とまだ聞いていない。
それは、ヘンドリクセンの報告が慌ただしい形ではないため、そうたいしたことではないのだと踏んでいるのだろう。
彼女がそういう人間だということは、ヘンドリクセンやビクターのように古参と呼ばれる人間は皆、よく知っている。
誰かが何かの報告に来た時、報告の内容と報告者の様子をすり合わせて、彼女はいつも質問内容の優先順位を決めている。
そして、それだけにとどまらぬ、この反応。
「竜巻が、まさか、帝国軍の力だと想像させることは、士気に関わるか」
ぽそりと、彼女は正解を口にした。
はい、とヘンドリクセンが答えれば、ソニアは口を尖らせる。
「そういう話になると困る程度に、大きい竜巻だったのか」
「詳細はわかりませんが、陣地まるごと吹き飛ばす程度はありそうで、地上に残った全軍、野営地からすみやかな移動を行わなければならず、その際いくらかの物資は見捨てることになったそうです」
「物資だけ」
「後は、しんがりを務めていたアイーダ隊にいたダイムと、竜巻の観測に駆り出されていたガストン隊のノーマンが軽傷を負ったのと、竜巻が巻き上げたものがあちこち降り注いでいたようで、各地に斥候に出ていた者が数名それにぶち当たって重傷を。どの斥候部隊の誰なのか、はまだ把握できていないようです」
「・・・しんがりに、アイーダ隊。意味がわからない」
「そこが、ちょっと問題になっておりまして」
ヘンドリクセンも、ソニアのように口をへの字にして難しい表情になる。
ランスロットに聞かせたくない、という話はきっとここからなのだろうと、ソニアもそれに気付いて眉根を更にひそめた。
「アイーダ隊は、配属を変えたのか?いくら、ベテランとはいえ、自然災害時にしんがりを歩兵にするとは、意味がわからん」
「トリスタン皇子が、その件で相当お怒りになっているようで」
「皇子が?誰に?」
「しんがりに、ゼノビアの旧貴族含む部隊が立候補したらしく」
「あー、もう聞きたくない!」
「いえ、彼は、立派にそれをまっとうしようとしたらしいのですが、彼の部隊は、ゼノビア人だけではありません。この火急の折、そこで仲違いをしてしまって」
「誰だ。その部隊にいたのは」
「率いていたのは、皇子と共に軍に加わったルーヴァンで、その下にゼノビア旧貴族のご子息ダニエルとその付き人兼ボディガードのシングルトン」
「ああ、その三人は、別段問題ないだろう。あとは、誰が?」
「そこに、有翼人のコジャックとザッパが。この、シャングリラ行きからは漏れた二人で、とはいえ、二人で三人を運ぶとなればそう問題もないはずで、しんがりのためには悪くない編成だったらしいですよ」
確かに、シャングリラ行きのため、有翼人やビーストテイマー、ビーストマスター達のほとんどは出払っており、その中で二人もの有翼人を回したのだったら、相当に「それに特化」した編成として期待されていたに違いない。
有翼人のその二名の名前は、ソニアも頭の片隅にはあった。が、片方の顔が思い浮かばず、少なくとも片方はその程度の新参だということがわかる。
(とはいえ、しんがりを勤めるのに必要なのは命令を聞いてその通り飛ぶことだけが重要だ。新参か古参かは、然程重要ではないし、二人で三人分を運ぶならなんとかなるだろう。その部隊編成自体は、そうおかしくはない)
ソニアは軽く首を回して、ヘンドリクセンに続きを促した。
「で?」
「その二人が、ダニエルと仲違いをしまして」
「子供じゃあるまいし」
「騎士というものは、名をあげようといくらかの野心はあるものです。どうも、それが気に触ったらしく」
「武勲を得ることは、騎士にとっては名誉だからな。で、仲違いしてどーした」
「皇子の命令通りに、動きませんでした。そこでもたもたしていたものですから、しんがり近くにいたアイーダが、機転を利かせてゼノビア生まれの三人を自分の部隊の先に行くように指示したのですが」
「まだ続くのか」
「彼らとしては、皇子の命令に背いたのは有翼人二人であり、自分たちは命令に従う、と駄々をこねて」
「従うって・・・有翼人がいなきゃ、命令に従う働きも出来ないだろ」
「はあ。結果、とばっちりを受けたのはアイーダ隊でして」
「つまんない報告だな」
「はい。しているこちらも、おもしろくはありませんね」
「皇子は何と言ってるって?」
「皇子は、有翼人も、ゼノビアの三人も、どちらにも非があるのはご理解しているのですが、なんせ、有翼人の二人がですね・・・勝手に離脱して、いなくなっちまいまして」
ヘンドリクセンにしてはかなり珍しく、そういった口汚い言葉を使った。
それは、ソニア以外の人間が聞けばきっと相当に驚かれるだろうが、彼女の前で彼がそういった言葉遣いになるのは、実はこれが数回目だ。
それほどに、ヘンドリクセンがこの報告にうんざりしており、心底呆れているということがわかる。
いつも穏やかで物静かな彼の口から、そういった物言いが出る様を、ソニアは実のところ嫌いではない。
彼女が一瞬、にやにやと頬を緩ませたのに気付いて、ヘンドリクセンはわざとらしく咳払いをした。
「みんな、もっと地を出しちゃったらいいのに」
「勘違いなさっているようですが、これは地ではなく、勢いというものですよ」
「へー」
竜巻による被害があまり多くないということがわかったため、ソニアはヘンドリクセンに気を許したように、まだ笑いかけている。
それをたしなめるように
「ソニア様は、この先歴史に名を残すことでしょうに、こんな意地の悪い女子だとは、残念なお話ですね」
「歴史に名を残す、だって!」
そのヘンドリクセンの物言いがやたらとおかしく思えたのか、ソニアは声をあげて笑った。
「本当にそんな大ごとになっちゃったら、そりゃ、そこらへんによくいる名前でよかったなぁ。別人だ、って言い張れるもんね」
「なっちゃったら、じゃないですよ。何をおっしゃるやら。我々は成功しても失敗しても、歴史にあなたの名は残るでしょうね。失敗した場合は、みせしめとして」
そこまで言ってヘンドリクセンは、言い過ぎた、とはっと唇を引き結んだ。
しかし、当のソニアの方は、そんなことはとっくの昔にわかっているとばかりにけろりとしている。
「じゃあ、その時は、シャロームからお供した古参として、ヘンドリクセンとビクターの名前もどうにか残るようにしてやるよ。なんかエピソードつきで」
「滅相もない。そんなことのためについてきたわけじゃあ、ありませんよ」
「めっそうもない。何だそれ。相変わらずヘンドリクセンは難しい言葉を使う」
そう言いながらも、ソニアはのびのびとしている。
そんな彼女を見るのはヘンドリクセンにとっては久方ぶりのことで、彼はつい、彼女のその姿に目を細める。
ソニアはいつだって、自分やビクターのような古参メンバー相手には、どこか気を許している風に振舞う。軍には多少の人間関係があるものだから、誰がいても同じ、というわけにはいかないけれど、時折それこそ「地の」彼女が顔を見せる。
それが、彼にとっては感慨深いほどに特に今日は「久しぶり」と思わせられる。
(そうか。ランスロット様がいらしても、この人は遠慮をなさっているのか)
あんなに、信頼をして、傍に置いているのに。
そして、自分たちとはそう変わりのない時期からずっと一緒にいるのに。
そう思えば、申し訳ないと思いつつ「自分は、ソニア様に寄り添っていただいているのだ」という不思議な気持ちになり、彼女についてきたことが間違いではないと彼は思う。
共についてきた友人ビクターは、相当に健全で裏表のない誠実な青年であり、反乱軍の中でうまく立ち回って誰からも好感を得ている。
が、彼は、健全すぎるとヘンドリクセンは時々思う。
自分のように、裏でこそこそ動き回る者だからこそ、どこかしら分かり合えると思えるような、何か同志めいたものが、自分とソニアの間には細々とあるように彼は感じており、それはビクターがソニアとの間に持ち得る絆とは違う。
自分は、それでいいのだ、と彼は時々妙に納得をする。
目の前の少女は、彼がウォーレンから、サラディンから、魔道その他のありとあらゆる知識を吸収することを決して妨げない。そして、その力を存分にいつでも発揮できるポストにつけてくれる。
たとえ、ソニアがゼノビアの人間と仲違いをしても、ヘンドリクセンがウォーレンを師と仰ぐことを彼女は非難しないだろう。
そうであることが、どれだけ難しいことなのか、彼は知っている。
だからこそ、彼女についてきたことは、何一つ間違いではないのだ。
「で、そんだけじゃないんだろ?その程度の話なら、ランスロットまで人払いする必要ないはずだ」
「・・・あ、はい」
「何」
「今回の件で、相当揉めたようで」
「うん」
「反ゼノビア派ともいえた兵士が、このおかげでついに30人ほど、意思表示もなく軍から離脱しました」
「・・・さんじゅーにん!」
30人程度は、普通に一国の軍であれば、さほど気にするほどの人数でもない。
しかし、そもそも反乱軍は一国の軍に匹敵するような規模ではない。
それに、たとえ分母の人数が千だろうが万だろうが、それまで共に生活をしていた知人30人が突然いなくなるというのは、なかなかに衝撃的だ。
大所帯になってきたとはいえ、30人という人数は、間違いなく反乱軍の中で何かしらを担っていた者が含まれているに違いない。
「はー、遂にやったか〜」
「はい」
「トリスタン皇子は、それにもかなりご立腹で。いえ、離脱すること、皇子ご自身への反勢力がいることは置いておいて・・・ソニア様がいない場所でそんな行為をすることが、どれほど失礼なことか、とそのことをお怒りです」
「・・・ま、その程度で離脱するなら、そのうちどっちにせよいつか離脱することになってただろうし。それに、中にはそれを煽る諜報員が含まれてた可能性もあるから、まあ、仕方がない」
「仕方がないですか」
「うん。仕方がない。それに、離脱するなら、今のうちだ。これからダルムート砂漠を渡って帝国の中枢部に向かう予定だろう。砂漠を渡ってしまえば、簡単に離脱して、それぞれの故郷に帰る、というわけにはいかない。本当に、今のうちなんだよ。ある意味、いいタイミングだったよね。残った人間にとっても、離脱する人間にとっても」
ソニアはけろりと言い放った。
その様子を見て、ヘンドリクセンはいささか拍子抜けをしたように、目を何度かまばたいて黙り込んでいる。
(この人は・・・どこまで、頭の回転が速いやら)
正直なところ、地上で報告を聞いてきたヘンドリクセンは、ソニアのように「この先のいく場所は」などと先々のことをこれっぽっちも思いつかなかった。
「それに、今の時点での逃亡なら、まあいいだろうさ。この先帝国中枢に近づいてそんなことが起きたら、補充は難しいし、諜報員容疑も出てくるだろうし、それに対する損害も大きくなるぞ。揉め方ももっと複雑になるかもしれないしなあ。といっても、30人か〜完全に、全員一斉に?もしそうだったら、それは以前からなんらかの動きがあったんだろう?部隊長クラスとかは大丈夫か」
「さすがに同時ではなかったようですよ。ただ、最初にごっそり10人ほどは離脱したらしくて・・・それはどうも、話を聞くと確かに、トリスタン皇子加入前というか・・・反乱軍がゼノビア再建に力を貸す、と公にしなかった頃に参軍した兵士で」
「うーん」
ソニアは唸ったが、それは想定内で、どちらかといえば「やっぱりか」という思いから出た声だ。
「そうなんだよな。反乱軍はあくまでも反乱軍だから」
そういってソニアは肩をすくめた。
反乱軍であってゼノビア軍ではない。
だから、入軍した兵士たちも多い。
そして、今まではソニアだけが担ぎ上げられていたから、トリスタンが参軍してもそこまでは大きな問題にはなっていなかった。
が、ここ最近、ソニアはソニアで「トリスタン皇子が帝国軍を倒した」形に持っていけたほうがいいなぁ、だとか余計な画策をしていたし、それはもちろんウォーレンはじめとしたゼノビア再建を願う人々も願っていることだった。
今回軍を分断したのはそれだけが理由というわけではなく、まったくもって「仕方がない」ことだったのだが、そういうことが起きる懸念は確かにあった。
だが、それにしても、とソニアは口を尖らせた。
「あれだろ。あと、新兵も逃げただろう」
「ご名答」
「誰かが離脱すると、なんとなく自分ひとりじゃ離脱出来ない惰弱なやつらが乗っかっていくもんな。まあ、良かったんじゃないか。補充できるレベルかな」
「そうですね・・・30人程度のうち、実戦で前線に出ていた者は、数える程度らしかったのですが」
「うん」
「わたしが残念なのは、ドイルが離脱したことですね」
「・・・あぁ・・・ゴエティックの・・・」
ヘンドリクセンはソニアの真似をして肩をすくめて見せた。
「アンタンジルで、ちょっと懲りたようですよ」
「あの時は、でもドイルはオーロラに逃がしてもらっただろう」
「アンデッドまみれの城で一人放り出されて、ちょっとこう・・・精神的に、無理だったんでしょうね。わたしだって、嫌ですから」
そういうと、はあ、とヘンドリクセンはため息をついた。
それにあわせて、ソニアも深く息を吐く。
さすがに、どこまでも能天気な発言を続けるわけにもいかないだろう。
「ノーマンの怪我は?」
「左肩付近らしいですよ。まあ、彼は右腕だけでルーンアクスを振るうぐらいですから、そう、大して」
「ははっ」
「後は、斥候役の重傷というのが問題ですね・・・とりあえず、シャングリラの観測部隊と明後日でももう一度接触して、その結果を見て動くことになりますよね?」
「ああ、そうだな」
「その時には、地上部隊の状況を、もっと詳細確認出来ると思います。このままでは、地上に降りての合流も予想していたものと変わりそうですし・・・」
「出来るだけ早く合流した方が波風が立たないのか、逆にトリスタン皇子に任せるのか、その辺りも判断出来ないしな。まあ、進軍としては一日でも早く合流したいものだが、どうも、そうも言ってられないようだし・・・」
そういうと、ソニアは不謹慎にも欠伸を見せた。
「よく、眠れていらっしゃらないんですか」
「あ、いや、そういうことでもない。ただ、まだ本調子じゃないみたいでさ。空欠伸っていうの?出るんだよな」
ヘンドリクセンは眉根を寄せた。
確かにソニアの体調はまだ万全とはいえない。
出来る限り地上に戻るまでには調子を整えて欲しいとは願うのだが、この空中都市で調子がよくても地上ではどうなるのかわからない。
とはいえ、地上に戻れば、ソニアはもっともっと忙しくなるに違いない。それでなくても今地上はごたついているし、それが竜巻のせいだけではなく「ソニアがいないから」だということも彼は重々わかっている。
(ランスロット様も、きっと戻ればトリスタン皇子やウォーレン様とあれこれ談合することだろう)
ランスロットはゼノビアの騎士だ。
問題の一端を担うのがゼノビアの人間であれば、きっと彼はあれこれ心を痛めるだろうし、そのことでいささかソニアとの間になんらかの動きがあるかもしれない。
ヘンドリクセンは、ソニアが抱いているランスロットへの感情というものをあまり知らないし、しみじみと聞くつもりはない。
ただ、少なくとも彼は反乱軍において「ゼノビアに属する」人間の中で、ソニアはランスロットを一番必要としていると感じている。
本来、その「ゼノビアに属する」には、カノープスやギルバルド、アッシュもが含まれるはずだ。
けれど、ヘンドリクセン、いや、彼だけではなく、古くからソニアについてきた人間のほとんどは、少なくともカノープスとギルバルドは「そう」ではないと感じている。
正しくは「ゼノビアに属していたけれど、トリスタンに属していない」と感じられている。
アッシュにはいくらかのしがらみもあり、彼は騎士だ。
間違いなくアッシュは「ゼノビアに属す」人物ではあるけれど、彼はランスロットと異なり、具体的にソニアに「助けられた」人物であるから、いささか異なる立ち位置といえる。
(そうやって考えると、ランスロット様は、驚くほど色濃くゼノビアの人間として我々に認識されているのだな)
それは、少しだけ残念なことだ、とヘンドリクセンは思う。
何故なら彼もまた既に、いつかソニアはゼノビアの人々と袂を分かつのではないか、という危惧を持っているからだ。
「ヘンドリクセン」
「はっ・・・はい」
物思いにふけっていた、ということを、ソニアからかけられた声でヘンドリクセンは気づいた。
それは彼にとっては珍しいことで、気づいた彼自身動揺を隠せない。
「今日の話は、別に人払いしなくても、大丈夫だ」
「は・・・」
「ヘンドリクセンの顔を見れば、人払いをして欲しいかどうかなんて、あたしはわかる。別に、何年何十年の付き合いっていうわけじゃないけど、わかっちゃうもんはしょうがないし、それはきっとヘンドリクセンも、あたしに知られていいって思ってるから意識して伝えようとしてくれてるんだろうし、助かるんだけど」
「・・・はい」
「大丈夫だ。別に、あたしという目印についてくる人達と、ゼノビアやら皇子についてくる人達との間のいさかいでも、ランスロットがいる前で話してくれていい。気を使ってくれるのはありがたいけど、今はまだ大丈夫なんだ」
「・・・!」
「いや、大丈夫に、なったんだ。っていうのかな。なんだ、猶予が伸びたっていうか、うーん」
ソニアはうまく説明できない、という顔を見せて、ヘンドリクセンを困惑させた。
「ウォーレンはさ。永久凍土にあたしが行く時に、あたしの中の惑いを晴らすことが出来るって言ってくれた。確かにそれは反乱軍にとっても喜ばしいことなのかもしれないけれど、でも、その言葉はちょっとだけ嬉しかったんだ。それに、ランスロットも、なんていうか・・・まあ、あたしは単純だから、ちょっとだけでもまだこっちに歩み寄ってくれてるんだ、という姿勢が見えるとさ。あたしも、突き放しちゃいけないって思う」
「・・・」
「地上でそんなごたごたが起きてるからといって、実際あたしとトリスタン皇子が二大勢力、みたいな感じでなにかにつけて対立してるわけじゃない。そうしたいと思ってる人間もいるかもしんないけど、そういう人間に踊らされて、不必要に早く・・・お互いの間に、線を引いちゃいけないんだろうなーとかさ・・・思って。ちょっと、昨日今日と少しだけ時間があったからさ、そんなこと考えてた」
不思議だ、とヘンドリクセンは目を丸くする。
目の前の少女は、またどこか一皮が向けたような、成長の兆しが見える。ヘンドリクセンと10も20も年が離れているわけでもまったくないのに、短期間で「成長した」と人に思わせるというのは相当の伸び幅だ。
彼はそれを「不思議だ」と「すごいな」と思ったけれども、もう少し年長の者が見れば。
それを「危ない」と思って警戒するだろうことを知るには、まだ彼は年若かった。
ただ、彼は正しく「少し時間に余裕があるときに、そんなことを考えなければいけないとは」と、ソニアの数奇な運命とその細い両肩に乗っている重圧について思いをめぐらせ、ため息を小さくついた。
そんな彼の耳に、いささか呑気に
「トリスタン皇子、大変なんだろうなー・・・」
という呟きが届いた。



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