重なる思惑-4-

ヘンドリクセン達が地上部隊と合流して二日目。うっすらとした噂が軍内に流れ始めた。
(シャングリラから戻ってきたかと思ったら、トリスタン皇子はあの帝国の女聖騎士を個人的に呼びつけたようだ)
(ラウニィーさんと皇子が、一刻近く天幕内で二人きりだったそうよ)
その噂が流れる前には、とっくにトリスタンはとりまきの人間に「ゼノビア王族ともあろうお方が、こともあろうに帝国の子女と二人きりになるなぞ」と小言をもらっていた。
「彼女は帝国の名門貴族の生まれだ。そのような立場の者と話が出来ることは、普通ならありえないだろう。その滅多にない機会を有効に使わない手はない」
しれっとトリスタンがそう答えると、臣下達はあからさまにおもしろくなさそうな表情を浮かべた。
「しかし、まだラウニィー殿を快く思っていない人間もこの軍にはおります」
「そうだな。そして、僕のことを快く思っていない人間も」
「・・・」
「お互い様だろう。それは」
「それがお互い様だとして、なにも波風を立てる必要はありますまい。皇子さえ望めば、ほかな婦女を御前にお連れいたしますのに」
「・・・驚いた。ゼノビアの騎士たるものがそのような馬鹿げたことを・・・と、あなたは騎士ではなかったな。文官ともなれば、そういったえげつないことも容易に口に出すものだな」
いくらかトリスタンの口調が険しくなってきたことに気付いて、傍に控えていたウォーレンが軽く咳払いをする。
表情にこそ出さなかったが、トリスタンはその意図に気付き、逸る気持ちを抑えた。
「ソニア殿が戻れば、態勢を立て直してダルムード砂漠を越えることになるだろう。その前にいかほどの用意が必要となるか、彼女に帝国領地の話を聞くことは、そんなにおかしいことだろうか?」
「それは、ソニア様がおやりになれば良いことです」
「それを決めるのはあなたではないだろう。僕と、ソニア殿だ」
刺々しい物言いにならないようにとトリスタンは気を使っていたものの、彼とて元来王宮育ちではないため、いくらかがさつな部分も多い。
我慢しきれなくなって投げやりになりそうな様子があれば、そこでウォーレンがまた勧告の咳払いを軽くする。
そんなやりとりを数人と行ってから、なんとか言いくるめて穏便に天幕から出て行ってもらうまで、半刻もの時間を要してしまった。
「・・・これじゃあ、ゼノビアの人間は使えない、と言われてしまうよ」
それが、彼らを見送ったトリスタンの第一声だ。
「彼らはほんの一部。軍内で良い働きを見せている者達の方が、圧倒的多数ですぞ」
「そうだけど・・・人は、悪い部分を感知しやすいものだろう」
ぐったりとトリスタンはそう言って、ため息をついた。
ウォーレンは天幕の外に顔を出して「誰か、皇子に甘い茶を」と、女性兵に声をかける。
実は旧ゼノビア貴族の生き残りや僻地の領主だった年老いた者などは、これすら嫌がる行為なのだ。
その辺にいる女性兵士が持ってきた茶を、皇子が口にする。しかも毒見役なしで。
確かにまっとうな神経を持つ王族であれば、それがどれだけ危険なことか、わからないはずがない。
しかし、この軍に置いてトリスタンの立場は難しく、その行為ですら「彼の立場を確立するため」に必要だとウォーレンは主張をするし、トリスタン自身も同意している。
誰も知らないことであったが、一時期トリスタンは反乱軍に加入した直後から、ウォーレンの指導の元で少しずつではあったが毒物への耐性をつける訓練を続けていた。
幼い頃からやっていればよかったことだが、帝国の追手から逃亡を続けていたトリスタン達にそこまでのことを望むのは無理だろうとウォーレンはこっそりと――それこそランスロットにすら内緒で――準備をしていたのだ。
一言で毒に慣れると言っても「毒に反応しないようにするため、少量ずつ毒を摂取し続ける」などという行為は相当に危険だ。
それを行ってしまえば、むしろ体が拒まなければいけない状態ですら信号を発することなく、容易に死んでしまう可能性があるからだ。
ウォーレンがトリスタンに課したことはそのような直接的なことではない。
まずは、まっとうな食事をまっとうな形で摂取し続けること。
普段口にする食材でも「致死量ではない毒」を含むものは大量にある。
それらを出来うる限り排除して、むしろわずかな毒であっても体が反応をするようにと地道な努力を始めた。
毒物のほとんどは植物からの抽出が主であるため、この方法がいくらかは有効だとウォーレンは主張していたけれど、実際のところは定かではない。それでも、ウォーレンほどの人間が主張をすればそれに縋るしかないのが現状だ。
この方法は時間がかかるのが難点で、始めたからと言ってひとつきふたつきで効果が表れるわけではない。
しかも、人々に知られぬようにするためには、食事を運ばれた後で食材を確認しながらより分けなければいけない。
時には口に出来るものが少なすぎるため、ウォーレンがこっそりと用意しておいた堅パンなどで凌がなければいけないこともある。
また、時にはあえて人々に混じって食事を摂らなければいけないこともあるので、その時はいくらか過敏になっている舌であっても我慢して食べることを強いられている。
彼のそういった努力を知るものはウォーレンとランスロット、そして、トリスタンと共に軍に入った旧ゼノビア騎士数名、そしてソニアだけだった。
トリスタンはトリスタンの自由を得るために、むしろ不自由にいくらか身を委ねる必要があったのだ。
だが、そんな状態に痺れを切らしたのはトリスタンではなくソニアだった。
ソニアは単純に「これがトリスタンの分、ってわかりやすくして運ぶからそういう懸念が起きるんだ。みんなと同じ鍋からみんなと同じ器を使って、誰がどれを食べてもいい状態で食ってれば、毒の心配なんかありゃしない」と呆れ、ウォーレンに直談判に乗り出した。
ウォーレンもその言い分は重々承知していたのだが、そうすることで「毒見役を」という意見をかわすにはいささか説得力に欠けるのだ、と答えた。
最後には
「相手の立場のことなんて考えなくていいじゃないか。だって、トリスタンは皇子で、偉いんだから。たまには命令でいいだろ!」
と、乱暴なことをソニアが言い出す始末。

結果的にソニアの意見が通り、トリスタンには余計な負荷をかけないことになったものの、それを「ソニア殿が口車に乗せて」と言われないために、いささかトリスタンは強引に、ソニア言うところの「命令」をした。
一国の王族となれば口にするものが制限されることは当然のこと。
それをトリスタンが嫌がっている、と受け取った臣下達からは、トリスタン皇子もわがままなところがある、と逆に思われてしまっても仕方ない。
それをトリスタン自身感じ取っていたため、いくらか「良い子」にしている必要もあり、それ以降あまり臣下にあれこれ文句をつけないようにとはしていたのだ。
トリスタンの努力のおかげで最近臣下達も口出しが少なくなった。というのにヘンドリクセン達と話すための人払いをしたことで、それもまた風向きが変わることだろう。
なんにせよ、反乱軍の人々が思い描くよりも皇子という立場は簡単ではなく、むしろ、己がしたいようにことを運ぶために、臣下の顔色をうかがわなければいけないのだ。
無論、誰もがそんな想像を出来るはずがないとはわかっている。
ソニアのように「命令しちゃえば」とあっさり言うものがほとんどに違いない。
とはいえ、そう言ったソニア本人は「反乱軍リーダーなんだから、命令しちゃえば」と言われても、いつも苦虫をつぶしたような表情を見せるではないか。
まあ、そんなわけで、今は気楽に「茶を持ってきてくれ」と言えば誰か名前もわからぬ兵士であろうと持ってきてくれるし、それを気にせずに口をつけるようにはなった。
暫くして、彼らの天幕に茶を運んできたのは、なんと部隊長クラスであるフレイアのアイーダだった。
それを見てトリスタンもウォーレンも目を丸くする。
彼女はきびきびとした動きでトレイを持ったまま天幕の中で膝をつき、近場にあった木箱の上にトレイを置いてテーブル代わりに使った。
「お疲れのご様子ですねぇ、お二方。お待ちくださいねぇ」
アイーダはいれた茶を持ってきたのではなく、湯を持参していた。
困惑している二人を気にも留めず、手際よく茶の準備をして縁の欠けたポットに柄杓で湯をいれ、これまた縁の欠けた蓋を閉めた。
「アイーダ殿、何故あなたが」
「おかしいことは何も?ここでは、動ける人間が動ける時に動くものですから。ねえ?ウォーレン様」
「いやいや、そなたはもうそういう立場でもなかろう」
「小間使いのように若い女性兵士が茶を持っていく姿で溜飲を下げられるより、ぐだぐだ言わないでどんな立場の人間でも働け、といいたいわけでして」
トリスタンとウォーレンは、アイーダの意図するところがわからず、一瞬ぽかんと間を開けた。
「それは、何もゼノビアの方々だけのことではないんですよ。新兵でも中にはやたらとプライドが高い人間もいますし、もともといる人間でも、ちょっと位があがったからといってふんぞり返る輩もいる。この軍は、そんな軍ではないといいますのにね」
「アイーダ殿」
「かといって、こうやってわたしが茶でも運べば、所詮女だから、と今度は言う人間が必ずおりますでしょう。ソニア様がいらっしゃらない間は尚更ね」
小さく微笑みを見せるアイーダ。
三十路の彼女は、女性兵士の中では年長組に入る。部隊長クラスの女性であれば、彼女は間違いなく最年長。
軍の上層部の話にはほとんど口を挟まない女性だが、彼女が意志薄弱ではないことをみなは知っている。が、トリスタンがしみじみ彼女と話をするのは、これが初めてのことだった。
「人が多く集まるところは、どこでも似たような問題が起きるものですし、この軍はなんというか、小さな国同士の連合国のようでおもしろいですねぇ・・・お二方、どのカップがいいか、選んでいただけます?」
そういうとアイーダは、まだ茶が入っていない三つのカップを並べた。
「え?選ぶって?」
「皇子からどうぞ」
「・・・?・・・じゃあ、これを」
「それでは、こちらをいただくかの」
トリスタンとウォーレンがカップを選ぶと、アイーダは三つのカップに茶を注いだ。
そして、どうぞ、と二人に勧める前に、残っていたもう一つのカップを手にとって、何も言わずに二口三口、先に飲む。
「アイーダ」
一体なんなんだ、とトリスタンがその様子を見ると、ウォーレンが苦笑をしながら彼女に声をかけた。
「そなたを、誰も疑っておらぬぞ。そこまでする必要がどこにあるか」
「ノルン様が」
「うむ」
「もともといた反乱軍の兵士達に茶を入れたとき、毒でも入れるのではないかと嫌味を言われていらっしゃいました。その時、お怒りもせずに同じことをなさっていたのでね。我々はこの軍で何を言われようとソニア様がいらっしゃるし、あなたを慕ってやってきた旧ゼノビアの方々にはあなたがいらっしゃる。けれども、帝国から投降してくださった方々の拠り所はどこにあるとお思いですか?」
「・・・ソニア、ではないのかな」
トリスタンは少しだけ考えて答えた。ウォーレンはさっさと茶に手を伸ばし、何も気にした風もそれ以上なく飲み始める。
「一見、そう思われるでしょうね。けれど、多分違うんじゃないかなぁとわたしなんぞは思うわけです」
アイーダは小さく微笑んで、自分が口をつけたカップと、湯を入れて来た子鍋を持って立ち上がった。
「もう一杯分ずつ、ポットに入っておりますのでお好みでお飲みくださいな。それでは、失礼いたします」
そういうと、静かに一礼をして彼女は天幕から出て行った。
トリスタンはそれを見送ってから、カップから立ち上る湯気を見つめて苦笑をした。
「ウォーレン」
「なんでしょう」
「直球で試されるのは、つらいけれども、ありがたいことだね」
「皇子は、なかなか骨がおありになる」
「こうやって言葉をかけてくれるほどは、期待されていると思ってもいいのかな。ゼノビア皇子ではなくて、僕に」
「それをご理解していることが、既に期待に応えていることではないですかな」
「そんな楽観出来ないよ」
そういうとトリスタンは肩をすくめて、茶に口をつける。
ごくり、と一口。
ほっと息を吐いて「うまい」といいつつも、彼の表情は疲労の色を隠すことが出来なかった。



トリスタンとラウニィーを接触させたのは、ヘンドリクセンだといえばヘンドリクセンだし、違うといえばまた違う。
ラウニィーを今回共に地上につれてきたのは、確かにそれが目的だった。
今までは軍内で彼女がトリスタンと近づくたびに、すぐになんらかの噂が流れていた。そこで、それを利用させてもらおう、とソニアが思いついたのだ。
無論、ソニア以外の誰が思いついても、そんな恐ろしいことを口にすることは出来なかっただろう。
しかし、そのことをトリスタンに話す前にトリスタンの方から「ラウニィー殿と二人で話がしたいんだが」ともちかけられたのには、さすがにヘンドリクセンも驚いた。
ソニアの思惑をそこまで見抜いているのか、と疑心暗鬼になったものの、どうもトリスタンはまったくそういうわけではなく、完全に個人的に彼女と話をしたかったらしい。
「離脱した三十人の中に含まれていたのかもしれぬな」
ウォーレンとヘンドリクセンは、その夜二人きりの密談を行っていた。
基本、ウォーレンは「年寄りだから」という言い訳をして、あまり夜遅くまでは姿をみなの前に見せ続けない。
早寝のふりをして仕事から逃れているのだが、それは彼の「もう一つの仕事」のためだった。
彼はトリスタンの傍らで反乱軍の重鎮として昼間は動いているが、夜になればゼノビア復興のために、あれこれと直接の部下に指示をしたり、軍の問題とは別の問題に頭を悩ませたりしているのだ。
だから、早寝でいつもたっぷり寝ている、と信じている人間も中にはいるが、実際の彼は、周囲が思い描いているよりはよほど睡眠時間が少ない。
「あるいは、時期を見ているのかもしれませんね。何らかのタイミングで離脱する予定で、それまではもう目立つことはしない、と決めているのかもしれないし」
「それもあり。また、こちらが後手後手であることを知り、通常の間諜の仕事へと移行をする可能性もある。この先、ダルムード砂漠を越える前にあぶりだしたいものだが、なかなかに」
ウォーレンは薄暗い天幕で首を横に振った。
竜巻から逃れてなんとか野営地に手ごろな場所をみつけたものの、さすがに今回は「トリスタン皇子だけでも建物にどうにか」という望みを叶えることはできず、ウォーレンも、トリスタンも、みなと同じく天幕で寝泊りすることになっていた。
ウォーレンは普段からトリスタンと同じく特別扱いをされ、個人用の小さな天幕を用意している。
それは、反乱軍が進軍を始めたときからずっと続いていることだ。
最初は軍師らしい軍師となるべき人間がウォーレンしかいなかったし、彼は他の兵士と違って「彼しか出来ない」ことが明らかに反乱軍の中ではずば抜けて多かった。それゆえに、ソニアは最初からウォーレンが単独で一人用の天幕を構えることを許していた。
この軍ではそれはずっとまかり通ってきていたし、ゼノビア復興の仕事を彼が裏で一手に引き受けていることを知っているソニアは、あえてそれを咎めはしない。
それゆえ、このような密談をするにはうってつけなのだ。
「しかし、こういった細かい、なんというのか、心理戦といいますか。そんなものを帝国側が仕掛けてくるとは、正直意外に思えます。やれ、誰がソニア様側だの、誰がトリスタン皇子びいきだの、帝国の人間がどうのと・・・」
「意外か?そうは、思わないがの」
ウォーレンはヘンドリクセンの言葉に対して、軽く異を唱えた。その言葉に驚いたヘンドリクセンは、じっとウォーレンを見る。
老齢の占星術師は苦笑を浮かべた。
「この軍でそういったかき回しが有効だと思われているということは、ある意味よくよくの本質を突かれているということ。そちらの懸念の方が必要ではないかな」
「は・・・それは、確かに」
「それに、そういったことを画策するのは、何も敵側だけではない」
「そのようですが・・・しかし、今のところは、一部の血気盛んな者以外は、うまくやっているように思えます。その一部のものも、誰かに煽られているのではないかとわたしには思えるのですが」
ヘンドリクセンは、自分の言葉に対してウォーレンが同意をするか、あるいは「そうではない」と諭してくれるかのどちらかだと思って口を引き結んだ。
しかし、次にウォーレンの口から発されたのは、どちらでもない内容だった。
「そなたが」
「はい?」
「そこまでソニアに肩入れをしなければ、むしろその役目をさせても良いと思えたのだが」
「・・・え・・・」
ウォーレンの言葉の意味を正確に把握できず、ヘンドリクセンは一瞬ぽかんとした表情を無防備に浮かべる。
それから、眉根をしかめて
「まさか・・・ウォーレン様が・・・?」
「誤解するでない。何も、工作はしとらん。しようにも、出来ないものでな」
「ど、どういうことですか」
「いささか意味合いは違うが、ソニアの傍にもう少し、ゼノビア寄りの人間を置きたいというのが本音。ヘンドリクセン、そなたがもちっとこちらに傾倒するのかと思えば、なかなか強情で、良い意味見込み違いだったというところだ。今は、そうであることが正しかったと思ったりするが・・・」
そういって、ウォーレンは自分のひげを何度か撫でた。ヘンドリクセンは、己が師と仰いだ人の次の言葉を辛抱強く待ち続ける。
「・・・それは何も、ソニアを操ろうということではない。そうすることで、ソニアへの風当たりを和らげることが出来るだろう。本来、そのようなことを考えること事態がおかしい。軍としてどこか間違っていると思うのが通常のこと。しかし、この軍ではこれが当たり前で、ソニアという絶対の指導者は力でねじ伏せる命令はしないし、それに甘えた者達が彼女に噛み付いても肩をすくめる程度だ。そこで自分の権力を振りかざせば、噛み付く力がもっともっと強くなることを彼女は知っておる」
「そう・・・ですね」
ヘンドリクセンは、ウォーレンの思うところを探りかねて、慎重に返事をする。
それをどう思ったのかはまったくわからないが、ウォーレンは同じ調子で言葉を続けた。
「だから、彼女がやっていることは多分正しい。それによって助かっている立場の者達もいるのだが、それは自覚がない。そのうちトリスタン皇子がいつか限界点を超えてしまうかもしれぬほど、そのような者達は鈍い。けれど、己の鈍さは棚上げをして、ソニアの動きにだけは敏感察知したり、元帝国の人間にだけは過敏に反応したりとなかなか手がかかるものでな。そういう者達は、手っ取り早く見せてやるのが一番だ。反乱軍リーダーソニアは、傍にゼノビア兵士を置いて優遇している。彼女はゼノビアを大切にしている、と。そんなくだらないアピールがな」
「馬鹿馬鹿しい」
今度のヘンドリクセンの言葉は、まったくの躊躇がなかった。
いくらウォーレンがゼノビアの人間であっても、ウォーレンは道理がわからぬ者ではない。むしろ、その「馬鹿馬鹿しい」ことについて話したいのだということを、ヘンドリクセンは瞬時に理解をした。
「そう、馬鹿馬鹿しい。本来、そんな阿呆共はまとめて軍から追い出したいところだ。しかし、困ったことにそういう輩が本当に頭の出来が残念なのかといえば実はそうでもなく、ゼノビア復興ではかなり有力な者だったりもするのでな」
「面倒ですね。軍から追い出す、じゃなくて、先にゼノビアに行ってもらうというのはどうですか」
「そういう者は文官が多く、自力でゼノビアまで戻る気力もなければ、ゼノビア皇子のお膝元から離れる気なぞ、毛頭ないものだ。こちらも、もういらぬ、と手放しても良いのだが・・・トリスタン皇子を擁してしまった以上、民衆はゼノビア王国の復興を望んでいるし、広大な領地を統治するには、やはりそれなりの経験者が必要で、それは我等やトリスタン皇子がいればどうにかなるというものではない。また、この戦いが終わってから考えれば良い、なんていう悠長なことも出来ぬ。そもそも、この軍は各領地を解放するだけ解放したら、ほとんどしっぱなし。実質、以前ゼノビア貴族として僻地を治めていた者をひっぱってきたり、小さな地域は町長経験がある者を無理矢理たてたりと、すべてのお膳立てはこちらでしている。この先も多分そうなることだろう。であれば、そのためだけに必要な人間も、この軍では確保しておかねばならぬのだ」
ウォーレンの言い分にも一理あることをヘンドリクセンはわかっていた。
ソニアは反乱軍リーダーとして、帝国軍に圧迫されている各地を回って解放を続けているけれど、帝国軍の手から離れたらすべての都市が以前の形に戻るわけではない。
もともと自治の形をとっていた地域はその形に戻れるだろうが、長年完全に帝国から派遣された権力者が統治していた場所は、それなりの人間に渡さなければならない。
そして、その人材は反乱軍が斡旋するわけでもなんでもない。その地域を開放した後に「どうしよう」と話し合って、何もかも丸く収まると思ったらそれは大間違いだ。
ウォーレンはいくらかの手駒を常に用意をしておき、「以前の自治者に引き渡しつつ、ゼノビアの人間を監査役として補佐扱いで一人つける」という形にしてみたり、「昔この都市よりも大きな都市を治めていた」地方の三流領主の力を借りたりと、大忙しだ。
戦とその後のまつりごとを共考えられる人間はこの軍に少ない。
ソニアは「ウォーレン、残作業頼むな」とよく軽く言うものだが、たったそれだけの会話からその途方もない作業を思い描ける者はほんの一握り。
そういうものだということは、今のヘンドリクセンには理解出来る。そう、理解は出来るのだ。しかし、反乱軍の力不足と、叛旗をあげたときに考えが及ばなかった己の愚かさを指摘されたようで、ヘンドリクセンは眉根を更に寄せた。
「ソニアは、わかっている。わかっているから、戦で役立つことが出来ぬ者でも、ゼノビアの人間を邪険にしないだろう。あの子は、自分は政治に興味がないといいつつも、自分の尻拭いをゼノビア人がやってくれていることを知っているから、余計に追い払えぬのだ」」
「・・・そうですね。困った、とはおっしゃっても」
ヘンドリクセンはますますおもしろくなさそうな表情をウォーレンに向け、何気ない一言を発した。
「しかし、ソニア様の傍にはランスロット様がいらっしゃる。それで良いではないですか」
何も迷うことのない言葉。
実際ヘンドリクセンではない誰かがそこにいたとしても、同じ事を言うか、脳内で思い浮かべていたに違いない。
あの生真面目な聖騎士が、ソニアの傍につき従う姿を。
確かにランスロットは最近はよくトリスタンの傍にもいる。
が、かといってソニアと距離をとっているのかと思えばそうではない。
彼ほどわかりやすく「ゼノビアの人間」であり、「ソニア寄りの人間」と思われがちな存在はこの軍にはいないだろうと、10人いれば9人は判断するだろう。
が、ウォーレンは静かにヘンドリクセンをみつめた。
まばたきもなくまっすぐに注がれる視線に、ヘンドリクセンは一瞬臆した。
その視線の意味を彼は理解できず、己が一体どんなおかしなことを言ったのだろうか?と焦る。
あの、とヘンドリクセンが小さく声をあげると、ようやくウォーレンは静かに、けれども毅然と言い放った。
「ヘンドリクセン。ランスロットでは駄目だ」
ウォーレンの言葉の響きは重く、ヘンドリクセンは眉根を寄せる。
「あれでは、駄目なのだ」
否定の言葉。
しかし、その響きにはランスロットに対する失望や糾弾の色はないようにヘンドリクセンには感じられる。
ウォーレンは困ったな、というように肩を竦めてからため息をついた。
本当はこんなことをヘンドリクセンに言うつもりはなかったのだろう。
それだけは、ヘンドリクセンにも理解は出来た。



半刻ほど過ぎ、二人の少しばかり長かった密談は終わった。
とっくに月は傾き始め、天幕によってはまったく灯りが届かぬ場所もある。
少なくともウォーレンがいる天幕はいつも暗い場所にあったし―それが何を意図するものかは誰もわからないのだが―人にあれこれ見咎められることもないため、ヘンドリクセンは特に周囲をうかがうこともなく、天幕の布をあけようとした。
が、ふと思い出したようにその布を再び下ろし、彼は振り返ってウォーレンにたずねた。
「ウォーレン様」
「うむ?どうした?」
「・・・何故、わたしがゼノビア側に傾倒すると思っていらしたのですか?」
何の話だったかな、と一瞬ウォーレンは不思議そうな表情をヘンドリクセンに向けたが、ようやく自分が何を彼と話したのかを思い出したように「おお」と小さく声をあげた。
軽くあご下の髭を撫でて笑みを見せて、いささか思わせぶりな様子を見せてから返事をする。
「とても簡単なこと」
「?」
「知識を求むる者とは、知識を与える者、その知識を生かせる場所を好む者。そなたは、自分がただの田舎者の、本が好きで魔道に興味があるだけの男だ、と自分を評価しているかもしれぬが、本当は驚くほど貪欲で、自らの力を生かしたいといつでも思っているような人間じゃ」
「・・・!」
「だから、それをゼノビアという、これから先新しくなる国、大きく発展する国に見出すのではないかと期待しておったが、まったくまいったものよ」
そういいつつ、ウォーレンは小さく笑った。
それが本心からの笑いなのかどうかはヘンドリクセンには判断できなかったが、少なくともウォーレンの言葉には嘘がなく、それをヘンドリクセンに伝えてくれるほど、わだかまりのようなものはないのだと思えた。
「わたしはそんな大それた者ではありませんよ。ただ、ここまでわたしを連れてきてくださったソニア様に感謝をしているだけです」
「何をぬかすか」
そこでウォーレンは更に楽しそうに声をあげた。
「サラディン殿が軍に加わったとき」
「・・・」
「しまったな、と思った。サラディン殿がいらっしゃらなければ、そなたはまだ自分の行き所を見出しきれずに『間違って』こちらに歩いてくるのでは、と淡い期待もあったものだが」
「自分の行き所・・・」
「そなたは、このウォーレンの轍ではなく、サラディン殿の轍を踏みしめたいと思うような人間だろう。この軍の人間は阿呆も多いので、じじい二人、どっちも魔法を使って見分けがつかないだの、なんだのと頭の弱い陰口を叩いているものだが、そなたやソニアはわれらの明確な違いを肌で感じ取っているはずだ」
ヘンドリクセンは目を見開いた。
それを、やはりおもしろそうにウォーレンは少しばかりにやけ顔で眺める。
この占星術師のそのような、いささか下卑た表情を見ることが出来る人間はこの軍でもほとんどいないだろうし、ランスロットですら知らないに違いない。
「土地やら国やらに根があっては、そなたは十分に生きられないことだろう。そなたが見出す何かとは、それこそ『ソニア』のように人であったり、『知識』のように形がないもの。たとえば」
ウォーレンは上機嫌なのか、歌うように更に言葉を続けた。
「ソニアという人間が一国を治めたとしたら、そなたはソニアが統治している代にはきっと彼女の近くにいることだろう。けれど、彼女が没した時には、国を離れる。そういった運命を持つものが、この軍には多数存在する。まことに遺憾でもあり、まことに幸運といわざるを得ないのが、ソニア本人はそんなことを微塵も考えちゃいないということだ。そして、だからこそ、彼女の周りには人が集まる。この矛盾」
「微塵も考えていない、というのは、国を治める、ということ、ですよね」
「うむ。まあ、正直、アレに国を治められるとは思えぬがな。人には向き不向きがあり、アレには傭兵稼業のほうがよほど似合う。あんなに、野に放たなければいけぬ存在を、よくもまあ見込み違って疑える者が多いものよ」
ウォーレンが言う「疑える者」というのは、ゼノビアの人間のことだろうか。
ヘンドリクセンはいくらか見えぬ部分もあったけれども、勝手に納得をした。
それから、心にしまいこんでいたけれど、本当はウォーレンに問いただしたいことが色々とあることを思い出し、勇気を出してそれを聞こうと息を吸った。
が、ちょうどそのタイミングで、ウォーレンは「しっし」と犬でも追い払うように手を動かしてみせる。
それは、もう話はない、退出しろ、という合図だ。
ウォーレンがそのようにあからさまに他人に対しての拒絶を見せることは、多分軍の誰も知らないことだろう。
しかし、ヘンドリクセンだけは、この「恩師」の本当は情の深いところや、反面魔道師らしい癖の強いところをよくよく知っていたため、あっさりとそれに従った。
ウォーレンもまた、己のそういった部分をヘンドリクセンだけに見せていることを十分承知していた。
仮にヘンドリクセンがそれを他者に言ったとしても痛くも痒くも思わないため、余計にヘンドリクセンに対する扱いが時にぞんざいになることもわかっている。
なんだかんだ言っても、ヘンドリクセンはウォーレンを慕っているし、ウォーレンもヘンドリクセンを可愛がっているのだ。
周囲は、そんな二人のことをいまひとつよくわかっていないけれど。
「ふー」
まあ、そんなやりとりをどうにか終えて、ヘンドリクセンは夜の陣内を歩き回っていた。
本当は、とんでもなく疲れている。
今すぐにでも大の字になって眠りたいところだ。(実際には天幕の中に何人もの兵士がぎゅうぎゅう詰めなので、大の字になれるほどの広さがあるわけはないのだが)
夜番の兵士の中には、もちろんヘンドリクセンが知らない者もいるし、向こうだってヘンドリクセンを知らないことだってあるだろう。
その当然のことを思えば、どれほどこの軍が大きく育ってしまったかがそれだけで伺われる。
(しかし、ウォーレン様と長話をしてしまったな・・・眠る前に、ノーマンの様子かラウニィー殿のところへ行こうと思っていたのに)
それから、本当はもう一人。
しかし、その人物には明日でもいいな、と彼は思っていたし、一日の時間には限りがあるのだから仕方がないとも思う。
と、その時
「ヘンドリクセンさん」
なんと、ちょうど「その人物」がヘンドリクセンの後ろから現れ、彼に声をかけたのだ。
「おっ・・・これは・・・」
「まだ眠らないのですか。夜番だとはお伺いしていませんが」
「ゾックこそ、夜番ではないだろう。眠らなくて良いのかな?」
彼を呼び止めたのは、サムライマスターのゾックだった。
先ほどまではウォーレンと話していたため、ヘンドリクセンは自ら下手に出るしかなかったが、今度の相手は違う。
ヘンドリクセンは反乱軍の中でも最も古株としてビクターと共に認識されている人物であるから、ほとんどの人間がヘンドリクセンに対しては敬語を使って接してくる。
それがどうにもむず痒くて初めのほうは撤回してもらっていたが、今となっては立場を考えても仕方がない。
ゾックは先日までオハラ隊に所属しており、プリンセスの力を得たオハラの様子を観察していたヘンドリクセンにとっては、いまやそれなりに身近な人物となっていた。
が、しみじみと一対一で話をすることはあまりない。
その人物が何故自分を呼び止めたのだろう、と不思議そうに聞いた。
「何か用が?」
「えぇと。用というほど、はっきりとしたことでもないのですが」
むしろ、自分の方がゾックに会おうと思っていたのだ、とはヘンドリクセンは言わない。
「今、少しお時間よろしいでしょうか?それとも、さすがにもうお休みになられますか?」
「うん。大丈夫だけれど・・・もしかして、待っていた?」
「失礼とは存知ながら。ヘンドリクセンさんが地上部隊に合流してから、あれこれとお忙しいのは存じていましたし、きっとソニア様がお戻りになる前にお膳立てすることなどおありでしょうから、と思ったのですけれど・・・お役に立つことが、出来るならば、と」
そのゾックの言葉に、ヘンドリクセンは一瞬ぽかんとした。
それは、まるでゾックが、これからヘンドリクセンの方から話そうと思っている内容を知っているかのような言い回しだったからだ。
ゾックはそれに気付いて
「あ、ご、誤解なさらないでください。その・・・少しでしゃばりすぎだということはわかっているのですが・・・何をどうなさるおつもりかはわかりませんが、えぇと」
ゾックは、彼にしては珍しい口ごもり方をした。
二人は陣地内を歩き、天幕が並ぶ場所を通り抜け、夜番の兵士に挨拶をして、魔獣達が眠っている一角近くに抜けた。
「以前の自分であれば、多分ヘンドリクセンさんに声をかけないでおいたと思うのですが」
「うん」
曖昧な返事をしながら、ヘンドリクセンは(ゾックは、話そうと思えばこんなに話すのだな)と内心驚いていた。
彼が知っているゾックは、自分から誰かに対して言葉をつむいで、思いを伝えることをほとんどしない。
軍議その他で報告をする以外、オハラ隊と共に戦に赴いた時だって、彼はほとんどヘンドリクセンに対してあれこれと話しかけてくることだってなかった。
だからこそ、余計に意外に思える。
「実はわたしは、えぇと」
「うん」
「個人的に、ソニア様のお気持ちを煩わすことをしてしまいまして・・・」
「へえ」
相槌をうってから、ヘンドリクセンは己のその間抜けな声にすぐに恥じた。
いかにも好奇心丸出し、といった響きを伴ったことは否めなかったからだ。
それへ、ゾックは苦笑を返す。
「わたしがお役に立てることがあっても、もしかしたらソニア様はそのせいで、わたしにお声をかけてくださらないかもしれないな、と思いまして」
「ああ・・・そういうことか。別に、何故俺が先に地上部隊に戻ったのかを、ゾックは把握しているわけではないんだな?」
「わたしのような者が、そういった大きな話を予測出来るわけがありません・・・わたしが、ヘンドリクセンさんにお伝えしたかったことは、それだけです」
そういうと、ゾックは黙った。
つまりは、何かわからないがソニアといささか仲違いか何かをしてしまい、ソニアのほうから声をかけづらくなったのかもしれないとゾックは考えているのだ。
それによって、何かゾックが役立つことが出来る機会を、ソニアが見逃すのではないかと彼は心配しているのだろう。
(しかし、驚いた。ゾックがソニア様と個人的に何かしら話したり、そうそうしていることなんてまったく知らなかったしな・・・)
そして、そのことをゾックが人に打ち明けるのも、意外中の意外というものだった。
が、実のところヘンドリクセンからすれば、ゾックの「それ」は、やはり何かしらの予測で動いたことではないかと思われた。
いくら本人が「予測出来るわけがない」とは言え、こんなタイミングでことが運ぶのは気持ちが悪すぎる。
「ゾック」
「はい」
「多分、ゾックが思っているようなことは、ソニア殿はまるっきり感じていないと思う」
「・・・え・・・それは・・・」
ゾックの眉根がぴくりと寄せられる。
彼は多分、自分とソニアとの間におこったなにがしかのことを、ヘンドリクセンは知っているのか、と一瞬疑ったのだろう。
が、ありがたいことに、次のヘンドリクセンの言葉で、それが取り越し苦労であったことが判明した。
「実は、ソニア様からゾック宛に伝言をもらってきていて」
「!」
「ゾックから、助言をもらいたいのだけれど。ソニア様がいくつかゾックに聞いて欲しいと言っていて」
「・・・は・・・何か、お力になれるでしょうか」
ヘンドリクセンは周囲の様子を伺い、眠りについているケルベロス達の傍に腰を下ろした。
明け方になれば新米ビーストテイマーが魔獣達の様子を見に来るだろうが、、今はちょうど誰もいない。
ゾックもヘンドリクセンにならって、土の上に座る。
「今回の・・・竜巻の件ではなく、30人の離脱者の件で」
「はい」
「ずばり、30人の中に、離脱の煽動者がいたのかな。それとも、煽動者自身は、まだこの軍に残っているのかな」
ゾックは唇を引き結んでヘンドリクセンを見つめた。
ヘンドリクセンの方は内心、何故こんなことをソニアはゾックに聞くのだろうと腑に落ちない気持ちになっていたが、これはこれで彼の任務でもあるから仕方がない。
ゾックは以前はアイーダ隊に所属していたが、編成によっては時折部隊長にもなっている人物だ。しかし、軍内部の細々しいことには特に携わっていないし、オハラ隊に入ってから部隊長というくくりから完全にはずれたため、余計に一般兵と同じような立場になっている。
その人物に、何故そんなことをソニアが聞くのか、あまりヘンドリクセンは理解してはいなかったのだ。
だから、ゾックのところへ行くのは明日でも良いと後回しにしていたのは事実だ。
しかし、次のゾックの言葉には、今度はヘンドリクセンが驚く番だった。
「あくまでも、私見ですが・・・30人の中にいたと思われます」


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