重なる思惑-5-

「あくまでも、私見ですが・・・30人の中にいたと思われます」
そのゾックの言葉にヘンドリクセンは大いに驚いたのだが、咄嗟に平静を装って尋ねた。
「・・・何故そう思って?」
「三人ほど、気になっている人物がいたのですけれど」
「・・・え!?」
更に、ヘンドリクセンは驚いて声をあげた。
眠っていたヘルハウンドが一体、それに気付いて体を動かす。しまった、とヘンドリクセンは片目を細めてそちらを見てから、声を潜める。
「なんだそれは・・・ゾックは、そんな任務をソニア様から・・・?」
「いえ、違います。まったくそれは、ありません」
「じゃあ、なんで」
「・・・みんな、わたしが他人に関心がないと思っているようで」
小さくゾックは苦笑を見せた。
ヘンドリクセンは再び自らを恥じた。それは、ヘンドリクセンも似たようなことを思っていたからだ。
そして、ヘンドリクセン本人、自分もまた他の人間に関心がないのだと周囲に思われていることだってわかっている。だからこそ、余計申し訳ない気持ちになってしまったのだろう。
「わたしは、朝の鍛錬に、出来うる限り参加しております」
「あ、そう、だった、かな」
「それから、新兵が入軍する際に提出される履歴書は、ソニア様のもとへ提出される前にすべて一度目を通しております」
「・・・え?ゾックは、そんな役割があったか?」
話が見えずに、今度はヘンドリクセンが眉根を寄せた。
「カストロ峡谷後・・・オハラがプリンセスになった頃ですね。履歴書の清書を依頼されています。勉強中のソニア様にいくらか言葉の意味を教える機会があり、その時に書いた文字をソニア様が気に入ってくださったのと、文字が書けない者の分はもちろん、あまり綺麗な文字ではない物は未だ読みにくいとおっしゃっていたので、こちらから提案させていただき」
「それは初耳だな・・・」
「多分ご存知なのは、アイーダさんとテリーさん、オーロラさんぐらいだと思います。オハラの部隊に入ってから部隊長の任がなくなったので、いささか余裕が出来まして」
「ああ、確かに」
それにしても、驚いた。
ヘンドリクセンは自分が認識していたゾックという人物のことを考え直す必要がありそうだ、と心の中で呟いた。
「・・・気になっている三人というのは?」
「多分ヘンドリクセンさんはご存知ないと思いますが」
そう前置きをしてゾックがあげた名前を、残念ながらヘンドリクセンは知らなかった。
その三人を疑った理由をゾックに確認をすると、三人に共通することがあったから、と単純な答えが返ってきた。
「雇われた傭兵みたいなものなのか、そもそも帝国軍の人間なのかはよくわからないのですが・・・三人とも出身地はばらばらで、ゼノビア付近、マラノ付近、それからシャローム方面。確かに言葉のイントネーションもそれらしくは聞こえていたのですが」
「三人とは、面識があったのか?履歴書を書き写すだけなら会わないだろう?」
「読みづらい文字や不備があれば直接本人にも確認に行きます。まあ、それとは別で・・・三人とも、朝の鍛錬に、毎日ではないですが顔を出していたはずです」
朝の鍛錬についてはヘンドリクセンはまったく関与していないため、仮に三人が毎日鍛錬をしていても、ヘンドリクセンは見かけることすらなかったに違いない。
基本的にある程度の魔道が使える彼は、それに関する精進やらなにやらを必要とはしておらず、知識を吸収することや軍のことをあれこれ考えるほうが自分にとって必要なことと思っていたのだ。それに、魔道の鍛錬は武器の鍛錬とはまったく異なるため、余程のことでもなければ朝から鍛錬をする、という代物ではないのだ。
「三人は、軍に入った時期も違えば出身も違う。得意とする武器も違うし、性格も違って与えられた仕事もまったく違いました。だから、わたしも本当は特に気にするほどのことはなかったはずなのですが・・・靴が・・・」
「靴!?」
「ええ。彼らの靴が、ですね・・・もともと帝国領でよく売られている型だったので」
「・・・は?」
そういわれてもぴんとこない。
ヘンドリクセンは眉根を寄せた。
ゾックの説明によると、マラノあたりに流通している皮を使われているものの、帝国領でよく作られている靴の型だったため、少しばかり気になっていたのだという。
靴の形など、どれもそう変わらぬではないか、とヘンドリクセンが聞けば、かかと後ろで縫い合わせがあるかないか、つまさきの形はどうか、紐の通し方はどうか、など、それはかなり細かい部分に渡っての説明をゾックは丁寧にしてくれた。
「親戚が靴を作っていまして。今はもう亡くなってしまったのですが、幼い頃はわたしも靴職人になりたいと思っていたものです」
「へえ。でも、マラノあたりの材料で作ってるなら、型が帝国側から入ってきたってことだろう?おかしくはないと思うけれど」
「わたしの知る限り、靴の型に関しては旧ゼノビアの方が優れたものを作ってきたようですし、昔からグリーブですらゼノビア側の型が帝国側に流れていて、帝国軍とゼノビア軍は同じ型のグリーブを履いていたそうですよ。ゼノビア付近で最も流通している靴を愛用していると、その帝国の靴の型が馴染まない足の形になるんですよ」
「・・・そうなのか」
「その程度のことに気を回せない人間を帝国が派遣するのもおかしい話だと思い、最初は気にもしていなかったのですけれど・・・軍の何人かに、靴についてどの程度意識があるのかをそれとなく聞いてみたら、実はあまりみなさん、靴の型について気にすることがないようで。帝国中枢でお生まれのノルン様にお伺いしても、ぴんとこないことだったようなので、実はあまり知られていないことなのかもしれませんね」
「ふうん」
「まあ、靴のことが気になったのはたまたまのことで、いつもならば思い過ごしというか、些細なことだと思えることだったんですけれど・・・」
そのほか、朝の鍛錬時の細かいことや、そのうちの一人が他の人間に話していた内容をヘンドリクセンに説明をし、最後の決定打としてその三人が全員同時に離脱をしていることをあげた。
ゾックがあげた話はどれもこれも「別に気にするほどのことでもない」内容であったのだけれど、その「気にするほどのことでもない」ことをいくつも積み上げていけば、おのずと疑わざるを得ないということもヘンドリクセンはわかっている。
それにしたって、よくもまあ、ゾックはそんなに細かい情報を持っているものだ、とヘンドリクセンは唸る。
「よく、見てるんだな。人のことを」
「多分、よく見ています。よく見ていますが、見ているだけで何もしません」
「・・・だな?ゾックが人の動きに感化されたり、口出しするところなんて見たことがないし・・・人と話すイメージもあまりない。まあ、それは自分もそうなのだろうが」
「まあ、見ているといっても・・・こう、じっと目を光らせているというわけではなくて・・・ぼんやりと広い視野で見ていると、どこかで情報が引っかかってくるというか・・・ソニア様はそれをご存知だと思うので、ヘンドリクセンさんに伝言を頼んだと思います」
ぼんやりと広い視野で。
それは実は案外と難しく、たとえそういう見方が出来ても「情報が引っかかる」ことに過敏になれるかどうかはまた別だとヘンドリクセンは思う。
(もしかして、こういう人間だから、ソニアはゾックをオハラ隊に抜擢したのかな・・・)
ヘンドリクセンは正解を勘付いたけれど、それをわざわざゾックに聞く必要もないと思えた。が、事実、ヘンドリクセン自身「何故ゾックを抜擢したのだろうか」といくらか不思議に思っているところもあったので、なんとなくもやもやとしていた部分が明確になったように感じる。
「ソニア様は、ゾックのことをよくご存知なのだな」
「そうだと思われます。が、ご本人は、そうだとはっきりとは思っていらっしゃらないかもしれません」
ゾックがあげた三人が本当に扇動者だったのかどうかは、今すぐにはわからない。
が、三人全員かどうかは別として、彼がかぎつけたようにそのうちの誰かは間違いなくなんらかのことに関わっているのだろうとヘンドリクセンは当たりをつけた。
また、その三人以外にも誰かが潜入している可能性も捨ててはいない。
ヘンドリクセンは苦笑を見せた。
「しかし、そこまで気にかけておいて何もしないというのも、正直困惑してしまう」
そのヘンドリクセンの言葉にも、ゾックはまったく動揺を見せなかった。
普通ならば嫌味に聞こえるか、疑念を向けられていると感じ取って警戒をするであろう言葉。それへ、ゾックは静かに答える。
「確信が持てないことは、言わないことにしていますので。正直、今ですら確信に近いものは得ていません。わたしは、黙っていたせいで何かが起きることよりも、自分が口にしたことで何かが起きることのほうが恐ろしいと感じる性質なもので・・・確信さえ得られれば、ソニア様にはお声をかけるつもりでしたが」
「・・・仕方がないことだな。そればかりは。確かに、中途半端な情報を流されるよりは、その方が良いのだろう」
「とはいえ、今回はいくらか・・・もう少し、気にすればよかった、とは思いましたが」
「いや、それは高望みというものなのだろう」
ヘンドリクセンは空の月の位置を確認して、思いのほか長くゾックと話をしてしまったことに気付いた。
ゾックという人物のことを今までより知ることが出来たため、本当は他にあれこれと聞きたいことが膨れ上がってきたことをヘンドリクセンはわかっていた。が、あまりこれ以上長話をしていて、何かしら疑われても困る。
そう考え、まことに一方的であることを謝罪しつつゾックとの話を終えて、ヘンドリクセンは自分が休むべき天幕へと向かった。
ゾックのほうも、なんら気を悪くこともせず、ヘンドリクセンが歩くのとは違うほうへと歩いていくのだった。
 
 
トリスタン皇子とラウニィーが二人きりで話をした、という噂―事実ではあったが、尾ひれがついていればそれは完全な噂だろう―は、翌日になってようやくヘンドリクセンの耳に届かれるほどになった。それは、普段よりは大分広まるのに時間がかかっているようだとヘンドリクセンには思える。
昨日の時点でその噂は緩やかに流れていたようだが、「噂が流れているだろう」と知っているから感じられるだけであって、ヘンドリクセン自身が「噂が流れていることを知らない」でいたならば、きっと今日までは耳に届かなかったに違いない。
ヘンドリクセンは、普段はあまり話をしない女性兵士の中で、ゼノビア出身の人間を二人ほど選んで探りを入れた。
案の定、二人とも「ラウニィーさんがトリスタン皇子に取り入っている、といった噂は前から聞いている」らしかったが、昨日今日は回ってきた噂は、多少の尾ひれがついているものの、今まで聞いた噂話の中では「薄い」と感じられるようだ。
もしかしたら、ゾックが言う「離脱した三人」以外に、まだ同じような任務についている人物がいるのかもしれない。あるいは、そういった人物は既にいないけれど、もともと反乱軍内にいる者で、ラウニィーをよく思わないものが流しているのかもしれない。
その辺りの判断を今は出来ないけれど、少なくとも以前からこそこそとあることないこと吹聴して回っていたのは、既に離脱してしまった人間なのだと推測できる。
(もしかすると、完全にいなくなった、と思われることを恐れて、誰かが残って噂をしているのかもしれないし・・・こんな風にあっさりと手を引くとは思えない)
が、ゾックは他の人間の可能性を特に感じてはいなかったようだ。
とりあえず、ヘンドリクセンがソニアに依頼されて調べなければいけないことは、これであらかたわかったといえる。もちろん、ゾックの言葉が正しければ、だが。
今まで反乱軍内で噂を流してあれこれかき回していた人間は離脱している。
残った中にもいるかもしれないが、離脱した人間と同じほどの威力は発揮しないのだろう。
(しかし、そういった・・・なんというか、やり逃げ、のような。目的があまり端的ではないのは、いまひとつぴんとこないが・・・)
だが、多分、敵の目論見は成功しているのだろう、と思う。
かき回して、離脱者が出た。
離脱者を探して処分をするほどの暇もなければ人手も足りない反乱軍は、仕方なく離脱者を放置している。
それを、残った人間は目の当たりにしているわけだ。
何かあった時に逃げても、この軍では追及されない。追っ手がかからない。
それを、こういった大きな形で知らしめてしまった。
ちょっとした問題を起こして、一人二人が離脱する程度ならば、それを知る知らない者が分かれるし、いちいち「そういうことがあった」ということを軍の人間全員に知らせる必要はそもそもない。
が、軍全体の問題として明るみに出れば、それを隠すわけにもいかない。だから、今回は人々に知らしめるしかなかった。
(今後、自己都合で簡単に逃げる兵士も出てくるのかな・・・)
そういった小さなほころびは、いつか大きな穴になる。
ソニアが言うように、ダルムード砂漠前に抜ける分には良い。
考えなしの人間がダルムード砂漠の後に抜ければ、それは本人にとっても、軍にとっても歓迎しかねることになりかねない。
(それから・・・ソニア様があれほどに聡明ではなく、トリスタン皇子もまた、ゼノビアの人間のいいなりになるような人であれば)
きっと、事態はもっと深刻なことになり、反乱軍が分裂するのもそう時間がかからない、という状況にもなっていたのだろう。
この軍は、危ういバランスで成立している。
けれど、そのバランスをとるための人物が、個々にそれを認識して、常に気にかけている。
そのおかげで助かっていることがとても多いのだが、だからといってそれに頼りきりでいられるわけではない。
もう少し外堀を埋めることが出来ればいいのだが・・・などと考えながら、ヘンドリクセンは朝食後にとある天幕に足を運んだ。
朝食前には自主的な早朝鍛錬。朝食後は部隊に所属している人間は部隊長からの連絡を受けて一日の動きが決まるし、生活全般だけを手助けしている女性兵士などはオーロラを中心とした生活班をまとめる人間からの通達を待つ。
今は、それ以外の人間もまるで部隊のように班がいくつか作られ、伝達を行う時刻には必ずそれぞれの塊でひとところに集まることになっている。
ヘンドリクセンは、それに参加出来ない人物のもとへ訪れたのだ。
「ヘンドリクセンだ。入るぞ」
彼にしてははっきりとした物言いで、天幕に入っていく。
「ああ、ヘンドリクセンさん」
「あれ?ガストン?・・・ああ、一応連絡に来た、というわけかな」
「ええ、そういう建前で、見舞いをね。朝薬を飲むと、二度寝というか、短い間だけど寝ちゃうんですよ。もうすぐ起きるはずなんだけど」
ビーストマスターのガストンが天幕の中で胡坐をかいており、痛み止めの薬の副作用で眠っているノーマンの傍についていた。
呑気なことにノーマンは、怪我をしているからという理由でこの天幕でここ数日休んでいる。
あと一日二日でもすれば動けるようになるだろう、と医者に言われていることをガストンはヘンドリクセンに教えた。
「しかし、治る怪我でよかった。左肩だったか?」
「運もよかったんでしょうね、こいつ。結構無茶したんですよ」
そういってガストンは苦笑を見せる。
「もう一人、重傷負ったやつがいたんですけど、あんまりにあんまりな怪我だったんで、さすがに砂漠越えは無理って話ですね」
「あぁ、そのようだ・・・斥候役が減ると、レイモンドがまた苦労するなぁ・・・ううん」
ヘンドリクセンは少しへこたれたような声を出した。それを意外そうにガストンは
「脱走兵のせいで人数は確かに減りましたけど、そんなに困りますかね?」
と尋ねた。
ヘンドリクセンの「ううん」という唸り声は、レイモンドという有能な斥候役だけにあれこれ押し付けては、個人主義と呼ばれてしまうし、などと様々な思惑が混じったものなのだが、さすがにそれは他人にはわかるはずもない。
「戦力的には問題ないとは思うんだけどな。ただ、こう・・・いまひとつ、今の反乱軍はまとまりに欠けているので」
濁しながらヘンドリクセンがそう答えると、ますますガストンはわからない、という不思議そうな表情を見せた。
「そもそもの反乱軍は、あちこちから集まったやつらで作られていたし、最初は相当少人数だったじゃないですか。それを思えば、これくらい人数減ろうと、全然問題ない気がしますけど。まあ、ゼノビア軍だってなら、話は別でしょうけど、そうじゃないし、なっちゃったものは仕方ないでしょ」
「・・・うん。俺も、正直言うと、最初の少人数に戻っても幸せかもなあとは思うんだがね。もちろん、それじゃ当初の目的は達成できないけど、あれこれ面倒ごとが起きることを考えれば、軍は大きくなくても・・・ああ・・・駄目だ、愚痴だ、これは・・・」
そういってヘンドリクセンはうなだれて、深くて長いため息をついた。
ヘンドリクセンは別段ガストンに特別に心を開いているわけではない。が、ガストンもまたこの軍における古株と今は思われているほど、彼のいう「少人数」である頃からヘンドリクセンと共に働いている。それゆえの甘えなのだろう、とため息をついたヘンドリクセン本人は自己分析をしていた。
「・・・んだよ、人の枕元で、辛気臭ぇなぁ・・・ため息とかついて。何、ヘンドリクセンさんか。よう、久しぶり」
「ノーマン。おはよう。久しぶりだな・・・今回は難儀だったな。左肩はどうだ」
ガストンが言ったように、ノーマンが目覚めた。寝ている人間を起こすほどに大きな声で話していたわけではなかったので、自然に目覚めたのだろう。
少しぼんやりとした目をしているけれど、起き抜けにヘンドリクセンを見ても驚かないほどにノーマンの意識ははっきりとしていた。
「まだ、痛むよ。それよっか、空の方はどーなってんだ。みんな、戻ってくるのか」
「ああ、戻ることになる。ソニア様がシャングリラの移動を止め、落下してもとりあえずは下界には問題がない位置に停止している」
「・・・早く、リーダーが戻ってきたほうがいいぜ」
横になったままで、ノーマンはぼそりと呟いた。
彼がソニアと犬猿の仲―と、ノーマンが一方的に思っている――であることを知っているガストンもヘンドリクセンも、なんの風の吹き回しか、と彼の発言に驚く。
「どうして、そう思う?」
「竜巻なんてよ、自然災害だから、どーしようもねぇだろ・・・多分そりゃ、あのリーダーがいても、どうしようもなかったと思うぜ。だけど、みんな頭の片隅ではよ。もしかして、あのリーダーがいたら、竜巻もなんとかなったんじゃねーか、とか・・・そういうこと、どっかで思っていやがる」
そのノーマンの言葉に、ヘンドリクセンは眉根を寄せた。が、ヘンドリクセンの隣にいたガストンは「ああ」と小さな肯定の呟きを漏らす。
「・・・そんなわけはないのにな。ソニア様には
そんな力はないのに。わかってるんだけど、正直、俺も少しだけ思った」
「ガストン」
「駄目っすよね・・・俺達が、そんな風に思っては」
そう言って苦笑を見せるガストン。ヘンドリクセンは小さく「いや」と呟いただけで、ふっと物思いに沈んだ。
出来るはずのないことも出来るように思わせてしまう、あの赤毛の小柄な少女。
それらは根拠のない信頼ではない。
「そう思わせてしまう」のは、彼女がそれに値することを今までやってきているからだ。
そんな人間と比べられては、トリスタン皇子もたまったものではないだろう、と思う。いや、そもそも初めからその二者は比べられるべきものなのだろうか。
(トリスタン皇子の立場などを慮って立てるのも、早々に限界がきそうだな)
彼が昨日からずっと考えていた、反乱軍内の危ういバランス。
それは、ソニアの突出しすぎている能力と、トリスタンの「血」のみを優遇しようとする人間の浅はかな態度や言葉であっけなく狂うのだろう。
と、ヘンドリクセンのその物思いを破るように、ノーマンの口からあきれ返るほど素直な呟きが漏れた。
「オハラに会いてぇよ・・・」
ガストンは吹き出して「情けないな」と笑い、ヘンドリクセンはどう返事してみようかと困惑した曖昧な笑みを浮かべた。
 
 
話は遡るが、ヘンドリクセンのお膳立て、というか、トリスタンの要望というかで、ラウニィーとトリスタンが二人きりで話をする機会が作られた。
その前に、トリスタンが「ノルン殿に色々帝国の話を伺いたい」と申し出て、ヘンドリクセンを含む三人で(ウォーレンは退出したため)話をする時間もあったのだが、それについては特別噂になるようなことでもなかったようだ。
ラウニィーは、何故自分とトリスタンが接触をすると噂になるのか、という点については、誰に言われなくとも彼女自身が重々よくわかっていた。
帝国人がトリスタン皇子に取り入ろうとして、という噂は当然であったが、彼女はうら若き、そして美しい女性だったため「新生ゼノビア王国の王妃の座を狙っている」などと、えげつない疑いをかけられていたのだ。
二人は天幕の中で向かい合って――といっても、トリスタンはいくらか高座だが――地面に敷かれた板の上にかぶせてある布に尻を下ろしていた。
「ソニアの指示で、あなたと話をしろといわれていたけれど、どうやらヘンドリクセンの話じゃ、あなたのほうからも申し出があったとか?」
そういいつつラウニィーは天幕の中をぐるりと見渡す。
彼女はこうやってトリスタンの天幕に入ることは初めてだったし、そうやって不躾なことをしても彼は怒らない人間なのだと既に知っていた。
人々の噂はどうであれ、確かに彼女は既にトリスタンとは多少の仲になっていたため―それは、人々の期待を裏切るべく、ただの「仲間」という間柄だったのだが――気安くは話す。
「外から見たとおり、この天幕は広いのね。ゼノビア皇子の扱いは特別ということね」
「まいったな・・・君は、攻撃にきたのかな?」
「まあ、本気でそんなことを思ってるの?わたしがそういう人間だって、もうご存知だと思ってたのに」
ははは・・・うん、わかっている。そういう人だから、きっとソニアも君に不名誉な役割を頼めるのだろうね」
「不名誉ってほど不名誉じゃないわ。別に、こんなことは慣れています。
わたし自身のことを言われるのは、それが本当か嘘か自分がよく知っているから痛くないものよ。そうではない噂の方がずっと傷ついたりするものです。だから、いいの」
ラウニィーのその言葉を聞いて、トリスタンは少し驚いた表情を見せた。
それは、彼女が、彼女自身の噂以外で心を痛めた過去がある、と告白しているのと同じだったからだ。
きっとここにカノープスがいれば、「ああ、ソニアが言ってたのは、こういうことか」と納得したに違いない。
「それでも申し訳ない。君が僕なぞに取り入っているという噂は、こちらも聞いていて気分が悪いしね」
「噂をたてるには、わたしが適任だから仕方ないわ。帝国の女で、恋人もいなくて」
「王妃になるのに、信憑性があるほど、君は綺麗だしね」
「あら?そんなことを言って、何かあなたに得になるの?」
「え?」
ラウニィーは、呆れた、とばかりに肩を竦めた。
「それとも、あなたも何か、他のやつらとは別に、わたしを利用したいのかしら?それとも」
「ちょっと、待ってくれ。何だって?」
慌ててトリスタンはラウニィーの言葉を遮る。
「初めから、僕は言っていたと思うけど?君が、美しい人だって」
「・・・それ、本気で言ってるの!?」
動揺したラウニィーは声を荒げて、立ち上がろうとした。
「ちょっと・・・ラウニィー」
トリスタンは身を乗り出してラウニィーの腕をつかみ、自分の口の前に指を立てた。それは、子供を「静かに」と諌める親の仕草だ。
「喧嘩でもしている、と勘ぐられたくないよ。君と僕が仲が良いことにしたいんだろう?噂を立てるのに、さ」
「喧嘩をしていた、っていう噂でも良いんじゃなくて?」
「そっちの方が心外だ」
「腕、放して頂戴」
「あ、ごめん」
「違うわ。わたしが悪かったの。その・・・変ね、今まで容姿をあれこれ言われることなんて慣れていたのに・・・ああ、それは、どれも社交辞令だったからで・・・あなたのは」
「僕のは本当の賛美だけれど」
そういいながらトリスタンは自分の本来の場所に戻って、腰を下ろした。
「多分、過去に君が社交辞令だと思っていた中にも、本当の賛美は混じっていたと思うよ。ラウニィー・ウィンザルフ。君は、それに気付かなかった自分を、ちょっとだけ反省してもいいんじゃないかと思う」
「反省?」
「僕も今、疑われたことに少し傷ついているから」
そういいながらトリスタンは、手近にあったカップに入った茶を飲み干す。ラウニィーは少しの間、彼の言葉の意味を考えて
「ごめんなさい。褒められることに慣れていないの。家では甘やかされて育ったけれど、外では悪意の混じった賛辞しかもらえない気がして。あなたを疑ったのは、悪かったわ。そういう人じゃないとわかっているつもりだったのに」
と、頭を下げて素直に謝った。
美しい金髪がさらりと彼女の肩から零れ落ちるように流れる。
その様子をトリスタンは両目を細めて見つめ、改めて彼女に言葉を送った。
「きっと、君が美しいのは、容姿だけではないね。でも、今はまだそれを称える時期じゃないんだろうね」
「時期?」
「まだ、君の事を知らない・・・くせに、と言われそうだからね。後の楽しみにしておくよ」
「?あなたは・・・どうやらわたしが思っていたより、なんか、こう・・・曲者?っていうの?それ、よね」
そのラウニィーの言葉にトリスタンは噴出して、声を大きくして笑った。
ラウニィーの方は、一体何を笑われたのかわからず、ついにこの皇子は重責で気がふれたのか、と眉根を潜める。
「あはっ・・・はは、ごめんごめん・・・それは、本人を前にして使う言葉じゃないだろう・・・はは、面白い人だ。君とソニアが仲が良いのが、わかる気がする」
そういうとトリスタンは立ち上がって、天幕の出入り口に近づいた。
一体何を、とラウニィーが腰を浮かせると、彼はそれを片手で制して
「何か、一杯飲んでいってくれるだろう?帝国の話を、少し聞きたいんだ。その時間はあるかな?」
「・・・ええ、大丈夫よ。わたし、これといって何をしろと言われているわけでもないし」
「じゃあ、決まりだ。僕も、今はウォーレンがおおよそやってくれているから、ソニアが戻ってくるのを待つだけの身だ。甘いお茶がいい?甘くないお茶がいいかな?それとも」
「贅沢でごめんなさい。もし、いただけるなら甘いお茶で」
「僕の方が贅沢をさせてもらっているのにね、謙虚な人だ」
そう言って小さく笑うと、茶を持ってくるように頼むため、トリスタンは天幕の入り口から顔を出す。
彼のその様子を見ながら、ラウニィーは『面白い人は、あなたの方なのに』と内心呟き、軽く肩を竦めて見せた。
もちろん、ラウニィーのその素振りにトリスタンは気付くことはなかった。
 
 
さて、そろそろシャングリラから離れる準備をしなければいけない、という頃。
ソニアは、ぐるぐると考えていた。
今、必要な決断がひとつ。その決断がなかなか出来なくて、部屋にこもったまま延々考えている。
彼女が外に出たがらないことは珍しく、その様子に気付いたギルバルドが顔を覗きに来たが、なんでもない、考え事があって、の一点張だ。
そんな彼女がついにサラディンを呼び出したのは、夕食の時間だった。
シャングリラ宮近くの野営地で暖をとっていたサラディンは、ソニアのその珍しい呼び出しに眉を寄せた。
何か、よくない話か。
彼がそう思うのも無理はない。
ソニアが前触れなしにサラディン一人を呼び出すことなぞ珍しかったし、しかも、夕食時にも彼女は野営地に戻らないまま部屋に閉じこもることはもっと珍しいと思える。
ランスロットは別件で近くの町を訪ねていたため、ソニアが長い時間こもりっきりであることを知らない。
報告に行った時、いささかいつもの精彩を欠くとは感じたようだが、受け答えには何のおかしいところも感じられなかったため、「疲れているならば、早く休むといい」とだけ告げて退出をしてきた。
そんな彼でも、兵士が「ソニア様がお呼びです」とサラディンに声をかけるところを目撃すれば、一体何事が、と心が揺れる。
(なんだ、何か、あったのだろうか)
ランスロットが困惑する様子に気付いたか、ちょうど近くにいたサラディンは軽く手をあげて
「そういうことも、あるのだろう。魔道についての話やもしれぬ」
と、彼の懸念を打ち払うように告げて去って行った。
そう言われたランスロットの方は、見るからに自分が不安そうな素振りをしたのか、と恥じ、心を落ち着けようと静かに息を吸った。
シャングリラの移動についてのことや、ラシュディのこと。
サラディン個人がソニアに呼ばれる内容など、いくらでもランスロットは考えられる。当然、ランスロット以外の人間でも、「そういうこともあるだろう」くらいに気にすることはないに違いない。
(わたしの気のせいかな・・・)
永久凍土でソニアの過去を知り、共にミザールとの謁見に立会い、ランスロットは自分がソニアに更に近づいたような気がしていた。その「近づいた」がどういう意味でのものかまでは気にすることはなかったが、今まで曖昧に濁されていた様々なことが明瞭になり、より一層身近に彼女を思える気がした。
体の変化についても経過は順調で、特に支障もないようだ。
後は地上に戻るだけ・・・というのに、彼は自分の心中に広がる不安感に眉をひそめた。
(何が、ひっかかるんだろうか・・・彼女とのやり取りで、何か気になる発言があっただろうか?)
思い起こしても特にはない。
彼女がサラディンを呼ぶ用事に関して、まったく何もランスロットには知らされていなかった。だから、気になるだけなのだろう。
(そんなことは・・・わたしは、別に彼女と四六時中一緒にいるわけでも、全てのことを相談される身分でもないし・・・)
当たり前なのだ。それは。
けれど、それがなんだかもどかしい。もどかしいだけではなく、不可思議な不安感に苛まされ、ランスロットは眉を潜めた。
 
 
ランスロットのそんな懸念をいくらかは感じているのだろうが、サラディンは『どうしてソニアが呼んでいるのだろう』ということを思い巡らす方に忙しかった。
野営はシャングリラ城の前で行っているとはいえ、いくらかの距離はある。
そんな距離を、しかも夜。
この状況でソニアがサラディンを呼ぶということは、実はサラディン本人にとっても意外なことなのだ。
サラディンは反乱軍の中ではかなり高齢であったし、肉体派とは言い難い。
同じく高齢のウォーレンは「年寄りは早寝するものだ」なんてことを言って早々にいつも天幕に篭って、その実はゼノビアの関する執務をあれこれこそこそとしている。
そのせいで当初は「サラディンも夜は早いだろう」なんて思われていたものだが、彼は夜番も務める年寄りだ。
だからといって、よる年波には勝てないのも事実。彼は時には術を施して、半分寝て半分起きているというソニア言うところの「インチキ」でそれをこなすこともある。
いかに彼が「自分は大丈夫」と言っても、多少ソニアが彼をいたわってくれていることを彼自身は知っていたし、反面人使いが荒いことも知っている。
だから、突然の夜の呼び出し、しかも同じ砦にいるわけではない状態となれば、サラディンとしてもいくらかは「珍しいな」と咄嗟に感じたものだ。
が、彼がそれをしみじみ考えるよりも先に、近くにいたランスロットが「何事か」といわんばかりの反応を見せた。
そのせいで、というか、そのおかげで、サラディン自身はまるで何も驚いていないかのように振舞うことになったというわけだ。
シャングリラ城ではソニアの護衛という形で城の外と中に見張り兵士が交代でついている。また、「いかにも」な場所にはいないけれど、他にもあちらこちらに兵士は派遣されていた。
わかりやすい見張り兵にだけ軽く挨拶をして、サラディンはソニアの部屋に向かった。
コンコン、とノックを二回。「開いてるぞ」という呑気な言葉が返され、サラディンは扉を開けた。
「ごめん。夕食、食べ終わってた?」
「うむ。心配することはない。ソニアは食べたのか」
「あー、考え事してたらこの時間になっちゃって。もう少ししてから食べる。なんか、お腹減らなくて・・・やっぱり、動かないと駄目だね」
「ふむ。普段の運動量を考えたらそうかもしれぬな」
ソニアはサラディンに椅子を勧めた。
考え事をして机の上に突っ伏したりもだえたり、髪をかき回したりしていたのか、なんだかソニアの服は少しよれよれで、髪も縛っている束からあちらこちら飛び出ている。美しい内装のシャングリラ城に失礼と思わずにはいられない、その惨憺たる様子を見て、さすがのサラディンも呆れ声を出した。
「ソニア、もう夜とは言え、鏡を一度見たほうがいいぞ」
「え?」
「この年寄りに指摘されるほどに、ひどい」
「ひ、ひどい!?」
ソニアは驚いて、きょろきょろと辺りを見回した。それは、この部屋に鏡はないのか、という動きだろう。
やがて、ベッド用のサイドテーブルだと思っていたものが、実はテーブルの板部分―表面に色々彫りが入っていて『物が置きにくいな』とソニアが思っていたものなのだが――を上に開いてドレッサーとして使えるものだと気付き、「わあ!」とソニアは間抜けな声をあげる。
そして、上に板を起こして現れた鏡に映った自分を見て
「・・・これはひどいな!」
と、まるでひとごとのように驚いた。
その一連の様子を見ていたサラディンはくっくっく、と笑い、『ランスロットに見せてやりたかったものだ』と意地の悪いことを思うのだった。

 
 

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