重なる思惑-6-

陣営に戻ってきたサラディンは、ぐるりと辺りを見渡した。
やきもきして待っているかと思っていたランスロットの姿が見えない。
ソニアに呼び出されているわけでもない時で、活動が盛んでない時間帯に彼の姿がいないということは、周囲の様子を見に行っているに違いない。
「サラディン様、温かい飲み物などいかがですか」
ちょうど通りがかったところで湯を沸かしていたオハラが声をかけてくる。
「ああ、ありがたい。白湯を一杯」
サラディンは硬い土の上に座って、オハラからコップを受け取った。
「どうぞ」
「ありがとう」
夜はいささか野営だと冷える。
天幕に入って毛布にくるまって眠ればそうでもないが、外で見張りをしている兵士達には定期的に温かい飲み物を配ることもあるし、個々の判断で火にあたりにくることもある。
オハラはそのための火に薪をくべ、湯をわかしていた。
「オハラは、プリンセスの力に、慣れたのかね」
いい機会だ、とばかりにサラディンは問いかける。オハラの方は、そんな質問が来るとはこれっぽっちも思っていなかったため、無防備に驚いた表情を見せた。
「え・・・と・・・そう、ですね。使いこなせているかはよくわかりませんが、違和感が薄くはなってきています」
「それは良いこと・・・と言っていいのかは、わからぬが・・・いや、良いのだろうな」
ほんのわずか。サラディンがカップに口をつけて、口の中を熱い湯で湿らせる間。
オハラは無言でサラディンを見ていたが、やがてためらいがちに返した。
「良くない、のでしょうね・・・きっと。プリンセスの力を持たなかった頃の自分を思い出せなくなってゆくのは、少しだけ怖いです」
「・・・うむ」
「サラディン様、ソニア様もそうだったのでしょうか。それに・・・ご高名な方にこのような無礼をお許しいただきたいのですが・・・サラディン様も、そうではなかったのでしょうか?」
サラディンは、このオハラという女性兵士のことを個人的にはそう深くは知らない。
が、努力家でソニアをとても慕っているらしいということは、噂でちらりと聞いている。
ドリームクラウンという名のマジックアイテムを使うことで、彼女はプリンセスという特殊な称号を与えられ、新たな魔法力を得た。
オハラは外見こそはそれなりに整っていたかもしれないが、プリンセス、という語感が持つ華やかさとはいくらか離れた存在だ。
けれども、その力を得てからの働きぶり、目立った力を持ちながらの謙虚さや控え目さは、まったく人を不快にさせない。それは、稀なことだとサラディンは知っている。
力を突然得た者に人は嫉妬をするし、こと同性からのやっかみは「不快にさせない」ということですら攻撃対象になる場合もある。けれど、彼女には間違いなく人徳というものがあり、その上、それは他人の目からあからさまには映らない「ほどほど」のものなのだろう。
(ソニアは、良い娘に目をつけたものだ)
そこいらの町娘のように見えても、どこかに確かな品格というものがあるのだ、とサラディンは思う。
そして、他人を思う想像力も正しく持ち合わせているのだな、と彼は心の中で呟いた。
「オハラやソニアのように、突然大きな力を手に入れたのとはわたしは違う。そういうものになろうと日々を費やし、少しずつ少しずつ、そういうものに近づいてきただけのこと。そして、結局自らがなろうと、なし得ようと思っていたものは、時の経過によっては不必要になったり、形を変えたりと移ろっていくもので、未だ届かぬよ」
「・・・」
「変わってしまった自らを、嘆いているのかね」
「・・・いいえ、決してそのような」
「年を経れば、今の自分ではない自分の方を強く思いだし、一体今の自分は何者なのかと逆に問う時期も来る。今は、プリンセスとしての力を得て、それに慣れてしまった自身の体感を深く刻むが良いよ。それは、過去の自分と比較するようなものではなく、今の自分自身を更に正しく自分自身として受け入れることが必要だからだ」
オハラは静かにサラディンの言葉に聞き入っていた。
と、その時、オハラの後方にランスロットが歩く姿を見つけ、サラディンはぴくりとあごを上げる。
すると、ランスロットもまたサラディンの存在に気付いたようで、方向を変えてこちらへと近づいてきた。
「サラディン殿。お戻りでしたか」
「うむ。今、時間はあるかな?ソニアにとっては本意ではなかろうが、いくらか、卿に伝えたい話が」
オハラは気を利かせて腰を浮かせようとした。それへサラディンは軽く手を振って
「いやいや、どくのは男2人の方だ。兵士が夜の寒さをしのぐための湯だろう?それは、我々のような者達が囲んでいては、誰も来なくなってしまう」
そう言うとゆっくりと立ち上がった。
「サラディン様、ありがとうございます」
オハラはそう言って、頭を垂れた。
それへ「礼を言われることは何も」と軽く答えると、サラディンはランスロットと共にその場を離れるのだった。
 
 
2人は陣営の隅に行き、サラディンはちょうど倒れていた古い木の幹に腰をおろした。
その前にランスロットは土の上に座る。
彼ら二人の所在がわからなくなるのは問題なので、数名の兵士には軽く声をかけてきたが、既に帝国軍がいなくなっているこのあたりに、何かしら奇襲等があるとは思えない。
それゆえに、こうやってゆっくり話が出来ることはありがたいことだ。
「そう改まってする話でもないのだが、一応、他の兵士達にはまだ聞かせられぬ話でな」
サラディンはそう前置きをすると、話を続けた。
「言ってみたら、スルスト様がいらして」
「スルスト様が」
「カオスゲートについてのことと、シャングリラの移動のことで、いくらかソニアから相談があった」
ランスロットは軽く眉根を寄せた。
それは、まったく彼にとっては初耳―シャングリラrの移動のことはともかく――で、これっぽっちもカオスゲートのことを何かソニアが考えている素振りなぞ、彼は感じ取っていなかったのだ。
もちろん、今までだって必ず彼女が考えていることをランスロットが把握していたわけではない。
だが、今は地上部隊と分断され、ソニアの一番近しい相談役はランスロットだ。
たとえランスロットに答えられぬ問題でも、ソニアが漏らす方が自然だと思われる。
「わたしが、お伺いして良い話なのでしょうか」
仕方なく、ランスロットはそういった物言いで返す。
出来るだけ、拗ねた声音にならぬように、と気を使って。
ソニアは、ふと思いついて我々を呼んだよう
だった。そのうち、ランスロットにも話がいくことだろうと」
穏やかに老いた妖術士は答える。それならば、とランスロットは呟きに近い声と共に頷いた。
「今まで発見しているカオスゲートは、ありがたいことにゼノビア寄りのものばかり。が、まだ発見していないものがあるのでは、という話でな」
「・・・スルスト様がおっしゃるには、アラムートの城砦付近にあると」
「うむ。そして、ダルムード砂漠を渡る前には、アラムートの城砦を越えなければいけない。それは、誰しもが知っていることだ」
「帝国にとっての最終防衛ラインでしょうから。しかも、その西はすぐに砂漠が広がっている」
「そう。しかし、ソニアが聞きたいのはそういうことではない。もっと、帝国中央にはないのか、と」
「・・・それは・・・ラシュディが、帝国側にあるカオスゲートを使う可能性を・・・?」
「いくつかの理由はあるのだが」
サラディンの話によると、今現在ソニアがブリュンヒルドの力を使って発見出来ているのは、カストロ峡谷のカオスゲート。ガルビア半島のカオスゲート。後は、ムスペルムとオルガナ、要するにフェンリルとスルストの居住区というわけだ。どこかには、シャングリラに続くカオスゲートがあるのでは、と予測されていたが、それを発見することが出来なかったため、ソニア達は人力ならぬ魔獣力、有翼人力でごり押しをして空を飛んできた。
が、もしもラシュディがシャングリラへのカオスゲートを、帝国中央で発見していたら。
実際、捕らえられていたデボネアは気絶している間に運ばれたと言っていたし、ソニア達に投降をした帝国兵達に至っては、なにやらガレスに術らしきものをかけられ、気付いたらシャングリラにいたという話なのだから、それはあり得る。

帝国側がもう一度シャングリラに、そのなんらかの手段を使ってきたら。
そのことは、すでにサラディンだけではなくランスロットにも話をしていたことだった。
「しかし、それは・・・サラディン様が、魔道での罠を仕掛けて感知するということで・・・」
終わった話ではないか、とランスロットは続けなかった。
そういう事態を見越して、シャングリラの人々にしてみればとんでもないことでもあったけれど、「落下しても地上に被害が少ない」場所にシャングリラを停止させている。
ソニア達はこれから帝国中央に向かうのだから、たとえシャングリラがまた移動している、ということになっても、そう簡単に引き返してどうにかすることが出来ない。
その措置は、出来るだけ時間を稼ぐためのものだ。
また、何者かが再び、ソニアが操ることが出来る制御盤を動かしたら、すぐさまサラディンがそれを感知するような魔道の結界を作ることにもなっている。
サラディンいわく、今のラシュディであれば「それを触れられていないという嘘の信号を送りながら、それを解除出来るかもしれない」とのことだったが、やらないよりはましだとソニアが決定をした。
そういうわけで、反乱軍側としては、再び帝国軍が帝国側にある「のではないか」と思われているカオスゲートを使ってシャングリラに来る可能性については考えていたのだ。
「うむ。ソニアが今日わたしに話したのはそのことではなくて・・・逆に、その帝国側のカオスゲートを使えないか、という話でな」
「それは・・・こちらから、攻め込むことに使う、とか?」
「いや、それではあまりに軽率」
「それに、カオスゲートはブリュンヒルドの力で道を開くのだから、ソニアが使うということに・・・」
「逆に、帝国側から、戻る時に」
「・・・!」
ランスロットは驚きで軽く眼を見開いた。
そんな発想はなかった。
しかも、とうにソニアの頭の中では、帝国側から戻る――それは、凱旋の時だ――ことすら考えられているのか、との驚き。
今から攻め入ろうとしている敵を倒した後のこと。しかも、一日二日どころか何ヶ月単位での行軍がまだ続くというのに。
「使いたいのに後から『ああしておけばよかった』とするのには、カオスゲートは勿体ない、と言っていた」
「確かに・・・利用できるものは利用した方が良いことは明白ですが」
「とはいえ、どうもこのシャングリラには、カオスゲートらしきものがみつからぬ。スルスト殿も、ここには自分達三騎士も自由に出入り出来ぬし、カオスゲートはないような気がするという話」
「ふむ・・・」
「本当はシャングリラにあれば、今、この場所はゼノビアに案外と近いゆえに、何かあった時にソニアがトリスタン皇子をゼノビアに連れて行く近道となるのではないかな、と思ったが、そのあては外れたかもしれない。わが師であるラシュディがどうやってシャングリラに帝国兵を送ったのかはわからないが・・・そもそもブリュンヒルドの力なしでカオスゲートを開くほどの魔力があるのだから、何が起きても今はわたしは驚かぬよ」
そういってサラディンはふう、と息をついた。
が、自分の話が横道にそれたことに気づいて、少しばかり目を見開いて慌てたそぶりを見せた。
「いやいや、その話は置いておいて・・・そんなわけで、帝国側にカオスゲートがある可能性はいかほどかな、という話し合いをしていたのだよ。スルスト殿は、どうも大陸の西側にはあるような気がしないということなのだが・・・カオスゲートはこの大陸の中央部に存在していたような話を聞いたことがあると。極端な東部、西部にはないという・・・ホーライが関係しているのか、その辺りは何ひとつ確信がある話ではないのだが」
結局は、あまり進展のない話となったのだ、とサラディンは残念そうに告げた。
だが、スルストが言うようにアラムートの城砦付近にカオスゲートがあるとしたら。
それは、どこに通じるのかと言えば、天空都市だ。
既にソニア達が訪れているムスペルムか、オルガナか。
ここ、シャングリラか。
あるいは・・・
「三騎士の、フォーゲル殿の居住区」
「そうなるだろう。三騎士はそれぞれ、カオスゲートなぞ使わずに行き来出来る方法があるらしいが、それはお互いが『開いた』状態である場合のみらしく」
「開いた?」
「ああ、ちと難しいな。その説明はちょっと今は長くなるのでそのうち」
サラディンは馬鹿にした風ではなく、ゆったりとそう言った。
要するに、天空の三騎士のあと一人、フォーゲルがいる天空都市に行くカオスゲートが帝国側にあるとしたら、ソニアと限られた人数だけがカオスゲートを使ってゼノビアまで戻る時間を縮められるのでは、という発想らしい。
フォーゲルは特に主だった動きを今は見せていないが、サラディンが言うように「他の天空都市について開いた」状態ではないようなので、ラシュディに操られている線が濃厚だという。
フォーゲルを元の状態に戻して、かつカオスゲートが帝国側にもあれば・・・
「まず、帝国側から、フォーゲル殿の居住区へ。そこから、各天空都市に移動して、ムスペルムからカストロ峡谷へ。これが今現在の最短ルート。まあ、欲を言えばカストロ峡谷というのも位置としては微妙だが、少しぐらい迂回するルートの方が安全かもしれぬし」」
「たとえ、帝国側にないとしても・・・スルスト様がおっしゃるようにアラムート付近にあれば、砂漠を越えた後の移動だけは楽になるのかな」
そのランスロットの呟きには、サラディンは首を横に振る。
「それは、あまり旨みがない。砂漠を越えなくて済むというのが最大のメリットだろう」
「もちろん、わかっている。ふむ・・・となれば、何も動きがないからフォーゲル殿のもとへ行くことは急いでいなかったが・・・何ぶん、カオスゲートが見つからなければ我々は行けないのだし。しかし、アラムートでカオスゲートを探す必要があるのだな」
「どちらにせよ、砂漠を渡る前には、アラムートを撃破しなければいけない」
ランスロットは口を閉ざして、何かを考えているようだった。
サラディンはその様子をしばらく見ていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「まあ、そういうわけで、どれも推測や想像、こうだったらいいなあという願いの話。ソニアの話は相当まとまりがなかったが、あれでまとまれば貴公にも話が行くだろう。時間を取らせて申し訳なかった」
「あ、いや、こちらこそ。気を使っていただき・・・ありがとうございます」
ランスロットも立ち上がり、丁寧に一礼をした。
陣営中心にある、火が焚かれている方へとサラディンは歩きだす。きっと彼はこれから眠るのだろう。
ランスロットは、サラディンの後ろ姿を見送って。
 
 
(まあ、ここまでの情報を与えておけば、いずれはおのずとわかるだろうかな・・・)
歩きながら、サラディンは心の中で呟いている。
そもそも、ソニアに呼ばれて何か話があった。それをランスロットに説明する必要なぞ、ほとんどない。
ソニアが口止めをしなかったということは確かだが、それは誰かれ話しても良い、という意味でもない。
普通は、さらりとかわしておく。
カオスゲートについて聞かれたので、スルスト殿と共にその話をした。
それだけで良いのだ。
(我々の前に立ちはだかるのは、砂漠。そして、越えればもともとからの帝国領が広がる。ソニアは多分、ランスロットにも話したに違いない。砂漠に行く前に離軍するならば、その方が良いと。この先はまた、今までの進軍とは違うと彼女が思っていることは、いくらなんでも伝わっていよう)
ソニアは考えている。先を見越しながらも臨機応変にその時その時の最善を尽くすために。
今回の離軍騒動その他で、ソニアの心にはなんらかのひっかかりが出来たのだろう。
だから、一人で悶々と考えた。
ありがたいことに考える時間はあった。
ソニアは時折こうやって、怪我をしたり、体調を崩したりなんだので、普段は少しも余っている時間がないのに、突然ぽっかりと時間を得ることが出来る。
その時に、彼女はベッドの上でも、部屋の床の上でも、何かしら考えることを止められないようにサラディンは思う。
そして、それはこの旅で培われたものであるが、彼女の気性の変化に影響されているのではないかとも考えていた。
(剣を振るうのは、鍛練だ。確かに彼女は肉体的にも俊敏さに恵まれ、幼い頃からあれこれ教え込まれて叩き上げられてきたように見える。それは、すべてが訓練であり、彼女自身意識的に鍛練し続けていることだ。たとえ、自分が戦で先頭に立って戦わなくても良い状況になっても、きっと止める事はないだろう。だが、それは才能ではない。『そうするのが当たり前』という習慣を身につけただけのこと)
サラディンは、今のソニアの一番の能力は「深く鋭く考え、けれども偏りの自覚があること」だと考えている。
リーダーらしい振舞いが出来るようになったのは、経験値もそうかもしれないが、「自分がこうであれば、人々は楽だ」とか「こうであれば、人を使いやすい」などの考える作業を怠っていないからだ。
しかし、ソニアは反乱軍リーダーとして初めから「考える」作業が出来たわけではない、とサラディンは聞いていたし、それは、彼がこの軍に所属をした当初のことを考えてもそうだと思えた。
ソニアは、もともと深く考えることに向いていなかった、はずだ。
それが、己が手にした力のことを真っ向から理解をしなければいけなくなったり、魔界への扉を開いていたガルフとの戦いを経たりと、「普通」ではないことに日々晒されているうちに「直感を頼りにするだけでは、心もとない。考えなければいけない」と意識が変わったのだろうか。
あるいは、トリスタン皇子を反乱軍に引き入れたことで、彼女の傍に常にいたランスロットが離れることも増え、とはいえ「自由になるわけではない一人の時間」が増えたせいだろうか。
今のソニアは、深く考えるということが出来る、非常に聡明なリーダーになりつつあるとサラディンは感じていた。そして、それを誰に指導されたわけでもなく、正しい方向で行えるというのは、実はそういう才能が眠っていたのだ、としかサラディンには思えない。つまるところ、鍛錬の結果であっても、もともとその要素は彼女の中にあり、才能の芽が出る環境を待っていただけなのだ。
若い力というものは、時に恐ろしい、とサラディンは唸る。
ソニアの才能や長所と思われるものは、とても相手にわかりづらいものばかりであるし、短所に隠れがちだ。しかし、ひとつひとつを掘り下げていくと、人の上に立って戦を行う人間としては、驚くほど「向いている」のだとわかる。それは稀なことで、ランスロット達ですら予測していなかったであろう、幸運だ。
そして、頭が良い人間が陥りがちの、考えた末の思い込みにソニアはあまりならない。そうなる手前でいつも「・・・なーんて、そうはならないことだってあるからなぁ」と自分の先走りを抑えることが出来る。
なる時は、個人的な感情に振り回される時――しかも、なかなか濃い話が多いのが難点だ――だけだ。
そんな彼女が考えて考えた末に出てきた「カオスゲートを使って帝国から戻れたら」という提案。
それは逆に「では、それが出来なかったら?」という質問と背中合わせだ。
ランスロットは、それに気づくだろうか。
そこまでを、今サラディンが教える義理なぞなかったのだということを、後からわかる時が来るのだろうか。
(どちらにせよ、アラムートの城砦を落として砂漠入りをする前にはソニアの決断が下されるだろう)
サラディンは、夜番の兵士に指示を出しているビクターを見かけた。
最近サラディンが可愛がっているヘンドリクセンと同じく、古くからソニアと共にいた兵士だと聞いている。
良い働き手だ、と感心する反面、それでも彼では足りないのだ、ともサラディンは思う。
(誰が、ランスロットの後釜となり得るだろうか・・・わたしには、誰もいないような気がしてならぬ。ランスロットがゼノビアの騎士でさえなければ、また話は変わっていただろうに)
深い溜息。
誰も、誰の代わりになるはずなぞない。
そんなことはわかっている。
けれども、「誰か代わりに」と思われる人間というものは、重要なポストにいるものだとサラディンは知っている。
そうでない人間であれば「みんなで彼の分も」と、複数人の尽力だけでどうにかするという発想が出るのが普通なのだ。
それを「彼の代わり」と考えるということは、周囲の少しずつの力だけでは、決して今の彼のポストを補うことが出来ないということだろう。
(ソニアからの信頼。その信頼に耐えうる者。誰からも評価される戦での実力。勤勉で重労働を苦と思わず、誰よりも働く者)
それだけで既にランスロットの代理になるものなど、反乱軍にはいないとサラディンは思う。
(更には、戦以外のことにもある程度の能力は必要とされるし、人当たりも良い。いささか頭が固かったり縛られている部分は個性で済ませられるからいいとして・・・なんにせよ、ソニアに厳しく、そして優しい者が必要だ)
サラディンは自分が眠る天幕の入り口の布を引き上げて、暗闇の中ごそごそと腰を下ろした。
決して広くない天幕で目の慣れぬうちにローブを脱ぎ、片隅においてあった毛布をひっぱりながら苦笑をする。
(なんだ、まるで、ソニアの婿候補でも探しているようだな)
天幕の中で灯りをつけることもなく、サラディンは毛布をかぶり、丸めた己のローブを枕にして瞳を閉じた。
なるほど、ということは、あの聖騎士はこの戦時下においては、ソニアの婿としてなかなかのものということだろうか。
そんな阿呆くさいことを考えて、いい年をして自分は何を考えているのやら、とも思う。
(いっそのこと、『その時』が来たら、むしろ面と向かってウォーレンにたずねてみても良いな・・・。ランスロットを手放すとしたら、誰がその代わりになると思ってるんだ、と。あの爺も、決してソニアのことを嫌っているわけではなく、むしろ本当は可愛がっている。立場上それを表現出来ないだけで。あれはあれで、ゼノビアのことを優先しつつも、こちらが質問すれば正直に応えてくれる部分もあるし、対立すべき者ではない)
サラディンは毛布の中、暗闇の中で、次から次へと思考を巡らせる。
彼もまた、深く鋭く考えることが出来る人間の一人なのだ。
 
 
翌朝、早朝の自主鍛練を行っている兵士達の間に、ソニアの姿はなかった。
そして、朝食の支度がおよそ整った頃になっても彼女はシャングリラ宮からやってこない。
ランスロットは「いろいろ考えすぎて夜更かしでもしたのか」程度に思いつつ、ソニアの部屋に向かった。
シャングリラ宮前に警備についている兵士に聞いたところ、今日はまだソニアは城から出てきていない、とのことだ。
(寝ているんだろうか)
ソニアが寝泊まりしている部屋をノックする。
が、返事はない。
もう一度ノック。
女性の部屋に無断で入ることは気が引けるが、ソニアが寝ているとすればノックで起きないということは深く眠り過ぎている証拠だ。
それならば起こさなければ、とそっとドアを開ける。
「・・・む?」
室内には既にソニアの姿はなく、乱れたベッドのシーツにそっと手を触れても、そこにはぬくもりが残ってはいない。
(さすがに床で眠らず、良い子でベッドで眠ったか)
口端だけで軽く微笑み、ランスロットはすぐに部屋から出た。
城内にソニアがいるとしたら、後は彼女が行くところはひとつ、と彼は推測したのだろう。
先日ガレスを破った大広間。そして、その奥にある、シャングリラの進路を決定する不思議な魔法盤――という呼び名でサラディンは説明をしていたが、いまひとつその意味をランスロットは理解していない――がある小部屋。
きっとそこにソニアはいるのだろう。
高級そうな薄布で出入り口を軽く遮断しているそこに入る前に、すでに中に人がいる気配をランスロットは察知していた。
もちろん、中にいる人間も、誰かがやってきたことに気付いているはずだ。
「ソニア殿。わたしだ。ランスロットだ。入っても良いだろうか」
「うん」
ランスロットが来たことに関して、まったく意外だとも思ってなさそうなのんびりとした返事。
それを受けて、ランスロットは小部屋の中に入った。
ソニアは寝間着のままブーツを履いてブリュンヒルドだけ持っているという、なんとも貧相で情けない姿だった。ランスロットは一瞬それを咎めようとしたけれど、きっと彼女は着替える余裕もないほど、この場所に来ることに心が逸ったのだろうと、なんとかそれを押し留めた。
「シャングリラの高度を下げて、反乱軍を全部シャングリラに移動させて、それで砂漠を渡ったらどうかなぁ、と思いついたんだけど」
「何だと」
「ああ、もちろん、そんなことしたらシャングリラの人々から反感買うのはわかってるし、シャングリラの移動速度はほんっとゆっくりだから現実的じゃない。でも、ちょっと考えたし、移動速度もあげられるんじゃないかなーなんても思ったし」
「まさか、実験するためにここに?」
「しないよ」
ソニアはそう言って笑った。
「シャングリラをゼノビアに落とそうとしたラシュディがさ、それぐらいの用途しか思いつかないっていうのもお粗末だなーと思って。となると、実際、そのぐらいしか操作できないんだろうなぁとも思う。でも、一体何の為に、シャングリラは移動出来るようになってるんだろうね?」
「まったく、わたしなぞでは予想もつかない話なのだがな」
「あたしは、ブリュンヒルドの力やら、ティンクルスターによって認められた力だとか、そういうもののせいでこれを弄れる。すごく危険なことだよね。人の命を乗せた、大きなおもちゃを自分だけが動かせるっていう状態」
「物騒なことを言う」
「物騒でも事実だ」
そう言ってソニアは壁にとん、と背をもたれた。
「試されてる」
「・・・誰に?」
「さあ?シャルアーナかな?それとも」
「それとも」
「ラシュディに?」
「・・・」
「なーんて、そんなわけないか、とも思うけど。疑心暗鬼になっちゃってね。色々」
「そうか」
「その上、地上に戻ってまでも、あれやこれやと試されるよーなことをされるのは御免だ」
ふー、とソニアはため息をついた。それから、ランスロットをまっすぐに見る。
彼女のその視線は強く、何かの決意に満ちているようにランスロットは感じた。
それは、珍しく気圧される感覚。
「せめて、反乱軍の中では、これ以上試されたくないと思っている。試そうとあれこれ画策してくるのは相手の勝手で、それに対するこっちの行動であれやこれや言われる筋合いはないから。あまり言いたくはなかったけれど、トリスタン皇子を仲間にしたのも、旧ゼノビアの文官とかトリスタンに身を寄せようとしている者を受け入れたりしているのは、ウォーレンとランスロットの顔を立てているだけだ。どうにか、そういう人達とうまくやっていこうと思ってたけど、まあでも、それは、ここまで」
「・・・ソニア」
「もう、いろんなことをうまくやろうとは、あんまり思わないことにしようかと思う」
「それは・・・意味がよく、わからぬのだが」
「うん。あたしも、言っている意味を、実はよくわかっていない。でも、ランスロットに聞いて欲しいとは思って」
「ここにわたしが来ると思っていたのか」
「ランスロットがここに来なかったら・・・多分言わなかったな。ただ、決めてた。ランスロットが来たら、言おうかなって」
そういうと、ソニアはランスロットから視線を逸らして、操作盤を見た。
「どうも、反乱軍が背負っていくものが大きすぎるようだから、少し整理したり・・・手に入れた力やら何やらを、何の犠牲もなく有効に使うことを考えようかなぁとか・・・そういうことを漠然と考えていたら、結論はそれだけだったんだ。うまくやれるわけがないんだ、あたしは」
「何を弱気なことを」
「うまくやるんじゃなくて、出来ることをするってことと、やらなくっちゃいけないことをやる。手段がどーであれ、やる。ただそれだけで、実は精一杯な気がしてきて」
ソニアが一体何を突然そんな弱気なことを言い出したのか、とランスロットは眉根を寄せた。
その彼の表情に気付いて、慌ててソニアは
「あー、勘違いするなするな。気が弱ってるんじゃない。逆の発想したら、そうなっただけ」
「逆の発想とは?何の逆だと?」
「反乱軍の中をひっかきまわされるのを防ぐのに、あたしとトリスタン皇子どっちもの立場をどーにかわからせる、とかさ。やれ、シャングリラが落ちるからどーにかしなきゃ、だとか、間諜の誘導だかにひっかかって兵士だ大量に脱走した、とかさ。そういうのを防ぐのって、すごい面倒だし、今後もあると思うからさ。防ぐんじゃなくて、そういうことをどーでもよくするっていうか・・・いろんなもの抱えてるから、それらにくっついてる・・・ふずいしてる、っていうの?そういうくっついてきたものにそれぞれ問題が生じるし、くっついてきた何かと何かが摩擦しちゃって、また新しい問題が起きるもん。それを、これ以上抱えない方がいいのかなーと思っただけ」
ますますわからない、とランスロットは「うーん」と唸った。
「だけど、それは、抱えているものを捨てるっていう意味じゃない。問題が起きるってことは、あるべき場所にあるべきものがないから、そういうことになるんだ。たとえば、このシャングリラにはシャルアーナがいなくて、今はシャルアーナの庇護下にないからラシュディにつけいれられる。ミザールが天空にあるはずのキャターズアイっていうやつを持ち出しちゃうから、これまた問題になる。そういうものじゃない?」
「それはいくらかわかるが」
「だから、うまくは言えないけど・・・あー、もう。とにかく、そういうことを考えているんだ、って聞いて欲しかったんだ。ランスロットに」
「・・・今の話をまとめると」
「うん」
「ゼノビアの人間とは、もう、うまくやっていかない、という意味に聞こえる」
「巧くやっていかない、っていうか・・・今までとやり方を変えないと駄目なのかなぁ、とは思ってる。それで、それはゼノビアの人たちその話だけじゃなくて・・・今も、これからも、色々抱えていくだろう反乱軍に関わる厄介ごとまるごと全部の話。今までと同じようなやり方じゃ遅かれ早かれパンクしちゃう。それをウォーレンにも言わなくっちゃ。ゼノビア寄りの場所にいてこれだもん。これから先立場が変わる、帝国中心部に入ったら、余計いろんなことやりにくくなるんだよ?」
ソニアが言いたいことはなんとなくはランスロットにはわかる。
けれど、それらは何一つ具体的ではなく、例として彼女が並べる話も「じゃあ、それは何が今負担で、どうすることで解決しようとしているのか」ということを何一つ提示されていない。
が、きっとそれを考えるのはこれからで、そして、きっとそうすることが正しかったのだと後からしみじみ気付くような内容なのではないか、とランスロットはこれまた漠然と思った。
何故ならば、今までソニアがこのように「ランスロットに今の気持ちを話す」という形で伝えてきたことは、後々考えて「ああ、このことを実は懸念していたのか」とわかることが多かったからだ。
とはいえ、どうも今日の話は今までになく曖昧でぼんやりとして、なのに、とんでもなく大きな話のように思えて、さすがのランスロットも簡単に「そうか」で済ませるわけにはいかない。
「わたしが、何か助けになれば良いのだが」
ふう、と小さなため息と共に、ぽつりとランスロットは漏らした。
ほかに、何をどう言葉にすればよいのかわからない。
声を荒げて「もっとはっきりと考えてから口に出せ」ということは意味がない。彼女の主張は曖昧だけれど、言いながらも彼女自身にその言葉は返っていき、きっと都度彼女の内側では軌道修正されているのだろうし、意味は十分ある。それに付き合わされるほうはたまったものではないが。
反乱軍リーダーとして、そんな逃げの発想はよろしくない、といえるかといえば、そんなことも出来るはずがない。
彼女がどれほど十二分に、普通の人間ならば考えないことを考え、理不尽なことにも耐えて頑張っているのかを、ランスロットが評価しないで一体誰が評価するというのか。そして、ランスロットの働きに関しても、口に出さなくともこの小さなリーダーが評価してくれているということを、彼は信じているのだし。
「うん。ランスロットに、助けてもらえるなら、それに越したことはない」
不意にもれてしまった言葉に、ソニアはそう返した。
不思議な言い回しだ、とそれもランスロットの心を何故か揺らしたが、彼女の表情は険しくもなく、いつもと変わらぬ様子に見えた。そして
「・・・お腹すいた。腹ごしらえして、地上に戻る準備をするか」
「ああ。そうだな。着替えてきなさい」
「あっ、そっか!・・・ランスロット、怒らなかったな。こんな恰好でウロウロしても」
「着替えるのを忘れるほど、ここに何か急ぎの用でもあったのかと思ったんだ」
「いや、別にそういうわけじゃ・・・」
そうソニアが言うと、ランスロットは「はー」と深いため息をつく。
怒るタイミングを逃した、と言いたげなその表情が情けなく見えたのか、ソニアは小さくくくっと笑った。
「ランスロットは朝ごはん食べたのか?」
「まだだ」
「たまには、一緒に食べるか」
「城の前で待っている」
「わかった」
ソニアは頷いて小部屋から先に出ると、振り向きもせずに広間を走って抜け出ていく。
それを見送るように少しの間ランスロットは広間で立ち尽くした。
あたりを見渡せば、そこは確かに女神シャルアーナが住むといわれるにふさわしい、豪奢すぎずに清潔感がありつつも、どこかしら気品に溢れた装飾があちらこちらに施されている。
そんな場所に寝巻きのままうろうろ出来るのは、物の価値がわからない子供かソニアぐらいだろうと思えた。
(それにしても・・・)
少しだけ。
永久凍土で、彼女の過去を知り、彼女の覚悟を知り、また近しくなったと思えた間柄が。
ふっと、遠のいていくような、そんな感覚。
 
 
ランスロットに、助けてもらえるなら、それに越したことはない
 
 
でも。
そういう言葉が続くのではないか、と思ったのは気のせいだろうか。
(気のせいではない。あの子がああいう言い方をする時は、本当は言いたいことを隠している時だ)
それでも、問い詰めることが出来ない自分。
ランスロットは唇を噛み締め、浮かぬ顔で考える。
地上に戻れば、きっともっと色々な問題が彼らを待っていて、合流後も忙しくなることが目に見えている。
(今は、何を言うこともできない。けれど、きっと)
 
 
忘れないように。
ランスロットは強く己に言い聞かせて歩き出した。
今ソニアに言われたこと、自分が感じたこと、それらは決しておざなりにしてよいことではない、と彼の勘が告げている。
頭の遠くから、何かの音が聞こえるような気がした。


 
 

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