騎士の驕り-2-

下腹部が、重い。
ソニアは野営地で夕食を終えた後、早々に自分用の天幕に引きこもって横たわっていた。
痛いのではない、重い。
(あれか、月のものが、また来るようになったから)
突然体が正常に戻った、というわけではないだろう、とオーロラからアドバイスを受けたことをソニアは思い出す。
体というものは、時には単純に、時には複雑に、意志とは裏腹な作用をもたらすものだとオーロラはソニアに教えた。
一度止まってしまった月のものが再開したからといって、それは突然何もかも正常に戻るわけではないだろう、と。
事実、永久凍土で久しぶりにやってきたそれは、それまでソニアが経験がしたことがないほど不快であったし、自らの体内から排出されたものも『こんな色をしていただろうか』と疑問に思うほど、以前のまま、というわけにはいかなかった。
だから、当面はいつそれが始まり、いつ終わるのかはわからないだろう、とオーロラは推測した。
(そういえば)
永久凍土で、スルスト様が。
ふと、ソニアは思い出す。
月のものが再開したことを、スルストは『薬の副作用が終わった』のだと言っていた。
ムスペルムで傷めた右腕に処方された薬。それには、ソニアの月のものを止める副作用があったのだとスルストは説明をした。
実際は、シャロームに辿り着いた時点でそれは止まっていたので、薬の副作用で止まったわけではないことをソニアは知っている。が、もしかしたらとっくに再開をしてもおかしくなかったのに、これだけ長期にわたって止まってたのは、確かにその薬のせいだったのかもしれない。
 
『人間の骨再生を促進する成分は、女性の場合は月のものを司る、女性特有の体内物質にあるんデスヨ
 
『あの薬は、塗った患部に染み込んでデスネ。一時的に、その体内物質の成分をその場所に凝縮して届け、通常以上に促進させる役割を持つのデース
 
『月のものが始まると、女の子は胸が大きくなり、体に丸みを帯びますヨネ?それは、その体内物質による働きなのデスガ、ソニアの場合は薬を塗っていたので、その間、骨再生を促進するためだけに、その体内物質が働くようにと歪んだ命令がされていたわけデス
 
『月のものを司るその成分は、いくつもの役割を持ってイマース。それを、単一の役割に絞り、その他の成分すらもそのひとつの役割を担うように変化させる薬なのデス。そして、どの種類の役割にするのかは・・・天界の医師が、薬に対して教え込むのデス。まあ、魔法みたいなモノですかネー
 
『そして、あの薬はデスネ、長時間塗り続けると、塗らなくなった後もいくらかの期間影響が出るほどの強いものデース。そうじゃなきゃ、ソニアの右腕はあんな短期間で治るものではアリマセーン。デスガ、その影響から、副作用から解放されたんデスネ!だから、最近ソニアは胸がこう・・・ちょっと、女性らしい感じになってきたんデスネ。ウンウン。本来、あるべき姿に体が修正しているのデショウネ〜。突然のことなので、体が驚いて、痩せちゃったくせに、胸は育ってしまったのデショウ
 
スルストの説明は半分ぐらいしかソニアにはわからなかった。が、スルストは最後に『何故ずっと月のものが止まっていたか、また後で話しまショウ』と言っていた。
一瞬それを『今、説明してくれたのに何をいってるんだ?』とソニアは思ったが、後から考えれば意味がわかる。
スルストの最後の言葉は、『何故、シャロームに辿り着く前に月のものが止まり、それが継続されていたのか』という意味だ。
それには何か、深い意味があるのだろうか。
ソニアがそのことを思い出していた、まさにその時。
天幕に、スルストがやってきた。
 
 
「スルスト様は、人の心を読むんですか?」
「何故デスカー?」
「今、ちょうどスルスト様に話があって」
「それはそれは!ソニアの思いがワタシに届いたのか、ワタシの思いがソニアに届いたのか、なんにせよ、我々の相性はバツグンということデスネー!!」
「は、はぁ?」
どう返事をしてよいのか、まったくわからぬスルストの発言。
ソニアはとにかく、と彼を天幕の中に招き入れ、何か飲むかと尋ねた。それへスルストは軽い口調で断り、勝手に腰を下ろす。
「調子が悪いのデスカ?」
「うーん、月の、ものが、来そうな来ないような。正常に機能するまでは、いくらか時間がかかると聞いたので、そのせいかなぁと」
「なるほどなるほど」
スルストは大仰に頷いてみせる。
ソニアは内心、自分の調子がいまひとつで、早い時間に天幕に入ったことを知りながらスルストがやってきたということは、今でなければいけない話なのだろう、と推測していた。
そして、それはきっと、先ほど自分が思い出していたことに、何か関係するかもしれない、とも。
「ソニア、先日、あなたの体のことをお話したのを覚えていらっしゃいマスカー?」
ほら来た、とばかりにソニアは頷いた。
「そのことを、実は今あたしも考えていて」
「OH!それはやはり、我々の相性が」
「いつからどう止まっていたのか、スルスト様にお話した方が良いでしょうか?」
スルストのたわ言を自然に流して、ソニアは下腹部を押さえながら尋ねた。
「そうですねぇ。そうしていただけると、こちらも把握して話しやすいですねぇ」
「わかりました」
彼に応える形で、ソニアは少し黙って頭の中を整理してから、話し出した。
自分の村が襲われた夜のことから、シャロームに辿り着くまで。
出来るだけ必要なことだけを口にするようにと彼女は心がけた。
細かい話はランスロット達にしかしたことがなかったが、一度人に話してしまえば驚くほど、二度目以降はするすると時系列に要点だけを話せるものらしい。
ソニア自身が驚くほど、あっさりと説明は終わってしまった。
相槌を時々交えながら、一度も言葉を挟まず聞いていたスルスト。
ソニアの話が終わったとわかると、うんうん、と頷き、ようやく自分の番とばかりに口を開く。
「最初に月のものが止まったのは、まあ、推測ですケド、ソニアもおおよそ考えている通り。突然の環境変化によるものかもしれまセン」
「そんなことが、あるんですね……なんか、やだなぁ。こう、なんか弱っちぃっていうか」
いくらか恥ずかしそうに頬を紅潮させるソニア。
「何をおっしゃるんデスカ!ソニアぐらいの年頃の女の子が、突然それまで手にしていたものが、一晩二晩で失い、命を狙って追われていたら、それぐらいの体の反応があってもおかしくはありませんヨ。可哀想に」
「んー……で、なんで、そこから長々と止まってたんですかね」
スルストは彼としては思い切り優しい声音で労りの言葉をかけたのだが、ソニアの方はそれに気付かずにあっさりと話を進めた。
それに軽く苦笑をし見せてから、スルストも、これまた簡単に告げる。
「最初からなのかはわかりませんが、途中からは間違いなく……ミザールサン、ですヨ」
「……は……?」
予想外の名前が突然出てきて、ソニアは間抜けな声を発した。
「ミザールサンが、ソニアを追っ手から助けるために、女として一番感知される部分を封じたんデス」
「え?あの……ごめん、なさい、意味が」
スルストは、にこりと笑った。
いつも、彼は過剰と思えるほど明るく、一人だけ周囲から浮いているような、満面の笑顔とおおらかな笑い声を出し惜しむことがない。
けれども、今ソニアに向けられているスルストの笑みは、それではない。
憐れみを押し隠すような。
「あなたが、シャロームまで逃げる間、追っ手らしき者達は、あなたを特定して追いかけていましたよね?」
「……はい。赤毛の、女だ、と。最初からあたしを狙って、父さんの仲間達も巻き込んで殺そうと……」
「それは、あなたが帝国を討つ者になるという未来を知っている者達の仕業。そんなことを知る者が、魔道の力を用いてあなたを追いかけてきたら、あなたがどんなに必死に逃げてもどうしようもない」
「それは……確かに……」
「追っ手の手が緩んだと感じた前に、何か変化はなかったでショウカ?」
ソニアは口を閉ざし、瞳を閉じた。
懸命に、思い出したくない映像、思い出したくない音声、自分自身の思いを掘り起こして、唇を噛み締める。
一瞬、ふっと唇が『あっ』という形になったが、声は出ない。
スルストは彼女を急かさずに、言葉を待った。
どれほどの時間が経ってからだろうか。
ソニアは瞳を開けて、恐る恐るスルストを見た。
「弟が死んだ後……一晩だけ、熱が、出ました。でも、その時は川で戦って水浸しになって、ズボン捨てて逃げてたから……それ、では、ないですよね?」
「……」
「思えば……」

あの女だ

あの女が、預言の

あの女が帝国を滅ぼす凶星に

あの女を殺せ

鼓膜に今も簡単に蘇ってくる追っ手の怒声。
濡れた靴をも投げ捨てて、木の枝と葉で簡易に作ったものを足裏に結び付けて逃げた。
本当は足裏が擦れて痛かった。けれど、あの時やるべきことは追っ手を突き放すことではなく追っ手を撒くことだったから、今思い出してもあの時の判断は間違っていないと思える。
いや、そんなことを考えようとして思い出しているのではない。
「……熱を出した翌日以降……思ったよりも楽に……もちろん、後から考えたら、という程度ですけど……」
「魔道の力を使って人を追うとき、それが女性であれば、もっとも顕著に女性である部分を検知しようとするんデス」
そういって、スルストは自分の下腹部をぽんぽんと叩き、はっきりとソニアに告げた。
「だから、封じた」
「!」
「ソニア。ワタシやフェンリルサンは、ソニアの力になるためにここにイマース。もちろん、きっかけは、我々を助けてくれたからですが、それは、天空の三騎士が一人の人間に力を貸して下界に下りるには、いささか、安直だと思ったことは、ありませんか?」
静かに告げるスルストの声音が、いつもと違うことをソニアは気付いている。
が、それが一体どういう意味なのかまでは考えられない。
スルストが言葉にすること、何もかも。
それらが、ソニアに疑問を投げかけ続け、彼女から冷静さを少しずつ奪っていくのだ。
「スルスト、様っ」
「ハイ」
「何、何を、聞けば、いいのか、よくわからなっ……」
「そうだと思いますヨ。もう少しだけ、ワタシの方から話してあげたら、落ち着くかもしれませんネ」
「は、はい」
「ソニアは天の父からの洗礼をミザールサンによって受けていたので、ワタシもフェンリルサンも、力を貸すことにしました。が、別に本来、ムスペルムやオルガナを留守にして、フラフラ歩き回るなんて、簡単にやることじゃあないんデスヨ?」
「……はい」
「ワタシ達もソニアが天使と契約をしたように。天界の力の一部ですからネ。力を貸すと決めたのは我々ですが、助けてくれた人間誰にでも、我々の強さを預けるつもりはありまセン。ソニアが、天の父からの祝福を受けて条件をとっくに満たしていたからデス。そして、それは、偶然でもあり必然でもあり。この先、反乱軍が単に帝国軍を倒すというだけならば、何もなくてよかったネ、になりますが……アンタンジルのようにネ。人対人ではない戦いがあるのは、戦として異質。この先、また何が起こるかわかりませんヨネ?ソニアと我々が一緒にいるということは、つまり、『そういう可能性が高い』がゆえの巡り合わせ」
ソニアは、先ほどの混乱とはうって変わっていささかぼんやりした表情を見せた。
それからゆっくりと、スルストを見ずに平坦な調子で言葉を発する。
「ミザールは、あたしに力を与えたのは、あたしが選ばれたからだ、と言っていました……いずれ……いずれ、天使が、天界が介入しなくちゃいけないほどの大きな問題に、あたしが関わった時に、正しく天使達の力を使う人間として……」
「そうデース。ソニアは、選ばれたのデース。その選ばれた人が助かる手助けを天使がすることが、おかしいことデスカ?」
「でも、シャロームの教会に辿り着くことが出来なければ、選ばれないって……その時は、その可能性を持った人間がまたどこか、またいつか生まれて……もしかしたら、もう生まれていたのかもしれないけれど、その人があたしのように追われて殺される標的になるって。だから、辿り着く前に選ばれているわけが……」
「ウーン、ソニアは、話を混同させていますネェ。まあ、仕方ありませんネ。わざと、ミザールサンもぼかして話したのでしょうから」
「何、と、何をですか?」
「追っ手が倒そうとしたのは、帝国軍を討つと預言された者。そして、ミザールサンが天の父から命じられてシャロームの教会で待っていたのは、帝国軍を討つ者ではなく、先ほどソニアが言ったように、天界が介入する何かが勃発したときのために」
「!!」
ソニアはびくりと体を震わせた。
スルストは穏やかなままで、ソニアのその様子に一切慌てず、気遣うようでもなく、平時と変わらぬ声音で続ける。
それを、ソニアは『怖い』と感じ、僅かに身を竦ませた。
「だから、あなたがワタシやフェンリルサンを助けてくれたのは、本当にありがたかったんデスヨ?天の父が選んだあなたが迎えに来てくれたようなモノですしネェ。ただし、前から言っているように、だからといってオウガバトル勃発、みたいな大きな話ではナイので、我々の力も制限されていますがネ」
「スルスト様、どうして、それをミザールに会う前に、教えてくださらなかったんですか!」
「あなたが聞かなかったからデスヨ?」
「そ、そりゃそうですよ!そんなことまでスルスト様達が知ってるなんて……」
「OH!誤解されては困りマース。ワタシもフェンリルサンも、そこまで詳しいことは知りませんでしたヨ?永久凍土にソニアが行く、ミザールサンに会いたいらしい、何やら因縁があるらしい、その他色々な話が浮き上がってきて、たまたまユーシスサンと話をすることがあって、こちらもようやく……ネ。別に、我々だって、天の父から事細かにあなたという一人の人間のことを聞いているわけではありまセーン」
「でも、でも……だったらっ、逆に、なんで今こんな話をっ」
「ソニア」
「……」
「この辺りにカオスゲートがあるという噂は、多分本当デス。一刻も早く、フォーゲルサンを助けに行った方がイイデスヨ?今まで我々も静観していましたが、シャングリラの件、その他、ラシュディのやりたいことが見えてきません。それは、あまりよろしくないことデス」
ソニアは、ごくり、と生唾を飲んだ。
いつもならば。
いつもならば、『そうですか、カオスゲートがこの辺にあるのは本当なんですね、よかったとか。
『本当にラシュディは何を考えているのかわからないですよねとか。
同調しただけで終わるはずの会話。
けれども、ソニアはどうしても、そんな簡単に口を開くことが出来なかった。
こんな形でスルストが何をしろ、とソニアにはっきりと指示をすることに、違和感を覚えたからだ。
体調が悪かったソニアに対して、ムスペルムの医師のところに一度行ったらいい、とくれたアドバイスとは、まったく異なる。
スルストのそれは、警告に近い。
何故警告に近いのかは、その言葉が出てきた話の流れを考え直せば少しずつ見えてくる。少なくとも、ソニアは気付けるほどの聡明さを持ち合わせていたのだ。
この戦い。
反乱軍の行軍。
それを続ければ、ミザールの言っていた『天界が介入しなければいけない』何かにぶつかるのだということだ。
多分、それは避けられない。だから、ここにスルストとフェンリルがいる。
今まで彼らははっきりとは言ってこなかったけれども、ついにスルストがそれを明言したのだ。
「ラシュディが、やろうとしていることが、何か、とてつもないことなんですね?」
「それはわかりまセーン。しかし、ソニアも薄々感じ取っていたのではないデスカー?」
「……我々には、何をどう測れば、正しいことが見えるのかがわかりません。アルビレオのように何か生き物を生み出す力の研究をしたり、キャターズアイの力を手に入れたり、かと思えばシャングリラを移動させたり、どこにラシュディの真意があるかなんて、今でもわからない。ただ、予測もつかない我々は、ラシュディが何かの力を手にしようとしている、ということ以外に想像がうまく出来ないから、目を逸らしているだけ。その自覚は多少なりとあります」
「そうデース。それは、人間ならば仕方がないコト。自分達が理解できないほどの力を持つ相手のことは、いくら頭をひねってもわかるはずがないですからネー」
ソニアは黙り込んだ。
何をどれだけスルストに聞いて答えをもらっても、今の自分にはそれを理解することが出来ないように思える。
そんな彼女の様子をスルストはどう思ったか
「もっと、怒って暴れるかと思ってましたヨ。逆に、戸惑いすぎて、どうすればよいのか判断出来ないんですかネ?」
と問いかける。
それへも、なんと返事をすれば良いのかわからず、ソニアは情けない表情でスルストを見上げた。
「あ、暴れは、しない、ですけど」
「また、右腕をかじられるのはごめんですからネ!」
スルストはおどけていった。以前、マラノの都でソニアが元仲間であった、裏切り者のニールと出会った時。
激情に突き動かされたソニアを止めようとしたスルストの右腕に、ソニアは歯を突きたてたのだ。
それをほのめかしてスルストは茶化そうとした。が、ソニアの方はそれへ苦笑を返すのが精一杯で、言葉が出ない。
どんな真実を突きつけられても、いつもソニアはなんとか自分を保って『考えさせてください』やら『一人になりたいです』など、その場を自ら終わらせることが今まで出来ていた。
けれども、今日は違う。
体調のせいもあるのかもしれないが、ソニアはまるで心が折れたように、ただ言葉を閉ざすだけ。
まだスルストには話の続きがあったのかもしれない。けれども、そんな様子のソニアに追い討ちをかけることはせず、彼は自分から退出を申し出た。
もちろん、ソニアにはそれを止める言葉もなく、ただ無言で頷くのが彼女の精一杯だった。
 
 
時を同じくして、ウォーレンの天幕
「ソニア殿がお疲れのご様子で、既に天幕で休んでいる。そんな時に長話は出来ぬのだが」
呼び出されてやってきたランスロットは、天幕に入って早々いささか早口でウォーレンに告げた。
それを、既にウォーレンは知っていたようで
「承知の上」
と、幾分ぶっきらぼうに答える。
その返答が『ソニアが天幕にいる今だから、ランスロットを呼んだ』という意味であることに、長い付き合いのランスロットは気付く。
ウォーレンも心得ている様子で、立ったままのランスロットに座るようにも言わず、さっさと本題を口にした。
「今朝方、彼女に聞かれて」
「ソニア殿に?」
「そう。ダルムート砂漠を渡ってしまったら、ゼノビアにいる者達と連絡がとりにくくなったりと不都合がこちらには発生しないのか、大丈夫なのか、と」
「ふむ」
「今まで、彼女がそのうように……」
「ゼノビア復興の下準備に関わることを、口に出してきたことはなかった、と言いたいのか」
「その通り」
ウォーレンが多くを語らずとも、ランスロットはこの占星術士が伝えたいことを即座に汲み取った。
長年の付き合いは確かにあるけれども、実際ソニアはウォーレンにそのようなことで口を挟んだことが今まではない。
ウォーレンは常に、この戦いが終わった後にはすぐにでもゼノビア新王国を復興するため、反乱軍がゼノビアを取り戻してからというもの、自分達の息のかかったものをゼノビアに置き、着々と準備を進めていた。
いくらかは魔道の力を使っていることをソニアも暗黙の了解でわかっていたし、その作業のためにウォーレンが誰よりも早く夜は天幕に篭っても、彼女は一切口出しをしない。それは、そういう約束をしたわけではなく、そうしたほうがお互いの立場や意向が明確になり、かつお互いの仕事がやりやすいからだ。
ソニアはそもそも政治というものに興味はなく、解放していった都市のまつりごとは、基本的に『ゼノビア新王国設立の時に、揉め事が起きないような形』にするため、ウォーレンの意向を尊重してきた。
それは、戦いが終わった後に、自分は政治と係わり合いを持つつもりがない、というソニアの主張でもあるのだが、後から反乱軍に合流した旧ゼノビア騎士達などは、いまひとつその辺りはよくわかっていないに違いない。
それはともかく、ウォーレンはソニアのその『普段見せない気遣い』がなにやら心にひっかかりを作ったようで、苦々しい表情をランスロットに向けたままだ。
「しかし、確かに普通であれば、ダルムード砂漠を越えるともともとの帝国領だから、我々の普通が通じなかったり、今までにも増して移動も警戒しなければいけないし、自由が利かなくなるかもしれない。もちろん、そんなことは杞憂だった、と笑えるのが一番良いことだが。それを思えば、ソニア殿がこちらのことを気にするのも、さすがに今回はおかしくもないのでは?」
ランスロットはそう主張したが、ウォーレンは未だ難しい表情のまま唸っている。
「……何か、そんなに気になることが?」
「それがわかれば苦労はしないわけで」
めずらしいウォーレンのぼやき。
「心配してくれている、と言えば聞こえは良いけれど……どうも、ひっかかって」
ウォーレンはそう言いながら顎に蓄えた髭を撫でた。
そのようにウォーレンが漠然とした言葉をランスロットに投げかけることは珍しい。
本当にソニアの真意を測りかねている、あるいは、なんだかもやもやするものの、自分だけでは解決しそうもなくて投げかけたのだろう言葉。
ランスロットは、先日サラディンから伝えられたこと、その後ソニアと話した内容をウォーレンに告げて良いかどうかを幾分悩んだ。
が、ウォーレンに隠すべき話でもないな、と、己の思うところを口にした。

「ソニア殿は、帝国軍に我らが勝利した後の凱旋のことも考えている様子。それで、カオスゲートをそれに使えないかと思いついたようだ」
「ふむ。聡い彼女らしいといえば彼女らしくもあり……」
らしくないと言えば、らしくない。
ウォーレンの言葉がそう続くであろうことは明白だ。
ゼノビアでの復興活動について彼女が口を挟んだことを不思議に思うことと、ゼノビアまでの凱旋についてを考えることは、同じ方向を向いている。だから、これもまたウォーレンの気に障るのはランスロットにもわかる。
「何故それが、今かという話」
そのウォーレンの発言に、ランスロットは首を軽く傾げた。
「単純に……ダルムード砂漠を通過すれば、最早帝国領で、今までと勝手が違うからではないのか?だから、我々の方は大丈夫なのかと。それの延長線ではないのかな。ゼノビアまで戻る手段の確保を考えるのは」
「ふむう……」
ウォーレンは唸る。
この占星術士がこのように考えに沈む様子を、ランスロットは最近見ていない。
ウォーレンはウォーレンで軍のことをやりつつトリスタン皇子に仕え、早寝をすると言っては天幕でゼノビア復興の手立てをあれやこれややっている。ランスロットと言えば、ウォーレンからそれらの報告を受けつつ、ほぼそちらはウォーレン任せで進軍の管理に日々追われていて、それぞれの役割を淡々とこなしているのだ。
だから、運命共同体とは言え、このような話をしみじみすること自体が久しぶりとも言える。
(ここ最近は、ゼノビアのことを話し合うにしても、トリスタン皇子を含めて話していたし)
それが、ウォーレンのそんな様子を見る『久しぶり』の理由なのだと勝手にランスロットは思った。
が、ウォーレンの方はこれまた違い、今日の自身の困惑が気になって仕方がない様子。
「わたしには、あまりよくわからない。ソニア殿があちらこちらのことに思いを巡らせるのは今に始まったことではないし、わたしには思いもよらないことを彼女は考えている。それは、ある意味ではウォーレンも同じで」
ランスロットは苦笑をした。
それは、自分への自嘲も含めた笑みだ。
悲しいことに、ランスロットはただの一騎士だ。
ウォーレンのような年の功と呼ばれる知恵も経験も知識もなければ、占星術士といった神秘的な力を持ちあわせているわけでもない。
そして、ソニアのような若さ以上の柔軟な脳を持っているわけでもなければ、自分がどちらかというと型にはまった考え方をすることぐらい、彼には既にわかっている。
彼が出来ることと言えば、自分では考え付かないことを周りの者達が言い出しても、それを感情的にならずに受け入れる心構え。それぐらいだ。
そう思えば自分はよくよく凡庸で――とはいえ、剣の腕や、細々とした軍の運営に関わることは、彼は反乱軍内で秀でているのだが――足りないことが多すぎる、とランスロットは肩を落とす。
「この、ひとつの小さな、漠然とした不安は」
ウォーレンは静かに告げた。
「すぐにでも大きく、明確な形で現れる」
「それは、予言か?」
「予感」
いつもよりも更に言葉少ななウォーレン。
「……ならば、その時が来るのを、待つしかない。それまでに、見えてくればまた別なのだろうが」
ランスロットがそういうと、仕方がない、とばかりにウォーレンも小さく頷き返すのだった。
きっと、ウォーレン自身はそんなことは既に知っていたのだろう。
が、その気持ちをうまく伝えることが出来ず、このようにランスロットを付き合わせることでその感情を伝えたかったのかもしれない。
 
 
なんで、こんなタイミングで。
仕様がないことだと知りつつも、横たわったままでソニアはあてどもなく同じことを考えていた。
いや、考えていた、は語弊がある。
何度も何度も、その『なんで』を繰り返すだけだ。
理由は、スルストが伝えてくれた。だから、それはもう彼に追求することは出来ない。
確かにシャングリラから地上に降りてから、カオスゲートのことその他をスルストに話を聞いた。それは、たまたま近場にフェンリルがいなかったからで、スルストである必要はなかった。
いや、問題はそんなことではない。
少なくともスルストは、ソニアがカオスゲートの必要性や、この先の帝国領での戦いが今までと違うことになるだろう懸念を感じていること、それらを理解している。
そして、そのために、先日から問題になっている、ゼノビア勢との軋轢についても思い悩んでいることは、サラディンも知っていることだ。
そこで、こんな話。
(警告だ。フェンリル様なら、もっと手痛く話す。スルスト様でよかった。違う、フェンリル様なら、あんな風に言わないから逆に、こちらもわかりやすく覚悟が決まるんだ。だけど、どっちも)
どちらにせよ、言うだけ言って、すべてはソニアに委ねるのだ。
それでソニアが失敗すれば失望するのだろうし、正しければ当然と思うのだろう。
ある意味、彼らは『一緒に』ことを成す人間であって、かつ、まったくそうではない。
だから。
彼ら側の『一緒に成す』ことに不備が出ないように、ソニアを誘導したいのだ。
ただ単に力を貸してくれる、そんな単純な仲ではないとはわかっていたつもりだったのだが、久しぶりに頭を殴られたような衝撃すら感じる。
「たす……」
ソニアは、突然はっと顔をあげた。
今自分は何を口走った?口走ろうとしていた?
たすけて。
違う。
たすからない。
「あ、いてて、て」
いかんいかん、とソニアはぼそぼそと呟き声を洩らした。
気が弱る。
特に夜は。
前ならばこんな時は、ケルベロス達の群れに交じって寝ていたものだが、今日はそういうわけにはいかない。
月のものが止まっていたこと、そしてそれが再開したこと。
それを知ったギルバルドから忠告がなされたのだ。
『今まで、おかしいとは思っていたが』
との前置きをして、月のものに患っている時は、ケルベロス達の中に混じってはいけないと。
それが、魔獣使いに女性がほとんどいない理由だとも。
今はまだ下腹部が痛む程度で、実際にはそれが始まっているわけではないのかもしれないが、警戒はしたほうが良いのだろう。
(夜だから、カノープスにどっか連れて行ってもらうわけにはいかないしなぁ……どうにか、無理矢理寝よう)
ソニアは、天幕の入口にかけてある灯りを消し、それから天幕の隅においやっていた毛布を二枚引っ張り出した。
地面の敷布が二重になっている場所に一枚を重ね、もう一枚にくるまった。
そこからもぞもぞと手を伸ばして、天幕内のランプの灯を消す。
(早い時間だと、みんなの行きかう音がたくさん聞こえる)
夜番兵士しか残っていない時間は、人々の音が少なくなる。それが、ソニアがいつも寝ている時刻だ。けれど、今日はそれよりも相当に早い。
人々の声、足音。
夜の自然界から漏れ聞こえる音が届かぬほど、天幕の周囲はざわめきに満ちており、改めてここに人間がたくさん集っていることをソニアに伝える。
いつもならば、それが『誰かがいる』安堵感をもたらすはずなのだが、今日は違う。
これだけの人々を。
自分が反乱軍リーダーであるがゆえに、もしかしたら、天界もが介入するような戦いに導いてしまうのではないか。
それがどういうことなのか、ソニアには見当も付かない。
ただ、スルスト達がそれへの覚悟をソニアに迫らなければいけないほど、その戦いが彼らには見えてきているのだという事実。
それが重苦しくソニアの肩にのしかかる。
「うぅ」
下腹部のなんともいえない特有の重みに、うめき声をあげ、手でその部分をさする。
(朝の鍛練に出られるぐらい、調子が良くなるといいんだけどなぁ)
珍しく早い時間に天幕にこもったことで、周囲は心配もしているだろう。
ならば、明日には体調を整えて、元気な顔を見せなければいけない。
そう思えば思うほど、うまく眠れなくなる。
1人寝は、いつも当たり前。
だというのに、ソニアの脳裏に浮かぶのは、誰かがすぐ傍で眠っていた記憶。
父親の仕事をしていた時期。
傭兵達や村の男どもに混じって大の字で眠っていた幼い自分。
それから。
追手から逃げて逃げて。
自分の拠り所がお互いであるかのように、弟と身を寄せ合って寝ていたわずかな時間。
「っ……」
ソニアは、体をびくりと震わせた。
最近は減っていた耳鳴り。
嫌な汗。
なるほど、過去のことを思い出してこんな風に体が反応してしまうのであれば、月のものが止まるのもおかしくはない。
そう思っていた自分が滑稽に思えてくる。
自分は、自分の意志で開けてはいけない箱を開けたのだと、大分前から思っていた。
それならば、自分が責任をとらなければいけない。
ずっとそう思って、やってきた。
けれど、実はその箱はソニアの意志のみで開けられたわけではなく、目の前に箱を置かれて、手に鍵を持たされて、開けなければ他にも死ぬ人がいるよ、と囁かれて、最後には背中を押されて。
最後に鍵をかちゃりと開けたのが自分であっても、たったそれだけで背負わなければいけないことがなんと大きすぎるのかと、今更ながら苦痛に思う。
つきつけられた真実や、これからなすべきことがあまりに大きすぎて、自分のために倒れていった家族や村人、仲間達の仇を討つという志が最早ソニアの中では霞み始めていた。
強い感情が自分にあるうちは、どうとでもなる。
自分自身を煽って、自分自身のそれを正当化しようとすれば、自然と足は前に進む。
けれども。
けれども。
 
 
それからどれほどの時間がたったのか、ソニアは寝付けず、天幕からそっと顔を出した。
考えすぎて頭も痛い。下腹部も痛い。
それらに邪魔されて眠ることが出来ぬまま、星の位置を確認すれば、二刻以上過ぎていたようだった。
眠りに入りそうで入れないその時間は、ぐるぐると同じことばかりを脳が繰り返し、あてどもない思いに煩わされていた。
誰かの。
誰かの手が欲しい。
体調が悪い時に、人々が手を差し伸べてくれることはあっても、ソニアからそれを積極的に求めたことはあまりない。
あえて言うならば、永久凍土で真夜中にオーロラを起こしたことぐらいだ。
誰でもいい、と思う気持ちとは裏腹に、ソニアの視界に入る兵士達は、どれも「誰でもよくない」に分類される者たちばかり。
ソニア様、お休みではなかったのですか。
ソニア殿、どうなされましたか。
声をかけてくる兵士達に、出来る限り平静を装って言葉を返すことすら、本当は面倒に思える。けれど、無条件に本気で「誰でもいい」とは思っていないのだ。
その時
「ソニア様。誰を、お探しですか」
そっと近寄って囁くように告げてくれる、柔らかな声。
「……っ……」
夜の松明に照らされた金髪が、オレンジ色に見える。
ソニアの近くに寄り添うようにやってきてくれたのは、ノルンだった。
「あ……」
「違いますか?何か、お探しのようだったので」
「ご、ごめん」
「?」
ごめん。
ノルンでは、駄目だ。
今、ノルンに不様なところを見られれば、デボネアに話が回るだろう。
この軍に入って間もないデボネアに、自分のそんな様子を知られたくない。
こんな時にでも、そのようなことを考える力が残っていることに、ソニアはわずかに呆れた。
人を選んでいる余裕なぞ、今の自分にはないはずだ、と頭のどこからか声も聞こえる。
誰かを。
誰かを決めて、その名を口に出さなければいけない。
「ノルンっ、わ、悪いが」
「はい」
「……」
カノープスを、と言おうとしてソニアの口は閉ざされた。誰であろうと、男性ではいけないような気がしたのだ。
それでは、誰が。オーロラか。いや、そうではない。
選ぼうとして、選べない。その事実にソニアは愕然とした。
誰もが、ひとりなのだ。この世界で。
知っていたその真実を体感したような気がして、ソニアは唇を引き結ぶ。
目の前にいるノルンですら、デボネアの名を呼べないことがきっとあるのだろう。
ならば、自分が誰かの名を呼ぼうと思うのは、おこがましいのかもしれない。
「いや……なんでも、ない。大丈夫だ」
「ソニア様?」
「ちょっと、外の空気が吸いたくなって、出てきただけだ。大丈夫なんだ」
「ソニア様。大丈夫な方は、こちらが何も言っていないのに何度も大丈夫だと言い張るわけがないんですよ」
ノルンは苦笑いを見せる。
事の次第はわからなくとも、ソニアの様子がおかしいことに彼女は気づいたのだろう。
「温かいお茶をお飲みになりますか?それとも、わたくしではない方がよければ、アイーシャ様かテス様が今は起きていらっしゃいますよ?」
2人の女性兵士の名を出すノルンの心遣いに、ソニアはほっと気を緩めた。
申し訳ないと思いつつも、確かにノルンがあげた二名は、ノルンよりはソニアに近く、立場上天幕の中にともにいても誰にも何も疑われない。
しかし、今自分が欲している手を、その二人が持っているようにはソニアには思えなかった。
「いや、いい。大丈夫。ありがとう。天幕に戻って寝る」
「そうですか。お役に立てず」
「いや、十分立ってくれた。ちょっと、色々考えていたらいてもたってもいられなくなって、飛び出て来た」
そう言ってソニアは苦笑を見せる。それへ、ノルンは泣き笑いに近い表情を見せて、小声で優しく言った。
「ソニア様。心が逸って、体を突き動かすことは」
「うん」
「心の中の何かが、外に出たいと。そこに留まっているには、辛すぎるのだと訴えているのではないかと、わたくしは思うのです」
「……」
「そんな時は、寝るのが一番だと言う人もいらっしゃるようですが、どうにも眠ることが出来ない夜もあることぐらい、存じております」
ソニアはどうしてよいかわからず、ノルンの顔を見た。
ノルンは優しく、ソニアの手を取って、自分の両の手の中に包み込む。
ノルンのさらりとした肌の感触と同時に、自分の手がわずかに汗ばんでいることにソニアは気づく。
「体温が高くなければ、茶を飲んでお休みいただけばいいでしょうが、少し高いですね……これでは、逆に眠りにくいことでしょう」
「そう、なの?ぽかぽかしてると、眠りやすいんじゃなくて?」
「ぽかぽかしてから、体温が下がる時に上手に眠れるのですわ」
「そうなんだ」
人の肌に触れたままそんな会話をしていれば、不思議と先ほどよりは少し落ち着いてきた、とソニアは思う。
ノルンはもう一度小さく微笑んで
「ソニア様。冷たい水を汲んできます。一度体を落ち着かせましょう。わたくしがお持ちすることで問題があるかもしれませんから、他の方に持って行ってもらうことになりますが……それをお飲みになったら、あなたが外に出したいことを、誰になら話せるのか、静かに考えてみてください。そうしているうちに、眠れるのではないかと思います」
「ノルンが、持ってきてくれて構わない」
「いいえ。特に、夜ですから。残念ですが、クァスが反乱軍に加わったことで、今はナイーブな時期。もともと反乱軍に所属なさっていた方に、持って行っていただきます」
「そうか。そうだな。そうすることが、ノルンやデボネアを逆に守ることになる。わかった」
「ありがとうございます」
「それは、こっちの言葉だ。ありがとう、ノルン」
ソニアは軽く頬を紅潮させて、恥ずかしそうに礼を云い、おとなしく天幕に戻って行った。

 
 

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