騎士の驕り-3-

ソニアは、ノルンに言われた通りおとなしく天幕に戻った。
(こんなことは、今までなかった自分の体ではなく、自分の気持ちに戸惑って、うまく処理できないなんて)
灯りも点さずに天幕の奥に潜り込み、毛布の上にぺたりと座り込む。
そのまま、瞳を閉じてソニアは瞑想を始めた。
(あたしは、誰に何を聞いて欲しくて、何をどう助けてもらおうと、天幕を飛び出たのか)
天幕の中でこうやって静思できる時間は、普段の彼女にはあまりない。
彼女にとってそんな時間が得られるときは、体調が悪い時がほとんどだ。現に、今がそうだ。
そして、そんな時はついつい後ろ向きな思いにとらわれてしまうことが多い。
けれど、先ほどノルンにそっと手をとって触れられて落ち着けば、下腹部の痛みはほとんど収まっていたし、目を閉じて人々の動く音を聞いても今は心が逸ることがない。
器に入れた水が少しずつ満ちていくイメージが、脳裏に浮かぶ。
そこから水が零れるまでに、今まではどうしていたのだろうか。
今の自分は、溢れそうになった器を掌で押さえ、まだ溢れずにいたはずの水さえ零してしまったようだ。
きっと、反乱軍の誰かにそんなことを言えば「ソニア殿はそのような表現も出来るのですね」と驚かれるに違いない。が、今の自分が起こした行動を表現するには、その喩えが一番合っているとソニアは思う。
(人はみな、そういうときにどうするんだろう。零れだして放っておけば、いつかは器のめいっぱいの状態で止まるのかもしれない。けれど、それではすぐに)
きっと、自分以外の人々は、器を水ですべて満たす前に、その器を手にとって中身を飲もうとするか、捨てているのだろう。
(でも、あたしは見えていなかったんだ。それが満ちていく様子を感じ取っていても、まだ大丈夫だと見てみぬふりをしたかったのだ)
それが何故なのか。
ソニアはずっと認めたくなかったことを、素直に受け入れようとした。
(きっと、もともとあたしの手には余る大きさの器なのだろう。なのに、気付かないふりをしてきたんだ。だって、途中まで注がれたその水を捨てるにも、自分一人ではうまく出来ないから。だからといって、誰の手を借りるのも、嫌だったんだ。そのうちどうにかなると。そう思って)
そう思っていたのに、人々は無遠慮に彼女の器に、彼女が欲していない水を注ぎ続ける。
当たり前のように上から下へと注ぎ込み、彼女の死角からもそれは注がれて。
それらの無慈悲さは、彼女の許容範囲を超えるほどの速度でやってくることではない。
彼女が目を背けたい、『誰に手を伸ばすのか。その水を捨てるために、誰の手を借りたいのか』を、彼女の心の奥底からえぐりだす、そのことだ。
(わかっている……そんなのは、いつだって)
瞼の奥の黒い世界にちらつく、小さくて不ぞろいな光。
それをはっきりと見ようと、目を閉じたままでソニアは瞼の裏に気持ちを集中させた。
「!」
はっ、と瞳を開け、眉間を寄せる。
「は……馬鹿、だな」
わかっていることを、それでもわかったことにしたくなくて。
それについて考えることから逃げたくて、そんな遊びをしてしまう小心者。
ソニアは前髪をかきあげ、暗い天幕の中で深いため息をついた。
(わかっている。ランスロット以外に、いるわけがない)
公私共に、自分にとってランスロットは特別な存在だ。信頼と愛情を寄せている自覚はあった。
けれども、彼との決別を彼女は覚悟をしていたし、自分の色恋をねじ伏せることに後悔はないと思っていた。第一、ランスロットへの片恋は、始まる前に終わっている。
彼には妻がいるのだし。
ソニアは、彼に奥方について問いただしたことがない。噂にもあまり聞いたことがない。
ウォーレンはきっと知っているのだろうが、聞ける機会はなかったし、聞きたくないとも思えた。
生きているのか死んでいるのか。生きているならば、どこにいるのか。死んでいるならば、何故死んだのか。
どんな恋をして、どんな風に彼の隣で笑って、そして、どんな風に彼がその人の隣で笑っていたのか。
そんなことは、知らない方が良いのだと思ったし、知っても知らなくとも自分の恋愛が成就することなぞあり得ないと思う。
(あたしには、あんなに綺麗なオルゴールの音色は似合わない。きっと、あの美しい細工や美しい音色がよく似合う人なのだろう)
成就しなくてもせめて傍に、と思うのは女々しい。
彼はゼノビアの聖騎士であり、大陸のためにと言いながらもゼノビア復興を望んで帝国軍に叛旗を翻したのだし、ソニアは彼にとってはそのための『人材』に過ぎない。
ソニアとトリスタンが仲違いをすれば、間違いなくトリスタン側につくだろうし、いつかそういうこともあり得ると。道を違える時がくるかもしれないと、それは前々から想定していたことだ。
だから、その名を呼ぶことがソニアには出来ないのだ。
(甘えられなくて苦しい、ではない。甘えさせてくれる人が傍に今までいたことを、ありがたいと思わなければいけない)
こうやって水が溢れるように、どうしようもなく抑え切れない何かが外側に迸ろうとしても。
「……っ!」
ソニアは、びくりと体を震わせる。天幕に人が近づいた気配を感じたのだ。
足音はソニアの予想通り、ぴたりと天幕の前で止まり、躊躇のない声が聞こえる。
「ソニア様、起きていらっしゃいますか。ノルン殿にお声をかけていただいて」
「あ」
ソニアは馴染みのある声に驚き、慌てて毛布を端に避けた。
「起きてる。水、持ってきてくれたのか」
「はい。入ってもよろしいですか?ノルン殿に、ソニア殿の顔を拝見してこいといわれて」
「……あー、うん」
慣れた手つきで暗闇の中、灯りを点すソニア。
水を受け取るだけならば、天幕に招き入れる必要はない。が、ノルンのなんらかの配慮であれば、それに従おうと素直に思う。
「入っていいよ、ビクター」
「失礼します」
天幕の入り口の帆布をあげて、反乱軍以前からの付き合いであるビクターが姿を現した。
「なんだかよくわからないんですが、水を」
ビクターは確かに『水を渡せって言われて来たんだけど、顔を見て来いって、どういう意味なんだろう……』というセリフを、そのまま続けそうな、困惑の表情を浮かべていた。
彼は、シャロームの傭兵斡旋所でソニアが自身で選んで声をかけた、いわば、彼女にとって、反乱軍を築き上げるための一番最初の仲間と言って良い存在。
今は部隊長として働くことも、他部隊の助っ人として参加することもある、派手さはなくとも信頼出来るパラディンだ。
そんな彼が、なんとも情けない表情を見せるのは、ソニアの前だからなのだろう。
「……くっ……あははは!」
「ソニア殿?」
「あはっ、はははっ、ごめんごめん……いや、まさかの……」
まさかの人選だ、とソニアはひとしきり笑う。
「ごめん。まさか、ビクターがやってくるとは思わなかったから。どっちかというと、オーロラが」
「ええ、ノルン殿がオーロラに声をかけていたんですが、オーロラは別で外せない用事があって」
「ん?どうしたんだ?」
水の入ったカップを受け取りながら、ソニアはビクターに『座れ』と身振りで示した。それは威圧的なものではなく、友人に気安く『座ってよ』と言うかのような軽い動きだ。
彼女は戦以外では、決して固い命令をビクターにはほとんどしない。
目立つことは決してないが、ゾックが新兵の履歴書をソニアのために清書するように、ビクターは地図の複写を担当している上に、古参と言われるほどの長い付き合いだ。立場が立場ゆえに今は上からの物言いをするが、ソニアは決して彼にその権力を振るいたがらない。それをビクターも知っている。
「ちょっと、疲労がたまってた兵士の介抱を」
「何、大丈夫か」
「だと思いますよ」
ソニアは受け取った水を口に含み、それから息をゆっくりと吐き出した。
口から喉を通って、胃の中に流れていく感覚。
「最近は、また更にお忙しいようで」
ビクターはそういって、小さく笑みを見せた。
「んー、更に、かな?」
「ですね。ただでさえ忙しいのに、あんな風に一人ずつ声をかけなきゃいけないなんて」
「それは、やっときたかったことだからしょーがないんだ」
「そうなんでしょうねぇ。こんな人数になっても、その方が『らしいです」
気楽に胡坐をかくビクター。
もう夜であったし、ソニアの天幕の外には灯りを点していない。それは、もう彼女が就寝しているという合図だ。
今はこうやって内側についている灯りが漏れているだろうが、余程のことがない限り第三者がここに来るということはない。
それが、ビクターを以前のような間柄に戻し、かしこまらせない。
「確かに、こんな人数、だなぁ。まったく……遠くに来ちゃったな〜、後悔してる?」
ソニアはそういって苦笑を見せた。ビクターは即座に「いやいや」と否定の意思を見せた。
「していないですよ。まだまだ、嫌がられてもお供します」
「なんで?」
「あなたについてきたおかげで、オーロラにも会えたし、なんと王国勤めでもないこんな俺がパラディンにもなりました。いいことづくめです。こんな俺でも実は貪欲なんで、もっといいことが起きるんじゃないかと期待してるんです」
「なんだそれ」
ビクターの呑気な言葉に笑うソニア。
幾分かは本音だと思いつつ、だが、それがソニアに気を使っての言葉であることも彼女は知っている。
「そりゃ、いいことは多少あるかもしれないけどさ……でも、ここまで大きいことになるとは思わなかった。ごめん。シャロームで目を付けられたのが不運だったと後で嘆かなくてもいいようにはしたいんだけど」
そう言ってソニアは肩を竦め、もう一口水を飲んだ。
こんな状況でも、ソニアより年が上である彼は、彼女を敬う態度だけは失わない。それは、もともとソニアが雇い主だったこともあるのだろう。
「ソニア殿。ついこの前、しみじみヘンドリクセンと話していてね、お互い、同じことを考えていたんだなぁって思ったことがあって」
「ん」
「俺たちは、あなたに人生を変えられたのだと、そう思っているんです。でも、それを選んだのは俺達です。のっかったのは自分の意志。だから、そんな俺達の今までのこともこの先の人生に対しても、あなたが責任を感じることは何もないです」
「そうは言っても」
「なんも感じるなっていうのは難しいかもしれないでしょうね。でも、必要以上に思われると、それは自分の意志で選んできた俺達のことをおざなりにしてるということですよ」
「ううん、確かに……」
ソニアは唸った。
「以前、ランスロットにも言われたなぁ……」
あれは、いつだったか。
ソニアは自分が『目印になるだけの人間』であるとランスロットに告げたことがある。そして、その目印に集まった人間を導くのは自分の役目ではないと。今にして思えば、それも相当に身勝手な話だが。
それを彼は覚えていて、後々『集まった者たちは、集まった自分達の責任で、そなたの導きのまま動くことを決めたのだ』と彼女に言い放った。
ビクターが言うことも、それと同じなのだろうとソニアは思う。
「俺は、自分で言うのもなんですが」
ビクターは、一見軽薄な笑みを見せた。
「みんなは、俺がオーロラの尻にしかれて、なんでもかんでも引っ張られてると思ってるけど、自分が向かおうと思う先は、自分で決めているつもりです。これでも」
「うん。わかってるつもりだよ」
「ソニア殿にそういっていただけると、気が楽になりますよ。だーれも、そんなことわかっちゃくれないですからね。目立ったこともしないし、顔も体もなんでもかんでも普通ってだけで、なんであんなできた彼女がいるのだ、とか陰で馬鹿にしているぐらいですよ」
「あはは」
そこで笑うのは、人によっては失礼なことだと怒り出すかもしれない。が、ソニアはあっさりと笑い声をあげた。
ビクターは周囲が自分をどう見ているのか、よくわかっている。
それをわかっているということは、『地味で普通』と評されやすい彼の雰囲気とはあわない。
偏屈なところがあるヘンドリクセンと長く付き合っているだけあって、本当はビクターにだって人に理解されにくい癖だってある。ソニアはわかっているけれど、周囲はそれに気付かないのだろう。
それから、ビクターは『長居もなんだから』と、退出の意志を告げた。
そして、天幕から出る寸前にソニアを振り返って、口端を軽くあげる。
「また、たまにはソニア様の手料理も食べたいもんですね。そう言うと、オーロラにずるいって言われるんだけど」
それへソニアは
「戦が終わったら、たらふく食わせてやる。野宿で、自力で肉も魚もとってな」
と答えた。
 
 
ビクターが退出してから、ソニアは自分が少し落ち着いたことを再度自覚した。
ノルンが初めはオーロラを選んだと聞いたが、それはそれで確かに正しい人選だとソニアは思う。が、今にして思えば、むしろビクターでよかったのかもしれない、と気付いた。
(自分が思い描いていた甘えられる相手とは違ったけど)
とはいえ、そう簡単に心を読まれて、思い描いた人物が来るのも恐ろしいものだ。それに。
(ああやって、普通でいてくれる人がいると、目が覚めるもんだ)
ビクターに感謝する反面、まさかオーロラがそこまで見越してよこしたんだったらどうしよう、とソニアは勘繰った。
(仮にそうだとしたら、反乱軍一の策士は、ウォーレンでもあたしでもヘンドリクセンでもなく、オーロラだ)
もちろん、それはソニアの妄想で、オーロラは渋々この大役をビクターに譲ったのだが。
ソニアは、灯りを消して横になった。
ノルンに言われた通り、水を飲んでちょっとビクターと話したら、大分落ち着いたように思う。
今となっては何故あんなに、自分を追い詰めたのかが不思議に感じるほどだ。
暗くなった天幕で瞳を閉じれば、また思うのはランスロットのこと。
間違いない。自分を抑え切れなかった時に欲しかった手は、ランスロットの手なのだ。
その自覚は今に始まったことではなかったし、恋心も相当に前から自分で気付いてはいた。
けれど、このようにはっきりと。あと一歩箍が外れたら、彼の名を呼びながら泣いてしまいそうな自分を感じたのは、初めてだった。
(ランスロットと今後離れることを考えていたからなのかな……余計に、執着する)
仰向けで腕を顔の上で交差させる。
ちらりと、腕の重みが心地よいと思いつつも、ランスロットを思う気持ちもまだ止めることは出来なかった。
(もし、ランスロットが)
ゼノビアを捨て、自分のもとに来てくれたら。
そんなランスロットはランスロットではないと思いつつも、考える。
(ビクターが言うように、たとえ、それをランスロットが選んでくれたのだとしたら、それはとても嬉しいけれど……責任を感じるなと言われても、それは無理だ)
これ以上、何かを背負うことは自分にも出来ない。
(馬鹿だな。それは、どこかで期待してるってことだ)
けれど。
どんなことでも『絶対』というものはない、と彼女は思っている。
だから、ほんの少し。
たとえ、それが他の人間にとっては『絶対ない』と言うことであっても、こうやってわずかな期待にすがるようなことを考えても、仕方がない。
ソニアはそう思って自分を許した。
そうでなければいつまでも、考えてしまうことを考えないように、なんていう、無意味な抵抗を続けて疲れ果ててしまうだろうし。
もし、ランスロットが、自分を選んでくれたら。
(そんなことがあったら、欲が出てしまうなぁ……そう思えば、選ばれない方が、いいんだろう。あたしにとっても)
顔に乗せた腕をどけて、息を整える。硬い地面に重ねられた敷布を背中に感じながら、両手両足の力がぬけていく。
呼吸が落ち着いて眠りに入るまで、そう時間はかからなかった。
 
 
同じ頃。
野営の陣地から少し離れた場所で、スルストはちょうど具合の良い木の幹にもたれかかっていた。
それへ、近づく人影。
陣営からのほのかな明かりを背負うそのシルエットを、スルストが見間違えるわけがない。
何の警戒もせず、彼はその人が近づくのを呑気に待っていた。
「おはようございマース、フェンリルサン」
「とっくに起きていたわよ。あなたが、ソニアの天幕に入る様子も見ていたわ」
「OH!それはそれは」
坐っているスルストの前に現れたフェンリルは、険しい表情で彼に近づき、上から見下ろす。
威圧的とも言えるその態度に、スルストは笑顔を返した。
「何か、誤解をしているようですネー?ソニアのところに行ったのは、愛を語るためではありませんヨ?」
「そんなことはわかっているわ」
「でも、そうですネー。彼女がその気になれば」
くすくす、と笑うスルスト。
「天空に来ていただいてもいいぐらいは、気に入ってるんですケドネ?」
「仕向けたら、殺すわよ」
「物騒な!」
とぼけた風に言って、スルストは笑みを崩さない。が、フェンリルもまた固い表情を緩和させずに彼を見下ろしたままだ。
「フェンリルサンは、寝起きで機嫌があまり芳しくないご様子ですネ」
「寝起きじゃないと言ってる」
「そんな険しい顔をしては、美人が台無しデース」
「ソニアに何を吹きこんだの」
「オヤオヤ、なんということを」
そう言ってから、スルストは折れたように顔から笑みを消す。
「何を心配しているのかはわかりませんが、アラムートの城砦付近にカオスゲートがあることは明らかデース。そこからシグルドに行くとなると」
「……」
「ソニアには、話しておかなければネ。心づもりの出来ていないあの子に、フォーゲルさんの存在は重いでしょうしネェ」
「そんな弱い子じゃないわ」
フェンリルはスルストの言葉を真っ向から否定するように、彼の語尾に言葉をかぶせた。
意外そうに眉をぴくりと動かすスルスト。
「フーン。フェンリルサンは、ワタシよりもソニアのことを御存知のようデスネー?」
「ブリュンヒルドが選ぶ主が、弱い心の持ち主であるわけがない。あの子は、愚かしい虚勢を張り続けていたわたしに比べれば、格段に強い」
フェンリルは何の動揺も感じさせない声音で言い放った。いや、他の者が聞けば、動揺を感じないだろう、声音。
背後の灯りが、彼女のシルエットをわずかに色どり、その銀髪を淡い光が縁取っている。
スルストは木の幹にもたれかかっていた上半身を起して、座ったまま右手をすっとフェンリルに向けて上げた。
フェンリルはそれを一瞥すると
「過去の話よ」
「デスネ」
「なのに、何」
「この手の理由なんて、意味がないものデスヨ。意味があるのは、これがフェンリルサンに今必要なのかどうかだけデス」
ぱしん。
フェンリルは、スルストの手を軽く払った。
「……あの子は、優れた剣の使い手であり、指導者の器だわ。この規模の軍隊を率いても、決断を下す時は多数決、なんて阿呆なことをしない。それがどれほどの強さなのか、気付いていない者が多い。きっと本人もね」
「真にその者が指導者足る者かを量るのは、決断が正しいかどうかではない、ということデスネ」
払われた手を膝の上に戻して、スルストは頷いた。
「その強さは、フォーゲルを受け止めるだけの強さだと、思いたいのよ」
フェンリルはそれだけ言うと、スルストに背を向けて陣営に向かって歩き出した。
鍛え上げられたしなやかな肢体が、陣営側のやわらかな光によって美しいシルエットで浮かび上がる。
スルストはそれを見つめながら、口端を緩めた。
「……ソニアを甘やかしてるのは、どっちなんですかネー?」
きっとソニアに聞けば、フェンリルはいつも手痛いことばかりを言う、と苦笑をするに違いない。けれど、そこに本当は優しさがあることを、ソニアは知っているのではないかとスルストは思う。
(たまには、あなたのことも甘やかしたいものだけど)
フェンリルに払われてしまった右手をまじまじと見て、くくっ、と肩を揺らした。
 
 
それから数日後。
揺さぶられた気持ちと時折儘ならぬ体をどうにかねじ伏せて、ソニアはアラムートの城砦を攻め落とすため指示を飛ばした。
相手は、あまりソニア戦ったことがないジャイアントと人間のハーフという、希少な人物。しかも、双子だと聞く。
その双子の好みなのかはわからぬが、反乱軍に打って出てくる帝国兵は、タロスやバハムートといった、物理攻撃に対してなかなかの耐性を持つものが多く、開戦直後は相性が悪い部隊は相当な苦労を強いられた。
が、そこはソニアの迅速な指示で、サラディン、オハラ、ラウニィーといった、全体魔法を行使出来る部隊や、ゾックのようにソニックブームで後衛からも攻撃が出来る兵をうまく配置をしてじわりじわりと押し返して行く。
耐性が強いだけではなく物理攻撃も手痛かったし、タロスを盾にしてニンジャマスター達が立て続けに魔法を行使してくるのも厄介だ。
すっかりルーンアクスが手になじんだノーマンやユーシスといった神聖なる力の加護を借りられる兵士の配置も、一応ウォーレンに「どうだろう」とソニアは聞きながらであるものの、ほとんどウォーレンは口出しをしない。
それほどに、ソニアは各兵士達の使い方に精通してきたということだ。
「各拠点を解放した者達に、うさんくさい商人やらなにやらがが接触してきて取引をもちかけているようですが」
「放っておけ。いちいち、もちかけられた物の価値を調べるのも面倒だ。必要なものだったら後で手をうつから、もちかけられた取引内容だけウォーレンに伝えてくれ」
「はっ」
北のライの海には最近海賊なども出没するらしいし、このアラムート付近は帝国の入り口と呼ばれるだけあって、マラノに負けず劣らず人が行きかう。だからこそ、盗賊や闇取引の商人も身を隠している。
いちいちそんな者達がもちかけた取引を、受ける受けないなど考えている時間が勿体無い。
ソニアのその指示のおかげで、各部隊は余計な報告をする必要もなくなり、任務に集中が出来る。
「マタガルパ付近に海賊が最近出るらしい。海峡に待機しているノーマ達に、その旨を伝えてくれ」
「はっ」
「オハラ隊とアイーシャ隊の移動が遅れているが、予定通りプリンサポルカで合流をする。こちらも、皇子の部隊と共にプリンサポルカに向かう」
山や海が多く、起伏の激しい地域ゆえに、飛空可能な兵士をうまく使い、ガストンやギルバルドには空飛ぶ魔獣を中心に移動をして拠点解放を行うよう指示を出してある。しかし、どの部隊にも飛行用の兵士や魔獣を配置できないため、地上を移動する部隊は遅れがちだ。
敵はさすがに帝国の玄関と呼ばれる地域だけあって、敵の部隊数もかなりもので、やれ北周り、やれ南周り、と戦力を分散させて拠点を奪い返しに来ている。
拠点を解放して、かつ守る部隊と、アラムート砦に攻め入るためにプリンサポルカに集まる部隊と大きく分けて二種類。
どのルートを使っても、帝国の部隊とどこかでは戦になることはわかっている。それゆえに、大きく迂回するルートをとらなければいけない部隊に、飛行可能な兵を配置した。
オハラとアイーシャ達は最短ルートで向かうが、飛行可能な者はいない。だから、時間がかかるのだ。
最短ルートこそ飛行部隊を使って一気に叩けばいいのでは、という意見も出たが、敵を知るためには地域の拠点を訪問するほうが良い。もちろん、それだけではない。各都市を解放しないままでその領地を治める者をねじ伏せても、逆に各都市駐在の帝国兵が逆上して略奪を行ったということも以前あったので、出来る限り目の届く範囲は拠点解放をして、その地域の民衆の安全確保を優先したい。それは、ソニアの意向でもあったが、今後のゼノビアのことを考えてのことでもあった。
「スルスト様の部隊が、プリンサポルカ入りしたか。早いな。サラマンダーで山を越えたのか。オハラ部隊とアイーシャ部隊が到着次第、オハラは待機して、アイーシャ隊を補佐につけてスルスト様にひとまず行って貰おう。そのためには、アッシュに道を開いてもらう」
スルストの部隊とは、ラウニィーとゾックが加わっている、突発で編成されたものだ。スルストは通常回復役としてハイネを連れて行くのだが、今日は回復の担い手が一人もいない。敵の様子を見るために選ばれたメンバーだ。
ソニアが迅速な命令を下す様子をトリスタンは黙って見ていた。
その視線に気付いて、ソニアが『何か?』と尋ねれば、彼は苦笑いを浮かべる。
「いや、僕は君のようになれないだろうな、と思って」
「そんなことはないですよ。ただ、この軍で共に戦ってきた時間がそれなりにあるので、誰をどう使うのかを早く判断できる、というだけで。大したことはしてません」
「そうかなぁ。僕は同じくらいの月日ここにいても、君のようになれるなんて、想像もつかない」
「それを言ったら、あたしは皇子がどのように国を治めていくのか、まったく想像も出来ませんが」
と肩をすくめるソニア。トリスタンは軽く声をあげて『違いない』と答えた。
「では、我らもプリンサポルカに移動するとしようか」
そうソニアに告げたのは、ランスロットだ。
一同は、アラムート砦に近い工業都市であるプリンサポルカへと、出発をした。
  
 
「そうねぇ。阿呆になったスルスト様が二人いるような感じだったわ」
プリンサポルカ近くの野営地にソニア達が到着したのは夕刻で、ちょうどスルスト隊・アッシュ隊・アイーシャ隊がアラムート砦に攻め入り、退却をしてきた直後だった。
野営であるが、いつものように呑気に夕食を作ったりしている場合ではない。
人々は固パンと干し肉と水、それから、各自携帯できるように小さな布袋に包まれた木の実類を食べながら、冷えた地面の上に腰を下ろして話し合っていた。
「ラウニィー殿……」
ラウニィーの発言をたしなめるように、ただ呆れたように名を呼んだのは、ゾックだ。彼のそういう反応は珍しい。
トリスタンはただ単にラウニィーの言葉の無礼さに苦笑いをしただけだが、ソニアは違う。
ゾックがそのように、どうしようもなくて口からぽろりと苦々しく声が漏らしてるということは、心底ラウニィーにあきれ返っているか、共に戦って余程精神的に消耗しているか、その辺りだろう。
いや、それはきっとラウニィー一人のことではなく、スルストのせいもあるのだろうが。
とりあえずは、ラウニィーのその感想に、ソニアは冷静に言葉を返した。
「それじゃあ、強いじゃないか」
「そういうことじゃないのよ!」
「どういうことだ」
「頭がイカれてるのよ!それが二人いるのよ!」
「ええーーー」
「でも、サンダーフレアをうった感触では、魔法にはあまり強くないようね。見たところ、筋肉バカっぽい印象よ。ただ、前衛にいたほうは、思ったよりは打たれ弱かった気がするんだけど、どうかしら」
ラウニィーはゾックを見た。
ゾックはそこにすぐ返事をするのではなく、一度ソニアをちらりと見て、自分が発言をして良いのかと様子を伺う。
「ゾック」
それを促すようにソニアは声をかけた。
「はい。ラウニィー殿のおっしゃるとおりです」
「ジャイアントとのハーフってことで、得体が知れないと思って警戒していたけれど」
「魔法攻撃をしつつ、直接攻撃も交える、まったくもって普通の戦法を繰り返せばよいと思います。むしろ、バハムートやタロスなどの部隊に立ちふさがられると、そちらの方が厄介だと思うぐらいで」
「ふーん。ゾックもそう言うなら、たぶんそう大したことないんだろう。でも、一度くらい戦って見たいなぁ、ジャイアントと人間のハーフ」
「ソニア殿」
ソニアをたしなめるのはランスロットだ。
「わかってるよ。興味本位では前線に立たない。よし。じゃあ、あたしの部隊ともう一度アッシュの部隊とで他の派遣部隊を抑えておくから、オハラの部隊とアイーシャの部隊で、その双子を倒すように配置しよう。皇子はプリンサポルカの守備をお願いします」
その場に集まっている部隊長と補佐役はみな頷いた。
「双子をどちらも倒す必要はない。一人を倒した時点で、包囲して投降を促せ。倒すのは、出来ればイニシアチブをとっている方だ」
ソニアが一通りの指示を行うと、解散を命じる前にラウニィーに当然の質問を投げかけた。
「阿呆になったスルスト様、ってのはひどい言い草だが、実際、どんなところが阿呆だったんだ?」
「まずはねぇ、やつら、城の入口にどーんって立ってたのよ」
「……外!?」
「そ。雨が降ったらどうする気なのかしらね。多分、反乱軍を待ち構えている俺達、みたいなイメージ?なんていうの。もう自分達の世界なの」
ラウニィーの言葉に、普段簡単に表情を崩さないゾックが、ぴくりと眉根を動かした。
「自分達の世界?」
「さあ、今から戦うわよ、って時に、片方がなんだか遠くをみてるの。えー、なんで目の前にいるのに、こっち見ないの?って思ったら……ちょっと、わたしが片方やるから、もう片方はゾックさんがやって頂戴」
「何を話したか、覚えておりません」
「本当は覚えているくせに。まあ、いいわ」
ラウニィーとゾックのやり取りを聞いて、その時点でソニアは噴きだした。
呑気にこんな話をしている場合ではないのだが、ランスロットもトリスタンも、ついついラウニィーを制止せずに黙って聞いている。
彼女は早口で一人芝居を皆に見せ、失笑をかった。

『兄者、反乱軍のやつらがついにこの城まで来たようだ』
『うむ、われらの目の前に来ているな』
『なんと、そんなに近くまで来ておったとは!』
『さて、どうしたものかな』
『さて、どうしたものぞ』

「何それ」
ラウニィーの迫真でもない演技を見てからの、ソニアの第一声がそれだ。
「何それ、はこっちのセリフよ。何かたくらみがあるのかしら、と思って警戒してたら、スルスト様は途中で飽きたみたいで、『彼らは真剣な話の途中のようですが、殺しちゃっていいデスカ?』なんて言い出すし」
「それは……多分、飽きたんじゃなくて、キャラクターがかぶってるから……」
と口を挟むのはビクターだ。
ついに我慢が出来なくなって、アイーシャがくすりと声を漏らす。
「ジャイアントは人間よりは知能が劣るって聞いたけど、それ以下かもしれないわ!人間とのハーフだからって、良いところどりになるわけじゃないんでしょうね」
「ラウニィー殿、ラウニィー殿」
苦笑を見せながら、トリスタンがラウニィーの名を呼んだ。
「名演技はありがたかったが、それは、他にもいるかもしれないジャイアントと人間のハーフの者達に失礼だよ」
「あら、確かにそうですわね。わたしったら。いえ、あくまでもあの双子を見る限り、というお話ですから」
ソニアはまだ何かを話したそうなラウニィーの言葉を遮って、解散を言い渡した。
それから、人々と共に立ち上がったゾックに、慌てて声をかける。
「ゾック」
「はい」
「誤解しないでほしいんだが」
「なんでしょう」
「ラウニィーのお守をして欲しくて、そんな編成にしたわけじゃないからな」
「……存じております」
ゾックはわずかに口端に笑みを浮かべ、一礼をすると皆の後を追ってオハラ隊としてテリーが待っているところへと歩いて行く。
(ゾックの気持ちを踏みにじるようなことをしているのに)
彼の背中をみつめるソニア。
(変わらず接してくれるし、いや、むしろ……)
少しだけ、近しくなったような気がする。
今のように、人々がいる前でソニアに向けて微笑んだことが、彼にはあっただろうか?
(そんな風に接してるのが……あたしに、気を使わせないように、なんていう配慮だったら……どうしよう)
ソニアは一瞬沈んだ表情を浮かべた。と、そこへ声をかけたのはランスロットだ。
「ソニア殿」
「あっ、う、うん」
「アッシュ殿が、待っている」
「あ」
そうか。
アッシュ隊と共に行動をするのだし。
ソニアは立ちあがって、尻についた土をはらう。
「じゃあ、準備が出来たら出ます。皇子、後はよろしくお願いします」
「ああ。武運を」
「ありがとうございます。ランスロット、皇子を頼んだぞ」
「承知した。くれぐれも無茶をしないように」
「うん」
ソニアは軽く返事をして、ブリュンヒルドを腰にしっかりとつけながら歩きだした。

 
反乱軍はソニアの命令に忠実に働き、アラムート周辺の都市を解放し、戦に破れた帝国兵達がアラムート砦に戻るところを待ち伏せして、投降を促したり、更に砦から離れた方角へ追いやったりと、確実に優位にたった。
朝が明けるまでに何度かプリンサポルカ前でも交戦があったが、眠りの周期に入っていないスルストと、ここまで来たものの砦に攻め込む役目が回ってこなかったトリスタン皇子が大活躍を見せる。
そして。
アラムート砦を守っている、カストルとポルックス。
その双子は相変わらずラウニィー達の情報通り、城の外でオハラ達を出迎えた。
大きな城門。
立ちふさがる巨体は、成人男性の一回りどころか二回りほど大きい。
噂通りの巨体に驚いて、本来はそれに怖れをなすはずだったその時。
反乱軍の面々にとっては、それ以上に気になる物が視界に入った。
「うわ。食器……」
ゾックの代わりにオハラ隊に配属されたビクターが、小さく声をあげた。
彼らは、大柄な2人から少し離れたところに置いてある、使用済の食器を見つけたのだ。
平静を装っていたテリーはこそこそとオハラに
「まさか、ずっと立ってたのかな」
と耳打ちする。
「……どうみても、ここで何かを食べたような様子ですよね?……」
「置いてあるよね……ずっとここにいたんだね、きっと」
「うっわ、嫌だよ、こいつら……」
嫌そうに2人を見るオハラ達。
彼らがわかったことといえば、目の前の双子――しかも、よほど肉体に自信があるのか、上半身には何もまとっていない――が、延々反乱軍を待って城の外にいた、ということだけだ。
その視線をまったく気にするでもなく、双子達は口を開いた。
「反乱軍の勇者たちよ。よくぞここまで来たな!」
「殺生はつらいが、帝国にはむかうやつらを許すわけにはいかん」
誰も求めていないというのに、よく通る声で朗々と口上を述べる2人。
身振り手振りもいちいち大袈裟であったが、さすがにその太い腕、同じく筋肉質で太い足、半裸で見えている割れた腹筋は、オハラ達を警戒させるに足りた。
「われら兄弟が相手だ。さあ、かかってこいッ!!」
他の兵士達の力を借りようとせず、双子はたった2人でオハラ達に挑もうと、両手をあげて構えた。
「投降の意志はないのですね。では、行きます!」
プリンセスとなり、リーダーとなって経験を重ねてきたオハラは、凛とした声で戦の開始を告げる。
前衛にタロスを配置して、テリーとオハラはその後ろに隠れるように控え、全体魔法に集中をした。
通常ならば前衛で剣を振るうビクターも後衛に下がり、傷を負ったタロスにヒーリングをかける。
回復役としてはクレリックやプリーストに及ばないものの、ビクターを配置したのは、タロスが守れる後衛の人数に限りがあるからだ。
後ろに下がっているものの、敵が踏み込んでくれば打撃を直接くらう状況での回復役に、プリースト達では不安がある。
また、タロスが集中攻撃を受けて耐えられる相手なのかがわからないから、回復役は間違いなく必要。
その二つの不安要素を鑑みて、選ばれたのがビクターだ。
その懸念通り、ビクターもまた敵の攻撃に晒されるが、オハラとテリー、二人の攻撃魔法で敵に与える痛手に比べれば大したものでもない。
「むむむ、思いのほか強いではないか!」
「先にやってきた一派もなかなかではあったが、全体魔法とは卑怯なり!」
卑怯もくそもあるか、とビクターは苦々しく思いながらタロスにヒーリングをかける。
と、その時だった。
「兄者!」
「弟よ!」
「今こそ、我らが必殺技を!」
「うむ!」
芝居がかった相変わらずの物言いで、高らかにお互いを呼び合う二人。
必殺技、と聞いてオハラが叫ぶ。
「何か来ます!構えて!」
次の瞬間、大男二人は、声をそろえた。
「ジェミニ、アターーーック!」
その声を聞いてちらりとビクターは
(阿呆になったスルスト様、とは、よく言ったものだ……)
と、ラウニィーの喩えに感心をするしかなかったという。
 
 

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