騎士の驕り-6-

「……ソニア、意味がよく、わからない」
静かに、けれど幾分怒気を含んだトリスタンの声。
ウォーレンはやはり黙ったまま、ソニアの言葉を待っている。
当然と言えば当然だが、全ての説明を委ねられたか……と、ソニアはトリスタンに苦笑を向けた。きっとウォーレンはそれなりに察しているのだろうが、ソニアの口から語らせたいのだろう。それぐらいのことがわからぬ彼女ではなかった。
「キャターズアイをラシュディが手にしているとわかった今、できる限り早くラシュディのなんらかの野望を止めなければいけないというのが、我々の考えですよね。でも、砂漠の向こう側、旧帝国領で何が起こっているのかは、こちらに情報が届いていません。もしかすれば、ラシュディはわれわれの予想以上に帝国を蝕んで……たとえばアンタンジルのように、魔界との交信をしている可能性だってある。正直、斥候役を出して砂漠を往復して欲しいところですが……」
若干の苛立ちを含んだトリスタンの声が、ソニアの言葉を遮る。彼がそういう形で会話を止めるのは、相当珍しいことだ。
「何が起きていようが、砂漠を越えるかライの海を経由して、帝国領に攻め入る必要があることに変わりはないだろう?」
「ええ。それはそうなんですが……問題なのは、天空の三騎士達が想定してこの軍に残っている、なんらかの事態であって……そういう事態になった時に、皇子を安全な場所に送るためにカオスゲートを使おうと思っていたんですが……砂漠のあちらにカオスゲートがあれば、何かあった時に天空を経由して戻ってこれるかなぁなんて思っていたのに、それは単なる希望に過ぎなかった。まんまと、最後のカオスゲートはこちら側でした。空を飛ぶ魔獣を使おうとしても、砂漠のあちこちで発生する竜巻を回避をするには砂漠の案内人しか出来ません。ライの海を経由して帰ってくるにも、人災が危ぶまれます。ただでさえ帝国領に皇子をお連れするのは危険だというのに、あたしの向かう先にはその、何なのかわからない脅威があるのだと……ようやく、そういうことなのだと合点がいったんです」
「……僕に、敵前逃亡をしろというのかい」
眉を寄せたトリスタンはそう言うと、深い溜息をついた。
まだ、ウォーレンからの応えはない。ソニアは言葉を重ねる。
「ミザールはあたしに力を与えたのは、いずれ天界が介入しなくちゃいけないほどの大きな問題が発生したときに、地上で正しく天使の力を使う人間としてあたしを選んだからだと……スルスト様にも、言われた。天空の三騎士が一人の人間に力を貸してこうやって同行していることは、そんなに安直なことじゃないと」
そこまで話を聞いて、ようやくウォーレンは重々しく頷いた。
「成る程……うむ……星も、それをだいぶ前から指し示しており、いつか、それが具体的な形になって行く手に立ちふさがることは、わかっておった……」
「わかっていたのか?ソニアが懸念している、その、よくわからないようなことを」
トリスタンは、僅かに声音を荒げてウォーレンに問う。叱責の色を含んだ彼の声を聞くことは珍しい、となんだかひとごとのようにソニアはぼんやりと思った。
「そのように、具体的なことではなくて、なんと申し上げればよいのか……だからこそ、永久凍土に行くことを、主張したのですよ。ミザールという天使が、もう少しラシュディに対する情報を持っていれば、この先ソニアを待ち受ける何かが僅かでも見えるのではないかと。キャターズアイの使い道も、多少の情報があれば、サラディン殿が何か思い浮かべてくれるのではないかとか……おいぼれの力及ばぬ部分が大きく、かつ不確定要素が多いため、表立って進められる話ではなかったこと、お許し願いたい」
ウォーレンはそう言って、トリスタンに頭を下げた。
老体にそこまでされては、さすがにそれ以上子供のように怒るわけにもいかない。トリスタンは幾分声の調子を抑えて、平静を装った。
「……それはいい。別に。僕は、ウォーレンやランスロット、勿論ソニア、皆が作り上げてくれたこの軍に所属させてもらっている一兵に過ぎないのだし」
トリスタンのその言葉は、嘘偽りのない言葉だ。彼は再三自分のことをそういう立場だと口に出し、ソニアの立場が危ぶまれぬようにと彼なりに気を使っていた。それをソニアも知っている。
だから、彼の言葉を「そうではない」と社交辞令で返すことがソニアには出来ない。
他の人間が聞いていれば、きっと「皇子、何をおっしゃるか」と言い、ソニアにもフォローを求める素振りをするだろう。だが、それは間違いで、トリスタンの厚意を傷つける安直な考えだ。
これまで、彼がそういう態度を貫いてくれたことが、ソニアにとってどれほどにありがたかったか。そして、その感謝をわざわざ隠すほど、ソニアは複雑な人間ではない。常に難しいことを考える立場であっても、もともとの彼女の気性は捻れていないのだ。
ソニアは素直に自分の気持ちを言葉にしつつ、トリスタンに頭を下げた。
「そういう立場に徹していることを、苦痛に思うこともあったでしょう。今もまた。けれど、そのことに感謝しています」
「まだ、そんなことを言われるには早いと思っているんだけれど」
「言葉に出来るときにしておかないと、時期を失うこともありますから。人は、いつでもそこにいるわけではない。いつまでも命があるわけでもない」
「それは、確かだね」
だが、とトリスタンは何かを続けたそうだったが、軽く手を振った。それは、今の自分の素振りをなかったものにして欲しい、という意味だ。そうであれば、敢えてソニアもそれを追求せず、小さく頷き返すだけ。
彼らはお互いの思うところをすべて曝け出すような仲ではないし、だからといって信頼関係がないわけではない。
トリスタンもソニアも、お互いの距離感をうまく保ってここまで来た。そんなトリスタンにとっては思いも寄らぬ展開であり、理性的に話を進めようと最大限の努力を彼はしている。
だからこそ、その距離感を壊すようにソニアに一歩踏み込むようなことをトリスタンは避けた。そうしないと、感情が先立ってしまいそうだと彼は判断したからだ。そして、ソニアもまたそれを避けるために、トリスタンが何を言いたかったのかと決して問いかけない。
お互いに、これ以上の地雷を踏みたくないという防衛心が働いたというのが、本心だろう。
「さて……」
その二人のやりとりをどう感じたのかを、まったく表に出さずにウォーレンが話に割り込んできた。
「どっちにせよ、軍議は明日」
彼の声音から、それは決定事項で覆すつもりがまったくないことだとソニアは感じる。が、彼女は彼女で、それでは合点がいかぬと反論をした。
「えっ、でも……あたしがカオスゲートの情報を持って帰ってきたんだ。みんな、軍議が明日なんて、不思議がるだろう」
「今から、このおいぼれは体調を崩すことになっておって。このような老体といえど、軍議には欠かせぬ存在だと人々が思うぐらいには働いているつもりですが、皇子、いかがなものでしょうか」
飄々とした風でウォーレンはそう言うと、トリスタンの答えを待った。
「……ソニアの都合ではなく、こちらの都合なら、仕方ないだろう」
トリスタンの返答は煮えきらないものだったが、ウォーレンの思惑がわかっていないわけではない。彼はただただ、ソニアからの話が彼にとってはあまりに寝耳に水ということで、いくらか拗ねているのだ。
「明日まで延ばすほどの……」
ことではない、と言おうとしたソニアに、久しぶりにウォーレンは厳しい口調で言葉を遮った。
「何を言うか。いくら薄々感づいていたこととはいえ、我々にも心の準備というものが必要だ。ソニアに、それが必要だったように。そこは急く場所ではない。急ごうとしているのは、自身が楽になりたいからだ」
「……うん、それは確かに」
「それに、仮にソニアの主張を通すとしても、それを突然軍議で話すわけにはいかぬ。少なくとも、我々はランスロットにこのことを伝えなければいけないのだろうし」
「あ、それは、うん」
「突然歯切れが悪くなるぐらいには、言いづらいのだろうて」
「……うーーん」
そうだ、とは言いたくなくて、ソニアは口をへの字に曲げた。
その表情が肯定の意を表していることは、ウォーレンもトリスタンもわかっている。
次に溜息をついたのはトリスタンだ。
「……ソニア、僕はね」
「はい」
「一蓮托生とまでは、行かないとはわかっていたよ。我々がゼノビア復興のために動いていても、君は干渉しない。けれど、君が何か動こうとすれば、我々は干渉をしなければいけない。たとえば、永久凍土の時のように。君が個人的な理由でミザールに会いたいといっても、ではお好きにどうぞ、我々は静観してます、とはいかなかった。それでは、一連托生とは言えない……それでも、騙し騙し、一連托生のふりをしたまま、帝国を打ち破るところまで共に歩みたいとは思っているんだよ」
「……はい。あたしも、出来ればそうしたかったのですが」
「じゃあ、そうしてくれないか……と言ってしまうと、僕はゼノビア皇子ではなくなるのだろうなぁ」
ウォーレンをちらりと見て、トリスタンは苦笑を見せた。
ゼノビア皇子という肩書きがあってこそ彼はここにいるが、何があろうとついていくと言えば、それは皇子たるものの言葉と認められないだろう。
王族の心がけを知らぬものだけが、安易に「ついていきたいならついていけばいい」と口に出来る。それを、トリスタン自身は重々理解していた。
「なんにせよ、少なくともランスロットに話を通さないとな。彼にも立場があるし、それ以前に……僕は、彼に妬かれるのは困る」
「……やく?」
トリスタンの言葉の意味がわからず、ソニアはぼそりと問い直した。トリスタンは疲労の表情を隠さない。首元に右手をあてると、頭をゆっくり左右に倒しながら説明をする。
「近しいからこそ言いづらいことがあると知っていても、知らされないことの方がつらい。ウォーレンの雰囲気からすると、ランスロットにもウォーレンの予想を言ってなかったんだろう?」
「それは、無論」
「それなら、あの生真面目な騎士は落胆するだろう。ソニアの提案にではなくて、今、この場に自分が共にいなかったことをね」
ソニアは、それはなんと返事をして良いかわからず、曖昧な笑みを浮かべた。
笑み、と思っているのはソニアだけで、実際は口端が僅かに歪んだだけだったのだが。
 
 
まったく、ソニアともあろう者が、そこまで考えているくせに片手落ちだ。
どれほどの兵士がソニアの言葉に納得をすると思っているのか。
この軍には道理が通じる者も通じない者もいる。
ソニアが今やろうとしていることは、来るか来ないかわからない未来のために軍を混乱に陥れることだ、受け入れ難い……そう感じて突っぱねる兵士がどれほどいるだろうか。
ソニアの意向は理解出来るし、実際正しいとも感じる。だが、どうせやるなら、もう少し計画性を持て。
……等々、ソニアはぐうの音も出ないほど、あれからウォーレンに散々言われた。
口唇を噛み締めて耐えるだけのソニアの様子を哀れんで、途中でトリスタンが「ウォーレン、その辺で」と何度も声をかけたほどだ。
だが、最後にウォーレンは
『だから、ソニアが本当にそれをやるとなったら、みなが納得するような理由を作るがせめてものはなむけというもの』
と柔らかな声音で告げた。
それは、今に始まったことではないとソニアはわかっている。
いつだってウォーレンはソニアの意思を出来る限り尊重し、それを理解できない兵士達を動かすための口八丁手八丁を使ってきた。
それこそ、何故ソニアが反乱軍リーダーになったのか、といった話まで捏造してしまうほどに。
ソニアは、良いように使えばよいと長い期間思っていたけれど、実はそれはソニアのためでもあるのだと、ある時理解をした。
事実、ウォーレンの捏造はいつもソニアにとっては都合がよく、面倒な追求もされず、大きな破綻もなく、お互いの行動に制限を設けなくて済むようなものばかり。いささか安直な設定だ、とソニアが思うことがあっても、その「いささか」具合が絶妙だったし、兵士達はいつだって「自分達にとってわかりやすい」シチュエーションを求めるものだ。
今までウォーレンは「自分が動きやすくするため」とソニアにうそぶいて裏で手を回していたけれど、それらはソニアに確実に恩恵を与えている。そして、今回もまた、そうすべく時間が欲しいのだと彼は言っているのだ。
「あーーー……大きな借りだ……」
自室に戻るまでの廊下で、ソニアは呟いた。
数人の兵士とすれ違ったけれど、ありがたいことにソニアをよく知る兵士はその中にはいなかった。
とにかく部屋に戻って、やるべき仕事をこなして、それから。
それから、多分やってくるだろうランスロットを待たなければいけない。
ウォーレンとトリスタンに告げたことよりも、そちらの方が、余程難儀なことにソニアには思えた。
 
 
部屋に戻ったソニアは、髪を結び直し、少しだけ水を飲むと椅子に座ってただただ静かにしていた。
もうすぐ夕食の時間だろうという時に、数人の兵士がやってきて業務報告を行っていった。それだけの訪問者で済む日は珍しいのだが、どうやら今日はそういった特別な日らしい。
天の父とやらが、そんなこともお膳立てしているのだとしたらやってられないな、と心の中で呟き、ソニアは業務をほぼ放棄して静かに時間の経過に耐えていた。
外から僅かに聞こえた煮炊きの声が届かなくなると、ソニアは夕食を自室に運ぶように女性兵に声をかけた。すぐに運び込まれた夕食を無理矢理かきこんで――正直なところ、ソニアは空腹を感じていなかったので――さっさと食器を厨房に返却した。
(静かだ。いつも、もっと忙しいのに)
そう繰り返し思うぐらいしか、ソニアは何に対しての興味をも失い、ただ静かに部屋で息を潜める。
思考が止まっている自覚はあったけれど、いつもならそれを許さぬ彼女も、今日は自身にそれ以上鞭をうとうとはしなかった。
どれほど経っただろうか。外は当然、既に夜の帳が降り、見張りはまだ深夜番にはならない、それぐらいの時刻。
ようやく、耳慣れたノックの音が響いた。
たとえ、感情がそこに乗っていても乗っていなくても、それが誰のノック音なのか、ソニアは間違えない。
ばくん、と心臓が跳ね上がる。
ランスロットだ。
自分の部屋の扉を開けられることが、こんなに恐ろしいと思ったことは生まれて初めてだ。
自分の命を奪う刺客が入ってくると思えば、そこに存在するのは恐怖ではない。どうにか生き延びるための行動を探り、それを実行するための緊張が与えられる。
けれども、今のソニアには、表現しがたい恐怖以外に何も感じられない。
たとえば。
彼が部屋に入ってきたら、初めに何を言われるだろうか。
その問いかけの答えすら、何ひとつソニアには思い浮かばない。
いつもなら、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
よく知った相手ならば、すぐにいくつか選択肢を思いつく。そして、時には当たり、時にはそのどれにも該当しない言葉を与えられる。
それは、あまりにも当たり前のことだ。
けれども、それを思い描くことが出来ない。
ただただ、彼がこの部屋に入ってくることが怖い。けれど、それを拒むことは自分自身が許さない。
(どうして)
ほんの僅かな間で、ソニアの心の浮かんできたのはその疑問だ。
どうして、こんな風に。
彼が自分に会いに来ることが怖いなんて。
こんなことになってしまったのかと、突然誰にともなく問いかけたくなる。
(見なかったふり、考えなかったふりをすれば、よかったんだ)
もう後戻りが出来ないこととわかっていても、どうすればよかったかはソニアもわかっている。
ゼノビアのことなぞ、ソニアが考えなければよかったのだ。
この先、天空の三騎士が下界に干渉しなければいけないような大事が起こり、ラシュディが予想以上の強大な力を持って現れたとしても。
それらが想定外のことだと偽って、ただひたすら、後は手に入れた力と自分が可能な限り戦う。それに巻き込まれた者達には申し訳ないが付き合ってくれと。むしろ、付き合わなければ守ることも出来ないと言ってしまえばよかったのだ。
トリスタンの安全を保証出来なくとも。
帝国軍と関係がない戦が例え始まっても。
律儀に話を通さず、見ないふり知らないふりをして、使える者を使ってしまえと割り切ればよかったのだ。
けれども。
ソニアがそれが出来るような人間だったら、兵士達はここまでついてこなかっただろう。
手の内を明かすのは、兵士達への信頼と感謝だ。それをないがしろに出来るソニアではない。
それに。
今、まさにこの部屋に入ろうととしている聖騎士は、ゼノビア復興を望んでいるのだ。
その願いがあったからこそ、彼とソニアは出会ったのだし。
「失礼する」
キィ、という蝶番の音が、やたらソニアの耳には不快に感じられる。
「ああ」
ついに意を決して振り返ったソニアは、予想外のことでぎょっとした。
ゆっくりと扉を閉めるランスロットはいつもの甲冑を身に纏っておらず、簡素なシャツに皮のベストといった普段着だったからだ。
「……珍しいな」
素直な感想がソニアの口からぽろりと漏れた。
ランスロット自身も気にしていたのか、困ったような笑みを向け
「このような格好で申し訳ない……部屋であれこれ考えていたら、なんだか鎧がやたらと重く感じられてしまって」
「体調が優れないのか」
「そなたは、時々驚くほど鈍いな」
はは、とランスロットは笑い声をあげたが、その声は低く、自嘲を含んでいるようにソニアには感じられた。
「……座るか?」
「いや……そこまで、長い話ではないと思うので。ソニア殿は、座っていていただいて結構」
「そうか」
長い話ではないと思う。
その言葉で、ソニアの胸にちりりと痛みが走る。
長くならないということは、ランスロットは無駄な説得をしないことなのだろうと、ソニアは瞬時に判断をした。
未だ、心臓の音はやたらと大きい。
己の鼓動は耳で聞こえるようなものではないが、一度感じ取ってしまえばそれが体の中でいつも以上に激しく動き、内側からノックを続けているように感じられてソニアは無意味に急かされる。
自分の内部で反響しているようなその鼓動を抑える術がソニアにはない。
こんなにも、「早く助かりたい」と思うなんて。
早くランスロットの言葉を聞きたい。話が終われば、このどうしようもない鼓動は落ち着くに違いない。
反面、「聞きたくない」とも思う矛盾。
その葛藤を無意味にするかのように、あっさりとランスロットは口を開いた。
「5部隊は少ないな」
「……えっ?」
思いもよらぬ言葉に驚き、ソニアは素っ頓狂な声をあげた。
5部隊。それは何の数字だったか。
いつものソニアであればすぐに理解しただろうに、今日はそういうわけにもいかない。
ソニアはしばし眉を寄せて考えこみ、やがて、なんとか正解を探り当てた。
「砂嵐を観測してる案内人の情報をもとに、砂嵐を回避しながら飛行部隊も同行するつもりだ。あくまでも、長時間砂漠を歩く部隊が5部隊だってだけだ。それに、慣れない砂漠をぞろぞろ歩いても、空からの格好の餌食になってしまうだろう?」
砂漠超えのために装備品を揃えろと命令しておいたのは、確かに5部隊分だった、とソニアは思い出す。
そして、それはランスロットには知らせてなかっただろうことも。
誰から聞いたのかはわからないが、きっと荷を用意するために商談に行った兵士達のうちの誰かに違いない。
「しかし、やはり5部隊は少ないな」
もう一度、穏やかにランスロットが告げる。それへ、ソニアもまた、特に声を荒立てるわけでもなく淡々と答える。
「うん。少ないね」
「それで本当に戦う気なのか」
「トリスタン皇子が前線を離脱したら、相当数の兵士がこの軍から出て行くだろうし」
「……どちらにせよ、そのあたりのことは、そなたの一存では決められぬことだと思うのだがな」
「うん。ウォーレンにもそう言って怒られた。一人で全部決めすぎだって。それはわかっている。ちょっとだけは反省してるんだ」
「はは」
ランスロットの小さな笑いは、抑えた音量以上に力なくソニアに聞こえる。
それが、ソニアにとってどれほど悲しいことなのか。
ソニアは喉元にせりあがってきた、反射的な謝罪の言葉を飲み込み、唇を噛み締めた。
そうだ。悲しい。けれども、それは自分ひとりではなく、きっとランスロットも。
(そうであってくれたら、申し訳ないけれど、嬉しい。そして、嬉しいと思うあたしであることが、本当に申し訳ない)
ソニアの思いをランスロットが知るはずもない。
彼は、ゆっくりと
「……そなたは、一人で此度のことを決めたのだな」
そう言って、小さな溜息をついた。
そうだ、と簡単に返せば良いはずの言葉に、ソニアは唇を引き結んだ。
自分の鼓動が早いことに再び気付くソニア。
いけない、気を緩ませるとすぐに駆け引きじみた言葉が飛び出そうだ、と思う。
口から飛び出そうな駆け引きは何のためのものだろうか。今更、何を彼に求めているのだろう。
そう自制しようしようと心がけたけれど、言葉は思いのほか早く口から放たれてしまった。
「相談して欲しかった、と、思っているか?」
ソニアのその言葉にランスロットは眉を潜め、今度は深い溜息をついた。
「……それは……わたしが相談をするに値しなかったのだと……そう言うための質問なのかな」
「!」
しまった、と心底後悔をするソニア。
自分の口から不意に出てしまったそれは、ランスロットにとってなんという言葉の刃だったのだろうかと一瞬にして理解をしたからだ。
だが、出てしまったものは仕方がないし、残念ながらそれは否定をすることではない。
動揺を悟られないように、出来るだけ静かに、震えぬように。
「そうだな」
彼を傷つける返事と知りつつ、ソニアはあっさりと答えた。
すると、ランスロットは口端を軽く歪め、ソニアに微笑みかける。それは自嘲の笑みにしか見えなかったけれど、それでも彼があからさまに怒らなかったことはソニアにとってはほんのわずかでもありがたく思えた。
が、次の彼の言葉は、まったくソニアにとって予想外のことだった。
「そうだな。そなたが痩せてしまったことすら気づかぬわたしの目は節穴だったのだしな」
「え?」
「そなたをこの先助ける者は、きっとわたしではないのだろう。それにいつまでも気づかなかった上に、勘違いを重ねて壁を作ってしまったのはわたしの方に違いない。すまなかったな」
「……」
何かを言おうと、ソニアの唇は開こうとした。だが、それはまったく何ひとつ音として空間を震わすこともないばかりか、ぴたりと動きを止めてしまう。
ランスロットの言葉の意味が、わかるようでわからない。けれど、それをひとつずつ問いかけることがなんだかひどく無駄な行為に思え、一瞬時は止まったようにソニアは動くことも思考を巡らすことも放棄をした。
「軍議は明日にしようとウォーレンが言っていたが……それは同意しているのだろう?わたしも今晩はみなと相談をしなければならぬし」
「あ、ああ。仕事を増やしてしまってすまないな」
「いや。この程度。それに、そなたのために出来ることは、後はそう多く残っていないかもしれぬし、お安いことだ」
みなと相談。
それは、誰のことだ。
ソニアは自分の思考がやたらと鈍っていることすら、理解が出来ていなかった。
そうか、ランスロットが言う「みな」は、ゼノビアの人々のことか。そうだろう。反乱軍の兵士達のことではない。
そういう立場の人間なのだ。
だから。
ぐるぐると、どうしようもない言葉がソニアの頭の中で渦巻く。
あたしをこの先助けるのは、ランスロットではない。
ランスロットがあたしのために出来ることは、後はそう多くない。
それは、あたしの決断でもあるけれど、ランスロットの決断でもあるのだろう。
そんな止め処もないことを考えているのに、やたらと冷静な言葉がソニアの口からは次々に発されていく。
それが自分の声ではないように、ぼんやりと遠くから誰かが話している音のようにソニアは聞いている。
「悪いな。明日の軍議前に、いくらか打ち合わせも必要となるだろう。ウォーレンにはたくさん怒られてしまったが、きっといいようにしてくれると信じている」
まるでひとごとのようだ。彼女自身がそう思うほどに、ソニアの声音は淡々としていた。そして、それに答えるランスロットの声音も。
「ああ、勿論。では、明日」
「ああ。また明日」
軽く会釈をして、ランスロットはあっさりと背を向けた。
そうか、座って話すほどでもないと言っていたし、これからウォーレン達とああでもないこうでもないと話し合うのだろうし、長居は必要ない話だ……ソニアの思考は理知的にそう考えた。
だが、それすらなんだか誰かが教えてくれる声に聞こえ、自分自身の思考と自分が切り離されているように感じる。
(だから、こんな簡単な別れは当然で)
いつもならあるはずのおやすみの言葉もなく、振り返ることもなく出て行くランスロット。
ぱたん、と扉が閉じる音。
しばらくの間ソニアは扉を見つめていたが、突然首がかくりと横に折れた。
「あ」
口から出た声は意味を成さず、それ以上呟くような独り言もなく。
何度か瞬きをしてからソニアは体をゆっくりと折り、机に突っ伏した。
何も考えたくない。瞳を閉じて、意識を閉ざして、このまま明日になって。明日の軍議があっという間に終わって、それから数日経って。
気がついたら、何もかもが変わってしまって、ただ進むしかない。そういう状況になってしまっていれば、どれほど楽か。
けれども。
悲しんだり苦しんだりしている暇は、今はない。
考えなければいけないことはまだまだ山盛りだ。
ぎゅっと閉じた瞼の裏に、ちらりちらりと白い星のような光が動き、どんよりとした黒と灰色が混じった空間が歪む様子が不快だ。それは、自分の今の心の在りようにも似ているとソニアは思い、唇を噛み締めた。
ランスロットの来訪まで止まっていた思考が、今度は湧水のように迸り、ソニアの脳と心を苛む。
(とりわけ、オハラのことは……本人次第といえばそれまでだが……)
以前から、ソニアはオハラに関しては始終気を使ってきていた。それは、ソニアの意思で彼女に「プリンセス」という称号を与え、それまでなかった能力を授けてしまったからだ。
自分には、オハラに対する責任がある。けれど、だからこそ、無理強いをすることは出来ないとも思う。
トリスタン達に言ったように、反乱軍は帝国を倒すために集まった人々で構成されているけれども、この先戦う相手が帝国だけとは限らない。むしろ、そうではない向きに矛先が向かおうとしている。
もし、オハラが帝国以外のものと戦う意思がなければ、軍の離脱も止むを得ない。
そうなったら、ウォーレンに彼女のことを託すことになるだろう。それがソニアが至った結論だ。
(彼女がこの先あの力を、ウォーレン達にも利用されないように手を打たないと……ノーマンがいてくれれば、それは回避出来るかな)
オハラの恋人であるノーマンは、もともとオハラを戦わせたくないと主張していたのだし。
ならば、ノーマンも共にその時は反乱軍から離脱してもらうのが良いだろう。
「……あれ……」
ゆっくりと机から体を起こして、ソニアは瞳を開けた。瞬きもせず、かといって何に焦点があっているかもわからず、物を映さぬ眼球がそこにあるように、彼女の目はまったく機能をしていなかった。いや、単にソニアの意識が「何かを見ている」ことを放棄し、彼女は瞳に映すものではなく脳内の映像に集中をしていたのだ。
「誰……」
(では、一体誰が残るんだろうか)
幾度となく考えたはずの反乱軍の行き先。
これから自分と共に進んでいく兵士達。
彼らは、いたはずだ。天空の三騎士だけでもなく、ソニアに命を救われたからという理由で付き従う人々だけではなく、他にも。
少なくとも、トリスタン達に事情を説明するまでは、そうだ、少なくとも5部隊分は最低でも自分についてきてくれると信じていたのだ。
ランスロットは5部隊が少ないと言っていた。それにソニアは「飛空部隊も」と誤魔化したが、本当はそういう数字ではない。
砂漠を渡り、帝国に攻め込むには5部隊は笑えるほどに少ない。
けれど、考えに考えた末、確実に共に来てくれそうな人員は5部隊分しか思いつかなかったのだ。
(でも、本当は……そんなに、残るのか……?)
突然の動揺。
恐れが、まるで津波のようにソニアの心に押し寄せてくる。
叫びだしたい衝動が体を襲ったが、ソニアは右足で強く床をダンッと踏み、寸での所でそれを堪えた。
みんながいる、とカノープスは言ったし、自分もそう答えた。
なのに、なんだ、この不安は。
(あたしは、誰も、信じていないのか。もしかして。ならば、誰もあたしを信じていないんじゃないか)
ここにランスロットがいれば。
それは違う。出来うる限りの可能性を考えることがソニアの役目だからこそ、最悪の事態を思い描いているだけだ。それは、信じていないということではない。
信じているけれど、人には人の事情がある。悲しくも意志を貫けぬこともある。だから。
だから、信じていても信じられないのだと。
(それは、信じていないということだ)
そうではない、とランスロットならば困った表情で言うに違いない。
けれども、ここにはランスロットはいない。それだけは間違いのない事実だ。
現実とは、そういうものだとソニアは苦笑を浮かべ、落ちてくる髪をかきあげる。
「大丈夫だ。自分の足で立つ。選ばれたんじゃなくて自分で選んだ。ミザールの言葉は正しい。泣き言を言ってる場合じゃない」
そう声に出して己を叱責すると同時に、勢いよく立ち上がるソニア。
と、その時、バタバタと大きな音が廊下から聞こえてきた。
「ソニア様!失礼致します!」
「どうした!入れ!」
部屋の扉を勢いよく開けて、一人の兵士が飛び込んでくる。
夕食もとうに終わった時間だ。夜襲でもなければ、こんな剣幕で報告が来るとは思えない。そうでなければ、どれほどの不測の事態が起きたのか、とソニアは彼の言葉に耳を傾けた。
ソニアより10歳は年上かと思われる兵士は、慌てふためいた様子で息を切らせ、早口でまくしたてた。
「先ほどっ、南砦側にジェミニ兄弟が現れました!」
「……ぶはっ!」
つい、反射的に笑い声をあげてしまうソニア。
「二人だけか」
「はい。他の帝国兵は見当たらないとレイモンドとギルバルド様から報告が来ています」
「レイモンド達が言うなら、確かかもな」
レイモンドは斥候役として高く評価されているし、ギルバルドからの報告ということは魔獣を使ってさまざまな方角から確認済みということだ。
あのいささか間抜けなジェミニ兄弟は、また二人きりで挑んできたのだろうか。
(スルスト様がブチ切れながら追い払ってた、と話は聞いたが……)
「現在、そちらを守っていたアッシュ隊が交戦中です!増援として、近くにいたアイーダ隊が向かっています!」
「二部隊がいるならあたしが行くまでにけりはつくだろうが、ちょっと面白そうだから見に行ってこよう。まったく、夜遅くに困った巨人達だ、夜目が利くのかなあ?……カノープスはちょっと休ませてやるか。キャスパーはいるか?キャスパーに飛んでもらおう」
くっく、と笑い声をあげ、兵士に通達を依頼しながらソニアは廊下に出た。
と、ちょうどそこには報告を聞いて駆けつけたのだろうランスロットの姿が見える。
先程からそう時間も経っていないというのに既に彼は鎧を身に纏っており、兵士に何かの命令をしていた。
一瞬足を止めるソニア。が、息を深く吸って吐いてを繰り返しながら、彼女は己に問いかける。
(あたしが乱れてどうするのだ。自分から石を投げたのに)
動いてしまった水面に、自分が動揺してどうするのだ。わかっていたのは自分だけだったのに。
怯むことが許されたのは、石を投じられた方だけだ。
(よし)
甲冑を着込んだ彼はいかにも「いつも通り」に見える。ならば、自分もそうすべきだ、と己を鼓舞し、ソニアは早足でランスロットに近づいた。
「ソニア殿」
幾分戸惑いが含まれる声。それは、ソニア以外の人間は感じ取れないほどの、僅かなものだ。それに気付けることは、良いことなのだろうか。ちらりとそう思ったけれど、ソニアは努めて「いつも通り」に振舞った。
「もう戦いは終わってしまうかな?ちょっとアッシュの奮闘を見てこようと思うんだけど」
ソニアの言葉に、ランスロットは僅かに眉根を潜めた。咎められるだろうか、とソニアは構えたが、彼の返事はそうではなかった。
「まったく、人が悪い」
ランスロットの言葉は制止ではない。
それにソニアは安心し、小さく笑いながら彼を誘った。
「ランスロットも来るか?」
「……ご一緒いたしましょう」
「うん」
ソニアはランスロットの脇をすり抜けて歩いていく。その少し後に付き従うランスロット
もしかして、こんな風に共に戦場に出向くのは最後かもしれない―そんな感傷的なことを考える余裕など、ソニアにはない。
ただ、どこまでも「いつも通り」であることにソニアは重きを置いた。彼女の背を守るように歩いている彼が、そうであろうとしていることを痛いほど感じ取ったからだ。

 

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モドル