闇の愛惜


ね、お願い。
あなたは生きて。

女が男に可愛くねだるように、甘さを含んだ声で彼女は言った。
ずるい女だ、とデボネアは苦笑を見せる。
「君と共に逝くことを選ばせてくれないとはね。想像通りだけれど」
そう言って、彼は腰から剣を引き抜いた。
檀上の玉座から彼を見下ろした女帝は、くすくすと笑い声をあげた。
ゼノビア城、王の謁見の間は、広間から玉座にあがる階段は十二段。それが多いのか少ないのか、シエラはよく知らない。
今まで、いくつもの城を陥落させてきた。けれども、そのひとつひとつの造りに彼女は興味がなかったし、玉座に座ったまま戦った敵などいやしなかったからだ。
ただ、自分がそこに座る立場になって感じたのは、あまりにも高すぎる、ということ。
生まれながらの王、望んで成り上がった王であればともかく、自分のような人間には、この場所は不釣合いだと彼女は思っていた。
なんと言っても、相手の声が届かないし、自分の声も届きにくい。面倒な場所だ、と思わずにはいられなかった。
「ねぇ、それは何のための剣?まさか、わたしにあなたを殺させるつもりじゃないでしょう?」
「本気でそう思っているなら、君は阿呆だ」
「そう思ってなくても、あなたはわたしを阿呆だと言うんでしょうけど」
彼女の笑みを見上げて、デボネアは溜息をついた。
「まったくだな……君が求める男への道を切り開く手伝いを、僕が少しぐらいしても怒らないだろう?」
「あなたに、罪を重ねさせるつもりはなかったけれど、それがあなたへのねぎらいになるなら。その代わり、わたしの言うことも聞いてね」
「仕方がない。僕は、君を救えなかったのだしね」
デボネアの言葉に、シエラは冷たい視線を投げかけた。
先ほどまでの、けだるく甘えた声を発した唇は引き結ばれる。そして、親しい間柄の気安い言葉の応酬も、彼の失言で閉ざされた。
「怒らないでくれよ。救う、救わないなんて、君にとっては意味のないことだと知っている」
デボネアは、彼女のその態度を怒ることもないし、慌てることもなかった。失言であると知りながら口にしたのには理由がある。
ここで、彼らの時間は終わりを告げるのだ。今、扉を開けて出て行けば、命の続く続かないに関わらず、彼らは二度と会うことがない。それをデボネアは知っていた。
そして、彼がそれを知っているからこそ、最後だからこそ口に出していると、シエラもまた承知していた。
それでも、シエラが聞きたくなかった言葉を紡ぎ出すデボネアに対して、彼女はどこまでも彼女らしさを貫く。最後だから、と許すつもりはない。
「そうよ。意味がないことだわ。なのに、今更恨み言かしら?」
「恨み言を言うぐらいなら、ここにはいない。でも、言わせてくれ。おこがましいとは知っていたけれど、それでも、願わずにはいられなかったんだ。そして、その願いが叶えば、自分も救われるのだとね。己の救いまでを君に求めたことを、許してくれ」
デボネアはそう言って背を向け、がらんとした王の謁見広間をゆっくりとした足取りで歩いて行く。
そのデボネアの背に、彼女は最後の言葉を投げかけた。
「あなたに、神のご加護がありますように」
ぴたり、と扉の前で彼の足は止まった。
なんという女なのだ、とデボネアは唇を軽く噛み締める。
第三者がこの状況を見ればきっと、失笑と共に『女帝シエラが、よくも神の名を口にするものだ』と嘲るに違いない。
けれども。
彼女の言葉は心からのもので、そして、それを彼に投げかけるのは彼女にとっては当然のことで。
(本当は、あまりに彼女らしい言葉なのに)
デボネアは、ゆっくりと扉を開けた。それは、お互いを永遠に分かつ、地獄の門のように彼には思えた。
 
 
ほんの一年前。
シエラがリーダーとして率いていた反乱軍は、ハイランドの女帝エンドラを倒し、エンドラを利用しようとし
ていた魔術師ラシュディ、破壊神ディアボロをも倒した。
反乱軍には旧ゼノビア王国のトリスタン皇子が所属していたが、彼はシエラから新王国ゼノビアの王位を譲りうけることなく、彼女の前を去った。
シャローム地方から始まった永きに渡る行軍によって反乱軍が最終的に得たものは、金と暴力をすべてとして帝国軍を屠り去る軍、という悪評だ。
帝国の悪政に苦しんでいた民衆は、帝国から解放するから、という約束を得る代わりに、反乱軍の資金として過剰な軍資金を要求されたし、一足早く反乱軍の領地として扱われた地域は、帝国と大差のない所業に顔を青ざめていた。
ゼノビアの占星師であるウォーレン・ムーンはそれに対して『民衆の首は絞めてはおるまい。ただし、首に手をかけられているのでは、と思い込んでもおかしくない状況ではある』と評したものだ。
ウォーレンの評価はともかく、少なくともトリスタンはシエラのやり方を許容できなかった。
『帝国を倒すまで』と言い聞かせながら目をつぶっていたが、王位を放棄してシエラに渡し、数少ない味方を率いて反乱軍を離脱したトリスタン。
シエラのやり方で手中に入れた王位など、彼には我慢がならなかったのだ。
そして、女帝としてシエラは大陸を治めることとなり、帝国の配下であった頃と大差のない悪政で民衆を苦しめて一年。
ついに、トリスタン皇子が動き出した。
 
 
デボネアが出て行ってから半刻。
シエラは、がらんとした広間で玉座に座ったまま、息を潜めていた。
今まで、デボネアには相当な苦労をかけてきた。
彼は、以前は帝国で将軍職についていた男。
女帝エンドラはラシュディに騙され、人の上に立つ者としての理を忘れた。そのために帝国が没落していった過程を彼はどうすることも出来ず、運命に翻弄され、反乱軍に身を投じることとなったのだ。
一年前にトリスタンが離脱したやいなや、デボネアはシエラの身を護る、と彼女の傍らにやってきた。
女帝エンドラを救うことが出来なかった自責により、今度はシエラを救いたい、と思ったのだろうか。
それとも、彼はシエラが望んでいる結末を推測して、誰かに『それ』を阻止されるのを防いでやろうという仏心でもおこしたのだろうか。
シエラはその時彼にそれらを問わなかったし、彼もまたシエラに心の内を見せなかった。
シエラがわかっていたことは、デボネアは本来まっとうな人物であり、自分のように悪政を強いる者に仕えるような男ではないということだ。
しかし、何度も何度もシエラに忠告を行ってきたアイーシャとは違い、デボネアは政については一切口を出さず、ただ、この一年間シエラを護ることだけを己の責務として過ごしていた。
ノルンという美しい恋人と別れてまでもシエラの傍らを選んだ彼の気持ちを、彼女は最後まで知ろうとはしなかったのだ。
「静かね……」
ぽつりとシエラは呟く。
まだ、トリスタンの兵はここに辿り着かないのか。
ということは、今尚デボネアは暴れているのだろうか。
そして、デボネアがまだ剣をふるっているということは、『彼』は未だ前線に出ていないということだ。
「サラディンは、先に逃げたかしら」
玉座の傍には、果実酒の瓶とワイングラス、それから、水が半分ほど入ったピッチャーと、それ用のグラスを銀のトレイに乗せたワゴンがある。
ピッチャーから、水をグラスに注ぐシエラ。
ここ一年、傍らには必ず果実酒を置き、謁見に来た者達の前ではあからさまにそれを好き放題に飲んでいた。
謁見が終わると、誰に何もいわずとも、デボネアが水を持ってきてくれたものだ。
シエラは、あまり酒が好きではない。
デボネアもそう多くは酒を飲まない。
必ずデボネアに瓶の栓を開けてもらい、一口毒見をしてもらう。それを、申し訳ないと心から思っていたけれど、シエラは決して口にはしなかった。
その様子をアイーシャは何を思いながら見ていたのだろうか、と思うけれど、またもシエラは、最後までそれをアイーシャ本人に聞くことはなかった。
(アイーシャは、今頃どこにいるかしら。まさか、馬鹿なことはしてないでしょうね)
最後の最後まで、どうか改心を、どうか民衆のための政治を、とシエラに言い続けたのはアイーシャだけ。
アイーシャは、シエラが本気で悪政を敷こうとしているのではない、と早々に気付いていたし、なんとシエラが言おうと、どんな悪行をしようと、決してその心を曲げることがなかった。
だから、追放した。
それは一昨日のことだ。
あのまま彼女をここに留まらせては、大事なところで必ず彼女はやってきて、己を犠牲にしてでもシエラを護ろうとする。
それは、シエラにとっては耐えられないことだ。
アイーシャを追放した後、ギルバルドに頭を下げて、アイーシャが決してここに戻ってこないようにと追跡させた。
そして、ギルバルドもまた、ここに戻らないように、と。
心優しい魔獣使いは、『出来の悪い娘は可愛いものだな』と苦笑をして、シエラの最後の願いを聞いた。
それから、サラディン。
あの老齢の妖術師は、デボネアよりも先に城門まで出て、今まで彼が披露したことがないような術を施した。
魔方陣と思われるものを彼は三日前からいくつもいくつも描き、その上にまったく違和感を感じぬように土をかけた。きっと、それすら魔道の一つなのだろう。
月明かりの中、それを見たシエラが『あなた、そんなことも出来たの?』と呆れたように言えば、彼は穏やかに微笑んで『一生涯で一度きりの術なのでな』と言った。
まさか、命と引き換えにだったら許さない、と言うシエラに、彼はあっさりとそれを否定した。
命は術の代償とならない。けれど、この先この術を行うほどの魔力は、自分には残らないだろう、と。
やめて、と言おうとしたシエラは、寸でのところで呼吸を止めた。喉の奥で、その声は音にならずに張り付く。
この一年間、彼女を止めずに共にいてくれたサラディンに対して、それを止めることは不義理だと思えたからだ。
彼女の周囲に残った近しい者達は、彼女の行く末を案じたのではなく『知って』いた。
知った上で彼女の傍らに留まったからには、シエラもまた彼らに報酬を払う必要がある。
それは、彼らがやりたいことをさせる、ということだ。
アイーシャについてはそういうわけにはいかなかったし、ギルバルドにも最後まで我侭を通したけれど、シエラが通すべき筋は間違っていなかったと信じたい。
サラディンが完成させた魔方陣は、どうやら一刻前に発動をしたようだ。
どうやら、というのは、シエラ本人がそれを見届けたわけではないからだ。
玉座で静かに時を待っていたシエラに、『サラディンの魔方陣はすさまじかったよ』と報告をしてくれたのはデボネアだった。
シエラを倒そうとやってきた解放軍――トリスタン皇子が率いているらしい――の兵士達が足を踏み入れた瞬間、その魔方陣の力は発動し、あちらこちらで兵士達を地の底へと引きずりこみ、ほどなく遺体を吐き出したのだと言う。
それは、暗黒道に陥ったものの術ではないか、とシエラは一瞬目を見開いた。
が、自分が今更何を、自分のためにここに残ってくれた者に対して言えようか。
少なくとも魔方陣を発動するまではサラディンは近くにいて、そして、今はもう城にはいない。
勝手に発動する魔方陣ではないのだろう、とシエラは予想をしていた。
誰がやってきても発動するものであれば、それはシエラにとって喜ばしくなかったからだ。
きっとサラディンはわかっている。
なんという信頼なのか、とシエラは一人で苦笑をした。
そうだ、ここに残った者達は。
何の言葉もお互いもなく、それでも深い部分で繋がっていたのだ。
だから、一年間、共にいられた。
(それが、わたしにとってどれほど幸せなことだったのか、それもわかってくれていると嬉しいのだけれど)
シエラは、一口水を飲み、指で自分の唇を触る。
反乱軍として戦っていた頃はがさがさだった唇も、この一年間でふっくらと、みずみずしい唇になっていた。
「はは、女っぷりは、いくらかあがったわよね」
誰もいない広間で、シエラは独り言を呟いた。
誰に触れられるわけでもない長い赤毛は艶やかで、指ざわりも滑らかになった。
何時も疲労でくぼんでいた目の周囲もふっくらとして、日に焼けていた肌も今は白い。それらは、女帝として民衆から徴収した金で施された、贅の結果だ。
きっと、デボネア達がいなければ、暗殺などを恐れて眠れぬ夜を日々過ごしたに違いない。それでは、効果は半減だっただろう。
それでも、いつ何時それが起きるかわからない、と彼女は日々の鍛錬を怠らなかった。
歩かなくなったため、いくらか足の筋肉は落ちたけれど、それも僅かなもの。
午前に一刻分、午後に一刻分、城の奥に特別に作った隠し部屋で彼女は走り、歩き、重い物を運び、淡々と自らの体を保とうと努力を重ねてきた。
(だって。どんなにあの人の頭の中でわたしが堕落しているとしても、あの時と変わらぬ姿で現れたい)
変わってしまった、と思われるよりも、変わらない、と思われたい。
あえて変わったと思われるならば、いくらかでも美しくなったと思われたい。
「あ」
シエラはグラスを置き、瞳を閉じた。
静かな足音が、遠くから聞こえる。
それも、一人。
(デボネアの足音ではない)
それがわかるほどには、この城内で何度もデボネアの足音を聞き続けてきた。
そして、それ以上に昔は。
シエラは、傍にはずしておいた手袋を装着した。
一年前、反乱軍リーダーとして行軍していた頃と同じ装備品を身につけ、彼女は玉座で静かにその時を待つ。
誰よりも一番近しい存在でいたい、と心の底から望んでいた、その相手の足音が近づいている。
彼が一人で来るということは、彼以外の兵士全てをデボネアが屠ってしまったか、デボネアがこれ以上の殺戮をよしとせず、取引でもしたか、それとも。
逆に、彼から取引でも提示したか。
そのどれでも構わない。デボネアが生きていれば。
シエラは結んだ赤毛の先を、手袋をつけた指先で軽く触れた。もう二度と、自分の髪の感触を味わうことはないのだろうな、と思った。
(あの人に、触れてもらえたら嬉しいのだけれど)
静かな足音が、扉の外で止まった。
玉座からまっすぐ見下ろせば、両開きの大きな扉がその先にある。
シエラは、足を組んで両腕を肘置きに置いて、横柄と思われるような姿勢で来客を迎えた。
ぎいい、と音を立てて開かれる扉。
来客は、そこが王の謁見間だと知っているはずだ。けれど、ノックひとつもなく、入室の名乗りもないということは、ここにいるシエラを王であると認めていないということなのだろう。
「遅かったのね……デボネアは、どうしたの?」
両扉の間から姿を見せた男性に、シエラが与えた第一声がそれだ。
その人物は全身甲冑を纏っていたけれど、それが誰かわからぬはずがない。
「わたしがここに一人で来ることと引き換えに、投降をした。彼は、ほとんど兵士を殺していない。どれほどの腕前なのだ、あれは。そうするために訓練しなければ、とてもではないが出来ぬ芸当だ」
「……あの人は、まっとうで、優しい人なのよ」
シエラは、泣きそうだ、と思う。
それは、待ち焦がれた人物が目の前にいるということと、デボネアがこの一年間、どうにかして人を殺さずにその動きを封じようと、その訓練をしてきたのだろうと思い当たったこと、その二つのせいだ。
「まっとうならば、何故一年もの間、君の所業を放置したというのだ」
「民衆のことを思っても、女一人の暗殺に手を汚せない人達に、デボネアのことを罵る権利があるとは思えないわ。あなた達は綺麗事の上にのっかってるくせに、結局わたしの命を奪おうとするのよね?」
「暗殺など、卑怯者がやることだ。我等は、そのようなことを許容出来ない」
「ふうん。一緒に旅をしていた頃は、そういうことでも我慢していただろうに、自分達は一切関与していない振りをしたいのね?でも、知ってる兵士はいっぱいいるし、やってしまったことは決して消えないわよ、ランスロット」
「自分達で望んだことではなかったし、我々は君を止めようと努力をしてきたはずなのだけれど」
ゼノビア聖騎士ランスロット・ハミルトンは、扉の前で立ったまま、それ以上シエラに近寄らなかった。
シエラもまた、わざと玉座から腰を浮かせず、不遜な態度を貫く。
「ふふ、兜の中でどんな顔してるか、わかるわよ。本当は、わかっているけれど、トリスタンの手前黙るしかないって顔をしてるんでしょ?ねえ、ランスロット、第一、一年間もかかるなんて遅かったわね。本当にこんなんで、トリスタンを王にする気?」
そう言って、シエラはくすくすと楽しそうに、まるで少女のように笑う。
「皇子は思慮深い方だ。闇雲に革命を起こして多くの犠牲を出すわけにはいかぬと、時間をかけたのだよ」
「で?犠牲はどう?サラディンの魔方陣でかなりの兵士が死んだでしょ?」
「……あれは、君が指示したのか?なんという……」
本当はそうではないのだが、シエラはあえてそれを否定しなかった。
「そうよ。サラディンは、わたしに脅されてあれを作ったの。可哀想な人。もし、どこかでサラディンを捕まえても、あの人を許してあげて。わたしに脅されてあんな大層なものを作ったせいで、魔力も失われたのよ」
「なんということだ!あれほどの御仁を……」
「知ってるでしょう。わたしは、なんだってやるのよ。自分のためなら」
そう言って、シエラは笑った。
その艶やかな微笑みは、彼女が自分で思い描いた、自分の最上の笑顔よりも、更に美しい笑顔だ。
兜を取らずに女帝を見上げるランスロットが、どんな顔をしているのか彼女には見えない。
けれど、きっと眉根を寄せているのだろうな、とシエラは思う。
「ねえ、ランスロット。この一年、わたしも大変だったのよ?」
「……君が思う以上、君の民衆達は大変だったのだと、理解してくれるとありがたいのだがな」
生真面目な騎士はそう言って、深い溜息をついた。
「民衆が思ってる以上、わたしが大変だったようにね。
曲がりなりにも女帝ですもの。まつりごとなんて好きでもないし、興味なんかまったくなかったのに、あなた達のせいでやらざるを得なかったんだから。少しぐらい愚痴らせてもらってもいいでしょう?」
「君が民衆から巻き上げた金のほとんどは統治に使われなかったではないか。人々の暮らしは楽にならず、相も変わらずゼノビアの周辺はスラムと化したまま。我々は君を許すことは出来ない」
ランスロットは重々しく、まるで死刑宣告のように彼女に告げた。けれども、シエラはそれを気にした風もなく、くすくすと再び笑い声をあげた。
「なんて幸せな人達なの。あれほど、思い知らされたくせに。自分達がなしえようとした方法では、何一つ出来やしないと何度も絶望しただろうに。それでもまだ、そんなことを言うの?わたしは、誰かがやらなきゃいけないことをしただけでしょ?ねぇ、誰のおかげで、今トリスタンが生きてると思ってるの?」
そう言いながら、シエラは玉座で足を組み替えた。
ランスロットはそれへ返事をしない。いや、出来ないのだ。何を口にしても、それはただの理想論。確かにシエラが言うとおりだった。
彼らが思い描いた方法では、反乱軍はきっと空中分解し、帝国軍にねじ伏せられていたに違いない。
彼とて、それがわかるぬほどの盲目ではなかった。
「あなただってわかってるでしょ?一体誰がわたしを勇者と認めたの?天の父とやらでしょ?ティンクルスターをわたしが授かったのはどうして?ウォーレンに、反乱軍リーダーと見初められたのは、あなたが認めてくれたのは、わたしよ?それらのことは、ひとつのことにしか繋がっていない。どんなにあなた達が目を背けたくてもね」
「……」
「ああいうやり方でしか、勝てなかったのよ!そうでしょ?軍資金は?兵士は?解放した都市を帝国軍に奪還されないためには人が必要で、人が必要ってことはお金がいるってことで。砂漠を渡る?どれだけ準備に金がかかると思う?反乱を起こして帝国中枢に攻め込むために、どれだけの金が必要か、最初に試算しなかったわけ?より少ない金で戦うには、強い部隊でねじ伏せることの何が悪い?投降を促してその兵士達の管理をする暇や金なんて、わたし達にはなかったでしょ?」
シエラは、矢継ぎ早にランスロットに畳み掛ける。
反乱軍は常に資金不足に悩んでいた。
それを解消するために、シエラは少ない人材で攻めることを旨とし、より多く、より長く戦うことを望む、殺戮を楽しむような男達も迷わず雇った。
敵にも最小限の被害で、などと甘いことを言わず、向かってくる者達はすべて屠った。出来るだけ帝国からの投降兵の面倒を見ずに済むように、中途に傷を負わせて復讐をさせるぐらいなら命を奪うように。遺体の始末がその分増えたけれど、長い目で見ればそちらの方が余程問題が短期で決着がつくことを、皆はわかっていた。
時には悪徳商人との取引も厭わなかったし、訪れた地域に出没する盗賊達のことも放置をした。自分達がやるべきことは土地の統治ではなく、帝国を滅ぼすことだ、という大義名分を振りかざして。
それでも、ランスロットは一つだけ知っている。
彼女は決してその殺戮の場に、トリスタンを連れてはいかなかった。
反乱軍は旧ゼノビア軍ではないから、皇子に権限を渡すつもりはない、と言って、彼女は常に自分が指示を出し、どんなときもその位置を譲らなかった。
そのおかげで、トリスタン皇子は人集めと旧ゼノビアの宝物庫だけをお目当てにされて、食い物にされているのだ、という噂が流れた。
それに対してトリスタンが情けない、という声はあまりなかった。それほどに、シエラの権限は強く、そして彼女に逆らえる者などいなかったからだ。
むしろ、トリスタンが反乱軍を離脱する、と聞いて、ついに皇子がその気になってくれたか、と喜ぶ者達すらいたほどだ。
それは、ある意味ではシエラのおかげで、決して彼女が『トリスタン皇子と相談をしてる』だとか『皇子も賛同してくれている』などと口にせず、何もかも自分ひとりで取り仕切っていることをアピールしていたからだ。
が、それに対して礼を言うのはおかしいと、ランスロットはわかっている。
「君にずっと聞きたくて、でも、とうとう聞けなかったことがある」
「なあに?色っぽい話なら、喜んで応えてあげるわよ?なんてね」
冗談めかして笑うシエラに対して、ランスロットは深い溜息をついた。
それは、兜をかぶっているままでも聞こえるほど、大げさに。
彼女のその言葉は、わざとだ。
そうやって茶化すことで、その『色っぽい話』とやらを、彼女が笑い飛ばす人間だと、縁遠い人間なのだと、そうランスロットに思わせたいのだ。
それにどれほどの効果があるのかはわからないが、もともと朴念仁であるランスロットは彼女の言葉に呆れ、彼にしては珍しく苛立ちを含んだ声で言葉を返した。
「時々、資金が足りない時に持ってきた金は、どうやって調達していたのだ。君は、何度かわたしの質問をはぐらかして答えてくれなかっただろう。でも、今なら教えてく
れるんじゃないか?」
「聞かない方がいいこともあるんじゃないの?あなた、町角に立つ女の値段を知りたい?」
シエラの言葉をどう受け取れば良いだろうか、とランスロットは戸惑ったようだった。
(そんなわけはない、とあなたが思っていてくれると、嬉しいのだけれど)
ランスロットから返答がないことに痺れを切らしたように――実際には、別段そんなことは思っていなかったが――シエラは嘲笑を彼に浴びせた。
「馬鹿ね。女の体ひとつ売って手に入る金額じゃないでしょ」
「……それぐらいは知っている。だから、尚更わからなかったのだ」
「盗んだ宝石類よ。といっても、昔話。それでも、あなた達にばれないように売りさばくのは大変だったのよ。その労力ぐらいは、評価してくれるでしょう?」
そう言いつつ、シエラの胸の奥はちりちりと痛む。
だから、わからなかった。
ということは、一度なりと彼は考えたのだろう。
(その事実をこの期に及んでつきつけるなんて、なんてひどい人)
反乱軍リーダーになる前に盗んだ宝石類は、そんな形で使うつもりはなかった。
帝国に尻尾を振って保身を図る金持ちから盗んだそれらは、人を殺すためではなく人を生かすために、いつか使おうと思っていたものだった。
シエラにとっても、それは貴重な財源で、帝国を倒した後にこそ、使い道を考えたかったもの。
それを、道中で使わなければいけないほどに軍資金が不足したのは、トリスタンが反乱軍に所属をしたことで、我も我もと、突然兵士志願者が増えたせいも否めない。
軍が大きくなれば、戦わぬ者でも行軍に役立ってくれる。
剣の腕も何もなくとも『自分は反乱軍だったんだ』と言いたいがために、そのポストに滑り込もうとする者、軍資金があるのだと勘違いして美味い汁を吸おうとする者、様々な者達が反乱軍に群がった。
そんな人々をふるいにかける時間も惜しかったし、ふるいにかけたところでろくな人材が残らなければ、結局は骨折り損だ。最後には、シエラが雇ってきた、どこの馬の骨ともわからない男達が前線で暴れることで、人材不足と軍資金不足を解消することになる。
けれども、それをやれば反乱軍の評判は落ちて行き。
「盗んだものとはいえ、君の個人資産だったのか。それは、申し訳なかった。そのことは謝る」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。わたしは、自分がやりたいようにやるために、金が必要だったんだもの。ゼノビアの宝物庫になんとか残っていたものなんて、実際は売り払えないものが多かったんだし、今だって手付かずよ。わざわざ商人に査定してもらうぐらいなら、そこらの領主から年貢を巻き上げた方がよっぽど簡単」
そう言ってシエラは笑ったけれど、ランスロットから返事は何もなかった。
そういえば、とふとシエラは思う。
ランスロットがここに来たからといって、話を悠長にする保証はなかった。けれども、彼は彼女に付き合うように、剣も抜かずに会話を続けている。
何か、デボネアに言われたのだろうか。情けをかけられているのだろうか。
「……ねぇ、何をしにここに来たの?」
軽く小首を傾げて、シエラはうっすらと笑みを浮かべる。
それへは、驚くほどの即答が返された。
「貴殿を、倒すためだ」
「じゃあ、どうしてそんなところにいるの?わたしの剣技はあなたに届くけど、あなたの剣はわたしに届かないでしょ」
「……君から」
「ん?」
「君から、本当のことを聞けるのではないかと、思っていた。君の近くに行けば、わたしはこの剣を抜いて、君を斬るしかなくなる。だから」
だから、扉の前で、まだ剣を抜かなくても良い距離で。
シエラは一瞬呆気に取られた。
彼が、シエラが『本当のこと』を秘めていると思ってくれていることは、嬉しい。反面、それは彼が思い描く、勝手な『シエラ像』でしかないのだろうとも思う。
彼は、決してシエラの心を知らない。
知らないのに、シエラの心を揺らすようなことを平気で口にしてしまう。
それが、今更ながらに恨めしく思える。
そんな、ないまぜな感情に混じるは、愛情。
デボネア達はともかくとして、彼女に対立する者達に知られてはいけない、長きに渡る愛惜。
ランスロットが知りたいと思っている『本当』には、きっとその感情は含まれていないに違いない。
とても愛しい、決して交わることが出来ない優しい人。
あなたが、そういう人だから、わたしは。
シエラは、自分の役柄が描かれた仮面を被り続け、ハッ、とランスロットを笑い飛ばした。
「本当のこと、言ってあげたでしょう。反乱軍の軍資金は、あなたの予想通り汚いお金。よかったじゃない?聞きたかったことを聞けて」
「君は、どうして……」
ランスロットは、言葉を切り、僅かにあごを引いて俯いたように見えた。
それから、腰に挿した剣の柄に手を置いて、呼吸を整えるように数拍の間。
それは、彼の覚悟の時間だったに違いない。
これ以上の会話は無駄だと思ったのか、それとも。
これ以上藪をつついたら、出てくるものが蛇ではないかもしれない、と彼は気付いたのか。
彼が炙り出そうとしているのは、彼を傷つけるための言葉でも、シエラの虚勢でもないのだろう。
けれど、彼の中では、シエラに求めている『本当』の姿は輪郭を為さないに違いない。
だから、何を言えばシエラからそれを聞きだせるか、あるいは、自分は彼女からどんな言葉を聞きたいと思っているのか、ランスロットには確固たるものがないのだ。
だから、会話にならない。
どこまでのことを彼が考えたのか、それはシエラには伝わらないし、実のところ、彼自身ぼんやりとした曖昧な感情に己が揺れるだけで、その姿をまったく把握していないのかもしれない。
だから、これ以上は。
彼は愛剣を引き抜き、一歩進んだ。
かつん、かつん、と広間を歩き、玉座へ向かう階段の手前で足を止めた。
彼はシエラを見上げて言い放つ。
「終わりにしよう。君の戦いも、この大陸の戦いも」
座っていたシエラは、ゆっくりと腰をあげた。
時が、来たのだ。
「ランスロット、終わりたいなら、本気でかかってきなさい!でなきゃ、トリスタンの首が飛ぶわよ!」
勇ましく叫ぶと、シエラもまた腰から剣を引き抜き、ランスロットを見下ろした。
次の瞬間、シエラの全身の毛は、ぞわり、と逆立った。
ランスロットから今まで放たれたことがなかった感情の迸りを、全身で受け止めたからだ。
それは、殺気というものだ。憎悪とは違う、純粋な殺気。
殺さなければ、自分が、トリスタンが、殺される。だから、殺さなければいけない。
本来、戦でもない限り、一対一で人を殺すときに憎悪が存在しないなど、あり得ない。
けれども、ここには憎悪のない殺気が存在して、シエラの胸はそれに打ち震えた。
彼女は、勝ち誇ったように笑い、剣を構える。
足元を気をつけなければいけない階段で、彼の剣を受けるつもりはない。彼が上りきるのを彼女は待つ。
最高だ、と、彼が駆け上がってくる僅かな時間で、シエラは昂揚した。
自分が愛した男が自分を愛してくれることなんて、世の中にはいくらでもある。だから、人々は愛を語り合い、契りを交わし、子を成して、血は受け継がれる。
けれど、その何もかもを打ち壊す、けれども、そうそう正面から与えられることのない感情。
それを彼から最後の最後に与えられるなんて。
お膳立てをしてくれたデボネアやサラディンは、シエラがこんなことで喜びを感じるなぞ、これっぽっちも想像していなかったに違いないのに。
「予想外の快楽だ!」
シエラの叫びをちょうど打ち消すように、ランスロットはシエラに向かって剣を振り下ろした。
そのまま、彼の剣を体に受ける気はシエラにはなかった。
彼と、命をかけて斬りあう幸福を、一瞬で終わらせたくなかったからだ。
 
まるで、踊っているようだ。
愛しい男と。
 
夢に見た、ありとあらゆることを覆すほど、すべての予測を飛び越えている、とシエラは思う。
何度目かの彼の一太刀を避けきれない、と察した瞬間、どくん、とシエラの鼓動は大きく彼女の体を震わせた。それは、死への恐怖ではない。
なんと、自分は幸せな終焉を迎えるのだ、と。
その喜びが痛みを凌駕したことを、誰にも伝えられないことを残念に思いつつ、彼女の体は傾いた。
どうか。
わたしを手にかけてしまったあなたにも、神のご加護がありますように。
生と死の挟間で、彼女は最後まで祈り続けようと、ひどくそのことだけを気にかけていた。
それなのに、彼女が最後に感じたのは、痛みや苦しみでなければ、喜びでも悲しみでもなかった。
迸った鮮血の赤さに何故か彼女は驚き、意識がそこで途絶える。
彼女には、神の加護はなかったのだ。
 
 

 



モドル