甘い真実

モクジ
※公式ではトリスタンの一人称「わたし」ですが、このサイトでは「僕」になっています。ご了承ください。また、フローラン王妃の設定についてはSFC版に準じております。


 ついに旧帝国領土に到達した反乱軍は、シュラマナ要塞に辿り着いた。シュラマナ要塞を守るプレヴィア将軍は、旧ゼノビア王国のフローラン王妃を監禁しているという噂の主。
 ラシュディからの教えにより暗黒道に魅入られたプレヴィア将軍は、三神器についての情報をフローラン王妃から引き出すことが叶わず、その手で王妃の命を絶ち、反乱軍に刃を向けた。
 そのシュラマナ要塞制圧の二日後の夜、この地方での拠点として選んだマランバ砦の通路でトリスタンと反乱軍リーダーであるメイシィは偶然顔を合わせた。
「殿下。お休みになったのでは」
「ああ、ちょっと眠りが浅くてね。君も、まだ休まないのかい」
「はい。まだ目を通す資料が残っていて。でも、ほどなく寝るつもりです」
 ランプの油が少なくなったので、と手にしたランプを軽く持ち上げ、トリスタンに見せるメイシィ。
「そうか。でも、今日は朝からロシュフォル教会を回って来て疲れているんじゃないか」
 プレヴィア将軍が暗黒道に落ちたことを憂えたロシュフォル教会は、メイシィに雷剣ノトスや暗黒剣ファフニールを託した。貰い物とはいえ、シュラマナ制圧の報と共に、それらを返却をしようとメイシィは自ら教会を回ったのだ。勿論、ロシュフォル教会には「そのまま平和のためにお持ち下さい」と返却を断られたのだが。
「ええ、教会を回ったので、執務が溜まってしまって。ああ、でも大まかなことはほとんどウォーレンが片付けてくれたので、然程ではないんです。昇格の儀式を行う候補の確認とか、そういう」
 要するに「メイシィがどうしても見なければいけない」ものだけだ、と言うわけだ。
 本当は疲れているだろうに、笑顔で穏やかに話をするメイシィ。
 トリスタンはその血筋のおかげで反乱軍内で特別な存在として扱われているが、軍そのものの運営には具体的には携わっていない。そうすることで、「ここではあくまでもメイシィが格上」であることを守っているのだ。
 だが、このような時は、それを申し訳ないといくらか思う。過ぎた思いかもしれないが、自分が少しでも肩代わりをしてやれたら、と考えずにはいられない。
 トリスタンの肩ぐらいまでの身長しかないメイシィの体は細身だ。もともとは僧侶だと言う彼女は、ロシュフォル教徒とも違う、あまり知られていない宗派の者だと言う。
 慎ましやかで清廉なその様子は僧侶たるもので好感が持てたが、勇者としては食も細く、今朝はカープスに無理矢理食べさせられていた姿をトリスタンは目撃している。彼女は「頭を使う時には、もっと色々食べている」と主張していたが、カノープスは「そんなん考えてる間に消費しちまう栄養だろうが!」と一蹴をしていた。
 そんな彼女は働き過ぎるほど働いているとトリスタンには思え、手伝おうにもどうにも出来ない自分を歯がゆくも思う。
「殿下、昨晩も、あまり寝ておられないのでは」
 トリスタンの顔を下から覗き込み、メイシィは心配そうに軽く小首を傾げた。ああ、またこんな風に他人のことばかり。そう思いつつ、トリスタンは曖昧な返事をした。実際、あまり眠れていないのは事実だったからだ。
「……ううん、寝ていないわけじゃあないんだが……うん……」
「いえ、質の良い眠りをとっていないお顔です。フローラン王妃のことを思えば、心中はお察ししますが……」
 それへ、苦笑いを浮かべるトリスタン。メイシィの推測は当然のものだったし、実際彼は昨晩疲れの割に眠りが浅く、何度も何度も目覚め、今日一日すっきりしない頭で過ごしたからだ。だからといって、毎日忙しく動きまわっているメイシィに、それを言うことは憚られると感じたのだ。
「そうだ。殿下。少し、お付き合いいただけませんか?」
「うん?」
「時に、誰かと夜空を見ることも、悪くありません」
 そう言って、メイシィは空いている手で、天井を指さした。それは、「上の階に行こう」と言う意味だ。トリスタンは「ご一緒しよう」と冗談ぽく笑いながら答えた。


 砦の最上階は、人が5人ほど上がればぎゅうぎゅうになるほどの、あまり広くない見張り場になっていた。メイシィは「どうやら、他の見張り台を後から増設したらしく、ここはもう使われていなかったようです」と説明をする。
 確かに、この最上階に登る最後の階段はいささか狭く、見張り兵が行き来をするには不自由に思えた。
「永久凍土とは逆で、昔と違って火山のせいで気候が暖かくなっていますから……多分、昔は寒風の中、この高さからでなければ見えない日もあったのでしょう」
「そうか。今は雪が降らないから」
「そういうことですね」
 そう言ってメイシィは微笑み
「殿下。月が、今日は美しいでしょう」
「ああ、そうだね。これを知っていて、ご招待してくださったのかな」
「ふふ、そうです」
 空には、まるでそこを切り取ったような満月がぽっかりと浮かんでいた。「多分明日が最も丸いのだと思うんですけど」と言いつつ、メイシィの目線は月へと注がれている。
 トリスタンもそれに倣い、緩やかに流れる夜風を頬に受けながら、丸い月を見上げた。
 うっすらと淡い橙色にも見える輪郭から放たれる光は、決して強くはない。夜の進軍を行うこともある彼らは、月や星の位置で方角を確認することも多いため、見慣れているはずのものだった。
 けれど、その光が視界に広がり、自分がいる世界をこんな風に照らしているのだと意識をすることがあっただろうか。
 トリスタンは暫くその光景を静かに見つめ、ゆっくりとまぶたを閉じる。
 本当は。
 母フローランはもう生きてはいないと、ずっと思っていた。
 けれども、いくらそう思っていたとはいえ「生きているかもしれない」と希望の声を聞けば、人はそれに傾く。少なくともトリスタンはそうだった。そして、彼がフローランに思い描いていたものは、子供が母に持つ憧憬や愛情ばかりではなく「ゼノビア王妃フローラン」という立場でもあった。
 フローランがいれば、ゼノビア皇族として期待を寄せられる存在が自分だけではなくなるし、何より、今後「グラン王のまつりごとを知る」身内が増えることは、トリスタンの心の支えにもなるのだし。出来るだけ思い描かないようにと自制をしていたものを、トリスタンはいっときであれど「もしかしたら」と考えてしまったのだ。
 けれども、それは裏切られた。やはり、と思いつつも、一度描いた夢の構図はたやすく捨てることが出来ない。
「母上がプレヴィア将軍の手にかけられたのは」
「……」
「僕が未だに、心根の弱い人間であるから、神が与えたもうた試練なのかもしれないと。そう思っては……あまりに情けなく」
 ぽつりと、まるでひとりごとのようにトリスタンは言葉を発しながら瞳を開けた。
「あまりにも不甲斐なく。もっと強くなりたいと常々思っていたのだが、簡単に心が折られてしまった」
 淡々と己の内を言葉にすれば、それが耳から己に戻ってきて、静かに責めるような気がする。トリスタンは、自分の告白にいくらか呆れつつも、弱い自分を受け入れるしかない、と唇を引き結んだ。
「殿下。それは、心が折れたのではありません」
「そうかな?」
「はい。殿下は、ご自身の不足を悲しんでいらっしゃいますが、それを自覚なさることで、何をすべきか知ることが出来ますし。ただ、途方もないことを前に、少しお疲れなのでしょう」
「途方もないことを前に」
 言葉もなく、メイシィは頷いた。
 確かに、この軍は「帝国からの大陸の奪還」を目指しているが、それのみならぬ問題がまるで泉のようにひっきりなしに湧いてくる。それを思えば、彼女が言う「途方もないこと」はわからなくもない。だが、それならば大変なのは自分よりもメイシィではなかろうか、ととトリスタンは思った。
「それを言ったら、君のほうが途方もないことを前に、いつでも戦い続けている。君が担っていることは、本当は僕がやるべき、期待されるべきことだった。けれど、君には申し訳ないが、僕は君のようにはなれないから……君が、反乱軍リーダーとして叛旗を掲げてくれたことにどれほど救われていたか。そう思えば余計に、僕は僕の不足を受け入れるしかない」
「いいえ」
 それへもまた、メイシィは否定をした。けれど、それはやはり穏やかで、トリスタンを苛立たせるような否定ではない。
「殿下。わたしには、常にゴールが見えています。わたしがやるべきことは、ラシュディの謀によって暗黒道に陥った帝国からこの大陸を奪回すること。そこに、若干……邪神の復活とやらをとめなければいけない、とかとんでもないことも含まれますが、そこは、天空の三騎士がいることですし。わたしがなすべきことは一貫して決まっており、そして常にゴールがそこに用意されていて、終わりが来るものです」
「うん」
「けれど、殿下は違う。殿下は、そこから再びスタートをして、ご自身が国を護り、生きていかれる限り、死ぬまでゼノビアの民を平和に導く大義を貫き……ゴールの姿を見ることなく、走り続けるのでしょうから。だから、わたしがやっていることなぞ、それに比べれば楽なものだと思えます。殿下は、その途方も無い先のことばかり考える臣下の皆さんの期待に応えようとなさっているのですし。それはとても長い道のりです。だから、今の不足は、嘆くことではないでしょう」
「……確かにそうだが……言葉にされると重いなあ、これは」
 彼女が発した言葉たちは現実的で、目を背けることが出来ないものばかりだ。けれど、終始穏やかなその物言いのせいか、それらはトリスタンの心にすっと入ってきて、素直に「心に留めなければ」と思える。
「果てがない話ですが、それは逆を言えば、何もかもそう急かずとも、ゆっくり努力なさる時間があるということでしょう」
 月の灯りに照らされながら、メイシィはそう言ってトリスタンに微笑みかけた。
 メイシィは絶世の美人というわけでもない。そこいらの村娘と然程変わらぬ風貌であったが、静かに穏やかに語りかけるその声音や、戦場であっても感じられる清潔感のある佇まいは、月の光がよく似合うとトリスタンは思う。
「ですから……少し、お疲れで、足が止まる日があってもご自身を労ってさしあげてください」
 それは、こっちのセリフだ。トリスタンはそう思ったが、今の自分が何を言っても説得力に欠けると判断し、率直にメイシィに礼を告げた。



 メイシィの「爆弾発言」は、ゼノビアの見習い騎士の中でもとりわけ若いエルトルの「新しいゼノビア」語りが発端だった。
 その日は、メイシィを筆頭にカノープスとギルバルドを含む3部隊が、都市を回って情報を収集していた。普段ならば、メイシィはそのような作業に参加をしない。だが、時には「勇者殿にしかお渡し出来ない」だの「ティンクルスターを持つ者にしか話せない」だの、駄々をこねて情報提供を渋る相手のもとに足を運ぶこともある。その珍しい日に、普段共に行動をすることがない見習い騎士は「メイシィ殿とご一緒出来るとは」と舞い上がっていたのだろう。
 別々に行動をしていた3部隊が合流し、情報交換と休憩の時間を取った。その時に、ちょっとした世間話で「トリスタン皇子が帝国の血筋を持つ女性を娶ると、ゼテギネア大陸を治めやすいのでは」という、政治的かつ若干下世話な話題があがった。
 候補にラウニィー・ウィンザルフの名があがったものの、それへはメイシィもカノープスも笑って「ないない。殿下と仲がいいけど、それは『物珍しい異性の友達』って風だし」と断固として否定をした。また、ノルンについても当然「デボネアがいるし」という話になり、他にトリスタンが娶るに相応しい、それなりの地位の女性はいないから無理だろう、という結論が出た。
 その時、見習い騎士エルトルが、頬を紅潮させて主張をした。
「勇者殿がトリスタン殿下とご結婚してくだされば、ゼノビア王国も安泰となるでしょう」
「へっ!?」
 頓狂な声をあげたのはカノープス。
 きっと、エルトルには悪気がないのだろう、とメイシィは曖昧な笑みを浮かべた。
 彼女もそうであったが、彼もまた「帝国に滅ぼされる前のゼノビア王国」を知らない。一国を治める王家の大変さや、それを支える「本来彼が担うべき」貴族達や騎士達の苦労を見たことがないのだろう。だから、そんな風に夢物語のように、簡単に口に出せるのだ。
 実際、メイシィとトリスタンが婚姻を結ぶ予定ではないか、という話は反乱軍でも民衆の一部ではもっともらしく囁かれている噂のひとつだ。勿論、それはメイシィ側の都合というよりもトリスタン側の都合、ゼノビアを今後も勇者メイシィに守って欲しいと願う勝手な民衆の妄想だ。だが、本人を前にして言う勇気がある者は今まで現れなかった。
 さすがに年長者であるカノープスは、それを聞いて黙っているわけにはいかず、はっきりと忠告をする。
「そういうことは、口にするもんじゃないぞ、ボウズ。色んな敵を作ることになる」
「そうでしょうか。みな、賛同すると思いますが」
 引き下がらない青年に対して、カノープスが「おやおや」とばかり苦笑いを浮かべると、当のメイシィが軽く笑いながら言葉を返す。
「そんな、わたしのようなどこの馬の骨ともわからぬ者に、過分な想像をありがとうございます。だけど、それはトリスタン殿下に対しても、全てのゼノビアの人々に対しても失礼な邪推というもの。わたしのような者がいなくとも、新しいゼノビアはランスロットやウォーレンを筆頭とした人たちの力で安泰と言える国になると信じていますもの。そして、あなたもそれに名を連ねる人物になるのでしょう」
 彼女がそう穏やかに告げると、さすがにエルトルは恐縮をした。その側で、カノープスは「僧侶ってもんは口がうまいよなあ」とギルバルドに囁き、ギルバルドが「お前は本当に阿呆だな。僧侶ではなく、女ってもんがそうなんだ」と世の真理を親友に大仰に伝える。
「そこのお二人は、何かご意見があるようですけど」
 メイシィがそういえば、ギルバルドは冗談めかして「いやいや、メイシィに意見など、俺ごときが」と笑った。だが、カノープスはどうも彼女をからかいたくなったようだ。
「大体トリスタン殿下にも、女性の好みもあるってもんだ」
 意地悪を装ってカノープスが言えば
「女性の好みも何もないだろう、王族の結婚となれば」
 と釘を差すギルバルド。「そりゃ確かに」とカノープスはあっさりと引き下がりつつも、思いついたように疑問を口にした。
「ゼノビア貴族で、生き残っているご息女とかいるのかねぇ」
 まだその話題をひっぱるか、と口をへの字に曲げているメイシィの顔を覗きこんで、カノープスはにやにやと笑う。
「ああ、こりゃ失礼。お前にもお前の好みってもんがあるなら、聞いてやってもいいぞ?」
「わたしの好み?」
「おう」
 みな聞き耳をたてて、あからさまに黙り込んだ。それをどうとも思わぬ風に、あっさりとメイシィは答えた。
「わたしは、自分よりも弱い男性には興味はありません」
 挑発的でもない静かな声音で、言葉を続ける。
「腕っぷしも、心も、何もかも。わたしが自分の手に余ることが起きた時に、なんとかなると断言をしてくれるような人がいい」
 そう言うと、いたずらを仕掛けた子供のように、フフっとメイシィは笑った。
 周囲は、一瞬驚いて言葉を失う。まさか、そんなに具体的にはっきりと彼女が応えるとは思ってもみなかったし、しかも予想外にもほどがある、といったところだろう。
 優しい人がいいとか、考えたこともありませんとか、一緒に笑える人がいいとか、もっと可憐な答えを誰もが期待をしていたのだ。
 が、彼女をよく知るカノープスは「ああ、なるほど」と合点がいったようだ。メイシィはもともとは僧侶だが、教会を離れてから悪魔祓いを生業としていたため、戦い慣れをしている。だから、この反乱軍でも前線で戦い続けることが出来るし、腕っ節のの強い弱いを口にしても当然かと彼は考えたのだ。
「少なくとも、お前が俺に興味が無いとわかって、俺は安心したよ」
 カノープスがそう言って笑うと、メイシィは軽く肩を竦めて微笑んだ。
「なんて言い草。そして、なんていう自己分析を?カノープス」
 毎日共に行動をしているメイシィは、カノープスに対しては若干砕けた調子になる。
「俺がお前に勝てることといったら、空を飛べることと、体力ぐらいだ。それのどちらも、有翼人だから、っていう種族あっての話」
「じゃあ、10歩ぐらい譲ってそうだとして、わたしがあなたに興味がなくて、どうして安心するのかしら?」
「そんなの決まってる」
両手を広げてカノープスは大げさに言い放った。
「俺は平和主義者なんだ。名高い勇者様を嫁にもらったりした日にゃあ、生きた心地がするわけない」
「ふふ、確かにあなたは平和主義者でしたね。反乱軍に協力なんてしないってごねたぐらいは。ね?」
「その話はもうやめろ」
 カノープスがそう言うと、その場にいた人々でカノープスの加入前からいた「経緯を知っている人間」はどっと笑った。近くにいたギルバルドは苦笑いをして
「平和主義者かどうかは定かではないが、俺はお前を嫌いじゃないぞ」
とカノープスに言う。それへカノープスは
「なんだ、その遠回しな言い方は!それにお前の男の好みなんて聞いていない!」
なんて叫び、周囲を沸かせた。



 翌日にもなれば、メイシィのその爆弾発言は反乱軍の男性陣の中であっという間に広がっていた。奮起をして訓練に精を出す者もいれば、最初から「勇者殿より強い心を持つなど、あまりにも遠い話だ」と匙を投げ出す者、その反応は様々だった。
 最初から彼女を異性としてどうとも見ていない者は「他の奴らは大変だ」とひとごとのように笑っていたし、稀にいる彼女を快く思わない者は「生意気な女め」と内心では悪態をついていた。
 トリスタンは日々の習慣通り、側近達が彼の周囲を取り巻く前にと早起きをして、変わらずランスロットに剣を稽古をつけてもらっていた。それは彼にとっては「いつも通り」であったが、周囲の好奇の目は免れない。もしかしたら、トリスタン殿下は昨日のメイシィ殿の発言を聞いて、今日は朝から稽古をしているんじゃないか……いつもと変わらぬことをしていても、そう勘ぐられるのは立場上仕方がないことだ。
 メイシィの発言は、みななんとなく「トリスタン殿下の耳に入らぬように」とお互い防衛線を張っていた。それは、具体的に彼女よりもトリスタンの腕っ節が劣るとか劣らないの話ではない。「メイシィ殿は前線で戦っているが、トリスタン皇子はいつも後続で守られながらの戦いだ」などと、トリスタンが弱いから仕方がないと言いがかりをつけたり揶揄する輩が、この話を聞いて喜ばしく思っているに違いなかったからだ。
 そんな周囲の心配をよそに、彼の唯一の「異性の友達」であるラウニィーが、あっさりと「そういえば聞きました?」なんて言い出し、噂はとっくにトリスタンの元に届いていたのだが。
「殿下」
「なんだい」
「お気になさらず、集中をなさって下さい」
「大丈夫だよ」
 言葉少なにランスロットが声をかければ、当のトリスタンは察しよくそう答えた。事実、彼にとっては周囲の好奇の目など今日に始まったことではなく、今までとそれほど違いがあるとも思えなかった。ただ、彼が己のため、反乱軍のため、ゼノビアのため、と思って行っているこの稽古を「女のため」と決めつけられることは若干腹立たしかったが……
(まったくのゼロというわけでもないから、否定も出来ないな)
 あの、シュラマナ要塞の夜。
 部屋に戻って、ふとメイシィのことを思った瞬間、トリスタンには自覚が訪れた。
 本当はわかっていた。自分がメイシィのことをそう悪く思ってはいないことを、いや、良く思っていることを。いやいや、良いも悪いもなく、はっきり言えば、異性として好ましいと思っていることを。
 それを、出来るだけ自覚しないように自分を騙そうとしていたのは、自分のためでもありメイシィのためでもあった。
 トリスタンがメイシィを「そういう」風に見ているとなれば、周囲は3つに分かれるにきまっている。無理矢理でもメイシィを「その気にさせよう」とする者達か「とんでもない」として別の嫁候補をトリスタンに勧める者達か、傍観者。
 前者の2つは、間違いなくメイシィを煩わせる。正直なところ、ただでさえ忙しいメイシィにゼノビアの臣下達が絡むようなことは許したくない。それは最も避けたい事態といえた。
 だから、少なくとももう少し……いや、いつまで待てばいいかはわからなかったが、トリスタンはまだそのことを表立って誰にも見せる気はなかったのだ。だというのに、周囲に勝手に勘ぐられるのはやはり嬉しくはない。
「殿下」
 稽古を始める前に入念に行う準備運動を終えて、ほんの僅かにトリスタンは動きを止めた。それを、ランスロットは見逃さなかったのか声をかけられ、トリスタンは姿勢を正す。
「ああ、申し訳なかった。集中をしよう」
 確かに今は集中を欠いていた。ランスロットの声で気付き、トリスタンは立場を超えて「教えを乞う者」として心から謝罪を口にした。が、ランスロットが声をかけたのは、どうやらそれではなかったらしい。
「稽古の前に、お話が」
「うん?」
「昨日、フォイゲ子爵より、あまり殿下を前線に出さぬように、これ以上の訓練はお止めした方が良いのではと言われましたが」
「なんだって」
 ランスロットが名をあげた子爵は、旧ゼノビア貴族の生き残りの中では比較的爵位が上の人物だった。当時の公爵・侯爵・伯爵と呼ばれていた者達はほとんどが死亡して、家督を継ぐものもおらず断絶をしている。
 帝国の手は僻地と呼ばれたシャロームまで伸びていたのだから、それがどれほど目を光らせてゼノビア王家に関連する者達の息の根を止めようとしていたかが伺われる。ゼノビアから離れた、それこそシャロームと同じかそれ以上の僻地を治めていた子爵、男爵数名がかろうじて生き延び、更にそこから限られた者のみが、トリスタンの生存を知って反乱軍に駆けつけた。
 ゼノビア王国に忠実な者として振舞っているが、中には「ゼノビアを復興した暁には、上位の爵位をもらえるのでは」などと考えている者もその中にいることをトリスタンは知っている。
「どうなさいますか。今日までにわたしがお教えしたことは、殿下は十分身につけておいでです。しかし、フォイゲ子爵がおっしゃるように、人は剣の腕をあげればあげただけ、その力を試したいと思ってしまうもの。あまり殿下を前線にお送りしたくないフォイゲ子爵以下の方々のお気持ちも、わからなくもありません……が、ウォーレンは、殿下が思うとおりになされば良いと」
 ランスロットは、トリスタンに対して普段あまり見せない、気遣わしげな表情を向けた。臣下が過度にそのように己の主を心配することは、主にとっての失礼にあたると彼は思うからだ。だが、この話は周囲が思う以上にナイーブな話で、年長者であるランスロットは、それをトリスタンに重々理解して欲しいと思っているのだ。
「……うん。皆が、あまり僕に前線に出て欲しくないことはわかっているよ。僕の身に何かがあれば、ゼノビアの復興はまた振り出しに戻るし、旧ゼノビア貴族であった子爵以下の者達は、帝国を倒した後の処遇が悪くなると心配するだろうしね」
「仰るとおりです」
 現在トリスタンはそれなりに戦には出ている。だが、それの多くは「既に反乱軍が解放した都市を護りつつ、他部隊に指示を出す」中継地点での話。防衛戦が多いということは、常に交代が出来る部隊が側にいるし、斥候部隊からの報告も得られ、不測の事態には陥りにくい。
 それらは、メイシィとウォーレンが相談して決めている絶妙な配置だ。そうすることで、そうそう過酷な戦いに出ることなく、しかし、いくつかの都市ではトリスタンの姿をアピール出来るというわけだ。
 だが、旧ハイランド領での戦いとなった今、帝国は帝国の意地がある。今後苛烈を極めるにあたり、トリスタンは「僕がもう少し前線に出てもいいんじゃないか」と提案をした。
 それは、誰の目から見ても間違っていない、聡明な判断だ。メイシィ言うところの「とんでもない」相手とやりあうことは天空の三騎士に任せるのが良いと思われる。だが、人同士の諍いならば、大陸の覇権を手に入れる(予定になっている)トリスタンが前線に出て、人々を鼓舞し、士気をあげることは有効な手段のはず。
 メイシィもウォーレンもそれをわからないわけがない。ただ、一つ問題なのは、トリスタンに何かがあっては、誰もその代わりになれない。そして、その問題はあまりにも大きいのだ。
「だからといって、前線に出ないということが、強くならなくて良い理由にはならないだろう」
「勿論です。フォイゲ子爵達は心配なさるのでしょうが」
「前線に出るなと言われたり、前線に出て勇者殿ではなく僕が大陸を治める者だとアピールしろとふっかけたり、お前はあとからやってきたんだから身の程を知れと煙たがられたり、僕は大人気だな」
 そう言って肩を竦めてみせるトリスタンに、ランスロットは困ったような薄い笑いを浮かべた。そのような反応をすることは『騎士にあるまじき行為だ』と、元々生真面目なこの騎士はいつも頑なに無表情を貫いていたのだが、トリスタンの「臣下が過度に感情を隠すことでいいことなんてありやしない。暴君と謀略が生まれるだけだ」という持論により、最近はそのような表情も見せるようになった。
 それをトリスタンも気付いて、ふふ、と小さく笑う。
「そうだな。ランスロット・ハミルトン、君にだけは言っておこうかな……」
「はっ」
「僕は英雄になりたいわけでも、勇者になりたいわけでもなくて。限られた誰かを守れる程度の者になりたいと思ったんだ。でも、それはどうやら、随分難しいことなんじゃないかと思ってね……だから、まずは」
 ランスロットはトリスタンの表情を見て、黙ったまま何度かまばたきをする。それは、トリスタンの言葉の先を促すべきか、黙って続きを待つべきかを計りかねている風だった。
 それへ、ふふ、と小さくトリスタンは笑いかけ
「みんながあちこちで囁いている、腕っ節も心も強い男になりたいものだ。そう思うのは、人の上に立つ者として、戦に参加している者として、至極まっとうじゃないかな?メイシィが言葉にするほどのことでもない」
 そう言って、ランスロットにまっすぐ向き直ると、軽く左足を引いて頭を下げる。
「僕に更なる教えを。ランスロット・ハミルトン」



 クリューヌ神殿で帝国の最後の四天王ルバロン将軍を打ち破った反乱軍は、数日をかけて制圧後の始末をしていた。さすがにここまで帝国中枢となると、後はそちらでやってください、と民衆に投げるわけにもいかない。今後のゼノビアの政権に対する期待を高めるためにも、とトリスタンを中心として各都市を回り、地域の統治についての話し合いの場を設ける旨を通達するなど、一日が短く感じるほど忙しない。
 そもそもルバロン将軍がクリューヌに訪れたのは聖杯を探すためであって、彼がもともとこの地を統治していたわけではない。とはいえ、反乱軍が各都市を回って帝国軍を追い払ったということは、場所によっては都市の治安を守る者がいなくなったということ。いくつかの都市は困っていないが、いくつかの都市は困っているというのが現状だ。
 トリスタンにそれらの仕事をメイシィは全て委ね、実は体調不良で臥せっていた。それは無理もなく、彼女は明らかにここ最近の無理が祟っていた。
 ライの海で会った魔女タルトからうけとった賢者の石を持って、シャングリラに行きフェルアーナとの謁見を果たし、ヤルのタブレットをというものを与えられた。どうやらそれは、十二使徒の証を手に入れるためのものらしく、では、ここから各地に散らばっているそれらを探そうという話になったのだ。
 十二使徒の証は、聖なる父に祝福された者だけが見出すことが出来る。それは誰かと言われればメイシィのことだ。
 一刻も早く女帝エンドラを打ち倒し、その影に暗躍しているラシュディの企みを阻止したいというのに、それと平行して彼女は「彼女にしか出来ない」ことを背負って、あちらこちらへと奔走しなければいけないのだ。
 今まで各地で出会った著名な人々をリストアップして、そしてウォーレンが星を詠み、彼女が尋ねる先を指示する。けれど、ルバロン将軍に先に聖杯を手にされては困ると、クリューヌ神殿にも急がなければいけない。そんなこんなで休む暇もなく動き回っていたゆえの過労だった。
 早くメイシィの様子を見に行きたい。そう思いながらトリスタンが帰還をした時、何やら砦は不穏な空気に包まれており、兵士達がいつもよりもざわついていた。
 乗ってきたコカトリスを共に行動をしていたランスロットに預けてトリスタンが砦の門を潜ると、慌てたように伝令兵が走ってくる。
「殿下、お待ちしておりました」
「なんだ、どうしたんだ」
「実は、メイシィ殿が襲われて」
「は!?」
 一ヶ月ほど前に反乱軍に入軍をしたプリースト――プリーストとしては未熟ゆえに、もっぱら朝昼晩の飯炊きなど生活班と呼ばれるチームに所属していたのだが――が、薬草茶を届けにいく振りをして、隠し持っていたナイフでメイシィに斬りかかったのだと言う。
 きっと、調子が悪い今がチャンスと思ったに違いない。
「で、メイシィは」
「無傷です。まだ、お休みになっています」
「そうか、よかった。その女は?どういう素性の者だったんだ」
「サラディン殿とアイーシャ殿によって自白を促している途中です。これまでの本人の自白によりますと……カストロ峡谷で我々がラウニィー殿を保護したため、マラノでアプローズ男爵の婚礼が反故になり……彼女の許嫁はだいぶ経営が傾いた商家の者で、ここでどうにか盛り返そうとその婚礼の関する取引で多額の資金を割いていたらしいのですが」
「うん」
「結局支払いもされず巨額の借金をかかえ、自殺したと。いわゆる、逆恨みです」
 トリスタンは苦々しい表情で、深い溜息をついた。
「アプローズの元に届いていた請求書類は、アプローズが貯めこんでいた資産で全て支払い処理をしたはずだし、その後も関係あったと思われる取引は自己申告するようにウォーレンが通達を出して処理し続けただろう。他の地域で、領主の入れ替わりに関する金銭トラブルは防げていたはずだ」
「……請求書をアプローズが破棄していたのか、どうなのかわかりません。もしかすると、自己申告の旨を通達する前に自殺をしたのかもしれませんし。時系列で話しあおうにも混乱していて」
「それに、ラウニィーへの逆恨みではなく何故メイシィなんだ。いや、ラウニィーが襲われればいいとかそういう意味ではないが」
「反乱軍がアプローズの資産を没収して、軍資金として使ったせいだと誰かに吹き込まれたようです」
「ああ、そういうことか……サラディン殿とアイーシャ殿が話を聞いているなら、ほどなく真実がわかるだろう。メイシィのもとへいく。ランスロットにも報告を」
「はっ」
 それは、嘘をついてもサラディンが術をかけるなりなんなりしてくれるだろうという判断だ。トリスタンは行き交う人々に軽く挨拶をしながら、メイシィの部屋に向かった。


 
メイシィの部屋の前にいる見張り兵二人に彼女の容態を聞くと、大分回復はしているようだと教えてくれた。一連の悶着は一刻以上前に起きたことなので、もしかすると今は眠っているかもしれない、と言われるトリスタン。
「起きていると良いのだけれど」
 と呟いてトリスタンはノックをした。それは、両脇にいる見張り兵もまた同じ気持ちに違いない。メイシィからは、誰かが報告に来たら起こすようにと言われており、だが、出来ることなら「ちょうど起きている時」であって欲しいと思うのが人情だ。
 中から、入室を促す声がかすかに聞こえたが、覇気がない。もしかして、ノックで起きたのかもしれない。
 トリスタンは無意識で軽く溜息を付いて、ドアを開けた。
「メイシィ」
「殿下」
 ベッドの上で体をおこしているメイシィは、いつもは束ねている髪をおろしており、それを手櫛で軽く整えているところだった。小首を傾げて髪を梳く様子は女性らしく、少しぼんやりとしている表情は普段なかなか見られるものではなかったためトリスタンは内心で(無防備な姿を、他の者達にも見せてないとよいが)と余計な心配をした。
「話を聞いて。無傷でよかった」
「おかえりなさいませ」
「……ああ、うん。ただいま」
 少しマヌケな会話だな、と思いながら、トリスタンはベッドに近づく。
「マールは、大丈夫ですか。自害などしていませんか」
 どうやら、メイシィを襲った女性はマールというらしい。
「サラディン殿とアイーシャ殿が相手をしている。その二人なら大丈夫だろう」
「ああ、そうですね。よかった……あまり、処罰は与えないように伝えていただいても良いでしょうか」
「……それは、駄目だろう」
 眉根を潜めてメイシィを見ると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「いいんです、殿下。それに、今日は大事になってしまいましたが、初めてのことではないんです」
「……何が、だい?」
「戦が起きれば、誰かが死にますし、誰かが死ねばそれを悲しむ者がいる。生きる糧を失った者が、わたしに刃を向けるために日々懸命に人々を謀るために働いていたんです。それも、食事に毒をいれて人を巻き込むことなく、静かにわたし一人を狙って。誰も巻き込まずに事を成そうとした彼女のその気持ちにこたえて、過剰な処罰はやめていただきたいのです」
「もしかして、何度もこんなことが」
 本当はあったのか。トリスタンは険しい表情でメイシィを見るが、彼女は決して柔和な表情を崩さずに――だか、少し疲労の色は浮かべ――答える。
「まだ三度目です。でも、当然のことだと思いますし。戦に参加した者に覚悟ができていても、その人を愛している者達すべてに覚悟があるわけではありません。所詮、戦は大義名分を振りかざして主張を通すために誰かの命を奪う行為。勝ち続ければ続けるたび、倒してきた人々全てに関わる、生き残った人々から向けられる様々な感情が増えるのは当然です。戦っているすべての者達が、騎士道を貫くため参加しているのではないのですから、尚更」
 体調が優れないというのに、凛とした趣で静かに告げるメイシィ。トリスタンは言葉もなく彼女を見つめた。なんという深い覚悟を持って、彼女はここにいたのだろうか。わかっていたつもりで自分はまだそこまでは気付いていなかった。その思いを、彼は恥じてはいなかった。気づくことが出来て、知ることが出来てよかったと心底思う。
(まだ、遅くない。共にいられる間に知れてよかった)
 この戦が終わって、もしも。もしも、メイシィと自分が道をわかつて、彼女がトリスタンの元を去って行ったら。いや、今のままではその可能性の方が高いのだが。なんにせよ、そうなったら、彼女はどうなるのか。
(彼女に付き従っていく人々はいるのだろうけれど)
 それを、彼女が受容するかどうかはわからない。少なくとも、大人数を伴うようなことを彼女はしないと思う。
 そうしたら、誰が彼女を守るのだろう。反乱軍という集団を解体して、いつか彼女が言うところの「ゴール」に辿り着いた後、彼女は勇者ではなく「勇者として大陸を救った者」となって。
 残るは、彼女が残した戦歴への評価と、彼女を憎む者達からの復讐心であったら。
「僕は、阿呆だ」
「殿下?」
「いや、こっちの話だ。君が慈悲深い女性であることはわかっている。けれど、処罰は必要だ。今後、同じことをもっと多くの者達が君に対して画策するとしたら」
「その処罰は、恐怖政治と同じことです、殿下。それに、こうやっておおごとになってしまえば、みんなが気をつけてくれるようになりますから、大丈夫です」
「じゃあ、どうして今まで隠していたんだ」
「人心は脆いものです。正義のもとにいても、それを正義と思わぬ者が、実は大量にいるのだと気づかせたくないんです。あくまでも、我々が憎まれるは、帝国を支持する者だけ。そうしておかなければ、兵士達の心も折れるのではないかと思いますから」
 メイシィのその言葉で、トリスタンは察した。
 きっと、今までメイシィに刃をむけた者は、ゼノビアの人間なのだ。帝国の人間の逆恨みならばまだしも、ゼノビアの、自分たちが正義として支持してくれていると思いたい者達の一部が。
 が、それを理解出来ないトリスタンではない。反乱軍が立ち上がらなければ戦も起きなかったのに。そう思う者がいても不思議ではない。
「……わかったよ。ウォーレン達にそれは僕が伝えておこう。君の意志を尊重する。そして、君のその覚悟を、僕も持つべきだと教えてくれてありがとう」
「いいえ、殿下、わたしは」
「言わなくていい。たとえ君が強要していないとしても、それは上に立って人々の命を預かる人間には必要な覚悟だ」
「……わたしが思うことが正しいのかどうかはわかりません」
「僕は、君の話はすべて腑に落ちた。だから、少なくとも今の僕にとってはそれは正しい導きの言葉だよ。それでも、本当は処罰は厳しい方が良いと思うけれど。ゼノビア復興後は、旧ゼノビアが整えていた法に従おうという意向が決まっているのでね。僕としては、君に刃を向けるのは、僕に刃を向けられたのとそう変わらぬことだから」
「反乱軍よりも新生ゼノビアの処罰が厳しいと思われることが困るということでしたら……」
「うん」
「……それでも、わたしは引きたくありません。反乱軍リーダーとして、あなたに命じさせないでいただきたい」
 珍しくメイシィは厳しい声音を使った。彼女がわざと「反乱軍リーダーとして」と前置きをしてまでも、トリスタンに何かを命じたことは今まで一度たりとない。それを彼もわかっていて、これはどうしようもないことなのだろうとトリスタンは引き下がる。
「わかってる。あくまでも、僕の気持ちってことで……ねえ、メイシィ、それとは別の話なんだ」
「……とおっしゃいますと?」
 ベッドの傍らで、トリスタンは中腰になってメイシィ目線を合わせた。二人の間の緊張が緩む。
 いつものメイシィならばきっと、「椅子にお座りください」と勧めるだろうに、それすらせずに、おとなしくトリスタンを見つめるだけなのは、やはり彼女がまだ本調子ではないからだろうとトリスタンは思う。
「探索をしたけれど、神殿では聖杯がみつからなかった」
「……そうですか」
「が、神殿に幽霊が出るという噂を耳にしてね。といっても、反乱軍の誰もそれを見ていないんだ。幽霊と言えば夜だろうから、明日の夜にでもクリューヌ神殿をもう一度探索したいと思うのだけど」
「闘いに赴いた時、ブリュンヒルドが反応をしていました。神殿内のどこかに、聖なる力を秘めたものが必ずあるはずです。でも、それはわたしが行かねばならないようですね」
「……うん。申し訳ない。今日はもう無理だが、明日、明後日、君の調子がよくなったら一緒に神殿に行きたいな」
「殿下」
「なんだい?」
「明日、わたしが何人か率いて行って来ます。明日になればもう大丈夫そうですし。ゆっくり休ませていただきました。逆に、わたしの代わりに殿下にご負担をかけたと思いますので……」
 メイシィは小さく微笑んだ。その様子を見て、トリスタンは一瞬言葉を止め、それから、苦笑いを見せた。
「メイシィ。あのね」
「はい」
「今のは、デートのお誘いだったんだけど」
「……え?」
 メイシィはきょとんと驚いた表情を向ける。彼女のそういう姿もまた、なかなか見られるものではなかったため、トリスタンは小さく笑い声をあげた。
「一緒に行きたいんだよ。クリューヌ神殿の幽霊については色々噂があってね……父上の命で聖杯を護るため、消息を絶っていたゼノビアの騎士ではないかとも言われているんだ。もし、そうならば、僕はその人物に一目会いたいと思って」
「ああ、そういうことでしたら」
 彼が言う「デートのお誘い」が冗談かつ比喩だと思い、メイシィは笑みを浮かべた。ちょっと傷つくな、とトリスタンは思ったが、口には出さず、うやうやしく高貴な女性にダンスを申し込むように片膝を床についた。毛布の上にそっと重ねられているメイシィの手をとると、メイシィはあからさまな動揺を見せる。
「あの……殿下?」
「デートの申し込みを」
「そんな、大層な」
 トリスタンの手に包まれた自分の手をメイシィは引こうとしたが、トリスタンはそれを離そうとはしなかった。
「明日もう一日お休みください、お姫様。夜、お迎えにあがりますので」
「殿下、でも、わたし明日はもう」
 きっと動けるのだし。そう言おうとしたメイシィは、びくりと体を震わせた。トリスタンがその唇で、メイシィの手の甲に触れたからだ。
「殿下」
 メイシィの再びの呼びかけは咎めるような響きを伴っていたが、それ以上強く手を払いのけようとはしない。トリスタンは床に膝をついたまま、彼女を見上げた。
「ウォーレンが、早速次の十二使徒の証探しの場所をいくつか決めていた。またすぐ、忙しくなる。だから、明日はもう少し休んで、綺麗に髪を櫛で梳いて待っていてくれたら、そりゃ嬉しいな」
「殿下、手をそろそろ離していただけませんか」
「君が、首を縦に振ってくれたら」
「……仕方がない方ですね。強引な男性を苦手な女性もいるのをご存知ですか?」
「君がそうなの?」
 幾分恥ずかしそうにメイシィは俯いて答えた。
「……いいえ」
「それは、比較的ありがたいことだね」
 トリスタンはそう言うと、メイシィが首を縦に振る前に手を離す。それに合わせて、メイシィは安堵の息をつき、平静を装った感じでトリスタンに問いかけた。
「どうなさったんですか、殿下。急に強引な男性になられて」
「強引なんじゃないよ。焦ってるだけ」
「焦って……?」
「そう。君が、こうやって過労で倒れて。それでも、僕はまだ君に頼ってもらえるほどの力がないのだと身に沁みたから。そうだね。少し、焦っているだけなんだ」
 メイシィの視線は、静かだ。トリスタンの言葉を待ち、沈黙を護ることでその先を促している。
 ああ、またこうやって甘やかされるのは僕の方か……そう思いつつも、トリスタンははっきりと告げた。
「僕は、僕が成すべきことにまだ多くの不足を抱えている。だが、君に差し出す手は以前より少しは大きくなったと自負している。君にとってはまだ足りないと思われても、身の程を知らずにこうやって手を差し出すことを許してもらえないだろうか」



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モクジ

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