甘い真実(2)

モクジ

 翌日、トリスタンは自分でも驚くほど、完璧に自分を律してやるべきことをこなしていた。
 予定が多くて本当に助かったと心底思う。それは、自由な時間があればあるほど、昨晩のことを考えてしまうからだ。
 昨晩、メイシィはトリスタンの問いに対して、いつもと変わらぬ静かな口調で
「許す許さないを決めるのはわたしではありません。ただ、差し出す手を取るか取らないかはわたしが決めることです」
 と、一見拒絶に思えるような言葉を返した。トリスタンはそれを「もっともだ」と思いつつ、いくばくかの失望に心を痛めた。だが、それはほんの少しのことで、続く言葉は彼にとっては吉報であり、更なる凶報でもあったのだ。
「殿下がわたしに向けてくださる手に不足なぞ感じたことはありません。その手は、わたしを救うには十分です。ただ、その手をとることが正しいのかどうかを判断出来ないため、わたしにはとても難しく」
 それは。トリスタンが彼女のためを思って差し出した手をとれば、自分は救われるけれど。それ以前に、自分は救われるべきなのかどうなのか、彼女は自身に問いているのだ。
 何故、駄目なのだろう。たとえば、過労で彼女が倒れる前に、少しでも彼女の代わりに誰かがなることは悪いことなのか。反乱軍リーダーの重圧に耐えかねた時に、ひとときの心の支えを彼女が求めることすら正しくないと言うのか。
(きっと、そういうことだけじゃないんだろう)
 トリスタンは、はっきりと言わなかった。自分がメイシィに好意を持っていると。あくまでもオブラートに包んで、ただ自分が彼女のために何かをしたいのだと伝えただけだ。
 だが、きっとメイシィはわかっているに違いない。いや、そうであって欲しい。それならば話がわかるからだ。
 トリスタンが差し出す手が「そういう」意味を持ったもので、その手をメイシィが取るとしたら。それは、未来の新ゼノビア王妃になる可能性を視野にいれるということだから。
(でも、それは別に……)
「殿下」
 そろそろ空が茜色に染まりだす頃、ランスロットからの報告を受ける。
「ああ、どうした」
「マリーガーランドの代表が明日の最終会談への出席を渋っていると報告が」
「メイシィとウォーレンには伝えたか」
「いえ、今からです」
「そうか。あそこは、もともと我々に対しては好意的ではなかったから、仕方あるまい……と僕は思うけど」
「……多分メイシィ殿も同じ判断をなさるかと思います」
「うん」
「最近殿下は、各都市の情報がよく頭に入っておいでですね。以前と比べて、見違えるよう……あ、いや、失礼」
 嬉しそうにランスロットは言ったが、それがトリスタンに対して失礼な言い草だと気付いて口ごもった。が、それでも喜びは閉じられたランスロットの口端にわずかに残っている。トリスタンは小さく笑うと
「いや、ランスロットの言う通りだ」
「……大陸を統治する方に必要である知識が備わってきたというところでしょう」
「ううーん、まあ……」
 そういう大仰なことではない、とトリスタンは困惑の表情を見せる。
「剣の腕を上げる以外にも、人を護るためにやらなくてはいけないことがあるのを、いくら僕でももう理解しているよ」
「……なるほど」
「君が、文武両道であるように。騎士は大変だなあ、戦って主を守るだけではないんだものね」
「我々の苦労など、メイシィ殿や殿下から比べればいかほどでも」
「……100歩譲ってそうだとしても、メイシィと僕の名前が並ぶのは、さすがに彼女に申し訳ないな」
 そう言ってトリスタンが肩を竦めて見せると、ランスロットは何も言わずにトリスタンを見つめた。
 多分ランスロットはとっくにお見通しに違いない……トリスタンはそれを口にはせず、先ほどの報告をウォーレンにするようにと命じた。勿論、メイシィには彼から伝えるつもりだったからだ。


 少し早い夕食を終えて、トリスタンはメイシィを迎えに行った。一日部屋でおとなしくしていたはずのメイシィは、あれこれと地図や書物を散らかしており、どうやら静かにはしていられなかったようだと一目でわかる有り様だった。
「殿下」
「準備は出来ているかい?外に護衛を頼んだ部隊が待っている」
「はい。神殿に行きましょう」
「うん」
 いつもと変わらぬ装備品に身を包んだメイシィは、腰にブリュンヒルドを携帯し、すっかり元気になったようできびきびと部屋を出た。
 すれ違う兵士達と軽く挨拶を交わし、砦の出口付近で顔を合わせたランスロットとギルバルドに「行って来ます」と軽く声をかけて外へ向かう。トリスタンが既に話を通していることを彼女は知らないはずだが、まるでそれが当然のように振る舞われ、若干トリスタンは驚く。
「期待通りに僕は動けたということかな?」
「え?何がですか?」
「君と出かけることを、みなに僕が手回しして伝えてあるって、そう信じてくれたんだろう?」
「……はい。だって、さっき護衛を頼んだ部隊がいるって」
 砦の外に出れば、夕日がもうすぐ完全に落ちるほどの状態になっていた。そちらへ近づく前に、メイシィはもう一言
「それに、殿下はデートだとおっしゃっていたので。お膳立てはしてくださるのだろうと」
「……違いない。誘ったのはこっちだ」
「ふふ」
 まいったな、とトリスタンは声を出して笑った。二人が近づく様子に気付いて、護衛部隊の兵士たちが姿勢を正す。
「お待ちしておりました」
「お待たせしました、ありがとうございます。じゃ、神殿に行きましょう」
 そこは、誘ったのがトリスタンでも、立場上メイシィが答える方が無難だ。その辺りの「お互いの立場」をメイシィもトリスタンもよくわかっていて、わざわざ口に出さなくとも衝突することもない。
(そういう風に、きっと僕の方が慣らされていたんだろうな)
 護衛部隊はニ部隊。どちらもコカトリスに兵士は三名の組み合わせだ。二人は同乗者を他には増やさずワイアームの背に乗ると、先導するコカトリスについて空へと飛び上がった。
 空を飛ぶ鳥達は夜目が効かないと思われがちだが、コカトリスも、勿論鳥とはまったく異なるワイアームもそれは問題がない。
 デートに誘ったからには、とトリスタンがワイアームの手綱を握ったが
「殿下、疲れたらおっしゃってくださいね。わたし、空を飛ぶのは結構好きなんです」
 とメイシィが言葉を添える。それは本当かもしれないが、何割かは一日働いてきたトリスタンへの気遣いでもあると彼はもう知っている。「その時はお言葉に甘えよう」と応えつつ、行きも帰りも決してトリスタンは手綱をメイシィには渡さなかったのだが。


 神殿に到着したのは、相当に月が高くなった頃だった。
 アッシュの働きのおかげで、神殿付近で戦闘を行った痕は既になく、また、ルバロンが率いてきた帝国兵達も既にそこから撤退をしていた。
 もともとクリューヌ神殿は、数名の守役以外は夜の立ち入りは禁じられている。ライの海の最北西に位置しているため、神殿への参拝者などいないし、位置が悪いため悪徳商人などの溜まり場にもならなければ、とりたてて金目のものも何もない、比較的堅実な印象の建物だ。中に入ればそれなりに「神殿らしい」作りではあるが、わざわざ柱だの燭台だの窓や装飾品をここから持ち出す労力を考えるとあまり割がよくないため、厳重な見張りがいなくとも閑散としていた。
 護衛部隊を神殿前に待機をさせて、トリスタンとメイシィは二人で神殿内に入った。それは、「本当に幽霊が出るなら、大人数でガヤガヤ行っても出てこないのでは……」と笑いながらウォーレンが提案をしたからだ。
「……殿下」
「うん?」
「ブリュンヒルドが、反応しています」
 メイシィは通路で立ち止まると、腰につけたブリュンヒルドに触れた。見た目ではわからないが、小刻みに震えているのだという。
「それで……?」
「なんとなく……こっちかしら」
 神殿の奥に向かう通路の分かれ道で、メイシィは少しだけ悩んでから右へと折れた。通路はやがて先が見えて、行き止まりに向かっているようだった。カンテラを持っていたトリスタンは、それを高く前へ掲げ、そこが本当に行き止まりかを確認しようと照らした。
 その時だった。
「!」
 行き止まりの壁の前。二人の前に、突然年老いた騎士が現れた。とはいえ、騎士は非常に薄い色彩で彼らの目に映り、彼の体を通り過ぎた光達が、壁の色を照らしている様子すらはっきり見え、一瞬で彼が「幽霊だ」と二人に知らせる。
「ゼノビアの、鎧だ」
 ぽつりとトリスタンが呟いた。たとえ、過去のゼノビアを知らなくとも、それなりの教育を受けた王家の子息であればそれぐらいは判断出来る。これほどに遠い場所までゼノビアから来て尚、帝国の目を欺こうとせずにゼノビアの鎧を着たまま死したのか、それとも、死した後には故人の思い入れがあった姿で現れるのか、勿論彼らは知らない。
「……よくぞ、ここまで参られた。わしの名はパーシバル」
「パーシバル」
 メイシィとトリスタンは同時につぶやく。
「グラン王の命により、聖杯を今日まで守ってまいりました」
 目を凝らしていないと消えてしまうのではないかと思える薄い輪郭でもわかる、穏やかな笑みをパーシバルは浮かべる。
「メイシィ殿は、噂に違わず、勇者として十分な資格を持っておいでのよう。この聖杯を受け継ぐにふさわしいお方とお見受けする。お渡ししましょう」
 パーシバルの言葉に呼応するように、彼の胸元に突如古めかしい、重厚で美しい杯が姿を表した。
「この聖杯を使って、乱れた世を、苦しむ人を救って下さい」
 やがて、その聖杯はパーシバルの手に触れぬまま、まっすぐメイシィの目の前まで浮いて移動をしてきた。それへ、彼女がそっと手を伸ばすと、そうであるのが当然のように、彼女の手の中に聖杯は収まる。
 その様子を満足そうに見届けると、パーシバルはトリスタンへ向き直った。
「あなた様は、グラン王の忘れ形見とお見受けいたしました」
 トリスタンは目を瞬いて、それから微笑んだ。
「わかりますか?」
「勿論です。こうして、お会い出来たことを本当に嬉しく思います。わしはその聖杯の力によってここに留まっていた身。最期に、ゼノビア王家の希望であるあなた様にまでお会い出来た光栄、グラン王からの命を全うできた喜び、なんと幸せなことか。勇者メイシィ殿。ありがとうございます」
 そう言うと、パーシバルは騎士の一礼を恭しくメイシィに対して行い、メイシィはそれに対してはっきりと告げた。
「騎士パーシバルよ。ありがとうございます。あなたのお気持ちも、この聖杯も無駄にはしないと誓いましょう」
「なんたる本望よ」
 顔をあげてメイシィにそう語りかけた瞬間。
 ただでさえ薄かったパーシバルの輪郭は一気に色を失っていき、彼の体を透かして後ろの壁に届いていた光は、更にはっきりとその壁の色を浮き立たせる。
 そう時間もかからず、その場にパーシバルがいたことなぞ嘘のような、ただ無機質な壁だけが彼らを囲んでいる、当たり前の情景へと戻っていった。
「逝ったのか」
「そのようです」
 メイシィは何かの印を空に切り、胸に片手を当てて瞳を閉じた。
 それが、彼女の宗派の祈りなのだろうとトリスタンは思う。
(綺麗だな)
 しん、と静まり返る神殿の一角で祈るメイシィは、もともとそれが当然であるように妙に絵になるとトリスタンは思う。


 パーシバルと会った場所から大分出口側に戻ってきた頃、通路の途中でメイシィが声をかけた。
「誰かいます」
 そっと、トリスタンにしか聞こえないほどの囁き。が、メイシィがそれを呟く前に、トリスタンも人の気配を感じていた。
 侵入者だとすれば、護衛部隊と一戦を交えているはずだし、いくら神殿の奥にいたとはいえ、その様子はわかるはず。
(ということは、ずっと神殿のどこかに隠れていたのか……?)
 トリスタンがそう思った瞬間、突然どこからともなく剣を持った3人の男たちが現れ、2人に切りかかってきた。一体どこからどうやって、という疑問はさて置き、トリスタンは素早く剣を引き抜き応戦をした。男たちが現れた場所の関係で、メイシィはトリスタンに守られる形となって、神聖魔法を唱えた。
 1人、かなり剣の腕がたつと思われる男がいたが、それ以外はメイシィの魔法とトリスタンの素早い対応で即座に動きを封じられた。やがて、なるべくして、その男とトリスタンの一騎打ちとなったが、メイシィが他の男達から武器を奪って手足を拘束している間に、勝負はついた。
「僕も逃亡生活だったもので、狭い場所の戦いは得意なんだ。悪かったな」
 壁際で後ろがない、という状況を何度もトリスタンは回避をし、逆のその男を同じ状況に数回追い詰めると、剣の柄を狙って武器を失わせた。男たちは帝国兵らしかった。
「聖杯を狙うよう、指示されたのか」
「……そうだ」
 トリスタンに剣を突きつけられると、あっさりと男は白状をした。その間にメイシィは合図の笛を高らかに鳴らし、護衛兵達を神殿内に呼び入れる。
「殿下。壁に隠し通路が。この神殿の見取り図にはないものでしたが」
「もう一度探索をし直す必要がありそうだな」
 バタバタと足音を立てて、魔獣の番に2人置いて、残りの護衛部隊が駆けつける。1つの部隊には彼らを襲った男達を引き渡し、取り調べをするよう命じた。もう1つの部隊には、今男たちが出てきたであろう隠し扉奥の探索を命じ、メイシィとトリスタンは通路でその帰りを待つことにした。
「聖杯を君が取りに来ることをわかっていたんだろうね」
「そうですね。でも、そこまで本気ではなかったのでしょう」
「うん。だったら、もっと大人数だったり、ここから出た後に襲われるだろうしね。ここで警戒をさせた後に襲うのは得策じゃないから……」
「運が良ければ、ぐらいでしょうね。聖杯を奪うより、聖杯を得たわたしが十二使徒の石を探してから奪うほうが効率良いですし」
 そんな会話をしながら、2人は通路に腰を下ろす。
「それにしても、殿下、お強くなられましたね」
「……うん。なった、と思うよ。ランスロットの見立てでは、経験不足を補って十分前線で戦えると。君と共に戦えるぐらいに到達したんじゃないかと」
 それへは謙遜せずにトリスタンは答える。
 メイシィは剣士ではないが、戦の経験はトリスタンの比にならぬほど豊富だし、戦況の見極めも巧いとランスロットは評価をしている。剣の腕一本よりも、そういった複合的な力を持つ人間が戦では肝になってくることをトリスタンもまた十分知っている。だから、たとえ一対一の戦いで自分がメイシィに勝てるとわかっていても、どこまでも彼はメイシィの実力の方が上であると評価をしての言葉だ。
 メイシィは声こそ出さなかったものの、はっきりと首を縦に振って、それに同意をした。
「見事なご判断と剣の手腕でした。兵士達の手本以上になられたご様子」
「ありがとう。そう言ってもらえるととても嬉しいよ。褒めてもらったところでわがままを言うようで恐縮だけど、本当は君をもう前線に出したくないと思うぐらいで、代わりに僕を出してくれって言いたいんだけど」
「そういうわけには行きません」
 即答をすると、困ったようにメイシィは笑う。トリスタンの申し出は暗に「君のために強くなったんだ」という意味を含んでいる。彼女はそれにもう気付いているに違いない。
 それでも、メイシィは己の立場を決して忘れることなく、彼の提案に甘えない。
 わかっていたが、とトリスタンは内心溜息をつきつつ、言葉を続けた。
「……そうだろうか。もう、そろそろ、いいんじゃないか。ここまで来たんだ。我々に立ちふさがる者は、最早ラウニィーのお父上とエンドラ、ガレス皇子、そしてラシュディのみだ。ラシュディの企みを防ぐために十二使徒の証を集めることと、帝国に攻め入ること両方を君の肩の上に載せ続けるのは」
 また、過労を招くだろう。反乱軍リーダーが倒れたと噂になるのはあまり好ましくないことだし。そう言おうとして、トリスタンは言葉をつまらせた。
 そうではない。本当に言いたいことはそれではない。それっぽい理由をいくつ並び立てても、結局は「僕が君の力になりたいんだ」という言葉がすべてにおいての真実でしっくり来る。だが、そんな言葉だけでどうにかなる状況でもないと彼はわかっていて、そのもどかしさに唇を軽く噛んだ。
 と、メイシィは床に座ったまま体全体をトリスタンに向け、諭すように言葉を紡ぎだす。
「殿下。わたしは、殿下と違うので」
「え?」
「殿下のように、生きている、というだけで人々の期待を集められる血の盟約も何もわたしは持ちません。わたしが得ている力がそれを物語っています。タロットカードを使う力は、戦の場で発揮できる、唯一のわかりやすい『勇者らしい』力です。わたしが勇者として人々を黙らされる、他の誰とも違うと知らしめられるのは、戦場だけですから」
「っ……」
 そんな風に考えたことがなかった。トリスタンは目を細めてメイシィを見る。
 確かに、例えばこうやって「勇者として認められて」聖杯を承ろうと、十二使徒の証を集めようと。人々からすれば、それが本当に「彼女でなければ駄目だった」のかを知ることは出来ない。それは、彼女を勇者として認め、彼女だけに何かを与える者だけが己で納得していることだ。
 ブリュンヒルドの力を借りてカオスゲートを行き来しても、それも民衆にはわからぬこと。
 が、戦の前線で彼女がいる部隊だけが「見たことがない何か」を引き起こせば、それは否応でも人目を引き、あれが勇者殿の力かと人々に印象付けることが出来る。それは確かだ。
「君は……」
「どれほどわたしの神聖魔法が強かろうと、戦運びがうまかろうと、それは人間の枠を超える域には達していません。人々が勇者というものに求めるのは、人間であって、頂点に立つ。あるいは、人間を超える何かを持つような者でしょう。だから、わたしは最後まで先頭に立って戦い続けなければいけないのだと思っているんです」
 淡々と語るメイシィの声音にも瞳にも、いつもの覇気はない。トリスタンはカンテラを床に置いて、足元からの柔らかい光に照らされるメイシィを正面から見つめた。
「それが、君の覚悟なんだね」
「はい」
「最後まで勇者たらんと努めることは、並々ならぬことだ。いくら、ゴールが見えていても」
 そのトリスタンの言葉に、メイシィはふっと口端を緩めた。シュラマナ要塞で月を見ながらした会話をトリスタンが覚えていること、それを引き合いに出したことに気付いたのだろう。
「……じゃあ、僕は君のその思いを尊重して、100歩も200歩も譲ろう。君が揺らぎそうになれば、同情をせずに背を押してあげよう。その代わり、もしよければ、君は僕の願いを2つ聞いて貰えると助かるんだけど」
「2つ?」
「自惚れだと笑ってくれても構わない。でも、僕は強くなったよ、メイシィ。それは君のためだけではなく、自分のためでもゼノビアのためでもある。この大陸の戦いの終焉を正しく見るには、君と肩を並べなければいけないと思えたし、そのためには君の足手まといにならぬほどの強さが必要だと思ったし。君が最後まで勇者でい続けることを、隣で見届けたい。君が言うには、僕は不足していないようだしね。君の代わりに戦うなんておこがましいことはもう言わない。でも、数少ない残りの戦で、時々君の隣にいることを許してくれないか」
 メイシィは答えずにトリスタンを見つめたままだ。もう1つの願いは何だ、とその瞳は雄弁に問いかけてくる。
「それから。こっちの方が重要なんだが」
「はい」
「戦いが終わったら、君を守る栄誉を僕に与えて欲しい。君がこの先死ぬまでずっと付き纏う、勇者であることで身につけられた咎に苦しむのだろう。それは、反乱軍の行く末に比べればゴールは遠いじゃないか。僕が成すべき「途方もないこと」と同じだろう。僕はこの先ずっと死ぬまで付き纏う、君が言うところの血の盟約に縛られる。けれど、それを利用してでも君を守りたいんだ」
「殿下、それは」
「新生ゼノビア王国の王妃になってくれないか、メイシィ。僕は、君が好きだ。そして、もう僕には、君と共に寄り添って行く深い覚悟があるよ」
 メイシィは、一瞬目を見開いてトリスタンを見つめた。それから。
 彼女がとても小さい声で返事をするのと同時に、隠し扉の奥に行った護衛部隊が二人を呼ぶ声がした。



 砦に戻ったトリスタンは、先に中に入るようにメイシィを促すと、魔獣達が集められている場所にワイアームを誘導した。先に到着していた護衛部隊のコカトリスは見習いビーストテイマーの手に渡り、大人しく所定の位置に戻っていくところだった。
「殿下。お疲れ様です」
「ギルバルド」
 思いもよらぬ人物がトリスタンのワイアームを引き受けに来た。夜番に、彼ほどの人物が魔獣番をやっていることは珍しい。それに少し驚いたが、すぐに(何かあるな)とトリスタンは察する。
「……君は、メイシィと結構仲が良いようだ」
「仲が良いのではなく、彼女は命の恩人でありますから」
「うん。聞いている」
「殿下の耳に一つだけ、入れておきたいことがありまして。とはいえ、それは個人の所感、殿下がどう捉えるかは」
 地上でワイアームの手綱を握り、ギルバルドは「少し待て」を命じた。戻っきたばかりのワイアームは、休みたい、眠りたい、腹が減った、大概それらのどれかで、すぐさまそれが満たされないと不機嫌になるものだが、ギルバルドの命令には大人しく従う。
「なんだろう。怖いな」
 トリスタンのその言葉は、茶化しではなく心からの言葉だ。
「メイシィの、爆弾発言とやらが少し前から噂で流れていると思いますが」
「うん」
「あれは、彼女が人を遠ざけるための狂言の一種だと思うのです」
「うん?」
「あれは逆を言えば、メイシィが勝てぬような相手からでも自身の身を守れる者だけが、彼女の側にいられると」
 二回り年上のギルバルドからの言葉は、普段と変わらぬ声音であっても重々しくトリスタンには響いた。まるで難しい謎掛けでもされている気持ちになり、彼の言葉を数回口の中で反芻をするトリスタン。
「お分かりになりませぬか」
「……ああ……ああ、そう……そういうことか」
「彼女が今まで命を狙われた2回、どちらもカノープスが近くにいました。が、そのうち一度は、カノープスの命も危うくなり」
 後は察しろ、とばかりにギルバルドは言葉を止めた。
「ありがとう、ギルバルド。もう、大丈夫だ。君達の姫は、戦いが終わったら僕が責任を持って一生護る」
 そのトリスタンの言葉に、ギルバルドは目を丸くした。それから「成る程」と呟くと、満面の笑みを見せ、もう一度「成る程、成る程」と繰り返した。
「だから、もう少しの間、君達の力を貸して欲しい。当然、それが僕が口にするようなことじゃないのは、重々承知をしている」
「勿論です。殿下はとても大変ですな……あんなに舅が多い女性を選ぶなんて。しかも、誰も彼も、殿下のお立場を知りつつ容易に口を挟んでくる者達ばかり」
「君もその一人なんだろう。まいったな。気を抜く暇もなく、もっともっと全方面で強くならなければ」
「違いありません」
 はは、とギルバルドが笑うと、トリスタンも声をあげて笑う。
「ところで、その」
「はい」
「僕は……そんなに、態度に出ていたかな……」
 いくらか照れくさそうにトリスタンは尋ねた。ギルバルドははっきりとは言わないが、もともと「トリスタンがメイシィを好ましく思っている」ことを知っていた様子に思われたからだ。
「朴念仁のどこぞの聖騎士でも気付いているでしょうし……と言いたいところですが、それは嘘ですな」
「え?」
「そうではない。わたしが知っているのは殿下のお気持ちではなく、あの子の気持ちです。あの子は本当に密やかで、慎ましやかで、聖職者らしく己を律することが得意すぎる。それでも、こちらが気づくほどなのですから」
「えっ……」
 そう言って、ギルバルドはトリスタンの背後に視線を送った。
 それにつられてトリスタンが振り向くと、先に砦に戻るように言っていたはずのメイシャが、こちらに向かって歩いてくる。大方、トリスタンが遅いので心配をしてきたといったところか。
「殿下」
「どうしたんだい?」
「いえ……何か、問題でもあったのかと……」
 そう言いながら、メイシャはギルバルドの姿に気づき、彼女にしては珍しく声を軽く荒げた。
「ギルバルド」
「うむ?」
「あなた」
 そこで、必死に声を抑えるメイシィ。その様子を見て、ギルバルドは笑った。
「安心しろ。何も殿下には余計なことは言っておらぬぞ。余計ではないことは言ったが」
「……っ……」
 さすが年の功といったところか。さらりとそう言うと、ワイアームの手綱を引いてさっさとその場を離れるギルバルド。その場に残されたメイシィは、それまでトリスタンが見たことのない様子で、うつむきがちに手で顔を覆っていた。
「メイシィ?」
「……か……」
「うん?」
「何を、ギルバルドから、伺っていたんですか……」
「ねえ、ちょっと待って。メイシィ、君」
 トリスタンは強引に、メイシィの手首を掴んで顔からどけさせた。驚いた風にメイシィは軽く抵抗をして、顔を一層下に俯ける。
「メイシィ。顔、真っ赤だ。どういうことだい。僕の告白ではそんなに」
 ならなかったのに。不平ではなく、単純な驚きでトリスタンはそう口にした。メイシィは消え入るような声で
「わたしは……隠しておきたかった心を知られることが……苦手です」
 と呟いて、それっきり俯いた。
「そんなの、君だけじゃないよ。誰だってそうだろう」
「そうでしょうか」
 なんて、彼女らしくない間が抜けた答えだろう、とトリスタンは思う。いつでも人の気持ちを慮って立ちまわってきただろう彼女が、誰にとっての真実を「自分だけ」だと思っているなんて。第一、知られたくないから隠しておきたいのだろうし、本末転倒だ。
 きっと、これはとんでもないことを彼女は隠しているのだろう、とトリスタンはピンと来て、いささか強引に問いただした。
「そうだよ。でも、それでも聞きたいんだけど。君が隠しておきたくて、僕にまだ言ってないことがあれば、教えてよ」
「そんなこと……」
「お願いだから、僕を喜ばせてくれないか」
「今日の殿下は、お願いばかりです。ずるい」
「僕も君の願いをいくらでも聞いてあげるから」
「ありません」
「嘘」
 ゆっくりと、メイシィの手首から手を離すと、トリスタンはその手を彼女の腕に沿わせ、静かに華奢な肩に置いた。その肩がわずかに震えているのは、恐れによるものではなさそうだ、と思うトリスタン。
 俯いたままのメイシィは消え入りそうに、たったひとつだけ隠し事を口にした。
「……わたしは、誰にでも、共に月を見ようと誘う女ではありません」
「……」
「ああ、殿下、もうお願いですから、これ以上わたしから引き出そうとしないでください。それが、わたしの願いです」
「……わかった。わかったよ、メイシィ。十分だ。ありがとう。それは聞き届けよう」
「!?」
 トリスタンは、もうどうにも堪らぬといった様子で、メイシィの小柄な体を抱きしめた。腕の中で彼女は「誰かに見られたら」と言いながらもがくが、トリスタンは力を緩めない。
 小柄なメイシィがすっぽりと自分の体に覆われる様子が可愛らしくもあり、愛しくもあり、どうにも自制が出来ない。それに、抱く力をどれだけ入れても足りぬほど彼は喜びで舞い上がっていたのだ。
「殿下」
 恨めしげな声が腕の中から聞こえる。
「うん。僕が好きになった女性は、思っていた以上に可愛らしい人だったのだと感動してるんだ。もうちょっと許してくれ」
「わたしは、わたしが好きになった男性は、思っていた以上にわがまま放題の方だったのだと愕然としています」
「それも許してくれ」
 そう言いながらトリスタンは、何事かと次第に集まってきた夜番の兵士達をぐるりと見渡す。きっとこの様子を見たらメイシィは珍しく怒り出すのだろうな、と苦笑いを浮かべた。
 それから、ギルバルドに止められながら近寄ってくるカノープスの姿を見て、ほら、もう一人舅が来たぞ、とくすりと笑い声あげ、ようやくその手を緩めるのだった。





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