誓いの言葉-3-


まったく、自分の従者達は頭が固いことこのうえない。
フィクス・トリシュトラム・ゼノビアは、2人の護衛を両脇につけて街中を歩いていた。
彼は自分ではそれほどとは思ってはいなかったけれど、大層整った顔立ちをしており、色は少し鈍いけれども深くて美しい金髪が相当に目立つ人物だった。それゆえ、フードを深めにかぶって目立たぬように貧相な身なりをする必要があった。幾度となく逃亡劇の中でその金髪を切ろうと思ったものの、おぼろげな記憶の底にかすかに残っている彼の母親の髪色と同じだと従者に言われ続けて育った彼は、なんとなく切ることが出来なかった。それは彼のノスタルジーだけではなく、旧ゼノビアを思う従者達の遠い日の憧れであり、生き延びる目標を強く思い出させるための道具の役割すら果たしていたことも多少は関係している。
それにしたって、やはり25年間旧ゼノビアのことを考え続けた従者達と、その当時の記憶が多くは残っていないトリスタンとの間には温度差が多少ある。
ゼノビア王族としての誇りがないわけではない。
ただ、ゼノビア王族の生き残りだから、という理由で自分を持ち上げたがる従者達(とはいえ彼らは彼らで本当に逃亡生活の中でぎりぎりで生き長らえてきたわけだから、大人になったトリスタンに何もかも期待をかけてしまうのも無理はない)には多少うんざりしていた。
何度か彼は従者達と意見を真っ向からぶつけ、ようやくここペリチェルリまで来てマラノに近づくことが出来た。

トリスタン皇子がアプローズ男爵を討つつもりだ。

一体誰がそんな噂を流したのだろうか。
反乱軍からのメッセージなのか、はたまた帝国軍の罠なのかはわからなかったが、彼、トリスタンは己の名誉のためにペリチェルリに来ることになってしまった。
噂は密やかに、けれども確実に大きくなっている。
アプローズのことは憎いと思っているし、旧ゼノビアの恥さらしだ。
確かに自分が手を下したいと思ってはいたが、そんなことよりも反乱軍リーダーに会うことが先決だとトリスタンには思えていた。
が、彼の周囲の人間はそれを最優先事項にはしなかった。
そう、彼らは噂通りにアプローズを討つことを実行しようとしているのだ。
馬鹿馬鹿しい・・・。そうトリスタンは思ったけれど、彼らの気持ちも多少は理解出来る。
ここでアプローズを放置しておけば、次には噂が更にひろまって「トリスタン皇子はアプローズも討てない腰抜けだ」と形を変える。
そんなちっぽけな名誉はいらない。彼は冷静にそう考えていた。
今ですらこの25年間表立っては何もせずに逃亡生活をしてきた身だ。これ以上貶められるようなことを言われても、その汚名を晴らす働きを今後すればいい。もちろん、それが出来ると断言するような自信ははっきりとはないけれど。
自分はあの25年前にはまだ子供だったけれど、今、彼を取り巻く従者達は違う。
ついに彼らは虐げられた25年間に終止符を打つために(とはいえ、それは終わりではなく始まりなのだろうが)打倒アプローズというどうにもしまりの悪い選択肢をとった。
確かにアプローズはいまや魔力を帝国から授かって並々ならぬ力を持つという。そういう意味では相手にとって不足はないだろう。
が、アプローズの実力云々は関係なしで、トリスタンがアプローズをうつ、すなわち旧ゼノビアの遺恨を晴らす、という体面的なものが彼としては意味がない、いや、それどころかどうにも恰好が悪いものだ、と思えてしまう。
そんなことよりもするべきことがある。
この先のこの大陸を憂えているならば、アプローズを倒すことが優先順位ではないというのに。
「まったく・・・」
とはいえ、彼の手勢にも限界がある。
ほとんどの人間がアプローズの婚礼の儀のパレードルートを細かく探るためにマラノに向かっていった。トリスタンにはもしものことがあってはいけない、とここペリチェルリにまだ身を潜めている。
反乱軍にコンタクトを取りたい。
何度かその話で口論になった。彼は未だ自分が皇子であることを武器に従者をねじ伏せることはしていない。
口答えする気か、と言えば多分あの口論は終わるのだろう。
それでも、まだそれをする時ではない。
彼は従者達以上に聡明で、今の彼の味方が少ないことをよくよくわかっていた。
その少ない人数を力でねじ伏せることしか出来ないならば、きっと自分は人の上に立つような器ではないだろうし、今はまだそういう自分の血だけに頼った権力をふるう気はない。
そして、反乱軍がマラノに近づいているらしい、という信憑性の高い情報が入ってきたからこそ、彼は今回の件はごり押しせずに従者達の意見に折れた。もちろん、そうでなければ口論は続いていたのだろうが。
彼は従者達が「時がきた」と思うそれとは別に、妙な胸騒ぎと実感をもっていた。
そう。
彼にとっても「時がきた」のだと。
自分がこれまで歩いてきた道のりの先に、反乱軍と交わる場所があることを、彼は誰よりも強く感じていた。
従者達の頭には、トリスタンがゼノビア王族の生き残りであることばかりが植え付けられていてどうにもならない。
反乱軍にこちらから接触をするなぞ、もっての他だと思っている節もある。
けれども当の本人である彼はそういうわけでもない。
普通の、1人の男として冷静に考えれば答えはすぐに出る。
もしも自分がこの大陸の未来を憂えるならば、どういった形であれ反乱軍と交わるに決まっている。
そう。
そして、自分がゼノビア皇子であれば、直のこと。
利用するために。
それがいい意味になればいいのだが。
彼は小さく溜息をついて、石畳の街角をそっと人目を忍んで歩く。
今、身を隠している薄暗い路地の奥にある隠れ家に残ったメンバー数名は比較的に考え方がトリスタンよりだから、タイミングさえよければ反乱軍と接触するようにしたい、という彼の意見を尊重してはくれている。
しかし、きっと反乱軍はマラノに行くだろうから、あまり自分の思うように話は進まないのだろうな、とトリスタンは自嘲気味な表情を作った。
「ふーむ」
また、溜息ともつかない声を小さくもらして、彼は細い路地から出て行った。
・・・それにしても、マラノに行かせた数人から連絡がこないな、なんて思いながら。

「うわー・・・人がいっぱい」
と、見たままの感想を述べるのはソニアだ。
「いっぱいよね」
相槌を打つのはラウニィーだ。
「いっぱいデース!」
更に同じ相槌をうつのはスルストだ。
オリジナリティがなくなるのも仕方がない状況だった。
この妙な三人組はマラノの町近くまでやってきて、長い列に口をぽかんと開けていた。まるで蟻の行列のようにずらずらと蛇行した列が見える。一体どれくらいの人間がいるのだろう?
さすが婚礼の儀に備えてのことなのか、町に入る前に城壁の外で検問をやっている。そこでは商人達は自分達の積荷を見せて通行許可証を発行してもらうようだ。また、婚礼の儀を見にきた、とか、ただの旅行者に関しては、軽い応答があるらしい。
それとは別に、グリフォンなどに乗ってマラノの城壁(都市の中心にある領主の城ばかりではなく都市全体を覆っている壁もあるのだ)を越えてくるものに対しては、魔獣たちを繋いでおく定められた場所に一度着陸させて管理をする。そのために誘導する兵士達がごろごろとワイバーンに乗って飛んでいたり、レイブンが何人も城壁の上で様子を見ては飛んでいって不審者がいないか確認をするようだ。
普段はそんなこまごまとしたことはしていないのに、という話も小耳に挟んだ。
それは確かにそうだ。
このマラノ地方は貿易が盛んだが、盛んなら盛んななりに色々と黒い商売もあちこちで行われている。
それを取り締まるのと同義であるから、いつもこんなことをやっていてはそういう最も金を動かすことが出来る(当然黒い金ではあるが)闇商人たちは困ってしまうわけだ。
「どーしましょうね」
彼らにとってまいったのが、どう見てもスルストが目立ちすぎることと、ソニアの演技が下手だということだった。
「それに、これじゃあ一度入ったら上手く出られないぞ」
「とはいえ、これを見て引き返しては怪しいデース!」
「商人ってことで通る方がよさそうだけど、私達荷物もないものねえ」
「マラノに入るなら、婚礼の儀まで出ない覚悟がいるなあ・・・」
「これ、当日来たらもっとひどいんじゃない?・・・ぷっ・・・」
ラウニィーは突然吹きだして「あはは」と声に出して笑った。
「なんだ、ラウニィー殿は1人で楽しそうだな!」
「あははっ、ごめんなさい。考えたらなんかおかしくって。「検問の列に並んでいたら遅刻した」とかいって婚礼の儀が終わってから、のこのことわたし達がマラノ入りしちゃったら、お笑いじゃない?」
「そりゃー、お笑いっていうより泣き笑いだ!」
そう言いながらソニアは、この大事なときに呑気なことを言うラウニィーを見ながら「あー、もしかしていつもランスロットはこんな風にあたしを見てたのか?」と思いあたって妙なショックをうけていた。
「・・・ちょっと不審者っぽく目えつけられているようデース」
スルストはそっと2人に耳打ちした。
確かに数人の兵士がこちらを見ている。
ソニア達は列の長さに戸惑って少し離れたところ(城壁検問前は何もないだだっぴろい平地になっている。不審者の通報をしやすいように、とアプローズがここに来たときに木を切り倒したのだ)でコカトリスのイリューネを大人しくさせながらこそこそと会話をしていたのだ。それがあまりにも長い時間だったので、兵士達に目をつけられてしまったらしい。
確かに大男であるスルストと小柄なソニアはそれだけで変なでこぼこコンビで気になるものだ。
「行くか戻るかしないと、いけないデスネー」
「しかし・・・もし、トリスタン皇子がマラノ入りしていたら、ここで躊躇しているわけにもいかないしなあ。かといってマラノに入っちゃったらこりゃ、出るのも理由がいるし、次に入るのも理由がいりそうだ」
しかも自分達は商人風ではあっても荷物も何も持っていない。
しまった、徹底しておけばよかった、とソニアは舌打ちをした。
「でも、マラノのこの状態をみんなに伝えておかないといけないと思うわ・・・」
「そうですネー。ここまでとは思っていませんでしたからネ」
そのとき、2人の兵士が彼らに近寄ってきた。
「そこの3人!列に並ぶならそちらに移動しろ!」
3人はお互いの顔を見合わせた。が、ソニアはちょっといい案が浮かばずに困った表情を見せる。
動かない3人を更に不審に思ったか、兵士達はどんどん近づいてくる。あまりここでおおごとにしてはいけない、とお互いに思ってはいるけれど、うまく言葉が出ずに顔を見合わせるだけだ。
皮製の鎧をつけた兵士の1人が声を荒げて叫んだ。
「どうした。マラノに入るんではないのか」
それへ始めに笑顔で返事をしたのは、予想外にもスルストだった。
「入りマス、入りマース!」
「え・・・ぎゃああ!!!」
可愛くない叫び声をあげたのは当然ラウニィーではない。ソニアだ。
スルストは何の前ふりもなくソニアを抱えあげた。ひょい、と胸元に抱きかかえる、いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「な・・・」
にをするんですか!と続けようとしたソニアを無視してスルストはラウニィーに笑いかける。
「ここまで見送りに来てくれてアリガトウデース!あなたの妹さんはワタシが幸せにしマース!」
ラウニィーは急にそんなことを言われて一瞬戸惑いの表情を見せたが、
「そうね!」
すぐに了解、とばかりに彼女がよくするいたずらっぽい表情を見せて笑った。
「わたしもアプローズ男爵の結婚式見たかったけど、新婚旅行の邪魔しちゃー、悪いものね!名残惜しいけど、みんなのところに戻って伝えるわ。マラノはすっごい人がいるって話も土産話になるしね。仕事もあるからもう行くわ!」
兵士達の目の前でラウニィーはつかつかとスルストに歩み寄ってソニアを覗き込んだ。
ソニアはなんだか妙な顔をしている。一応どういう話の流れになったのかはわかっているものの、とことんこの少女は演技が下手らしい。
「じゃあね、また。あんまり旦那さんを困らせちゃダメよ!・・・ほんと、名残惜しいけど・・・」
「あ、う、う、う、うん」
どもりながらソニアはなんとかそれだけ声に出せた。ラウニィーは兵士達に見えないように囁く。
「じゃ、あたしはランスロット達の後を追って状況説明するから。情報屋もマラノに潜入してるんでしょ?」
「うん」
「ならちょっとはマシね。右腕が動かないあなたを1人にしてはおけないから、わたしが連絡役になるのは正しい選択だわ、スルスト様」
それからラウニィーは2人から離れて軽く手をふって、少しばかり離れたところに待たせておいたコカトリスに乗り込んだ。
「じゃあね!お幸せに!」
スルストは片手でソニアを抱えたまま、にこやかにそれへ手をふった。仕方なくソニアもスルストに習ってぎこちなく手を振る。
皆が見ている前でコカトリスは大きく翼を広げて数回ばっさばっさと羽ばたく。それからスムーズに、辺りにわずかに砂煙を立たせながら空に飛び立った。
兵士達はばつが悪そうに残されたスルストとソニアを見て
「見送りか」
と聞く。スルストはソニアを無理矢理抱きしめて
「そうデース!ワタシ達、トリエステから来ました!昨日結婚したばかりデース!折角なので、同じ頃に結婚するアプローズ様の婚礼の儀を見たいと思って、新婚のお祝いに旅行に来たのデス!」
「それにしても姉妹、髪の色が違うな」
それは当然の疑問だ。髪を結っているとはいえラウニィーは輝くばかりの金髪だし、ソニアは赤毛だ。ありえない姉妹だと思っているに違いない。
「OH!ユーはひどいことを言う!」
その質問に対して大仰にスルストは叫んだ。そして、ぎゅ、とソニアを抱きしめる。「ぎゃ!」という小さい声が彼の胸元あたりから聞こえたはずだが、スルストの次の演説が始まってその悲鳴は兵士達には届かない。
「彼女達、それはそれは可哀相な身の上なのデース!ああ、今でも彼女達に初めて出会った頃を思い出すと、ワタシは涙が溢れてくるばかり!幼い頃に親兄弟をなくし、身よりもなく、明日の食事にも困っている少女達が、生きていくために手を取り合って生活していたのデース!みな血が繋がっていなくとも、身を寄せ合って生きてきたのデスヨ!・・・ワタシはそんな彼女達に心打たれマシタ〜。みんな素直で優しくていい子達ばかりで、苦労しているそぶりをみせまいとけなげにふるまっていマス!その中でもワタシの妻になったこの子はいつも・・・」
「あー!わかった、わかった!わかったから、さっさと並べ!」
どうやらべらべらと「自分の妻自慢」を始めそうになったスルストに対して兵士は邪険にそう叫んだ。それでもなおスルストは妻自慢を口に出しながら列に向かい始める。
やがて兵士達ももとの配置に戻り、スルストはソニアを抱きかかえたまま列の後ろに並んだ。
「ス、スルスト様、早くおろしてください」
「まあまあ、いーじゃないデスカ!ユーとワタシは新婚なのデスカラ!役得役得・・・」
「むーーーーーーーー」
そんな風にソニアがむくれている間、空の上でラウニィーが慣れないコカトリスの操縦に悲鳴をあげていることを誰も知らない。
演技派の彼女でもそればかりはどうにもならなかったようだ。

近くの都市を訪問していたオハラ隊が得た情報をもとにランスロット隊はペリチェルリに向かった。
とはいえ、それはそもそも確定情報でもなく、「ゼノビア地方のなまりのある人間がいた」というきわめて微妙な情報だ。ゼノビア訛りの人間なんて実は案外あちこちにいるもので、気にする人間もそういない。
どういう人間にどういう形でそんなことを教えてもらったのか、と聞けば、母親が生粋のゼノビア人であったテリーの言葉を聞いたおしゃべりな老婆が「あんたも、ゼノビア地方の人かい」と声をかけたのがきっかけだったそうだ。
その老婆は以前ゼノビア地方に住んでいたことがあったらしい。
最近はアプローズ男爵の婚礼の儀でもちきりで、あちこちから人が集まる。そのおかげでゼノビア訛りの人間も多くてなんだか懐かしい・・・そういう話の展開だ。
あまりゼノビア訛りのない若者と、ゼノビア訛りの中年男性、という組み合わせの2人に会ったのがペリチェルリとのこと。普通ならば気にもならないが、中年男性がゼノビア人なのだなあ、ということと、若者の整った造作がインパクトが強くて、というところまで老婆はテリー達に話してくれた。
朝一番に出てキャスパーに頑張ってもらいながらペリチェルリ入りをしていたヘンドリクセン隊が念入りに調査してランスロットに報告をしてくれた。
その老婆が会ったと思われる中年男性が食料品を扱っている雑貨屋で、携帯に便利な乾パンを大量に買っている姿をヘンドリクセンが見つけた。へンドリクセンもテリーと比較的長い付き合いであるし、ゼノビア訛りというものがどういうものかよくわかっている。老婆からの情報を元に見張っていた場所に現れてくれてありがたい限りだ。
怪しまれにくいであろうアイーシャが尾行をして、おおよその場所が確認できたところでランスロット隊に報告をしたというわけだ。キャスパーはおっとり者に見られるが大変きびきびとした働きを見せて、彼のおかげで円滑な連絡が行われた。
「わたくしが」
アイーシャは、自分が路地にはいって彼らと接触する、と言い出した。話し合いの結果、その案は可決した。
もしも、本当にトリスタン皇子の仲間がこの路地にいるのであれば、逃亡生活をしていた彼らに対して、ランスロットやらカノープスやらが接触を試みようとしたところで帝国の人間ではないか、と警戒をしてしまうに違いない。それに、逆にトリスタン皇子の仲間でなかったら、彼らが反乱軍だとばれてしまえば交戦もあるやもしれない。
が、女であればそうむやみにひどいことにはならないだろうし、実は彼女はノルンのように着替えることはせずに、普段の服装の上にフードつきのローブを羽織っただけにとどめていた。(ヘンドリクセンとおそろいのローブで、なんとなく夫婦にも見えるのだが)どうも用意する服の数にも限りがあり、アイーシャは彼女らしく一番初めに着替えを辞退していた。だから、そのローブさえ脱げば彼女はどこからどうみてもロシフォル教会の聖職者だ。自分で不安であれば一緒に護衛としてテスでもついてきてもらえば、教会関係者とその護衛、という風体になるのではないかというわけだ。
アイーシャはローブを脱いでオリビアに手渡し、テスに数歩前を歩いてもらって暗い路地にはいっていった。
カノープスとキャスパーは何があるかわからないから、とあまり羽音を立てないようにそうっと、路地の両脇の建物の屋根にあがって、見える範囲で彼女たちを見守る。ランスロット達は、あまり目立つのもよくないだろうから、と各自散らばってぶらぶらとその付近を散歩している人間になりすました。とはいえ、人通りが少ないものだからやはり妙に目立ってはしまうのだけれど。
テスは、アイーシャが尾行した男性がはいっていった、という小さな薄汚れた家屋の扉をノックした。
中から返事はない。
「こんにちは。わたくし、お尋ねしたいことがあって参りました、アイーシャと申します」
中で人の気配があります、とそっとテスがアイーシャに声を潜めて教える。
多分中ののぞき穴から値踏みされているのだろう。
辛抱強くアイーシャは笑顔で立っていた。
が、一分待っても二分待っても、中の気配は確かに感じるけれど、開けようとする素振りはない。多分、諦めてアイーシャがここから立ち去ることを待っているのだろう。
「どうします。扉を壊しますか」
「あら、でも裏口とかあって逃げられたら困ってしまうわ」
それからまた一分が経過して、さて、どうしよう、ということになった。これでは我慢比べだ。
テスがアイーシャに声をかけようとした瞬間、アイーシャはうやうやしく扉に向かって頭をさげて、そして。
「こんにちは、あのお、怪しいものではございません。わたくし、アイーシャと申しまして、今は亡きロシュフォル教会の大神官の娘でございます」
テスはびっくりして目を見開いた。
やぶからぼうにアイーシャは自分の本当の身の上を扉に向かって話し出したのだ。アイーシャが反乱軍にいることは帝国には知られているわけだから、これでは「わたしたちは反乱軍です」と言っているようなものではないか。
上から様子を伺っていたカノープスもぎょっとして、反対側の屋根の上にいるキャスパーを見る。もちろんキャスパーとて阿呆ではないから「ど、ど、どうしましょう」といいたげな表情で彼もまたカノープスを見ていた。
「ア、アイーシャ様っ・・・」
テスが慌てて声をかけるとアイーシャはにっこりとテスに笑顔をむけて
「大丈夫。天の神が見守ってくださいます。自分の命を投げ打てないような人間が、トリスタン皇子に簡単に会わせてもらいたいないなんて、虫が良すぎるのですもの。それに、帝国の兵士にばれたら、あなたが守ってくださるのでしょう?」
「・・・最近、そうやって無理をなさる方が多い。ソニア様の影響でしょうか」
「そうとも言うかもしれませんわね」
そのとき、中から声がした。扉越しのくぐもった声だ。
「何の用だ」
すぐにそれがゼノビア人の声だとアイーシャはわかる。わずかな訛りが発音に出てしまっている。が、そもそもゼノビア訛り、と今では言われているけれど、その言葉自体ここ20数年生まれたもので、ゼノビアといっても城から離れた場所で生まれた人間の訛りだ。が、その城から離れた場所はいまやスラムと化しているから、ゼノビア訛り、というと侮蔑の意味を今は含んでいる。ノーマンにいたっては、スラムにいながらも城に近いところで金を作って、寝泊りなんかをしていたからそんなに訛りは強くない。この、中にいる男性はきっと幼少の時期をゼノビアの城から離れた場所で過ごしたに違いない。
「あら、お返事があった、嬉しいですわ・・・。わたくし、とある場所でお会いした、バーニャという女性から預かり物をしているのですけれど・・・」
それはランスロット達が出会った、ゼノビアの北西に身を隠している、トリスタン皇子のかつての乳母の名前で、ソニアに栄光の鍵を託した女性のことだ。
その名を出したことで明らかに室内に動揺が走ったことがわかる。知らない、というには遅すぎる返答の間。しかし、扉付近から人の気配はまだ消えない。消えればテスが教えてくれるだろう。
ややあって、もう一度中から声が聞こえた。
「バーニャは元気でいるのか」
「ええ、でも、あの、直接お会いしたのはわたくしではないですし、預かり物をしてきたのもわたくしではないのです。もしよろしければ、実際にバーニャさんにお会いしたわたくしの連れの話を聞いてあげて欲しいのですが」
「連れ?その隣にいる女性かな」
明らかに少しだけ警戒心を解いた声だ。
「いえ、男性なのですが。そうですね、あなたの、その言葉の訛り・・・ああ、訛り、という単語はあまりよく思われないかもしれませんが。あなたの故郷である場所、バーニャさんがいらっしゃる場所に忠誠を誓っている方を、こちらにお連れしたいのですけれど」
また間が開いた。
アイーシャは辛抱強く待っていた。もちろんテスも、カノープスも、キャスパーも。
そしてまた数分ののちに。
待ち望んでいたように、それでも小さく、扉が開いた。アイーシャはテスに微笑んで「天の神に感謝しなくては」と聖職者らしいことを言って、足を踏み入れるのだった。

アイーシャを人質扱いにして、中にいた男性(2人いたのだが)は実際にバーニャに会った人間、バーニャから預かったという「それ」を見せられる人間を一人だけ連れてきて欲しい、と要望を出した。
テスはアイーシャを室内においてそのことをランスロットに伝えた。
当然そこはランスロットが行くことになって、テスに案内されて彼もまた、その細い路地にはいって男達と出会うことになった。
その様子を屋根の上からカノープスは見て、肩を竦める。
(どーやらドンピシャだったってわけだが、それにしたってアイーシャも無茶しやがる・・・どいつもこいつも無茶しやがる。でも、その無茶はゼノビア復興のための無茶じゃあないんだ。今のことだって、ソニアが、トリスタン皇子に会う、って決めたからああやってアイーシャは無茶なことをやろうとした。もしもこの先、トリスタン皇子がソニアに対して災いになったら、きっとアイーシャは後悔するに決まってんだ)
彼は普段そういうことをあまり考えないし、考えてもその素振りを見せない。
唯一ギルバルドだけはさすがに親友であるからそれに敏感で、本陣から出陣するときも「ソニアを頼む。が、あまり熱くなるなよ」とだけ彼に告げた。やっぱりヤツはわかっているんだ、とカノープスは驚きながらも自分達の仲について改めて納得したものだが。
カノープスは部隊長でもなんでもないから、込み入った話の時は最近軍議に呼ばれないことが多い。それは別段どうでもいいが、ソニアが部隊から抜けた今、彼に対して軍議の内容を報告するのはランスロットだ。(まあ、ラウニィーも色々と教えてはくれるが)その誠実な仕事ぶりは確かに悪くない。悪くないけれど、最近「おい、いいのかよ、それで。ソニアはそれで納得してんのかよ」とか噛み付きたいと思うこともなくはない。
今回のトリスタン探索についてもそうだ。
そこまで反乱軍にトリスタンが必要だと本当にソニアは思っているのか、と彼は疑問に思っていたし、ランスロットの義務的な報告からはソニアのそういう気持ちが見えない。彼は彼なりに考えてソニアを連れ出してみたりつついてみたりで、本当の彼女の言葉を聞いて彼の脳内を補ってみた。
そうすればするほど、どうもランスロットやウォーレンに対して、苦い、と思ってしまう。
とはいえカノープスはもともとそういったいざこざに首を突っ込みたいタイプの人間ではない。あくまでも自分の居場所から離れずに、自分が今出来るだけのことをやってソニアを少しでも助けてやれれば、というくらいにしか思えない。それでも以前の彼を知っているギルバルドからすればなかなか興味深い話らしく、「お前もあの子が大切なんだな」なんてこっ恥ずかしいことを言われてよくよくまいってしまうのだけれど。
そんなことを考えながら様子を伺っていると、あまり時間もたたずにランスロットが家屋から出てきて、屋根の上のカノープスを手招きした。
なんだなんだ、とカノープスはそっと羽ばたいて、ランスロットの側に降りた。狭い路地に羽根を広げて降りるのは少し神経を使うな、と嫌々ながら。
「カノープス、ガストン隊に連絡をとってもらえるか」
「げっ、だってじいさん達、あさっての都市にいるじゃねえか」
「だからキャスパーではなくカノープスに頼んでいるのだが。もちろんそれだけの理由じゃない」
カノープスとキャスパーでは、いかにキャスパーが若く体力に満ち溢れたバルタンとはいえ、経験差があるから遠距離の単独行動を任せたくない、というのがランスロットの言い分だ。
確かにそれは正しいのだけれど、カノープスはちょいちょい、と少し離れたところにランスロットをつれていった。キャスパーに聞こえたら、中にいるアイーシャ達に聞こえたら、という配慮である。そういう風に内緒話を仕掛けてくるのはめずらしいことだ。更に彼らしくもなくぼそりとランスロットだけに聞こえるような声で言う。
「厄介払いしたいんじゃねえの。俺がここにいると、お前の色んな目論見っつーやつが、さ、ソニアにバレるから・・・俺がじーさんとこいってる間に色々裏で話を、さ」
「何をそう目くじら立てている・・・そんな余計なことを考えられると、こちらも頼みにくくなるが」
ランスロットはふう、と小さく溜息をついた。
その彼の表情を見て、ああ、そこまで疑うこともなかったか、とわずかながら申し訳なさそうな表情でカノープスは「ちっ」と小さく舌打ちをした。
「あー、いいよいいよ、いってくる。悪かった。今のは俺が完全に悪い」
それへランスロットは答えず、もうひとつの理由を言った。
「ヘンドリクセン達にはマラノにいってソニア殿に連絡をとってもらう。マラノは人で賑わっているだろうから、カノープス1人でソニア殿達を探すのは無理だ。情報屋がいる場所はわかっているが、先に情報屋に接触しているかはわからないからな。だからキャスパー達は続いてヘンドリクセン隊を連れて行ってもらって手分けをして連絡をとって欲しい」
なるほど、それは確かに正統な理由だ。カノープスはもう一度
「悪かった。同じタイミングでソニアに知らせるために俺が出るしかないんだな」
と素直に言った。ようやくランスロットは
「いや。疑われるようなわたしが悪いのだが・・・違うんだ、カノープス、実は、やはり直接ソニア殿とお会いしたいということで、まだわたしもお目どおりしていないのだ」
「そーゆーことか。それを早く言え!もー!お前は話が下手だな!」
「そうか?」
そうでもないと思うが・・・とランスロットはカノープスを見て眉根を潜めた。一言も「皇子に会った」なんて言ってないのにな、と不平そうな表情だけれど、そんな彼にむかってカノープスは自信満々で頷く。
「そーだ」
更にランスロットはまじまじとカノープスを見て、くく、と笑いをもらした。
一体何がおかしいんだ、と口をへの字に曲げているカノープスに対してランスロットはさらりと言う。
「カノープスはそういう物言いがソニア殿に似てきたな」
「うっわ、腹立つ!」
そのとき
「あれえっ!?ソニア様!?」
キャスパーの声が屋根の上から聞こえた。

ラウニィーは奇声をあげながらよたよたとコカトリスを操縦していたが、やはりそれには限界があった。
そっちじゃない、そっちじゃない、と叫んでも何をしても、コカトリスのイリューネは何処吹く風で勝手な方角に飛んでいってしまう。
「はー、はー、はー・・・」
手綱をひいても、どうも要領がわからない。馬と違って手綱をこっちにひけばこう、という乗り方ではないようだ。
「んもー!全然行きたいところと違うじゃないのー!!」
が、乗ってからかれこれどれくらい時間がたっただろうか。
飛んでいるイリューネも「どっかで休憩させて」と乗り手であるラウニィーにサインを送っているのだが、ラウニィーにそんなことは通用しないし、降りてよし、の合図も実はラウニィーはわかっていない。
必死に手綱を握って叫んでいるラウニィーからは、イリューネにとっては妙な指示を出されている、としか思えず、いつもよりも低空飛行でふらふらと空を飛んでいる。
それがまたストレスになっているということをラウニィーはよくわかっていない。
「もー!とにかく一度降りて!一体ここがどこか確認しなきゃ!でもでも、太陽の方角からすると、って、太陽も動いてるわけだし・・・もー!とにかく一度降りて頂戴!お願い!ね!ね!」
ようやくそのラウニィーの願いが通じたのか、イリューネは高度を下げた。
「・・・う、わ」
が、突然がくん、と高度をさげられてあせったラウニィーは、無駄に手綱をひいたりしてしまう。
そんなことをされてはイリューネは一体何をしろと言われているのかわからなくなってしまい、ばたばたと困ったような動きを見せる。
そして・・・・
「いやああーーーーーーーーーーーーーこわいいいいいいーーーーーーーー!」
降りる、降りない、飛ぶ、飛ばないの命令もよくわからなくなってストレスがたまってたイリューネは、人を乗せたときの気遣いももう失って、自分一人で着陸する通常のスピードで近くに見えた丁度よさそうな草原に突っ込んでいった。
同乗者がいれば、そんなラウニィーの声を聞けるのがとても稀なことで、それだけで当分彼女を脅迫出来たであろうが。


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モドル

ラウニィーが大変なことになっています。まあ、本当に大変なことになってるのはソニアなんでしょうが(笑)この展開のためにやたらとスルスト様を出しておりました。
ようやくトリスタンが出てきました!ああーーー!ここに来るまで長かったヨ!