人の試練-3-


暗い教会の奥に、禍々しい魔法陣の力によって繋ぎとめられている天使が一人いた。
目に見えない封印の力が彼女の枷となり、彼女はその床に描かれた魔法陣の外には出ることが出来ない。
天使は、食糧も摂取をしなければ、排泄もしない。
それをよく知っているものだ、と彼女はぼんやりとこの魔法陣を作り上げた男について考えていた。
いやな気を放つ男。
あの男のせいで。
瞳を閉じれば瞼の奥に浮かぶのは、たくさんの同胞の姿だ。
バルハラ平原でたくさんの仲間が死んだ。
本当はあの仲間達を束ねるべき天使長は自分なぞではないのだ。
彼女は幾度となくそのことを考え、そして、またそれに疲れては意識が暗闇の底へと落ちてゆくのを感じていた。
あれから何度の夜を越えたのだろうか。
仲間はみな、彼女の姉の名を呼び、天の父を呼び、そして殺されていった。
禍々しい気を発する男が、仲間を捕らえた。
彼女達は一体これからどうなってしまうのだろうか。
自分のようにこうやって封印を施され、どこぞで幽閉されているのだろうか。
ユーシスは、どういう形であっても仲間が生きていることを強く祈った。
祈りというものは人間が天の父に対して行うものだと信じていたけれど、天の父に近しい自分ですら、下界でこのように一人になれば強く祈るものなのだ、とまるでその当たり前のことを生まれて初めて気付いたような気がする。
初めに事態をそこまで重く見なかったのは、自分の失態だ。
姉ミザールを連れ戻すために下界に降りた仲間は、ほとんどが力の弱い者達だった。
力の強い者達を下界に送る必要性を彼女は感じてはいなかった。
仲間達からの報告もなくうつろいゆく時間に我慢できず、ついに彼女自身までもが安易に下界にやってきた。
そして、このざまだ。
姉ミザールが天界を去ってから、仕方なくその地位順位のためユーシスが天使達の長という立場にあがった。
けれども、ユーシスは自分がミザールほどの力を持たないことを知っている。
ユーシスは未だに天使としては未熟で、あくまでも「ミザールの妹であるから」という定められた位の移動によって押し上げられただけの天使だ。
与えられた分不相応な立場が、今回の悲劇を招いたのだ。
悲しみにくれながらユーシスは強く祈った。
ああ、天の父よ。
わたし達には、まだミザールが必要なのです。
もしもわたしがここで朽ち果てようと、わたしは恨み言なぞ申しません。
ただ。
あるべき場所に、あの天使を返してあげてください。
ミザールは、天に帰るべき、誰からも認められていた天使長だったのだから。

ソニア達が把握していたとおり、「封印の地」と呼ばれるアンタリア大地では確かに25年前から封印の儀式を行っていないという話だった。
オミクロンとやらが死者の秘法の研究を行っているような人間でなければ、アンタリアはひとまず無視してアンタンジルにそのまま向かうことも選択肢に入っていた。しかし、やはりそうは出来ないらしい。
案の定ソニア達の予測どおりカンダハルから派遣された帝国軍の部隊はアンデッドを主戦力としたものだった。
ワイアームにより移動速度が速い部隊、デーモンの部隊、などなかなか機動力にも優れており、それゆえにアンデッド達が得意とする夜の戦に丁度間に合うように調節をして移動をしてきていることもすぐに気付いた。
そもそもアンデッド達は夜になると力が増幅する。
ソニアはヘンドリクセンから借りた本を読んでもその道理がよくわからず、サラディンに尋ねた。
しかし、彼に説明されても、夜という暗黒の時間は、とか、小難しい話から始まってしまいソニアはどんどん情けない表情になっていくばかりだ。
ついに「もーいい!わかんないもん!」と癇癪を起こした彼女を笑いながらサラディンは「人間は昼動いて夜になると眠くなるだろう。アンデッドは逆だというだけだ」と答える。
「最初からそー言えばいいのに」
と、いいつつもソニアは納得できずにむくれたのだが。当然、サラディンの答えのように単純なことではないことはソニアだってわかっている。
夜のうちはあまり分散しての戦をしないように、と様子見で一晩パーミアンからソニア達は動かなかった。
本拠地の守りをノルン隊とオハラ隊に大体まかせながら朝を迎えることになった。
そして明け方、そろそろ日が昇るか、という時間にソニアは残りの部隊をパーミアンから一斉に送り出した。
カンダハルへ乗り込むのは今日の日が高いうちは無理だとわかっている。
夜のアンデッド達が強い時間帯に攻められても楽に守りきれるように、明るいうちに途中の都市まで進軍して、そこで複数部隊の駐屯環境を整えてまた一晩やり過ごし、次の明け方カンダハルに攻め込む。
これが多分もっとも被害が出ない方法だと決定した。
ただ、かなり厄介なのは、シャーダドプルからカンダハルまでに距離が相当あり、その間に拠点になる都市が見当たらない。
この地域は湿地や荒地が多く、都市が作りにくかったために比較的山岳地帯に近いあたりに街道が広がって、北東部に都市が密集していた。その都市部から南西にあるカンダハルまで広がる湿地帯や荒地をやり過ごすには飛空部隊で攻め入るか、あるいは覚悟を決めて都市から離れて、しかしカンダハルにいっそう近い場所で野営をするか。
その選択は非常にきわどいものだとソニアには思えた。
結果、どちらにせよカンダハルに攻め入るために湿地帯を渡って南側から陸上部隊を派遣するよりは、朝一番にシャーダドプルあたりから一気に魔獣の力を借りてカンダハルに攻め入る方がまだまともだということになる。
少しばかり時間と金がかかるけれど、敵は夜を狙ってやってくるだろうし、そうであればこちらは被害を減らすために都市近くで戦いたい。けれど市民達はアンデッドを恐れるだろうから、それへの配慮が必要になってくるし、そのためにはある程度は派遣部隊が必要になる。
本拠地の守りはひとまずビクター隊にまかせた。神の加護を受けた武器がないため、あくまでも本拠地に攻め込んできた敵に手傷を負わせるに過ぎないけれど、それでも十分だ。勝つ戦いではなく守る戦いを重視させるつもりだったし、どうしても勝たなければいけないときは、普段前衛で剣を振るうビクターが後衛にいけばヒーリングの魔法を行使出来る。
ノルン隊は一晩の疲れを癒すために休んでもらうが、そのまま体力配分をしながらビクター隊のフォローをする。
その他、パーミアンに残していく新兵を含む兵士達を、最近頼もしくなってきたハロルドに任せることにした。
どうにもならなくなったらスルストをたたき起こせばいいという微妙な安心感と、実際は他の部隊が進軍すれば、パーミアンに攻め込む帝国部隊の数は抑えられるという見込みから、残りのほとんどの部隊は出陣することになる。
ソニアが今回編成した部隊は6部隊だった。
時折ガストン隊に所属することがあるプリーストのライラ、バルタンのスチーブを連れたサラディンの部隊、ドラゴンを配して都市の守りを固めるためのフェンリルの部隊、いつもどおりテリーやゾックを率いたオハラの部隊、それからルーンアックスを持たせたノーマンが所属するガストンの部隊。
それからランスロットの部隊とソニアの部隊と、ひととおり聖なる力の加護を受けた武器を扱う、あるいはヒーリング系の呪文を行使出来る人間が含まれた編成となった。
ランスロットの部隊にはプリーストのハイネとワイアーム一体とトリスタンの従者であるルーヴァン。
ソニアの部隊はトリスタンとオーロラ、カノープスとレイモンド。
ランスロットは人当たりが良いため、あまり慣れていない同士の編成でもそつなく任務をこなすことが出来るため、あまり面識のないルーヴァンを任せることにした。ハイネとは今までに何度か共に戦っているわけだから問題はないだろう。
実のところランスロットは周囲が評価するほどに人付き合いが器用な人間ではない。彼自身騙し騙しやっている節があることをソニアは見抜いていた。それでも人徳といえばそれまでだが、不器用ゆえに常に相手に対して誠実でい続けようとするランスロットを「気に入らない」と思う人間はそう多くはいない様子だからあえてソニアは彼の苦手分野も見て見ぬふりをしている。ノーマンのようなタイプの人間が「あの聖騎士は気にいらない」というのも、なんとなくはわかるな、と心の中では苦笑をしているのだが。
サラディンの部隊に配属した兵士は派手な働きはしないけれど生真面目な人間が多いから、年長者であり、そして確かな実力を持つサラディンに対して誠実に動いてくれるに違いない。
フェンリルはドラゴンを連れて気ままに動くだろうし、オハラ隊はここ最近はかなり慣れて来たように思えるから安心出来る。
残るガストン隊は、ガストン、ノーマン、コカトリス、そして比較的新兵のニルソンだ。ニルソンはまだ新米だがもうすぐパラディンに昇格するナイトで、そうなれば彼もまたヒーリングの呪文を行使出来るから、というソニアの配慮だった。ご存知ガストンはこの軍で唯一ノーマンを抑えることがたやすい部隊長で、それゆえに最近陰では「ビーストマスターとはよくいったものだ」なんて不本意な評価を囁かれている。(いや、まことに不本意なのはノーマンの方なのだろうが)新兵の一人が加わっても何ら問題はないとソニアは判断した。ガストン本人は「あまり言いたくないのですが」と前置きをして「ノーマンと新兵を組ませるのは心配ですが」と進言していたけれど、それをめずらしくソニアは強気ではねのけた。ラウニィーの「好き嫌いで部隊を決めるのか」という意見が頭に残っていたのだろうか?
「それでは、いってらっしゃいませ」
ノルンが笑顔で彼らを見送る。その後ろにはビクター隊の面々や、居残り組のメンバーが並んでいた。
オハラ隊は一晩の疲れを取る為に休んでいる。彼女達はあとからゆっくり出てきてシャーダドプルで合流し、そこで編成をしなおす予定になっていた。彼女の部隊は空を駆けるものがいない。そのため、カンダハルに攻め込むに適した人員を配置する必要があったのだ。
シャーダドプルで体勢をととのえ、カノープス、スチーブ、コカトリス、ワイアームの4者が湿地帯を横切ってオミクロンの城に攻め込むため編成をしなおす。
大まかではあるがこの手順であれば一日目はかなり余裕を持って動くことが出来、情報収集もしやすいと思えた。

「このところ天気がいい日の出陣ばかりでありがたいぜ」
「まったくだな。確かカストロ峡谷にいったときは雨だったと聞いたけど」
ソニアの部隊とサラディンの部隊は一気にシャーダドプルまで先行していくことになっていた。
山岳地帯を抜けて西の海沿いに南下する。
カノープスは右腕にトリスタンを抱え、左腕にレイモンドとオーロラを二人分抱えて大きな羽を広げていた。
ソニアはその首根っこに腕を回して、背中の両翼の間にぶらさがっている。命綱のようなものは必要ない。
本当にこの有翼人達の強靭な肉体はすごいといつも感心せざるを得ない。
人を抱えて飛んで、腕が疲れないのだろうか、とか、重くて落ちないのだろうか、と最初ははらはらしていたものだが、カノープスいわく、籠か何かに詰め込んだ人間を運ぶよりは、両腕に抱えている方が飛びやすいとのことだ。昔は同じバルタンやレイブンでも中には人を運搬するにもばらばらで両腕にそれぞれ抱えて、というのが苦手な者達はいたらしいが、最近は彼らが金を儲ける手段としては人間の運搬はかなり有効な仕事だ。
この場合の「昔」は、有翼人達の寿命な人間のそれとは3倍ほど違うわけだから、そういう人種が口に出す「昔」は、本当に100年やら200年やら簡単に昔なのに違いない。
初めは気付かなかったけれど、カノープス達有翼人達の腕は心持ち普通の人間達よりも長く、更に背の筋肉の発達のしかたも違う。きっと背中の筋肉はともかく、腕の長さは長い時間をかけての進化(といってよいのだろうか?)か何かで、物を腕に抱えて飛ぶ、とうい行為が発生する以前は同じくらいだったのではないかと勝手にソニアは推測していた。
が、ソニアがどうしてもわからない、というのは、それほどの強靭な筋肉を持ちながら、戦闘になると腕力を発揮してくれないのは何故だ、ということだ。彼はあまり武芸には秀でていない。やはりそれは筋肉の使い道が違うのだろうか?
「雨の日は嫌だよなあ。まったくさ、飛びたくねえっての」
「このまま晴れていてもらわないと。オミクロンを倒した後で、封印の儀式をしていた、という西の島にも行かないといけないしな」
「いいんじゃねえの、放っといて。どうせアンタンジルとやらに行くんだろうからよ、封印の儀式をしてたとこを今更見学にいったとこで、なんの意味もねーさ」
「そうかなあ・・・」
と、突然カノープスは気付いて
「お、やってきたぞ」
前方に帝国軍の部隊らしきものを確認した。
「ケルベロスか。アンデッドじゃないな」
「だから昼にもぶつけてきたんだろ・・・あー、やだやだ、あれ、ウィッチじゃねえか?」
「そのようだな」
カノープスは高度を下げて山岳地帯に降り立った。
ソニアは慣れたもので、カノープスに負担をかけないようにうまく体重を移動させて、とん、と着地する。
ごつごつした岩場はあまり足場がよくなかったけれど、少なくともカノープスとソニア、そしてニンジャであるレイモンドは特にそれによる影響はない。
前から近づいてくる部隊は、前衛を二頭のケルベロスに守らせたウィッチが率いている少数部隊だ。
ウィッチに先制をとられると厄介なことになるな、とソニアは舌打ちした。しかし、ウィッチの魔法の射程は長く、そして彼女達の呪文詠唱は早い。レイモンドの忍術で先制をとりたくとも、射程にある程度はいらないうちに詠唱を始めてもそれは意味を成さない。
「皇子、後ろに下がって、ウィッチを狙ってもらえますか」
「わかった」
「レイモンドもウィッチを狙ってくれ」
「了解しました」
レイモンドは初めてのソニアとの出陣で多少緊張している素振りが見える。
「カノープス、ケルベロスをひきつけて、皇子がウィッチを狙いやすいようにするんだ」
「ってことは、別々の犬を狙うってことだな」
その会話を聞いて、自分は鳥と呼ばれると怒るくせにケルベロスは犬扱いか、とオーロラは心の中で笑った。
「そうだ。いくぞ!」
カノープスはちらり、とソニアを見た。その隣で、決して前方から視線をそらさずにソニアは嬉しそうに剣を引き抜く。
本当はソニアは魔獣達に傷をつけるよりも、人間相手に剣を振るうほうが余程楽しいと見えるのだが、久々に動くようになった右手を使えることで無条件にわくわくしているようだ。
まったく、こいつは。
そんなソニアを見ると自分もなんだか嬉しくなる。そして、多分トリスタンの隣に控えているオーロラも同じだろう。
カノープスはそんなことを思いながら、小さく笑った。
うん、ソニアの元気があるのはとてもいいことだ、と。

コカトリスのイリューネが頑張って(というのも不思議な気がするが)敵を一時的に石化してくれたことで、ガストン達はかなり助かった様子だった。
なんといっても彼らは大変なことに、デーモンとワイアームの部隊と交戦をしたと思ったら、その次には真っ向からゴースト達山盛り部隊とぶつかりあってしまったのだ。
ノーマンのルーンアックスのもとにゴースト達は葬られたが、新兵のニルソンは生命を脅かすほどの打撃をくらってしまい、あと一撃で危ない、というところまで来ていた。
ノーマンが他のゴーストを倒している間に、ニルソンにとどめをさそうとしていたゴーストをガストンとイリューネがなんとかフォローをした。やはり複数アンデッドを相手にするとき、単体攻撃しか手段がないのは厳しい。
「これが夜なら、死んでいたな」
と苦々しくガストンは言う。
「教会の世話になることになっちまう」
洒落にならないことをノーマンが言った。
突発的な外傷による死亡で死体の破損がひどくない場合で、かつ短時間の間であれば教会で復活を出来ることも稀にある。が、それは万能ではない。失敗をすることもあるし、ほとんどの死体は教会に運び込まれるまでに猶予時間は過ぎてしまうし、命を奪うほどの外傷では大概が復活不可能なほどの破損をしている。
その方法よりも、死したことで更に新たな力を得て、完全な確率で生き返りが出来るように・・・との研究が死者の秘法と呼ばれるものだ。
「絶対これ、あの女に申し立てねえと気がすまねえよ」
「何が」
「足手まといと組ませるなってよ!」
ノーマンのその剣幕にニルソンはびくりと体をすくめる。
「仕方ないだろう。兵士を育てるのも、仕事だ」
「だからって」
「自分が育てる側になるってのは、ソニア様から信頼されているってことだ」
「それは隊長はそうだろうけどよ」
「ノーマンのことだって信頼しているから、その斧を預けてくれたんだろうし」
「む」
本当の事の顛末はそうではないのだが、とりあえずガストンはそういってノーマンをどうどうと抑えた。
「別にこんな斧でオレは懐柔されないからな」
「懐柔って」
ガストンは噴出す。そんな小難しい言葉をノーマンが使うとは思ってもみなかったからだ。
「オハラが、ドリームクラウンをもらったのと、一緒だろ」
「隊長はすぐ、あの女の味方をする」
ノーマンはむくれた。そりゃそうだ、と言おうとしたがガストンは黙っていた。
別にノーマンは答えが欲しいわけではない。ガストンが言う正論にうまく反論が出来ずにすねているだけなのだ。
その傍でニルソンが所在なさそうに困っている姿をみつけて、ノーマンは彼にしてはめずらしく自分から声をかけた。
「・・・悪かったよ。お前だって、ひどい目あって辛かったのによ」
「あ、いえ、いえ、その、もっと努力して強くなります。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」
ニルソンはノーマンに頭を下げた。
いや、別にいいけどよ、ともごもごとノーマンは口篭もる。
案外この男が年寄りと(前回ウォーレンと共にマラノにいったときに判明したのだが)下手に出る後輩には弱いことをガストンは知っている。
そういう人間に、悪いやつはいないもんだ。
なんだかんだいって、ニルソンを守らないと、という保護欲に似たものがノーマンの中で生まれたことがガストンにはわかる。それは今まで比較的団体行動に非協力的だった彼にしては驚くべき進歩だ。
確かにノーマンはここ数回の戦をこなすまでは新兵に近い扱いで、彼の下につく兵士という存在と行動を共にしたことがなかった。
もしかして。
ソニアはノーマンをそのうち部隊長にしたいのではなかろうか。
ガストンはソニアの人員配置の妙を評価しつつ、コカトリスに乗り込むように二人を促した。
ソニアからすれば、ただ単に「ガストンならなんとかしてくれるだろう」というガストンへの評価ゆえの配置だったのだが。
まあこれはちょっとしたこぼれ話だ。

「ああいやだ」
めずらしくフェンリルは不快げな表情を隠そうともせずにそう呟いた。
ソニア、サラディンの部隊に続いてシャーダドプルにやってきたのはフェンリルだ。
途中やはり一度だけ交戦したとのことだ。
都市の南側の小さな森の手前で彼らは集まっていた。時間はもう昼過ぎだ。そろそろ残りの部隊も到着するころだろう。
レイモンドとスチーブが組みになって見張りをしてくれている間、彼らは草の上に腰を下ろして話をしていた。
「南の方は空気が淀んでいる。アンデッド達が溜まっている証拠だ」
「空気」
「そうよ。アンデッド達は死者なのにそれでも呼吸をする。空気を体の中にいれて、そして吐く。やはり生きていない者達のそれは生きている者とは違うんでしょうね。吐き出す息の成分が違うとは思えないけれど、なんだかね、嫌な、空気が漂うように思えて」
「まったくですな」
サラディンがそれに同意をする。
ソニアはカノープスやトリスタンを見て、それから
「あたし達は鈍いのかな」
と情けない感想を口にした。
「うん、僕もよくわからないけれど」
「普通はわからなくて当然だ」
フェンリルはにべもなくそう言って、眉根をしかめる。
「でも、もっとカンダハルに近づけば、なんだか嫌な感じだな、とか、そういった気くらいは感じると思う」
そのとき、レイモンドが走って近づいて来た。何があった、とソニアが顔をあげると
「ランスロット隊とガストン隊が近づいて来ています」
「ああ、わかった。合流したら情報交換をしてすぐに部隊編成を見直そう。オハラ隊はまだかかりそうかな」
「今のところ見えませんね」
「そうか・・・解放した都市を開け放しておくわけにはいかないから、そちらに派遣をしないと」
「わたしに行かせてもらえるとありがたい。まあ、戦う相手を選ぶわけじゃあないけれど、あまりこれ以上南には行きたくないな。うんざりする」
もちろんそのフェンリルの言葉が勝手なものではないということぐらいソニアにはわかっていた。
オミクロンを倒すにあたって、何かのときのために知識を与えてくれるサラディンははずせなかったし、神聖系の武器や術の行使が出来る人間は必須になってくる。
都市の守りを固めるとなると、そこには本拠地のように「勝つため」ではなく「負けないため」の布陣が必要となってくる。
それに天空の三騎士のうち一人が都市を守る、というのは非常に聞こえがよく、反乱軍への支持を高める重要なファクターになる。
とはいえ、それをソニアから頼むことは申し訳ないことだと思えていたから、こうやって先回りしてくれることが非常にありがたい。フェンリルはあまりソニアを甘やかさないが、こうういった軍全体の動きに関わることであればそれは別だ。彼女は面倒なこと、生産的ではないことを嫌っている。
「ええ、フェンリル様にお願いしようと思って。あと、ガストンの部隊をつけます。コカトリスがいるからいざというときに
連絡役にも適している。こっちは明日まで残り4部隊で駐屯して、部隊編成してうち3部隊で攻め込もうと思います」
「悪くない。昼の間は一部隊でも編成次第でなんとかなるものだ」
そうこうしているうちにレイモンドの報告通り、ランスロット隊とガストン隊が到着した。
思いもよらない、大きな情報を抱えて。

永久凍土と呼ばれる極寒の地バルハラ平原に、天使達が降り立ったという噂をあちらこちらで耳にした。
ソニア達反乱軍の情報網でもなんとなく入ってきていたその話は、ここアンタリア大地では更に確信を得た情報としてあちことに広がっている様子だった。
「ミザールという天使が、ラシュディに仕えているらしい」
「天使がラシュディに?」
ランスロットの言葉に一同はどよめいた。
何人かに見張りを頼み、それからソニア達は部隊長だろうが誰だろうが別に構わない、というあけっぴろげな情報交換の場を設けた。本来情報のやりとりの中には上層部以外に漏らしてはいけない話題もあることが多いのだが、ランスロットやガストンの様子を見て、そう思われる話題はもってきていないな、とソニアは判断したのだ。
森の前で「天気がよくていいなあ」なんていいながら、いささか呑気にも思えるように彼らは座り込む。
そうしている間にも帝国から派遣された部隊が2部隊ほどやってきていた。
丁度それらは、遅れてようやく合流をしたオハラ隊が発見して、一蹴してくれた。オハラの神聖魔法は本当に頼りになるものだ。
「一秒を争うような話題じゃないなら、先にいっている。後からガストン隊がくるなら、ガストンに話を聞けばわかるようにしておいてくれれば、それでいい」
とフェンリルはランスロット達からの情報すら聞かずに、さっさとシャーダドプルから出発してしまった。
話が早いのはいいが、いささか勝手すぎるとも思える。
ランスロットとガストンが集めた情報の中でめぼしい話はその天使についてのことだった。それによると、ラシュディに荷担している天使ミザールを天界に連れ戻そうと天界から降りてた天使達が、次々と捕らえられたり殺されたりしてしまったという。
「そして、どうやら天使長とやらも捕らえられたという話で、この北にある川を上ったあたりに、天使長が監禁されている教会があるという話だ」
「ふーん」
ソニアは気のない返事をした。
いや、気のない、というより、苦々しく気がすすまない、という表情だ。
「天使長っていうのは、偉いのか?」
カノープスはサラディンに聞く。
「天使達を束ねる、最も高位の天使が天使長だ。偉いといえば、偉いだろう」
そもそも彼らにとって天使とは、その存在自体は知っているけれど、縁遠いといえばかなり縁遠い。
天使達はめったに下界の者達と接触することはないし、下界の彼らが天空に行き、さらに、天使達と接触をとるなぞ考えられるものではない。
第一天使達は下界への干渉などは一切許可されていないはずだ。
それが行われるときは、天の父なる神が天使達に許可をする必要があるし、下界の個人に力を貸すにあたっては契約を取り交わす必要もあるのだ。
「そのミザールという天使がラシュディに味方している、ということは・・・天使達は帝国側になんらかの力を与えるということですか」
オーロラの問いにサラディンは首を横にふる。
「そうではない。そうではないからこそ、他の天使達はそのミザールとやらを連れ戻しにきたのではないかな」
「天使がラシュディと契約を結んだら、まいっちまうなあ。アンデッドはいるは、天使はいるは、で。なんでもこいってわけだなあ」
カノープスが嫌そうに呟く。ソニアはしばし考えてから口を開いた。
「・・・契約自体は本来天使個々で行うものじゃあない。天使全体にその契約はなされるものだ。そうだよね、サラディン」
「そうだ。よく知っているな」
「なのに、個々で下界に勝手に干渉しているということだな。でも、ありえなくはない。なんてったってラシュディは天空の三騎士だってチャームの魔法で操ろうとしてくらいだもの」
「それは」
恐る恐るオハラが発言する。
「もしかしたら、これから私達は、天使様達を相手に戦わなければいけないということですか」
「うん、可能性としてはあるよね」
ソニアは嫌そうにそう答えた。が、どうもその「嫌そう」という表情は「天使を相手に戦わなければいけない」ことに対する嫌悪ではないようにランスロットには思えた。が、なんと言ってみれば良いのか彼はわからず、まったく思っていることと違う話を口にした。
「その契約とやらは、やはり天の父がお決めになるのだろうか。契約をせずにラシュディが天使を味方にしてしまえば、かなり厄介なことになると思うのだが」
「いや、でも、そう簡単にいかないよ。それだったら天使達がミザールを連れ戻そうとしたり、逆に殺されちゃったりするわけないからね。やっぱり、ミザールが個体でラシュディの味方についただけで、あちこちの天使がみんなラシュディの味方になるわけじゃあないんだと思う。ラシュディだって天使一人一人にチャームの魔法かけて回るわけにもいかないだろうし・・・だから、別に・・・うん」
あまり歯切れのよくない物言いでソニアは答えた。
カノープスもソニアの様子に違和感を感じたようで、
「なんだなんだ。お前、さっきから切れが悪いぞ。疲れてんのか?」
「いや、そういうわけじゃない」
ソニアは手をひらひらとさせ、カノープスを見ずにそう答えた。
「その天使長とやらがこの近くにいるのだろう。会えないだろうか」
トリスタンはまだソニアとは短い付き合いだろうから、ランスロットやカノープスが感じている妙な違和感をなんとも思わず、ソニアにストレートに意見した。トリスタンのその言葉にサラディンも重々しく頷く。
「何故にそのミザールという天使が何故ラシュディに手を貸し、そして一人の天使のために何故そんな多くの天使が下界に降りたのかを聞きたいものだ」
ランスロットは苦笑をみせながらソニアに声をかけた。
「また、面倒なことが増えてしまうが、ラシュディの手が及んでいるところに我らも接触しなければいけないだろうな」
「・・・そうだな」
ソニアはそう呟く。
元気がない。
そう言えば確かにそうかもしれないが、それ以上に、言いたいことを言えない、あるいは言いたくないことを言わなければいけない、それを我慢している様子にランスロットには見えた。が、ここでそれを彼の口から言っていいものかは量りかねる。
そもそもそんなに重要な話ではないと思っていた。いや、天使がラシュディに味方をする、という情報自体は確かに重要ではあったが、ソニアがこんな芳しくない反応をするとは予想もしていなかった。
そうか、じゃあその捕まっている天使に会って話を聞こう、とか。
そうスムーズに運ぶ話だと思っていたのに。
「ソニア殿」
トリスタンが意見を続けた。
「見たところ、この軍には天使がいない。が、今後の進軍の際に、もしも天使の力を借りることが出来れば、都市の制圧をするときにも民衆の支持を集めやすいと思うのだが」
その意見はもっともだ。
そもそも天使といえば天の神の使い、と昔から下界の人間はそういう扱いをしてきていた。
その天使達が反乱軍に力を貸して、帝国を倒そうとしている。
もしもその状況が実現すれば、「反乱軍に天の父は味方している!」と民衆は思ってくれることだろう。それがどれくらいの効力になるかは予想出来ないが、今後の進軍はトリスタンが言うとおりやりやすくなるに違いない。
「そうだけど」
ソニアは苦々しくみなをぐるりと見た。
「・・・ひとまず、じゃあ、あたしがその捕まっている天使を助けにいってこよう。ただ、それによって今日明日の進軍予定は何の変更もない。ランスロット、あたしと・・・」
来てくれ、と続く言葉であろうことは、その場にいた全員が気付くことが出来る、とても自然で何の不思議もないものだった。しかしソニアはそこで言葉を止めた。
「いや、駄目だな。あたしとランスロットが両方ここから動くわけにいかないな。ううん、フェンリル様が残っていてくれたらもう少しやりようがあったのに」
「もしもならば、わたしが教会に行くが?」
とランスロットが提案をする。
「いや、あたしが行く。皇子、ここに残ってください」
「4人で行くのかい?」
「いいえ。天使を捕まえているような場所だ。きっと帝国兵もいるだろうから多少剣を交えることもあるでしょう。罠もあるかもしれない。とはいえ、あまり人数を裂くわけにもいかないな」
少しだけソニアはその場で考え込んだ。いつもさくさくと人員配置を決めるソニアにしてはめずらしい間があく。
そして、次に彼女が列挙したメンバーは、予想外のものだった。
「ゾック、オーロラ、一緒に来てくれ。それから、ワイアームを借りる。ランスロット、申し訳ないが、カラドボルクをゾックに貸してやってくれないか。まさかとは思うが罠を張ってアンデッド部隊が来ると困るから、一部隊でいくにはそれくらい装備を充実させたい。ここに残ったメンバーは基本的にはライラとオハラで凌げるだろう。ゾックが抜けた穴はカノープス・・・では心許ないかな。いや、それはランスロットに人選を任せる。ガストン隊はフェンリル様を追って出発して、解放した都市の守備に回ってくれ。その天使とやらと会おうが会うまいが、都市の守備をしなきゃいけないことに変わりはないから」
何故そんなメンバーで、という問いかけをすることが出来ないまま、ソニアはきびきびと指示を出した。
そうだ、この速さがいつものソニアだ。
一体何を考えてあんな間を作っていたのだろう。
それに。
(おかしいな)
ランスロットはそれ以上は追求をしなかったが、もやもやしたものが心の中で渦巻く。
ソニアは先ほど、ランスロットに来て欲しかったはずだ。
なのに。
そこでランスロットをあえて選ばなかった理由はよくわかる。が。
(だったら、彼女はカノープスと共に行きたいと思うに違いないのに)
それに。
第一ソニアは「自分でなければいけない」ことを嫌がっている。この件もきっと「他の人間がいったってかまわないんじゃないか」と言い出すと思っていたのに、ソニアは初めから自分がその天使を助けに行くことを当然のような口ぶりだった。
気になる。けれど、ここで今それを言うわけにはいかないような気もする。
と、そのときランスロットは後ろからゾックに声をかけられた。
「あ、ああ、これだな」
一瞬自分が呼ばれていることに気付かなかったランスロットは、これもまためずらしくどもりながら腰につけていたカラドボルクをゾックに手渡した。
「扱えそうか?」
「はい。いい剣ですね。わたしの剣を替わりにお渡しした方がよろしいでしょうか」
「ああ、そうだな。借りよう」
ゾックはランスロットに自分の剣を渡した。それを引き抜いてランスロットは使用感を確認した。
高価なものではなかったけれど、とても丁寧に手入れをしてある、使い込まれた剣だと思う。いつも寡黙なゾックの人柄を表しているようにも思える。
「ソニア殿を頼んだぞ」
「・・・はい」


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モドル

ゾック応援隊のみなさま(そんなにいません)お待たせいたしました。久しぶりにゾックとソニアが接近いたしますよ。嫌な人間関係ですね!!!(笑)