人の試練-5-


小さな海沿いの教会。
そこに辿り着いたソニアはかなり衰弱していた。
神父が一人。尼僧が二人。
彼らはソニアの素性も何も聞かずに、三日ほど寝込んだソニアを介抱してくれた。
ソニアは家族と既に死に別れており、シャロームに向かっていた小さな船にもぐりこんで流れ着いていた。
新しい土地に足を踏み入れ、これで多分逃げおおせただろう、という安堵感が彼女の中にたまっていた疲労を外に噴出させたように思える。
心が、静かになっている。
目覚めて、初めての部屋を出る前にソニアはそんなことを思った。
これは一体、どれくらいぶりなのだろう。
三日三晩倒れて(ということは自分ではわからないけれど)そしてようやく目覚めた今、忘れかけていた朝を感じたときの、この気持ちの静まりよう。
だって、今まさに、自分が感じたのは「普通の朝」だったのだから。
まるで、ああ、そうだ、ご飯の準備をしなければ。
そういって起き上がらないといけない、そんな気持ちだった。
父と仲間と旅しているときは野営がほとんどで岩場で寝たりもしていた。
村で家族といるときは、子沢山の家だから、ソニアは床で寝ることがほとんどだった。もっと小さい頃はベッドで寝ていた時期もあったけれど、もはやそんな記憶はない。
教会のベッドは固くてあまり上質ではなかった。だから、尚のことそれは彼女の日常に近くすら感じた。
起き上がって、着替えさせてもらったらしい自分の服を見て、そして洗濯して綺麗にたたまれている自分が着ていた服をみつけた。
スツールの上にたたまれていたそれを広げて、ソニアの表情は変わった。
それは確かにあの日着ていた服だった。
あちこち破けたところを繕われているその服には、多分懸命に洗ってもらったのだと見てすぐにわかったけれど、どうにも落ちない汚れがたくさんついていた。
その多くは、血痕だ。
「あ・・・」
その瞬間、落ちていくような感覚。
夢ではないのだ、と。現実なのだと。
突きつけられる残酷なその瞬間。
ソニアは瞳を閉じた。
体の中で何か熱いものが生まれ、叫びそうになる。いてもたってもいられなくなる。
走らなければ。逃げなければ。そうして自分を駆り立てる何かを抑えるために、ソニアは息を止めた。
どくん、どくんと鼓動が耳の奥、体の奥で鳴り響く。
かあっと頭に血が上る。
「殺す!!」
だん、とスツールを蹴倒して、物騒な言葉を吐き出した。
何を殺す、というのだろう?
わからない。
ただ口から出た言葉はそれだった。
「ブッ殺す。許さない」
だん、だん、と床を二度蹴る。
感情のほとばしりをぶつける先はどこにもなかった。そんな自分を必死で抑えようとしている自分がどこかにいることがわかっていても、ソニアはどうにもならずに荒く息を吐く。
涙は出ない。
ただ、違う、見えないものになってそれは外に出て行くように思える。
ひとしきり激情を吐き出すと、ソニアは黙って、服を着替えた。
借りていたらしいこの服を洗濯して返さないと。
そんな妙な律儀なことを思いついたことで、ソニアの心はまたすうっと静かに戻っていった。
人間は。
どんなことがあっても、それまでの「日常」にわずかでも近いことを思いついたり行動することで、平常心に戻れるものだ。
それをソニアは知っている。
そして、今まさにそれを彼女は体感している。
無理矢理戻ったその平常心は長くは続かない種類のものではあるが、少なくとも自分を助けてくれたであろうこの家屋の主人と会うには、平常心で接する必要がある。
扉を開けて廊下に出ると、一人の男性が歩いてくる姿が見えた。
神父だ。一目でそれとわかる服を着ている。初老の男性は穏やかな笑顔を浮かべて、ソニアに頭を下げた。ソニアもつられて頭をぺこりと下げる。
「目が覚めましたか」
「はい。あの、ここは」
「ここは教会です。覚えていらっしゃらないのですか。ご自分でここまで辿り着いたというのに」
「・・・ちょっと、まだ、頭がぼうっとして曖昧で」
そう言われればそうだったかもしれない、とソニアは思い出そうとする。ああ、確かに頭のどこかに「あそこに行けば」と目標にしていた建物があった。それは、教会だったような気もする。
「元気になったようで、よかった」
「ありがとうございます。見ず知らずのあたしによくしてくださって。でも、あたしはなんのお礼も出来ない」
「神のお導きに違いない。祈りを捧げていくと良いでしょう」
祈りを捧げる。
あまりそういったことに縁がない生活をしていたソニアは、その言葉に多少のとまどいを覚えたが、とりあえずはここまで逃げおおせたことだけは感謝するか、と聖堂に連れていってもらった。
ひんやりとした静かな場所。
小さいながらも手入れが行き届いている様子がわかる。そこにある空気は、確かに人々が「天の父」を思いつつ祈る場所なのだろう、とソニアに感じさせるほどの静かに澄み渡っていた。
「数日前あなたを救うようにと天使様がご降臨なさいました」
「・・・は?」
「ですから、あなたがここにいらしたのは天の神のお導き。天使様にご報告をせねばなりませんね」
「・・・??」
ソニアは、よくわからない、という顔を見せた。
聖堂の奥には一人の尼僧が拭き掃除をしている様子だった。
「まあ、お目覚めになったのですね」
「あ、はい。お世話になりました。それで、あの、これを洗いたいんですけど」
ソニアは手にもっていた自分が寝ている間に着ていた衣類を見せた。
「まあまあ、それはわたくし共の方でやりますから、よろしいんですのよ」
そう言って尼僧は、あ、とソニアが声をあげるにも関わらずソニアの手からそれをもぎ取ると、掃除道具をもってそそくさと聖堂から出て行ってしまった。
不思議だ。
ソニアは何故神父も尼僧もそんな風に自分に丁寧に接するのだろう、とぼんやりと思った。
「さあ、こちらで」
神父に導かれるまま前に進む。
ソニアは教壇の前に膝をついた。
確か、こんな風にするんだと、父さんに聞いたことがある。
そんな記憶を辿りながら。
そのとき。
「おお!」
神父が声をあげた。
ソニアは神父の視線を追って、高い天井を見上げた。
「!!」
光が、差し込む。
もちろん天井が開いているわけではない。
まばゆい白い光が空から、いや、内側の空間にぽっかりと太陽か何かが現れたように強い光が降り注いだ。
そして、その光の中に、なんらかの物体をソニアは見つける。
初めは輪郭がぼんやりとしていてよくわからなかったけれど、天井にとても近いところにそれは現れ、少しずつ人の形に近くなっていった。
光で形成される生き物のように、白い発光物の中でよりいっそう光り輝く核になっているような場所に、それは現れた。
顔、腕、足。そして。
背に、大きな翼。
それが、ソニアとミザールとの出会いだった。

ソニア達がシャーダドプルに戻ってきたのは日が暮れる少し前の頃であった。
「わああ、天使様だ!!」
そっとワイアームの翼の陰から姿を見せたユーシスを見て、誰もが驚き、そして好奇心丸出しの視線を送る。
ユーシスは困ったようにうつむきがちにソニアを見た。
「仕方ないだろう。わかっていたはずだ」
「はい。ですが・・・慣れないものですね」
「すぐ慣れる。三騎士の方々の方が堂々としていたぞ」
「あの人達はもとが人間ですから」
それに返事はしないでソニアは声をあげた。
「ランスロット!」
「ああ、ここに。無事でなによりだ」
「うん。ただいま。天使長を仲間にした。そんでもって、天使と契約したぞ。これで、天使の力を借りることが出来る」
「そうか。それは良いことだ」
その言葉にユーシスははっとなりソニアを見る。
何が良いことだ、とソニアは曖昧な笑顔を無理矢理作った。
「全員、集まってくれ」
ソニアがそう言うまでもなく、その場には、見張りに出ているサラディンの部隊以外は全員がそろっていた。ランスロット隊とオハラ隊、そしてソニア隊のメンバーだ。
「ガストン隊は」
そのソニアの質問に迅速にランスロットは答える。
「ああ、フェンリル様を追って既に出立してもらった。問題ないな?」
「ああ、問題ない。戦況はどうだ」
「変わりない。相変わらず多少帝国軍は派遣されているため、幾度か戦闘になったが、やはりあちらは夜を待っているのだろう。ガストン隊が出たときに一度カノープスに様子を見に行ってもらったが、解放した都市を取り戻そうという動きもそう盛んではない。まあ、アンデッドが都市を取り戻したところで、更に民衆の支持は下がるに違いないが」
「そういうわけにもいかないからな。わかった。引き続き、頼む。これからが正念場だ。夜をなんとかのりきって、早朝うって出るぞ」
「うむ」
お互いとりたてて大きな報告がないという様子だ。
ソニアはぐるりと集まった人間を見回してから、ユーシスを紹介した。
「天使長ユーシスだ。仲間になった」
「ユーシスと申します。よろしくお願いいたします」
腰が低い天使長とやらだな、というのがみなの感想だったが、それより何より、やはりその美しさに目を奪われる。
よくもまあこんな美しい天使たちをラシュディ達は殺すことが出来たものだ、というのが彼らの見解だ。
それが戦といえばそれまでだが、どうもここまで造作が整っているものを傷つけるのは気がひけてしまうものだろう。
「今後、反乱軍はまあ、必要があれば天使の力を借りることもあると思う。が、みなももう知っているかと思うが、ラシュディに加担しているミザールという天使が、ラシュディと契約を結んだらしい。だから、帝国側も天使を味方につけているというわけだ」
やはり・・・という声が聞こえる。
確かに今までの行軍で天使と剣を交えたことは数回はあった。それがみな、天の規律に従わないで下界におとされた堕天使だとは信じられなかったというのが本音だ。
「でもまあ、出来ればあんまりあたしは天使の力は借りたくないんだ。これはあたし達の戦いだし、今まで困らなかったし。まあ、保険だとでも思っておいてくれ」
ソニアはちょっと荒い言葉でそう言った。説明不足といえば説明不足だが、まあ、特に誰もそれを気にするわけでもない。
「オーロラ、ユーシスに色々教えてやってくれ。あたしは見張りに出ているサラディンのとこに行って来る。ランスロット、夜を越すための部隊のローテーションは」
「そなたが戻ってきてから確定しようと思っていた。サラディン殿に会ってから、戻ってきて話し合ってくれるか?」
「わかった。よし、解散!」
ソニアは大きな声でそう言うと、その場にユーシスをおいてさっさと走っていってしまった。
オーロラはわずかに心配そうな視線をその後姿に向けてから、すぐにユーシスに声をかける。
あまりにソニアの態度は淡白に他の皆には思えたけれど、まあ、いちいち今更「天使ごとき」はソニアにとってももはや特別でもなくなっているのだろうか、とそうそうあまり深くは考えもしない様子ではあった。

バルタンのスチーブが、ワイアームに乗ってソニア達が帰ってきたことをとうの昔にみつけてサラディンに伝えていたようだった。
サラディンのもとにソニアが走って行くと、ライラが「おかえりなさいませ」と明るく声をかけてくれる。
ライラもまた良い兵士だ。
決して能力は高くはないけれど、行軍の面ではオーロラをよく助けていることをソニアは知っていた。
逆に能力はあるけれど、そういったことが苦手なのはオリビアで、よくいえばおおらか、悪くいえば面倒くさがりなあのプリーストは、踊りがうまい村娘としてもてはやされていたような人間だ。まあ、それゆえに話術にも長けているからカノープスやラウニィーとかなりうまくやっていけるのだけれど。
「天使を仲間にしたのかな」
スチーブ達と離れて、一人で小さな丘の上に立っていたサラディンは「おかえり」も何も言わずにずばりと本題を切り出した。見張りは他の者に任せている、というのが当たりなのだろう。
「うん。してきた。やだったけど」
「何故?」
「何故でも」
そういってソニアは唇を軽く尖らせて拗ねた表情を見せた。サラディンとはそういう話をしにきたわけではないのに、というアピールだ。しかし、サラディンはその話を止めようとはしない。
「これ以上人ではない力を頼るのが嫌なのかな」
「うん」
「ランスロット卿が、そう言っていた」
「え」
「トリスタン皇子はああ言ってはいたが、そう簡単に人ではないものの力を頼ることに慣れるのは良くないかもしれない、それはどう思うか、と私に助言を求めてきた」
「ランスロットが。こりゃまた」
びっくりだ、とソニアはぽかん、と口を開けた。
「あの男はソニアのことをよく考えていることだ」
「そ、そ、そりゃあ・・・あたしがいつも、愚痴っているから」
そう答えながらもソニアは動揺をうまく隠せずにどもってしまう。サラディンの言葉にはあまり他意はない。
「反乱軍のことだけを考えれば、そんなことは言わないだろうに」
「・・・反乱軍のことだけ、考えていると思ってた。ランスロットは」
嘘だ。
そんなことはない。
ただ、なんとなく。
トリスタンが仲間になった今、殊更にソニアはランスロットやウォーレンがソニア本人ではなく「ゼノビア復興のための手段を実現する道具」である反乱軍のことを気にしているに違いない、と勘繰っているからだ。それは知っている。
「何故わたしのところに来たのかな」
「うん、ただいま、って言おうかと思って」
「それだけか?」
「うーん。いや、どっちかというと逃げてきたという方が正しいかも」
「逃げてきた」
「まだ、あの天使に対して冷静でいられない」
驚いた表情を向けるサラディン。
丘の上からは日が暮れかかる様子がよくわかった。
西の方角をソニアは見つめている。本当であれば早く戻って、今晩の部隊ローテーションをさっさと決めなければいけないということを彼女は忘れてはいない。
瞬きをせずに夕暮れ時の色に染まりつつある空を彼女は見据えていた。
多分彼女が見ているものはその色ではないのだろうとサラディンは思う。
「ウォーレンは、あたしのことを星が導いた勇者だといってた。星がそう告げていたから、待っていたと。シャロームの教会に流れ着いたあたしに、教会の神父さんは、天使のお告げがあった、と言っていた。それより一月も前あたりにあたしは帝国軍の預言者とやらに預言をされて命を狙われていた。一体どの時点で、あたしは選ばれたなんとか、ってなもんになったんだろう」
サラディンは何も答えない。
それに答える義務も権利も彼にはなかったからだ。
ソニアもそれは知っていて、サラディンに何ひとつ追求しない。
「お告げのひとつでもする暇があったら、もっとさっさと助けてくれりゃよかったのに」
「神は万能ではないからな」
「じゃ、なんのために天の神とやらはいるんだ?」
「人に、自分達が一番偉い生物ではない、と教えるためだけにだ」
その答えにソニアはサラディンの方を向く。数回瞬きをして、まじまじとサラディンをみつめて
「それだけなのか」
「それだけだ」
「・・・なんだそりゃーーー!!」
そういってソニアはけたけたと笑い始める。サラディンはその笑いに決して同調せずに、ソニアの声が消えるまで、辛抱強く待ちつづけた。
やがてひとしきり笑って−その笑いはいささか無理矢理な笑いに見えたけれど−ソニアがふう、と息をつくと、サラディンは止めていた言葉を続けた。
「その代わり、そうではない、と思うようになった人間に対しては大きな罰を与える存在だ」
「そうだな。まったくだ」
「下界を人間にまかせた以上、たとえそこで繰り広げられる闘争に、人ならぬものの力が生まれたとしても、下界の問題は人間の問題。解決するのは人間だ」
「で、都合が悪くなったら、あたしに契約を結ばせて、天使の力を介入させようってことか」
「それはわからない」
「そういうことだろう。第一あたしがシャロームに流れ着いた時点で、天使が介入してくること自体がおかしい。最初から天の父とやらは、この戦いが人ならぬ力が動くものだと知っていたに違いない」
「・・・そうかもしれぬな」
サラディンはソニアの言葉を追求しない。それもまた、追求する義務も権利も自分にはないと彼は思っている。
ソニアはこんな風に、自分の過去を話してもいない相手にさらさらと過去の出来事を絡めた愚痴を言うことが時折ある。
それでもそれは彼女のカンで、それをしてもいい人間とよくない人間をきちんとかぎ分けている。
これをカノープスあたりに今言えば「なんだよそれ、シャロームでもう天使がやってきたって、お前、どういうこと、それ」と言い出すに決まっている。
それに対して普段はさらりと「そーゆーことだ」と答えられるけれど、今日は無理そうだ。
残念ながらランスロットもカノープスも、この件についてはソニアからそんな話を聞いては追求をして、そして彼女の苛立ちを倍増させてしまうに違いない。
けれど、口にしそうだった。
だから逃げてきた。
長くて回りくどいことだけれど、ソニアの様子を見るに、サラディンはそう予測をした。
もちろんソニア本人はどれほどのことをサラディンが考えているのか、わかっているのか、なんてことは二の次でどうでもいいことだったのだけれど。
「日が落ちるな」
ソニアが小さくうめくように呟いた。
「・・・うむ。アンデッドの活動時間が始まる」
「今晩は、しんどいぞ」
「心得ている」
「オハラに頑張ってもらうことになりそうだ。うん、早速ユーシスにも働いてもらおう」
「天使は夜はあまり」
「アンデッド相手なら問題ない。一発神聖魔法を唱えれば、それの強い弱いは関係ないからな」
「確かに」
ソニアはもう気分を変えることが出来たのか、既に先のことを考え始めている。
彼女は立ち止まることを許されないのだし、とサラディンは心の中で呟いた。
空の際がうっすらと茜色に染まってゆく。ゆるやかな色の変化をここで見つめている時間すらソニアにはない。
「ありがとう。助かった」
「避難場所になったかな」
「うん。なった。サラディンはいいことを言う。自分達が一番偉い生物ではないということを教えるためだけ、か。それだけの存在なら、人々を救えなくても、文句はいえないな。聖職者もそういうことを言えばいいのに」
「それは無理というものだ。アイーシャには間違っても言ってはならないぞ」
「大丈夫だよ。アイーシャは、多分、わかっている。その本当のことを人々に知らせてはいけないのだということもわかっているから、そうは言わないだけだ」
「そうかもしらん」
「本当に天の神とやらの存在を信じている人間は」
「うむ」
「辛い目にあっても我慢しているだけか、それとも、その存在を疑問視するかのどっちかに決まっている。ここにいるプリースト達は、前者ではない」
きっぱりとそう言って、ソニアはサラディンに背を向けた。
なるほど、うまいことを言うものだ、とサラディンは苦笑を見せたけれど、もはやこの小さなリーダーが彼のその表情を見ることはなかった。

ランスロット隊とオハラ隊が夜中まで起きていることになり、夜半すぎからソニア隊とサラディン隊がそれに交代する形をとることに決定した。
ユーシスはひとまず体を休め、明け方から力を貸すことになっている。
封印をほどこされた空間での時間は彼女の体力を消耗しており、その疲れを癒さずに魔法を行使することは難しいと思えたからだ。天使も疲れるのだな、なんてみんな口々に不思議そうに囁いていたが、その疑問も当然だろう。
ソニアはさっさと寝ればいいものを、日が暮れても起きて辺りの様子を見ていた。
どちらかというと色々考えすぎて興奮して、眠れないというのが正解だろう。
何故ユーシスに封印を施しただけで、殺しもせずに生かし、誰も監視すらしていなかったのだろう。
反乱軍が来ることが予想外だったのだろうか?
うん、確かにここアンタリア大地は帝国に向けて進軍をしていれば通る必要もない場所といえばそのとおりだった。
それにしても、迂闊だと思う。
ユーシスを捕らえたものの、天使との契約はもはや済んでいるはずだし。
ラシュディからすれば何のためにユーシスを幽閉していたのかがぴんとこない。
ソニアは木の根っこに腰をおろして、ブリュンヒルドの柄を触っていた。
市外地での野営を行うことで、出来るだけ都市の人々に迷惑をかけないように、と彼らは簡易テントを三つほど張っている。
その中の二つで、真夜中から交代するために既にソニア隊とサラディン隊の面々は眠りにはいっているはずだ。
「お眠りにならないのですか」
そう話し掛けてきたのはランスロット隊に配属した、トリスタンの従者ルーヴァンだ。
「ああ、もう少し起きて様子を見てから寝ることにする」
「昼間もお出かけでしたのに」
「いつものことだ」
ソニアは笑顔で答える。
見張り部隊とはいえ、誰もが四六時中空や遠くの様子を見ているわけではない。今はオハラ隊が見張り役のメインを勤めている。異常があればランスロット隊がかけつける、という形だ。
たった数人の見張りといえば心許ないけれど、それとは別に斥候役で忍ばせておいたニンジャ部隊が少し離れたところから連絡ののろしを上げたりしてくれる。反乱軍の縁の下の力持ちである彼らの存在を知っている人間は実は少ない。
「それにしても、ソニア様は素晴らしい御仁。天使様のおめがねにかなって契約を結ぶことが出来るとは、驚きました」
いささか興奮気味でルーヴァンはそうまくしたてた。
この男は悪い人間ではないのだろうが、やはりずっと逃亡生活をしていた従者で、そして比較的若いため(年のころは29,30歳ほどに見える。実際は初めから逃亡生活を共にしたわけではなく、途中で父親の遺志を引き継いでトリスタンを探し、合流することに成功したという稀に見る強運の持ち主である)どこかわずかにズレた感じがないわけでもない。
ただわかることはこの男はこの男なりに一所懸命ゼノビア復興を望んでいるし、トリスタンにも、そして反乱軍にも尽力を惜しまないと公言できるほどの誠実さは持ち合わせているようだ。
「なんてことない。あたしが天使の力が欲しかったわけじゃなくて、天使があたしの力が欲しかったってだけだ」
「だから、それが」
素晴らしいのではないか。
そういう思いがルーヴァンの全身からソニアに向けて放たれるのが嫌というほどわかる。
正直な男なのだな、本当に。騎士というものはみんなこうなのだろうか?
ソニアは苦笑をなんとか押し殺して
「利害の一致は、人間だけのことじゃないみたいだね」
と答えてルーヴァンをやり過ごそうとした。
ちょうどその時それこそ天の助け・・・かどうかは定かではなかったが、ランスロットが二人に気付いて歩いてくる姿が見えた。
「ソニア殿、もう休んだ方がよくないだろうか」
ルーヴァンはランスロットに遠慮して、軽く一礼をしてその場を離れた。ハイネが茶をいれているところだったらしく、ルーヴァンに声をかける姿がソニアの視界の隅に見える。
「うん。も少ししたら休む。いろいろと考えていたら寝つかれなくて」
「そうか」
ランスロットはしばし黙ってから
「今日は、オルゴールは持ってきていないんだ。申し訳ない」
「・・・ああ、いい、そういうことじゃないから。うん。本当に、考え事をしていて・・・それも、必要な考え事だから」
ランスロットのその気の回し方が、時々ソニアには苦痛にも思える。
それでもそうやって自分のことをこの聖騎士が考えてくれる、ということはなんと嬉しいことだろうか。
「ユーシスは休んでいる?」
「ようだな。封印とやらを解いたと聞いたが?」
「うん。ブリュンヒルドがね、力を貸してくれて」
「そうか。右腕はすっかりよくなったようで、よかった」
思いもよらない優しい言葉に、ソニアは一瞬仰天してしまい、サラディン相手に動揺していたように、またどもりがちになった。
「う、ん。そう。そうなんだ。すっかり、よくなった」
「一時期はどうなることかと思ったが」
「うん、心配かけた、もう、大丈夫」
「そうか」
そういって微笑みかけるランスロット。
ソニアは彼を見上げて、しばしその笑顔を見ていた。
「うん?」
「あ、いや、なんでもない」
「ああ、必要な考え事に邪魔をしてしまっているかな。それならば、向こうに行くが」
「そうじゃないなら、どーするんだ」
「うむ。もう少し話でもしようかと」
「もう休んだ方がいいっていったくせに」
「確かに」
言っていることがめちゃめちゃだ、とソニアは唇を軽く突き出した。
最近よく見る彼女のその拗ねた表情は、ランスロットは嫌いではない。いや、むしろ可愛らしいと思えた。もちろん軍議の時にそういう表情をされるのは困りものではあるが。
「よく、ユーシス殿を仲間にしてくれたと思って、そのことを、伝えようと思ったのだ」
「なんだ、ランスロットもルーヴァンと同じじゃないか」
ふうーとソニアは息をはいて、木の大きな幹にもたれかかった。その傍らに立っているランスロットはほんの軽く首を傾げた。それは彼が「いやいや、そうじゃない」と思ったときのほんの軽い癖で、自分でもそれをわかっているのか滅多なときにはみせない動きだ。
「トリスタン皇子の意見はもっともだが、そなたは天使と手を結びたくないのかと思っていたから」
(・・・サラディンに聞いたぞ、ランスロット)
その言葉を口に出そうとしてソニアは無理矢理飲み込む。サラディンの名誉のためにはそれをランスロットに言わないほうが良いに決まっているのだ。
「なんでそう思うんだ、ランスロットは」
「・・・そなたが出かけてからこんなわたしでも考えてな」
ソニアはランスロットをみつめた。こんなわたし。それはどんなランスロットのことだろう。
彼がそんな風に自分のことを言うなんて、初めて聞いた。不思議とそれは嫌ではない。
聖騎士は少しだけ躊躇いがちに言葉を続ける。
「少しばかり、覚悟をしていた。天使を仲間にはしなかった、と言って帰ってくるかもしらんと」
「・・・ランスロットはたまーに鋭くなるなあ」
「そうかな・・・だから、ユーシス殿の姿を見た時、驚いたし、それから、そなたがやはりとてもリーダーらしくなったのだな、と思って、少し嬉しくなった」
わずかな沈黙。
ソニアはランスロットをじっとみつめ、それからすっと立ち上がり、彼の前に立った。
ああ、こんなに近いのに、やっぱり遠いのだな、ランスロットとは・・・
そんなことを思いながら、ソニアはどん、とランスロットの胸元を手のひらで押した。
ランスロットはびくともしなかったけれど、一体それがどういう意味なのかと面食らった様子でソニアを見る。
「・・・なんだ」
「たまーに鋭くなるけど、やっぱり鋭くない。そんな褒め方されても嬉しくない」
「リーダーらしく、と言ったことが気に障ったか」
「反乱軍のリーダーだからユーシスを仲間にしたんじゃない。別に」
「では何故」
「・・・」
うまい答えはみつからなかった。
そうだ。ユーシスなんか仲間にしたかったわけではないし、この先だって天使なんて仲間にいれたいとは思わないだろう。
「ユーシスといれば、わかるかもしれないと思っただけだ」
「何を?」
「何故、あたしが反乱軍リーダーに選ばれたのかを」
「・・・」
「何故、選ばれた勇者、なんてありとあらゆる人間から言われるような、そんな人間になったのかを。どうしてシャロームで洗礼なんかを受ける羽目になったのかを」
「ソニア」
ランスロットは溜息と共に彼女の名を吐き出した。
敬称を付け忘れるとき(もちろん故意でそうするときだってあるが)の、彼が自分を呼ぶ響きが好きだ、とソニアは思う。
「ソニア、そうだとしても、それは」
「詮無いことを言った。すまない」
そんな言葉をどこで覚えてきたのか、ソニアはさらりとランスロットの言葉を遮る。
「でも、ランスロットにそういう形で誤解をされるのは、嫌だったから。許してくれ」
「そなたは、自分で望んだのではないのか。シャロームの教会で、自ら力が欲しくて洗礼を受けたと聞いていたが」
「力が欲しいと望めば、すぐにそれは与えてもらえるものなのだと思っているのか、ランスロットは」
それにはランスロットは答えない。
「・・・ああ、確かにな」
ただ、静かにそう呟いてソニアを見る。
と、そのとき
「帝国の部隊が接近中。オハラ隊が交戦準備をしていますが複数隊向かっているとのことです。ランスロットさん、こちらも動きましょう!」
ハイネの声がランスロットの背後から響いた。
ランスロットはすぐさま振り返ってそれへと返事をする。
「わかった、今、いく!」
「頼んだぞ、ランスロット」
先ほどまでの話はもう終わりとばかりにソニアはきっぱりとランスロットにそう言った。それへ力強く頷き返すランスロット。
「そなたの手を煩わせることがないように最善を尽くす。そなたは明日に備えて眠るといい」
「・・・あたしがリーダーだからか?」
その妙な問いにランスロットは驚いたようにぴくりと眉を動かした。
それから、困ったように小さく口元に笑みを作って
「それは当然だが・・・たくさん眠れば嫌なことも忘れられるだろう。たくさん、というほどの時間はないが」
「嫌なこと」
ソニアは予想外の言葉がランスロットの口から出てきたことに驚いて聞き返した。
ランスロットはゾックから返してもらったカラドボルグが自分の腰にあることを確認しながらソニアに背を向ける。
「最近の、昔のことを口にするそなたは、多分、そなたが思っている以上に辛そうにわたしには見える」
そう告げると彼はめずらしく「失礼」とも「では、行って来る」ともなんとも言わずにその場から足早に離れていった。
ソニアはその後姿を見送ってから、足元に落ちている小石を蹴った。
「・・・だったら、言わせるな!!バカ!」
それは完全な八つ当たりでもあり照れ隠しでもあり。
そして、辛さを押し殺すための言葉だ。
こんな気持ちで、眠れるものか。
ソニアはむくれた表情で、また木にもたれかかるように地面に腰を下ろすのだった。


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モドル

ううん、愛し合ってるのか愛し合ってないのか微妙ラヴァーズです。自分、不器用ですから。
ランスロットは自分が言ってることややってることがなんか矛盾しまくりだときっと気付いていないんでしょうね。いっぱいいっぱいで(笑)