癒し-1-


しゃんと背筋が伸びた彼女の姿勢を、彼は好ましく思っていた。
何かを教えれば「はい」「わかりました」と答え、わからないことは物怖じせずに答えるその態度も好ましく思っていた。
時折確認の意味で復唱をするのが少しばかりうざったいと思ったこともあったけれど、実際、彼の意思が正しく伝わっていなかったことがわかる時もあったから、それもまた好ましい態度だと思えた。
彼女の弓の腕前は悪くなかった。彼女の援護射撃はまずまずといったところで、新兵の中ではかなり優秀だと判断していた。
きっと、良いヴァルキリーになるだろう。
そう思っていたのに。
「わたしは、クレリックになりたいと思います」
彼女は、彼らのリーダーであるソニアにきっぱりとそう告げた。
そしてまたソニアも
「ああ、あたしもそれに賛成だ」
と言って笑顔を見せた。
命を守りたいと志した彼女の、胸に深く刻まれた痛みを知る彼は、彼女に笑顔を見せることが出来なかった。
それどころか、ああ、俺は泣きそうだ、と彼は瞳を伏せる。
このリーダーのように、自分も彼女に笑顔を向けられたらよかったのに。それは、心の強さだ。
ひたすらに強さが欲しいと彼は願う。
彼女を守ることが出来る力と。彼女にいつでも笑顔を向けられる力と。

ポグロム地方のゴヤスを解放した彼らは、次の目的地をジャンセニア地方に設定して移動を開始していた。
まったく、ゴヤスからジャンセニア地方というと相当な開きがあり、しかも進軍のルートからすればあきれ返るほど帝国本拠地から離れ、むしろシャローム地方に近いものだ。
ウォーレンにソニアは文句をいっていたが、足元をすくわれないためにももう少し大陸の南東の(つまり、シャローム地方の少しばかり南側ということらしいが)帝国勢力を抑えた方が良い、との答えを星が導き出したとかなんとかで、ソニアのわめき声もなんのそのであの老人は涼しい顔だ。
反乱軍リーダーとなって未だ日が浅いソニアは、大きくなりつつある軍の統制と、そろそろ行うべき、新たな能力を授ける儀式について考えることにうんざりしていた。
「ビクターは、何になりたい?」
「はあ、わたしは、出来ることなら剣の腕をこのまま磨きたいと思うんですが、いかがでしょうか」
「うん。そうだな。あたしもそれがいいと思うぞ」
たったそれだけのやりとりで、ビクターは翌日上級職にあがる儀式を行ってもらい、通称ナイトと呼ばれるようになった。
最終的に彼が目指すものは、剣をふるうだけではなくて治癒魔法も行使出来る力を持つパラディンだった。
ソニアに共に雇われた傭兵仲間(とはいえ、大した仕事はまったくしたことがなかったのだが)のヘンドリクセンは魔法を行使するウィザードになりたいと前々から言っていたし、それに対する努力も彼は惜しむことはなかったため少し前には既にウィザードになっていた。
じゃあビクターは、と小柄でちょっと癇癪もちの赤毛のリーダーに言われて、ぱっと思い浮かんだのは騎士ランスロットの姿だった。
憧れというほどのものではないけれど、自分の剣の腕は彼の足元には未だ及ばない。
いや、それどころか自分より相当小柄できゃしゃな体型のリーダーにだってかなわないのだ。
自分は君主に剣を捧げる王宮騎士なんてものにはなるつもりはないし、なれるとも思ってはいなかった。
それでも、剣の腕をもっと磨きたいという気持ちはあった。
また、彼は視野が狭い人間ではなかったから、「もしも」のことを考えたときに治癒魔法を習得出来ればいいなあ、とも考えていた。
そう思えば目標はおのずと決まってくる。
ゆくゆくはパラディンの能力を与えられるために、日々の鍛練を繰り返すことだろう。
「ふあーあ」
行軍の中、ビクターより数人分前を歩いていたソニアが珍しいあくびを見せた。
魔獣達は荷物を載せているわけだから、彼ら人間はみな移動を足で行う。
女性兵を考慮した行軍スピードでも決して遅い歩みとはいえない。それゆえの疲れだろうか、とビクターは思ってから苦笑をした。
まさか。ソニア様が。
シャロームの傭兵斡旋所兼酒場でソニアに出会ってからここまで共に戦ってきたけれど、ちょっとやそっとのことではこのリーダーはへたばるわけがない。なんといったってヘンドリクセンの方が体力がないくらいだし。
「あくびなどして、どうしたのだ」
ソニアの隣を歩いていたランスロットが問い掛ける。
商人達が当たり前のように使っている街道を彼らは歩いている。反乱軍の決起はまだあまり帝国には伝わっていないのか、ポグロム地方を制圧したにも関わらず、無防備にまるでそこいらの旅人のような移動をしているのに何一つ問題がない。
「退屈だ」
ソニアはそんな返事をする。それにランスロットは顔をしかめてみせた。
「行軍を円滑に行うのも仕事のうちだと思うが」
「円滑ってどーゆー意味だ」
「・・・何も問題なくスムーズに行うのも仕事のうちだ」
「そうだから退屈なんだってば」
ビクターとヘンドリクセンはそのやりとりを聞いて笑いをこらえるのに必死だ。かみ合っているようでかみ合っていない。
だからといって、そこで笑ってはランスロットの不興をかうに違いない。
と、そのとき
「うふふっ」
ビクターとヘンドリクセンの後方から小さな笑い声が聞こえた。
それをソニアもランスロットも聞き漏らすわけがない。
「なんだ、オーロラ」
「何がおかしいのだ?」
歩みを止めずに両者は振り向いた。困りつつビクター達もそちらへ目線をやる。
彼らの後ろに歩いていたのは、アマゾネスのオーロラだ。
「あ、申し訳ございません。ついつい声を出してしまいましたわ」
少しばかり恥ずかしそうに、けれど何もやましいことはない、といった態度でオーロラは答えた。
「あんまり、お二人のやりとりがおもしろかったものですから」
ランスロットはやはり憮然とした表情でオーロラを見る。ソニアは
「何がおもしろいもんか!あくびひとつで文句言われるのか、この軍は!」
と吠える。オーロラはすました顔でさらりと答えた。
「ソニア様はあくびするほど退屈でしょうし、ランスロット様はあくびに文句をおっしゃるほどに退屈なのでしょうね」
まいった。
ビクターは口をあんぐり開け、ヘンドリクセンはまた笑いをこらえていた。
ソニアとランスロットは顔を見合わせ、それからどちらからともなくふいと不自然に顔をそらして、前を向いた。
当の本人は涼しい顔で歩調をまったく緩めずビクター達の後ろをすたすたと歩き続けている。
なかなかこの少女は一筋縄ではいかない曲者かもしれない。そんなことを思いながら、ビクターはヘンドリクセンに視線を送りつつようやく少しずつ口を閉じるのだった。

はじめまして、とオーロラに頭を下げられた日のことを、ビクターはぼんやりとしか覚えていない。
今まで、彼が人との出会いにあまりの鮮烈さを感じたのは、シャロームでソニアの仲間となったときだけだ。
たくさんの傭兵達でごった返した、斡旋所であるあの酒場で、あの日彼はヘンドリクセンと酒を飲んでいた。
どうせ自分達にやってくる仕事なぞたかが知れていて、そこいらの荷物運びやら隣町への護衛やら、そんなところだと彼らは思っていた。
ヘンドリクセンはビクターと異なり、運がよい仕事にめぐり合えば彼が興味をもっている「魔導」に携わることがあるのでは、といつもそれを思い続けていた。とはいえ、生きるための金を手にいれるためには、荷物運びやら護衛やらという仕事を少しでもこなすことが先決だ。
そこで多少は腕に覚えがあったビクターとヘンドリクセンは組み、二人で斡旋所で名簿登録をしていた。
ろくな仕事はなかった。それでも生きるだけの銭は手に入っていた。
こうやって1年2年たっていくのかもなと思っていた矢先に、陳腐な表現かもしれないが、「運命の扉は開かれた」というわけだ。それをいざなったのは、もちろん、あの小柄なリーダー、ソニアその人だ。
ぼろぼろになった服を着て酒場に入ってきた彼女は、男達がからかう声も気にせずにまっすぐ斡旋所の受付に歩いていった。
斡旋所の名簿を見て「ろくな奴らがいないな」と不満そうに口を尖らせる表情は、演技でもなんでもなく彼女の癖であることをビクターはすぐに知ることが出来た。
もちろん、傭兵達がたむろする酒場でそんな発言をすれば・・・
まあ、何が起きたかはあえてここでは語らないが、ビクターはその小柄な少女に、視線ひとつで「選ばれた」男だ。
そしてまた、ヘンドリクセンも。
「目があった。そらしたい、とは思わなかった」
たったそれだけの理由でソニアは彼らを仲間にした。
仲間にした、といえば聞こえはいいが、帝国に逆らう、と聞いたのは雇われてからだった。
「命の保証はないけど、最大限あたしが守る。反乱軍という形になったら、お前達は契約を切ってもいい。今のあたしに必要なのは「仲間のふり」をして「反乱軍となるための人数」を集めていると人々にアピールすることができる、いうなれば「サクラ」だ」
実力を買ってくれているとは確かに思ってはいなかった。
しかし、ビクターもヘンドリクセンも彼女と共にいることを選んだ。そして、今も、この先も、彼女の力になれたら、と彼らなりに思ってはいるのだ。
それ以降に「反乱軍」として彼らが体裁を整え、仲間と呼べる人間をどんどん増やしているところではあるけれど、ランスロットとの出会いにせよ、ウォーレンとの出会いにせよ、あれほどに強い印象をもつことは彼にはなかった。
もちろん、クレリックになったばかりのハイネにせよ、そしてオーロラにせよ。
同じ女性でありながら、ソニアは産まれ持っての星とやらが違うのか、強烈な印象を初めからビクターは抱いていた。
ただ、それが恋ではないことを彼は知っている。
彼はもともと一目惚れをするタイプの人間でもなかったし、何よりもがさつな女性を好ましいと思う方でもない。
ソニアは明らかに彼のタイプではなかったし、何よりも既に彼にとっては手の届かない、頭がひとつもふたつも抜けた存在になっていたのだし。
まあ、それはともかく、
「反乱軍に参加することになりました、オーロラと申します。今は覚えたばかりの弓矢を操ることしか出来ませんが、よろしくお願いいたします」
当り障りのない言葉を発して頭を下げたオーロラの印象は、強いわけではなかった。
顔の造作は悪くない。いや、可愛らしい部類だといえる。
薄い肌の色は、太陽の下であまり作業をしたことがない人間のそれで、反乱軍の行軍に耐えられるのか、と多少心配する要因にもなったが、ビクター本人は特に気にかけなかった。
比較的大きい瞳は薄い茶色で、人をまっすぐ見ることに躊躇がない様子だ。
なんてことはない。ただの、そこいらにいる村娘と変わりはない。
だけど、ただひとつだけビクターが気になったのは。
彼女の声はとても穏やかで、反乱軍に相応しくないのでは、と。
そうだ。声だけで、俺はそんなことを感じたのだ。
それをビクターが思い出すのは、かなり後のことであった。

「食糧調達部隊の戻りが遅い。ビクター、カノープスと共に様子を見に行って欲しい」
ランスロットがビクターにそう告げたのは数日後のことだった。
ジャンセニア地方に入る寸前で、二日続けて雨にみまわれた彼らの行軍は一気にペースが落ちた。
食糧は多めに持ってきていたけれど、それは運が悪かったとしかいいようがない。
たまたま荷造りに長けた者が用意をした食糧を先に食べてしまっていた。
そこへ予告なしの豪雨だ。
荷造りが不得意な者が作った荷に入っていた食糧は、豪雨にほとんどがやられてしまい、口に入れる前に処分せざるを得なくなってしまったというわけだ。
また、新兵でも大丈夫だろうと見習いビーストテイマーのガストンにグリフォンを使った食糧運搬を依頼していたことも災いした。
空を飛んでいたグリフォンも突然の豪雨に驚き、まだ新米のガストンが制御をするために荷を軽くする必要があった。
そこで、こともあろうに最も多くの食糧が入っていた荷を空から森に捨てたのだ。
まったく踏んだり蹴ったりではあったけれど、ソニアは肩をすくめたくらいだったため、しかたなくランスロットが憎まれ役をかって出た。甘い荷造りをしたテリーとハイネは十分に怒られ、ガストンはまあ、ある面では仕方がなかったけれども今後は小分けの荷を積むように、と一応形ばかりは怒られた。
そんなわけで彼らは食糧調達を再度行う必要があり、近くの集落に出かけていった。
ランスロットに付き従っていた、ナイトのクライブを中心として、ヘンドリクセンとオーロラ、それから荷運搬のためのハールーンだ。ハールーンはウォーレンが連れていたヘルハウンドで、ビーストテイマー達がいなくとも大変従順に働く利口な魔獣だ。
クライブは、ゼノビアまで辿り着いたら一時そこで離脱をして、ウォーレンやランスロットの指示を仰ぎながらゼノビア宮の復興指導を行うことになっている剣士だ。
彼とハールーンがいれば集落との取引もとりたてて問題があるとは思えなかった。路銀もまずまずは持たせていたはずだ。
「遅いといっても・・・」
そんなにおかしいとは思えない、とビクターが反論しようとしたところ、ランスロットは右手を軽くあげて彼の言葉を制した。
「ソニア殿が、嫌な予感がする、と」
「予感。ソニア様の・・・」
ビクターは2,3秒ランスロットをみつめてから頷く。見ればランスロットの背後から、カノープスがやってきた。
「おい、行くぞ。そいつ連れてけばいいんだろ」
「ああ・・・ギルバルドのグリフォンを西の森に近づけておく。グリフォンで集落まで飛ぶのは目立ちすぎるからな。何かあったら狼煙をあげてくれ。偵察隊だと思ってくれれば良い」
「はいはい」
心配するようなこともないと思うけどな、とカノープスは思っているようだ。ビクターもそう思いたかった。
思いたかったけれど、シャロームからソニアに付き従ってきた彼には、「ソニアの予感」という言葉は重く響いていた。

「・・・ヤバイな」
ひとまず様子を伺うために、集落までは飛ばずに歩いていた二人だが、カノープスが顔をしかめた。
「ヤバイとは?なんですか?」
「血の匂いが、する」
「・・・血の、匂い」
ビクターは、シャロームから共にソニアに付き従ってきた、穏やかな戦友ヘンドリクセンのことを思い、ぴくりとこめかみを動かした。それからオーロラ。そしてクライブ、と、自分が身近に感じている順番で頭の中に面々が浮かび上がる。(当然彼はその順番を意識はしていないけれど)
その集落は街道からかなり離れたところにあって、西に森、東に小川、北に山という場所にぽつぽつと建物がいくつか建っていた。南にはあまり広くはないけれど農作物を作っているらしい、緑が生い茂っている畑がある。なるほど、これなら自給自足だけではなく、食糧を旅人に分け与えることは出来そうな集落だ。
なのに、血の匂いが、とカノープスは言う。
彼は鼻の頭にしわを寄せて忌々しげに言い放った。
「ビクター、飛ぶぞ。何かあったら飛び降りてすぐに剣を抜けるようにしておけ」
「はい!」
カノープスはひょい、とそのたくましい腕でビクターを小脇に抱え、背の大きな翼を広げた。
ばさり、と未だにビクターが耳慣れないその音をたてながら、カノープスは空へ羽ばたいた。

空という薄い膜をやぶって光が地上に突き刺さっているようにまぶしくて、上を見ることが出来ない。
まぶたの奥が痛くなった瞬間、瞳を閉じた。
周囲のこの惨劇を忘れるためには、何も変わることがない青空を見る以外にもはや何も道が残されていないと思うのに。
オーロラは血溜まりの中で座っていた。
迂闊だった。
始めに気付いたのはヘルハウンドのハールーンだった。
ハールーンが突然戦闘態勢になったのは集落のかなり手前だった。
彼らは風下から集落に近付いていった。集落がどういった集まりで形成されているかわからなかったから、出来るだけ警戒されるのを避けようと考えたからだ。
ハールーンがぴくりと体を強張らせたのは、ほんの一瞬風が吹いてきた時。
あそこで一度本陣に戻るべきだったのだ。
ハールーンが唸り声をあげたのを聞いたクライブは悩んだ末に、慎重に近付いて様子をみようと提案をした。彼は彼なりに、現状をある程度把握しないままで本陣に戻るわけにもいかないと判断したのだし、それはあながち間違ってはいないと皆思った。
戦というものは、ほんの一回の判断ミスで、こんな風に簡単に人間は死んでしまうのだ。
それは、わかっていた。わかっていたけれど。
彼らを襲った突然の悲劇は帝国軍によってもたらされたものではなくて・・・
「あなた方は、罪もない、この集落の人々を惨殺したのですね」
オーロラの周りには5人の男が立っていた。それぞれ血に濡れた斧や剣を持っている。
「よくわかってるじゃねえか」
「何が目的ですか」
「目的?そんなことは決まってら。金と食いもんが欲しかったからな」
無精ひげを生やした、年のころ30代後半ほどと思える、背骨がいささか前にまがっている、浅黒い肌の男は斧を持って笑った。
オーロラは自分の足元にうつぶせで倒れているヘンドリクセンの服を握りしめて、自分の体の震えを抑えようとしていた。
ヘンドリクセンの背中には斜めに斧による傷が深く刻まれ、血によってローブは赤く染められていた。
オーロラの指先は彼の血で色づいたけれど、それを気にする余裕なぞはない。
「しかし、この集落にゃあ女がいなくてな」
「それに面が割れちゃあ困るからよ」
もう一人の男がぶへっ、ぶへっ、という耳障りな声で笑いながら言い、手にもった短剣をちらつかせる。
なんということだ。
金と食糧目当てでこの男達は、この集落にいた人々を皆殺しにして、そして、自分達ですら殺そうとしているのだ。
オーロラは震える声で叫んだ。
「いつかあなた達は、他の誰かによって裁かれるに決まっています!」
「へえー、そりゃ、大変だあ」
一人がからかうような口調でそう答え、残りの男達が笑い出す。
「じゃあ、裁かれちゃう前に、楽しいことはやっとかないとなあ」
男の言葉の意味を正確にとらえて、オーロラは体をこわばらせた。
涙は出なかった。
彼女は自分の、この先に続くはずだった人生について思いを馳せた。
反乱軍に所属し、いつの日か帝国を打ち倒してこの圧政を覆す。
それは今の最も大きい目的だ。・・・それから?
自分が歩んでいく人生は、その先に続いているはずなのに、彼女はその後のイメージを描くことが出来ない。
それは、ここで、死ぬということなのかしら?
ぼんやりと長い時間そんなことを考えていたつもりだったけれど、実際それはものの数秒のことだった。
男の一人がオーロラの腕をぐい、と掴んで立たせようとした。その刺激で彼女は我に返る。
(死ぬのかしら?それとも、生きていても、純潔を奪われれば、それは死と同義なのかしら?)
そうではないことを彼女は知っている。
それを死と繋がなければいけないのであれば、この世界にいる多くの女性達は生きながらにして死んでいるに決まっている。
立ち上がると、先ほどまで視界にいれたくないと拒否をしていた、ハールーンが横たわっている姿が遠くに見える。
とても利口なヘルハウンドだった。なんと言ってウォーレンに、ギルバルドに詫びればいいのだろう。
その、詫びをいれる機会を自分はこの先に与えられるのだろうか。
「やめて。何をするの」
陳腐な言葉を口に出したものだ。オーロラはどこかで冷静にそんなことを考えている自分に気付いた。
やめてと懇願してやめる相手でもなければ、この先に自分に降りかかる更なる災難を既に彼女は知っている。
「お嬢ちゃんに、俺の子でも産んでもらいたいと思ってね」
男がそういうと、その場にいた全員が大声で笑った。
俺も俺も、と言う者も、さらにそれをはやしたてる者もいる。
血溜まりの中からひっぱりあげられて、オーロラは男達に囲まれたまま、さほど汚れていない広い場所に連れて行かれた。
ここで、わたしは。
心を決める時が来たのだ、とオーロラは唇を噛み締める。
反乱軍に身を投じたときに、これから先起きると思ったありとあらゆることに耐えよう、と自分は思っていたけれど。
その時。
ばしゅうっ、という音と共に、空に何か一筋の細い線があがったのに一人の男が気付いた。
狼煙だ。
一体何が、とそれを阿呆のように見ていると、突然ものすごい勢いで何かが飛んで来た。
高々とあがった狼煙よりかなり低空位置にそれは現れ、ぐんぐんと近付いてくる。
「うわ、なんだ、ありゃ!」
光が遮られた、と思った瞬間、空から大きな鳥が急下降してきた・・・もちろん、それはカノープスだが、誰もがその状況を瞬時に把握出来なかった。
「オーロラ!」
最近少しずつ聞きなれてきた男性の声が、自分の名を呼ぶ。
オーロラは反射的に自分の腕を掴んでいた男を振り切った。
だんっ、とビクターはカノープスから投げ出されて大きな音を響かせて着地をする。それと同時に、オーロラを囲んでいた男の一人に切りつけた。
ビクターはまだ剣の腕はさほどではなかったけれど、決して弱いわけでもなかった。
その場にいる男達全員を彼一人で切り伏せることは無理と思われたが、躊躇している暇はない。
後先考えずに彼は剣を構えてオーロラを自分の後ろにかばうように男達の前に立ちふさがった。
また、ビクターを空から投げ出した直後にカノープスは着地をせず、空中からバルタンが得意とするサンダーアローを地面に叩き落した。一人の男はそれに驚いて腰を抜かした。
「その人数でやろうってのか!いい度胸だ!」
無精ひげの男が叫ぶ。
ビクターは真正面を見たまま、振り返らずにオーロラに聞いた。
敵と対峙したときには何があっても相手を視界からはずしてはいけない。その一瞬が命取りになる。
それはランスロットに重々言われていたことだ。
「弓矢は」
「ありません」
「そうか」
「お役に立てそうもなく・・・」
申し訳ありません、とオーロラは続けようとしたが、その声は一人の男の叫び声でかき消された。
「なんだ、あれは!」
「グリフォンが近付いて来やがる!くそ、こいつらの仲間か?」
「さっきの狼煙が・・・」
ギルバルドがあんなに荒っぽくグリフォンを操るなんて、とカノープスですらあんぐりと口を開けてしまうスピードで(いや、それはそれで助かるのだが)西の森付近に潜んでいたグリフォンがぐんぐんと近付いて来る。
「わ、わ、わ、やべぇ!」
と叫ぶのはカノープスで、慌ててビクターとオーロラを抱えて空に引き上げた。
それは男達から逃げる行動ではなく・・・
「いっけぇーー!」
荒々しく急降下するグリフォンの背中から、そんな声が聞こえた。嫌な予感は的中だ。
こともあろうにギルバルドに同行しているのはソニアではないか。
カノープスは横に飛んで、グリフォンの進行方向から必死にはずれようとする。
男達は慌てて逃げようとするけれど、判断する余裕がなかったのかグリフォンの進行先に向かって走って行く。
ばさっ、ばさっ、と鼓膜をじぃんと振るわせるほど大きな羽ばたきの音。
砂埃が舞い上がり、グリフォンは男達を吹き飛ばした。
あまりの急降下にグリフォンはきちんと着陸できず、ずずず、と慣性に逆らわずに前へ前へと滑って男達を踏み潰し、さらには集落の一つの建物の屋根を翼で壊した。
ビクターもオーロラも瞳を閉じて、カノープスの体にしがみつくので精一杯だ。そこへソニアの声が響いた。
「こら!カノープス、さっさと戻ってきてやつらを捕まえろ!」
「無理いうなー!」
「ギルバルド、行くぞ!」
グリフォンの背からソニアはギルバルドを引き連れて飛び降りる。
「ギルバルド!なんでそんなヤツ連れてきたんだ!」
「俺がソニアを連れてきたんじゃない。可愛いグリフォンのために、しかたなく俺がソニアについてきたんだ」
まったく、無茶なことを。
「ビクター、オーロラを頼んだぞ」
カノープスはそう言って二人を下ろすと、勢いよく再び飛び上がってソニア達の後を追う。
何故自分達を連れて行ってくれないのか、とビクターは一瞬不満に思った。
が、自分の横に立つオーロラの青ざめた表情に気付いて、彼は自分が貧乏くじをひいたということに気付いた。
(まいったな)
「オーロラ」
「はい。なんでしょう」
「その・・・」
言葉が続かない。
自分はよくよく平凡な男で、こういうときに何を言って良いのかがまったくもって思いつかない。
その不甲斐なさをこんな形で痛感するのは、余りにも酷な話だ。
ヘンドリクセンは、死んだのか。
それを聞くこともままならないと思えた。
「いや、なんでもない」
「そうですか」
それきりオーロラは口を開かない。ただ、弓も矢も既に失っていた自分がソニア達のもとにいって役立てるわけがない、と次の指示があるまでじっと待つばかりなのだろう。
それはビクターとても同じで、「頼んだ」と言われてはこの場で彼女を置いていくわけにもいかない。
それに。
唇を引き結んだオーロラの表情は、まるで。
ビクターは、突然それに気付いたようにオーロラを見た。
彼女は彼の隣でそっと目を伏せた。オーロラは睫が長いんだな。ビクターはこんなときに不謹慎と思いつつもそんなことを思っていた。
彼女の睫が何度かしばたく。
あ。もしかして、オーロラは。
息をひそめてビクターはその様子を見守っていた。
けれども、ビクターが危惧したことは起こらず、ただオーロラは瞬きを数回繰り返すだけだった。
彼女は、泣いてはいなかった。けれど、わずかに肩が震えていることをビクターは見逃さず、かける言葉もなく彼女の隣に立ち尽くすだけだった。

「オーロラ」
決して優しすぎない、けれども決して厳しくはない声が響いた。
ギルバルドに残処理を任せて、赤毛のリーダーはビクター達のもとにゆっくりと歩いてきた。
「怪我はないか」
「かすり傷程度です」
ほんの少し出だしが掠れた音になったけれど、オーロラは毅然と答えた。
「そうか」
「報告、いたしますか」
「待て」
ソニアは軽く首を振った。彼女の表情は険しくはなかったけれど、その口から出てきた言葉は少なからずともビクターにはショックだった。
「クライブ達の遺体を確認した。本陣に連れて行ってやらなくちゃいけない。布か何かに包むから手伝ってくれ。ハールーンがいるからグリフォンに乗せて全員を運ぶのは無理だ。今、カノープスに本陣に向かってもらった。この集落の人々も全部見回って・・・生存者がいるかもしれないしな」
クライブ達の遺体。
その言葉は彼が危惧していた事実を、真っ向から突きつける。更に不謹慎ではあるが、「達」はヘンドリクセンを含まないで欲しい・・・それを祈ってしまう。
オーロラは静かにソニアに答えた。
「わかりました」
「もちろんビクターもな」
「はい」
ということはギルバルドがあの男達を見張っているということだろうか。
ビクターとオーロラを引き連れてソニアは大股でグリフォンやギルバルドがいる方向へと歩いていく。
オーロラが先ほどまで座り込んでいた血溜まりは砂煙が覆ったらしく、未だに残るねっとりとした血の上に薄く膜が張られている。そうだ。ヘンドリクセンがあの中で倒れていたのだ。
そのことにようやく気付いてオーロラは突然どうっと体中の毛穴から汗が吹き出る感覚に襲われた。
息をしているのかどうかも危うかった彼の状態を、自分は鮮明には覚えていない。
「ヘンドリクセンさんがっ・・・!」
突然のオーロラの叫びにもソニアはけろりと冷静に答える。
「大丈夫だ。なんとか生きていたから。キュアポーションをやったら呼吸が整った。本陣からハイネが来てくれるだろう」
「よ、かった・・・」
オーロラは、はぁ、とそこでようやく初めてひとつだけ安堵の息を吐いた。
実際の音には出さなかったが、それはビクターこそが漏らしたい息だった。ヘンドリクセンは生きている。よかった、という顔を自分がしていることにビクターは気付かない。
ソニアはそこで振り返り、厳しい声を発する。
「あとの二人については、作業が終わってからだ。それまでは、何も思い出すな」
「はい」
何も思い出すな。
そのソニアの声が、彼女にはめずらしい、人の感情に関わる部分に対しての命令口調だということにビクターは気付いた。
そして、それに対して返事をするオーロラの声も、何の躊躇もない強い口調だった。
きっと何も知らない人間が見れば、日常業務と変わらない、ただの命令とそれへの返答にしか聞こえないに違いない。
けれども、肩をふるわせている彼女の姿をビクターは深く心に刻み込む。
その時初めて、どれほどの覚悟をしてオーロラが反乱軍に身を投じたのだろう、とビクターは思いを馳せたのだった。



Next→


モドル

汎用兵物語の始まりでございます(照)ほんとうはかなり前に、シャロームでの話なんかも書いたのですが、未だアップまでこぎつけておりません。ミザール絡みでちょっと出てくるとは思うのですが。