癒し-5-


ランスロットが去った後、ビクターは眠い眼をこすりながら天幕の周りを歩いた。
今宵は空全体がうっすらと明るく、黒い闇というよりも藍色が深くなった色がぐるりと頭上に広がっている。月が出ているおかげで見られる絶妙の色合いなのだろう。その月は、ゆるやかに動く雲に時折隠されてはまた顔を覗かせる。
ビクターは自然の風情とかいうものを重視するような人間ではなかったから、非常に単純に「月が出ているな」とか「風があるな」という事実だけを捉えるにとどまる。彼が考えることはもっと現実的なことばかりだ。
あの野盗達を捕らえて二日、今日はギルバルドではなくガストンが夜の見張りをしているに違いない。大変なことだな、と思った。
ほかに数人夜番はいるが、各々分担した場所を見回っている。
本来はどの箇所も複数人で番に当たる必要があるのだが、この軍は未だ人数が足りない。
そんな中で捕まえた男達をわざわざ見張る人員を割くことは難しい。結果、魔獣達とビーストテイマーが連携して見張ることになったわけだ。
「・・・ん?」
誰かが女性の天幕から出てくる姿が見えた。遠目で正確にはわからなかったが、オーロラのように思えた。
なにせ、彼は外敵に対して見張っているわけだから、陣内の動きを完全に把握出来る距離にはいない。
(手洗いかな)
その程度にしか思わなかったが、オーロラが足を運ぶ方角と彼女のいでたちをを見てビクターは眉を寄せる。
(・・・まさか、なぁ)
彼はあまり自分の直感というものを信じていなかった。
信じてはいなかったけれど、必要以上に胸騒ぎを感じた。
複数人共に見張りをしていれば「ちょっとごめん」とその場を離れることも出来るが(当然手洗いの時はそうなってしまうが)一人の時はこういう場合に困る。
個人の、あまり根拠があるとは言えない憶測でその場を離れるのもどうか、というわけだ。
いっそのことみつけなければよかったな、と心の中で舌打ちしつつ、ビクターはとりあえず辺りを見回して現在の安全を確認した。
それから彼はその場を離れてオーロラの後を追った。
何故ならば、彼女は、魔獣達がいる、賊が捕まっている場所に向かって行ったからだ。そして、その背には矢筒があることをビクターは確認していた。
何が起きるかわからないから手洗い時でも武器を持つということは確かにあり得る。
それでも、彼は胸騒ぎを抑えられなかった。

ヘルハウンドとグリフォンに見張られた山賊達は腕を後ろに縛られて捕らえられていたが、眠らせるためにわずかに体を楽にするのに足枷をはずされていた。
まとめて捕らえておけば縄をお互いに解くこともあり得るから、少しずつ離れて木に縛られている。
雨が降らないことを幸いと思え、とギルバルドは捨て台詞をして今日は寝てしまい、もっぱらガストンが魔獣と山賊達の相手をしている。とはいえ、一晩中ガストンが起きていることも不可能なわけで、彼が仮眠をとる時間もあった。
その時間をぬってオーロラは現れた。
膝下あたりまで続く木綿の寝間着に軽くケープを羽織った軽装だが、矢筒を背負い、手には弓を持っていた。
ビクターがそっと足音を忍ばせて茂みから様子を覗いた時、彼女は賊の中心となっていたらしい髭面の男と何かを話していた。
魔獣達を驚かせてはいけないと思ってか、オーロラの声も小さくあまり聞き取れない。
「!」
男は唯一自由になっている足を使って、オーロラの足を両側から挟んだ。明らかにオーロラは近寄り過ぎていた。
特に、武器を持った状態では男達に一人で近寄らないようにと周知徹底を図っていたはずだったのに。
オーロラは一瞬態勢を崩しそうになったけれど、それを持ちこたえて立っていた。
ビクターは出て行こうかどうしようか躊躇した。
男はオーロラを倒そうと力をいれているのではなく、オーロラの剥き出しになっているすねに、自分の足をこすりつけていた。こんな状況ですら、女性に辱めを与えるのか。ビクターは憤慨した。
その羞恥に耐えるようにオーロラは唇を軽く噛んだけれど、ビクターからはその表情は見えなかった。
「あっ・・・」
二、三言のやりとりの後、オーロラは男の足から逃げた。そして、すばやく矢筒に手を伸ばす。
「ま、待てっ・・・」
そこまで来てようやく男の声がビクターに聞こえる音量で発せられた。
ビクターが茂みから覗いている前でオーロラは弓に矢をいつも通りつがえた。それでも標的が比較的近くに、しかも下側にいるために普段の姿勢とは違う。
明らかにそれを見て男は狼狽したように声を荒げた。
「俺をここで殺してどうなるってんだ!」
「阿呆なことを」
はっきりとオーロラはそう言った。それは、ビクターが初めて聞く、オーロラが口に出した、人を愚弄する直接的な単語だった。
「別にどうにもなりませんわ。でも、あなたが生きていては、迷惑ですから」
「俺を殺したってなんにもならねえぞ!」
「黙りなさい。皆に迷惑がかかります。騒ぐなら、少しは祈ってみれば良いんですわ」
ビクターが飛び出そうとしたとき、その騒ぎに勘付いて近くに眠っていたヘルハウンドがのそのそと姿を現した。
ヘルハウンドは利口だから、オーロラが自軍の人間であること、そして、今、その場にいる男に対して弓を引いているということを理解している。この魔獣は人と変わりがない、いや、それ以上の聴覚と嗅覚をもっているばかりではなく、視覚の面でも優れている。足りないのは意思疎通を図る手段と細かい判断力だ。それを補うためにビーストテイマーや、更にその術を磨いたビーストマスターがいるというわけだ。
たとえオーロラが自軍の人間であるとしても、何か異常があればガストンに知らせることをヘルハウンド達は義務づけられていた。様子がおかしいことを嗅ぎつけて、ヘルハウンドは軽く唸り声をあげた後、すぐさまその場から姿を消した。大方ガストンを起こすつもりだろう。
それにオーロラは気付いたが、彼女は腕をおろさなかった。
ぴたりと彼女が狙いを定めているのは、木に拘束されているその男だ。
一体何があったのかは、ビクターにはわからない。わからないけれど、オーロラの構えは冗談でやっているものではない。それは見ていればわかる。見ていればわかったけれど。
「オーロラ!」
ビクターはついに茂みから出て名を呼んだ。
オーロラは一瞬だけ体を震わせたが、弓矢を持つ手はそのまま間違いなく男を標的にしたままで、緩めることはなかった。
「一体、何をしようとしているんだ、オーロラ」
「祈ってみれば、命乞いをしてみれば良いのです、この人も」
オーロラは男から視線を外さない。
声だけで、茂みから出てきた人間がビクターであることを彼女は既に承知をしていた。
「そうすれば、ジーンがどれだけ苦しんだのか、わかるでしょうから」
「ジーン?」
「ああ、でも」
オーロラは落ち着いていた。ビクターはゆっくりと彼女に近付いていったが、彼を止める言葉を彼女は口にはしなかった。
「あの村の方々は、命乞いをする暇もなかったのでしょうから、そんな間をあげない方が良かったのかしら」
「オーロラ」
「わたくし、あの血溜まりの中で」
ぱきん、とビクターの靴の底に圧されて小さな枝が泣いた。
それとほぼ同時に、ガストンがヘルハウンドと共にこちらに向かってくる、茂みをかき分ける音が遠くから聞こえる。
そこでようやくオーロラは、とてもゆっくりではあったけれど張り詰めていた自分の態勢を崩して腕を下げた。
「助けてくれとは、この男達には言いたくありませんでした。だって」
「オーロラ」
「ジーンは、何度助けてくれと叫んでも、助けてもらえなかったんですもの」
腕をおろしたけれど、オーロラはまだ弓矢をぎゅっと握り締めていた。
その拳がわずかに震えている。
雲の切れ間から覗いた月明かりが、彼女のそれをビクターに知らせていた。
「ジーンって、誰のことなんだい」
「ジーンは」
「うん」
「わたくしの、幼馴染です」
「そうか」
一体どうしたんだ、とガストンがヘルハウンドと共に顔を出した。ビクターとオーロラはそちらをちらりとも見ない。
男が何かをガストンに叫んでいる。その声を聞いて、ああ、これはソニア様も起きてくる騒ぎになってしまいそうだな、とビクターは思った。きっと、オーロラもそれは感知したに違いない。
けれど、オーロラは言葉を続ける。
「とても可愛らしい子でしたの」
「うん」
「まっすぐな銀髪が綺麗で、小さい頃はよく髪を梳いてあげていました」
「うん」
「わたくしには、何の力もなかったので、彼女を守ることは出来ませんでした」
「オーロラ」
「だから、弓を」
オーロラは努めて平静を装うとしていた。けれども、ビクターは彼女を見つめて、思い出す。
ああ、これは。
あのときと同じだ。
きっと彼女は。
ビクターは声で遮る前に、首を軽く横に振ってオーロラの言葉に割り込んだ。
彼にしては大げさ過ぎるその動作は、言葉に出すことは勇気が必要だけど、その勇気を奮い起こす前にオーロラの言葉を止めたい、という気持ちの表れだ。
「あの男は、その子の仇では、ないんだろう?」
いくら鈍い自分でもそれくらいのことはわかる、とビクターは思った。オーロラは答えるまでに時間が必要だったのか、とてもゆっくりとした動きでビクターの方へ体を向け、「はい」と掠れた声で質問に答える。
視線を合わせた時、オーロラの瞬きと共に何かが月明かりに反射をしてのか彼女のまつげに輝きを与えた。
ああ、やっぱりそうなのか。
まっすぐと自分を見据えるオーロラの視線はまるで挑戦的にも見えたけれど、それは本当にビクターに対する挑戦なのではない。
「君が自分の手であの男を殺す必要なんてどこにもないんだし、あの男が命乞いをしたからって」
どうなるものでもない。
ビクターは、自分が今口に出していることなぞオーロラが重々承知しているということに気付いて言葉を止めた。
うまい言葉がその後には何もみつからずに沈黙が続く。オーロラの視線が痛い、と思った。多分、今の自分には、オーロラがどんな言葉を欲しがっているかはわからないし、よしんばわかったとしても、彼女の秘めた期待に応えられる言葉もなにもないのだろう。そう思うことは歯がゆかった。
「すみません、ビクターさん、俺は」
そのとき、ガストンが困惑気味の表情で声をかけてきた。
「異変があれば、すぐ報告をするように義務づけられているんですが・・・」
どうしようか、というお伺いだ。ガストンはオーロラをちらりと見る。
「ああ、ソニア様に報告を」
「報告してくださっても結構ですわ」
ビクターとオーロラの声が重なった。オーロラのその潔さは好ましいけれど、とビクターは一瞬辛そうに瞳を閉じる。
あまり、物知り顔で話をすることも、先輩風を吹かすことも彼はあまり好きではない。軍隊の風紀やら規律などは彼にはよくわからなかったし、そもそもそういうことはソニア同様、性に合わない。
しかし、せめてこれだけは言っておこうと彼は彼に似合わぬ決断をした。自分はオーロラの苦しみやらなにやらはわからないし、何を言えば彼女が苦しまなくてすむのかはさっぱりわからないけれど。
「オーロラ、それを決めるのは君ではないよ。もちろん、俺でもない。君の行動のせいでヘルハウンドがガストンを呼んで来た事実は間違いがないんだから、ガストンは俺達の許可を求める必要だってない」
その言葉を聞くやいなや、ガストンはヘルハウンドに男を見張るようにいいつけて、その場を離れた。
ソニアに報告に行くのだろう、とビクターもオーロラもそれを了解していた。
静かにオーロラは瞳を伏せた。わずかに唇が震えていることにビクターは気付く。
オーロラには申し訳ないことに、見ないふりをするには今夜の月は白すぎる。
わななく唇の間から、ふっ、と息を漏らした瞬間、オーロラは苦渋の表情を浮かべる。
泣くな。涙を流すな。
彼女の意志の声がビクターには聞こえるような気すらした。
あの時に我慢していた分までもが蓄積されていたのか、ついに堪えきれずに彼女の細い肩が大きく震えた。
ビクターが見ている前でようやくその震えを抑えると、オーロラは自分の閉じた瞼をそっと指で抑える。
失礼します、と囁くように呟き、そのまま彼女は動きを止めた。
彼女はそれ以上は何も言い訳もしなかったし自分自身を貶めるようなことも言わなかった。
じわりと瞼の間から漏れた涙は零れるほどではなかったが、完全に止めるには時間が少しかかっているようだった。
見ているのも失礼だな、とビクターはその場を離れようとした。ガストンのもとへ行こうと足を動かした瞬間、オーロラがぴくりと反応したことに彼は気付く。
「・・・いた方が、いいのかな?」
困惑気味にビクターはそう言った。
「いえ・・・お引止めしたかったわけでは、ありません」
聡い女性だな、と今まで幾度か思っていたことを改めてビクターは再認識した。
この人は一人でまた堪えるのだろう。自分は慰める言葉も腕も持っていないし、女性が泣いているから胸を貸す、なんて照れくさいことは出来ない。だから、ここにいるには申し訳なさ過ぎる。彼なりにそう思ってのことだった。
「わたくしが天幕を出るところを、見ていらしたんですね。どうして追いかけて来てくださったんですか?」
「・・・いや・・・」
「なんとなく、ですか?」
「・・・ああ、そうだね」
見張り番の務めだから、なんていうことを言うつもりはビクターにはなかった。
オーロラは口元だけで微笑み、瞳を閉じたままで少しだけ首を傾げて言った。
「ビクターさんの・・・なんとなくには、助けられっぱなしですわ・・・」
「ちょっとは助かってるの、本当に」
「ええ」
その頷きが本当なのかどうかはビクターに確認する術はなかったし、まあ、どちらでもいいと彼は思った。
少なくともきっと今は、どういう形にせよ自分は彼女に手を差し伸べられたのだろう、と「なんとなく」ビクターは感じている。
何をどういう風に、と問われても返事は出来ないが、答えはきっとオーロラが知っている。
「わたくし」
「うん」
「殺すつもりなんか、ありませんでしたのに・・・手が、震えていました」
ビクターは、これもまたなんと返してよいのかわからなかった。
わからなかったけれど、自分からの余計な言葉は、今のこの人にはいらないのではないかとふと思って。
「もう、大丈夫だから」
白い柔らかなオーロラの手にそっと触れて、ビクターは自分の大きな右手で軽く握り締めた。
自分の手の中にある、その女性らしい手が今震えているのは、違う理由だ。
殺すつもりはなかったと彼女は言っているけれど、一歩間違えればきっとあの男を殺めてしまっていたかもしれない。もう、そんな心配はないのだ、という言葉を与えることは彼にはなかなか出来なかったけれど、心だけはほんのわずかでも伝えたいと思った。
異性の手を握る気恥ずかしさや、大人になれば多少感じる性的な感情はそこにはない。
体の触れる部分から、気持ちが届けば良いのに。そんなことを思う柄でもないとわかっていたが、ビクターは気持ちをこめてその手を握った。
オーロラはぽつりと掠れた声で「恐かったんです」と呟いた。彼女の言う「恐い」が何に対する畏れだったのだろう?ビクターは、うなだれるオーロラをただ見つめていた。

一通りの事の顛末をオーロラはソニアに話さなければいけなかった。
口にすることは勇気が必要ではあったが、それは自分の役目であると奮い立たせ、自分が行ったことを簡潔に伝えようとした。
ソニアは他に誰一人、そう、ランスロットですら天幕にいれずに、根気強くオーロラの話を聞いた。
彼女は怒らなかったし、説教くさいことも言わなかった。ただ、「そうか。後でガストンに謝ってこい」と言うだけだった。それが、オーロラには堪えた。
ソニアから、あの男達の処分についての簡単な説明があった。それは、ビクターがランスロットから聞いた内容となんら変わりがないものであった。話が終わると、とりあえず今日は寝ろ、とソニアはオーロラに退出を促した。だが、オーロラは天幕で向かい合って座った状態のままで、出て行こうとはしなかった。
「あの集落の人々を殺す必要が彼らにはあったのでしょうか。略奪が目的ならば、納税のためならば、彼らを生かしておいて、また後々略奪の対象にするほうが良いとわたくしには思えるのです。男達は面が割れると困る、と言っていましたけれど、それよりずっと・・・だから、わたくしはそのことを問いただそうと思ったのです」
だって、そうやってジーンは殺されてしまったんですもの。
その言葉は、ない。
「ああ、簡単なことだ」
ソニアはううんとのびをしながら、いささか呑気すぎる口調でオーロラに答えた。
「やつらは、ただ、そういうやり方が好きなだけだ」
「だったら野放しには尚のこと」
「じゃあ、あたしが許可したらオーロラはやつらを殺すのか、矢をつきつけてさ、さっきはそこまではしたんだろ」
ソニアのその問い掛けにオーロラは黙り込んだ。
そうではない。そういうことではない。自分が先ほどあの男に矢を向けた時だって、命を奪う覚悟があったわけではない。
それでも震えた手。
取り返しがつかないことをしそうになった手。
オーロラは胸元で自分の手をそっと抱いて、一瞬ビクターの手のぬくもりを思い出した。それも、ほんの一瞬だ。
何かいい案はないか、とソニアもウォーレンも一所懸命頭をひねってくれたに違いない。それで出た結論なのだから、自分ごときが口を挟むことではないとオーロラは重々わかっていた。それでも、ビクターと同じように仕様がない繰言を口にしてしまうのだ。
いつも利発な彼女がついつい意味がないそういったことを口にするのは、やはり、過去のことがあるからなのだろうとソニアは思っていた。人は誰でも捕われる過去がある。もちろん自分も。それでも、オーロラを傷つけないままにこの話は終わらないのだろう、と、目の前でうつむく彼女をみつめていた。
「申し訳ございません。出過ぎたことを」
「・・・いや。いいよ。でもさ、あたし達がやろうとしてることは、そういうことだ。話し合いでもなんでも解決できなくて、何かいい案はないかと必死に頭を捻ったけど、悩んだ時間の分だけ事態は悪化していく。そして結局」
何のことを言っているのか、ソニアの話が一瞬オーロラにはわからなくなった。
不安げにソニアをみつめるオーロラの眉間にしわが軽く寄せられる。
「反乱軍として武器を持って立った。それは、自分達が行うことで誰かの生き死にが関わってくる方法を選んだってことだ。あたし達は、罪人じゃない相手をこの先殺し続けるんだよ。大儀とかゆーお偉い名目のもとでね。あの男達を、正義とかゆー名目で殺してしまうことだってもちろん出来るし、多分それが一番てっとり早い。だって、裁かれない罪人達を裁かない制裁者のもとに連れていったってしかたない。野に放したってしかたない。人間を更生させるのには手間暇がかかる。誰もそんなこと悠長にやれるもんじゃない・・・。そしたら、もう、本当はひとつしか手段はないだろう?殺せばいーんだ、殺せば」
オーロラは唇を噛み締めた。
「けれど、ソニア様達は、あの男達を殺さないことをお選びになりましたわ」
「だね」
「反乱軍が罪人を殺したという噂を立てられるのが怖いからといって、そこいらにあの男達を捨ててくるのは、新たな悲劇の種を蒔いてくるのと同じことなのに」
「だって」
ソニアは軽く肩をすくめる。
「オーロラは、あの男達を殺すことが最善策だと思うのか」
「そうではありません。そうでは・・・けれど、それに値するほどの罪は犯しているのではないかとは思います」
「うん」
「彼らを放置してしまっては、また新しい罪を」
「略奪したものをさ、持ち帰ることが難しいほどに遠い、どーにもならない場所に置いていかれたら、あいつらはどーすると思う?やっぱり略奪を繰り返すか?山の頂上とかでも」
「山の頂上・・・」
「ふもとに下りるまで生きていれば運が強いんだろうな。うまくいきゃ4,5日、下手すれば10日かかる。見たところ、あいつらは魔獣を扱えるような技量はなさそうだし、野生の魔獣をてなずけられるのはビーストマスターしか出来ない」
オーロラは言葉を失って、黙ってソニアを見つめていた。
「ジャンセニア地方には、ギルバルドと魔獣なしで乗り込むことになっちゃうから、ちょっとこっちとしても厳しいんだけど・・・。だから、期限は長くて10日、短くて4,5日。誰が見張ることもなく自然があいつらを見張っていてくれるだろうさ。あたし達は色んな意味で急ぐ必要が出てきたってことだ」
オーロラは何か納得が出来ないらしい複雑な表情を見せる。ああ、何を言っても多分彼女は納得してくれないんだろうな、とソニアは察していた。無理なことだとわかっていながら、オーロラはきっと100点満点の答えを聞きたいのだ。
ソニア達が出来る限りのことは、どんなに金を使っても人を使ってもよくて60点。それでも、その60点ぴったりのことは出来ない。50点。残りの10点は自然に任せるしかない。それがオーロラには歯がゆいのだということはソニアにもわかる。
「あのね。もしも、あたしが命令をして、あの男達を殺せつったら、オーロラは殺せるか?」
「・・・」
略奪を行う人間は許せないと思い続けていた。それは、帝国の人間だろうが、ゼノビアの人間であろうが。それでも。
オーロラはうなだれた。
自分はそんなお優しい人間ではない。あの男達が裁かれることを期待して、そして、誰かがその判決を下して誰かがその手で罰を与えることを願っている。それは優しさではなく、自分の手を汚す覚悟が出来ていない惰弱な人間の思考だ。
その「誰か」が今は帝国であり、そして腐敗しているから、代わりの「誰か」を立てるためにオーロラは反乱軍に身を投じたのだ。
オーロラは首を横にふった。
「オーロラは、帝国が嫌いか」
「・・・はい」
「じゃ、ゼノビアが復興すればいいと思っているのか」
「・・・いいえ、そういうわけではありません」
「どうしてここにいるんだ」
「略奪を繰り返すあの男達を、正しく裁いて罰することが出来る、あのような暴行を見逃さずにも済むように。あんな風に・・・クライブさんやハールーンのように、そして、わたしの村の人や、友達のように、理不尽な略奪をなくすために。待っていました。いつか、そうなるのではないかと。自分達がこの大陸の端に生きているから、未だに正しいまつりごとが届かないだけで、いつかはそうなるのでは、と。でも、待てどくらせどその日は来ません。だから、わたしは、どんな形でもいい、誰かに、正しいまつりごとをしてもらうために」
そこまで口に出して、オーロラははっと気がついてまばたきを止めた。
今、自分は何といったのだろう?
正しいまつりごとをしてもらうために?
だから、それは一体誰だというのだろう?
ソニアをまっすぐ見つめると、反乱軍リーダーになってまだ間もない、それでも間違いなく他の誰よりも今この軍を率いることに長ける少女はゆっくりと答える。
「それは、あたしがやることじゃない。オーロラが求めているものは、あたしの仕事が終わった後のことだ」
「でも」
「あの男達への処分に対して、あたしが消極的だと思っているかもしれないけど。武器を持つ手ってのは」
少しだけ照れくさそうに、ソニアは鼻の頭にしわを寄せながら、ぽつりぽつりと呟いた。
「保身や護身の役に立つ。敵を倒す力になる。でも、それ以外の人たちを傷つける可能性も持つってことなんだ。あの男達がいい例だろ。武器を持つ人間と持たない人間では、いつだって持たない人間が組み敷かれる。力があることが正しいわけでも偉いわけでもないのにね。ちょっと間違えばあたし達だってあいつらみたいに思い上がることになるかもしれないんだよ」
「そんな・・・」
「で、そういう力をあたし達は道具として使って、帝国を打ち倒そうとしているわけだ。力をあたし達はつけたいけれど、正しく力を持つためには、あーゆーヤツラみたいになっちゃいけないわけで・・・。力を持たない人達を傷つけないようにしないといけない。なのにさ、あたし達がそうしようと努力しよーとしたって、戦なんてものを発生させてるってだけで誰かしらとばっちりが来るってもんだ」
確かにそうだけれど。そう反論しようとしても、その先がうまく言葉に出来ずにオーロラは押し黙った。ソニアがこんなにたくさんのことを彼女に話すことは初めてだったので面食らっているのも事実ではあった。
「あたし達が戦いを起こすことで、多少の余波が広がって、そのせいで一時的に食糧が調達出来ない人がいたり、帝国側が軍事力もっとつけるために税の取り立て厳しくしたりとかって、あり得るわけでさ・・・」
「あ・・・」
不意をつかれた、とオーロラは思う。ソニアの言葉は、オーロラを初めとした、反乱軍に入軍希望をする者が、多分未だに考えたこともない話だった。
反乱軍の行軍は始まったばかりだから、そこまでの影響はまだないが、この先の道のりを考えれば戦による影響はどんどん大きくなっていくかもしれない。自分がこの軍にいて、そして帝国に抗おうとするが故に、どこかで誰かがその余波をうけて辛い思いをする可能性だってあるのだ。それは、とても当たり前の事実だったのに考えが及ばなかったとオーロラは愕然とした。
「残念ながら、今の反乱軍は、それ以外の人達までを守る力なんてない。それらは、全てが終わった後のまつりごとが作り出すものじゃないかってあたしは思ってるんだ。あの男達を正しく裁く、とか、あの村の人達を守る、とか、そういうことは、二の次とまではいわないけど、オーロラが望むほどのことは出来ないんだよ。あたし達は、そういう人達に対しては、ものすごく不本意ではあるけど、片目をつぶっておかないといけないんだ」
「ソニア様・・・」
「オーロラも、考え直した方がいい。この先、ここにいることが一体どういうことなのかを。あたし達が選んだ道はまだ歩き出したばかりで、この先は長い。今オーロラが本当に必要としていることは、その長い時間をかけてなした後に行われることだ。その時に自分は何をすべきなのか、何をしたかったのかを後悔しないように、考えた方がいいよ。その上でここにいたいならいればいい」
「ソニア様」
「本当はね。オーロラのようなことを考えられる人が・・・普通に暮らしている立場の痛みを知ってる人が、こうやって、反乱軍にいて、人の生き死にとかを見てくれた方が・・・色んな人たちの痛みを知っている人が、あたしの仕事の後に立つことが一番いいんだ。そういうのを知らない人間が上に立つと、今のこの大陸みたいなことになるんだもん。だけど、ものすごく時間がかかることだから、疲れちゃうとは思うんだよね。あたしは考えてないよ、オーロラみたいにさ。この軍の目標を達した後のまつりごとなんかのことは。この世界が今必要としているのは、反乱軍リーダーである、あたしなんだ。そうでなくなった後の事なんて・・・あたしには、考える必要はないから」
ぽつりと漏らしたその言葉は、ソニアの本音だったに違いない。最後の方はほとんど独り言に近くもごもごと飲み込んでいたけれど、オーロラには聞こえた。
それが、未だにランスロットにすら言ったことがないことだとまでは、オーロラにはわかるはずもなかったけれど。

ソニアから解放されてからオーロラは、ビクターとガストンに謝罪をしていなかったことに気付き、まったく、ここ数日謝りっぱなしだ、と自分の未熟さに恥じ入っていた。
ビクターは夜番交代の時間が来ていたため、既に他の兵士と見張りを交代していた。気がつけば月はかなりの傾きを見せて、夜の時間があまり残っていないことをみなに知らせていた。
ならば、彼への謝罪は明日になるかと思いつつガストンのもとに行くと、「ビクターさんならさっき川の方で姿を見かけたけど」と気のいい青年は教えてくれた。
行かないほうが、良いだろうか。少しばかりそう思ったが、ガストンに丁寧におやすみの挨拶をして、オーロラは川に向かった。
探すのに手間取るかとも思ったが、その心配はまったく無用だったらしく、川に出る獣道を踏み分けていくとすぐにビクターの姿が見えた。彼は腰を下ろして何か物思いにふけっていたようだ。
「あれ、まだ寝なかったのか」
オーロラが声をかけるよりも早く、ビクターは彼女を見つけた声をかけてきた。
「はい。ようやくソニア様からお許しをいただけました。それで、また、ビクターさんに謝っていなかったかと思って」
それに似た内容は朝も聞いた気がした。ビクターは小さく笑って
「いいよ。うん。それは・・・。なんだか、オーロラに謝って欲しくない」
「・・・呆れられたんですわね。気分を害することをしてしまって、申し訳・・・」
「いいから。早く寝ないと明日に響くだろ」
「ビクターさんも」
確かにそうだ。ビクターは照れくさそうに口元は笑っているけれど眉はひそめている、という妙な表情でオーロラを見上げた。
「水の音は、なんだかいいね。俺は海側に生まれたものだから」
「そうなんですか」
「うん」
「そういえば、ビクターさんのお生まれとかも存じ上げませんでした」
「俺もオーロラのことは、知らないよ・・・寒くないのか」
「ええ、寒くありません」
「ソニア様には怒られたのかい?」
「いえ・・・」
問いかけるということは、会話をする意思があるということだ。
オーロラはビクターの隣に腰をおろして、ソニアとの会話をかいつまんでビクターに話した。あの男達の処分についてはどこまでをソニアが公にするのかが判断できなかったため、それについてはまったく触れなかったが。
オーロラの言葉は多くなかった。その話をしたくて来たのかと思われるほど簡潔にまとめられていた。
けれど、多分そうではないんだとビクターは思う。以前は自分も、オーロラのような人間を、聡明な人、頭の回転が早い人、と思っていた。しかし、ここ数日で実はそればかりではないと彼は何度も感じていた。
なんて、この人は不器用なんだろう。もっと肩の力を抜けばいいのに。
「ビクターさんは、どうして反乱軍に?」
月明かりの中に見える川面は、ゆらゆらと揺れるたびに小さなうねりのところどころがきらきらとわずかな光を放つ。
小川の淵に腰をおろした二人は、ほんの一日前にこうして並んで食器を洗っていたことが相当な過去のように思えるほどに、お互いの距離の変化を勘付いていた。
まったく知らなかった人の、まったく知らなかった過去。
それを明かしてしまったことで、愛情とか友情とか、そういった言葉とはまた違う、よくわからないけれど「近付いた」感触をオーロラがビクターに感じていたことは事実だ。また、彼の方も、少なからず彼女を見る目が変わったことは間違いがない。
「わたしだけ、何も知らないなんて、なんだかずるいですわ」
そう言ってオーロラは静かな視線をビクターに送った。
「俺は、ソニア様に普通に雇われたんだ。傭兵の斡旋所でヘンドリクセンと一緒にね」
「そうなんですの・・・ソニア様に直接雇われたなんて、そんなこともあるんですのね」
「それから、ずっと一緒に旅をしてきた。前は、ソニア様が俺たちに飯を作ってくれたんだ」
「ソニア様、皮むきがとてもお上手でびっくりしました。助かりましたわ」
「俺は、志やらなにやらはそんなになかったし、オーロラみたいに・・・この国に対する不満も、領主に対する不満もあまりなかったな。ソニア様についてきて、ようやくこの大陸のありようが見えるようになったくらいだし」
それは少なからず恥ずべきことだとビクターは思う。
「あのままシャロームにいたら、きっと、傭兵稼業を続けても、パラディンになろう、なんて思わなかっただろうし」
「ビクターさんは、やっぱりパラディンになられるのですね」
「ああ・・・オーロラは、ヴァルキリーになるんだろう?素質がありそうだって、この前ランスロット様が言ってたよ」
「・・・わたくし」
オーロラはそこで言葉を止めた。唇を引き締めて、とても神経を使って言葉を発したようにビクターには見えた。
「今、まだ、決められません・・・このままここにいるのかどうかも」
「ええっ!?」
驚きでビクターは声をあげる。それから、自分があげた声の大きさにまたびっくりして、周囲を見回した。我ながら間抜けだと彼は自嘲気味に溜息をつく。少し恥ずかしそうにビクターは膝を抱えた。男性が膝を抱える姿というものは、なんだか可愛らしい。その一連の様子を見て少しだけオーロラは表情を緩和した。
お伺いを立てるようにオーロラの顔を覗き込んでビクターは聞く。
「恐くなったのかい?昨日今日とかのことで・・・」
「ヴァルキリーになるつもりでした。それが一番、反乱軍のお役に立てるのではないかと」
オーロラは瞳をふせた。ビクターの耳には緩やかな川の音、森の夜の音が密かに入り込み、ビクターの瞳にはオーロラの横顔だけが強く飛び込んでくる。
まいったな。
気になって気になって、しょうがない。彼女が何を思って、何を言うのか。ビクターはそれに気づいて小さく溜息をついた。それと同時にオーロラから、彼女の心境を垣間見ることが出来る言葉が出てくる。
「戦で弓を引くことは、恐れなくなりました。初めは、人を傷つけることが恐くて、それもままならなかったのですが」
それは、誰でもそうだろう。ビクターだってそうだ。人を傷つけるということに抵抗感はあったし、恐ろしくて足がすくんで震えた少年期を彼は思い出す。
「今は、平気になりました。でも、それは、戦の大義名分が自分の後ろにあると思っているからですのね」
「大義名分」
「さっき、あの男に向かって矢をつがえた時は、それがなかった。だって、わたくしにはあの男を裁く権利なんてありませんし、誰から許可を得ることもありませんでしたし。恐いと思いました。それは、あそこにいたわたくしは、反乱軍という後ろ盾なんて何もない、ただのわたくしでしたから」
「・・・」
「でも、手が震えて、ふとしたはずみで、矢を放ちそうになってしまって。あそこでビクターさんが来てくださらなかったらもしかしてわたくし」
「オーロラ、もう、いいよ」
突然ビクターは言葉を遮ろうとした。
「わたくしは、武器を手にして、誰かを傷つける力をもてるような人間ではないんです」
「オーロラ」
「だって、恐かったんですもの。自分ひとりの、何の肩書きもない自分の判断で、あの男を殺めそうになった、あの時、恐くて、矢を放ちそうで、動けなかったんですもの」
そう言って、オーロラは突然、わあ、と泣き出した。泣く前兆は、ビクターにはわかっていた。何度も何度も見ていた、耐え続ける彼女の表情は、悲しいことにビクターの記憶の中に鮮明に覚えこまれていたからだ。
いつも冷静な彼女が、今、声をあげて泣いている。両手で顔を覆っていても、肩がひくひくと上下をし、「うっ」と何度も声ともつかぬ音をもらしていた。突然発されたその感情に戸惑いつつも、ビクターは彼女の背を軽く二回叩いてあげた。
「ごめんなさい・・・」
「謝らなくていいってば」
「ごめんなさい・・・」
「だから・・・」
と、言葉を続けようとしてビクターは黙った。本当に彼女は自分に対して謝っているのだろうか?
「命を守るということは」
「うん」
「なんて、難しいことなんでしょうね。生まれる方法はひとつなのに、人が死ぬ方法はたくさんあるんですもの。しかも、自分が、命を奪う力を持ってるなんて、考えたことなんてありませんでしたわ」
そう言って、オーロラはしゃくりあげた。
繰り返し何度もしゃくりあげて一向に泣きやまなかったけれど、泣くのはやめろ、と決して彼は言わなかった。
この人は一体、今まで何度泣きたかったのだろうか。
人の心の傷も、目で見えればいいのに。
そんな思いがぽっかりと心の中で浮いてきて、ビクターはぽんぽん、ともう二回だけ彼女の背を叩いた。叩いた背が寒さのため冷たくなっていることに気付いて、柄にもなくそっと彼はオーロラの肩を抱いた。
ごめんなさい、ともう一度呟いて、オーロラは軽くビクターにもたれかかった。
もともとあまり暗くなかった夜の空の色が、朝の近付きを彼らに教えるようにわずかにその色を更に薄めていこうとしている。少しでも眠って、そして目覚めたら。
泣いた分だけ、彼女の心が軽くなることを、ビクターはまたも柄にもなく祈って、彼女の肩の冷たさを感じていた。


Fin


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モドル

ソニアが本文中で言っていますが、「ものすごい時間がかかることだから、疲れちゃう」わけで。この先の本編のオーロラがどーなっていくのかはまたそちらで。
聡い女性には聡い男性は似合わないと思うのですが、どーでしょう?