魔縁との対峙-1-

カオスゲートの封印が弱まっていることを確認したソニア達は、マラノ近辺と兵力を分断したままでアンタンジル城方面へ向かった。長く連なる山々を越えればアンタンジル城に続く平原に出るはずだ。
山というものはある程度の大きさであれば地図を分断するもの、土地と土地を隔てて、文化すら隔てるものになり得る。
昔の人々はそれを越える手段をもたなかったがゆえに、山のこちら側とあちら側では、まったく異なる生活の営みが送られていた頃もあっただろう。
しかし、反乱軍が今目の前にしている山々が分断しているものは、そういった事柄ではなかった。
山のあちら側とこちら側。それは、「封印」されている側としている側。
それに対しては誰もが理解に苦しんでいた。
が、山沿いの都市・教会に住まう人々はみな、山のあちら側は「封印をされている」と知っていて、まるでそれが当然のように簡単に言葉にするし、「我々は封印の祈りを捧げている」とこれまた当然のように語る。そのことは彼らの日常にあってしかるべきことなのだろうか。
シャロームを離れてからとても長い距離の旅をしてきたが、それにしても。
天空に行った時よりも、なんだか異質な場所に来たようだ、とソニアは浮かない顔をしていた。
彼らは山の手前の貿易都市近くで野営を行っていた。
確かにアンタンジルには、オウガバトルの時代に魔界の将軍として暴れていた悪魔、暗黒のガルフが封印されている。
悪魔といわれてもぴんとこない反乱軍の面々に。デーモンと呼ばれる者たちとは何度も交戦しただろうが、それの桁外れ版だ、とフェンリルとユーシスは説明した。
ソニア達が得た情報では、アンタリア大地近くのカオスゲートと、アンタンジルで魔力を奪われたガルフのどちらに対しても封印の儀式を25年前から行っていないとのことだった。しかし、いまだ、封印は破られていない。
ソニアは「封印の儀式」というものについては無知であったため、サラディンに恐る恐る聞いてみた。
博識の妖術士はとうとうとソニアに語ってくれたのだが、しばらく聞いていたソニアの眉間にゆっくりではあるが確実にシワがよっていくのを見て、ついに不本意な説明に切り替えることになる。
「封印のために祈りを捧げる人々の、なんというか、持続力を高めるために、儀式をやってだな、よし、またこれから頑張ろう、と思わせるものだ」
その、「祈りを捧げる」ということもよくわからないが、とりあえずそれは気にせず、理解出来そうな部分だけをかいつまもうとソニアは努めた。
「ああ、なんだ、士気を高めるみたいなものか!」
「うむ、そう言ったほうが良いかもしれない・・・毎年施さねばならない儀式というものは、大方そういう意味合いを持つ。それを行わなければすぐに破れてしまう、なんていう期限つきの封印で、人の手に委ねるなぞあまりに危険が大きすぎるだろうし」
「なるほど」
新たに仲間になったユーシスは何かをいいたそうにサラディンを見ていたが、それには反論せずに静かに聞いているだけだ。
また、口には出さないものの、ソニアの隣にいたランスロットは明らかに「サラディン殿はソニア殿の扱いがお上手だ」などと思っているに違いない。その点については既にある意味ウォーレンやランスロットの上を行っているのではないか。
サラディンの説明は間違っていないけれど、大正解でもない。それは知識がないランスロットでもわかる。
今、オーロラの部隊とガストンの部隊を近くの都市に派遣して、様子見をしてもらっている。
その間に彼らはサラディンやユーシス、フェンリル達に、悪魔と人間が戦った時代について、ガルフが封印されたいきさつについてなど、複雑に絡まっている、自分達の力では手におえない事柄について頭に叩き込もうとしていたわけだ。
「一体ガルフはどういう状態になってるのでしょうか?」
ノルンはフェンリルに尋ねた。
悪魔と呼ばれる者の名を口に出すことすら歓迎しない、という表情だ。
彼女のそんな生真面目さは結構好きだな、とソニアは思う。
「封印というものはいくつか種類があるのだけれど、わたし達はまずガルフの魔力を奪った。その後の封印をほどこしたのは天の父。そして、その封印の維持は人々の祈りによってなされる」
これまたフェンリルの言葉はわからないことだらけで、何をどう質問していいのかその場の人間はお互いに困ったように視線を投げかけあう。少しばかり間をおいてから、次はランスロットが問い掛けた。
「アンタリア大地の西のカオスゲートの封印と、ガルフの封印は同じものなのでしょうか?」
「そうであってそうではない」
フェンリルは首を横にふる。
「けれども密接な関係をもつ。ラシュディは多分あのカオスゲートを使用するために、25年前に封印の儀式を止めさせたのだと思う。そして、それが同時にガルフへの封印をも弱めることになると知っていたのではないかな」
「どうしてガルフへの封印も・・・うーん、その、同じだけど同じじゃないって意味がわかりません」
拗ねたようにソニアはそう言った。イメージの世界で物事を納得することなぞなかなか出来ないものだ。
「人は本来カオスゲートに封印を行う必要なぞない。今までソニアが使ったカオスゲートもそうだったでしょう」
「はい」
「何故、この地のカオスゲートも封印の儀式を適用していたか」
フェンリルはそう言ってユーシスに視線を送った。
それに気付いた一同は一斉にユーシスを見る。
「天の助けを求めることなく、人が人の力で正しく悪魔を封じるために」
ユーシスの声はか細いけれども、みなの耳に素直に入ってくる心地よさを持っている。
「人々の心の強さを試すため・・・ガルフを封じれば、また、同時にカオスゲートをも封じられ、天空の三騎士の力を借りることも出来なくなります。人の心は弱いものです。封印を緩めてたらそれはそれで、カオスゲートが開きますから、天空の三騎士が助けてくれるのではないかとつい思ってしまうことでしょう。天の父は人にその誘惑に打ち勝つことを課しました。それが、この地域が強いられた大きな使命なのです」
「なんで、人を試そうとするんだ」
「天の者達は魔界と通じようとはしませんし、よほどのことがない限り下界に対しての干渉もいたしません。混沌の戦が起こる時は、必ず人が人であるがゆえの欲望から。それに打ち勝つことが出来る意志を人々が持ち得ることを、父は願っているのです」
「人が人であるがゆえの欲望」
ノルンがぽつりと呟いた。
ユーシスの言葉はどことなく安っぽい、宗教家が使い古したような言葉にソニアには思えた。が、そうやって自分に身近な聖職者の口から繰り返されると、心に深く染みる気がする。
わずか数秒の合間に「何故だろう?」と自分にソニアは問い掛けた。その違いは「実感」なのだろうと思った。
天使の目からみた人と、人の目からみた人。
同じものを指していても視点が違えば感覚も、口から出た言葉の重みも違う。たとえユーシスの方が天使ゆえによりいっそう「人」について深く憂えていたとしても、聞いた言葉をただ繰り返しただけのノルンの呟きが、ソニアの心の中では多くの想像を引き出しつつ響くのだ。
まいったな。自分の、天使に対する不信感はどうも根深いぞ。
ソニアは困惑の表情を浮かべつつ、軽く首を傾げた。
「試そうとしている、という言葉は多分違う」
フェンリルは無表情でユーシスの言葉を遮った。
「本当は、天の父も、信じたいのだと思う。もちろん、それはわたし達には理解が出来ない次元なのだけど」
ソニアは、フェンリルに対して口走ろうとした言葉を飲み込む。
ではどうしてフェンリル様は罪人となってオルガナに。
むしろ、フェンリル様こそが人を信じた人ではないですか。
それを今言ってどうする。
手厳しく冷たい視線を投げつけて、きっとこの美しい女剣士はソニアに言い放つのだろう。
本当はそれに対して対抗する言葉はソニアの胸のうちには既に用意されていた。
今試されている自分がそれを聞こうとして何がおかしい。むしろ自然ではないか、と。
けれども、結局ソニアは言葉にせず、肩をすくめて黙るだけだ。
理解が出来ない次元だとフェンリルは言った。まったくその通りなのだと思う。ソニアには天使の道理だってわかるはずもないのだから、またその上の統率者の思惑なんて理解が出来るはずがない。
そうであれば余計、フェンリルがもともとはただの人であったのだと思えて、妙な親近感を抱くのだった。

世間話にも似たその話し合いが終わってほどなく、ガストン隊が戻ってきた。
連絡をうけたソニアは悩んだ末に、トリスタン・サラディン・ランスロットの三名を再度天幕に呼び寄せてガストンの報告を聞いた。
このあたりの人々は思いのほか状況に詳しく、アンタンジル城にいるガルフのこと、封印のこと、果ては魔導師ラシュディのことすら当然のように彼らに話してくれたという。
ラシュディがガルフに対してなんらかのアプローチを行っていることすら人々は知っているようだ。
まいったな、とソニアは苦笑を見せた。
自分達が進軍してくる中でわずかずつわずかずつ手に入れてきたラシュディの動き。それがここではあまりにあっさりとした情報で手に入る。
ラシュディは自分がやろうとしていることを隠そうとか、騙そうとかいう意思がまったくないのではなかろうか。
それは奇妙な自信にも思えたし、そう思うことがラシュディの思うところではないのかという無意味な疑心暗鬼が頭を掠める。何かにつけてやり辛い相手だと感じる。
「ラシュディがキャターズアイを持っているということまで、話題になっているか・・・」
ガストンはもちろんのこと、トリスタン・ランスロット・サラディンの前でソニアは眉間にしわを寄せた。
「ちょっと、考え事。待っててくれ」
早口でそういうと、ソニアは瞳を閉じる。
キャターズアイという単語は、ユーシスの姉であるミザールの存在を思い描かせる。
それが癇に障る。
元来ソニアは個人的な感情を抑える術をそうそう知っているわけではなく、時にはそれが癇癪に、時にはそれが声高の主張にと形を変えてきたわけだ。
それでも、行軍と共に多少なりと彼女は成長をしていたし、リーダーである自覚が以前にも増してきた今となっては前よりかなり感情の制御は出来るようになったと自分でも思える。
それでも、こうやって時折。
誰にぶつけようもない物事への感情が、大きな波になって自分の何かを動かそうとする。
それを耐えるために、ソニアは瞳を閉じる。
考えてはいない。
考えてはいけないのだ。
人々に聞こえない程度に押し殺した、それでも間違いなくゆるやかに深く行われる呼吸。
吐き出す息は細く、けれどもそれを押し出すために支える力は強く。
息を出し切ってから、ソニアは瞳を開けた。
「・・・急ぎ、アンタンジルへ向かう。我々がここにいることをラシュディが知らないとは思えない。早いに越したことはないだろう。こちらにはスルスト様・フェンリル様、それにユーシスもいる。封印されて力を取り戻していないガルフを、さっさとまた封印しちゃおう」
トリスタンが仲間になってからというもの、一人で決断を急がないようにと気を使っていたソニアではあったが、きっぱりとそう言った。異を唱えるものは誰一人いない。
が、照れくさそうに
「まあ、その、スルスト様は、眠りの周期に入ってまだ寝てるみたいだけど」
「・・・そろそろ、フェンリル様に起こしてもらうと良いな」
ランスロットは苦笑を見せた。眠りの周期に入ったスルストを起こすことが出来るのはフェンリルだけだ。
心の中では「その瞬間を見たいものだ」と好奇心がむくむくと首をもたげるが、きっと見れば後悔するような光景に違いない。
「だな。ランスロット、頼んでおいてくれるか」
「わかった」
腕ずくで起こすか、言葉一つで起こすか、そのどちらかなのだろうと予想しつつ、ランスロットは頷いた。
「それから、シャングリラの移動状態に変化がないのかを、わかる範囲で確認しておいてくれ」
「承知した」
「寄り道をしているうちに、その、シャングリラとやらがゼノビアに到達してしまっては困るからね」
ようやくそういった諸々の事情を理解し始めたトリスタンがそう言った。
それへはソニアは曖昧な表情を見せて「そうですね、ええ」と答えるだけだった。

キャターズアイという石は、ドュルーダと呼ばれた賢者の魔力を封じ込めた宝石だと言われている。
彼は白き魔道と呼ばれる神聖魔法をその優れた能力で極め、さらに上の極みを望んだために黒き魔道、暗黒魔法に足を踏み入れた。
ドュルーダが暗黒魔法に手を染める前に止めることは誰にも出来ず、強大な力の「質」に変化が起きたことで、ドュルーダが道を踏み外したことに当時のほかの賢者達−十二使徒と呼ばれる者たち−は気付いた。
すなわち、ドュルーダの魔力は既に黒き力を手に入れており、あまりに優れたその能力を封印したキャターズアイは、白き魔道の力も、また、黒き魔道の力をも持つことになった。
たとえば天使達がその力を解放すれば極めて強大な神聖魔法を行使することが出来るであろうし、悪魔がその力を持てば強大な暗黒魔法を行使することが出来る。
そしてまた、黒き力に対する飽くなきドュルーダの欲求は、魔界の神たちとの交信能力を彼に備えることになった。
キャターズアイは彼の魔力すべて、すなわち、魔界の神との契約を可能にする力を持ち主にもたらすものだ。
そのキャターズアイを天界から持ち出した人物は、ユーシスの姉であり天使長たるミザールだ。
ミザールの手からキャターズアイはラシュディのもとへと渡っていったことは事実らしい。
ラシュディの最終目的はまだソニア達にはわからない。
が、ラシュディ自身はキャターズアイを何らかの用途で使ったわけではなさそうだ。
(封印をゆるめ、ガルフを微妙な形で復活をさせて・・・ラシュディの力ならば、封印を完全に解くほどのことも出来るのかもしれないのに、そうはしない。それは、ガルフとなんらかの取引をする必要があるから、ガルフをあくまでもラシュディの下僕とする必要があるからだ。封印を解いてやる、と申し出るだけで済むんだろうか?もしキャターズアイをガルフに渡すんだとしたら?いや、それじゃあ、ガルフは力をつけすぎることになるから、そんなわけはない)
ラシュディがガルフに対してキャターズアイをそのまま渡すなんていう危険なことをするわけがないと思う。
様様な事象に対して納得がいかない。
ランスロットに編成を頼んで、ソニア自身は珍しく天幕の中で考え事を続けていた。
出陣をする直前まで彼女がこもっていることは珍しい。
いつでもソニアは人々の前に姿を現して「準備はどーだ」とか「後を頼んだぞ」とか「魔獣の状態は」とか、ランスロットに頼めばいいような声かけでも、自分がしなければ落ち着かない。
それも、この深い物思いには勝てなかったようだ。
ユーシスを仲間に入れる前からソニアの心の中ではミザールのことがひっかかって、どうも気分が晴れない。
ミザールのこと、それはすなわち、ソニアにとっては会ったこともない「天の父」とやらのことでもあった。
がやがやと人々が行き交う音がほんのわずかに耳に入ってきた。
厚手で目の細かい布の上に獣の皮を重ねた天幕は出入り口以外は窓がない。
野営の度に作る天幕もいくつか種類があって、ソニアが皆を集めて話をする時は、もっとも音の漏れにくい天幕に集まることが常だった。
しかし、それ以外の場合は、ソニアは音が少ない天幕を嫌い、比較的簡易な布張り天幕に身を置くことが多かった。
(以前ムスペルムでスルストに用意された部屋も、音が少ないという理由で嫌っていたのだが)
が、今は。
ゆっくりと、くぐもった音だけがわずかに届く場所で思考をめぐらす。
そうか、信頼関係が確立していれば、音が少ない場所で物を考えても心は騒がないものだ。
ウォーレン達と部隊を分断した状態でも、ランスロットが、カノープスが、皆がいてくれることがこんなに心強いことなのだと改めてソニアは認識する。
(なんにせよ、ガルフを封印する。ガルフが復活して、もしもラシュディと手を組んだら、たまったもんじゃない。ガルフは悪魔達を率いてその昔スルスト様達とがっつんがっつん戦ったらしいし。ヘタしたら)
悪魔と天使の戦争に、ラシュディ対人間なんていうさらにややこしい戦が始まるのかもしれない。
しかも、天使は天の父とやらの命ではなく、ソニアとの契約を介して。
「たまったもんじゃない!」
ソニアはぶつぶつと呟いた。
そんな大それたことをしたくて、シャロームのあの海辺の教会で、ミザールと渋々契約をしたわけではない。
(そしたら、天の父とやらは、自分が動かずに、あたしに代わりをやれと言ってるよーなもんじゃないか!それを自分では出来ないから、あたしに近付いてきたよーなもんだ!)
ふうっと落ちていくような感覚に一瞬体が捕われる。
体は動いていないのに、足元が−座っているのに−突然ぽっかりあいて、落ちる一瞬の感触。
深い考えに入り込む時の自分の癖だ、とソニアはわかっていたけれど、そこから自分を引き上げることがうまく出来ないことがある。今がまさしくそんな時だった。
先ほどまで「静かだとこんなに深く考えられるんだ、いいかもなあ」なんて思っていたことが仇となり、ソニアを更に深い物思いへとひっぱっていってしまう。
狙われた自分。
自分を、自分の家族を追いかけてくる男達。
振り向けばあがっていた、不吉な煙。
足手まといになって置いて行ってしまった母の最後の表情を自分は覚えていない。
そして、留守がちだったためにあまり顔を覚えていない、母に抱かれていた幼い末っ子の顔も。
一人になって辿り着いた教会で出会った天使ミザール。
ソニアの体をがんじがらめにするような、振り払うことが出来ない過去と、その過去があるゆえにここにいる自分の存在についてぐるぐると何度も考えてしまう。
父さんが、母さんが。弟達が。
あの煙の下にいたであろう、火をかけられた村のみんなが。
一緒に旅していた、気のいい仲間達が。
彼らが生き返ることなんて出来ないというのに、何故自分が追いかけられたのか、その理由を知っても意味なんかない。

復讐に神が力を貸すのか

そう問い掛けたソニアに対して、教会の聖堂でミザールは無表情に答えた。

あなたが成すべきことは復讐ではありません

苛立ちが高まり、ソニアは叫んだ。

それ以外の何の目的も今のあたしにないとしたら、どうするんだ

その問いかけにも、ミザールは眉ひとつ動かすことなく答えた。

人間の心というものは、形を変えてゆくものですから

何がミザールの言葉の根拠になっていたのか、ソニアはわからない。
わからないけれど、ミザールから感じ取ったのは、揺るがない意思。

あなたがここに辿り着いたことが、あなたのこの先の運命を象徴している

許せない。
どんな思いをしてあの教会に辿り着いたかなんて、あの天使はわかっちゃいないんだ。
溢れかえる感情に抗えずに死んでしまうのではないかと初めて思った。
あまりの激昂で体中の血管がちぎれてしまうような、そんな危惧。
叫ぶことや物にあたること以外で、どうやったらこの感情を発散することが出来るのかわからない。
走り出して、高い崖の上から落ちてしまっても、死への恐怖心よりもこの憤った感情が勝ちそうな気がする。

あたしがここに辿り着くことがわかっていたなら、どうしてみんなを助けてくれなかったんだ

感情のままぶつけた言葉に、やはり穏やかな声音。

助けることなぞ出来るわけがありません
わたしが出来ることは、ここに辿り着いたあなたを待つことだけだったのですから

天使の道理は、わからない。

気持ちが悪い。

ソニアは、天幕の中の剥き出しの地面を見つめた。
ところどころ草が生えているその地面の上に敷布を載せてあるけれど、敷布と敷布の間からちらりと緑がのぞいている。
けれど、その存在すらソニアには認識できない。
見えているのに、見えていない。
重なった敷布に寄っているしわの具合とか。
色とか、素材とか、それらのものを認識しようと脳が動いていない。
ただ、眼球にそれらのものを空気を隔てながら映しているだけだ。

まばたき。

そうだ、まばたきをしないと。

そう思った瞬間
「うるせーー!!どーせ俺は気が短いよ!!」
と、まったくもって反乱軍一気が短い男、ノーマンの声が天幕の布地を突き破ってソニアの耳に聞こえてきた。
ソニアは、はっと我に返り、一体自分が今どんな状態に陥っていたのかと思い巡らせた。
気付けば心臓を打ち鳴らす音が激しく聞こえ、目には見えないけれど、いつもよりも大きく跳ね上がって体の表面に出てきそうな勢いだ。手もうっすら汗ばんでいる。
「こら、ノーマン、ソニア様の天幕前でそんなうるさい声をあげるな!」
続いてガストンの声だ。だが、ガストンの言葉をまったく聞いていないようにノーマンは続けた。
「大体なんだよ、あの商人よ、人の顔みて「あんた反乱軍にいるよーには見えないね、スパイかい」だってよ、ふざっけんなよなー!!」
「ノーマンが反乱軍にいる人っぽく見える方がおかしいよ・・・」
と隣で呟いたのはバルタンのスチーブだ。
ノーマンとスチーブは重い荷物がはいった箱を体の前にして持っていた。
ガストン隊が各都市を訪問した際に援助してもらった物資を魔獣から運んでいるところだ。
荷物は最後の二個だった。部隊長であり先輩であるガストンには持たせない、と、スラムで育った割に何故か縦社会に順応しているノーマンが言い張ったわけだが、それは彼らしか知らない話だ。
「なんか言ったか、おい!」
「だってそーだろ、ノーマンみたいな言葉遣い悪い、態度も悪い男がさ、トリスタン皇子のいる軍に・・・」
あくまでもからかい口調でスチーブはそう言う。
その時、ソニアがものすごい勢いで天幕の入口を塞いでいた布をばっと持ち上げて姿を見せた。
ガストンはそれを見て慌てて頭をさげる。
「あっ、申し訳ありません!耳障りでしたか」
それにも関わらずノーマンはソニアを睨みつけて威圧的な態度に出た。
「なんだよ、文句言いに出てきたのかよ!」
「なんでお前はそういつでも喧嘩ごしなんだ」
とガストンが言うも、ノーマンは知らん顔だ。スチーブはおろおろとしながら、ソニアの腰にちゃんとブリュンヒルドがあることを確認して(まさか「うるさいな!」とかいって切ったりして)なんてろくでもないことを考えていた。
「いや、いーんだ。ノーマン、ありがとう!助かった!」
一体何の話だ?
ノーマンもガストンも、当然スチーブもソニアの言葉に耳を疑った。
「はあ・・・?」
「ノーマンは短気でいい」
そう言ってソニアは荷物を持っているノーマンの両手首を掴んで軽くぴょんぴょんと跳ねた。
「こら、ふざけんな、重い!重い!」
「抱きつきたいくらい感謝してるぞ!よーし、気持ち切り替えるぞ!自分らしくないことはヤメだ、ヤメ。でっかい声で騒いでくれてありがとうなっ!」
「・・・・・はあ!?」
ノーマンは呆気に取られてぽかんと口を開けていたが、徐々に眉間にシワを寄せて口を歪めた。それから
「きゅっ、急にそんなこといって、その、かい、かい、懐柔しよーとしたって無駄だからな!覚えとけ!」
そんな捨て台詞を言ってノーマンはぷいっとその場を一人で離れてしまう。
あっ、こら、荷物そっちじゃないぞ!とガストンが叫ぶのも聞かずにノーマンは徐々に早足になってあっという間に他の兵士の間に紛れてしまった。
「・・・まったくもう、とにかくソニア様と長く話をしたがらないんだから・・・それにしても、懐柔だなんて・・・」
と呟いてガストンが振り向くと、スチーブが
「じゃ、代わりに俺に抱きついてくれますか!?」
なんてこれまた阿呆なことを言っている。これがスルストならばお伺いも立てずに「じゃあミーが代わりにソニアの抱擁をうけまショー!」なんていって両腕を広げて近付くことだろう。
それには呆気なく「やだ」とソニアは笑いながら返した。
ガストンにもスチーブにも、当然ながらノーマンにも真相はよくわからないが、とにかくノーマンの大声でソニアが救われたらしい。
彼女のこういう無邪気なところは変わらないんだな、なんてガストンは少しだけ嬉しくなって口元が緩んだ。
そう思わずにはいられないくらい、彼ら反乱軍の立場はここまでの行軍で一転二転しているのだ。

夜が明ける前には野営地を出て山越えを始めた。野営地の後片付けは、残された部隊にある程度任せてしまった。
太陽が高くなった頃には山を越え、「封印」を施されている地域に足を踏み入れた反乱軍一行だったが、その違和感を感じたものはあまり多くはなかった。
ほとんどの者達は「何がどこでどうやって封印なんてものを?」ときょとんとしていたものだ。
さすがにブリュンヒルドのおかげかソニアは顕著に感じ取ったようで、山越えの途中で「ん」と眉を寄せた。
その時、丁度隣にいたカノープスが小声で叫んだ。
「うわ!なんだ、これ!」
その少し後ろを歩いていたフェンリルは薄笑いを浮かべた。
「わかった?カノープス、敏感ね」
「び、敏感って。あり?もう、なんともない・・・だって、なんかを、こう、突き破ったみたいな・・・・蜘蛛の巣にめり込んだっていうか・・・」
「ふふ」
カノープスが振り向いて戻ろうとするのを、ソニアが腕を掴んで引き戻す。
「なんだよ」
「駄目だぞ。も一回確認したいのはわかるけど、みんなが動揺する」
「だけどよ、どうせみんなわかって来てるわけだし」
「だ〜め!わかって来ていても、実際に体感したら動揺するから。ここを境にしてる、とか、ここから先に戻れない、とか、そういうこと絶対絶対言っちゃダメ」
どうやらソニアがわかった範囲で、封印の内と外を感じ取ったのはカノープス・オハラ・サラディンくらいらしい。後方でオーロラと共に移動しているユーシスもわからないはずはないだろう、と思うけれど。
トリスタンとランスロットはカノープスの動きを見ておおよそのことを理解し、苦笑しつつ「わからないものだな」と顔を見合わせた。
「やる気があれば、後で一人で山越えしてから戻れば?」
フェンリルがカノープスに冷たく言う。
「さっきの場所を越えることは出来ないでしょうから」
「封印の中の人間は、外側に・・・山の向こうに出ることは本当に出来ないんでしょうか」
オハラがおずおずとフェンリルに聞くと、その隣にいたスルストが断りもなしに答えた。
「そうデーース!でも、ミー達は安心デスヨ!ソニアとブリュンヒルド、そしてミーやフェンリルさん、そのうえユーシス殿もいらっしゃいマース!」
「全員死んだら困ることになるということか」
と、不吉なことをさらっと言うのはサラディンだ。
山越えの前に話しに話し合い、ぎりぎりまでソニアはフェンリルかスルストのどちらかは山越えせずに、封印の外で待機していて欲しい、と願い出た。
それはサラディンの言葉どおりの懸念からだ。
けれども、それを実行しなかったのは、実際ガルフがどの程度復活をしているのかそのあたりの情報が不明瞭だからだ。
スルストかフェンリルを置いていくぐらい用心に越した事はないけれど、そのどちらを失った戦力でガルフに望むには不安要素が多すぎる。
「わたし達が全滅するような力を持っているなら、誰か一人が生き残ろうとすぐにこの地上はガルフのものになってしまうわね」
フェンリルのその一言でまとまって行動をすることになったけれど、最後の最後までソニアはそれを渋っていた。
ソニアの思惑としてはトリスタン皇子とスルストを封印の外に待機させ、最悪の事態となった場合はトリスタン率いる(率いた実績はないわけだが)反乱軍はマラノに向かう・・・というものだった。トリスタンをこの期に及んで危険な目に巻き込むわけはいかない。それに、ソニア達が敗れたとしても、反乱軍の兵士達は生き残るかもしれない。その時に誰かが封印の内側から助け出してやる必要があるわけだから、スルストが必要なのだ。
もし、ソニアのその案が通ればランスロットもトリスタンと共に待機をしてもらうことになっただろうが、この案はあっさりとトリスタン本人によって却下されてしまったのだ。
彼は「それじゃあ、僕がここに残った意味がない」など、危険を顧みない発言をした。
ランスロットもそれには慌てたのだが、フェンリルの言葉を考えればそれもしかたがないと思える。
結果、反乱軍はこれ以上戦力を分断しない方が望ましいということで、連絡役の2部隊以外残り全員が一丸となって封印の中に移動した、というわけだ。
その際、封印の内と外の関係、一度入れば自由に出られなくなることを、兵士達に言うか言わないかでやはり一悶着があった。
話し合いの結果、公表して、恐れを成した者は素直に封印の外に待機してもらうようにすることとなった。
これまた大方の予想通り兵士達は驚愕し、突然の決断にみな動揺した。
「別に弱虫だとは思わないから、残りたい者は残っていい」
全員を集めて話せるわけではなかったから、ソニアの言葉は部隊長達が各部隊の兵士達に伝えていた。
また、部隊に属していない新兵にはランスロットから。
当然トリスタンに付き従ってきたルーヴァン達はトリスタンが行くのであれば行くに決まっているし、古株の兵士達は今更ぐだぐだと何を言うこともない。
あらかたの予想通り新兵達には動揺が走ったが、部隊長レベルの人間達がみな落ち着いていることで規律は守られ、ほとんどの兵が「ついていく」と答えた。
信頼関係が深い軍に育ったことだ、とランスロットは驚いたものだが、それよりもソニアの方が更に驚いていた。
「みんな、阿呆だな!」
なんて言って目を丸くしてみせた。
それが本音半分照れ隠し半分であることはランスロットもわかっている。が、その反面、出来る限りのことはやるが、責任が取れない事態になるかもしれないのに、という呟きもソニアからは出た。
山越えをして−要するに封印の内側に入ってから−しばらく進むと、ソニアはぽろりとランスロットの隣で呟いた。
「あーあ、責任取れないとこまできちゃったぞ」
軽い口調であったが、ランスロットは生真面目に答えた。
「誰も、そなたに責任を取ってもらおうなんて思ってやいない」
「でもさ」
「嫌な言い方かもしれないが、そなたが反乱軍リーダーであるし、ブリュンヒルドを手にした選ばれた勇者とも呼ばれている。しかし、ただの人だ。そなたが言う「責任が取れないこと」が起きた場合、人々の矛先はスルスト殿やフェンリル殿、いや、我らの仲間になったばかりのユーシス殿へと向くに違いない」
足場があまりよくない、獣道に近い山道を慎重に降りながらソニアはランスロットを見た。
「人ではないものに、か」
「ああ」
ランスロットは頷きながらソニアの先に進み、歩きにくい場所を靴底で探りつつ踏みしめる。
ソニアもそれに倣って足場を確保して踏みしめた。後続兵が歩きやすいようにしていくのは、山道での行軍では当然の行為だ。
しかも、ソニアとランスロットのすぐ後ろにはトリスタンとルーヴァン達がいて、足場の悪い場所場所ではカノープスがサポートするためにトリスタン達の後に回って様子を見ている。
「それは正しいようで正しくない責任転嫁だ」
「そうなった場合の正しさは、なんの意味もないだろう」
「・・・」
ソニアはランスロットの横に並んで、彼を見上げた。
「うん?何だ?」
「びっくりした」
「何が?」
「ランスロットにしてはめずらしいな、と思って」
「何がめずらしいのだろう?」
「内緒」
ランスロットが追求の言葉を発する前に、ソニアは小さく笑って、さっさと前に進んでいってしまった。

アンタンジル城方面から、明らかに帝国軍が手を貸していると思える部隊がかなりの数進んできているという報告がソニア達のもとに入ったのは、山を降りた直後だった。
ソニア達が山越えに入る一刻前にこの地域に潜入した斥候部隊は、山を越えてから都市が近くにない事実を確かめて、野営地の確保を通常通り行ってくれた。
いつもこの斥候役、先に危険な地に足を踏み入れてくれている部隊には頭があがらない、とソニアは思っていたが、今回に関してはそれ以上の感謝の念を向けていた。
こんな謎の多い地に、ソニアやフェンリル達を抜きにして先に潜入してくれる彼らの果敢さは褒め称えなければいけない。今日の斥候部隊を率いているのは、ニンジャのレイモンドだ。
最近のレイモンド率いる斥候部隊の活躍はソニアが一番よくわかっていた。
早くレイモンドに上級職の能力を与えたいと思うソニアの思惑とは別に、彼は「自分は戦で先頭に立つことはあまりないので」と断り続けていた。が、先日レイモンドにも前線で戦ってもらう機会があったため、そこでソニアは更に確信をした。
たとえ彼自身が拒んだとしても、今後の斥候役を育てて、そしていざとなったときに斥候部隊を守る立場にある彼には、更なる力を与えるべきだ、と。まあ、レイモンドからすれば「そうかなあ」と納得いかない道理らしいが。
まあ、ともかく、力を欲しい欲しいと思い続けていた自分とは異なり、能力を与えられることを拒む彼の姿勢は、ソニアにはとても好感が持てた。今のソニアであれば、シャロームの教会で安易に「力が欲しい」なんて口走らないだろう。
山から降りるとそこには平野が広がっていた。
アンタンジル城に向かうとイノンゴという都市があるという情報は、地図の上からも、山近くのほかの都市からの情報でも間違いがなかった。
イノンゴに向かうことには誰も異存はなかったが、今から移動してはイノンゴに辿り着く前に夜になり、そして敵の派遣部隊と正面衝突をする危険がある。
ひとまず斥候部隊が用意してくれた野営地−ただの平原だが−で一晩を過ごすことに決定をし、たたんで引き上げてきた天幕を再び張ることになった。


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モドル