魔縁との対峙-2-

乾燥させた肉を出汁にしたスープ、山越え前に調達してきたばかりのパン、木の実を炒ったもの。それが彼らの早い朝食だった。昼は乾パンと果物を乾かしたものと既に決まっている。咽喉どおりが悪くぱさぱさする乾パンを腹まで押し込むには多少の水が必要だ。
一度封印の中に入ってしまってはその外に出ることは容易ではないし、イノンゴでいかほどの食糧調達が出来るのかもまったく不明だったため、大量の食糧を運搬する必要があった。実を言えばそれが一番難儀なことだった。
それもあってガルフとの戦いは短期決戦にする心積もりがソニアにはあったし、その周知徹底をはかった。
水の確保をしやすい場所の野営は、位置がわかりやすいために普段は避ける。
けれど、この封印の地ではそんなことよりもまず、生活に支障をきたさないことが先決だ。優先することを間違えないように間違えないようにとソニアは慎重に、かつ迅速に様々な指示を出し続けなければならなかった。
緊張が続く中、ようやくほっと一息つける食事時間。
一口スープをすすったソニアのもとに、敵部隊発見の知らせが入った。
敵部隊との距離からいっても
野営をせずに進んでいればイノンゴに辿り着く前にそれらの部隊と接触をして、その後疲労状態でイノンゴ付近を守る部隊と交戦することになったに違いなかった。
把握出来ていない敵部隊が他にもいないかどうかを至急洗いなおすようにレイモンドに命令をして、ソニアはパンを大口でかじってから立ち上がった。
「よし、あたしが出る!」
「ソニア殿」
驚いてランスロットが制止の声をあげたが、ソニアは意に介さない。
「確認出来た敵部隊の数と距離、南側の気候を知らせろ。討って出る」
それから報告をもとに部隊を編成し、オハラの部隊とソニアの部隊が手際よく出陣準備をする。
本陣を守るのにフェンリルとサラディン、そしてアイーダにそれぞれ部隊を与えて野営地の南側に待機するように指示を出す。
「数が少ない。大方、こっちの腕試しに来たんだろうし」
「ああ、わたしもそう思う」
「本陣とそう離れないで戦う。だから、ランスロットも一緒に来てくれ」
「・・・承知した」
返答には一瞬の間があった。それにソニアは気がついたはずだけれど、何も言わずにその場から去っていく。
その言葉が欲しかった。
ランスロットはソニアの後姿を見つめつつ、深くその思いを噛み締めた。
ここ最近ランスロットはソニアと共に行動をとることが少ない。そして、今後も減るのだろうと思う。それは、トリスタンが軍に参加したからだ。
トリスタンがこの軍にいることは歓迎すべきことであるし、ランスロットだって心からそれを嬉しく思っている。待ち望んだゼノビアの復興の救世主となる人物なのだし、自分が忠誠を誓った国の皇子なのだから当然のことだ。
が、トリスタンをあまり危険にさらしたくないというソニアの意向通りに動けば、トリスタンの世話を任せられているといっても過言ではないランスロットとオーロラは必然的に前線から遠のく。
それに対するあせりはない、とランスロットは本人も断言は出来なかった。
もちろんトリスタンはトリスタンで「僕も戦わせてくれ」と何度もソニアに言ってはいるが、こと、今回のガルフの件に関しては出来るだけトリスタンを巻き込まない形で遂行したいとソニアは意地を張った。
それがどういうことなのか、ランスロットにはわかる。
ソニアは、自分がすべきことと、トリスタンがすべきことを明確に分けたいのだ。
トリスタンはこの先マラノでウォーレン達と合流してから、あるいは、シャングリラをどうにか止めるために、と、人々にとって理解しやすい戦いで戦績を残してもらう必要がある。
ここ、アンタンジルでの戦いは、明らかにソニアと天空の三騎士対ガルフの戦いになるだろう。
トリスタンがゼノビア皇子の肩書きを広めながら出陣する戦いにはならない。
そのことを見越し、アンタンリア大地ではオミクロンをトリスタンが倒したと公表した。
あの時は、「そんな嘘はつけない」などとトリスタンがごねたら困ると思い、オハラを守るため、という名目でそれを依頼したが、それひとつだけがソニアの考えではなかったというわけだ。
トリスタンに花を持たせる場所は、どうしたって限られてくる。けれども、今後それは必要なことなのだ。
この封印の中で悪魔と多少戦ったからといって、誰が何の評価をしてくれるというのだろう?
目に見えない脅威に対して先手を打ったからといって、それは人々には伝わらないに決まっている。
デメリットが多い戦に彼を投入する気はソニアにはさらさらなかった。
もう一人の天空の三騎士のもとに行く時だって、ソニアはトリスタンを連れて行く気はない。
そんな風に少しずつ動いている状況に順応しつつ、出来る時は少しでもランスロットには共にいて欲しいとソニアは願い、それはまた、ランスロットにしても同じことだった。その気持ちを口に出し合うこともないけれど。

「気分転換できた?」
帝国軍の派遣部隊を蹴散らして帰ってきたソニアに、いつも通りしっかりと白銀の鎧を着込んだフェンリルは飄々と言う。
人の生死がかかった行為を終えてきたというのに、大層な言いっぷりだ。ソニアはわざとらしくしかめっ面をしてみせた。
「剣をふるうことは楽しいですけど、切ることが楽しいわけじゃないですよ」
が、フェンリルはそのソニアの答えを聞いても聞かないふりだ。
「どうってことなかったみたいね」
「どうってことない、なんてことはありませんけど・・・おおかたの予想通り、あのまま進んで夜ぶつかっていたら嫌な相手がいっぱいいましたね」
「ガルフを慕う悪霊達が集っていると聞く」
「悪魔でも人徳みたいなものがあるんですね」
「ふふふ、そうね」
おかしそうにフェンリルは声をたてて笑った。少し離れたところでランスロットが移動準備をさせている声が耳に入る。近くの敵部隊を一掃したところで、イノンゴまでの行軍を再開するところだ。
「ソニア様」
「なんだ!」
出発の準備で慌しく人が動いている中、突然ガストンが駆け寄ってきて一礼をする。彼にしては珍しいその慌て方に、ソニアもフェンリルも自然に険しい顔つきになった。
「魔獣達が苛立っています。行軍に支障が出るほどではないと思いますが、一応お耳にと」
「・・・ああ」
ぼそりとフェンリルが溜息と言葉を漏らした。
「魔獣達の方が敏感ですものね」
「フェンリル様?」
「異形の者達、悪霊が集うこの封印の中・・・魔獣達は、わたし達よりもこの場所の異様さを感じ取っているに違いない」
わたし達、という言葉はフェンリルもスルストも、反乱軍全体をも含む言葉なのだろう。より人間に近い者達。フェンリルの口からその意味を含む言葉が出るとは思っていなかったソニアは眉根をよせながら口端だけで笑った。
「人間って鈍くて助かってる部分もあるんですね」
「そうね」
その同意は、他人事に対する同意ではなく、心当たりがある同意の声だとソニアは思う。
「ユーシスも、この地は嫌だと言っていた」
静かな言葉。
なんということのない会話のはずなのに、フェンリルのその声がソニアの脳にやけに響く。
ソニアはフェンリルを見上げたが、彼女はまったくあさっての景色を見ている。ソニアに何も答えを求めていない呟きだったことは明白だ。ソニアはほんの一瞬だけ眉を引き上げて気持ちの切り替えをしてからガストンに声をかけた。
「ガストン、わかった。数日で片をつけるつもりだから、どうにかなだめてやってくれ。あまり酷使しないようにこっちも気をつける」
「はい。こちらも全力は尽くします」
「いざというときの移動手段は魔獣達に勝てるものはいない・・・戦う時も、逃げる時も。頼りにしているんだ」
「はい」
「可哀想に・・・不快なんだろうな。この場所が」
その呟きは、まさにフェンリルが先ほど漏らした呟きと同じだ。ガストンの答えを求めているわけでもない独り言。ソニアはふと空を見上げた。
「変な感じがするな。悪霊が集まる場所が、こんなに晴れているなんて」
ぐるりと見渡す空の、どこまでも続く青さ。
「鈍い」人はみな何の不快も知らずに「気持ちが良い日だ」と口をそろえるだろうその快晴。
悪霊達が力を発揮しづらいその日の光は、反乱軍にとってはありがたい光でもあるはずなのだが、それが妙にソニアの勘に触る。
天の父とやらは天候を司るわけではないとは思うが、まったく皮肉なものだと思えた。

その後もアンタンジル城方面から派遣された敵部隊と交戦しつつ、反乱軍はイノンゴに近付いていった。
既にイノンゴでは、何故アンタンジル城から部隊が派遣され、都市を通過していくのか住民が怯えつづけていた。
反乱軍が必ず寄るだろうと当然のように推測されていたため、イノンゴ付近に帝国兵は数多く待ち構えており、それらの軍を蹴散らしてようやく反乱軍がイノンゴ入りできたのは夕方近い時刻だった。
ガルフへの封印を施したと共に山を隔てて閉じ込められてしまった人々が住む都市イノンゴ。
そこの民衆の反応は、予想以上に激しいものとなった。
封印の中に入ってきた反乱軍達に対して、封印の外に出る方法を知っているのではないかと人々は詰めより、訴え、半狂乱になって叫びだす者すらいた。
封印を続ける以上彼らは外に出ることは出来ない。
だから、封印なぞ必要がなくなるようにガルフを完全に倒すために来た。
まったく面倒ではあったが「人々から何かを聞かれたらそう言うように」と軍全体に強く言い聞かせる必要があった。この閉じられた空間の中、何かがあればこの都市の人々が頼りなのだ。味方につけない手はない。
とはいえ、人々はガルフを恐れていた。
そのガルフと敵対する反乱軍を受け入れることに諸手をあげるわけにはいかない、というのが現状だ。
食糧提供等はガルフを倒した後であれば出来るが、その前に積極的に反乱軍に対して物資を提供することは出来ない、とイノンゴの代表は反乱軍にきっぱりと言い放った。
閉じられた空間であるからこそ、その均衡を破ることに自分達が関与したくない、ということだ。
まあ、そりゃそうだ、とソニアは肩をすくめてみせる。
とりあえずイノンゴに滞在することはどちらにしても無理のようだった。
ゼノビアの皇子に野宿させるつもりか、と都市の代表に伝えてみてはどうか、とルーヴァンが提案をしたが、本当に必要なことはそういうことではない。人々をこれ以上脅威にさらさないことを優先すべきだ・・・ソニアがそう言えばトリスタンも同意をする。皇子が物見遊山でやってきたと思われるのも困り物であるし。
かくして、反乱軍はまたしてもイノンゴ近くで野営を強いられ、出来得る限り人々に迷惑をかけないように配慮するしかなくなった。
が、これはこれでありがたい、と密かにソニアは思う。
下手にイノンゴに滞在すれば、「本当に過去この都市の人々は外に出ることが出来なかったのか」と逆に反乱軍にいらない動揺を与えられてしまうことになりかねない。まだ、実感がわかない程度であればなんか士気を高めて短期決戦にすれば大きな問題にはならない。
(残念ながら、誰がどれほどの覚悟でついてきたか、なんていう天秤はないものだしな・・・)
自分についてきてくれた仲間達を信じないわけではなかったが、その人々の覚悟のほどについては多少疑わずにはいられない。もしも、ソニアが思っているほどの覚悟が出来てついてきているならば、本当にみな阿呆だとも思う。
ともかく、野営を行うに際しては、普段以上に気を使うことが必要になった。
見張り部隊をアンタンジル城方向に何部隊か置き、夜の間に二回交代を行う。
それから、あまり軍を分けることは思わしくなかったけれど、ソニアはノルン隊・サラディン隊・ビクター隊の三部隊を北側に派遣した。それについては、孤立した場所での野営のため念には念を入れているのだろうとみな勝手に納得してくれたようで、とりたてて誰も異議を唱えるものはいなかった。
「たーだいまっと」
晴れ渡った夜の空。あの昼の空がそのまま暗くなったように雲もなく、けれど、月の色は薄くて星の光に負けている。肌寒くもなく過ごしやすい夜だ。
イノンゴから少しばかり南下した林近くの平原に彼らは天幕を張っていた。雨が降る予兆がないことと、今更隠密に行動するもなにもないというソニアの言葉で、単純に野営しやすい場所を選んだというわけだ。
ランスロットとトリスタンが天幕から少し離れた地面に座ってなにやら話をしているところに、カノープスはソニアを脇に抱えてゆっくりと降りてきた。
「カノープス、ありがとう。もう寝ていいぞ」
「そうする。朝番だしな。今日はお前も働きすぎだろ。さっさと寝ろよ〜。お先〜」
そう言ってのびをすると、カノープスはさっさと男性兵士達の天幕に向かって歩いていってしまった。
「おやすみー」
ソニアは無邪気にそう言って手を振った。朝から晩まで動き回っているというのに、その元気さは若さなのだろうな、とランスロットは思う。
「あ、皇子と話中だったか?悪いけど、状況報告だけ先に頼む」
ソニアがさらっとそう言えば、ランスロットも即座に答える。
「こちらは特に変わりがない。イノンゴ周辺の部隊をかなりの数叩いたからだろうが、今のところまだアンタンジル城からの後続部隊の存在は確認がとれていない」
「そうか、わかった。皇子も朝番になるんでしょうから、もう眠った方がいいんじゃないですか」
トリスタンは眠る準備を終えているようで、鎧は脱ぎ捨てた状態で、しかし、代わりに皮の胸当てと剣だけは身につけたままだ。二人の男達は焚き木の燃え跡の前に座っていたようで、少し前まで他の人間が座っていたらしい痕跡が地面に残っている。
ソニアもその場にどっかりと腰を下ろした。
小柄なソニアが二人と同じように座り込むと、わずかに見上げるように二人を見回すことになる。
ひんやりとした土の感触が、ついた手に、尻に伝わる。過ごしやすいと思っている気温も、実は少しばかり低めなのかもしれないな、とソニアは心の中で呟いた。
「うん、君が戻ってきたら眠ろうと思っていたんだよ」
「え?あたしが?」
「うん。心配だったから」
何のよどみもないトリスタンの言葉。
ソニアはしばらくの間トリスタンを見つめて、それからたいそう間抜けな声をあげた。
「・・・わー・・・」
「??「わあ?」・・・?」
「驚いた。そのお、まだ皇子のこと、慣れてないみたいで」
「そうなのか」
「一瞬、なんで皇子が心配してくれるのか全然わからなかったし、お礼もすんなり出てこなかった」
「ソニア殿」
ランスロットがたしなめるように名を呼んだ。しかし、彼女が言うことはきっとランスロットにはどことなく伝わっているのだろう。困った人だ、と言いたそうな、苦笑に似た表情を向けている。
トリスタンはゆっくり立ち上がってから小さく笑顔を見せた。
「じゃあ、仰せの通りのそろそろ寝るよ。お先に失礼する」
「はい、おやすみなさいませ」
「うん。おやすみなさい、皇子」
「はは」
ソニアの子供のような言い草にトリスタンは笑い声をあげる。
「また明日」
一体何を笑われたのかもわからないソニアに軽く手をあげてそう言うと、彼は自分の天幕に向かって歩いていった。
その姿が小さくなるまで見送った後、残されたソニアは憮然とした表情でランスロットにお伺いを立てた。
「一体なにをあたしは笑われたんだ?」
「・・・さあ。それは、明日皇子に聞くといいのではないかと」
わかっている答えをはぐらかしてランスロットはそう答える。
おやすみなさい、なんて気軽にゼノビア皇子に声をかけられるなんて、まったく不思議な少女だとつくづくランスロットは思うが、それをソニアに告げてもきっと意味をよく解さないに違いない。
そして、それについて目くじらを立てることなく余裕で笑うトリスタンのくせ者さも、ランスロットがあまりトリスタンのことを語りたくない要因でもあるのだが。
「北側の部隊には特に変わりはなかったのだな」
話題を変えたかったわけではなく、必要を感じてランスロットは話をふった。
ソニア側からの報告がとりたててないということは、別段状況に変化がないことを意味していた。
それでも、皇子の手前言いたくない話があるかもしれない、と慮ってランスロットはソニアに問いかけたわけだ。
「ああ、特に。あまりみんなに気にさせたくないから一人で行ってきちゃったけど、今のところ何の動きもないな、ガルフ叩きに集中できるってもんだ」
もちろん行く時にはまた「そんな少人数で」と軽くもめはしたのだが。まったく、ついこの間、自分一人が勝手に楽に動いてランスロットのことを考えていなかった・・・とソニアは反省したばかりだったのではなかったのだろうか?
「北側への配置は帝国兵の増援を気にしてのことだろう?」
口に出すほどのことではない、と思っていたがなんとなく言葉にしてしまったその話題。
ああ、そうだ、という返事が来るだろうと当然のようにランスロットは予測していたのだが。
「・・・んー」
ソニアの歯切れが悪い。ランスロットは眉間に軽くしわを寄せた。
こういう時のソニアのことは、誰よりもランスロットは知っている。
ばつが悪そうな表情で、どういいくるめたらいいのか、何をどこまで話せばいいのかを悩んでいる表情だ。これまで何度も何度も彼が遭遇したことがある顔だ。
戦のことであれば困りつつも困った顔をしない、ということがときにけろっと出来る少女だが、こと、ランスロットとのこういった話になると言う言わないの境界が曖昧で、結果、言うにしても言わないにしても「何かあるんだな」とランスロットに思わせる結果になってしまう。
「そなたが困らないのであれば、白状して欲しいものだが」
今までのランスロットであれば「言いたくなければいい」あるいは、「わたしには言えないことだろうか?」そう言っていたが、彼もさすがに多少の学習能力があるため、譲歩の方法を変えてきた。それに気付いてソニアは笑う。
「・・・あははっ、白状、か。確かに。ランスロットはあたしに慣れたなぁ」
「そなたもな。何か飲み物でも持ってこようか」
「いや、いいよ。それに長くここにいるより、天幕に戻って居場所をわかりやすくしたほうがいいだろう」
「確かに」
ソニアは笑顔のままで、すっ、と軽く上に腕を伸ばして、空を指差した。
「うん?」
それにつられてランスロットは空を見上げる。
晴れた夜の空には星がいくつも瞬いている。封印の中とか外とか関係なく、自然はただいつもと変わらない姿を見せていた。そっと手を下ろしてソニアはまだ空に視線を注いでいる。
ランスロットもそれに付き合ってしばらく空を見ていたけれど、ソニアが言おうとしていることの意味がわからず、やがて苦笑をみせた。
「なんの謎かけだ」
「心配してたのは、増援じゃなくて、空のことだ」
「天候か?北側の?」
「じゃなくて」
「そうじらさずとも」
「空が、落ちてきたらどうしようかと」
そう言い放ってソニアは真剣なまなざしでランスロットを見つめた。膝を抱えて口元を引き結ぶ。
空が落ちてきたら。
その言葉の意味を咄嗟に理解出来るほどランスロットは連想ゲームは得意ではなかったが、いつまでも気付かない阿呆でもない。自分をまっすぐ見つめるソニアの表情と、言い難そうにしていた様子から察して、答えは一つだ。
「・・・シャングリラの移動のことか」
「うん」
そこまではランスロットも気付くことが出来た。が、何をソニアが懸念しているのか、というところまでは気が回らない。いや、これはランスロットでなくとも、カノープスだろうがウォーレンだろうが虚を衝かれるような話ではないだろうか。
「何もかもカモフラージュで」
ソニアの耳の後ろから、はらりと中途半端な髪の束が頬に落ちてきた。
それをそっと指で耳の後ろに戻しながら言葉を続ける。
「ここにあたし達が来た途端、シャングリラの速度と進路が変更されて・・・ガルフと反乱軍の主力を一気に叩くつもりなんじゃないかと、少しだけ思っていた」
「・・・!」
「ラシュディがガルフとそんなに手を組みたいなら、こんなやり方はしないんじゃないかと思ったし。キャターズアイとやらを渡してでも欲しいような力をガルフが持っているなら、尚更、簡単にキャターズアイを渡すとは思えないし。悪魔の力を手に入れるなんて諸刃の剣みたいなこと、ラシュディがしたがるのかなぁってのも疑問だったし」
ぽつりぽつりとソニアは話す。その声音はまるで、悪いことをして怒られている子供が、仕方無しに言い訳を口にしているようにランスロットには聞こえた。
「ガルフとラシュディの利害の一致って何かわからなかったから・・・逆に、一石二鳥を狙ってるのかと勘ぐっていた。あたし達とガルフが接触する頃に、ここに、シャングリラを移動させて・・・」
「落とすんじゃないかと」
「うん」
反乱軍とガルフを一掃するために、シャングリラを落とすのではないか。
なんということをこの子は考えていたのだろう。
ランスロットは呆気にとられて口を半開きにし、固まった。
その発想の柔軟さは、普通の人間のものとは違う。それは、もともと持ち合わせていた才能でもあり、この行軍において頻発する不思議な出来事への順応とも言えるだろう。
以前のランスロットならば「まさか、そんなことはないだろう」と笑っていたかもしれない。
が、カオスゲート、天空の三騎士、悪魔ガルフ。そして異常な力を持つ魔導士ラシュディ。
移動している天空都市に、魔法の力を持つ石化を解く光のベル、カオスゲートを開くために唸りをあげる剣。
今までの彼の人生で見聞きすることも想像すら出来なかったことを経験した今ならば、ソニアが言っていることもいくばくかの可能性があると理解出来る。
「だから、北側や東側の空を気にして、見ようと思って」
「もし万が一」
「発見さえ早ければ、その時はガルフと手を組んだっていいと思っている。こっちはこっちでの利害の一致だ。まあ、実際のシャングリラの大きさがわからないけどね、ランスロットが増援の心配をしていたとおり、あたし達がここに入り込んだことはきっと帝国側にはもう伝わっているんじゃないかと思うんだ。それでもそれらしい様子がまだ見えないから・・・。少なくとも短期決戦に持ち込んだほうが利口だとは思う」
「もし落ちてきたら」
言葉にした瞬間、そんなことを言っても、誰も答えはもたないのだということにランスロットは思い当たった。
そんなこと、聞かれても困る。
ソニアがそう答えるのではないか、と自分の声の響きが消える前に気付いて自分の言葉にフォローを入れようと試みたが、それよりも早くソニアからの返事が彼の耳に届いた。
「どうなるんだろうね。本当に」
「ソニア殿」
抱えた膝の上にあごをのせて、ソニアは背を丸めた。
「誰も答えは知らない。ただ、今のところ現実にはなっていない。こんなこと誰にも言えないことだ。みんな簡単にさ、シャングリラとやらが移動しています、ゼノビアに落とすつもりです、と言ってるけど・・・言ってるっていってもさ、あたし達がそれを知らせてるだけなんだけど・・・それだってまだ現実になっていないし、想像上の出来事としか思えないだろう?あたし達はどれほどのものを信じればいいのか、わからないし。逐一ウォーレンにはシャングリラの移動に気をつけるようにお願いしてるけど、長いカモフラージュをしているのかもしれないし」
それに対しての答えや相槌は、ランスロットにはない。
安直に「大丈夫だろう」とも答えられず、「その可能性はあるな」と口に出すこともはばかられ、彼は唇を引き結んでぐるぐるとありとあらゆる−彼にしてみれば−ことを考えていた。
「・・・そなたは」
「ん?」
ようやくランスロットが搾り出した言葉。
「・・・やはり、わたしとは着眼点が違うのだな。感心した」
「だから、あんま嬉しくないんだってば。そういうこと言われても」
「そうか」
「そうだよ」
わざとふてくされた表情をソニアは見せる。
「あたしの心配なんて、可能性ゼロじゃないと思えるとこを一個ずつつついてるだけだもん。可能性が40パーセント以上あることなんかはさ、あたしが気付かなくてもランスロット達が気付いてなんでもやってくれるから、だから、そうじゃないことしてるだけだ」
「少しは役に立てるのだろうか」
「え?」
「・・・いや・・・」
まいったな。
ランスロットは深く息を吸い込み、そして静かに吐いた。
一回りも年下の少女の前で動揺を見せて、そして、情けない問いかけを今、自分はしてしまった。
役に立てるのだろうか。
無意味な問いだ、と思う。
「白状してくれてありがとう。たとえ可能性が少ないこととはいえ、現実となったらそなたひとりではどうにも出来ないことだろう。ならば、こうやって話してくれてもよかったのではないか」
「うん。話そうかとは、思ってた。思ってたんだけど・・・やっぱり、聞きたくないんだもん。ランスロットの・・・そのう・・・さっきみたいな言葉」
「え?」
「特別扱いするよーなこと」
一瞬の戸惑いの後、ランスロットはソニアに苦笑を見せた。
「わかっている。すまない。わかっていると言っても同じことを繰り返しては、それはわかっていないと同じことだな。それもわかっているつもりなのだが」
「そうだよ。ランスロットは「つもり」なんだ」
「ああ。申し訳ない」
とはいえ、そんな理由でこの話を一人で胸のうちにソニアが秘めていたのかと思うと、それはそれでランスロットは胸騒ぎを感じてしまう。
この調子でいつもいつでも「だって言いたくなかった」と押し通されてしまったら。
それはこの後どこかで大きな障害になるのではないかと思う。
最近のソニアは軍の将たるものとしての自覚が相当に出てきたように見える。
それでも、まだ今回のように、言葉にすべきところで黙っていることがあるのだろう。
そんな懸念を持つランスロットの心の動きに感づいたのか、突然言い訳じみたことをソニアは口にした。
「一応、フェンリル様には話してみたんだ。可能性、あるのかなって。そしたら、なんとも言えないって答えられたから・・・」
「そうか」
「・・・北側に部隊を残したまま、明日一気に攻めあがる。あたしと、フェンリル様とスルスト様の部隊を中心に、何度もくどいようだが短期決戦だ。それしか、あれもこれもを回避できることはない」
「そうだな」
「シャングリラのことも心配だけどさ、そもそもガルフの力ってのも・・・正直、不安は不安だしね」
「ああ、知っている」
ランスロットがそう答えた瞬間、ソニアは驚いたように小さく口を開いてランスロットを見た。
「不安でないほうが、おかしいだろう」
「・・・うん。そうだな、確かに」
「そろそろ天幕に戻らないといけないかな?」
「ああ、そうする。ランスロット、頼んだぞ」
「もちろんだ」
とりたてて言葉を添えなくても、ソニアは今から眠る身で、ランスロットはまだ起きている身。だから「頼んだ」という言葉が出たということはすぐにわかったし、わかると思っている。
ソニアは立ち上がって、天幕に向かって歩き出した。その背にランスロットは慌てて一声かける。
「おやすみ」
その声に不意をつかれたようにソニアは慌てて振り返った。当然のことだが、まっすぐと自分を見る優しい視線にぶつかる。
おやすみ、という意味以外に何ももたない声なのに、軽く声を返すことが難しい、と胸の奥に何かがつかえる感触にソニアは驚いた。
一瞬その違和感にひるんだけれど、ソニアは言葉を正しく返すために最善の努力を尽くした。
「うん。おやすみ」
そう答えてソニアは少しばかり早足でランスロットの前から去っていった。天幕までは多少距離があるため、彼女が実際そのまま天幕にまっすぐ入ったのかをランスロットは確認は出来ない。
後姿が視界から見えなくなると、ランスロットは深い溜息をついた。
「少しばかり・・・疲れたかな」
今日は久しぶりにソニアと肩を並べるように出陣をした。その時の気負いが今頃疲れになって体にだるさを与えているようにも思える。
それでも、これは心地よい疲れだ。
ランスロットは立ち上がってのびをした。
自分達のリーダーは、自分達が思っている以上のことを考えて、神経を張り巡らせている。
わかっていたつもりでも、それ以上だったのだと痛感した。そうであれば、ここで彼が弱音を吐くわけにもいかない。
「もう少しでも、役に立たなければな」
あの小さな肩に乗せられた重責を、ほんのわずかでも。
ゆったりとした深呼吸を数回して、ランスロットはその場を離れた。

黒いローブの男がガルフのもとに現れたのはいつのことだったか。
能力を失ったガルフは、まるで冬眠をしているかのようにアンタンジル城の地下に息を潜めていた。
あのオウガバトルで天空の三騎士に敗れた後、魔将軍である彼のほとんどの魔力は天の力に寄って彼の体から抜き取られた。今のガルフは、膨大な魔力を受け止めることが出来る、空になった器と言っても過言ではない。
しかも、その器はとても脆くなっている。器の修理をしなければいけない。
黒いローブの男はガルフに対して取引を要求してきた。その話を聞いて、ガルフは悪魔ではあるが、まるだ阿呆のように心底呆れた。
人間は愚かだ。
このガルフが力を得た後、何故人間ごときと手を組み続けると思えるのだろう?
この男−ラシュディ−が、どこまでお見通しなのかはわからない。
手を組んだ後のガルフの裏切りまでを読んでまでも、キャターズアイを与える、と言っているのならば、それはそれでやつの自信の源を突き止めたいと思うし、本当の愚か者ならば、それはそれでこちらも好都合。
どっちに転んでも、自分に損な話ではない、とガルフは思った。
ひとまず、今ある戦力で反乱軍を叩き潰すこと。
それがラシュディとの取引の一つ目の条件だ。
ガルフは人間ではない。悪魔だ。
一見鎧に見えるその硬質な表面は、ガルフ自身の体と一体化して彼の細胞であり、また、そうでもない。
人の皮膚とまったく違う、黒光したその顔・体表面の細胞。
ガルフが言葉を放つたびにそれらが人間と同じように動く。
眼球の形すら違うのではないかと思われそうな、切れ上がった目。常に瞳孔が縮小しているようにも見える。
頭部に毛髪なぞなく、四本の角のようなものが前頭部、後頭部に向かって生えている。
背には大きな黒い翼。それこそ悪魔の印と言えるだろう。
彼を初めて見る人間達はみな、その異形におののくのだが、ラシュディはまったく気にも止めていない様子だ。
「この世界を手にいれたとて、この薄汚い人間共を支配する程度のこと、魔界の将軍であるお前が望んでいるとは思えないが」
淡々と語るその声は、どことなく懐かしく、そして、信頼が出来ない声だ。
暗黒道に墜ちたその男は、ガルフから見てもそれに相応しい人間だと思う。
それほどの魔力があれば、人として生きることなぞ、まったくもってつまらないのだろう、とガルフは感じる。己の力の探求を欲した貪欲な人間は、人間でない方が余程幸せだ。
とはいえ、ラシュディは人間らしく身なりなどに気を使っているのか、口周りのひげは整えてあったし、身に纏っているものも「良い」ものなのだろうとガルフにも感じられる。
ただ、彼のその外見と人間界において推測される年齢がそぐわないことには気付いていた。
「魔界に戻って、魔界を支配出来る力を得たくはないのか」
「俺がその力を得ることで、お前には不都合が起きるのではないのか?」
たとえどんなにガルフにとってうまみがある話でも、そうそう了承できるはずがない。当然の疑問をガルフは口にした。
「わしの力なくして、お前が魔界で支配権を得る力を手に出来るとは思えない。悪魔は人を騙す。当然の行為だ。お前がわしに歯向かって、のちのわしの首を締めることも当然だと思っている」
くっくっく、と咽喉で押し殺したその笑い。
「が、お前ならばわかるのだろう。わしは、お前を支配するつもりなぞない。そして、少なくともわしは、あの天空の三騎士も手玉にとってきた人間だ。生身の人間でそれほどの力を持ちつつ、正当な取引をしたいと申し出ておるのだ。悪い話ではないだろうし、多少わしに自信があったところで、当然だろう?」
「少なくとも信用が出来ない人間だということはわかる」
「悪魔にも信用なぞあるというのか」
「信用がない者と取引をしようと思っているのか?」
そのやりとりの奥に潜んだ探り合いと、お互いの力への過信。それはガルフの癇に触りつつも、懐かしさを抱くものでもあった。明らかにこの人間は、人間であるけれど、今までガルフが見てきたどんな人間よりも魔界に近いなにかを持っている。
「いいではないか。アンタリア大地の封印の儀式を止めさせ、お前が力を手に入れればすぐにでも天空を荒らしに行くことも出来るようにしておいたし、封印の儀式がないおかげで、ここ20年やそこらは、お前も魔力を受け入れる準備が少しは出来ていただろう?」
「あれはお前の仕業か」
否定をしないことが肯定とばかりに、ラシュディは話を先に続けてしまう。
「時が満ちた。だから、わしはここに来た」
「俺の時は満ちない。お前からキャターズアイは、咽喉から手が出るほど欲しいが、お前が言うように、それほどの魔力を受け入れるほどはまだ回復はしていない。そんなところにキャターズアイの魔力を与えられたところで、たかだかしれている」
「そうなる前に、反乱軍がここに来ることだろう」
「聞いているぞ。この大陸の情勢が動いていることなぞ。が、俺にはなんのかかわりもない」
「わしにはあるものでな。反乱軍はお前を倒しに来ることだろう。自分に降りかかる火の粉は自分ではらうがいい。お前が生き残ることが出来て、魔力を受け入れる準備が整えば、その時は取引を成立させるときだ」
「聞いていれば、お前の都合ばかりだが」
その問いに対して、ラシュディは曖昧な、気味の悪い笑いを見せて姿を消した。
それが、一度目のラシュディとの接触だ。
自分をどう利用しようとあの男は思っているのだろうか。
今のところガルフには情報が少なすぎて、それすら推測出来なかった。
わかるのは。
あの魔導士は、封印の地を自由に出入り出来る魔力をもっており、そして、ガルフが虎視眈々と狙っていても、その魔力を吸い取らせるような迂闊な隙を一度も見せなかったということだ。
どうしてあの男がキャターズアイを持っているのか。
そんなことは、ガルフには何の意味ももたなかった。


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モドル