魔縁との対峙-3-

ソニアの耳に兵士の声が飛び込んで来たのは、夜明けには近いが、まだほんの一時で朝陽が満ちるわけではない、朝を迎える準備を空が始めた頃だった。
それは、夜を忌み嫌う人間達に安堵をもたらす時の訪れを期待させる、微妙な心の隙間を突くような時間。
「ソニア様!」
毛布を跳ね飛ばしてソニアは天幕から飛び出る。腰には既にブリュンヒルドがしっかりと寄り添っていた。
「どうした!」
天幕の外には、薄暗さで一目ではわからなくとも息遣いでわかるほどにスチーブが呼吸を弾ませていた。ソニアの姿を認めて、即座に報告を行う。その傍らには朝番で起きていたトリスタンと、もともと今の時期は眠りが必要がないフェンリルがやって来ていた。
「敵部隊を確認いたしました!その数、およそ8部隊!」
「距離と構成はわかるか」
「半刻以内に遭遇すると思われます。現在、グリフォンを使った1部隊が先行して進軍しているため、そちらはほどなく」
「あとは」
「スケルトンナイトとリッチらしき部隊がファントムの部隊と共に後続しています。残りの5部隊についての構成は未だ判明しておりません」
「ソニア殿。オハラの部隊とフェンリル殿の部隊は今すぐ出撃可能だが」
落ち着いた声でトリスタンがそう言う。彼らの視界の端に、ランスロットが完全な戦闘態勢で近寄ってくるのが見える。
ソニアはランスロットに叫んだ。
「ガストン隊はどうだ」
「魔獣が」
そういえば魔獣達のご機嫌が今一歩であることを、ランスロットの言葉でソニアは思い出す。
「・・・確かにそーだ。いや、いい。編成次第だ。ノーマンを呼んでくれ。ノーマンにはちょっと働いてもらわないとな」
「そうだな。ルーンアクスの扱いは、確かにノーマンが最も長けている」
「ランスロット、ノーマンをつれて出てくれ。アンデッド達はランスロットとノーマン、それからオハラ隊に任せる。オハラ隊も、フェンリル様も出陣準備を。どの部隊が消耗しても困る。孤立しないように1部隊ずつ片付けていって欲しい。ただし、誰も死ぬな。誰か一人でも危なそうだったらすぐさま撤退しろ。命の確保が優先だ。それから、カノープス!」
ソニアは声を張り上げた。少し離れたところからカノープスの声が聞こえる。彼も朝番だったから起きていて当然だ。その様子をちらりと見てからフェンリルは、自分が率いるドラゴンと兵士のもとへとすぐさま向かった。
「呼んだか!?」
「北に伝令!時間が早いが、三部隊一緒に引き上げてこちらに合流するように。カノープス、一人で行くな。新兵は駄目だが、ある程度実戦慣れをしている兵士とユーシスをつれていって、帰りは三部隊と共に戻って来い。警戒するに越した事はない」
カノープスには神聖魔法を唱えることも、聖なる力の加護をうけた武器を扱うことも今のところ手段がない。
それの懸念と移動力を考慮した結果、ソニアはユーシスの名をあげた。もっと部隊を割ければよいが、そういうわけにもいかないのが悔やまれる。
次々に指示を出す手早いソニアの声。
異議があれば即座に唱えるフェンリルもランスロットもとりたてて何も言わずに、彼女の言葉に従っている。
「軍議で話したとおり、リッチやネクロマンサーがいる部隊は、効率よくそいつらを戦闘不能にしてくれ」
ざわざわと人々が動き出す。ソニアの命令は報告に来たスチーブ達と、近くに寄ってきたランスロットに出されたものだが、ソニアの命令が聞こえるやいなや、部隊長クラスの人間は部隊員をそれぞれ集合させる。
また、出陣予定のない一般兵士達−あまり戦力になっていない新兵や、反乱軍の生活全般に尽力してくれている武器をほとんど持たぬ者など−は、いつでも天幕をたためるようとか、陣地を移す下準備を始める。細かい命令がないということは、いまのところソニアはここから離れる気がないのだろうと予測できる。
「ソニア、じゃ、行って来る」
「頼んだ」
カノープスは軽く声をかける。
「ああ。まだ、やつらの力が十分発揮出来る時間帯だ。気をひきしめないと・・・ああ、そうだ。フェンリル様!フェーンリールさーまーーー!」
「聞こえてる!犬や子供じゃない。伸ばして呼ぶのはやめなさい」
少しばかり遠くにいたフェンリルが嫌そうに顔をしかめてソニアに近づいて来た。すみません、と小さく謝ってはいるが、ソニアは別に悪びれない。
「フェンリル様、ブリュンヒルド、持って行って下さい」
そういいながら腰につけていた剣をソニアはぐいとフェンリルに向けて差し出した。
「それはもう、ソニアの剣だといったでしょう」
「そうですね。でも、今の持ち主であるあたしが、お願いしてるんですけど」
「・・・仕方ない。アンデッド達を祓うには必要な武器だ」
フェンリルは眉をしかめてみせたが、本当はそれほど嫌がっているわけではないことをソニアは知っている。いや、むしろ嬉しいに違いないのだ。
ソニアが差し出す剣を受け取るフェンリル。
ぎゅ、と愛剣を握り締めて瞳をそっと閉じるフェンリルの姿を、ソニアは静かにみつめた。
「ああ。とてもよく馴染む」
「・・・嬉しいですよね」
そう言いながらソニアは小さく微笑んだ。
「わたしよりも、ソニアの方が嬉しそうだ」
「うん。なんででしょうね」
ソニアはブリュンヒルドのことは決して嫌いではない。彼女の手にもとてもよく今はしっくりくるし、幾度も危険を共に、いや、ソニアを守ってくれた剣だ。
それでも、ブリュンヒルドを手にするフェンリルを見ることが、本当に嬉しいと思えた。
「これを、代わりに」
フェンリルは自分が普段使っている剣を差し出した。
「誰かと剣を交換するなぞ、そんなことは普段はあり得ないことだけど。ソニアになら、自分の剣を渡して良いと思える」
その言葉がとてつもない賛辞だということをソニアはよくわかってはいないが、満面の笑みでフェンリルから剣を受け取った。
そして、本当はフェンリルがブリュンヒルドを振るう姿を見たいのにな、と心の中で呟いた。

ランスロット隊のメンバーは、スチーブとノーマン、それから久しぶりにオーロラと最近ゴエティックに昇格したドイルだ。
ランスロット達はあまり夜の戦は得意としないのだが、それを差し引いても余りあるパワーを最近のノーマンが持っていると誰もが知っていた。それだけではなく、ガストン以外にノーマンをうまく扱える人間はこの軍にはあまりいないということ、あまり友好的ではないくせに、ランスロットの言うことはなんだかんだノーマンが聞いてしまうということをソニアは良く知っていた。
普通の軍では使い辛いと言われる、一癖ニ癖ある兵士でも、反乱軍では大切な戦力だ。
手を変え品を変えてそういう人材を使うのも骨が折れるけれども、ソニアはあまり文句をいうことがない。
それはひとえに、彼女が父親と共に暴れまわっていた頃の仲間が、ランスロットやウォーレンには想像がつかないほどに一癖もニ癖もある厄介な人々ばかりだったおかげだろう。
情報とおり、明らかに敵兵を乗せていると思われるグリフォンと遭遇するのに、そう時間はかからなかった。もう少し時間がかかればもっと夜が明けて楽な戦いになるのだと思えるが、それを言っても始まらない。
町にかなり近付いた場所での遭遇だったことが、まだ地の利をランスロット達に与えてくれていた。これが湿地帯での戦闘になればまた難しさが増すことだろう。
敵はランスロット隊の存在に気付いて、丘で様子を見ていた彼らのもとに下降してきた。
(なるほど、サラディン殿のおっしゃるとおり、あまり利口ではないらしい)
ランスロットは心の中でそう呟いた。
この場合の「利口ではない」はガルフのことではなく、個々の敵部隊長のことだ。
大抵空を飛ぶ魔獣に乗っている部隊というものは、自分達よりも移動力の低い敵部隊を見れば、それを無視して本陣へ向かおうとするものだ。戦というものは通常、どれだけ多くの敵兵を倒したのかが問題になるものではないからだ。当然、一部隊でも多く殲滅させることを優先とする場合もある。
が、地の利もなく孤立した反乱軍とこの時間に戦うならば、夜が明けないうちにグリフォンのスピードをいかして本陣に攻め入ったり、様子を伺いに近付くことも有効だ。ランスロットの部隊なぞ、後続隊に任せておけばいいのだ。
そのことを危惧して、わざと高い丘で様子を見ていたわけだが、相手は獲物を見つけた、とばかりになんの躊躇もなしに向かってくる。
「グリフォンの突風に気をつけろ!」
離れたところでグリフォンは着陸した。その際の突風に煽られて転倒することはよくあることだ。とはいえ、グリフォンの突風だけでは敵を倒すことは出来ないし、背に人を乗せた状態ではグリフォン自身が戦うことは困難になるため、上空にいるという優位を生かすことはなかなか出来ないものだ。それは過去何十年もこの大陸で多くの人々が考えていたことだ。なかなか良さそうな方法が考え出されても、それは、あくまでも地上にいる敵へ有効な手段であり、敵兵もまたグリフォンやワイアームなどを操っていた場合は勝利が難しくなる戦闘方法ばかりだった。いくら指導者が魔界のものとはいえ、手先になるものがこの世界のものでは、あまり戦には大差がないのだろうか、とランスロットは思う。
ノーマンとランスロットの背にオーロラとドイルは隠れるように足を踏ん張っていた。
彼らの前方で着地したグリフォンは、背から兵士を下ろそうとしていた。その隙に切りかかるには距離がありすぎる。
「なんだ、あれ!」
ノーマンが叫んだ。
グリフォンから降り立った三つの影は、見慣れない風貌の者達だ。空がわずかに白んでいるために、彼らが人であって人ではないことが、ランスロット達の目には嫌でもわかってしまう。
ぞっとするほど白く、いっそ青いと言い切って良い顔色。赤い裏地がついた黒いマントに身を包んでいるが、その下には、戦だというのになんの鎧も身につけていないように見えた。目を凝らせば革鎧でもあるのでは、と警戒したけれど、どうみてもただの服にしか見えない。
「あれは、ヴァンパイアだ」
「ヴァンパイア・・・なんだよなんだよ、普通のおっさんがマントつけてるだけかよ、鎧もなしで」
「鎧はいらないんだ。やつらは回復と攻撃を同時に行うライフフォースの魔法を使う」
「ライスフォース?」
「その上、チャームの魔法も使う。くれぐれも魅了されぬように注意しろ」
「アホらしい!」
ノーマンはつまらなそうな表情で舌打ちをした。
「魔法を唱えさせる前に、蹴散らしてやる」
「後続部隊にファントムの部隊がいる。そこまではオーロラのヒーリングや、後からくるオハラの魔法でどうとでもなるが、その後に近付いているらしい別の部隊では、そうはいかないかもしれないな。とにかく、ノーマン、君のルーンアクスと、私のカラドボルグが今は有効な攻撃手段となる。心してかかってくれ」
「お、おう」
とっつきが悪いおっさんだな、とノーマンはもごもごと口の中で呟いていたけれど、ランスロットはそれを気にもとめずに、彼の任務を果たすことに集中をした。

ドイルが放つ魔法によって発生した光が明け方の薄暗い空に映えた頃、オハラ隊もフェンリル隊もランスロット隊の姿を認められるほどの距離に追いついていた。合流と無事を知らせる狼煙が空にあがり、見習ホークマンがそれを発見して伝令に走る。
狼煙を目で確認出来る空かどうかで、戦の方法も変わる。今日はなかなか運が良い、とソニアは思った。
「あとは、三部隊が早く戻ってきてくれればいいんだが」
ノルン・サラディン・ビクター隊を連れてカノープスが戻れば、戦力は集結する。
この場で明け方の小競り合いをするだけではなく、そのままソニアは攻め込むつもりだった。
三部隊は交代で見張りをしていたわけだから、少なくとも二部隊は今の今まで休息していたに違いないし、どの部隊もソニアには頼れるメンバーばかりだ。
忙しく兵士達が動き回る中でも部隊長レベルの人間は、常にいつでもソニアからの命令が来ても迅速に対応できるようにしている。その中で、ソニアはいつでも出陣出来る準備を終えたトリスタンに声をかけた。
「皇子、申し訳ないのですが」
「うん、なんだい」
「ガストンが魔獣に荷を積んでいるんです。そこでお手伝いしていただけませんか」
「ああ、わかった」
トリスタンは簡潔に答えた。
ウォーレンやランスロットがいれば、「皇子に荷の積み下ろしなど」と怒り出すところだろう、とソニアはわかっていた。多分、トリスタン自身もわかっているのだろうと思う。
それでもこうやってソニアはトリスタンにお願いをし、トリスタンも快く引き受けてくれる。
天幕を片付けたり荷を造ることは、トリスタンにはまだ出来ないし、教えたり教えられたり出来るほど今は悠長な場合ではない。
とはいえ、こんな時こそちょっとしたことを手伝ってもらって、少しでも反乱軍のメンバーにトリスタンの存在を馴染ませてやりたいとソニアは思う。荷の積み込みなら男手は必要だし、荷を運んで魔獣に取り付けるガストンに渡すだけだから、トリスタンも出来ることだ。
まあ、心のどこかで、トリスタンと二人きりでいるのも気まずいな、という気持ちもあったのだが。
「すみません。皇子に頼むのもなんですけど」
「どうして?出来る人間が出来ることをやればいい。僕はまだここでは自分が出来ることはあまりないからね」
「ルーヴァンも連れて行ってください。後でバレるとあたしが怒られる」
「ははは、そうするよ」
聞き分けのいい、様様な心得がある人だ、とソニアは思う。それだけでも突出した才能なのだということを彼女は知っている。彼の人となりを多くは知らないが、今のところ彼の表向きの気質−表も裏もないのかあるのかまでは判断がつかないが−にソニアは幾分助けられていた。
トリスタンを見送ってから、ソニアは近くの兵士達に指示をいくつか出し、それから、レイモンドからの報告を受けた。ランスロットとフェンリル隊は出陣しているし、サラディンは現在北から戻ってくる途中だと思われる。たった一人で早い判断をして指示を出すのは久しぶりだな、なんて呑気に思った。責任はすべて自分にかかってくるけれど、自分で放った言葉は忘れないから逆に何があっても人々の動きは把握しやすいし、判断も遅れない。しかし、それが可能ということは、軍としての規模が小さいというわけで、それはそれで出来ることも限られる。一長一短だ。
「これでスルスト様がおきてくれれば一番いーんだけど」
ソニアはぼそりと呟く。
眠りの周期に入ったスルストは、山越えの後からまたもぐうぐう眠り出した。必要であれば起こせと言われているが、どうもソニアにはそこまでする気になれない。無理矢理起こしてしまっては、調子を崩すのではないかとついつい踏みとどまってしまうのだ。
が、その懸念を打ち払おうかのように、妙なイントネーションの能天気な声が背後からした。
「オハヨーございマース!戦は始まったのデスネー!?」
「うわ、スルスト様!」
飛び上がらんばかりにソニアは驚いて叫んだ。
「おはようございます」
「フェンリルサンはお出かけですかー?」
「ええ、出てもらっています。次の狼煙があがって、北にいっている三部隊が合流し次第ここを立ちます」
「ハイハイ」
スルストは余計なことを聞かない。
彼は眠っていたのだから戦況もよくわからないし、三部隊と言われても誰がどこにいるのか反乱軍内部の状況もあまり把握していないように思える。
それでも彼はソニアに命じられれば(それはほとんどが「お願い」のようなものだが)それに従うし、納得がいかないときは自分から言葉を返すだけだ。
「まだ眠り足りないんじゃないですか」
「いえいえ。レディがお呼びでしたからネ」
「え?」
「ソニアの力に、なれるんじゃないかと思って」
ソニアはまじまじとスルストを見上げた。
どこまで本当のことで、どこまで冗談なのかスルストが言うことはよくわからない。
「ありがとうございます」
それでも、ここは素直に礼を言おうとソニアは満面の笑みを向けた。
ランスロット達が命をかけた戦いをやっているとわかっていながらも、こうやって誰かに笑いかけられるなんて、なんという信頼なんだろう、とソニアはふと気付く。
生命の確保を最優先するように命令を出したとしても、それが叶わないことが戦場では起こりうる。
そんなことは重々わかっていたけれど、ランスロットとオハラとフェンリルならば大丈夫だとソニアには思えるのだ。そう思えることの幸せを、この戦が終わったらランスロットに伝えたいと思ったその時。
空に、狼煙があがった。ソニアは驚いて顔をあげる。
刻一刻と色を変えていく夜明けの空の中では、色で判断をする狼煙をあげることは間違いを生じることもあるため、今は本数で判断をさせた。緊急の時−たとえば、撤退を余儀なくされた時など−は時間をかけることが命取りになるので一本だ。
今、空に立ち上った煙は一本。ソニアはそれに眉をしかめたが、わずかに遅れてもう一本煙があがった。
下手くそめ、誰だ、時間差であげたのは。
そう口に出すよりも先に、もっと単純な感想がソニアの口から漏れた。
「早い・・・」
「早いんデスカー?」
「8部隊、倒すには早すぎます。敵部隊が8部隊近付いているとのことだったので、」
嫌な胸騒ぎがして、ソニアは唇を引き結んだ。一方のスルストは呑気なものだ。
「8部隊。誰がいるのデスカ」
「フェンリル様の部隊と、オハラ。それから、ノーマンをいれたランスロット隊・・・あ」
「じゃ、早いでしょーネ、オハラサンとノーマンではネ〜」
くすくすとスルストは笑った。
「恋の力はすごいモンですヨ。しかも、この地で送り出される敵部隊は、どーせ、アンデッド達デショウ」
「はい」
「・・・武器を振るうのに、魔法を行使するのに、人を殺す、という躊躇がまったくなくなりマス。行き過ぎればそこに残るのは、曇りのない殺意だけになりかねまセーーン」
「・・・」
「それは、相手も同じですけど。気をつけないと」
「気をつけないと」
「そのうち、物を壊すように、人を殺めるようになりマスヨ」
そう言ったスルストの目は、笑っていなかった。
ソニアは、自分よりずっと上背のある、体格の良い騎士の顔をまばたきもせずにじっと見つめた。
物を壊すように、人を殺める。
スルストから目をそらさずにぼそぼそとソニアが彼の言葉を繰り返すと、彼はあごを軽く動かして頷いた。決して彼もソニアから目をそらそうとはしない。
夜明けと共に飛び立つ水鳥が空の彼方にシルエットを浮かび上がらせる。もうすぐ夜が明けるのだとわかったけれど、ソニアはそちらを確認せずに言葉を発した。
わずかな朝の風で辺りの木々がかすかに揺らめく。
「戦争で人が死ぬのは当然だし、前線にいる以上、敵兵を殺すのも仕方が無いです。それにいちいち罪悪感をもっていては、戦争は出来ない」
「そうデスネ」
「でも、戦という大義名分がなければ、あたしは人を殺したくはない。みんな、そうではないんでしょうか」
「誰もがそうであれば、暴力によって人を支配しようとする人間は存在しないでショウネ」
いささか呑気すぎる口調でスルストは答えて、大袈裟に肩をすくめてみせた。
「確かにそうだ。周囲から見て歪んでいても、暴力を振るう方には自分なりの大義名分があるんでしょうけど」
そう言ってソニアは黙りこんだ。スルストからすうっと視線をそらして、軽く握った手を鼻の下あたりに当ててなにやら考え込んでいるように見える。
兵士達の何人かは、まさかソニアが狼煙に気づかなかったのでは、とちらちらと心配そうにソニアを見ていたが、その都度スルストがわずかな笑顔と共に手のひらを向け、「わかっているから」と制止の合図を送った。
やがて、ソニアはぼそっと呟いた。
「スルスト様」
「なんデスカー?」
「難しいです」
「何がでショウ?」
「あたし達の正義みたいなもんを振りかざして、進軍する方が、難しい」
「何と比較しているのデスカ?」
「人対人で戦争を続けるより、アンデッド退治やら、人じゃないものを倒すとかいう名目で士気をあげる方が簡単で、誰の迷いもなくなる」
「そうデスネ」
「・・・オウガバトルは、どうだったんですか?そういう戦いだったんでしょう?」
スルストは左側の口端だけを軽く上げて、大きな手をソニアに伸ばした。
「わわ!」
ソニアの頭を数回ぽんぽんと叩いて、大男は彼なりの茶目っ気で片目を閉じて見せる。
「その話は、また今度。お待ちかねの人たちが戻ってきたようデース」
「あ」
スルストは指を空に向けて指し示した。ソニアも素直にその方角に顔をあげる。何かが、見えた。
北の空にうっすらと見えるシルエット。それは、水鳥ではない。
灰色と薄い水色が混在した中でゆるやかに色を変え始めた空に見えたのは、カノープスとユーシスの姿だった。

話は遡るが、ランスロット達はなかなか明けない夜に軽く苛立ちながら、アンデッド達と戦っていた。
イノンゴからわずかに離れた陣地より、更に南西へ下った位置の、あまり広くない平野が彼らの戦場となった。
剣に付くのは血ではない。アンデッド達の細胞に姿を変えた怨念だ。
通常、人間を相手に戦っている時は、あまり長く大人数を相手には出来ない。自分の体力や多勢に無勢という話ではなく、剣が重く切れにくくなり、打撃のための武器となってしまうからだ。
それでも、アンデッド相手にしている時は勝手が違う。聖なる力の加護を得ているカラドボルグは、アンデッド達を突いても斬ってもその威力は決して失わず、普段戦の中で感じる、剣の威力の衰えをランスロットには伝えなかった。
共に戦っているノーマンも同じように感じているのだろうと思う。
彼が持つルーンアクスもまた、聖なる力を得る武器だ。
そもそもノーマンはここ最近驚くべき成長を遂げていた。
力任せだった斧の扱いも上達し、今では相手の太刀を受け流すことも出来るようになった。
がむしゃらに斧を振り下ろすだけの戦いに変化が起こり、斧の柄を使い、数種類の構えを使いこなし、防御面でも十分と言えるレベルに達してきた。間違いなく反乱軍一の斧の使い手と言えるだろう。
ランスロットは、戦場で最後に最も役に立つ武器は斧ではないかと時に思う。
刃が持つ殺傷力が落ちたとしても打撃物としての力は残るため、その時点で剣よりも優位ではないかと考える。槍は長さがあるため敵に懐に飛び込ませない戦いも出来るし、いざとなればがむしゃらに振り回すことも出来る。しかし、小回りが利かない点では危機回避時の可能性としてどちらが優劣かといえば、今まで彼が命の危険にさらされた経験では斧の方が−それも柄がある程度の長さあるものが望ましい−有利だと思えた。(当然、彼が知らない戦や状況もあるわけで、一概に言えないことは理解の上だ)斧がもつ欠点を踏まえた上でも、ノーマンほどの腕前になれば、なかなかに心強いと思う。
もちろんランスロットは剣の長所を否定するわけではないが。
(それにしても、ノーマン)
既に先ほどのヴァンパイア達を倒して、ファントムという亡霊達を相手にしながらランスロットは眉根をしかめた。
疲れていないわけがないのに、彼は自ら敵の懐に入り込もうとする。それは危険なことだ。しかし、そんなことはおかまいなしに彼が放つ一撃でファントムは屠られる。
その後でオーロラが詠唱をしたヒーリングの魔法で、アンデッド達は後を追うように次々に消滅していく。
あまり戦力にならないスチーブとドイルはその様子をあっけにとられたように見ている。そこに間違いなくいた存在が、聖なる力によって消え去る姿は哀れといえなくもない。初めからそこにいなかったかのように、空気に溶けたように、見えないほどの粒子になったように何もかもなくなってしまう。人であれば飛び散る血もなく、最後の咆哮だけを残して。
残ったネクロマンサーにランスロットが一太刀を浴びせて、敵部隊は壊滅した。ソニアからは「戦闘不能にさせてくれ」という命令を受けていたから、敵部隊を全滅させる必要は本来はないのだが、敵部隊の編成を見てもこのネクロマンサーが部隊長を務めていたことは明らかだ。アンデッド達を失っても、このネクロマンサーがアンタンジル城に戻ってもう一度出陣するための兵力を手に入れることは容易に想像が出来た。ただ戦うだけの新しい戦力はいくらでも雇える。今は逃がしても困らないが、のちのちガルフとの決戦を行う時に、あまり多くの部隊を残して混戦になると問題だ。仕方なくランスロットはネクロマンサーにとどめを刺した。
それまではアンデッドを一撃で倒していたため、今まで当然だった、生身の人間に切りかかる感触に、ランスロットは予想以上に抵抗を感じて兜の中で、はっと目を見開いた。
不思議なものだ、と思う。ほんのわずかにアンデッドを斬っただけで、生身の者を斬る感触を「忘れた」かのように違和感を覚えるなんて。ランスロットは剣を鞘に収めてから、小手をつけた自分の腕を手をみた。当然、何が違うわけではないが、「何か」が違うと感じる。と、その時、
「ノーマンさん、そんなに飛び出なくても、アンデッドであればわたくしが」
あまり戦の時に自分から他人の動きについて言葉を発さないオーロラが、見かねたように声をかけた。
「呪文唱えるのを待ってられっかよ。一発あてれば死ぬんだ、いいじゃねえか」
「でも、無駄な消耗は」
困ったようにオーロラはランスロットをちらりと見る。彼女がそんな風に、自分の発言について他人の力添えを要求するような素振りを見せることは珍しい。
「無事に倒してるんだから、いいだろうが!アンデッド相手にしか戦えないプリーストごときがうるせーぞ」
「あら」
オーロラは可愛らしい顔をしかめてみせた。スチーブとドイルは困ったように様子をうかがっている。
「とりあえずのところはいいが、アンデッドがいない部隊も存在することを忘れてもらっては困る」
仕方がない、とばかりにランスロットは口を出す。
「それに、オーロラを侮辱するな。彼女は、癒しの魔法の使い手であるだけではなく、優れた弓の使い手だ。いざとなれば何物を相手にしても十分戦う力はある」
「あー、はいはい、わかりましたよ。ったく、アンデッドを殺せっつうから働けば文句を言われるし、面倒だぜ。全然手ごたえのない敵しかいないっつうのに、余計なことばっかり考えすぎなんだよ」
「噂をすれば、アンデッド以外の部隊が」
前方を見てスチーブが叫ぶ。
もう、夜が明けようとしている。東から昇ってきた朝日の光を側面から浴びつつ、進軍してくる敵部隊の姿が見える。
ランスロット達のわずか西側にはオハラ隊がちょうどスケルトンナイトを主にした部隊との戦闘を終えて、ランスロット隊と合流しようと動き出したところだ。遠目から見ていても、オハラが行使する神聖魔法の前ではアンデッド達はあまりにも無力で、あっけないほど簡単に勝敗が決まってしまう。いくら力を発揮できない昼になる前に、とはいえ、敵の進軍は相当に安直だったのではないか、とランスロットには思える。
後方にはフェンリルの部隊がすぐそこまで追いついてきていた。
「スチーブ、部隊構成はわかるか」
「ウェアタイガーの部隊とえーと、ゴエティックの部隊、です。何か飛んでいます。シルフのようです・・・その後に、ドラゴンゾンビの部隊が」
羽ばたいて様子を見ていたスチーブが上空から叫んだ。
辺りにぽつぽつと立っている木々に隠れるように、その高さを越えない位置でスチーブは様子を伺っている。
「なかなか、夜が明けない」
「そういう場所にしか封印できなかった我々の落ち度だ」
「フェンリル様」
「自分の力を蓄えるのには、夜が長い場所が一番望ましい。魔界の入口によりいっそう近い場所。逃げようとしたガルフをどうにか封印したこの地は、この大陸の中でも魔界に近く、夜に近い場所だから、なかなか朝が来ないのよ」
「ウェアタイガー達が近付いてきます!」
「ベレクロス」
フェンリルは傍らに寄り添う、冷気への耐性の強い、美しい鱗を持つドラゴン、バハムートの名を呼んだ。
「あまりありがたくない時間だが、行くか。ドラゴンゾンビ達の力は脅威だ。下手な前衛しかいない部隊なら、死者も出るだろう。シルフ達もあなどってはいけないな。ランスロット達は後衛の三人があまり頑丈ではなさそうだ。ドラゴンゾンビ達がおいついてくるまでに、先のニ部隊を倒さなければ厳しい。いざとなったらドラゴンゾンビ達にはわたしとベレクロスが盾になる」
「しかし」
「残りの部隊は、とりあえずそちらのニ部隊にまかせる。相手は、アンデッドではないようだ。心して戦うがいい。聖なる力を持つ武器をふるっても、一撃では倒れないのだから」
勝手なことをいいやがって、とノーマンは毒づいたけれど、ランスロットはしばらくの間フェンリルを見ていた。
フェンリルは脇にかかえていた兜を頭にかぶせ、バハムートと共にランスロット隊とオハラ隊の後ろにつくように動く。その背中をじっとランスロットは見つめる。
「・・・確かに。この武器でアンデッド達を倒した後では、心持が違うな」
もしかしたら。
初めからそういうつもりでガルフは部隊を派遣していたのだろうか?
こちらが聖なる加護をうけた武器を持っていることを知り、そして、その力に思い上がることを。
いや、考えすぎだ。
ランスロットは自分が無意味に深読みをしようとしていることに気付いた。
(ソニア殿が、あんなことを考えていたと知ってから・・・自分も出来る限り、と思ってしまうが)
深読みの案配というものは難しい、と思う。
それが過ぎてしまえば「読み」ではなく、ただの妄想になってしまうからだ。
とはいえ、ノーマンのように能天気に「一発あてれば死ぬんだ」なんてことを簡単に口に出すのもどうかと思えるが。
「どうなさいました?」
オーロラに声をかけられて、ランスロットは自分の物思いから引き戻された。
「いや、なんでもない」
「調子でも悪いのでしょうか?」
「そういうわけではない。考え事をしていただけだよ、大丈夫だ」
「そうですか」
自分が腰におさめたカラドボルグにランスロットは手を伸ばした。
この剣の力でアンデッド達を屠っているけれど、それは自分の力ではなくて剣の力だ。
けれども、あまりのたやすさに過信してしまいそうな瞬間を時々ランスロットは感じる。
(大きな力を手に入れるということは、こういうことなのだな)
今までにも何度もアンデッド達と戦ってきたけれど、ここまでアンデッドを多用した部隊と腹を据えて戦うことは初めてだった。
「オハラ隊が到着しましたよ」
大丈夫だ、といいつつも、オーロラがそう言ってくれなければランスロットはうっかりと気付かなかったかもしれない。それほど、彼の思考を止めるほどの何かが、彼の心の中でもやもやと大きくなりひっかかりを生んでいたのだ。
「あ、ああ」
少しばかり慌ててランスロットは声をあげた。
テリーが軽くランスロットに手を振る。
長い付き合いゆえ、上下関係のようにランスロットに敬称をつけて呼ぶものの、テリーは比較的気安くランスロットと付き合っている数少ない人物だ。距離感が似ているというのだろうか。テリーに向かってランスロットも軽く手を上げる。
「そちらはどうだ」
「とりたてて苦戦することもありませんでした」
答えるのは部隊長を務めるオハラだ。
「そうか」
「神聖な魔法というものは、あんな風にアンデッドを簡単に倒してしまうものですね。なんだか、そら恐ろしいです」
「うむ。そうだな」
プリースト達のヒーリングは普段であれば人々を癒す魔法であるが、オハラが唱えるスターティアラという魔法は、決して何者かを癒すものではない。いうなれば、ランスロットが振るっているカラドボルグやノーマンのルーンアクスと同じ、魔に対抗するべき道具のようなものだ。
となれば。
自分が今感じている、剣にこもった加護によってもたらされた力への感情。それをふるって敵を倒す自分。
それらは、プリンセスとして戦場に立つことになったオハラの気持ちと似ているのだろうか?
(それでも、わたしやノーマンは、武器の力であって、自分の力ではないが・・・)
オハラは、「プリンセス」という特殊な称号を得ることによって、その力を自分自身のものにすることになった。
ふとランスロットは、オハラをプリンセスにしようかどうしようかとソニアが悩んでいた頃のことを思い出す。

プリンセスの恩恵をうけた兵士達が・・・それが自分自身の力ではないことを、錯覚しないでいられるのかが不安なんだ

違う。
ランスロットは軽く頭をふった。
自分やノーマンは、テリーやゾックと同じなのだ。
何者かによってもたらされた力を、自分の力と錯覚しないこと。
(こんな形で、届かないことをまた実感するとは)
嫌なものだ。ランスロットは皆に気付かれないようにそっと深呼吸をした。
既に畏怖の対象となっている力が自分の一部になっているオハラ。
そして、それの切り分けすら出来ないソニア。
悲しいことにその力の有り様と心の持ち様は、こうやって武器の力ですら自分の力と錯覚してしまいそうな自分達とはまったくかけ離れているのではないかと今更ながらに痛感してしまう。
「おら!敵が近付いてきたぜ、どーすんだ、早く命令しろよ!」
皮肉にも、ノーマンのその叫びでランスロットはまたも物思いから引き戻され、心の中で感謝することになった。
また、「わかっていたつもりでわかっていなかったのだ」と自分を苛むことは、ランスロットにとってもこの状況で歓迎できることではなかったからだ。


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モドル