魔縁との対峙-4-

脅威の生命力を持つドラゴンゾンビからの、生身の人間にとっては痛烈なはずの打撃を何度も喰らったけれど、フェンリルはけろりとしていた。いざ戦を始めれば、彼女は感情を表に出すことは一切なく、ただ機械的に敵部隊を一掃していくだけだった。
「これで、終わりか」
切り捨てたアンデッドが消滅していく前で、フェンリルはブリュンヒルドを目の前にかかげてみつめた。
「やはり、お前はわたしの剣ではなくなったのだな」
ぴっちりとかぶった兜の中で、彼女は小さく呟いた。
元の持ち主の手にあるその剣は、切り伏せたアンデッドの細胞も人の血もまったく付着せず、神々しさすら感じる姿を保っている。
天の神から見放された下界を憐れみ、罪として問われると知りつつも彼女が下界に託した剣だ。
オルガナで罪人としての日々を過ごす間、自分が罪を負い続けていることがまた、下界の平和と繋がっているのだとフェンリルは常々思っていた。
ブリュンヒルドは、その力を必要とされる時にふさわしい者の手に渡る、人を選ぶ聖剣だ。
下界のどこかでこの聖剣が眠り続けているということは、下界の者達の力だけで解決できる諍いしか起きていないと言える。
許されなくてもいいと、思っていた。
目に見えない足枷が自分についているとしても、自分はまだ下界を愛していたし、慈しみたいと思う。だから、ブリュンヒルドを持つ者が現れずに、自分は許されないままでいても良いと思っていた。
その反面、時折狂おしいほどのせつなさ、辛さが彼女の中で強く動き出して、許されたいという衝動に駆られる。その時の自分は、とても醜くて小さいとフェンリルは感じた。
そうした繰り返す葛藤をいつの日か己の内に抑えて、淡々と「死ぬまでは生きる」生活を送っていたけれど、それらをラシュディは打ち壊した。ラシュディの存在がブリュンヒルドとソニアをオルガナに導いたといっても過言ではない。
いざ罪を許されてその身を自由にされたフェンリルは、助けてくれた−本来二重の意味ではあるが、ラシュディの手から助けられたという名目で自分は動いていると彼女は公言するだろう−ソニアの元にいる。
皮肉なものだ。
下界に託した剣をこうやって、もはや人間ではなくなり、下界に戻ることが出来ない自分が振るっている。人間の指揮の下で。
以前ならばなかった、ブリュンヒルドを振るうときのそういったわずかな心の乱れを気付いてしまうほどにフェンリルは聡く、剣を持つことに対して敏感だった。
遠目でフェンリルの剣太刀を見ていた反乱軍の面々は彼女の剣技に溜息をもらすほどに感心をしていたが、彼女自身は久しぶりに聖剣をふるった感触の違和感を嫌というほど感じていたのだ。いや、愛剣の方こそわかっていたのだろう。
「それでいい。下界に託した時から、もはやお前がわたしの手に戻ることはないと思っていたのだし・・・しかし」
わかっていても、寂しいものだ。
その呟きは声に出さずにフェンリルはブリュンヒルドを腰にそっと納め、空を仰いだ。
ああ、夜明けが来た。
新しい日が始まる。きっと、この封印の地にとっても、本当の夜明けがやってくるに違いない。
また一つ、自分と共に生きてくれるはずだったものが、自分の手元から去っていくその虚無感にさらされながら、フェンリルはランスロット達のもとへと歩きだした。
足を動かしながら、この喪失感は人間だけが感じられるものなのだろうか、と誰も答えを与えてくれるはずがないことを考えた。
自分は今どんな顔をしているのだろう。兜の中で自嘲気味に眉根を寄せる。
こんなときにはあの男−スルスト−とあまり顔を合わせたくないものだ。
見透かされた、と感じることも、見透かされたのかもしれない、と嫌な気持ちになることも、それ以前に「見透かされるかもしれない」と思ってしまうこの心の動きは不快なものだ。

もともとガルフは反乱軍に対する情報をあまり多くは持っていなかった。
誰も好き好んでこの封印の地に情報を持ち込むわけはなかったから、いざ反乱軍と戦を始めたときには、封印となる目に見えない障壁を越えて彼の手下となるアンデッド達の思念を頼りに情報を集める必要があった。
魔界とこの世界を繋ぐ扉に近いこの地では、彼は自分の力に応じて多くのアンデッド達を召喚することが出来たが、封印の外となると話は別だったからだ。
それに、ラシュディと名乗った男から得た情報も決して多いとはいえなかった。
だからこそ、彼は部下のアンデッド達からの「すさまじい剣を使う女性が、反乱軍にいる」という報告に驚き、そして慄いた。
いや、最初は何の驚きもなかった。
多分反乱軍リーダーだろうとガルフは一瞥し、たいした話でもなさそうに聞いただけだ。いくらガルフでもその程度の話は知っている。
聖剣ブリュンヒルドを手に入れた反乱軍リーダー−若い赤毛の小柄な女と聞いている−は大層な腕前を持つ剣士だという。いかほどの剣士かはわからないが、恐れるものはその女の力量ではなく、聖剣の力だとガルフは考えた。聖剣の力はすさまじい。だからこそ、部下のアンデッドは「すさまじい剣を使う」と言ったのだろう。その程度にしか考えなかった。
確かにブリュンヒルドは魔の者にとっても恐ろしい剣だ。
しかし、無駄な力を放出することなく、魔力を得る器を着実に修復しているガルフとて、そうそうひけはとらない力を自分も今は持ち合わせていると思っている。
あのオウガバトルでは、やりすぎた。そして、やられすぎた。だが、おかげでそれまで過信していた自分の力をうまく秤にかけることが今の自分には出来る、とガルフは考える。その点だけは、ありがたいと思えた。悪魔にも感謝の気持ちというものがあるのだ。まあ、それは自分の才能への感謝や、他者の愚かさへの感謝など、大層ねじまがったものではあるが。
人間と魔界の者達だけで戦っていれば、簡単に済んだ話だったものを、天界が介入をしてきたことが余計な世話だった。ああ、まったく忌々しいと思う。
今や天の父も人間に愛想尽き果てており、それに反してブリュンヒルドを下界に託したフェンリルが咎を受けることになったことは、ガルフも知っていた。
いい気味だ、と思った。そして、愚かだとも。
そのブリュンヒルドを反乱軍リーダーが手にしたため、フェンリルの罪が浄化されたらしいが、それもまた余計なことだと思う。
「反乱軍リーダーとやらだろう、どうせ。小柄な女だったか」
掃き捨てるように言ったその言葉に、報告に来た者がおどおどと言葉を返した。
「いえ、それが・・・」
「・・・何だと?もう一度」
「細身ですが、長身の剣士でした」
「男か、女か」
「わかりません」
ガルフは、ぞくりと背筋が寒くなった。悪寒に似た−彼が悪寒を感じることなどありえないのだが−感触。
まさか。
何故自分がそんな気持ちになったのか、ガルフにはわからない。
ただ、自分の嗅覚はなかなか優れていることをガルフは知っている。
あのオウガバトルでもそうだった。魔界へ逃げ切ることが出来ないと途中でガルフは気付いた。それでも、彼は他の者達とは違った。もともと持っていた力も確かに大きかったが、彼は彼の嗅覚で動き、この魔界の扉に近い地に辿り着き、そして封印された。そうだ。封印されてでも、こうやって生き延びているのが、自分のその勘のおかげだ。
だからこそ、とても単純に「気に入らない」と彼は思えた。
自分の生命を脅かすものが近付いている感触に、彼は武者震いをしていた。
(ラシュディというあの魔道師は、天空の三騎士ですら手のひらで躍らせたといっていた)
しかし、もしかして。
ブリュンヒルドを手にした小娘に、あの女が味方しているというのか。
(しかし、三騎士が動くとなれば、それは天空が介入するということだ。あの魔道師は所詮、人間。人間同士の争いで天空が介入するなど)
あり得ない。
「何があるというのだ。あの魔道師の裏に」
しかし、下界の諍いに天界が完全に介入すれば、あっという間に物事は進む。そうではないということは、「天の父なるものが、三騎士達が下界に手を貸すことを許した」程度だと容易に想像は出来る。
では、何故。
確かに今、ガルフは力を得ようと企んではいるけれど、そんなことをかぎつけてわざわざ三騎士を送り込んだならば反乱軍と共にいる必要はないだろう。
何かが、動いている。
あの男はキャターズアイを持っているといった。
それは、天界を手玉に取っているということだ。
天界と人間が手を結ばなければ、あのラシュディという男に立ち向かえないのだろうか。
それは、逆を言えば自分−魔界の者という意味だが−とラシュディが手を結べば、天界も人間界も手に入れることが出来るということなのか。
(それならば、さっさとそう言って、もっとわかりやすく手を組めばいいものを)
もちろんガルフは「手を組む」なんていう甘ったれたことを考えるような悪魔ではない。
どんな戦いでも勝者はたった一人でいい。最後に出し抜くためならなんだってやる。
なるほど、少しだけ読めてきた、とガルフは顔を歪めた。
ラシュディは自らの兵を失う気はないのだろう。
そして、手を組むつもりのガルフの小手調べもしたいし、あわよくば反乱軍を蹴散らすならばそれはそれでよし。
ということは、その先があるということだ。反乱軍をねじ伏せた後でも、ガルフと手を組む必要があの魔道師にはあり、そして、それはまだガルフに言えないことなのだ。
うまそうな話だ、とガルフは思う。
人間の愚かなたくらみは、彼の食欲をそそる。
悪魔よりも天使よりも、何よりも、愚かしい謀略にねっとり絡みつく人間の感情は、彼の心を震わせる。
おもしろいことになってきた、とガルフの口端は緩み、笑みを作った。
それは、見るものをぞっとさせるような、不吉な笑みだった。

朝が来て昼が来れば、どれだけアンタンジル城から部隊を派遣されても反乱軍が優勢であることには変わりがなかった。
そもそも聖なる光に弱いアンデッド達。
反乱軍が進軍をしても、それを止められるほどの威力を昼間に持つはずがない。
ソニア達は勢いにのってアンタンジル城付近まで移動をしてきた。
反乱軍を避けてイノンゴへ向かうルートをとっている敵部隊を討ちもらすこともあるため、ノルンとサラディンにイノンゴを守るように依頼をし、数部隊を預けた。進軍前にそれを依頼したときのノルンは不安そうだったが、サラディンも一緒だということを知り、少し安堵したようだった。
正直ソニアも今はサラディンを連れて行きたいのだが、マラノやゼノビア(以前はウォーレンが勝手に動いていたものだが、トリスタンが仲間になってから、こと、ゼノビア復興を目指す兵士達をいくらか軍から離脱させてゼノビアに送っている)に戦力が分散している今は、贅沢はいえない。イノンゴの人々の心を荒立たせないためにノルンに常駐して欲しいが、ノルン自身は戦での経験も人生の経験も多いとはいえないわけで、自信がない。であれば、それなりの年長者がサポートをするしかなかった。
そんなわけで彼らに任せていたが、ソニア達がアンタンジル城に近付けば近付くだけ、反乱軍と正面からぶち当たらずに迂回をする敵部隊も減ってきた。
サラディンだけでもイノンゴから引き上げさせたいが、一部隊だけで移動させるのはまだ危険だとも思え、ソニアはしかめ面をして考え込んでいた。
「このまま一気にたたかないと、城に近付けば近付くほど敵部隊が出てくるな」
「うん」
ランスロットの言葉に、まだソニアは浮かない顔だ。
「何か気になることが?」
トリスタンの問い掛けに、ソニアは「うーん」と唸るだけだ。
前線にいる神聖な力の加護を受けた武器を持つ者たち、聖なる魔法の使い手、そして、ユーシスはその力をいかんなく発揮してくれているし、そのままごり押しでアンタンジルに突入しても確かにいいと思えた。
下手に人間達を相手にしているよりも、よほど戦い易く、あまりに容易な進軍は反乱軍全体を浮かれさせていた。
「おーーーい!スチーブ!スチーブ!スチーブ、ひとっとびしてフェンリル様を呼んで来てくれないか」
近くに控えていたランスロット隊を含む20人ほどの兵士達の中にまじっていたスチーブを呼びつける。
「えっ、フェ、フェンリル様をですか?」
「何どもってるんだ」
「い、いや、はい、行ってきま〜す!」
スチーブにしてはめずらしいどもりにソニアは不思議そうに首を傾げた。
ランスロットを見るが、ランスロットもまた「どうしたのだろうか」といいたげに無言でソニアを見つめ返すだけだ。
天幕を張るような余裕はなく、ぽつりぽつりと林とすらいえない程度の木々が並ぶ平原で彼らはいっとき足を止めていた。進軍の途中で様子を見ている状態だが、いつでもまた全軍で移動を始める準備は出来ている。そもそもイノンゴの南側から撤収して進軍を始めた時から、一気に攻め入る予定だったのだし。
「今アンタンジル城に突入すれば、小競り合いを繰り返しても夕方くらいにはおおよそ片がつくだろうが・・・」
ソニアはそこで言葉を濁す。
「が?」
「ガルフが動かしているあの部隊は、数に限りがあるのだろうか・・・斥候の報告では、アンタンジル城ではそうそう兵士の血気はやる姿などは見られないというが」
「残念ながら、それはわからないね」
それは素直にトリスタンも認めた。
何度斥候をアンタンジル城付近を探らせても、城としての機能を果たすために働いている者の姿はないという。ただ、定期的に敵部隊がちらほらと送り出されてくるだけだ。レイモンドとキャスパーを中心とした斥候員の情報を信じていないわけではないが、報告を聞いてもどうもソニアは納得いかない。とはいえ、たとえどんなに情報が少なくとも、彼らはできるだけ早くアンタンジル城にいるガルフを倒さなければいけない。反乱軍には時間がないのだ。
そのままソニアがまた口を閉ざしていると、離れたところからフェンリルがかつかつと大股の早足で近付いて来る姿が見えた。
「何か呼んだ?」
「すみません、呼びつけて」
「いや、いい・・・前線の兵士が、少し浮き足立っているようだ。こんなに多くのアンデッドを倒すなんて初めてなんだろう」
「でしょうね。ビクターは、そうでもないと思っていたけど、やっぱり簡単すぎてヘンな感じなんでしょうね。プリースト達も、自分達が即戦力になる感触に、ちょっと浮ついてる」
ランスロットのカラドボルグをビクターに預けて前線に送り出した。一定以上の熟練者でなければ、貴重な武器を預けることはできない。ビクターに渡すように言うにも、ソニアはかなり迷った。
しかし、ランスロット隊の休息も必要であることは事実だった。それに、生身の人間を相手にするときと違って、アンデッドを斬る剣は何度振るっても斬り味が鈍るとか剣の重さに腕が疲れるということがない。誰が長期使用してもそれは耐えうる武器なのだ。
「ノーマンが一番危ないんじゃないかと思って、格の違いを見せつけようと思ったのだけれど」
フェンリルの口から、皆が予想していない言葉が飛び出し、一同は目を丸くした。
「逆に、スチーブの方が私を怖がってしまったようだわ」
それを聞いてソニアはげらげらと笑い出す。
「なるほど!それでスチーブ、びびってたのか」
「明け方のフェンリル様の猛攻は、わたしも呆然とするだけの凄みがありましたからね」
「そうなるように努めた。凄みとは、えらい言われようね。ま、誉め言葉として受け取っておく」
「・・・あ、申し訳ございません」
もともと歯に衣を着せることが苦手なソニアすら、ランスロットの言葉にはどうもひっかかったようで、憮然とした表情でランスロットを見る。ランスロット自身も自分の言葉にがっかりしたのか、少し照れくさそうにまばたきをしたものの、なんの言い訳も出来るはずもなく、気にしない風のフェンリルの態度に助けられていた。
ランスロットは言葉を選んだ。選んだつもりだったけれど、いざ口に出してみるとまったく選んだ甲斐がなくなるほど、端的な感想しか出てこなかった。王宮騎士としてはそんな不手際を起こすことは許されないという自覚もあったし、恥ずべきことだという認識もあった。しかも、主であるトリスタンの御前での発言だ。
ランスロットもたまにはそんなことがあるんだな、と気付いてソニアは黙ったままにやにやと笑った。それへはフェンリルが「笑わない」と一喝して、未熟な反乱軍リーダーをこらしめた。
「そんな風にランスロットが言ってしまうぐらいに、私は強さを見せつけたつもりだけれど」
「先ほどおっしゃった、危ない、というのは、浮き足だってしまうことをおっしゃっているのですか」
トリスタンが静かにフェンリルに尋ねる。
「ええ。神聖な力が込められていない武器や神聖な力を借りる魔法を行使しなければアンデッド達を倒すことは難しいけれど、逆を言えばそれらがあればとても容易になる。それらは圧倒的な虐殺に繋がるし、自らの力の過信にも繋がる。物は使いようだが、使う側が愚かになったら、いいことがない」
「確かに」
「で、私に何の用?」
「ガルフは、アンデッド達を無限に呼び出せるんでしょうか。ここまで進軍は容易でしたが、なんだかんだで敵部隊は延々出撃してくる。かといって、あの城内に兵士が溢れているという報告はない。必要に応じて簡単に魔界から呼び出すことが可能なのかと・・・アルビレオが、人形かなんかを作って、魔法で呼び出そうとしていたみたいに、床からにょきにょきと出てくるんだったら、埒があかないと思って」
「アルビレオとかいうヤツのことはよくわからないけれど」
フェンリルは眉根を潜めた。
そんな表情を作っても、細身ですらりとしたこの美女は美しく、涼しげな顔立ちに感情が伴えば、よりいっそう見るものをひきつけずにはいられないほどだ。
「ここは魔界と大分近い場所だから、魔界からアンデッドが呼ばれてきてもおかしくない。とはいえ、イノンゴみたいに人間が普通に暮らす場を許して、この中をアンデッドで充満させていなかったっていうことは好き放題魔界から流れてくるわけではないということでしょう」
「まあ、確かに」
「でも、それも単にガルフが力を温存したいがためのことかもしれない。正直、なんともいえないな」
「まいったな〜」
そう言ってはいるものの、ソニアの口調は切迫はしていない。
「あたし達はそういう、よくわからない者達と戦いたいわけじゃ、本当はないわけで」
「知っている」
「あくまでも帝国軍と戦うことが本筋で」
「・・・で、私に何をしろっていいたいわけ?」
「スルスト様とお二人で、特攻してくださいませんか?」
「ソニア殿!」
「何を一体!」
ランスロットとトリスタンが同時に驚いたように声を荒げた。
ソニアはけろっとしていたし、フェンリルもまた特に動揺もしていない様子だ。
「ここまで進軍しておいて、天空の三騎士に委ねるといったら、兵士達から不満が出ない?」
「出るわけがない」
ソニアはフェンリルを見上げた。
「あなた方が、ここにガルフを封印したから、こんな事態になっている。イノンゴの人々はそのせいで苦しみ、魔の者に怯えて暮らす日々だ。責任を果たす義務があると言えば、間違いではないし」
「えらいことを言ってる。反乱軍リーダーは」
フェンリルはすうっと目を細めてソニアを見下ろす。
その表情は冷たく、考える力のない愚かな子供を憐れんでいるようにも見え、ランスロットは息を呑んだ。
フェンリルの気に触ったに違いない・・・しかし、彼は口を挟まずに、見詰め合う−むしろフェンリルの視線を見れば、睨んでいるという方が正しいのかもしれないが−二人をただただ横で見るだけだ。
「ガルフを倒してこいと?」
「いえ、そうではありません。フェンリル様とスルスト様にしか頼めないですから」
「何をすればいい」
「本当に魔界からどんどんアンデッド達がなだれ込んで来ているのかを、確認して欲しいんです。もしも本当にそんなことが起きていて・・・たとえば、一気に何十という部隊を派遣出来る状態なのにそれを伏せていて、罠にかけようとしているならば、それは、多分誰が向かったとしても助からない。ここにいる反乱軍全員を投入したって、多勢に無勢。神聖武器には限りがあるし、負傷者が出ればプリースト達は治療に回らざるを得ない」
「そうね」
「だから、確認して欲しいんです。そんな戦いになるのかならないのか。もしもそんな戦いになるときは」
ソニアは肩をすくめてみせた。
「ノルンを引き戻して、フェンリル様にスルスト様にノーマン、それからオハラと数人のプリーストとユーシス。あと、ランスロット以外のカラドボルグを預けられる人間で特攻するか・・・人によって剣は剣でも得物が違うから、すぐに誰とはいえないけど・・・とにかく、それ以外どうにもならない。イノンゴのことは完全に放置して。いざっていうときの保険と、一人でもどうにかなる連絡役がいるから、カノープスも連れて行くしかないな。まあ、そんな危険をおかすつもりがなければ、とっとと封印の外に逃げ帰るしかないですね。それだって出来るかどうかわからないけど、あたしがいてスルスト様とフェンリル様がいれば、どーにかなるでしょう。正確にはあたしがいて、っていうよりブリュンヒルドがあって、っていうべきだろうけど」
「・・・ソニア殿、しかし・・・その・・・いずれガルフがラシュディと手を組んで、脅威になるわけで・・・」
ランスロットはいつもより多少重たい声音でそう言った。
「うん。倒すなら今しかない。今しかないけど、残念ながら、思っていたような情報が手に入らない」
「思っていたような情報とは?」
それへはトリスタンが首を軽くかしげて聞いてきた。
「当たり前のように城に兵士がちらほらいてくれれば、普通の計算が出来ますよね、戦が初めてじゃーないわけですから。それがまったくないからやりづらい。時間が足りないから、とにかくイノンゴからここまで来る間に情報が得られればと思ったけど」
いつもならば「そんな考えが浅いことで」とランスロットが小言を言うところだが、アンタンジルに来てからはそれがない。あまりにも特殊な状況下、特殊な敵を相手どった戦なので、普通のやり方ではうまく動かないものだとランスロットも心得ているのだ。
しかし、ここまで前置きをしてフェンリルに頼んでいるにも関わらず、ソニアにきっぱりと返された言葉はなかなかに冷たいものだった。
「そんなことで今更うだうだ言っているくらいなら、さっさとユーシスを使うといい」
これまた思いも寄らない言葉で一同は不思議そうにフェンリルを見る。
「ユーシスを?」
「この魔界に近い場所にいるだけでユーシスは不快だろうが。魔界と人間界の間に、あのアンタンジル城付近でどれほどの魔の者の気の量・・・まあ、熱量みたいなもんね。それがどれくらい多く動くかユーシスならばおおよそ感知出来るだろう。実力はどうなのかわからないが、天使長ともなればそれくらいはできるはず。それが、極めて大きいものならば、魔界との行き来が盛んになっているということだ。もしそうならばその時私とスルストが行こう」
「・・・も〜!どーしてそういう大事なことを言ってくれないんですか!フェンリル様は意地悪だなぁ」
ソニアは子供の駄々っ子のようにそう言った。唇を尖らせて見上げる。その声は、今まさに前線で兵士達が戦っているとは思えないほどののんびりさすら感じさせる。まあ、昼間のアンデッド達相手に、今前線に送り込んでいる部隊達がひけをとるなんてソニアは思っていないからなのだろうが、一見不謹慎にも思えそうなやりとりだ。
「聞かれなかったし。天使の使い方をよく知らないなら、そうと言えば良いものを」
そして、フェンリルはあっさりと答える。
「・・・で、フェンリル様、熱量って、なんですか?」
「・・・そこから説明する必要があるの?」
フェンリルは呆れたようにランスロットを見た。ランスロットは口を挟もうとしたが、うまくソニアに説明を出来る自信がなくて喉の奥で言葉を詰らせた。
「アンデッド達も体温があるんですか?熱かったらいっぱいいるってことですよね?ユーシスは温度を計れるってことですか?」
「言い方が悪かったわ・・・どれくらい、物体が動くかを・・・」
どうも想像以上にソニアとフェンリルのやりとりがおもしろかったらしく、トリスタンは笑いを堪えた。
多分、ランスロットが隣にいなければ、彼は笑い出していたに違いないのだが。
「サラディンがいうこともフェンリル様がいうことも、いつもあたしには難しい」
やがて、ほとほと困ったようにソニアは溜息をつきながらそう言った。
「ランスロット、悪いんだけどユーシスを呼んで来てくれないか」
「承知した」
ランスロットは軽くトリスタンに目礼をし、足早にその場を離れた。

ランスロットがユーシスを呼びいくと、そこにはスルストとカノープスまでもがいた。
いつでも出陣出来るように、と兵士には通達がいっているはずなのに、彼らは何故か少し離れた、がさがさと草が茂っている場所に集まっている。普段のランスロットであれば、それを心得がないことだと苦言を呈するところだが、事情がありそうだった。
どうやら話を聞くと、ユーシスは人を運びながら飛ぶことがあまり得意ではないらしく、カノープスがコツを教えてやっていたとのことだ。
いくら空を飛べるといってもユーシスとカノープスではそもそも筋肉量が違うのでは・・・とランスロットは思うが、これがまたとんでもない誤解らしい。天使たちは筋肉を使って羽ばたいているのではないという。それはカノープスにとってもまったくもって理解不能なため、とりあえず人間と飛ぶためには・・・と、手っ取り早く覚えさせるため、無理をさせて重量級のスルストを連れて来て教えていたとのことだ。
スルストまでがいるならば話は早い、とランスロットは先ほどの話を三人にした。
「それはソニアらしいデスネー!確かに熱量なんて言われても、ネ」
スルストはげらげらと笑った。気にすべきことはそこなのか、とランスロットはあまり嬉しくもなさそうな表情を見せる。
「まったく、彼女はベリーキュートすぎますネ!いつも期待以上のことをしてくれて、退屈している暇もアリマセーン!」
「ぐだぐだ寝てるばっかりのくせによく言うぜ」
と、軽く悪態をつくカノープス。
「OH!ひどいデスネ〜。起きているときは人の何倍も働き者デスヨ!」
「女くどくのも何倍だしな?」
「チッチッチ、くどいているのではありまセーン。愛を語っているのデース!」
普段なら顔をしかめるはずのランスロットだが、話の内容よりも、かなりカノープスがスルストに対して態度を軟化させていることの方が彼の関心を惹いていた。
決して今までだってカノープスは「スルストが嫌い」という態度ではなかったが、スルストやフェンリルといった、理解出来ない者達を好ましくは思っていなかったはずだ。だが、よくよく考えればこうしてユーシスに色々と教えてやっているわけで、一体どうした心境の変化かと彼が不思議に思うのも仕方がない。
「では、わたくしはソニア様のもとへ行けばよろしいのですか」
脱線しがちな男二人を気にしつつも、ユーシスはランスロットに確認をした。
「はい。お願いいたします。スルスト様も」
「了解デース!」
「俺はまだお呼びじゃないみたいだな。ま、キャスパーやスチーブがへこたれたら俺が斥候にいってやるよ」
「アンタンジル城に向かうときは、ソニア殿が君にサポートして欲しいそうだ」
「俺?」
「ああ。いざというときにブリュンヒルドを守るために」
それは前から何度か聞いている言葉だ。相変わらず生真面目に事実だけを伝える騎士に苛立ち、カノープスは顔を歪めてランスロットに叫んだ。
「だーから、その役目はいやだって前からいってんだろーが!」
この問答になるとランスロットもカノープスもお互い譲らなくなる。
それを知っていても、ランスロットとしてはカノープスに心してもらうために言わざるを得ないし、一方、それを重々承知していてもカノープスは「わかった」とは言いたくないのだ。
何の解決もしないだろう男二人の押し問答が始まろうとしているその時に、スルストは大仰に両腕を広げて割り込んできた。
「嫌だ嫌だといっても、肝心な時にソニアの側にいられるなんてうらやましいデスネー!有翼人は数いれども、カノープスサンだから選ばれているんですモンネ?ネ?」
「・・・」
ランスロットはその言葉を聞いて眉根を寄せた。それは嫌悪や苛立ちというよりは、暗然たる面持ちに近く、彼のそんな表情を見たことがないユーシスは息を飲んだ。が、カノープスの方はランスロットがまったく視界に入っていなかったようで、スルストに対して語気を強める。
「ネ?じゃない!」
「何もなければいーんデス。何もなくするために、ワタシとユーシスさんが呼ばれているんでショウ。ネ?」
「・・・はい」
どう答えたものか、と思ったが、それにランスロットは素直に頷いた。
と、その時、わずかに離れた本陣がざわついていることに四人は気付き、そちらに視線を移した。
消耗をした前線部隊の撤退と、控えていた部隊との入れ替えが始まるのだろうと、ランスロットとカノープスはすぐに察した。
「行きまショー」
「カノープスさん、ありがとうございます」
ユーシスは丁寧にカノープスに頭を下げた。カノープスはそれへ「ああ」とか「いや」とか、意味不明な相槌を返すだけだった。

仰天することだらけだ。
トリスタンの呟きに、ランスロットははっと我に返った。
彼らの目の前でユーシスが空に浮かび、何かを祈っているようだ。
そっと地面を軽く蹴ったと思うとユーシスは宙に向かって飛びあがり、一同の頭上より更に高く、翼を大きく広げてアンタンジル城の方角をむいたまま瞳を閉じた。真昼の陽射しのせいで一瞬わからないが、彼女の周囲を薄っすらと白い光が包んでいる。
そっと左手を添えた右手はそろえられ、眉間に指先をあてている。時折唇が動くのがわかるけれど、随分離れた下側からは、その唇が形作る音までは読むことが出来なかった。
「・・・?」
ユーシスは一同が見守る中、指を額からはずし、怪訝そうにあごを軽くあげて遠くを見つめた。
それはアンタンジル城を見ているのだろうとも思うし、彼らには見えない何かを見ているとも思える素振りだ。
なるほど、カノープス達と違うということは完全に納得はいかないけれど、それでも、こうやって「宙に浮いている」姿を見れば根本的な差異がわかる。ユーシスは翼をはばたかせてはいないのだ。そう言われてみれば確かに、とランスロットは目を細めた。
「ランスロットは慣れたのかな?こんな・・・普通には考えられないことばかり、立て続けに起こる環境に」
囁くようにトリスタンはそう言って、小さく笑った。
「いえ、私も未だ・・・それでも、皇子よりは免疫があるのやもしれませぬが」
「じゃなければ余程順応性がないということだね」
穏やかな顔をしてトリスタンはぬけぬけという。とりあえず彼のそういう部分はランスロットも慣れて来たし、なかなか悪くないとも思う。
確かにトリスタンの言葉ももっともで、ソニアのように簡単に「どうしてそういう大事なことを早く言ってくれなかったんですか」なんてことを、なかなか言えないのが普通だろう。
(私は本当に、ただの、普通の人間で・・・そして、ゼノビアの騎士以外の何者でもないのだ)
トリスタンと出会う 以前に、既にソニアとの間に引かれた線は、ひょいとまたいでいけるようなものではないのだと実感した。
例えば、あの少女がゼノビアに敵対することになれば、自分はあの少女に対して剣をふるわなければいけないのだろう。それはわかっていたし、そして、それは防ごうと思えば自分でもいくらかの力になるのではないかと思えていた。
しかし、こうしてソニアが自分自身の命をかけなければいけないとほんの一瞬でも腹をくくったその時−ソニアがフェンリルに話した、もしもの事態についてだが−、ランスロットは自分とソニアの間にひかれた線が、線なんて生ぬるいものではないと実感せざるを得ない。
彼女が本当に命を賭けるとき、自分は共にいることが出来ないのだろう。
少なくとも今は、トリスタンの生命を守るために、何かがあった時は最後の盾として自分が守るのは当然だという強い自覚がランスロットにはあるし、それは騎士として初歩の初歩で叩き込まれる道理だ。ソニアでなくともそれぐらいは誰もがわかっている。
けれども、嫌というほどわかっているそのことを、ソニア本人からあっさりと口に出されたことは多少なりとショックではあったし、スルストの言葉もランスロットには痛かった。
反乱軍における、自分がそうだと思っていた自分の存在意義や、ゼノビアへの忠誠、あくまでも個人的ではあるがソニアに対する忠誠−というよりは、彼女を反乱軍リーダーとしてたてた自分達が果たす責任といえるだろうか−など、それまで彼の心の中では整理されていたものが日々ないまぜになってゆく。
なにより、それらの感情に戦場で自分が揺さぶられる自らの未熟さが、彼にとっては許し難い。
ランスロットは自分の心の乱れを抑えようと努めた。
(何歳になっても人は惑うものなのだな。己の恥ずべき部分は素直に認めなければいけない)
少なくとも、自分の心が騒いでいるその問題は、今考えるべきことではないはずだ。彼がそう自分にいいきかせていると、頭上から小さな声が聞こえた。
「アンタンジル城の様子が・・・」
その、かすかなユーシスの呟きに一同一斉に静かに耳を傾けた。

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モドル