魔縁との対峙-5-


「ソニア様、カードはお持ちですか」
ユーシスは音も立てずに地上に降りてくるなり、ソニアにそう言った。一同の視線がソニアに集中する。ソニアはそれへ仏頂面で答えた。
「持ってる」
「サンのカードはお持ちですか」
「持ってるけど、それを使うのは本当に今なのか」
「・・・それはお答えしかねますけれど」
ユーシスは困ったように目を細めて、わずかに首をかしげた。その仕草はまるで人間と同じではないか、とランスロットは思う。ソニアは小さく溜息をついた。
「その判断が難しくて、いつもまいってしまう。今まで、あまり頼らなくてもよかったし、この先、必要なときに必要なものがなかったらと思うと、なかなか使えなくて」
「ああ、そのお気持ちはわかります」
ランスロットもカノープスも、わずかに表情を曇らせた。
ユーシスが言う「カード」とは、ソニアが持っている、ソニアだけが使えるマジックアイテムのことだ。占いに使うらしいタロットカードの姿を模したもので、一枚一枚に古き魔法の効果がこめられている。
普通の人間が使えば、ただの占いカードでも、ソニアがそれを使えば驚くほどの魔法効果が引き出される。ウォーレンは「それを扱える者こそ勇者の証」と断言していたものだ。
ここ最近ソニアがそのアイテムの使用を控えていたのは天空の三騎士やら聖剣やらといった、話が大事に−そもそも帝国にたてつくだけでも大事だというのに−なってからのことだと二人は知っていた。最近反乱軍に入軍した兵士達は、ソニアがそんなアイテムを持っていることなぞ知らないぐらいだろう。
だというのに、誰がユーシスに言ったのか、と二人は思う。
「本当はいらないと断わったんだ、そんなもの。それでも、ミザールがどうしてもと」
ソニアはそこで言葉を切った。ユーシスは小さく頷く。二人はお互いしか見ておらず、周囲にいる人々のことを気付いていないのではないかというほど、何かしら張り詰めた空気が二人の間にあるようにランスロットは感じる。
ミザールの名に一同は軽い動揺を受けた。
その名が、ラシュディに騙されて地上に降り、キャターズアイを渡してしまった天使長−正しくは元天使長であるが−で、ユーシスの姉であることは周知の事実だったからだ。
ということは、ソニアとミザールは面識があるのか。
みなその思いを持っていたけれど、誰一人それについて追求はせず、ソニアの、ユーシスの言葉を待っていた。
「あたしが使うには、難しすぎる道具だ、あれは」
「ソニア、カードを使う力を貰っていたのか」
フェンリルがわずかに驚きを含んだ声で問い掛けた。
その声で、まるで現実に引き戻されたかのように、ソニアの方が驚いた顔でフェンリルを見た。
「あ、はい」
フェンリル様、カードのことをご存知なんですか。
そう言おうとしてソニアは黙った。それはまったく意味がない質問だ。
天空の三騎士となればそういった知識もあるのだろうし、何よりフェンリルの問い掛けは「カードのことを知っている」という答えに他ならないのだから。
「もっと使えば良いものを。反乱軍リーダーがカードの魔力を引き出せると知れば、戦力や援助の代わりにカードを提供してくれる人間も出てくるだろうし」
「はあ、まあ」
気が抜けた返事というより、フェンリルの言葉に対して曖昧な意志しかないことを現すような中途半端な声でソニアは答える。それに対してフェンリルが強く追求しないのは、ソニアはソニアで何か思うところがあるのだろう、とこの小さな反乱軍リーダーをフェンリルなりに立ててやっているからだ。
「カードとは、一体何のことなのかな」
トリスタンが説明を求める声をあげた。それは当然のことだろう。答えたくなさそうに渋っているソニアの代わりにスルストが説明を始めた。
「古代の魔力がこめられているカードのことデスネ。今の地上ではカードに魔力を封印出来るほどの力を持つ人間も、その魔力を引き出すことが出来る人間はいないんデス。現存するカードはあちこちに散らばっていて、その価値を知らない人間が持っているでしょーケド、中には価値を知っていて、先祖代代の宝にしている人もいるかもしれませんネ〜。唯一そういう人が反乱軍に提供してくれればありがたいことこの上ナシってもんデス」
トリスタンは真剣にスルストの話を聞いた。が、どれだけ真剣になって聞いたとしても、その内容は明らかに、常人の理解の範疇を超えている。
「・・・よくわからないんですが・・・それは、彼女だけが使えるものなのですね?」
「天の父と契約を結んだ者だけが、行使出来るものです。そして、それは今はソニア一人なのです」
それに答えたのはユーシスだ。穏やかな声だけれど、彼女が告げたその真実は、実はとてつもなく大きな秘密なのではないか、あまり言葉にしてはいけないのではないかと皆が感じるような、不思議な重さを含んでいた。
もう一度ソニアに人々の視線が集中する。それを感じながらソニアは肩をすくめてみせる。
「カードのことはもういい。それより、何故サンのカードが必要だとユーシスは思うんだ。一体アンタンジルはどうなっていて、そんなことを言うんだ?」
その場にいる誰もが、カードについてソニアがあまり触れられたくなかったのだとわかるような口調。
「アンタンジルには、そんなに多くの熱量は動いていないようです。ガルフを慕うアンデッド達は多くても、魔界からどんどん流出してきているわけでもなく、オウガバトルの時代にここに取り残されたアンデッド等がほとんどだと考えてよいと思います」
「そうか」
「ですが・・・アンタンジル城は、既に、魔界です」
ユーシスはそう言って眉を潜めた。
天使特有の、はかなげな風情を持ち合わせている整った顔立ちが歪んでも、人間くさい表情には見えない。もちろんそのこと自体が彼女が天使である現れなのかもしれないが。
「それは、魔界に繋がっている、ということデスカー?」
スルストはユーシスに呑気に聞いた。
「いえ。そうであれば、より多くの魔界の住人がこちらに出てきて、既に混乱していることでしょう。そうですね、なんといったら良いのでしょうか・・・アンタンジルは・・・擬似的な魔界になりつつあるといえばよいのでしょうか」
「・・・うーーーん、全然わからないぞ?」
ソニアはそう言ってランスロットを見て、カノープスを見て、トリスタンを見て、フェンリルを見た。
「それが、何か弊害になるの?」
今欲しい情報は、何もかもの詳しいことではない。進軍にとって必要なことだけだ、といわんばかりにあっさりとフェンリルは言い放つ。確かにフェンリルはそれで構わないかもしれない。何もかもピントが合わないソニアは本当はユーシスにきっちり説明して欲しいと思うが、ここは多くは言わないでユーシスの言葉を待とうと思った。先ほどのようにやぶへびになってカードのことや、果てはミザールのことなどを色々聞かれては面倒だと考えついたからだ。
「アンデッド達の力が、こちらが思っている以上に増幅するかもしれません。だから、ソニア様が、サンのカードを使えばいいのではないかと」
「そうするには、ソニアを前線に出すってことだよなあ?」
ようやくカノープスが口を挟めるところまで話が回って来たようだ。
「ええ、そうなりますね」
「あたしは前線に行くのは全然構わないし、どうしても必要であれば使うけど・・・出来れば、サンのカードはまだ使いたくないな」
「どうしてですか?」
「あたし達の後々の敵はガルフじゃないからだ」
きっぱりとソニアは答えた。
わずかな沈黙の後で、スルストとフェンリルが何かをいおうと口を開く素振り−おおかたスルストは呑気で明るいことを、フェンリルは辛辣なことを言うつもりだったに違いない−をみせたが、思わぬ人物がちょうどそれを遮るように発言をした。ランスロットだ。
「ソニア殿」
「うん、なんだ」
ランスロットは言葉を選んでソニアに問う。
「しかし、不利な戦局になった時に、それを打破するため必要であれば、使うつもりはあるのだろう?」
「・・・それは、もちろん」
そうソニアが答えるまでのほんの一瞬の間が、そこにいる人々の気に触る。
本当はランスロットもわかっていたのだ。
出来ることならばソニアはカードを使いたくないのだ。
たとえこの先ガルフよりも強力な、魔の物が前を立ちはだかったとしても。
具体的な理由ははっきりとは聞いていないからわからない。けれど、それはあくまでもソニアの個人的な感情なのだろうと推測はつく。
だからこそ、申し訳ないと思いつつ、ソニアを後戻りさせないように、まるで約束をさせるようにランスロットは答えを求めた。
何からソニアが逃げようとしていたのかは、わからない。けれど、逃げ場を最後に封じたのは自分なのだろうとランスロットは重々わかっていた。
「とにかく、今みたいな感覚でアンタンジルに攻め入れば痛い目に合うってことだな」
ソニアは話をそらすつもりはなかったけれど、必要に思われるつぶやきを漏らして、いつものような考える顔つきになった。
その表情は、可愛らしい少女のそれではないけれど、好きだとランスロットは思う。
彼女が今の表情を見せて進軍について考えるとき、とても彼女は反乱軍に対して誠実で精一杯の力を振り絞っているからだ。
逃げ場を遮った自分を非難しないソニアに、ランスロットは心の中で感謝の言葉を繰り返した。

その後アンタンジルに向けて進軍を開始し、日が暮れる前に突入をする計画が順調に進んでいた。
ランスロットがトリスタンにかまっているのをソニアが面白く思わない・・・わけではなく、何やらカノープスがおもしろく思わないようで、いつもならばソニアにかまい続けることなどないはずのカノープスが、やたらとソニアを気にするように視界に入ってくる。
カノープスは別に部隊長というわけでもないし、かといってもはや自らいつでも斥候に出ているほどの一般兵とも違う、反乱軍ではなんだか不思議な立場に位置付けられていた。
なんとなくソニアの傍にいればそれはそれでおかしくないし、勝手に1人でふらふらしていてもおかしくない。
ある意味それはスルストやフェンリルと何ら変わりがない待遇といっても良いのではないかと思われる。
彼はソニアにとって気心が知れた楽な戦友でもあったし、強靭な肉体をもち、突出した飛行能力がある有翼人であったから、彼にしか頼めないことが時折ぽろぽろと出てくる。だから、スチーブやキャスパーといった他の有翼人と同じような使い方をしたくないし、するべきではないのだ。
それでも彼は彼なりに気を使って、他の兵士達に常に混じるようにしていた。そうするほうが彼自身にとっても軍にとっても一番いいと思われたからだ。なのに、今日に限ってカノープスはそうしようとはしなかった。
ソニアもそれに気付いてカノープスを呼んだ。
「なんか用かぁ」
「それはあたしのセリフだ」
「ん?」
「なんか、言いたいことでもあるのか、カノープス」
いいや、と軽く嘘をつくことは簡単だったが、あえてカノープスはそうしなかった。
「言いたいことっていうより、ちと、心配してる、って方が正しいかな」
「心配?」
「ああ。なんか、変な戦だからさ、お前が滅入っているんじゃねーかなーとかさ」
「あはは!大丈夫だ。そんな心配しなくてもいいぞ。いつも通りだ」
「ホントかよ・・・いつも通り、いつでも、命懸けってことか」
「やーなこと言うな」
カノープスの言葉は間違っていない。そもそも戦ならばいつだって命懸けに違いないのだから。
「ソニア様!」
その時、斥候に出ていたレイモンドからの伝令を受けて、斥候見習のダイスンがソニアの元へ走ってきた。
皆アンタンジルに向けて歩いているので、それに逆流するように列の外側をまわってダイスンは近付いて来る。ダイスンは斥候役としての能力を特化させるため、レイモンドの部下扱いで−本来部隊長でもない者に部下の扱いで兵士をつけることなぞないのだが、増加する人数のためそういった人員構成が必要となってきているのも事実だ−レイモンドの教育にほとんどまかせっきりの兵士だ。入軍当初から夜目がよく利き、なかなか俊敏で期待される。
それにしても、とカノープスは思う。誰一人として仲介せずに当たり前のように斥候が直接軍の指導者の傍にこられる軍なんて、今までみたことがない。今更ながらに既に当たり前になっていたおかしなことに気付いてカノープスは苦笑をみせた。しかし、ソニアは彼のそんな様子には気付かずに、表情を引き締める。
「どうした」
「アンタンジル城からまた3部隊派遣されたとのことです。現在、敵部隊の構成を調べているところですが、遠目にはおおよそ今までに派遣されていた部隊と変わらないように見えるそうです」
「わかった。そのままトリスタン皇子とランスロットに報告をして、皇子の指示を仰いでくれ」
「はいっ!」
ソニアはアンタンジル城への突入準備まではトリスタンに進軍を任せることに決め、ランスロットにそのサポートをするように命じた。は、トリスタンやランスロットが考えなくても良い他の様様なことを考えなくてはいけないし、軍の人数が分断されているこの状況であれば、トリスタンの教育に丁度いいと思えた。特殊な環境での進軍であることはトリスタンにとってはハンデかもしれないが、敵部隊とひととおり交戦して傾向がわかったことはそのハンデを帳消しにする以上の要素でもある。
本来、進軍途中で指示を出す意思決定の最高責任者が変わるということは、軍全体に大きな混乱をもたらす間違った行動だ。しかし、現在の反乱軍はこれくらいのことで混乱する規模でもなければ、混乱するほどの複雑な命令体系も成立していない。それをわかっていてトリスタンもランスロットもソニアの無理難題を引き受けたのだ。
ソニアも共にいてアドバイスを出来ればよいと思うが、あまり密着していると、トリスタンの意志で行われた決定等も、ソニアが全てトリスタンに指示をしているように見られてしまうのではないかと懸念して、多少強引にも思えるが、少し離れた場所にいることにしていた。
ダイスンは素早く身を翻し、わずかに離れたところでスルストから色々と話を聞いているトリスタンの元へと向かって行った。
どうやらトリスタンは言葉じりが冷たいフェンリルよりも、多少奇人変人に見えるスルストと話すほうが楽らしい。
ダイスンを見送ってカノープスはぽつりと呟いた。
「大丈夫かな、皇子サマは」
「たいしたことはさせていないし、大丈夫だろう。今、皇子に上に立ってもらうと、いざとなってあたしが出陣するときに助かるし」
「ランスロットが皇子サマん傍にいるからなんとかなるんだろーさ」
「そうだな」
ちょっとしたひっかけのつもりでカノープスはそう言ったけれど、ソニアはあっさりとそれをかわした。
「・・・大丈夫かな、反乱軍リーダーサマは」
「だーから、何がっ」
「んー?色々」
「だいじょーぶだよ」
ソニアはそう答えたけれど、その返事の意味は非常に曖昧で、多分答えたソニアも答えられたカノープスも、自分達の意思が疎通されていないことに気付いていた。
それでも、ソニアはもう一度繰り返す。
「大丈夫だよ。色々あるけど、今考えなきゃいけないことだけに絞ると本当は少ないから。この封印の地から出た後で、色々考えることに決めたんだ、うん」
最後の「うん」は、自分自身に納得させる問い掛けの声だとカノープスはわかっている。
「そうか、ならいいんだ、うん」
とりあえずソニアがそう答えるなら、自分はあまり口だししない方がいいかな、とカノープスもそれ以上は何も言わない。
(ランスロットのやつ、今更また寝ぼけたこと言ってたぜ)
心の中だけで呟くことにした。
本当のところ、ランスロットは別段おかしなことをカノープスに言ったわけではない。ただ、アンタンジル城に行く時に、カノープスにサポートして欲しいというソニアの意向を伝えただけだ。何一つおかしくはない。
それでもあっさりとそんなことをカノープスに言うなんて、やっぱりランスロットは「寝ぼけて」いるようにカノープスには思えるし、それを言えば「寝ぼけてなぞいない」と多分言い張るんだろう張本人は、やっぱり寝ぼけているのだと感じる。
少し前の、ユーシスと交わした、カードについての会話だってそうだ。
ソニアは自分から「そうだ」とは言わないけれど、憂鬱になるにはもってこいの気苦労を山ほどしているし、それは誰に言ったってどうにもならないことなのに違いない。
反乱軍リーダーとしてのことなのか、よくわからないがティンクルスターに認められた人間としてのことなのか、ただの1人の少女としてのことなのか、そのバランスや要素ははっきりとカノープスにはわからない。
けれど、カノープスはやはり、何度「今更そんなことを」とランスロットや、あるいはソニアに責められたとしてでも、「ブリュンヒルドを守るために」なんて、とても軽く(そう聞こえだだけなのだが)ランスロットが口にすることは気にいらなかった。
彼が騎士であればあるほど、許せないと思うことがあるに違いない、とカノープスは嗅ぎつけている。
(俺だって一応はゼノビア軍にいたわけだし、グラン王に多少なり忠誠は誓ってはいたんだけどな)
それでも、騎士の道理をこの目の前にいる少女にそのまま押し付けてしまうランスロットがあまりに子供じみていて、逆に、それをそれでよいと受け止めるソニアがあまりに背伸びをしているのが、無性に腹立たしくなることがある。
先ほどのカードについての会話だって、そうだ。
「お前が、大丈夫って言うなら、信じるけどよ」
「カノープス、何言ってるんだ。変だなぁ」
「変じゃねーよ、ランスロットが変なんだよ!」
「なんでそこでランスロットが出てくるんだ?」
心底不思議そうにソニアは言った。確かにそうだ。
「内緒」
「喧嘩でもしたのか、ランスロットと。どーした、言ってみろ」
「あーのなぁ〜」
「ん?」
「お前に言えるよーな喧嘩だったらとっくに言ってるっつーの」
「じゃあ、あたしにいえないような喧嘩なのか」
「喧嘩なんてしてねーよ。馬鹿馬鹿しい。あいつとなんか喧嘩になんかなりやしない」
「確かにな」
くっくっく、とソニアは声を押し殺して笑った。
おや、そんな様子は珍しいな、とカノープスは驚いていささか素っ頓狂な顔をした。
「なんだよ、おかしーのか」
「カノープスとランスロットは、案外仲がいいからなーと思って」
「・・・どこをどーみたらそうなるんだよ!お前はほんっとおめでたいやつだ!」
言うにことかいてそれか。
カノープスはいささかげんなりしながらソニアを見た。
と、その時、歩き続けている兵士達の横を早足大股で通り過ぎて近付いて来る姿が2人の視界を掠めた。
「進軍中に楽しそうだな」
「あっ、フェンリル様」
「げっ」
意識的に嫌な声を発したわけではない。「フェンリル」と聞いた瞬間に無意識にカノープスの口からろくでもない声が漏れた。意識して言うよりたちが悪い。それを知ってか知らずかフェンリルは無表情に言う。
「相変わらず失礼なバルタンね」
相変わらずといわれるほど自分は失礼なことを今までしていたか?と食いつこうとするカノープスを見もしないでフェンリルはソニアに近付いた。
「ソニア、これを返す」
言葉と共にブリュンヒルドを差し出すフェンリル。その意味がよくわからずにソニアは目を見開いてフェンリルを見上げた。
完全にフェンリルにブリュンヒルドを返したわけではなかったけれど、ソニアは、ブリュンヒルドはフェンリルにこそやはりふさわしいと思っていたし、それを彼女が使うことでこのアンタンジルでの戦局を良い方向に向けてくれると信じていた。
なのに、今日の一度の出陣でお役目御免と思われたのだろうか、と不安もあった。
「フェンリル様、でも、アンタンジル突入までは」
「これは、もはやソニアの剣だ。わたしが振るってもしっくりこない」
「そんな」
「生きている剣は、人を選ぶ。わたしがこれを下界に残して、ソニアが手にするまで・・・これは、ずっと、次の主を待っていたのだろうから、ソニアに馴染んで当然だ。それに、アンデッドしかいないわけではないのだしこれにこだわる必要はないからね。だから、いい」
「・・・わかりました」
ソニアはブリュンヒルドを受け取った。代わりに、今までもっていた剣をフェンリルに渡そうと思ったが、既にフェンリルは代わりになる剣を持っていた。用意がいいことだ。
「それだけだ」
不必要な会話をする気もなさそうにフェンリルはその場から離れ、行軍の足並みをそろえるように混ざっていった。
カノープスがソニアに「もう用事は済んだか」と言おうかどうしようかと悩んでいる−済んだといわれればその場を離れるつもりだが、それもまたなんだか寂しいし心配だと彼は思っていたのだ−と、今度は入れ替わるようにランスロットが軽い足取りで走ってくる姿が見えた。
「お話中申し訳ない、ソニア殿、少しお時間をいただけるか」
「別に話してないぞ」
と答えるのはソニアではなくカノープスだ。こら、とソニアはカノープスの足を軽く蹴る。
「なんでカノープスが返事してんだ、バカ」
「人のことバカって言うな」
「どうした、ランスロット。ダイスンの報告を聞いたか」
「ああ。聞かせてもらった。皇子は、前線にいる部隊を入れ替えたいと考えているようだが、それでもよいだろうか」
「ランスロットはどう思う?」
「問題ないと思うが」
「うん、あたしもそう思う。大丈夫だ。入れ替え部隊については、あたしに相談しなくてもいい、後で教えてくれれば。そっちで判断すれば大丈夫な内容だと思って、ダイスンを直接そっちに行くよう指示したんだ」
「そうだとは思っていたが、何分、皇子が判断して人を動かすことになるのは初めてのことなのでな、入れ替え部隊は既に決めている」
「早いな。皇子は、よくもまあこの軍のメンバーをそう簡単に覚えられるものだ」
「確かに」
「そう思えば、うん、大丈夫だよ、ランスロット。危ないことをしそうなときはあたしのところで止めるから」
「すまぬな」
「何を謝ってるんだか」
ソニアは小さく笑った。それにつられたようにランスロットも小さく笑みを漏らす。
「多少の指揮を受け持ってもらえれば、アンタンジル城で前線に出なくてもみんな納得するだろうしね」
「そうだな。本当にソニア殿にはそういうところまで気を遣っていただいて・・・感謝する」
「なんでランスロットが感謝すんのか俺にはわかんねーけどな」
突然のカノープスの一言にソニアは困惑の表情を浮かべた。
「こらこらカノープス、何をランスロットにつっかかっているんだ」
「なんとなくだよ、なんとなく」
言い訳にもならない言い訳をカノープスはするけれど、それが本当になんとなくではないだろうということをランスロットもわかっている。ランスロットはわずかにぴくりと反応したけれど、自制をしたのか、「それでは」と礼儀正しく挨拶をしてトリスタンの元へと戻って行く。あまりにあっけないとも思えるけれど、そのままこの場にいる方が、カノープスから何かまたつっかかられて、そして結果的にソニアに迷惑をかけるのではないかと判断したからだ。
「何をランスロットに」
「だから、なんとなく」
「考えることを今しか考えられないことだけにしてるって言っただろ。あんまりあたしの気持ちにまで波風立てるな」
きっぱりとソニアは言って、ブリュンヒルドを腰につけた。
「そうだな、悪い」
「うん、わかってくれればいいんだ」
もう一度、お互いの言葉の意味が曖昧のまま2人はわかったふりをした。
(もしも本当にソニアが、俺が言いたいことをわかっているのだとしたら、相当な進歩な)
カノープスはそう思ったけれど、なんとなくそれは歓迎しかねることだと思えた。そういう「なんとなく」を飲み込めるうちはいいが・・・と今まで感じたことがない懸念を胸に秘めつつ。


シャロームのあの教会で。
神父に連れられてソニアは教壇の前に膝をついた。
こじんまりとして、とてもではないが名のある教会とは思えない。
建物の内壁はところどころ表面が剥がれ落ちている。
けれど、埃も塵も見当たらない床や、飾られた壁画やステンドグラスが造る壁との凹凸部分にはまったく埃も塵もなく、日々の清掃が行き届いている、とても清潔感がある場所だった。
そこで、ソニアは父親に教えてもらった、かすかな記憶を辿って膝をついた。その時、突然神父が叫んだのだ。
「おお!」
その声にびくっと反応をしてソニアは神父を見た。神父は上を見ていた。
(天井?)
つられてソニアは天井を見上げる。
当たり前の天井がそこにあるはずで、その場は閉じられた普通の建物のはずだった。
なのに、天井から光が、差し込んでいた。
まばゆい白い光が空から、いや、内側の空間にぽっかりと太陽か何かが現れたように強い光が降り注いだ。
そして、その光の中に、なんらかの物体をソニアは見つける。
初めは輪郭がぼんやりとしていてよくわからなかったけれど、天井にとても近いところにそれは現れ、少しずつ人の形に近くなっていった。
光で形成される生き物のように、白い発光物の中でよりいっそう光り輝く核になっているような場所に、それは現れた。
顔、腕、足。そして。
背に、大きな翼。
「ソニア」
品のある、細いけれど不安を感じさせない美しい声が突然響いた。
「誰だ、お前」
「わたしは、ミザール」
天井近くに浮き上がっている、白く光るその人物−かどうかはよくわからないが、人の言葉を話し、人に近い容姿だとソニアには思えたのだ−はゆっくりと高度を下げてきた。それとともに体を覆うような、いや、体から発光しているような白い光は薄れていく。
神父は尻餅をついてその場から動けず、声もそれ以上あげることが出来ずにだらんと口を開けているだけだ。
やがて、そっとその人物の足は床につき、ソニアはあごをあげることなく目線を合わせることが出来るようになった。
「お前は人間なのか」
「わたしは、天使」
「天使って?」
「天の父の使者とでも思ってもらえれば」
「てんのちちのししゃ?」
ソニアはそのうさんくさい、天使と名乗る女−に見えたのだ−を睨んだ。
「わたしは、天の父の意思により、あなたと契約を結ぶため、ここに来たのです」
「言ってることが、全然わからない。お前はあたしの敵なのか」
「いいえ」
ミザールは静かに答え、悲しげな瞳をソニアに向けた。
突然の出会いだったけれど、ミザールが自分を見る目に憐れみがこもっていることをソニアは敏感に察知をした。
「あなたを悲しい目に合わせた者達が誰なのか、ご存知ですか」
「そんなことは、知るか!お前は、もしかして知っているのか」
「知っているとも言えますし、知らないとも言えます」
「意味がわからない!」
ミザールの受け答えはとても天使特有の、嘘は言わないけれどはっきりと白黒はつけないものだった。深く追求すれば「知っている」という言葉の意味を取り違えることを恐れているから、とミザールは答えるだろうが、ソニアはそうはいかない。
元来の癇癪に加え、逃亡途中に失ってしまった家族のことまでが一気に思い出され、ついに苛立ってソニアは叫んだ。
「一体何の用なんだ!!ごたごた言わずに用件を言え!あいつらが一体なんなんだ、お前はなんであたしがあいつらに追いかけられていたのを知ってるんだ。知ってるってことは見ていたってことだな。お前はおもしろおかしく、あたしの家族が死んでいくのを見ていたってのか、ふざけるな、ぶっ殺してやる!」
「落ち着きなさい、ソニア」
激情に駆られたソニアは、何をミザールに言われても聞く耳を持たない状態になり、興奮して叫び続けた。
ミザールはあまりのソニアの様子にびっくりしたようで、翼を動かすこともなく、少しだけ逃げるように宙に浮いた。傍にいれば飛び掛られそうな勢いだったからだ。
黙ってないでなんとか言え、と何度言われてもミザールは沈黙を守り通し、ソニアが息切れをして、咳き込むようになるほどの叫びを辛抱強く聞いていた。
途中で神父が我に返って「天使様になんと口汚いののしりをするか!」とソニアを怒ったが、それは何の効果もなかった。
叫んで叫んで叫んで。
降りて来い、その羽根をむしってやる、と叫んで、投げつける物を探そうとするソニアを神父が止めようとした。それを突き飛ばすと、思いのほか神父は大きな声をあげて倒れる。
「あっ!」
第三者の存在が、ようやくソニアを正気に戻した様で、ソニアは慌てて、突き飛ばされて床に倒れた神父の傍に膝を曲げて顔を覗き込み、謝りながら立ち上がるように手を伸ばした。
「ごめんなさい」
その謝罪の言葉はとても小さかったけれど、神父はソニアを責めなかった。
「ソニア」
「・・・」
「わたしは、あなたにお願いがあって来たのです。そして、それはあなたにとっても悪い話ではないと思うの」
「今のあたしにとって、いい話なんか、何ひとつありゃしないだろ・・・」
先ほどまでの威勢はなかったけれど、ソニアは忌々しそうにそう言い放ち、舌打ちをした。
「見てたんだったら、なんで助けてくれなかったんだ。お前みたいに空を飛べれば、あたし達はみんなで助かったに違いないのに・・・崖から落ちて・・・」
ソニアは、ぎり、と下唇を噛んで、足元に視線を向ける。
彼女は今、崖から落ちていってしまった妹を思い出していた。
あの時、どうしても逃げるためには山越えをするしかなかったのだ。
そして、その途中、とても険しい崖で足を滑らせて妹は落ちていった。人は、落下の恐怖の中、あれほど大きな声で叫び声をあげられるのだと初めてソニアは知った。きゃあ、とか、ひぃ、とかではない、言葉に表せない奇声。一瞬のうちに妹の姿は視界から消えて、まるで起きながらにして自分は夢を見ているのではないかとソニアは呆然としていた。
目の前にいるミザールとやらのように空を飛べれば、助かったのに。
今更泣いたってしょうがない。あれだけわめいてわめいて、エネルギーを使い果たしたはずなのに、まだ自分にはこんなエネルギーが残っているのか、とソニアは自分自身に苛立った。
「あなたには、とても辛い話をこれからしなければいけません」
ミザールの声は、厳しさを伴っていた。
ふと気付けばソニアの目の前にミザールは降りて来ていた。
怯えたようにソニアはゆっくりと顔をあげて、改めてミザールを見る。
その時初めて、目の前の天使がとても美しいことにソニアは気付いた。


反乱軍がアンタンジル城に突入を開始したのは太陽がかなり傾いた頃。それでも、まだ夕方とは言えない時刻だった。
それまでの戦いで、ガルフ側にはそこそこ帝国軍の兵士もまじっており−とはいえ、本気で帝国側がガルフの味方をしているにしては、その援軍は微々たるものであったけれど−とりあえずアンデッドだけではないことがわかっていた。
ソニアから重々言い含められたオハラ隊とフェンリルを中心として、他に、聖なる力の加護をうけた武器も持たずプリーストは唯一オーロラだけ、という数部隊で第一陣が構成された。
城を破るとか城を守るという概念は敵にも味方にもないような、単純な力のぶつかり合いの末に門を破って城内に侵入をする。アンデッド達はガルフを慕っているのかもしれないが、城を守るという認識よりも敵を倒すという意識の方が強いのだとスルストはソニアにアドバイスをしたが、まさにその通りといって良い状態だった。
「・・・これは・・・!」
城門を突破して一気に建物まで敵兵を倒して吸うんで来た。ようやく城内に一歩足を踏み入れた瞬間、フェンリルは立ち止まって兜の中で顔を歪めた。
嫌な空気だ、と思う。
城の建物は硬質の壁で覆われており、外よりもいささか気温が低いように思える。
魔界の者達が低温が好きなわけではないはずだから、それは精神的にそう感じてしまうということなのかもしれない、と鼻の頭に軽くしわを寄せた。
人が生きている場所ではないと誰もが直感で感じられる、とても無機的な空間。
普通の城と変わらないような広いエントランス。
それなのに、妙に薄暗く感じるのは実際の光の量のせいではない。壁の色のせいでもない。妙な圧迫感を一同は感じて、息を呑んだ。
「ユーシスの懸念通りだな。異質な空間だ」
「フェンリル様、何か?」
オハラ隊のテリーが慌ててフェンリルに問い掛ける。
「ガルフもまだ元来の力を持っていないだろうに、なかなかのものだ・・・気をつけろ。この城の中は・・・ユーシスは「魔界」だと表現したが、我々にわかりやすい言い方をすれば、夜、ということだ」
フェンリルの言葉の意味がわからず、テリーは眉根を寄せる。
「それは・・・えーと・・・夜、力を発揮出来る者達が」
「ああ。そう考えてもらえば差し支えはないだろう」
そう言いながらもテリーを見ないまま前方を見つめて苦笑いを口端に浮かべるフェンリル。
「外が明るくても、暗くても、ここに来てはもう問題が違う・・・来るぞ!!」
アンタンジル城内に潜んでいた敵兵達がどっと一斉にフェンリル達に向かって来る姿が見えた。
罠をはってどうこうということがない分楽だな、とフェンリルは思う。
「疲れすぎるな。状況が悪くなる前に退くんだ」
多分自分がブリュンヒルドを持っていればそんな言葉は出ないだろうが、とフェンリルは思うが、それについては後悔はまったくしていなかった。
あの剣は、やはりもうソニアが振るうべきだと思う。
それに、自分達の背後には、スルストも待っていてくれているのだし、何の不安があろうかと思える。
「スターティアラ!」
先制をとるオハラの魔法が完成をした声が聞こえる。敵兵に向かってまっすぐに伸びていく魔法の気というものがフェンリルの体にも感じられるようだ。
なかなかのプリンセスだとフェンリルはオハラを評価している。
案外と反乱軍の一員としてこの兵士達と戦うことは悪くない。
そう思いながらフェンリルは、剣を構えた。



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モドル