魔縁との対峙-7-

ランスロットはレイモンドの報告よりも早く、アンタンジル城付近の異変を感じとっていた。
彼自身、何故そこまで神経が研ぎ澄まされていたのかはよくわかっていない。手に持つカラドボルグのせいだろうか?と思い当たったのは、この戦が終わってからのことだ。
イノンゴよりもずっとずっと南、アンタンジル城にもっと近づいた場所で、イノンゴへアンデッドが向かわないようにと防波堤になっていたランスロット達だが、明らかな異変が彼らを襲った。
部隊編成も何もしていないアンデッド達が突如大量に現れ、思い思いの方角へ向かって進んだり、アンタンジル城付近で身を潜めていたりと不穏な動きを見せ始めたのだ。
反乱軍に対して派遣された部隊ではないことはすぐわかった。
それらのアンデッド達はまったくもって統率が取れていない。
敵でありながら敵でないという言い方が正しいのだろうか。
イノンゴ方面に向かうアンデッド達すら、そもそも何を目的にしているのか皆目見当がつかないというのが正直なところだ。
が、ただ一つ間違いないこと。
それは、無尽蔵にアンデッド達が増殖しているように思えるということだ。
アンタンジル方面から北上してくるアンデッド達の数は、10や20ではなかった。それだけで一個小隊が結成されるのではないかと思う数のアンデッドが、あちらこちらふらふらと動いている。
今は夜ではないから力を発揮は出来ないだろうが、このままふらふらと北上すればイノンゴに到着する頃には夜だろう。
どこまでそのアンデッド達の北上を食い止めるべきなのか、ランスロットは躊躇した。
全てを相手にすることは相当難しい。
とはいえ、見逃してイノンゴに向かってしまえば、そこで何をしでかされるのかもわからない。
大掛かりな野営の準備はしていないが、どこにトリスタンやランスロットがいるのかが明確にわかるように天幕をはって目印にしてある。その入口前に二人は立っていた。
「アンタンジルで何が起きているのかはわからないけれど」
トリスタンは慎重に言葉を続ける。
「少なくとも我らはあのアンデッド達を歓迎するわけにはいかないな」
「・・・となると」
「うん。出来うる限り防ぐ必要がある、だね。今はとりあえずもみ合って撤退させているだけだけれど、そうもいってられない数になっていた。交戦したら確実に葬らないと、こちらの疲労も続くしね」
「ノルン隊を動かしますか。それとも、ノーマンを」
「いつまで続くのか、我々には計る事が出来ないからね」
だから、悩む。
続けなかったトリスタンの言葉をランスロットは理解していた。トリスタンは考え込む表情を見せる。やがて、しばしの沈黙の後に、あまり苦しんでもいなさそうなあっさりした口調でトリスタンは言った。
「ノルンを呼んでくれるかな」
「はっ」
ランスロットは伝令などのために控えている新米兵士に命令をするため、素早くその場を去った。彼の背中をみながら、トリスタンはぼそりと呟いた。
「いつまで続くか、わからない・・・か。あまり時間がかかれば、明らかに不利だ」
それはランスロットもわかっていることだ。
状況が悪化して自分達も、また、アンタンジルに向かったソニア達にとっても救いがない状態になることは避けなければいけない。そのためには、どれだけアンデッド達があふれ出てくるとしても、交戦した以上は数を減らすしかないのだ。そして、数をこなすには残念ながら神の加護をうけた魔法を使える、ノルン達プリーストの力が必要だ。
ランスロットやノーマンだけでは相手を出来る数がたかが知れている。
「ノルンはあまり戦闘経験は豊富ではないというからな・・・うまく立ち回らないと」
そんな呟きを漏らしつつ、かくいう自分だって戦闘経験は浅いではないか、とトリスタンは自嘲気味に1人で笑みを漏らした。

ソニアは次々に襲い掛かって来るアンデッドを斬りながら、ガルフがいるはずの薄暗い室内をわずかに進んだ。
広い部屋の中央にはアンデッドが何かを囲んで集まっているようで、外側からは、まるでアンデッドの塊ががそこにあるようにすら見える。
その中央の集会−とソニアには思えた−に参加できないアンデッドが部屋の外に出ようとしていたことがわかった。
「どけ!」
ソニアは大きな塊達に切りかかった。
突如現れた敵にアンデッド達は反応して、その渦の外側にいた者たちはぱあっとその場から散り、一部は部屋の外へ向かう。そして、また一部はソニアに向かって襲い掛かる。そして、更に他のアンデッドは再び中央へ戻っていく。
「行かせるか!」
自分に向かうアンデッドをこともなげに切り捨てながら、ソニアは部屋の外に向かっていくアンデッドを追いかけた。
一体、どれだけの数のアンデッドを切り伏せているのか、ソニア自身よくわかっていない。
と、その時部屋の中に声が響いた。
「お前が、ブリュンヒルドを持つ者か」
「・・・誰だ!?お前が、ガルフか!?」
「そうだ」
その声は、ソニアの目の前にある「アンデッドの塊」に遮られた部屋の奥から聞こえてくる。
「笑わせる。お前のような小娘が、フェンリルからその剣を譲り受けたとはな」
「小娘で悪かったな!フェンリル様はどこだ!」
「お前の目の前だ」
「・・・!」
まさかとは、思ったけれど。
ソニアは険しい顔つきになって、部屋の中央に固まっているアンデッドの群れを見た。
その輪の外側にいるアンデッドは時折ソニアに気付いてソニアに襲い掛かって来る。それを斬っているうちに、部屋の奥からまたも新たなアンデッドが現れてその輪に加わる。
「この中に・・・」
いるのだ。フェンリルが。
そして、これだけアンデッドが群れているということは、当然フェンリルは生きている。
アンデッド達は死んだ人間には興味をあまり持たない。
そのアンデッド達がこれだけ群れているということは、生きている人間がこの中にいるということだ。
「くそ!」
次から次へ、部屋の奥から溢れ出てくるアンデッド達が、ソニアの存在に気付いて輪に加わらず向かって来るようになった。
こんな風にアンデッドの相手をしている隙に、ガルフに攻撃されたらどうすればいいのだろうか。
覚悟があって飛び込んだけれど、実際この行為はかなり無謀だ。
それがわかっていてもやらなければいけなかったとソニアは知っている。だから、後悔はしない。しないけれど、どうすれば一番いいかと考えて、即座に答えを出すことは出来ない。
「小娘。いつまでフェンリルがもつだろうな?必死に戦ってはいるだろうが、所詮アンデッドを消滅させる力のない剣を振るって、自分の命を守るだけが精一杯、敵の数すら減らすことが自力では出来ない。これだけ群れたところで気でも失った日には、手足のひとつやふたつは簡単にもがれてしまうかもしれないな」
さも楽しそうにガルフは笑う。
その笑いは人間がもらす笑いの声とは違うように聞こえるけれど、明らかに「笑っている」とソニアにはわかった。
薄暗い奥にいるガルフの姿形、もちろん笑みの表情だってまったくソニアには見えることはなかったけれど、間違いないと思う。
ガルフとソニアの間には、フェンリルを中心としているらしいアンデッドの輪がある。部屋の壁沿いでガルフのもとへ行くことは出来るかもしれないが、ソニアを見つけたアンデッド達がそれも邪魔をする。
(遠いな)
奥行きがある部屋の奥で、まだよく姿が見えぬ悪魔の存在を感じて、ソニアは距離を測っていた。
駆け抜けて切りかかるには遠い距離だ。
「ふざけんな!こいつら全部倒せばいいことだ!」
「そのアンデッド全員を相手にしているうちに、どんどん外にも溢れていくだろうな」
「ちっ・・・」
「大変なことだな?反乱軍リーダーよ」
まだ今はフェンリルを中心にした輪になって集まっている分、通路に出て行くアンデッドが少なくて済んでいるのだ。もちろんソニアはスルストやユーシスの力を信じてはいるが、外は外でアンデッドが溢れ出てくるポイントがあって絶え間なく魔界から現れているのだ。それを考えれば躊躇せざるを得ないだろう。
「このままでは、フェンリルも、部屋の外にいるお前の仲間たちも、アンデッド達に数で敗れることだろう。既に、城外にもどんどんやつらは出ている。このまま放置すれば、イノンゴまでたどり着くだろうな」
ソニアは軽く舌打ちをした。いつもならば「あまり良いとはいえないぞ」とランスロットにたしなめられるが、ありがたいことにランスロットはここにはいない。
イノンゴに被害を出さないための防衛網はランスロットとトリスタンに任せている。今のソニア達は城外に出たアンデッドの数は確認出来ないから、何の実績もない状態で「大丈夫だ」と自分を落ち着けることは少々難しい。
「とっりあえず、ガタガタいってる暇があったら。ひとまず安否確認させてもらおう」
ソニアはもごもごと独り言を呟いて、ブリュンヒルドを握りなおした。
どうやら言葉の感じでは、この部屋の奥にいるガルフとやらは今の状況をおもしろがっているようだ。殺気を感じない。
何をたくらんでいるのかまったくソニアには想像出来なかったが、少なくとも今の時点でガルフはソニアと戦う気はないようだ。
(それでも、こちらから仕掛けるか?一刻も早く、部屋の奥にあるらしい、魔界と通じる穴をふさがなくちゃいけないしな。あたし対ガルフか・・・あまり、いい状況じゃない)
相手の力もわからない。
今はフェンリルに向かっているアンデッド達が、何をきっかけに目標をソニアにするのかもわからない。
(・・・オーロラかオハラの呪文で、ここにいるアンデッド達を一掃して欲しいもんだな。一時的でもいい。ガルフと戦うのに、フェンリル様か、スルスト様の援護が欲しい)
しかし、先ほどちらりと確認したオーロラとオハラの様子では、体力が回復したとしても、常日頃と同じように呪文を行使することは難しいだろうとソニアは推測する。あそこまで追い詰められた戦いを続けた後、いくら体が動いたって心はついてこない。魔法を行使する人間は、体力の何倍何十倍も気力が要求されるものだとサラディンが言っていたことをソニアは思い出す。
「ガルフの奴が何をしたいのか、わからないが、こっちがやりたいことは決まってる」
この状態では、フェンリルの援護が欲しい。どうにかこの輪の中から助け出せないものだろうか。
アンデッドを倒す必要はない。ただ、道が出来れば良い。
あるいは、フェンリルの援護がなくともガルフを倒す方法を。
それにしては、ガルフとの間を隔てられすぎている。これではソニックブーム一つもガルフの足元まで届かない。
ソニアはブリュンヒルドを顔の正面で構えた。前後に足を軽く動かして、簡単に息を整える。別段呼吸が荒れるほどの運動量があったわけではない。ただ、技を繰り出す前の呼吸に変化するだけだ。
その様子を見て襲い掛かろうと近づいてくるファントムがいたが、まるで視界に入っていないかのようにソニアはそちらをまったく気にしない。
ソニアは、両手でブリュンヒルドを斜めに振り下ろした。
ブリュンヒルドを媒体として、ソニアの手から白い光が放たれるように見えた。それは、ソニックブームと呼ばれる剣技だ。
振り下ろしたブリュンヒルドの剣先からその光は地面に落ち、光の線となってまっすぐ地を這う。
中心に集まっているアンデッドの足元へその光は滑り込んだ。
アンデッド達にダメージを与えられる攻撃ではないけれど、床を這うその光の存在をまったく感じないわけでもない。
輪の外側にいたスケルトンナイト数体はその異変を感じて動きを止めた。ソニアが放った光の通り道、直線上にいたアンデッド達の体が揺れて、左右に分かれたりその場で動きを止めたりと、わずかな動きを見せた。
「どけ!」
ソニアはそのわずかな隙間に切り込んで、一体何重になっているのかもわからないアンデッドの輪の中に突っ込んでいった。
突っ込みざまにアンデッドの背後から片手だけで横に一直線ブリュンヒルドをなぎ払う。そして手首を返して、もう片方の手を添えて剣を戻す。
普通の人間相手ではそんな切り伏せ方は出来ないけれど、アンデッドに効果がある聖なる加護をうけた剣の威力は絶大だ。きっと、他の誰が見てもソニアのその行動は無謀で、あまりにもいい加減過ぎるものだと驚くだろう。
ただ1人、ユーシスがもしも見ていたら。
あれほどに天の父の力を拒み、天使と結んだ契約を頑なに利用しないでいたソニアが。
本当はどれだけ、その天の父の力を信じているのか。それを見破ってしまうだろう。それはソニアにとっては屈辱でもある。
けれども、もはやソニアは信じなければ何も出来ないのだ。
先日フェンリルに追い詰められたように、ソニアが持つ力のどこからどこまでが、天の父から与えられた特別なもので、どこからどこまでが元々の自分が持ち合わせていた潜在能力なのか。その切り分けなど出来ない今、自分の力、ブリュンヒルドの力、タロットカードの力。すべてを信じなければ自分自身を少しも信じられないではないか。
自分を何一つ信じられなければ、人を動かすことは出来ない。
ただ、そこにある力。
それを存分に発揮することだけにソニアは集中をした。
それがどれほどに哀しい決意の結果なのか、誰も知ることは出来ないだろうし、彼女もいちいち言葉にして語ることはないだろう。
いや、たった一人。フェンリルだけは、理解出来るかもしれない。
「・・・くそ!きりがない!」
ソニアは悪態をついた。
ガルフがいうように、これは確かに多勢に無勢だ。わかっていたけれど、それをまざまざと思い知らされる。
「そのアンデッド達は低脳だ!俺の命令なぞ、聞きもしない」
ガルフは部屋の奥から一歩、二歩、と歩いて動き始めた。当然ソニアはそれどころではないため、声の方向が動いたことで判断するしかない。
「これだけの数がいれば、お前のことを捕獲することも出来るはずだが、何を言っても無駄だ」
「く・・・」
「もうそろそろわかっただろう?反乱軍リーダーよ」
ソニアは返事もせずにブリュンヒルドを振るい続けた。
「ここで降参すれば、アンデッド達を引き上げ、イノンゴの人間どもにも危害を加えないと約束してもいいぞ。そうでもしなければ、たとえ今からお前が俺と戦って勝利を収めたとしても、一度こちら側にきたアンデッド達は魔界に戻ることは出来ない」
「聞くか、そんな取引を!」
そういえば。
アンデッド達はどんどん魔界からあふれ出てくるけれど、これを戻すにはどうすればいいのだろう。
ソニアにわずかな焦りが生まれた。
ガルフを倒せば、魔界を繋ぐ穴はふさがるかもしれないが、それまでにこちらに流れ込んでいるアンデッド達は?すべて反乱軍が撃退するしかないのだろうか。ユーシスがどうにかしてはくれないだろうか。いや、ブリュンヒルドが。
その心の葛藤を見透かしたようにガルフは声を大きくあげた。
「俺が死んだとしても、アンデッド達は魔界に戻らぬ!魔界に戻るための道を作るには、今の俺の力は足りないからだ!ではどうすればいいと思う?どうしたらこいつらを消すことが出来ると思う?」
ガルフの歩みが速まる。ソニアはブリュンヒルドを振るいながらも、声が少しずつ近づいてきたことを感じていた。
「俺に力を与えない限り、反乱軍のせいでアンデッドは溢れ、イノンゴの連中は封印の外にも出られず、アンデッドが溢れたこの狭い地域で一生を送らなければいけなくなるんだぞ?仮に俺を倒して、それからどうする気だ?うん?」
ガルフの声音が変わった。
嘲り笑うように、けれど、先ほどまでのように遠くにいるソニアに話しかけるような、叫びまじりの声ではなくなった。
勝利を確信するには早いけれど、ソニアの心を揺らすことには成功をしているだろう、という優越感を感じさせる声。
その声の距離をソニアは慎重に測り続けていた。
(かなり、近づいたな)
ソニアは片手でブリュンヒルドを操りながら、もう片方の手で腰につけた革袋に手を滑り込ませた。
「卑怯な手を使うな!さすが悪魔だ。だったらこっちも容赦しない」
「何?」
「・・・よく、近づいてくれたな!待っていたぞ!」
袋から取り出してソニアが掲げたものは一枚のタロットカード。
先ほど、部屋の外で使ったカードとは違う一枚。
それこそが、ユーシスがソニアに「使えば良い」と言っていたサンのカードだ。
暗黒の力を持つものに大きなダメージを与え、アンデッド達を消滅させる強い力を持つカード。
このカードもまた、掲げたソニアの手の先で発光して、四方八方放射線状にまばゆい光を振りまいた。
そのあまりの輝きに、ソニアも耐え切れずに片目を閉じ、もう片方の目をうっすらとあけながら数歩後ろ、数歩横に移動した。
下がったのはまぶしいからではない。
消滅させるであろうアンデッド達の最後を見るためでもない。
ガルフに位置を正確に把握させないためと、横移動で輪の中心−フェンリルがいると思われている場所−に近づくためだ。
「・・・一体、何だ、これは!!」
ガルフの声が、光の中響く。
天の神に選ばれた者だけが使うことが出来るこのカードを持っていることは、あまり知られていない。
それは、ソニア自身がそういった力が好きではないということもあったが、いざという時の切り札にするため、出来るだけ知られたくないという気持ちもあったからだ。
実際、フェンリルすら知らなかったことであるし、シャロームからずっと一緒にいるランスロット、いや、更に古株のビクターですらそんなことはいつも頭から離れている。ソニアは選ばれた勇者。ブリュンヒルドにも選ばれた者。今となってはその印象だけが強く持たれている。
こんな形で使うことになるとはな、とソニア自身は苦々しく思ってはいるが。
アンデッド達が消えたがらんとした室内で、まばゆい光が薄くなっていく。それでも、あまりに強烈なまばゆさは瞼を通して痛いほど感じ、人間であるソニアですら耐えられないと思える。
と、その時、少しずつ薄れてゆく光の中、聞き慣れた声が響いた。
「いい判断だ、ソニア、みろ、アンデッド達がその光に恐れて、こちら側に出てこなくなった」
先ほどまでアンデッド達に絶え間ない攻撃を受けていたフェンリルは、部屋の真中に立っていた。
鎧には無数の傷がついていたし、兜もまた何箇所か歪んでいるように見える。そんな打撃を受ければ普通の人間であれば気絶をしたり、脳内の出血を起こしているのではないかと思われる。天空の三騎士というもの達は一体人間とどれほどの差異があるのだろう。そう思えるが、今ソニアが考えなければいけないことはそういうことではない。
「・・・フェンリル様、動けますか」
「当たり前だ。感謝する」
あっさりとしたその言葉。しかし、その呼吸は乱れて弱弱しい。
よく見ればフェンリルの兜や鎧の継ぎ目のあちらこちらから血が流れていること、床に血がこびりついていることがわかるはずなのだが、ソニアはそれを確認している暇はなかった。ただ、フェンリルが「動ける」という意志を見せたからにはそれを信じるしかないと思う。
「この、死にぞこないが・・・!」
一体何が起きたのかわからず、瞬間ぽかんとしていたガルフは2人の会話を聞いてようやく我に返ったようだった。呼び出したアンデッドはすべて消滅し、フェンリルが言うように、彼が開けた魔界との扉−この部屋の奥にあるようだが−から流れ出てくるはずのアンデッド達は、ぴたりと姿を見せなくなった。
あのあまりに強烈な光は、魔界から出てくる者たちをこの場にこさせるより前に怯えさせる、それほどの威力を放っていたのだろう。それがどういう状態なのかはわからなかったが、ソニア達にわかることは「ガルフが命じてアンデッド達を止めたわけではない」ことだ。であれば、やはり先ほどの光の恩恵と考えるべきだろう。
慌ててガルフは再び身を引き、部屋の奥に下がろうとしていた。
(これが、悪魔か)
ソニアの手からタロットカードの姿は既に消えているが、それが放った光は未だに室内を照らしている。カードを持っていた手で自分の目の上にひさしを作って、ソニアはガルフの姿を確認した。
悪魔の姿。
上から下まで黒い体。服を着ているとか裸体だとか、そんなことを考えさせることもない「こんな生き物がいるのか」と思う、硬質に見える体の表面。しかし、ガルフが動けばその筋肉の動きと共に体を覆っている黒いもの−皮膚と呼ぶべきなのかなんなのかはわからないが−が、人の肌のように動く。
腕が二本に足が二本。頭が一つ。人間と変わりがない構成だが、肘、膝などに、まるでテクターを装着しているのかと思うような、楕円の一部を切り落としたような何かがついている。その何か、とは他の全身の細胞と取り立てて違いがない、つまり、ガルフの肉の一部なのだろうが、それは人間の肉体とはまったく異なるものだ。
戦だというのにその体をさらけ出しているということは、硬質に見えて柔らかい、柔らかく見えるけれど、実際は硬いのだろう。
(あんなに天使は人間に似ているのにな)
不思議なものだ。
一瞬そんなことが脳裏をかすめたが、悪魔についての議論をするつもりはない。
「逃がすか!!」
身を引くガルフを追って、ソニアは床を蹴った。そして、いつもより動きは鈍いものの、それを援護するようにフェンリルはソニアが向かう方向へ、斜め側からガルフを足止めするようにソニックブームを放った。

アンタンジル城付近から、勝利の合図の狼煙があがったのは、それから半刻過ぎてからだった。
が、実際、狼煙を上げる前に、既にアンタンジル城からサラディンの部隊は撤退しており、ほうぼうに散りながら北上していくアンデッドを狩り始めていた。
ソニアにとってもフェンリルにとっても不本意ではあったけれど、ガルフがこちら側に呼び出したアンデッド達を、魔界へ逆に戻すことは不可能と思えた。
ユーシスに知恵を借りようとしても、ユーシス本人は魔界との扉を開くような力を持っていないた、何の解決策も出すことが出来ない。
狼煙があがったといってもトリスタン達は引き続き交戦状態だったし、サラディン達が攻め上るといっても後ろから追っかけていくだけではそうそうおいつくこともない。結局予想以上の消耗を強いられてしまった。
伝令によって伝えられたソニアからの状況報告と指示は、いたってシンプルだった。

ガルフを倒した。アンタンジルから出てくるアンデッドは堰き止めた。
怪我人が多いので迅速に本陣に戻ることが出来ないので、しばし待て。
イノンゴの人々に被害を出さないように最大限の努力を頼む。

「ということは、死者はいないということか。あの人数で乗り込んだことを考えれば、余程の精鋭だね、この軍は」
あまり大きくない声でトリスタンはそっとランスロットにそう言った。
それは暗に、普通ならば死者が出ていてもまったくおかしくないだろうし、その心積もりだったということを伝えている。例えフェンリルがいようとソニアがいようと、スルストまでがいようとも。
普通の戦であればそれは当然だと思える。
「少なくともそうでありたいとは思っていますが。しかし、プリーストがついていながらすぐに本陣に戻れないということは、余程の損害があったと思われますね」
「ああ、そうだね。プリーストそのものが余程の怪我を負っているのだろうか」
2人のその想像は間違ってはいなかった。事実、オーロラが自分の力を再びいかんなく発揮するためにはもう少しばかり時間がかかっていたのだから。
「どちらにしても、アンタンジルからアンデッドが出てこなくなったとはいえ、我々はまだあちらこちらに蠢いているアンデッド達を倒す必要があるでしょうね」
「まあそうだけど・・・あくまでも、人間に危害を加えようというアンデッドだけは、ね」
おや。
ランスロットは心の中で驚いた。
なるほど、この皇子はなかなか頭が切れるものだ。アンデッドであればどれもこれも倒していいというわけではない。それをトリスタンは知っている。
そもそもガルフと反乱軍の戦いが始まる前からこの地域にはアンデッドがいたわけで−魔界に近い場所であるからこそ、過去の大戦時ガルフがここに逃げてきたわけだし−それらのアンデッド達がみなイノンゴの民衆を襲っていたわけではない。共存といえば語弊があるかもしれないが、それでも言葉にするならそれしかないだろう。
この封印された地域では共存が保たれていたはずなのだ。
実際、アンデッドと呼ばれる生物は大陸の各地に生息している。
この地域のようにアンデッドと人の住み分けをしているだけで、そもそも敵対関係というわけではない。
アンタンジル城付近にアンデッド達は生きていたし、人間はイノンゴ付近に生きていて。そのどちらも必要以上の干渉する気がなかったはずだ。たとえ人間が一方的にアンデッドを恐れて「気持ち悪い」「怖い」といってイノンゴに引きこもっていたとしても、アンデッド達はイノンゴを襲撃するわけでもなかったのだし。
そのバランスを一気に崩したのはガルフだ。
ガルフ本人は命令を何を下すわけでもなかったが、彼も口にしていたように弱まった力で呼び出したアンデッド達はたかだかしれている。非常に知能が低い、さまようだけのアンデッド達が流れてきた。彼らはあくまでも魔界で生きている者達だから、普段自分達が見てきたアンデッド達と多少の習性の違いがあるのだろう。
アンタンジルから北上していることが、わかりやすい違いだ。
今までこの地域にいたアンデッド達が人間を襲っていれば、今頃イノンゴには誰一人残っていなかったに違いない。
飼いならされていたわけではなくとも、そこいらへんの野良犬と同じだったアンデッド達に混じって、野生の獣が鎖から放たれたようなものだ。
それはまるで生態系のバランスを崩す行為に等しい。
だから、仕方なくランスロット達はアンデッドを倒す。
倒すけれど、それは全滅させろということではない。イノンゴの人々に被害が及ばなければそれで良いのだ。
「ガルフが本当に倒れたら、封印が解けるんだろう?となれば、山を越えた広い世界にこのアンデッド達は流れ込む可能性もあるのかな」
「ええ、確かにそうですが、山越えに労力を使ってまで人間に危害を及ぼそうとするとは考えにくいですね」
「そうか」
残念ながら彼らにはアンデッドの感覚も、魔界に生きる者たちのルールなどもわかるはずもない。
あれほど人間と姿形が似ていても、自分達が人間であるがゆえにユーシスの言葉の端端が理解出来ないように。
その「よくわからない」者たちを相手にこの先も戦い続ける必要があるのだな、と思えば気が重い。
「ランスロット、ノーマンを連れて前線に出てくれないか。こちらも一気に片をつけて、出来るだけ早くソニアと合流した方が良いだろう」
「わかりました。では、出陣準備をして一時お側を離れますが」
「うん。大丈夫。みんなが心配しているほど、僕には気負いもないし、みんなの視線もどうってことがない」
さらりと告げるトリスタンの言葉には、様様な含みがある。
それをわかっていてもランスロットはあえて何も言わない。
僕が言う意味、わかっているだろう?とばかりにトリスタンもそれ以上はランスロットから言葉を引き出そうとしない。
(くわせものだな)
亡きグラン王がもつ気質とは違う、と思う。
ゼノビア皇子はゼノビアの王族の血をひいていたとしても、ゼノビアで教育を受けていない。逃亡生活を送りながらの25年を経ているのだ。
アッシュやウォーレン、ギルバルドといった「かつてのゼノビア王族」に対する印象を強くもっている人間は、戸惑うのではないだろうか。在りし日のゼノビアの記憶が最も少ないランスロットですら、そう思わずにはいられないほどの「何か」をトリスタンは持っている。が、ありがたいことにそれは、この時代を生き抜くために必要な要素ではないかと思える。
「では、皇子、失礼いたします」
ランスロットは一礼をして、トリスタンの前から去った。
もはや彼はトリスタンのことを深く考えず、どうノーマンをコントロールしてうまく使おうか、ということを考えるばかりだ。

必要最小限の会話ののち、フェンリルは深い眠りについた。
眠りの周期に入っていないけれど、そうしなければいけないほどの痛手を確かに負っている。
兜や鎧を脱がせると、体のありとあらゆる場所で内出血をしており、戦う人間だとは思えないほどのきめ細やかで美しい肌は、その下に広がる黒ずんだ色を嫌というほど透かして見せていた。
サラディンと共にアンタンジル入りをしていた一部隊に城内の探索を任せ、また、フェンリル達とやってきたもう一部隊の力を借りて怪我人の手当てをしていた。
どこもかしこもがらんとしていて、生活感がまったくないアンタンジル城の一室、反乱軍の面々は集まっていた。
あまりの疲労により倒れたオーロラは意識を取り戻していないし、傷は塞がったもののかなりの出血をうけたゾック、テリーもまた倒れたままだ。
主の凄惨な姿を見ているベレクロスは何を思っているのだろうか。
「大丈夫デス。心配することは、ありまセーン。フェンリルサンは殺してもしなないような人ですからネ!」
と無理矢理笑ってスルストはドラゴンの鱗を叩いた。
それはベレクロスに言っているフリをしているが、そこにいるすべての人間を安心させようと思っている気遣いだろう。
ソニアもまた多少傷ついてはいたが「これくらいたいしたことはない」と平気な顔をしていた。
開け放してある部屋の入口から、ユーシスとカノープスが入ってきた。
「ユーシス、どうだった?」
「残念ながら、アンデッドの多くは北上したようですね。ランスロット達は苦労しているかもしれません」
アンデッド達の「熱量」とやらを見てくれ、とわからないなりにソニアはユーシスに依頼をしていた。まだ何がこの城内であるかわからないから、カノープスはボディガード役というわけだ。
「そうか。わかった。やはり少しでも早くここから出た方がよさそうだな」
「こいつらが目覚めるまで待ってるわけにゃいかないよな」
「そうだな。体がキツいとは思うし、本当は労わってやりたいが、そういう状況でもない。置いていく気もないし、これ以上人数をわけるのはな」
そういってソニアは小さく溜息をついた。
「オハラは、大丈夫か」
「はい、問題ありません」
「そうか。カノープス、オーロラとゾックとテリーを運べるか」
「そのつもりだ」
「ユーシス、カノープスをフォローしてやってくれ」
ユーシスはまだ人を運びながら飛ぶことに慣れていないから、気安く運搬を頼めない。が、カノープスを単独行動させるわけにもいかないから、せめてそれだけでも頼む必要がある。そして、運搬される側の面々は出来るだけ早く安全な場所で休ませてやる必要があるのだ。
いくらもうガルフがいないとはいえ、このアンタンジル城に置いていくのはあまりに危険すぎる。
「わかりました」
「あっ、違う、そうだ、フェンリル様も動けないのか」
となるとオーロラとゾック、テリー、フェンリル。それだけの人数をすべてカノープスに運ばせるのは危険だと思えた。いくらユーシスがいても、何かあったら・・・。
「大丈夫デース。フェンリルサンは運んで行きますヨ」
「えー、だって・・・」
「・・・お願いデス、ソニア」
たったそれだけの言葉であるが、何かスルストの表情、声音には心からの懇願であることを感じられる。
「わかりました、お願いします」
「ありがとうデース」

ガルフは、ブリュンヒルドの力を狙っていて、ソニアと取引をしようと思っていた。
ラシュディから取引を持ちかけられていたようだった。
ラシュディは間違いなくキャターズアイを持っているらしい。
タロットカードがあるのは誤算だったようだ。
プリーストのヒーリングですら恐れをなさずに出てくるアンデッドが、サンのカードの威力に押されて、ガルフが作った魔界との道の前から怯えて逃げ出したのだろう。

フェンリルはその他いくつかの情報をソニアに提供した後、突然ふっと糸が切れたように倒れた。
実際にフェンリルが戦い続けた時間を正確に把握している人間は誰もいない。
いないけれど、あれだけの数のアンデッドに囲まれて生きているなど、確かに生身の人間だとは思えない。
天空の三騎士は、肉体的にもやはりもう人間ではないのだと今更ソニアは実感した。
が、その実感を他の兵士達に伝える必要はない。
「ソニア様?どうなさいました?」
「いや。なんでもない」
心配そうにオハラが覗き込む。慌ててソニアは答えた。
「行こう。この城にはまったく、用がない。これだけの被害を被ったけど、それをしてもいいほどの成果だし、よしとしよう」
「・・・はい」
ソニアの言葉の意味をオハラはよくわかっていない。
多少曖昧でいい加減に頷いたけれど、それはソニアへの信頼の返事だ。
「力が弱くてもあんな風に魔界と通じる道を作るなんて・・・キャターズアイとやらの力を得たら、一体あの悪魔はどれだけの強さを誇るようになったんだろうな」
「そうですね。本当に、今の時点で回避できてよかったです」
ユーシスが同意をする。が、ソニアが本当に言いたいことはそれではない。
「・・・で、ラシュディは、それほどの力をもつ悪魔と、契約をして自分が優位にたてるほど・・・何か切り札やらなにやらがあるってことだよな。それが、モノなのか、強い力なのか、何なのかはわからないけれど。それ相手に戦を続けるんだな。こりゃー確かに天使の力もいるってものだ」
それを目で、体で思い知ったこと。それが成果だとソニアは言っているのだ。
ようやくソニアの言葉の意味がわかって、その場にいる人々は全員言葉を失い、一瞬呼吸を止めた。


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モドル