魔縁との対峙-8-

以前、「死者の杖」というマジックアイテムを破棄するための儀式をユーシスに頼んだように、ガルフの死体に対してもその儀式を行った。それをユーシスは「浄化」と言ったが、ソニアにはその意味がわからない。
ただ、わからないなりにも、多少なりと感じることはある。
例えば人間ならば髪の毛一本とか。
どういう形であろうと「ガルフだったもの」を砂粒ほどでもこの場に残したくないという気持ちだ。それを実際にどうにかしてくれるのが、その「浄化」なのだろうな、とおぼろげに思う。
話は前後するのだが、ガルフを倒したその時。
ブリュンヒルドの力なのか、ソニアが叩き切ったガルフの体はその場に倒れ、切り裂いた傷口から音すら立てずにぽろぽろと塵のように崩れていった。冷たい床に崩れ落ちた欠片は固形として存在できなくなったように、まるで空気に溶けるように消えていった。
皮膚や筋や骨。
人ではない悪魔を形作っていたものを、なんと呼べば良いのかわからないが、人間であればそういう名称なのだろうと思える部分。そういった存在を目にそれ以上触れさせないようにか、まるで消し炭のように黒ずみ、色を変え、それを構成する元素すら変えるように変化していく。それはあっという間の出来事だった。
目の前に残ったものは、両手で持てる程度の大きさの黒い塊。
息を呑んでソニアはしばらくそれを見つめ、一体何が起こったのかを理解することが出来なかった。
全身傷だらけで息も荒い状態だったフェンリルに「終わったか」と声をかけられるまで、ソニアは「それ」から目をそらすことが出来るはずもなかった。
「なんだ、こんなになっちまうのか?悪魔ってのは」
後からやってきたカノープスが興味本位で手を伸ばそうとすると、ユーシスがひきつった声で制止をかけた。
「おやめください。魔の者は死してもなお魔の者。死と生は背中合わせでとても近いものです。いくら死した者とはいえ、必要がなければ触れてはなりません」
きっぱりと言い切ったその言葉は、今までのユーシスのありとあらゆる言葉の中で最も力強く、一歩も譲らない強さを含んでいた。特にカノープスは何度もユーシスに、人間運搬の方法を教えて二人きりでいることも多かったけれど、それでも初めて感じる厳しさを含んでいた。
(言われずとも、触れたくない。まるで触れた場所から、侵されそうだ、あの禍禍しい悪魔に)
死してもなお魔の者。
ソニアの耳には、その言葉が強く残った。

アンタンジル。封印の地。そう一括りで呼ばれている地域はとても広かった。それがそもそもの問題なのだとソニアは思う。
どうやったら山を越えて外−封印をされた地域が内の世界というならば−の世界に出られるのかとイノンゴの民衆の一部は躍起になって反乱軍に問いただしていたし、残念ながらそれに答える術は彼らにはなかった。
が、ガルフを倒した今であれば、封印の必要がなくなるのだし・・・。
ランスロット達と合流するための道中、ソニアが呟くようにそういうと、スルストは小さな溜息をついた。
スルストは傷を負ったフェンリルを抱きかかえ−通常そんなことをされればフェンリルが怒り狂うであろうお姫様抱き状態で−ながら、それを苦とも思わぬように涼しい顔で歩いていた。が、その表情が曇る。
その少し後ろを守り、主を心配するように共に進むベレクロスは、それについてはなんとも感じていないようだった。
とはいえ、外は夜であったし、スルストのため息や懸念のことよりも、あちこちにちらばったアンデッドからの不意討ちを警戒すべきなのだから当然だ。
「スルスト様?」
「・・・封印は、施した方がいいでしょうネ」
「え?」
「魔界の扉が開いた地ですから、念のために」
「・・・ってことは、またイノンゴの人達は」
「閉じ込められることになるでしょうネ」
そもそも過去のオウガバトルの後でイノンゴの人々が封印の中に閉じ込められてしまったのは、一刻も早い封印が必要とされ、そしてそれを施すのに非常に都合が良い山が連なっていた。
山々を囲むように点々と並んでいる都市に封印の管理を任せられたのも、都合が良い地形で都合が良い封印を施せたからだ。
たったそれだけの理由で、イノンゴの民はなんの前触れもなく、ガルフと共に封印をされた。
昔からこの地にいる人々の中には、魔の者達との共存を当然と思っている者達もいたが、当然中には「たまたま商売をしていてイノンゴにいた」人間もいるに違いない。それを考えれば「悪いことをしたとは思っていますけど、しょうがないですよネ」なんて軽く言うスルストに安易に相槌をうてないな、とソニアは眉根を寄せた。
(大儀の前では、人一人一人のことは霞むものだな・・・)
わかってはいた。それに、天空の三騎士は常に大儀のために動く存在なのだし。
今更にそれを再確認して、ソニアの心にはわずかな曇りが生じた。
スルストもフェンリルも、ラシュディの呪縛から救ってくれた恩人ともいえるソニアに力を貸すと、確かに言っていた。そして、実際にここまでの行軍でかなりの尽力を得ることが出来ていた。
彼らがいなければ、やり遂げられなかったことは数知れない。
とても彼らはソニアの命令に忠実だし、反乱軍のために働いてくれていると見られなくもない。
けれども、やはり彼らは。
信頼が揺らぐ、という感覚をソニアは知っている。
これは「それ」ではない、と思えた。
スルスト達への信頼は揺らいでいない。そうだ、言葉にすればかすかな「失望」が近い。
それは、彼らが天空の三騎士と呼ばれる存在であり、自分がそうではないただの人間だからだろう。
しかし、ただの人間だと思っているソニアを、より、天空の三騎士に近い存在だと思い違いをする人々も反乱軍の中にはいる。それを彼女は知っていた。
「ソニア様、前方に」
ガルフを倒しても、なんだかどんよりとしているように思えるアンタンジルのじめついた空気。
普段ならば敵将を討てばどんな形であろうと兵士達は浮き足立つものだ。
それがどうだ。
誰もが口数少なく、重い足取りを見せる。
それは、負傷者の有無とは無関係とはいえないが、決してそればかりではない。
溢れるアンデッド達と為す術のない自分達の非力さ。
それを感じている者もいれば、まったくそんなことは気付かず、ただこのアンタンジルの雰囲気に飲まれているだけの兵士もいるに違いない。
心が晴れないことは重々わかっている。
そんなことばかり考えていたソニアは、斜め後ろからダイスンに声をかけられたことすら気がつかなかった。
「ソニア様」
二度目の問いかけでようやくソニアは気付いたようだ。しかし、彼女にしてはめずらしく、それが「二度目」だということをまったく知らない。
「どうした」
「前方に、迎えが見えます」
どこだ、見えない、とソニア達は目を細めた。夜の空は暗く、多少の星明かりがあるとはいえ、光らない動くものを見つけることは難しい。ダイスンの視力が良いということがそれだけでみなにわかる。
「・・・ああ、本当だ。あれは」
やがて、ソニアはあごをあげるように空を見た。
気分があまりよろしくない空だ、と思う。
夜だから、ではなければ、ましてや空の色や雲の様子ではない。
彼女が「空」と認識する高い高い場所までを隔てる、目に見えているけれど普段認識されない空気。
それがやたらと気になる。目に見えないものが気になるというのは相当なことだ。
「ありがたいな」
その嫌な空に、色が違った見慣れた点が現れる。見慣れた形であっても、はっきりとした固定認識がまだ視力では出来ない。しかし、夜になれた目でその点の動きをじっと見ると、不思議なことに、一体どんな魔獣がどんな魔獣使いと共に空にいるのかがわかるようになる。
あれは、ガストンが操るコカトリスだ。
機嫌があまりよろしくない魔獣をなだめすかして、怪我人の回収に来てくれたに違いない、とソニアはすぐに理解した。きっと、先にオーロラ達を運んだカノープスやユーシスが、トリスタンがよこした伝令役とでも出会うことが出来たのだろう。
「・・・とはいえ、怪我人を全員乗せるのは無理だろうしな」
誰かは五体満足の人間が乗ってサポートが必要と思える。怪我人ではない人間を探すほうが困難なこの状況では、それを選ぶことすら面倒だな、とソニアは小さな溜め息を漏らした。


ソニア達がトリスタンとランスロットが率いる本陣にたどり着いたのは、真夜中をとっくにすぎ、もう少しで明け方になるのでは、という時間だった。
お互いがお互いのあまりの消耗に嘆息だけが出る、という、どうにも情けない状態だ。アンデッドが大量にアンタンジル城から北上したことを知っていたソニアは、おおよそそんなことになっているだろうと想像はしていたが、彼女の想像を上回るほどに、アンデッドを北上させまい、とイノンゴの大分手前で守っていた部隊には被害が出ていた。大きな戦闘ではなく小さな小競り合いが延々と続く中、兵の消耗は目に見えてひどい有様だった。
ひとまず休ませてくれ、なんて言葉をソニア達が出すわけにはいかないくらい、ランスロット達もまためずらしく疲労の色を浮かべている。
ガルフが呼び出したアンデッド達は未だうようよとそこいら辺を彷徨い続けていたし、怪我人は増える一方で決して減りはしない。とはいえ、このまま放置してこの地を去るには、ソニア達反乱軍がガルフを刺激してしまった代償は大きすぎる。
湿地では分が悪いため草原に陣を張っていたけれど、そこここに疲労した兵士が布をかぶってごろごろと横になって仮眠を取っている。天幕に入ってしまえば深く寝てしまいそうだ、という焦りもあるようで、それがまた尋常ではない状態だということをソニアも理解していた。
神の加護を受けた武器が少ないということは、アンデッドと交戦しても、アンデッド達をわずかに立ち退かせるだけで、数を減らすことが出来ないということだ。誰も彼もくたくただった。ガルフもまったく嫌なことを考え出すものだ、と今更ながら舌打ちをしてしまう。
フェンリルの負傷の知らせに、言葉は出さなくともトリスタンもランスロットも動揺していた。スルストがいつも通りの調子で「少し休めばだいじょーぶデスヨ」と笑うことで、安心の息を軽く漏らす。今となっては間違いなく、この天空の三騎士が彼らの心のよりどころの一部になっていることがよく伺える。
神にすがりたい気持ちというのは、こういうことを言うのだろうか。ソニアは一瞬そんなことを思ったけれど「すがったって助けてくれるわけもない」と開き直るしかない。また、現実を直視するために迅速に軍議を開く必要があるな、とソニアは思った。それは当然のことだろう。
ソニアは灯り持ちのカノープスと共にトリスタンの元に行った。
天幕の中にいるわけではなく、トリスタンはいつでもどこにでもいける状態でランスロットと共に待機をしていた。土の上にどっかりと腰を下ろしている姿は王族とは思えない。位が高い人間がそんな体勢でいることなぞそうそう長くは耐えられないだろう。それは、彼の今までの人生を垣間見ることが出来る部分だ。もちろんソニアはそんなことは知らないし、そうやって待機をしていることになんの不思議も感じない。
周囲でバタバタと動き回っている兵士達以外は逆に天幕に入ったままでぴくりとも動かず休憩をとっているようだ。そのあまりの落差が、今までとは違う種類の戦いに軍そのものが戸惑っていることを物語るようにソニアには思える。
緊急のことがあれば来ても良いと周囲の兵士につげ、事実上の人払いをソニアはした。
「ソニア殿。イノンゴの代表が、そなたに会いたいと」
ソニアが口を開く前に、トリスタンが先出しをした。
「はあ?」
ソニアではなくカノープスが、たいそう態度の悪い声をだした。本当に彼は昔ゼノビア軍にいたのだろうか、とソニアもランスロットも思うけれど、その「はあ」は意識してトリスタンに向けられた言葉ではなく自然に出たものだ。
ソニアは眉間にしわを寄せた。嫌な予感がする。
この地に来た日から、出来る限りイノンゴに迷惑をかけないようにと野営地もわずかに離れたところに組んでいたし、今だってそこから相当南下した場所にいる。
それを、わざわざ増殖しているアンデッドをかいくぐってまでも反乱軍に伝えに来たと思えば、憂鬱にならざるを得ない。
「それは、あたしにイノンゴに来て欲しいということですか」
「そうなるね。まさかまだアンデッドがうようよしているのに、一般人を町の外に連れ出すわけにもいかないだろう」
ソニアは目を閉じて黙った。
ソニアがイノンゴに素直にいくということはなかなかにそれも賭けのようなもので、不安が付きまとう話だ。イノンゴの民は非協力的とはいいきれなかったけれど、諸手をあげて反乱軍に協力をしてくれたわけでもない。ガルフに対する恐れが先行していたのは事実だ。それに、実際今イノンゴがアンデッドの脅威に以前以上に晒されていることは事実であるし、反乱軍に対してよく思っているのかどうかがまったく読めない。
しかし、どんな話をするのかだけは嫌というほどわかっている。
アンデッドをどうする気なのかということと。封印は解けたのか、ということに決まっている。
ソニアは腹をくくって、トリスタンとランスロットに言った。
「スルスト様は、この地を再度封印するつもりです」
まったく丁寧ではない説明でやや乱暴にも思えたが、聡明な彼は、彼女がいわんとしていることをおおよそ理解し、理解したからこそ眉根を寄せた。
「嫌な話だね・・・軍議で決めるような話でもないように思える。軍議で議題にして公にすれば、天空の三騎士への不信に揺れる話だろう?」
「あぁ。皇子は話が早くて助かる」
ふー、と長くソニアは息をついた。ランスロットやサラディンはともかくトリスタンにどこまで話が通じるのか、と懸念をしていたけれど、それは杞憂に終わったようだ。その反面、やはりこの皇子は只者ではない・・・という実感が彼女の中ではっきりとした形になったわけだが。
トリスタンは目を閉じた。
ソニアはせかさずに彼の言葉を待った。
未来のゼノビアを担う予定のこの男性が、一体どういう結論を導き出すのかが非常に興味深いことだ。
「それは・・・我々が山越えをした後で、ということか」
ランスロットが問い掛ける。それ以外に考えられないだろう、とソニアは言い、「ああ、もちろんイノンゴの民衆を封印の外に連れて行く気なんてさらさらないよ」と付け足した。
ランスロットとトリスタン、2人の視線がそこで絡んだ。それからわずかの間をおいて、ソニアは少しばかり疲れた表情で
「そんなことは、イノンゴの人々に言えないことだろう」
「確かに。そもそも、ガルフを倒してこれで封印は不必要になってとけたのだろうか」
そういってランスロットは眉根を寄せた。
「それはわからない。スルスト様を呼んでくるか・・・いや、スルスト様と関係なしで、先にこっちで話を決めないといけないことがある」
どちらかというと、スルストがいないうちに、という言葉が正しいだろう。スルストの意見は天空の三騎士としての意見であり、反乱軍とは異なる立場からのものだ。であれば、反乱軍は反乱軍側の意見を、彼がいない場で決めたほうが良いに違いない。
考えてみればこの後再度封印を施されたら、イノンゴの民衆はたまったものではない。
ガルフが死んだらしい、封印が解けたらしい。その情報に浮き足だったと思えば、アンデッドは大量発生しているは、やはり封印は再度施されるは・・・そんな状態にしたら、反乱軍がこないほうが、まだましだった!といわれるに違いない。
「でも、確かに封印は施したほうがいいと僕は思う」
「・・・トリスタン皇子」
ソニアは予想外の言葉に驚きながらトリスタンを見た。
「だってそうだろう。魔界に近い場所で、アンデッドがいまやあふれかえっているんだし」
「・・・まあ、そりゃそうですけどね」
というのはカノープスだ。
「我々はガルフ討伐にはきたが、イノンゴの民衆を救いに来たわけではない」
上に立つものというものは、こうなのだろうか。
本当はこう考えるべきなのだろうか。
ソニアはそう思いつつ、小さなため息を吐き出した。
「あたしは、本当は反対なんです。でも、ひとつだけ気になっていて。ただ、それも反乱軍側の勝手な話なんだけど」
「うん」
「山越えをしてから、もしも帝国軍が待ち伏せしていたら。封印を施してくれれば、少なくとも背後からアンデッド達が追ってきて挟み撃ちされることはなくなる。でも、これはとても勝手な言い分でしょう」
山越え後の可能性は、トリスタンもランスロットも考えていたことだった。帝国軍が今回のこの反乱軍の動きをどう見ているのか、ラシュディは何を仕掛ける気なのか、それを考えればおのずと可能性として頭に置いておくべきことだったからだ。
「かといって、馬鹿正直に「もう一度封印を施すぞ」・・・なんていえないしね。でも、あたしは言っちゃいそうなんだよな〜。だから尚更、やっぱ反対」
そういってソニアは肩をすくめてみせた。
ソニアの反対理由は簡単だ。「そりゃあんまりじゃないですか」というそれだけの理由なのだ。
そしてトリスタンの理由も簡単だ。危険な土地をこのまま解放して、のちのち事が大きくなる可能性を含むことが嫌なのだ。
この先帝国に向かって行軍を続けるつもりなら、また、この先この大陸を治める人間であれば、当然トリスタンが言うことがもっともなことだとソニアもわかっている。
「そうだね・・・もし封印をするとしても、それと引き換えにするため、イノンゴの民との取引材料がソニア殿にはない。であれば、封印はしない方向で話が進むだろうが、それをあの両名が許すとは思えない」
トリスタンが言う「両名」は、スルストとユーシスのことだ。ユーシスがどう思っているかなぞ誰もまだわからないのだが、きっとスルストと同じく封印をすることに賛成するだろうと、その場の三人は思っていた。ランスロットもソニアも、言葉にはしなかったが「やはり皇子もそう思っていたのか」とわずかに驚き、軽く眉を動かした。
「だからね。僕なら、取引できると思う。さっきもいったように、イノンゴの民衆を救いに来たわけではない。だから、今は助けてあげられないけれど」
「皇子の取引・・・それは、ゼノビア皇子だから、ですか?」
「僕ならば、ゼノビア皇子の公約として、この戦が終わってゼノビア復興後、もう一度アンタンジルに来ることを条件に出せるけど」
それにはランスロットが仰天して
「来てどうなさるおつもりか」
「うん。封印をね、解くよ」
「それが可能なのは・・・」
「そこは、ほら、今度は天空の三騎士との取引だよね」
さらっとトリスタンはそう言った。
「あのお二人は、ソニア殿に助けられたからここにいらっしゃるのだろう。つまるところ、ゼノビアとは何ひとつ関係がない。だから、ね」
「うわー、やだー。その先聞きたくないー!」
ソニアはそう叫んだ。
「ソニア殿から、お願いして欲しい。今は封印するから、事が終わったら封印を解いて欲しいと。ソニア殿の言うことならば、聞いてくださる可能性もあがるだろうしね」
やっぱりそこはあたしが頼まないといけないのか・・・ソニアはため息をついて「やだなぁ、取引つったって、スルスト様相手だと想像できないことを言い出しそーなんだもん・・・」とろくでもないことを考えていた。カノープスも同じ思いだったらしく「おい、お前さー、取引するなら、コワイけど、アレだ。フェンリルの方がいいんじゃないか?」と肘でソニアを小突く。実際には、フェンリルは痛手を負って眠っているためそれは叶わないのだけれど。
「僕は、この山沿いに関所みたいなものを作ろうかと思う。もちろん、それはまだまだ先のことで・・・この戦が終わった後、何年も先のことだ。だけど、それが出来るだけでもかなりの進歩だと思うよ。魔界に近いところなのに、ここいらへんはあまりに無防備だ。だから封印する。それじゃ埒があかない」
トリスタンは一気にそうまくしたてた。それを聞いたソニアはまじまじとトリスタンの顔を見て、それからランスロットを見た。
「聞いたか、ランスロット。どうもこの皇子はあたしが考えていたより、ずーっとずーっと貪欲らしいぞ!」
その言葉にトリスタンは不覚にも噴出して笑った。ランスロットは目を細めてソニアとトリスタンを交互に見て苦笑をするだけだ。きっとランスロットもまた、トリスタンの話にはかなり驚いて、とはいえ口をはさむわけにもいかずに戸惑っているのだろう。
「だって、あたしは戦が終わるもクソもそこまで考えられないのに、皇子はとっくにさ、この大陸をぜーんぶ自分のモノにする気でいるんでしょう?」
「そこまでは思っていないけど」
あはは、と声をあげてトリスタンは腹をかかえた。
あまりに不躾なソニアのその言葉に、本来なら「こら」と怒るはずのランスロットも、苦々しい気持ちで非常に情けない表情を見せた。彼は、ソニアがトリスタンに向かって放った言葉が、彼女なりに褒めていることなのだということを理解している。
「うん、僕が行こう。イノンゴに。そして、君の意思を継ぐ者の証として、ユーシス様についてきてもらって・・・スルスト様にも同伴していただいたほうが良いな。それから、僕が何をやらかすか心配だろうから、サラディン殿と。ここまでネームバリューがあるメンバーで行けば、君が行かないことに文句は言わないだろう」
「ルーヴァンも、連れて行ってもらえますか?」
そのソニアの言葉に、トリスタンは一瞬の躊躇を見せたが受け入れた。
「ゼノビア皇子としてどれほどのことをするのか、ルーヴァンは見たいでしょうから」
「ああ、そのほうが、後々お互いのためになるだろう」
「・・・皇子、ソニア殿、わたくしは」
ランスロットが戸惑いを含んだ声で問い掛けた。それへはトリスタンがソニアよりも先に
「あなたはここにいて欲しい。ソニア殿の負担を少しは軽くしてあげないと。それから・・・出来れば、誰か一人、古株と呼ばれる兵士も一人連れて行きたい」
「ああ、ガストンにコカトリスを出してもらうつもりですから、皇子とスルスト様はそこに同乗してください。あと、カノープスに行ってもらおう。ガストンとカノープスが立ち会えば、誰も文句はいわないでしょう。そして、本陣にあたしとランスロットが残れば問題はない。ちょうどいい、カノープスとユーシスがいれば、移動速度もまあ困らないでしょう。いいかな、カノープス」
ソニアはそういいつつも、きっとカノープスは嫌がるだろうな・・・なんて思っていた。が、思いもよらずカノープスは軽く返事をした。
「まかせとけ。ユーシスに人運びをもうちっと教えないといけないから、いい機会だ」
「わあ、そうきたか」
そう言ってソニアは笑った。
ちょうど話がついた頃、少し離れたところが、なんだかがやがやと賑やかな様子になってきたようだ。
「部隊の入れ替えをしたほうがいいのかもしれないな。僕は出立の準備をするから、ソニア殿、まかせてよいだろうか」
「わかりました」
話は終わりだ、とばかりにソニアはその場を離れてさっさと賑やかな方に走っていった。
その背中を見送ってからランスロットは
「カノープス、皇子を頼む」
と、生真面目に言った。それへカノープスは唇を少し前に突き出して
「バーカ。当たり前のこと言うな。いちいち。そしたら俺もいちいちお前に言わなきゃいけないだろ」
「え」
「ソニアを頼むってさ。いいたくないのにさ。お前もソニアもまったく・・・ユーシス達に伝えてきますよ、皇子」
「うん。頼むよ」
カノープスは軽く一礼をしてから翼を広げた。飛ぶ必要もない距離なのだが、彼は少しだけ飛びたかったのだろう。それが何を意味するのか、ランスロットはよくわかっていなかったけれど。


結局トリスタンの提案通り、ソニアはスルストに「お願い」をすることになった。ひとまずそちらが成立しなければ、トリスタンがイノンゴに行っても取引のしようがないからだ。そのお膳立てをする間は自分が指揮を続けるからよろしく頼むよ・・・そんなことを笑顔で言うトリスタンが、ソニアには恐ろしく思える。とっくに準備をしたトリスタンは、一緒にイノンゴに行く兵士を側に呼んだ状態で、冗談めかしてひらひらと手をソニアに振った。「頑張って説得してくれよ」の意味だろう。なかなかにあの皇子もくだけてきたものだ。
まだまだ戦いに出られるほど体力にも余裕があったスルストは、木の根元に腰をかけて、次の出番はいつかと大剣の手入れをしていた。ランスロットを連れ添ってやってきたソニアを見て、何かお願いがあるのだなぁ、と最初から感づいたように小さく肩をすくめて二人を迎えた。
そこまで予測が出来ていても、さすがのスルストもソニアの申し出を聞いて最初に渋い表情を見せた。封印をすることに前向きになってくれたのはありがたいが、今だけ、という問題ではないのだ・・・そう何度も何度もソニア達を諭そうとした。話はそのまま平行線で終わるかと思えたが、途中でソニアが
「あたしに出来ることなら、そのー、何かあればしますから」
なんて殊勝に言うものだから、ぱあっとスルストの顔色が変わる。
「ホントにホントに、ソニアに出来ることならしてくれるんデスカー!?」
その勢いの押されそうになりつつ、ソニアは曖昧に「は・・・はあ」と答えた。
「この戦いが終わったら、是非ソニアにムスペルムに来ていただきたいデース!」
「は?そんなことでいいんですか?」
「そこで、是非純白のドレスを着て・・・」
ソニアの隣に立っていたランスロットはスルストの言葉に反応をして眉をひそめた。ムスペルムにいって、純白のドレスを?それは・・・。いつものスルストの冗談であることはわかっていたが、それをきっかけに大きな懸念をランスロットの心の中に生み出した。
が、次の瞬間

ざしゅっ

耳に慣れた音が響いた。
「OH!」
「うわ!」
「な・・・!!」
あまりに恐ろしい光景が目の前に広がり、ソニアと、そしてランスロットまでが叫び声をあげてしまった。
「ふ、ふふ、フェンリル様〜!!」
「な、なんと無茶な・・・、スルスト様!」
スルストの後ろから、フェンリルが放ったソニックブームが地を這い、調子よく浮かれていたスルストを直撃したのだ。
スルストはそれをくらって地面に前のめりに倒れた。スルストでも背後からの攻撃をそんなストレートにうけることがあるのか、とランスロットは目を丸くする。
「い、い、痛いじゃないデスカー!!!!何をするんデスカ!!フェンリルサン!大体、もうそんなに元気になるなんて、心配し損ですヨ!!も、もうちょっと寝ていてくれても・・・」
「あなたが何をやらかすかと思ったら、おちおち寝てもいられないわ」
フェンリルは疲労が残る顔でそう言い放ち、スルストの後方から近寄ってきた。
「天空の三騎士として認めたくないたわごとばかり言うつもりでしょう」
「何のことデスカー!?」
「ソニア、いい、封印は後で確かに解こう」
「・・・フェンリル様」
「ただ、覚悟をしておきなさい」
「フェンリルサン」
スルストは、彼の側まで進んできたフェンリルの名を呼んだ。それへ彼女は、ソニアから目をそらさないまま軽く手をあげる。
わかっている。言わなくていい。そういう意味だ。
それ以上言葉を出さないスルストとフェンリルに対して、ソニアは深呼吸を一度してからはっきりと聞いた。
「アンタリア大地の西のカオスゲートで、ユーシスは言いましたよね。両刃の刃となるものは、保険ではないと」
「ああ、確かに言っていた」
フェンリルは無表情に返事をした。
「天の神は人を試そうとしているんだろう。だから、もう一度試される。それは、封印の儀式を続けるなんていう試され方じゃなくてもっと具体的なことです」
「どういうこと?」
「トリスタン皇子が公約をします。アンタンジルを囲んで関所を設けて、魔界の者達があの山を越えないよう、下界の人間の力を合わせて見張ると。もっともっと多くの人間が動いて、それをやりとおそうとすることでしょう。それが取引にはなりませんか。こういう形で人間を試すのが好きなんでしょう。天の神とやらは」
トゲが含まれた言葉に、スルストは「OH!ソニア、それは・・・」と声をかけるけれど、またもフェンリルが険しい表情でそれを制した。
「たいした自信だ。それをやり遂げようというの。本当にあの皇子はそれを守るつもりなのか。笑わせる」
「守らなければ、そのときは封印が解かれない。ただそれだけです。あなた方には何の迷惑もかからないと思いますけど」
ソニアは挑戦的に続けた。
「サラディンが、言ってた。天界のことだろーがなんだろーが、下界を人間にまかせた以上、下界の闘争に、人じゃないものの力が生まれたとしたって、下界の問題は人間の問題だから解決するのは人間だって。あたしは、解決したい」
「我々に頼んでの解決は、下界の人間の解決になるつもりか?」
つっけんどんなフェンリルの言葉にソニアは一歩もひかない。
「結果的に本当の解決をするのは我々人間でしょう。封印をといてもらうために、関所を作り、その時から何年何十年とアンタンジルを見張り続けることになるでしょう。そんでもって、またそれを邪魔したり、やる気が無くなったら、この場所が戦場になったり、悪魔達に下界が侵される。それが嫌なら、頑張り続けるしかない。その努力を続けなきゃいけないっていう時点で、あなた達が解決したとは言えなくなるでしょう。それでいいじゃないですか」
「ま、60点というところか」
フェンリルは肩をすくめてみせた。それから口はしで笑みを作り
「後悔するわよ」
「わかりません」
「ああ、後悔するようなことになる頃、あなたは生きていないかもしれないしね」
「かもしれません」
「無責任なこと」
「フェンリル様は後悔なさったのですか」
「・・・何に対して」
「ブリュンヒルドを、下界に」
託したことを。
またその問答か、とフェンリルはぴくりと顔を歪めた。疲労がかさんだ状態でそんな話をされて嬉しい人間がいるはずがない。
ソニアだってそれはわかっている。
わかっていても、言って念を押さなければいけなかった。
もうソニアはわかっているのだ。後悔は多少なりとしたのだろうと。後悔はしたけれど、それは一時の気の迷い。それを知りつつの後悔だったのではないかと思える。
だから、もし後悔するとしても、きっと同じですよ。
ソニアはそういいたいのだ。
「本当にソニアは」
そう言葉を出してからフェンリルは大きな息をついた。
「もう一度、寝る。ソニアを相手にするには、もうちょっと体力が回復してからじゃないと辛いみたいだな。本当にいつもいつも小生意気な」
「すみません」
その謝罪は本気の謝罪だ。
それに気づいてフェンリルは小さく微笑む。それを見て、ソニアも小さく微笑み返した。
二人をみつめながらランスロットは(この二人は、まるで姉妹のようだ)と、不思議な感慨にひたっていた。
何もかも違う。
肌の色も瞳の色も髪の色も。
きっと彼のその思いを口に出し、ウォーレンに言えば答えてくれるだろう。
それは、魂のことだ、と。
けれど、ここにはウォーレンがいやしないし、いたとしてもきっとランスロットはウォーレンには言わないだろう。
だから、彼はただ口をはさむこともできないまま、ソニアとフェンリルを見つめるだけだった。


部隊の入れ替えを行ってアンデッド達に対応し続けているが、いくらかアンデッド達の動きはひそやかになってきたようだ。
夜の深い時間はアンデッド達が大喜びの時間だ。それでも動きが鎮静化してきたということは。
「アンタンジル方面の方が、居心地がよいのかな」
そんな程度の予測しか立てられないし、気はまだまだ抜けない。
一通りの話を終えてから、ソニアはアンタンジルでかなりの痛手を負ったゾックとテリー、そしてオーロラのもとへ様子を見にいった。
それ以外の軽症の兵士達は既にとっくに動き出したり仮眠をとる番で眠りについていることを確認している。
また、アンタンジルに向かった兵士ではなく、ずっと本陣付近を守っていた兵士の中でも負傷者はかなり多い。アンデッドからの攻撃を防ぎきれず、死者も数名いる。
それでも、ノルン達プリーストの手腕で最低限の被害で食い止められているようだった。
オーロラは深い眠りについているようで、うんともすんとも反応をしないのだと女性兵が教えてくれた。それはそうだろう。オーロラは負傷によって倒れているのではなく、過度の疲労で倒れているのだし。
また、背に大きな傷を負ったテリーは、そのままではあおむけで寝ることもまだ叶わぬ痛みがあるようで、横を向いて丸く眠っているようだ。傷は治癒魔法でふさがってはいるが、体の中ではまだ傷をふさごうと活発に動きがあるようで、あわせて発熱をしているとノルンが教えてくれた。それは、まるで以前黒騎士ガレスの一太刀を食らってソニアが発熱をしたときのようだと思う。
ゾックもまたテリーと同じように体のあちこちの傷が痛むことと過度の疲労で動けず朦朧としたまま天幕の中で休んでいるらしい。体力が落ちているため治癒魔法をこれ以上施すことができず、完全に傷を治すことは出来ないとノルンが説明をする。まずは体を休め、治癒魔法を受け入れるための体力を取り戻すところから始まるというわけだ。
「ソニア殿、少し休んだらどうだ」
本陣の中心となる天幕に戻ってきて、灯りを入り口に点してソニアの所在を明らかにする。それを終えるとランスロットはソニアに声をかけた。
「・・・ランスロットは?」
ソニアは明らかに張りのない声で返事をする。
「わたしは、まだ大丈夫だ」
「ランスロットも疲れた顔をしているぞ」
「そなたほどではない。アンタンジルと往復したのだ、もうすぐ朝になる。それまで寝たら良い」
ソニアの目の下にはくまができていたし、瞳も時折どんよりとなる。ふっと一瞬気が遠くなるときがあることも、ランスロットはもう見破っていた。
「・・・ソニア殿。意地をはらなくていい。そんな意地よりも」
「・・・」
「オーロラたちが目覚めたときに、そなたが元気に起きているほうが、余程みな喜ぶ」
ランスロットの言葉にソニアは驚いて、はっと見上げた。瞳に戻ってきたのは、反乱軍リーダーとしての彼女の強い意志だ。本来リーダーたるものは、一番大切なときに備えて体力を温存しなければいけないと、彼女は既にわかっているのだ。
「そうか・・・うん。そうだな」
「そうだろう?」
「うん。そうだ。本当は、そういうことで判断するのはよくないんだけど・・・悪いが、ランスロットはもう少し起きていてもらえるかな。皇子も疲れているだろうに、イノンゴに向かってもらって、申し訳なかったな・・・」
「誰が向かおうと、みな疲れている。それより今のうちにイノンゴ入りすれば、代表者が起きて話が出来る状態になるまで少しは眠れることだろう。その方が野営地より余程楽だ。そなたが気にすることはない」
「そうか」
ソニアの言葉には力がない。
仲間達の容態がおおかたわかったことで、張り詰めていた気が少しばかり緩んだせいもあるだろう。反乱軍リーダーとあろうものが、とここでランスロットが言うはずもなかった。
「ランスロット、何か問題がおきたら絶対起こせよ。みんな、入り口の明かりをみてあたしが起きていると信じるんだからな」
ソニアとランスロットが起きていて、みなの上で指示を出す。疲労に疲労を重ねた兵士達もこの二人が今起きてふんばっていることを知っているからこそ頑張ってくれているのだ。それをソニアは忘れはしない。
「わかっている。どんなに疲れていても、きっとそなたが起きることをわたしは知っているよ」
「うん。なら、いいんだ」
ごろりとソニアは天幕の中で横になった。
「・・・まったく、本当にガルフを倒してきたとは思えないな。よくここまで我慢できるものだ」
苦笑いをして呟く。
すぐさまソニアは寝息をたてる。無理矢理起こせばもちろん起きるだろうが、ちょっと近寄っただけでは起きない深い睡眠に入ったのだとランスロットは悟った。
毛布をかけてやっても、ぴくりともソニアは動かない。
その寝顔を見ながらランスロットは小さく息をもらした。
(ムスペルムにいって・・・か)
スルストのたわごとを本気にしたわけではない。
ただ、今まで何度か考えはした、「ゼノビア奪還後」の姿を、彼のそれまでの想像以上に具体的に垣間見た気がした。
トリスタンはゼノビア王族としての公約を。戦が終わった後の政をついに口にした。そのことが嬉しい反面、恐ろしいと彼は思う。
そして。
何故、考えなかったのだろう。
人ならぬ力を得て、選ばれた勇者として戦っているソニアが。
変わることなく下界で生きるのだと、何故信じていたのだろう。
思いもよらなかった可能性を口にしたスルストには、きっと何も悪気はなかったのだろう。そして、ソニアもまたそれを聞いてもなんとも思ってはいないに違いない。
この戦が終わったとき。
魔の物は魔界へ。
天の物は天空へ。
我々は動くことなくこの大地の元へ。
そして。
この、寝息をたてている少女はどこへ行くのだろうか。どこに戻ろうというのだろうか。
天空の三騎士と対等に話し合って、下界の人間が背負わなければいけない荷を作り上げてしまったこの少女は。
ランスロットはもう一度ため息をついて、いつまでもソニアの寝顔を見つめ続けていた。


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