日常


思ったよりも、明け方の戦での疲れが残っている。
体を起こして、シエラはしばらくの間ぼうっとしていた。
天幕の外では既に、朝食の炊き出しの声や、兵士達の行き交う音が聞こえる。
(……こういう日は、来る。それに、今日はリリーは深夜番だったから、朝が遅いし)
そう思いついた途端、足にかけっぱなしの毛布はそのままで、慌てて手で長い髪を梳く。
いつも髪の毛同士が絡まっている場所は今日も絡まっている。どんな態勢で寝てもこればかりは解消せず、朝の彼女を悩ませていた。
「うー……」
それに、目が疲れていたのだろうか。
瞬きをすると、なんだか瞼が開きにくいと思う。
(あぁ、きっと、目やにが出てる……目ぇ、疲れてたし……)
ごしごしと目尻の辺りをこすると、案の定。
それから、乱れた衣類を軽く眺めて。
本当は、そんなことに気をやっている間にもさっさと起きて、毛布を畳んで身支度を整えて。
髪も梳くのが面倒に思うような朝だったら、適当に結わえて出ていけば良い。運が良ければアイーシャが彼女を発見して、後から整えてくれる。
(そう思ったら、なんだ、実はアイーシャにも……甘えてるのか、わたしは)
大分伸びっぱなしで放っておいている髪。
プリースト達は毎日きっちりと髪を結わえ、いつも身支度を美しく整えている。シエラはどうにもそういうことが出来る性質ではなく、一つに結わえるのが精一杯だ。
切ればいいと思うこともあるがそれを許さない友が彼女にはいるし、わかりやすい自らの『女らしさ』の象徴だと思うと、なんとなく失うのが勿体無いような気がする。
毛先を指で摘んで、薄暗い天幕の中で見つめる。
(リリーに怒られる。もうちょっと気をつけろって)
まるで恋人ではないかというぐらい、リリーは時にシエラに口うるさい。そんな彼女が間違いなく眠っている朝。
そして、少しシエラが天幕から出るのに遅くなっている朝。
(もう少し。きっと、もう少し)
もう一度髪を整え、深呼吸。
相変わらず下半身は毛布につっこんだまま。
水が入った皮袋を引き寄せて、口をつける。すぐに飲み下さず、口の中に水を含み、しばらく温めてから飲み込む。
それから、湿った舌で軽く唇を舐めて、ああ、また少し乾いている、と苦笑。
と、次の瞬間、彼女は自分が待っていた『もう少し』の時間がやってきたことを知った。
天幕に近づく気配。それは、とてもよく知っている人物の気配だ。
「シエラ殿、起きていらっしゃいますか」
「んー」
そして、当然のように聞きなれた、聖騎士の声。それへいつも通り、曖昧に返すシエラ。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、いくらか報告が」
早朝や深夜の戦の後は、そんな報告は希なことではない。
けれども、こうやって彼が直接彼女の天幕に来るのは、彼女の起床時刻がずれこんだ時だけ。
そして、それ以外の日は、彼女に報告をする人物は彼に限ったことではない。
(あの人だけに許していることは、これぐらいね)
彼女は、この軍であからさまな特権を彼に託しているわけではない。立場上そう思われることもあるが、いかにも彼のみが許された、という行為を彼女は許容しない。
が、こんな日は、違う。
彼女が朝一番で彼女を起こす特権だけは、ランスロットにある。いや、それは彼女が与えたわけではないし、仕向けたわけでもない。
ただ、なんとなく気がついたらそうなっていただけだ。
ランスロットがいない時は、ギルバルド。ギルバルドがいない時は、何故かアッシュ。アッシュもいなければ、サラディン。
ウォーレンは決してやってこない。それはそれで、ウォーレンらしいとシエラは思う。
何故女性ではないのか、というのは、朝の炊き出しその他で朝は女性が忙しいからと、報告しなければいけない重要な伝達事項をシエラより先に聞く権利がある者が少ないからだ。
いつからか、なんとなくなっている不思議な習慣がそれだ。
シエラが『別に寝起きを男にみられたって、なんも困らない』とも豪語していたせいもあるのかもしれない。
そういう意味では、仕向けた、にわずかに彼女自身が荷担していると言えよう。
「報告をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、だいじょぶ。入って」
「失礼いたします」
ランスロットは丁寧にそう言うと、天幕の入り口の帆布をあげた。
天幕に入ってくる朝日。
逆光に浮き上がる彼のシルエット。
シエラは、どんなに眩しいときでも、決して目を細めない。
彼に自分がどう見えているのかはわからないが、自分が目を細めた顔を、彼女は『不細工だ』と思っていた。
だから、こういう日の始まりには目を細めず、わずかに寄りそうになる眉間の皺を出来る限り緩和させて。
「おはよう、ランスロット。申し訳ない。さっき起きたばかりで」
「お疲れだったのでしょう」
「そうみたい。でも、あなたも一緒に戦ってくれたのに、わたしだけ寝坊ってのは、さすがに」
悪いわね、と軽く肩をすくめてみせる。
天幕の入り口の布がぱさりと落ちれば、わずかにまた内側に薄暗さが戻ってくる。
そうすれば、彼の顔が一気にはっきりと見える。
 
――逢い引きのようだ――
 
シエラはこの瞬間、いつもそう思う。
こんな朝は、今まで一度や二度ではない。
天幕は人目につくから、たとえ男性が朝から女性であるシエラのもとに入っていっても、逆に不信に思ったり勘ぐられることがない。
これが、見張りもつけぬ砦の一室であったら、こんな行為を彼はしないだろう。
けれど。
狭い天幕の中だからこそ、彼が近くて嬉しい、とシエラは思う。
起き抜けの自分の体臭や体温が伝わると思うと、それは恥ずかしいけれど。
そんなものを補って余りあるものが、彼女にとってこんな朝には存在するのだ。
「消息を絶っていた、斥候に出ていたエンツォの部隊が発見されました」
「……どうなってた?」
「どうやら、盗賊に襲われたようで……岩場の間、焚き火の痕の近くで、身包みはがされて全員」
「全員。斥候部隊ともあろう者達が、野営場所の近くで全員やられるとは思えないんだけど……気付かなかったってこと?」
「帝国兵と戦った後に盗賊がそれを発見した、という見方も。今、調査中です」
「そう……エンツォは、優秀な人だったのに……身ぐるみ剥がされたってことは、何も回収出来なかった?」
「はい」
シエラが気にしているのは、エンツォの部隊に所属していたバルタンのことだ。
彼には恋人がいて、彼女もまた軍に所属をしている。
「ダリアには、報告が済んでいます……薄々覚悟は出来ていたのでしょうが、泣き叫んで……帝国軍にやられたのかもしれぬ見解があると知って、ラウニィー殿に八つ当たりをしてしまい」
「……ラウニィーは大丈夫?」
「仕方がないとは言え、堪えたかと」
ランスロットはシエラからわずかに視線を逸らす。
そっと小さなため息をつき、眉根を寄せてから一瞬だけ軽く目を伏せた。
彼のその様子を見たシエラは、彼にばれない様に、左手で毛布をぎゅうっと握り締める。
「仕方がない。それしか言いようがない。遺体は回収した?」
「いえ。軍では回収せず、近くの教会で葬ってもらうことに」
「そう。わかった。それには立ち合おう……ダリアも連れて行くか……恋人の死に、向かい合えるなら」
そういって、シエラは髪をかきあげた。
「っつ」
「シエラ殿?」
かきあげた右手の薬指の爪。
僅かに割れた爪と爪の間に、髪の毛が一本ひっかかって抜けた。それを、ひっかけたままでぷらぷらと揺らすシエラ。
「爪、割れてた」
「……そうやって見ると」
ランスロットの表情が、僅かに緩む。
「とても、長いのですね。寝ている時に、絡んだりしないのかな」
「案外大丈夫なものよ」
シエラはそう言いながら、髪の毛を無造作に捨てた。
 
――嘘。本当は、絡む。絡むけれど、そんな様子を見せる気はない――
 
それから、二言三言ランスロットは軽い報告をすると、一礼をして天幕から出て行く。
シエラは、出て行く彼を見送らない。
一刻も早く身支度をして、反乱軍リーダーとして天幕を出る準備をする。いや、準備をするふりをするだけだ。
光射す天幕。
彼が入ってきた時と同じように帆布がぱさりと戻って、その光を再び遮る。
それが、合図だ。
「……ふ……」
シエラは、天幕の入り口に背を向けたまま、体を前のめりにして丸め、瞳を閉じる。
優しい声、優しい仕草。
それらは、毎日すぐ傍にあって、けれども自分だけに向けられているものではない。
なのに、こんな日は、こんな近くに感じることが出来て、人々の視線を気にせずに見つめることが出来るなんて。
それが、どうしようもないほどに嬉しい。
それから。
シエラは、ごめんなさい、と内心呟いた。それを呟くことで、自分の愚かさが軽減するわけでもなければ、許されると思っているわけではない。
ただ、自覚があるのだ、と、誰とも知れない誰かに告げたいだけなのかもしれない。
痛ましい報告に、そっと潜められる眉根。
死んだ兵士や、その近しい者の哀惜を思って、僅かに伏せられる瞳。
申し訳ないことに、彼のその様子がどうしようもないほど愛しい。
何度その場面に遭遇しても、シエラの心はぎゅっと握り締められたような感覚に襲われ、『ああ』と意味のわからない感嘆の声を吐息交じりで吐き出してしまいそうな。
そんな、えもいわれぬ愛しさがそこにはある。
毎日その様子を見れば、飽きるだろうか?
いや、きっと飽きない。
飽きないからこそ、毎日その瞬間を見たいと思ってしまう。
 
 
彼が、彼女を起こしに来て。
誰かの死を告げて、そのやり場のない愁傷の表情を見せて。
けれど、時折彼女に向けて微笑んで。
 
 
そんな日々が続いたら、どれほどに自分は毎日が幸せなのだろうか、とシエラはぼんやりと思う。
死んでしまった優秀な兵士。
その死に心を痛めている女性兵士。
彼らの悲しみの上に、自分のこのひそかな喜びが存在することをシエラは知っている。
それでも、思わずにはいられないのだ。
ああ、これが終わることのない日常であったら、と。
 
彼に自分の手が届かないことは、過去も今も未来もきっと変わらないだろうから。
だったら、せめて。

わずかなこの幸せを願わせて。
 
「大したエゴだ」
 
服を着替えながらぽつりと呟く。
天幕の外では、朝食の配膳を呼びかける女性兵士の声が響いていた。
急がなくては。
シエラは手馴れたように髪を後ろで一つにまとめた。
毎朝続けていることでも、時には煩わしくて仕方がなくなって、粗雑になってしまう。
どうやら、今日はその日らしい。
「あつっ」
くん、とひっぱられる髪と、抵抗を感じる右手。
また、割れた爪の間に髪が挟まったのだろう。
その不快感に顔をしかめて舌打ちをするすると、ひっかかった赤毛を荒っぽく抜く。
わかりやすい、女を感じさせる長い毛。
それが自らの女々しさを突きつけているように思えて、シエラは失笑を浮かべると、それを捨てた。
 
 
 
Fin

モドル