手紙


届くはずのない手紙が届いた。
自分に宛てられることなどないと思っていたし、よしんば、彼の元には届けようとしても届かない確率の方が高すぎて、確率の比較すら不可能なわけだし。
それでも、まるで運命に導かれたようにその封書は彼のもとにやってきた。
どうやって届けたのだろう。
第一、何か手違いがあって他者の目に触れても何の問題もないような内容なのだろうか。

うらみつらみが書いてあるのだろうか、とも思った。
愛情を疑われているだろうとは覚悟が出来ていたし、今更何を言われたとしても彼は自分の生き様を変えることは出来なかったし、そしてまた、それに自分が愛する家族を巻き込むことは出来なかった。
だから、決断をした。
あまりスマートなやり口ではなかったし、彼の意思がどこまで彼女に伝わるのかはわからなかった。
それでも彼は、そうせざるを得なかった。
自分の意思であれば、既に違う形で、あの愛娘の手元に伝わっていると信じている。

わしは、帝国の、いや、ハイランド王家に仕える誇り高きハイランダーなのだ。

ヒカシューは、先日何故か女帝エンドラから小さなテーブルを贈られた。
何故それを贈られたのか、彼はとんと理解が出来なかった。
それは、足や枠に使われた金属が美しく彫り上げられているガラステーブル−ガラスというものをそういった形で用いる家具をそれまで彼は見たことがなかったが−で、とりあえず仕方なし、と彼の書斎の出入り口付近に運び込んだ。
それ以来、彼に届けられる書類はそのガラステーブルの上に置かれるという不思議な決まりごとが出来た。
何故エンドラが自分にそれを贈ったのかは謎のままだったし、形ばかりは出した礼状に対する返事もこなかった。
当然だ。礼状に更なる返事をしていては、エンドラのように多忙な身の上の人間はいくつ体があっても足りない。
エンドラは、わかっていたのだろうか。
みすみす彼が愛娘を手放し、あの、薄汚い野心ばかりをもっているアプローズに嫁がせることに承諾をした理由を。
それとも、マラノという重要な都市にあまりにもうってつけなあの男をなだめすかすため、帝国の駒としてこのまま動かすために愛娘を犠牲にしたのだと心から思い、それへのねぎらいや見舞いとしての贈答品なのだろうか。
それは今の彼にはわからない。
わからないけれど、帝国の女帝エンドラから贈られたそのガラステーブルに、よりによって帝国を裏切った愛娘からの手紙が無造作に置かれていることはいささか皮肉めいている、と彼は苦笑をした。

封書は高級な紙で作られていた。
長旅だったらしく、あまりにもそれは薄汚れ、宛名の文字も掠れてしまっているけれど、間違いなく愛娘の筆跡だ。
自分の娘の書き文字で、自分の名が綴られることの嬉しさというものをヒカシューは久しぶりに味わった。
あれは、妻に似て、美しくなった。
女の子は男親に似るというものだが、いやはやどうして。
親馬鹿と人に言われぬように常に自制をしてきたものの、ヒカシューは日に日に大輪の花を咲かせるように美しくなっていく自分の娘が愛しくて愛しくてたまらなかった。
たおやかな貴婦人になるには、残念ながら気性の荒さは若き頃の自分に似てしまったのか、男と肩を並べる騎士の道を選んでしまった娘を、今は誇りに思う。
ヒカシューは夕方近くの薄暗い空に気付いて窓の外に目をやった。

ああ、灯りをもうつけた方が良いな。

主に書類処理のために使っている大きなテーブルの上に置いてあるランプに火を点した。
ほわっと橙色の温かな光が室内をわずかに明るくする。
まだランプを点すにはわずかに早い時間であったが、薄暗いところで封を切って文面を読む気にはなれなかった。
体に馴染んだいつも使っている椅子に座り、ヒカシューは封を丁寧に切った。
太くて先広がりの、最近ささくれが目立つ指で中身を取り出すと、またもや高級そうな便箋が出てきた。
いまや、彼の敵となる反乱軍に身を投じた愛娘ラウニィーが、何故こんなに高級そうな封書を出せるのかということが彼のカンに触った。反乱軍はそうそうはぶりがいいわけではないという噂だった。反乱軍がゼノビアの皇子であるトリスタンを迎え入れたという情報は彼の耳に入っていたけれど、旧ゼノビア王族だけが持ちえた国の財産は、ゼノビア地方の復興にあてられることになったのか、一向に反乱軍が金を使って何かをしている、という話は聞いていない。
眉を軽くよせたヒカシューは、とても単純な推測をたてた。

ああ、そうか。
これは、マラノのアプローズの元にいたときに出したものに違いない。

ヒカシューがぱらりと便箋を開くと、懐かしい文字がそこには並んでいた。

(親愛なるお父様)

素晴らしい言葉だ、とヒカシューは思った。
この世界で、父として、自分の子供を持った人間であれば、この言葉が最高の言葉に違いない、と、まったくそれこそ親馬鹿ではないかと思えるようなことをヒカシューは一瞬のうちに考え、その文字を3,4回見直した。
何度見てもそこにはそれ以上の意味は書いていないし、何度見てもそれはやはり愛しい娘の筆跡だ。
そうだ。ラウニィーはいつもこの字の、流すべき場所を短く止めて書いていた。
そこは長く流した方が良いというのも聞かず、まだ幼かったラウニィーは「だって、ここで止めた方がかっこいいんですもの」と言って愛らしく笑った姿を覚えている。結局その書き文字の癖は19歳という年になっても直らなかった、というわけか、とヒカシューは軽く首を右に一度傾げた。

(今わたしはマラノにいます)

ああ、やはり。

その端的な文面はあまり女性的ではなかったけれど、ラウニィーらしいものだとヒカシューは思った。
綴られた内容も、全体量はあまり多くはない。
時間がなかったのか、時折走り書きのように文字が歪んでいる。
何故そのようなことになったのかは、おおよその内容からヒカシューは察することが出来た。
マラノから脱出をして、ラウニィーはラウニィーの正義をもって、反乱軍と対峙するつもりであること。
その結果、反乱軍の意志が、この大陸の民衆の未来を背負うに相応しいものであれば、自分は手を差し出することになるだろう、ということ。
もし、そうでなければ、自分は自分の正義でもって、今の帝国を変える意志をかかげて一人の力で動かなければいけないことになるだろう、と。
帝国の人間でありながら、帝国に剣を向けることになる、その矛盾と苦しさを、ラウニィーは淡々と短い文章で冷静に書き綴っていた。
うらみつらみでもなければ、父であるヒカシューへの非難も何もそこにはなかった。
ただ、自分はこの大陸の「ほんとう」を見たいのだと。
マラノという都市の様子を見る限りには、いまだそれはわからないのだと。
だから、自分は、籠の中から抜け出るつもりであること。
それから。
この手紙がもしも運良くヒカシューに届いたならば。
その頃は、ラウニィーは反乱軍に所属しているか、あるいは逃亡生活を送りつつ旗揚げをする準備をしているか、あるいは。
あの「タコ野郎」の妻という身の毛もよだつような立場になった自分を狂おしく呪っているか、いまだ何も成さず、何も出来ずにアプローズの追っ手から逃げているか。
それとも、既にこの世にいないかのどれかだということ。

ありがたいことと言うべきかどうかヒカシューにはわからなかったが、愛娘は反乱軍と手を組んだ。
それに対する非難を浴びつつもヒカシューはそれでもいまだエンドラに仕え、帝国の要としての地位を保っている。
あの子に、これほどの覚悟をさせてしまったことは、口には決して出さないが、心の中で詫びておこう。
今後のわしの人生の中で、ラウニィーに、今のわしの胸の内を明かすことはないに違いない。
ヒカシューは噛み締めるように、娘の言葉を、文章一塊ごとに何度も読み返した。
読み急ぐ必要がない手紙なのだろうと彼は思った。そしてそれは正しかった。
反乱軍に身を投じてから、この手紙をヒカシューに渡すためのなんらかの動きを見せれば、きっとそれは帝国といまだ繋がっているのだ、スパイではないか、との疑いをもたれるかもしれない。
逃亡生活を始めてしまえば、この手紙を届けようとしたことで足がつくに違いない。
ならば、今しか、父への手紙をしたためることも、人に託すことも出来ない。
あの聡い娘はそう考えて、足りぬ時間でこれをしたためたに違いない。

(わたしは、「知らない」ということを盾にして、責任を逃れるような生き方は出来ません)

彼女らしい言葉だとヒカシューは素直に思った。
女性でありながら、帝国で初めて「聖騎士」の称号を手に入れた愛娘は、親の七光りでその地位を獲得したわけではないと、ヒカシューは思っていたし、それは事実だった。
そうである自分の娘を、彼は誇りに思っていた。そうと口に出して伝えることが出来なくとも、あの聡い娘はわかってくれていたに違いない。いや、そう思いたい。

(今のわたしが知っていることは、とてもちっぽけなことだけです)
(帝国が「なんだかおかしい」ということ)
(そして、それに対してお父様が口を開かないことは、それなりの意味があるのだろうということだけ)
(お父様のお気持ちをくみとるほどの器量が今のわたしにはありません)
(だからわたしは」

一瞬のとまどいが文字から読み取れる。
ラウニィーの筆跡はそこまで、時間に追われたそれだったというのに、突然にはっきりと、まっすぐな文字で書かれていた。

(自分の目で確かめて、答えをみつけます)
(何もしないで後悔をするのは、自分の力で精一杯生きていないということですから)
(そんな人生に、意味はない)

強い言葉から感じる強い意志。
それは自分の愛娘が持ち合わせている気性をよく表していた。

(そして、それを教えてくれたのは、栄誉ある称号、ハイランダーを授かったヒカシュー・ウィンザルフではなく)
(このわたしのお父様である、ヒカシュー・ウィンザルフだと思っています)

不覚だった。
文面を追うヒカシューの視線が、その場で止まった。

そうではない、娘よ。

言葉にならない胸の痛みに、ヒカシューは小さな溜息をついて、全身の力を抜こうと試みた。
けれども、本当に胸のあたりに生まれたその痛みは、彼の鼓動をすら変化させ、体温すらも上昇させた。
その文面だけが、彼に対するラウニィーからの非難であることを、良き父であり良き先輩でもあったヒカシューは気付いてしまった。

お前は。
ハイランダーの称号を持つ者であれば、わしのこの選択は間違っているのだと言っているのか。
わしが、何もしないで後悔をするのだと。何も確かめずにただここにいるだけの存在だと。

そうではない。
それほどに簡単な非難ではない。だからこそ、ラウニィーもまた苦しんで、こうして筆をとったのに違いない。
テーブルの上に置いた手紙は、紙と紙がふれあうかさついた音をわずかにたてて、静かになった。
ヒカシューはもう一度だけ、ふうと小さく息を漏らして、ようやく全身の力を抜いた。
慣れたはずの椅子の背に寄りかかる自分の体が、以前よりも重いことを感じた。
様様な思いが胸の中に湧いては消えてゆく。
窓の外は、まだ暗闇が押し寄せる前の、人々が名残惜しむような夕焼け空が広がっていた。
そうそう大した時間がたっていないのに、何故だか、ものすごく長い時間この手紙を読んでいたように思える。
ヒカシューは、彼にしては珍しく椅子の背にもたれたまま瞳を閉じた。
休息のために作られたわけではない椅子ではあったが、今の彼にはこれでも十分すぎるほどだ。
手紙の文面から、ラウニィーの声が聞こえるような気がしたし、聞こえないような気もした。

ラウニィーはラウニィーで、わしを信じているのだ。
父として、そしてハイランダーとして。

自分が選んだ選択肢は、きっとラウニィーを満足させることは出来ない。
自分は老いてゆく古い人間であるし、そして、だからこそ譲れないものがある。
そして同じ志をもちつつも、ラウニィーは新たな時代を築く人間であって、彼と違うからこそそれを成し得るのだろう。
・・・成し得ると言ってはいけない。
そう思いつつ、ヒカシューは抗えない時代の流れと、もう逆らうことが出来ないところまできてしまったこの国への憂いの気持ちを感じ取る。
努力をして取り戻せることと取り戻せないことがあるのだ。
そして、努力をしてでも、屈辱に塗れようと、最後まで貫き通さなければいけない大切なものがある。
誰がそうと認めなくとも、彼にとってはそれを貫く自らの愚かさや頑固さは誇りであり、愛娘に理解されなくとも、譲ることは出来ないものなのだ。
それを曲げたって、きっと、ラウニィーは、生きていても死んでいるのと同じだということだろう。
ヒカシューは手紙に手を伸ばした。
それから、ランプのシェードをはずして剥き出しになった炎に愛娘の手紙の角を近づける。
躊躇はなかった。
長旅で湿気を吸ったり乾いたりを繰り返したその手紙は、なかなかに火がつかずにヒカシューの手を煩わせる。それすらなんだかラウニィーが仕組んだ、愛情のある嫌がらせに感じてしまう。

まったく、親馬鹿だ。

ヒカシューはそう思いつつ、なんとか手紙を燃やして処分をした。
思いのほか簡単には燃え上がらずに、何度も何度もくすぶる手紙を火であぶった。
やがて、テーブルの上に燃えかすが散らばって、黒くこげた紙の残骸がそこここにぱらぱらと散らばっている。

「まったく・・・あの娘は」

ラウニィーが書き綴った内容は、もはや彼の頭の中とラウニィーの記憶にしか残ることはないだろう。
それでいい。その方が良いに決まっている。
彼は封筒を机の引出しにしまいこんだ。
それから、彼はもう一度体を背もたれに預けて瞳を閉じる。

(親愛なる娘、ラウニィーよ)

誰の目にもふれない、もちろん自分の愛する娘の手元に届くはずのない手紙を、彼は自分の頭の中で書き連ね始めた。


Fin

モドル

まったくみなさんの期待(そんなもんがあるのか)を裏切り、全然シエラもランスロットも出てこないお話ですが。
あたくしはヒカシューとトリスタンが親子になったところとか見てみたいんですけどね〜。