ありがとう-1-


「ねぇねぇ、さっきデボネア将軍が、豆の筋取りをしていたわよ」
「えっ?デボネア将軍が?」
「みんな、駄目よ。もうあの人は帝国軍人じゃないんだから、将軍なんて言っては」
煮炊きを任されている女性兵士達の間で、最近もっぱらクァス・デボネアのことが噂になっている。
彼が空中都市シャングリラでシエラ達に助けられ、反乱軍に身を寄せてから既に相当な日数経過している。
帝国軍将軍だった彼の扱いには、始めはシエラも相当に困ってた。
一般兵として誰かの部隊に配属すれば、確かにその剣術の腕前で相当に働いてはくれるし、自分の身の程を知っているため従順に任務をこなしてくれる。が、その部隊長の方はたまったものではない。
かといって、彼を部隊長として部隊をひとつ作っても、まだ反乱軍の兵士達からの風当たりが強いため、慎重に兵士を選ぶ必要がある。
最近はようやくデボネアを部隊長として認める声もあがってきたが、そこまでになるのに予想以上の時間がかかった、というのがシエラの感想だ。
また、部隊を率いて動く以外の時間、生活班としてギルバルドの護衛などで魔獣に乗って荷運びをしてもらおうと思っても、それはあまりに人材としては勿体無い。
デボネア本人はとりたてて不平不満もなく、言われたことはなんでもやるし、言わなくとも必ず何かをしている。
そんな彼を反乱軍の兵士達もみな認めてやればいいのだが、特に旧ゼノビア王国を崇拝している兵士や、以前一度ゼノビアで彼の率いる帝国兵と戦った兵士達は、なかなかそうもいかないようだ。どれだけ彼が戦場で成果をあげようと、日常のあれこれでよい働きをみせようと、頑なな人間は多く、いつまでたっても粗探しを続けるものだ。
朝早い鍛錬に彼も顔を出すが、彼の能力に見合った相手はみつからない。
トリスタンが「たまにはお相手しようか?」なんて言い出せば、周囲は全力でそれを止めようとするし、ラウニィー相手にしようとすれば「やっぱり帝国人は帝国人とつるむ」なんて陰口をすぐに叩かれる。
かといって、天空の三騎士は朝の鍛錬なぞやりもしない。
となると、実のところ、アッシュやランスロットあたりが彼の相手としては妥当なのだが、この二人は朝の鍛錬にくれば、そのほとんどを新兵の指導に費やしてしまう。
まあデボネア本人は、一人の鍛錬には慣れっこであったし、実際それなりの剣の腕前を持つ人間は、誰もが黙々とそれに「打ち込む」能力に長けているのだから、あまり問題はない。
朝の鍛錬後、行軍が始まれば問題はないのだが、反乱軍とていつでも移動をしているわけでもない。
出発準備で荷を作ったり、食糧を調達したりという作業も、デボネアはそつなくこなす。
移動先で野営のための天幕張りも他の兵士達に混じって行うし、なかなかな器用さも見せていた。
逆に、なんとなくそつなくこなせるためか、彼には「これが担当」と決められた仕事がない。
それでは彼も困るだろう、とランスロットがシエラに相談したところ、シエラは
「ほうっとけばいいわよ。デボネアは、自分で仕事を探せる男だから」
と、あっさりとランスロットに言い放つ始末だ。
実際、デボネアはシエラが言うとおり、勝手に仕事を探して勝手に動き、勝手に休憩をとって勝手に鍛錬を行う方が、彼の性にあうようだった。
それを、一部の兵士は批判もしたし、帝国軍人は規律を乱すとまで言う者もいたが、それでもシエラは放って置いた。
そんなデボネアが今日なんとなく行き着いた先は、煮炊き兵士達に混じって、大量の豆の筋をとる作業なのだから、まったくもって人々は口をあんぐりと開けるばかり。
数日前は、芋の皮向き。
更に数日前は、洗濯物の取り込み。
その彼の様子を見てやはり「帝国軍人は女の真似事ばかり」と陰口を叩く者もいた。が、そんなデボネアと一緒に洗濯物を取り込んでいたのが、天空の三騎士の一人であるスルストであったと聞いて、口を閉ざしたものだ。
「驚くほど、元将軍様は器用ね」
とシエラが笑えば
「クアスは、新兵の頃に相当厳しい将軍の下についていたようで、新兵訓練のための遠征時に、炊き出しから何から、やらされたようです」
とノルンが生真面目に答える。
ノルンはデボネアと以前は恋人であったが、今はそうではない。
お互いが愛し合っていた、お互いにとって譲ることの出来ない志を貫くため、二人は袂を分かつ事になったらしい。
それでも、ノルンがデボネアのことを話す時の表情は、照れ臭そうで可愛らしいとシエラは思う。
だが、そんなことはノルンも、もちろんデボネアも知る由もなかった。


天空都市シャングリラで命を助けられ、シエラがこの大陸を救うために正しい導き手であるとデボネアは悟った。
彼女がデボネアに告げる言葉は全て真実であったし、彼女は敵であった彼にすら他の誰とも等しく扱い、生きる場所を提供してくれた。
そして、その日から、彼女に命を捧げる覚悟で、彼女の軍に身を委ねたのだ。
もちろん彼は、元帝国の将軍として周囲に冷ややかな反応をされることは、充分に覚悟をしていた。
そして、それに耐えるだけの精神力があることも自負していたからこそ、その茨の道を歩みことを決心したのだろう。
そんな彼が反乱軍に身を投じた時、相当早い時点で、既にそこにある、とある違和感を感じ取った。

この軍は。
シエラが率いている軍であり、けれど、真実はそれだけではない。

多少予測はしていたが、その違和感は彼の心の底に影を落とし、そして次には、シエラという存在の奇異さに眉根を寄せることになる。

どうして。
どうして彼女は、自分がこの軍のリーダーだと、もっと強く主張をしないのだろうか。

彼のその思いは当然のものだった。
この軍はシエラが率いている軍であったけれど、彼女の方針に賛同してこの軍に所属している兵士と、そうではない兵士がいることを、彼は敏感に感じ取っていたのだ。
帝国の四天王と呼ばれていた彼にも、その身に降りかかったことがある、無意味な派閥争い。
たとえ、デボネアと他の将軍達がそういったものに関心がなくとも、彼らを取り巻く人々はそれぞれを疎ましく思うものだと彼は知った。
そして、残念ながらその空気を、この軍からちらちらと感じられる。
それは、トリスタン皇子の周囲に身を寄せる旧ゼノビア王族に近しい人々と、シエラを崇拝している、反乱軍初期からの面々との対立だ。
誰も声高にそのことを主張はしないものの、それらのことに彼が明確に気付くのには、そう日数は必要なかった。
しかし、彼の元恋人であり、一番親密なノルンにそれとなく探りをいれれば
「トリスタン皇子は、シエラ様のことをとても信頼なさっておられるようだし、シエラ様もいつも皇子のお立場を考慮なさっているし、とりたてて問題はないような気がするのだけれど」
と、困惑の表情で返されてしまう。
彼女の言葉を聞いて、デボネアは内心「問題なのはシエラとトリスタン皇子ではない」と呟いたが、それ以上ノルンに追求をしようとは思わなかった。
ノルンとて、いささか世間知らずな部分はあれど、愚鈍な女ではない。
感じ取っているものがあっても、シエラがそれを態度に出さない限りは、きっとノルンも口にはしないに違いない。たとえ、誰よりも気を許しているデボネア相手だとしても。
デボネアと同じようにノルンもまた、シエラによって命を救われ、生きるための場所を与えられた人間だ。
シエラを助けるための役割や思いは多少違えど、彼女もまたシエラの力になるためにここにいるのだ。
彼は、密やかに深く考えた。
今まで属していた帝国で彼は女帝エンドラを崇拝し、彼女のために自分の全ての能力枯れるまで尽くそうと思っていた。
しかし、現実はどうだ。
雲の上の存在とも言えるエンドラに近い将軍職についたというのに、彼がその職とまっとうに向き合って帝国の将軍に相応しく日々を生きていたその間に、知らぬうちにエンドラはラシュディの魔の手に落ちていた。
いや、もっともっと、彼が将軍になるずっと前に、既に暗黒の世界は彼らの足元にその影を落としており、エンドラはもちろんのこと、彼らの足首をも掴んでいつだろうと引き込もうとしていたのに違いない。
役職が近くなければ、エンドラを護ることは出来なかった。
しかし、実際将軍職についた自分は、何も出来なかった。
何故なら、その頃には既に引き返せない深き暗黒の深淵をエンドラは覗き込んでおり、誰の声を聞こうと抗えぬところに足を踏み入れていたのだ。
違ったのだ、とデボネアは悟った。
自分がエンドラのことを護りたいと思えば、本当はもっと違う方法をとらなければいけなかったのだ。
それはただの後悔であり、何をどうあがいたって抗うことが出来ない現実だ。
だから。
自分に二つ目の命を与えるように、ここにいることを許してくれるシエラには。
彼女にだけは、間違えないように。
彼女のひととなりがまだわからなくとも、彼女がこの大陸を救おうとしていること、そして、それを成し遂げることが出来る唯一の人物であることだけは彼にもわかる。そして、それはとてもまっとうな轍を残しながら進んでいることも。
デボネアは、反乱軍に慣れようと当然の努力をした。けれど、その努力の裏に、もう一つの、死に物狂いの努力があったことを知る者はいない。
母国である帝国の兵士達と剣を交えることは心苦しかったが、それは避けては通れない。
戦で自分がやるべきことはわかりきっている。
シエラの期待に応えるべく、与えられた役割通り、時にはそれ以上に自分の能力を惜しみなく使うだけだ。
彼には、反乱軍内での新しい評価が必要だった。そして、それらは彼にとってはありがたいことに得意分野であり、初めにどれほど口汚く罵られようと、馬鹿にされようと、いつか覆すことが出来るのだと彼は知っている。
だから、自分は大丈夫だ。自分はやり遂げてみせる、と彼は思っていた。
しかし、彼が感じた違和感は、もう一つ彼にやるべきことがあることを告げていた。

誰が、シエラの味方なのだ。
誰が、シエラに選ばれているのか。
誰が、シエラにとって仇となるのだ。
誰が、この軍で彼女を脅かすのだ。
誰から自分は彼女を護って、そして、誰に力を借りれば良いのか。
この、なかなかに大きくなってしまった、様様な思惑入り乱れる軍で。

シャングリラで助けられた後しばらくの間、彼は起きている間のほとんどを情報の蓄積に費やしていた。
食事をしている時も、彼を受け入れてくれない兵士達からの罵りの言葉を聞いている間も、ラウニィーから声をかけられた時でも、戦の合い間でも。
そして彼は、シエラに関しての情報に、いくつかの確信を持つに至った。
彼女は、とくにゼノビア王家復興にこだわっていないということ。
戦が終わった後の政治ことは、まったく関与する気がないということ。
自分が政治に関わらないと決めているからか、都市を解放した時はゼノビア皇子トリスタンにその都市の処遇を一任しているということ。皇子とその周囲のゼノビア人が後々困らないように、彼らのやりやすいようにすることを彼女は推奨しているということ。
どうやら大事な友人がいるようで、その友人はとんでもなく美人のプリンセスだということ。
少しずつ増えていく、他人から見れば役に立つのか立たないのかわからないと思われる些細な情報。
それは、いつか彼がシエラを護るために必要な、大きな財産になるに違いない。そうであるべきだ、と彼は心底思っていた。
それから、彼はある日不思議なことに気付いた。
よくトリスタン皇子の傍にいる、デボネアより年が上のゼノビアの聖騎士に対して、時折驚くほど冷たい視線を送っていること。
(あの聖騎士は、親の仇か何かなのか)
とデボネアは思ったが、かといって彼らが二人で話をしている時は、相当に気を許した間柄のように彼には感じられ、その温度差に彼は驚くしかなかった。
彼女の思いも、彼が彼女をどう思っているかもまったくデボネアは知らないが、ただ素直に「多分、あの聖騎士は特別なのだろう」とだけ気にとめておくこととなった。



「クァス・デボネア」
その日、珍しくデボネアは、明けの陽射しで空の色が変わろうとしている時刻に声をかけられた。
まだ深夜番の見張り兵と早朝番の見張り兵が交替する時刻に彼が起きていたのは、次に彼が担当する見張り時間との兼ね合いのせいだったが、声の主はきっとそんなことを知らないに違いない。
驚いて振り向くと、そこには天空の三騎士の一人であるフェンリルが立っていた。
「力がある剣士は、一人での鍛錬を重んじるもの。でも、たまには誰かを相手にしたいと思うこともあるのでは?」
おはよう、の挨拶ひとつもなく、フェンリルはデボネアにそう言い放った。
彼女はすっきりとした眼差しをもつ、長身の美女だ。
そして、聞くところによると、聖剣ブリュンヒルドのもともとの持ち主だったのだという。
デボネアには当然、彼女のその「申し出」を断る理由などなかった。
自分からは決して手合わせを願い出ることは出来なかったが、フェンリルから声をかけてもらえるならば、二つ返事をする勢いだ。
見ればフェンリルは軽装でありながらも胸当てをつけている。そして、一方のデボネアもまた同じだ。
「真剣で良いでしょう?」
「は・・・わたしの技量が足りぬ分は」
「補えるわ。問題ない」
それは、打ち合いの際に起こる事故は、フェンリルが防ぐ、という意味だ。
彼女のその言葉に、デボネアは、自分でも驚いたことに傲慢さの欠片も感じない。
たとえ天空の三騎士とはいっても、もとは人間だ。それに、デボネアとて、帝国の四天王と呼ばれていた男で、剣技にも定評はある。
その彼の技量不足は問題なく補って真剣で打ち合う、とフェンリルはあっさりと言ったのだ。
狭量な人間であればフェンリルのその一言で神経を逆撫でられるのだろうが、もちろんデボネアはそうではない。
なるほど、そうなのだろうな、と素直に感嘆し、そして久しぶりの真剣での打ち合いを心から喜んだ。
その日彼らは、荒涼とした寂しい平地で野営をしていた。
フェンリルが勝手に「この辺りでいいかしら」と決めた場所は、デボネアにとっても妥協出来る場所だ。
天幕から離れすぎず、けれど、決して近くない。
たとえ遠くから姿を発見されても、わざわざ足を運んでまで彼らの邪魔をする者がいないだろう距離。
足に雑草などは纏わりつかないが、時折吹く風によって砂埃が腰辺りまでは舞い上がる。
そんな条件であろうと、剣と剣を交わす行為は、彼の気分を高揚させた。
たまたま朝の鍛錬の場所を探しにきた兵士達が遠巻きに二人を見ている気配がしたが、それらにかまう気持ちはこれっぽっちもデボネアにはなかった。
誰に合図を出してもらわなくとも、二人はお互いが剣を構えて息を整えたことを確認すると、即座に動き出した。
フェンリルの剣もデボネアの剣も、相手の剣を自分の剣でうけるような、そんな剣を消耗するような戦い方はしない。
それでも、時折デボネアは、フェンリルの「軽いけれど鋭くて速さのある」剣に翻弄されて、彼女のリズムを崩すために自らの剣で彼女の剣先をわざと弾こうと試みた。
が、それをフェンリルは読んでいたようで、デボネアがわざと作った隙には、彼女は付け込もうとしない。

強い。
楽しい。

デボネアは率直にそう感じ、フェンリルの出方を伺う誘いの一振りを放った。
フェンリルに誘われた時には「そういえば、自分よりも格上の者と剣を交わしたのは、いつが最後だっただろうか」などと一瞬物思いに沈みそうだった彼だが、今はそんな暇はまったくない。
ふと気付けば、フェンリルの呼吸はまったく乱れていない。
それは、さすがと言うしかないだろう。
やがて、デボネアが全身に汗をかき、呼吸がいささか荒くなってきたあたりで、フェンリルは決着をつけるようにデボネアの剣を弾き飛ばした。
腕にまで伝わる痺れすら心地良いと感じながら、デボネアは軽く息を弾ませたまま、フェンリルに礼を言う。
「ありがとうございますっ・・・」
「うん。さすが、元帝国将軍。相当の使い手ね。即戦力になる人員は少ない。シエラに、もっと丁重に扱うように言っておくわ」
「あ、いや、そ、れは」
「冗談よ」
それのどこが冗談だったのかはデボネアにはわからなかったが、フェンリルが鞘に剣を収める様子を見て、慌てて飛ばされた自分の剣を拾いに行った。
膝を曲げてもぞもぞと剣を拾おうとするデボネアの背後から、フェンリルは声をかける。
「少しは、気分転換になったかしら?」
「・・・いえ、少しどころか」
「ふふ、だったら、よかったわね。まあ、天空の三騎士に手合わせ願うなど、図々しい、とかまた噂をされるかもしれないけれど」
彼女のその一言で、デボネアは眉を寄せた。
天空の三騎士であるフェンリルやスルストは、基本的に下界のことは関与しない。
よって、彼女達はこの軍によって、もっともトリスタンがどうの、シエラがどうの、帝国を倒した後の政治がどうの、という話から遠い。
そのはずの彼女ですら、デボネアに対する一部の反乱軍の扱いを知っているということだ。
「それは仕方がないと思いますが・・・もっとひどい話になると」
「うん」
デボネアは、周囲に彼らの言葉を盗み聞く者がいないことを慎重に確認してから、苦笑を見せた。
「きっと、いっそのこと、この手合わせでフェンリル様が失敗をして、デボネアを殺して、いや、せめて怪我でも負わせれば良い、とまで思われてしまうでしょうから。それに比べれば」
「ふふ・・・よくわかっているようだ。将軍殿は」
「将軍では、ありません」
「また、気が向いたら手合わせしてあげよう」
「ありがとうございます」
フェンリルは相当にマイペースなのか、デボネアの言葉をさらりと受け流しながらも、彼にとって嬉しい申し出をしてくれた。
普段、あまり話すことの出来ない相手のためデボネアはいささか躊躇していたけれど、そこまで言ってもらえるなら・・・と、彼は思い切って彼女に問い掛けてみた。
「フェンリル様。わたしは今まで、ただの無骨な一軍人でした」
「・・・そのようね?」
「剣はそれなりに振るえますし、将軍職についていましたから、戦で部隊長として働くことも慣れております」
「うん」
「もう、ここは帝国領です。クリューヌ神殿付近は足を踏み入れたことのない帝国人も多いでしょうが、わたしは皆よりもこの先の地理にも詳しいはず。だから、斥候役にそれ相応のアドバイスも出来る。多分、わたしのもっている知識と能力は、この先にも相当に有用となるのだと思っています」
デボネアの、その真摯な瞳にフェンリルは何を感じたか、少し薄めの唇を引き結んで、相手を射抜くような瞳で彼を見据えている。
その彼女の様子に意を決したようで、デボネアは己の問いをぶつけた。
「けれど、わたしがこの軍でしなければいけないことは、それらのことなのでしょうか?」
「他に、何があるというの?」
「・・・それは」
あまりにも予想外な答えをあっさりとフェンリルは返す。
そのことに一瞬デボネアは失望し、自分は、天空の三騎士の在り方ですら見誤ったか、と胸を痛めた。
だが、フェンリルはくくっと喉を鳴らして笑うと、小声で告げた。
「もう少しだけでも、シエラを護る人間がいると、良いわね」
「・・・!・・・フェンリル様・・・」
「シエラを信じてついてきている者達が、シエラの助けになるとは限らない。害を成さないだけで力にもならない。そんな人間が多く集まっている。今までなら、それでも構わなかった。でも、そろそろ厳しい、かな」
「・・・わたしも、自分がそうであればと思いました。けれど」
「けれど?」
「実は、既に彼女に拒まれているのです」
何をどう言って、そういうことになったのか。そんな面倒なことをフェンリルは問わない。
デボネアもデボネアなりに、この反乱軍でのシエラの立場を考慮して、自分がすべきことが何なのかを考えていた。
そして、出た結果が「シエラをありとあらゆる外敵から護る」ということだ。ただそれだけだ。
相手が帝国だろうとゼノビアだろうと、同じ反乱軍であろうと、彼女の進軍によってなんらかの運命が動き、彼女を憎んでいる民衆であろうが。
それ以外に、デボネアにはうまい言葉はみつけることが出来なかった。

――今はまだ、信じてもらえないかもしれないけど、わたしは君を、あらゆる外敵から護りたいと思っている――

その言葉を、デボネアは数日前に彼女に告げたばかりだ。
本当は彼女に告げなければいけない言葉ではなく、自分が自分で思うとおりに動いて、彼女を護ろうとすれば良いだけの話。
けれど、彼はあえて言葉にした。
それは、告げておかなければ、いつまでも彼女は助けの手を彼に求めない気がしたからだ。
案の定、デボネアのその、深い思いを持った言葉に対してシエラは

――――あなたを傍に置いて護ってもらうようじゃ、ますますわたしは敵を作るでしょうね。それをわかってる?――――

と言い放った。
それは、然程攻撃的ではなかったが、紛れもない拒絶の言葉だ。
そんなシエラの言葉を聞いて、まだ自分は足りないのだ、とデボネアは深く落胆した。
まだ、自分は未熟で、彼女を護る権利も与えられず、そして、信じてもらうことすら出来ない。
そんなことを思い出したデボネアに、冷たい笑みを浮かべたフェンリルは、嘲笑うように口端を歪めた。
「一度の拒絶を感じたら、尻込みするというわけかしら?帝国の将軍とあろう者が」
「それはっ・・・」
「しつこい男は嫌われるかもしれないけれど」
フェンリルは、ふっと生真面目な表情になる。それを見て、デボネアもまた唇を引き結んで真剣な眼差しを送った。
彼女が男女の仲の話をしたいわけではないのだということをデボネアとて理解をしているし、この先の彼女の言葉を聞き逃してはならないと彼の本能は悟っていた。
「崖の端に立っても、弱音を吐かない人間もいる」
「・・・それは、どうにか、弱音を吐かせろということですか」
「そんな悠長なことを言ってられるか」
ぴしゃりとフェンリルは言い放つ。
「クリューヌ神殿に向かって、それからどうする?聖杯を得ることが出来て、三神器が揃ったら?それらは、国を治めるためのものと言われている。シエラは義理堅くそんなものを集めたがるウォーレン達の言うことを聞いているが・・・それが揃えば、後は上都ザナドゥに攻め入り、ガレスとエンドラを倒し、ラシュディを倒せば、この軍の目標は達成する」
フェンリルの言葉は、デボネアの肩に重くのしかかってくる。
どんなに早く目的を達成しても、まだまだ時間は残されているような気がしていた。
フェンリルが並べ立てたこの先の反乱軍のプラン自体は、そうそう簡単に成し遂げられるものではないとデボネアは知っている。
今彼らは大陸のはずれにあるクリューヌ神殿に向かっている途中で、そこで三神器とされている聖杯を得た後、再び南下するだけでもそれなりの時間がかかる。
けれど。
その時間を持ってしてまでも、デボネアがシエラに弱音を吐かせることは無理だ、とフェンリルは言っているのだ。
フェンリルはデボネアに背を向けて歩き出した。
気が付けば空は相当に明るくなってきており、デボネアの視界にもちらりちらりと朝の鍛錬にやってきた兵士の姿が見える。
そして、遠目にも反乱軍陣地では朝の煮炊きが始まったことがうかがえた。
これ以上二人で話すことを良しとしないのか、あるいは、もうこれ以上デボネアに話すことはない、とフェンリルは判断したのか、ろくな挨拶もなく彼女は歩いて行く。
「・・・ありがとうございます」
その彼女の背に向かってデボネアはもう一度礼を言った。
すると、相当離れたにも関わらずフェンリルは振り向いて
「剣の鍛錬ばかりではなく、もう少し基礎体力をつけなさい。男なら、女一人抱えて息を切らせないまま今みたいに戦えるぐらいには」
なんてことを言う。
既にフェンリルの近くには何人かの兵士が柔軟運動をしたり、筋力をつけるための運動をしていて、フェンリルのその発言をどうとったのか、軽い笑い声が聞こえた。
女を抱えて戦うとは、なんの冗談だ。
そんな風に兵士達は笑ったのに違いない。
しかし、デボネアはぴくりとも笑わず、頭を深く垂れた。
彼にはフェンリルの意図が伝わっている。
そうだ。何かがあれば、シエラを護って戦うと決めたのだから、それぐらいは当然だ。
自分には、有翼人のように空を飛ぶ能力もなければ、魔獣使いほどどの魔獣相手にもすぐに乗りこなせるほどの経験値もない。
ならば、自分の足で、手で、彼女を護らなければいけないことがあってもおかしくはない。
帝国にいた時に、そこまでの発想はなかった、とデボネアは思う。
いや、出来ると思っていたのだ。女一人を抱えて戦うことぐらい。実際、今すぐやれと言われればやる自信もある。
しかし、フェンリルは更に「息を切らせないまま」と言った。そこまでの自信がない以上は、自分は確かにまだまだ力不足なのだろう。
彼女の言葉は、この先シエラを取り巻く環境がどれほど苛酷になるのかを、暗示していたのかもしれない。



旧帝国領に進軍しても、エンドラによる圧政のため、既に反乱軍を支持してくれる都市も数多い。
そういう場所では、時々都市の代表が、寝泊りする家屋を提供してくれる場合もあるし、ウォーレンが手配をして、廃墟などを探してる場合もある。
そのどれも、別にシエラのためではなく、ゼノビア皇子であるトリスタンのためなのだろうが。
運がいい時は、それこそ10人20人も収容出来る大きな家屋――昔領主が住んでいた廃墟やら、税が払えず主が逃げ出してしまった宿屋だったりと様様ではあるが――を提供されることもある。
その日は、かなり運がよかった。
都市ではなく、街道から逸れた場所に、全部で30人ほどが収容出来そうな集落が見つかったのだ。
それは平屋であったが、どうやら昔は旅人御用達の宿屋の集落だったようで、四つ集まった建物はすべてもぬけの殻となっていた。
情報を集めたところ、その集落は以前栄えていた街道沿いにあったのだという。
その街道の一部、森を通り抜ける場所に野盗が頻発したため、それとは別の場所に新しい街道が作られてしまい、いつしか寂れたというわけだ。
「誰も、あなたがいなくても、気にしないでくれるのがありがたいわね?夜に、わたしの部屋に来ても誰にも見咎められないなんて、どーなってるんだ、この軍は」
その晩、シエラはその集落の一室で、デボネアと共にいた。シエラは少しばかり馬鹿にするようにそう言って、小さく笑う。
「どこで何をしているか、わからない男だと思われているだろうから」
と、椅子に座っているデボネアもまた苦笑を見せた。
「そういう風にもっていこうとしたわけじゃなかったけど、いざそうなると便利かもね。確かに、あなたを放っておけと言っておいたけど、ここまで勝手が出来るようになるなんてね」
「そういう扱いをしてもらうのは、相当に楽だった」
くすりと笑って、シエラは肩当をとって小さなテーブルの上に置いた。
「よくも、こんな面倒な女の部屋に来ようと思うものね?放っておけない性分なのかしら?」
「自分でもそう思う。君は面倒な人だ」
次に彼女は胸当てをとって、ベッドの端に座り、戦で胸当てについた傷を指でなぞった。
そんなことをしながら彼女が何を考えているのか、デボネアにはまったく想像も出来なかったけれど、とりあえず彼と話す意志がまだ彼女にあるのだということだけは理解をした。
「もう少し、どうにか君の警備役として動ける状況にしたいものだが、難しいな」
「そんなこと、いらない。この前もいったでしょ」
「いらない?じゃあ、どうして君は俺を自由にさせて、そして、ここにこうやって訪れることを許してくれているんだい?この前は、一緒にいるところを見られたら、とか大層嫌がっていたのに」
シエラは肩を竦めながら一瞬視線をそらし、口を尖らせた。
「冷静に考えれば、あなたはあれこれと便利に使えるからよ。別に警備なんかして欲しいわけじゃないわ。外じゃろくに、込みいった話は出来ないしね。同じ帝国から来たといっても、ラウニィーは既に皇子の妃候補だから、こっちも肩入れしにくいしされにくい。ノルンは聖職者だから、口に絶対しないことがある。でも、あなたは違うでしょう?」
「で、どう便利に使いたいって?」
「だから。外じゃろくに話せない話を、ね」
どんな話なのかは、今シエラの口から既に出ている。
帝国から来た人間からの話で、トリスタン皇子の妃とは出来ない話で、聖職者であるノルンの教義から離れた話。
デボネアは静かにシエラをみつめた。
身を護りたいと言えば、そんなものはいらない、と跳ね除ける強い女。
もちろん、その「身を護る」は、帝国兵から護るという意味ではない。
デボネアは、いささか以前よりはくだけた口調で、けれど、あまりなれなれしくならないようにと気を使いながら話す。
「俺は、君がここにいるから、この軍に身を置いている。俺を助けたのは、トリスタン皇子でもなければ、反乱軍でもなく、君だ。ディアスポラで君と対峙した時に、君が、俺の心を動かした。それが始まりなのだから」
シエラは足をばたばたとさせて、無理矢理ブーツを脱ぐ。それから、ごろりとベッドで横になり、まるで無防備と思われる体勢でデボネアに問い掛ける。
「わたしが、あなたに、トリスタンに従えといったら?」
「君は、飼い犬に、『あれが新しい主人だ』と言えば、飼い犬が従うと思っているのか?」
彼のその言葉にシエラは目を大きく見開いた。
帝国軍の将軍ともあろう人物が、自らを飼い犬と口にする。
それがどういうことなのか、彼女は充分過ぎるほどわかっている。
「デボネア」
「俺は、君の飼い犬になることで、エンドラ陛下が見誤ってしまった道を正してくれると信じている。矛盾しているかもしれないが、それが、俺がここにいる理由だ」
「・・・こんな屈辱を味わっても?軍人の考えはわからないわ」
自分自身を「飼い犬」と揶揄するなど、正気とは思えない。彼の発言を帝国人が聞けばきっと、デボネア将軍はプライドというものを敗北と共に捨ててしまったのだろうと噂になるに違いない。しかし、デボネアは正気だった。
「エンドラ陛下を見損なってしまった俺がここで与えられる屈辱など、ささやかなものだ」
そう告げたデボネアを、シエラは静かに、ベッドに横たわりながら強い視線を送った。



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