ありがとう-2-


フェンリルに告げたとおり、デボネアは数日前にシエラのもとにいき、彼の気持ちを伝えた。
が、その時のシエラの反応はそう芳しくもなく、いささか邪険に扱われてしまった。
挙句に、彼を部屋から追い出そうと、シエラは彼の目の前で淡々と着替えを始める始末だ。
これ以上食い下がるなら、最後の一枚を脱ぐ。
そんな形で牽制をする女。
負けてはいけない、とデボネアはそれをかわそうとしたが、それには相当の気力が必要だった。
そうまでして、未だ彼女はデボネアと距離を置こうとしている。その事実に立ち向かい続けることも、彼には相当な苦行に思えた。
(まだ、その時ではない、ということだ。その時になれば、きっと彼女は)
そうシエラが判断しているのだと思い込めれば。
そうであれば、どれだけ楽になれるのだろうか、とデボネアは思う。
行き場がなかなか与えられない思いを胸にしていた彼に、ある日突然シエラから声がかかった。
全軍で移動をしている最中に、彼女が自分で兵士に声をかけにくることなぞ、珍しい。
用事があれば、その付近にいる兵士に使い走りをさせる立場にあるというのに。
「デボネア、腕がなまってないか見せてもらってもいい?」
何を突然、とデボネアは言いかけた。
が、シエラはそんな暇人ではないし、そもそも剣の手合わせをする相手ではない。
一拍置いて、デボネアが見つけた答えは
「帝国軍が?」
「斥候から報告があった。先の谷で、待ち伏せされてる」
「予てから、懸念があった場所か」
「そう。でも、それは陽動だと思うの。そんなわかりやすいところで待ち伏せてるってのは、ね?」
軽く笑みを見せるシエラ。
「成るほど」
「だから、少人数でさくっと終わらせたい。西の谷へは、スルスト様とリリーの部隊を向かわせる。東の谷は、わたしとアイーシャの部隊で向かう。本隊からはそれ以上主力部隊を削らない」
「で、俺はどの部隊に?」
「デボネア。わたしが最初に言ったこと聞いてなかった?」
デボネアは、まばたきをした。
いかに彼でも、この反乱軍に所属してから続いた扱い、不遇を思えば、すぐに理解を出来る言葉ではなかったのだろう。
腕がなまってないか、見せてもらってよいか。
それは、シエラの前で剣をふるえ、という意味だ。
彼がそれを飲み込む前に、シエラは口早に伝える。
「面倒くさいから、ケルベロス達で一気に乗り込む。敵の構成まではわからないけれど、谷の上から狙っていたなら、大体は弓か魔法だと思う。魔獣はわたしが扱うわ。準備が出来たら、行軍の最後尾まで下がって頂戴」
「いつでも、準備は出来ている」
「そう」
彼女は素っ気無く言い放つが、わずかに口端に笑みを浮かべたようにデボネアには見えた。
本来ならばこういった状況では、空を飛ぶ魔獣や有翼人に頼って速攻をかけるべきなのだが、相手が弓兵を多く引き連れている場合は別だ。
空を飛ぶ魔獣を倒すことに特化している弓兵も最近はいるらしい。また、谷を駆け上ることはケルベロス達の専売特許でもあるし。
「最後尾から迂回する形で上っていく。怪しまれない程度に行軍の速度を落とす手配はしてあるわ」
そこまで告げて、シエラはデボネアの傍を離れた。
彼女のほうこそ、出発までにあれこれとやることがあるに違いない。デボネアはそう思いつつ、彼女を追わず、言われた通りにゆっくりと最後尾へと下がっていった。
これが、彼らが初めて近しく戦う機会だった。


シエラの言葉通り、谷の上に待ち伏せをしていた帝国兵は、陽動のための部隊だった。
その兵士達が正規の帝国兵ではないことは、デボネアのみならず、シエラ達もまたすぐに気がつく。
こんな、上都に近づいた帝国領内ですら。
傭兵を雇わなければいけないほど、帝国の力は衰えているのか。
デボネアは憂える心を抑えつつも、自らの役目を果たすべく、気を抜くことなく敵兵を倒していく。
シエラは特にデボネアに命令はしなかった。
彼女は暗黒魔法の使い手であるから、デボネアの背後から魔法を行使する隊列になっている。
弓兵が多くて初めは近づけなかったけれど、ケルベロス達が素早く間合いをつめて交戦が始まった。
(アイーシャ隊も、決して弱くはないが)
いささか、火力不足は否めない、と思いながら、デボネアは剣を振るう。
と、思ったとおり、アイーシャ隊が討ち漏らした傭兵数名がぐるりと回りこんで来た。
それは、明らかにシエラを狙っている動きだ。
気付いたデボネアは、前から彼に切りかかってきた兵士を切り伏せ、その勢いを殺さぬままでシエラを振り返る。
彼女は前方の敵兵の集団に狙いを定め、魔法を行使しようとしている寸前だ。
詠唱そのものは短いけれど、対象物を捕らえるため、視線はまっすぐ前を向いている。
彼女の側面から近づいてくる敵兵に対して、何の反応も見せない、とデボネアは感じた。
「ちっ」
デボネアは、彼にしては珍しく舌打ちをして、走りこんだ。
シエラの体に触れぬように、けれど、相当に彼女の近くで、彼女を狙った敵兵の剣を彼は受ける。
切れの良い動きで一気に二人の兵士を切り捨て、もう一人の兵士の腕を狙って剣を落とさせた。
その一連の動作を行ってから、デボネアは至近距離にいるシエラの様子を伺う。
「・・・!」
シエラは、相変わらずデボネアのことも、デボネアが切り伏せた兵士達すらも見ず、前を見据えている。
手に持った剣を横に薙ぎ払いつつ、彼女がその唇を動かした途端、前方の敵部隊の一群から悲鳴が上がった。
痛みを訴える叫び、それから、明らかにそれと異なる、声とは思えぬ断末魔。
けれど、デボネアはそちらを見ることなく、シエラの横顔に一瞬気をとられた。
美しい輪郭。
結べない長さの赤い髪が、風になびく。
紅をひくことなぞなさそうな、形の良い唇。
長いまつげがぴくりと動き、シエラは苦悶の表情を僅かに見せる。
そして、自嘲気味の笑みを浮かべ、シエラはようやくデボネアを見た。
「悪霊によって殺されるってのは、どういう気持ちなのかしらね」
「・・・」
「ほんと、えげつない魔法だ」
そう言い放ってシエラはあごをくいと突き出した。
「まだ、終わってないでしょ?あっちの様子見てきて頂戴」
「・・・ああ、そうだな」
その一言で、デボネアは彼女の傍を離れて、まだ残っている帝国兵達に向かっていく。
既に傭兵達の戦意は喪失しているのだろう。アイーシャ隊の誰かが、投降を促している声が聞こえてきた。
近づくデボネアに気付いて、アイーシャは彼に声をかけてきた。
「シエラ様は?」
「ああ、今来ると思う」
「投降する傭兵の処遇を決めていただかないと」
「そうだな」
するりとデボネアの横を通り過ぎ、シエラの方へと歩いて行くアイーシャ、
彼女の後姿をちらりと見て、デボネアは片手に剣を持ったまま、もう片方の手で落ちてきた前髪をかきあげた。
付近には、10人以上もの男達の遺体が転がっている。
デボネアは、その中から間違いなく、シエラの暗黒魔法で葬られた者を見つけ、しゃがみこんだ。
瞳を見開いたまま絶命している、若い男性。
デボネアは、以前反乱軍と剣を交えた時には、シエラの暗黒魔法を身に受けてはいなかった。
ただ、それが、シエラが言うように「悪霊を呼び出して攻撃を受ける」というものだということは知っている。
この男は、死ぬ寸前には一体何を見ていたのだろうか。
そんなことをふと心に抱き、手甲をつけたままの手を差出し、恐怖の中見開いたままだったのだろう瞼をそっと閉じさせた。


その晩、野営の天幕の中、デボネアは珍しく寝付くことが出来ず、何度も寝返りをうっていた。
共に寝転がっている兵士達数人は、既に熟睡しており、時折いびきすら聞こえてくる。
ひんやりとした空気が、彼の体を刺激している。
毛布から出ている体の表面は冷たくなっているはずなのに、何故か彼は自分の体を「熱い」と感じている。

寝よう、寝ようと思って瞳を閉じれば、昼間の映像がちらりちらりと彼の脳内でいくつも再現されてしまう。
瞼の奥の、薄暗い色をみつめてみても、その先にすら焼きついたようなその絵が浮かんでくる。

思い出すのは。

美しい輪郭。
風になびいた、特徴的な赤毛。
それから。
あの表情は、何の苦しみなのだろうか。

それが何なのかは、彼女を守るために、知らなければいけないのだろうか?
いいや、ただ、彼女の命を脅かすものから彼女を守るためならば、そんな必要はない。
では、それはただの好奇心なのだろうか。

――そうであったら、どれほど楽だったのだろうか――

デボネアは、自分が「気付いてしまった」という思いで胸の内を支配されてしまった。
きっと、彼が守りたいと思っているあの高飛車な女性を守るには。
帝国を敵とするだけでも足りず、旧ゼノビア信者の一部を敵とするだけでも足りず。
何か、別物がそこにはあるのだ。
彼が知らない、そして、彼女が決して打ち明けることの出来ない「何か」が。
あの時、シエラは彼の名を呼ぶことも、彼を見ることすらなく、ただ魔法を唱えることに集中をしていた。
それは、どれほどの信頼なのか、気付かないほどデボネアは阿呆ではない。
彼女は、彼女に向かっていった傭兵達の存在に気付いてなかったわけではない。
だから、あれほど近くにデボネアが寄って男達を切り伏せても、彼女は何一つ言わなかったではないか。
助かった、とか、気付かなかった、とか。
それらの言葉もないまま、彼女は魔法を行使し、傭兵達の抵抗を完全に封じることだけを役割としてこなしていた。
きっと、彼女は既に「デボネアがそうすること」を当然だと思っていたのだ。
「・・・なんて、性質の悪い」
ごろり、とデボネアはもう一度寝返りをうった。
思い出すのは、彼女の美しい輪郭。
風になびいた、特徴的な赤毛。
それから。
一瞬垣間見えてしまった、彼女の中の「何か」。
それに対してまでも、自分が手を伸ばしたいと思っているのは、なんという感情なのだろうか。
囚われたくない。囚われてしまえば、いつか何かを見間違いそうになる。
自分は、エンドラに対してですら見間違え、見損ない、あまりにも大きな過ちを犯してしまった。
そんな自分が、これ以上、守るべき相手に盲目になる要素を作ってはいけない。
彼はどうにか眠りに入ろうと息を整えた。
あんな無条件の信頼を既に彼に持ちながら、それを拒み続ける、どうしようもない我侭な女。
恋愛ではない。
彼女に触れたいとか、もっと仲良くなりたいとか、そういった感情とは違う、とデボネアは感じた。
(だから、性質が悪い)
瞳を閉じても、何故か思い出される、あの姿。
彼を信頼しているはずなのに、未だ、その手を振り払って見下すあの姿。
それに苛立ちながら、デボネアは眠れぬ夜を過ごした


翌日、まるで前日の交戦が嘘のように順調に移動は続き、高台にある野原で野営をすることが決まった。
まだ空は夕暮れの色にまったく染まってはいないが、一度茜色に染まり出せば闇に飲み込まれるまでは早い。それを慮って早めに天幕を張り、野営準備を終えた。
天幕を張り終えた後、デボネアは休むこともなく、またも仕事を探していた。
そんな彼が見つけたのは、またも豆の筋取りだ。
長い髪を後ろに一つに縛り、黙々と作業をするデボネア。
既に女性兵士の幾人かは、彼が煮炊き場にいることを不思議とも思わなくなっていたし、彼のそんな様子を見にわざわざ足を運ぶ兵士もいる。が、もちろんデボネア本人は、そんなことをまったく気にしていない。
「やってるわね」
突然、誰かがデボネアの前に立った。
手元に影を落とされ、デボネアはゆっくりを顔をあげた。
そこには、にやにやと人の悪い笑みを浮かべるシエラが立っていた。
「おかげさまで」
「ははっ!おかげさまで、ね」
彼は別段皮肉を言ったわけでもなく、ただするりとその言葉が出ただけ、という風情だった。
が、シエラはどう捉えたのか、苦笑いだ。
「こうやってたらこうやっていたで、デボネア将軍は余程女子供の仕事が好きと見える、なんて言われるんでしょ」
「わざわざ、本人を目の前にして言う必要はないんじゃないかな?」
デボネアがそう言うと、シエラは大げさに肩をすくめてみせた。
「いいんじゃない?言わせておけば。ね、これも、筋とりしていいの?」
デボネアの近くで乾燥肉をちぎっていた女性兵士に、足元の籠いっぱいに入っているさやに入った豆を指差してシエラは尋ねた。
「あ、はい。あまり出来のよいものではないので、筋が相当に固くて・・・って・・・シ、シエラ様、そんな!」
シエラはその場にすとんと座ると、女性にあるまじきポーズで――胡座をかいて――その股の前にかごを引き寄せた。
「わたしも手伝うわ。いいの、気分転換よ。わたしにさせることが、あなた達にしてもらえる最大限のことだわ」
「でも・・・」
戸惑う女性兵の心配を余所に、シエラは慣れた手つきで豆の筋をとっていく。
その様子をちらりとデボネアは見て
「あの帝国将軍に、シエラ殿は懐柔でもされたのだろう、なんていう陰口が待っていそうだ」
「ん?そんなことが気になるの?気にならないでしょ?」
「自分のことは別にいい。でも」
その言葉と共に、デボネアはシエラの方を見た。
彼の視線が予想以上に真剣なものだとシエラは気付いたようで、軽く肩を竦めて息を吐いて・・・
「カノープス!!カーノーーーープスーーーーー!!カーーーーーノーーーー」
「なんだ!犬みたいに呼ぶなといつも言ってるだろう!」
大声でカノープスを呼ぶシエラ。
彼女のその声に、周囲の兵士達は目を丸くして振り返る。
そして、シエラとデボネアが豆の筋取りをしているらしい、という事実を見て、なおのこと目を丸くするのだ。
少し離れたところで運んできた食糧の検品を手伝っていたカノープスは、どかどかと大股でシエラ達に近づいて来た。
「なんだよ」
「カノープスもやって頂戴。筋とり。これ、結構固いから筋とれると気持ちいいわよ」
「なんで俺がそんなこと」
といいつつ、カノープスは実はシエラに甘い。
不承不承座り込んで、シエラが足で抱え込んでいる籠に手を伸ばして、文句をいいながらも筋取りを始めた。
「これで、問題ないでしょ」
けろりとシエラはデボネアに言い放つ。
カノープスは眉を潜めて「どういう意味だ」と言いたげな表情を見せたが、あえて追求はしない。
多少は彼なりに理解している部分もあるのかもしれない、とデボネアは思う。
しばらくの間、黙々と三人は豆の筋とりをやっていた。が、やがて、検品を途中で放り投げてきたカノープスを呼ぶ声が、当然のように辺りに響き渡った。
「まったく。人使いが荒いんだよ、お前」
「でも、難しいことはさせないでしょ」
「バーカ。ったくよ、こんな女の言うこと、わざわざ聞くことなんてないからな、デボネア」
それがカノープスの捨て台詞だ。
立ち去るついでに、と剥いた筋の塊をまとめて一つのかごにいれて、カノープスはそこから持っていってくれる。
その後姿を見ながら、シエラはまた声をあげて笑う。
「わざわざ聞くことなんてないからな、だって。自分だって聞いてるのに」
彼女は、相当にカノープスのことを気に入っているのだろう、とデボネアは思う。彼女の声音は力が抜けており、愛情が篭ったものに聞こえたからだ。
そう思えばなおさら、デボネアはいささかうんざりする。
「君は、性質の悪い女だな」
それへは、声高な反論もなく、あまりにあっさりとした言葉が返ってくる。
「知ってるわ。だから、余計にウケが悪いんでしょう」
シエラは、「誰に」とは決して言わない。
デボネアは、ついに手をとめて、まじまじとシエラを見た。
彼女は紅をひくこともない唇を軽く尖らせており、そのまま「んー」と曖昧な音を発しながら彼女は筋取りを続ける。
妙にそれが少女らしい姿に見えて、デボネアは一瞬笑みを浮かべたが、「騙されている」とすぐに気を取り直した。
手元に目線を落とし、彼もまた筋取りを再開しつつ会話を続ける。
「・・・バカだな、君は」
「えー。あなたほどじゃないわよ?」
「そうかな。五十歩百歩だと思うんだけど」
「あなたが、どれだけわたしのことを毎日思ってくれているのか、わたしは知っているつもりよ。傲慢だと思われてもね」
そのシエラの言葉に不意をつかれて、デボネアはまたも手を止めて彼女を見た。
周囲の女性兵士達が、既に彼らに注目をしていないことを確認して、彼はそっとシエラの方へ体を傾げ、小声で囁いた。
「・・・なのに、君は俺を、仕方ないといいながら部屋に入れるのか」
「そうよ」
「そして、平気で、まだ用無しだと言い放つんだろうな」
彼の声音は、失望に満ちていた。
彼の思いを知っていると豪語する女。だからといって、彼をどれほど傷つけても許されると思っているのだろうか、彼女は。
しかし、そんなデボネアの苦悩なぞとりたてて気にもしないように、むしろ彼の心を煽るかのように、シエラは微笑んだ。
「知ってるからよ、デボネア。それに、あなたのそれは、恋じゃない。出来れば、そのままでいて頂戴」
絡む視線。
シエラは、逃げずにデボネアの視線を受け止めた。
彼女は、まったく挑戦的でもなければ、逆にデボネアを憐れむ風でもない。
それがまた、彼女が本心を口にしたということを、デボネアに確信させた。
彼は、呆れたように息をつくと、僅かに体をシエラの方へ傾げ、視線を外さないまま言葉を叩きつけた。
「・・・最悪だ!なんという性悪女なんだ、君は」
「ほら、また噂されるわよ。帝国将軍が、我々のリーダーを誘惑しているってね」
「しているのはどちらだ」
「もちろん、わたしじゃあないわよね?」
デボネアは目を見開いて、ゆっくりと彼女の側から体を離した。
まじまじと、彼女の頭のてっぺんから、豆の籠を固定しているあけすけな足元まで見つめて。
そして
「どうしたら、そんなことを言えるのか、まったくもって驚かされるな」
と、心底呆れたように言い放つ。
その彼の様子がどれほどにおかしかったのか、シエラは再び声をあげて、軽く体を揺らして笑い出した。
「いつまでも笑ってないで、さっさと豆の筋をとってくれよ。そうでなかったら、いいかげん天幕に戻って良い子になってお役目をこなしてればいいだろう」
いささか不貞腐れた風のデボネアに、「ごめんごめん」と心にもないことをシエラは言いつつ、まだ笑っている。
「ねえ」
「なんだ。さっさと筋をとってくれ」
デボネアは、もうシエラの方を見ない。それをどうにか向かせようとしているのか、シエラは彼を覗き込もうとする。
「あははは、わかってるけど」
デボネアは、そんな彼女の様子にうんざりして、わざとそっぽを向くように体の位置をずらした。
「ねえ、デボネア」
「だから、何だ」
「もうすぐ、戦いが終わるわ。その後は、ゼノビアへの凱旋が待っている」
「そうだな」
「あなたの力が、わたしには必要になる」
そのシエラの言葉にデボネアは反応して、豆の筋をとっていた手を止めた。そして、そっとシエラの顔を見る。
それは確かに、彼女の顔を見ずに話を続けるには、あまりにも重大な告白だったのだろう。
「なんてことを、こんなところで」
言うんだ、と続けようとしたが、それはうまく言葉にならなかった。
声にならない大きな空気の塊を喉から押し出し、一瞬苦しくなった息にいざなわれたようにデボネアは呼吸を整えた。
どの言葉を返せばいいのか、彼には判断が出来ない。
何故ならば。
彼女のその言葉は、彼が今まで欲しくて欲しくてどうしようもなく、朝も昼も夜も渇望していたものだったからだ。
「・・・シエラ」
「ん?」
デボネアは、豆のかごを抱えたまま俯いた。
「まいった。俺としたことが。泣きそうだ」
「あらあら」
明らかに他人ごとのようにシエラはそう言ってまた図々しくも、俯くデボネアの顔を覗き込んだ。
「なんなんだ、君は。どうして、そんなに俺を振り回して、それから」
「それから?」
「どうして、今、こんな風に喜ばせるんだ・・・」
「なんていうケチをつけるのかと思えば」
シエラに顔を見せたくないのか、デボネアははっきりと顔を背ける。
彼女はそれ以上しつこく彼の顔を見ようとはしない。
「言ったでしょ。誘惑したのは、どっち?わたしじゃないわ」
シエラは、うーん、とのびをして、自分が筋をとった豆を他のかごにざざっと移した。
彼女が立ち上がったせいで、デボネアの前に影が落ちる。
それは、もうすぐ沈む夕日によって作られた、長くて細いいびつな影だ。
デボネアが見上げると、シエラは彼を見下ろしつつ顔を傾げる。
「ゼノビアで、シャングリラで、あなたを救ったのは確かにわたしだわ。でも、わたしを生かすために手を伸ばしてきたのは、あなたでしょう」
「そして、俺に、恋に落ちるなと、今から予防線を張るのか。なんていう、性悪だ、君は」
「仕方がないでしょ。あなたの力が」

わたしには、必要なの。

そこまでは二度と口に出さずに、シエラはそのかごを持って歩いていってしまった。調理担当の女性兵のもとへ持っていくのだろう。
デボネアは、彼女が立った拍子にバラバラと零した、彼女の膝の上に落ちていた豆の筋をかき集めた。
そんな情けないことをしながらも、彼は自分の心のうちに熱いものが湧き上がってきたことを感じている。
彼はいてもたってもいられないような衝動を抑えきれず、かなり離れたところまで歩いていったシエラの名を呼んだ。
「シエラ!」
「なーに?」
呑気な返事をしながら、彼女は振り向く。
それに、なんだかまた泣きそうな気持ちになりながら、けれどもはっきりと彼は言った。
「・・・ありがとう!」
「何?ああ、豆の筋取りも、たまにはいいわね!気分転換になった!」
そういうと、シエラはデボネアに軽く手を振って、すたすたと歩いて行ってしまう。
もちろん、彼女のその言葉は、知っているのにわざとはぐらかした言葉だ。
「・・・まったく・・・」
どうしようもない、女だ。
デボネアは、自分が筋を取った豆のさやを横に置いたかごに移して、残りの豆を膝の上に広げた。
まるで、何事もなかったようにその手は再び動き出し、手馴れたようにどんどん豆のさやから筋をとってゆく。
けれど、その様子からはまったく誰にも気づかれないほどに、彼の体の内側には大きな感情が蠢き、何かをしていないと内側からそれが突き破って出そうになる。
どういう形であろうと。
自分の思いは、報われたのだ、と思うだけで目頭が熱くなる。
ようやく、自分は権利を与えられたのだ。
あの、美しい女を守る権利を。
あんな形ではぐらかされてしまったけれど、どれほどの感謝の気持ちがあの言葉に込められているのか、シエラはわかっているのだろうか。
(いや、わかってるんだろうな・・・)
きっと、それを言えば、また彼女は笑って言うのだろう。「知ってるからよ、デボネア」、と。
「本当に、性質が悪い」
ぼそりと呟いて、爪の中に入り込んだ豆の筋を、もう片方の手の爪で掻き出した。
その胸のうちは、ようやく少しずつ落ち着いて、じんわりとぬくもりのようなものが広がる感触に彼は気付いた。
とりあえず。
あの性悪女を抱えて、戦い続けることが出来るように、体を鍛えなければ、とデボネアは心の中で呟いた。
いつか、今度は彼女から、本気の感謝を得られるほどに尽くそう、と。



Fin

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