いつか一人になりそうで -2-


デボネアとリリーをその場に残して、アイーシャはサラディンと共に近くのロシュフォル教会を目指した。
サラディンは始終穏やかで、決してでしゃばらない、非常に「よく出来た」老人だ。
年をとるとその人間の本性がさらけだされてわかりやすくなるものだと、アイーシャは誰かに聞いたことがある。頑固な人間はよりいっそう他人の意見なぞ聞く耳をもたなくなるし、大らかで穏やかな気質を持つ人間は自分の身が思うとおりに動かなくともそれを受け入れ、若者達にすべてを譲ることに不平を言わない。元来愚痴っぽい人間は、いつ話をしても愚痴を言わずにはいられなくなる。そう思うのは一種の偏見でもあるかもしれないが、多かれ少なかれその指摘は真実を含んでいるとアイーシャは思っていた。
そして、それに基づけばサラディンという幻術士はもとの気性が穏やかなのか、そもそも人に心を開くことがないのか、いつも物静かに人の動きをそっと見ながら息を潜めている。が、そこには「人の裏をかこう」とか「自分が出し抜こう」などというこずるさなぞまったくなく、自らが求められる、その時のために静かに力を蓄えているようにアイーシャには見えた。それに、おごりたかぶることも、他人へのねたみそねみも口をすることもない。アイーシャはとてもサラディンを好ましいと思っていた。まあ、リリーに言わせれば「何考えてるんだかわからないジジイだけど、シエラのために力を貸してくれるんだから、ウォーレンの何倍もいいジジイだわ」といったところなのだけれど。
調達してもらったロバに荷をくくりつけ出発した二人は、あえて人が多い街道を選んだ。もちろん教会というものは基本的ににぎやかな場所から離れているから、途中で細い道を通ることにはなるだろう。商人達が行き交う中、彼ら二人はまったく目立つこともなく−旅の年寄りと孫といった風情に見え−サラディンの歩調に合わせてゆっくりと歩いていた。
乾いた街道を靴裏がこすると、小さな土埃が舞う。
ゼノビアが復興してから、小さな町と町を結ぶだけの街道もわずかずつ整備され、商人の動きが活性化してきた。そのおかげで働き手はあちこちで求められ、戦争や帝国の圧政によって生活が苦しかった人々の手元にわずかながら金が落ちてくるようにも徐々になっている。未だにゼノビア周辺のハーレムは完全に救われていないけれど、ひとまずは広く浅く新ゼノビア王朝の恩恵を大陸に与え、人々の意識をあげる方策をウォーレンやら誰やらが立てていたのに違いない。
「何か心にひっかかりがあるのかな」
突然サラディンがそんなことを言う。ロバの手綱を握って少しばかりぼんやりしていたアイーシャはそれに驚いて、はっとサラディンを見た。
「何故、そうお思いになられるのでしょうか?」
「デボネア達と別れる時、めずらしくそなたの歯切れが悪かったように思える」
「まあ」
そういわれればそうだったかもしれない。心当たりがないわけではないアイーシャは少し驚いた声をあげたが、これは、相当なことだとすぐさま考えた。自分の言動に対してサラディンの方からそのように声をかけてくることなぞめずらしい。余程自分はあからさまに、リリーに対する漠然とした不安を見せていたのだろうか。
そうだ。
デボネアとリリーの二人と別れることが、なんだかアイーシャは不安に思えていたのだ。
「サラディン様は、お見通しですのね」
「見通してなぞおらんが。わからないから聞いてみたまでのこと」
「リリーさんが、心配で」
「ふむ」
「なんだか・・・わたくしに何が出来るのかはわからないのですが、あのままで良いのかと疑問に思えてしまいましたの」
サラディンは「あのままとは?」とも問い掛けないし、「そうだな」と同意もしない。
アイーシャの言葉を待つように、ローブからわずかに出た足をゆるやかに前へ前へと動かしつづけるだけだ。
彼のそんな様子を見て、もしかして自分はおこがましいこと、思い上がったことを口にしただろうか、とアイーシャはわずかに頬を紅潮させた。人に対して「良い」とか「悪い」とか判断をするような、そんなご立派な人間では自分はない。そう思えばたいそう浅はかな言葉をサラディンに言ってしまったものだ、と。が、サラディンはしばらくの間を置いて、そのものずばりの問いをアイーシャにぶつけてきた。
「リリーの、何が悪いのかな」
「悪いというか・・・ただ、こう・・・とても曖昧に・・・漠然と・・・」
言葉を濁したくて濁しているのではない。
実際にアイーシャは、自分の心に広がるもやもやを具体的な形にすることが出来なかった。口の中で何度か言葉を選んでいたものの、そのどれもが、自分が感じているものにぴったりとする言葉ではない。やがて、困ったようにアイーシャはサラディンを見て
「色んな人間がいるものですね」
ようやく落ち着いて伝えることが出来たのがたったそれだけだった。
彼女の言葉に対してサラディンは
「そう。色んな人間がいるものだ」
と返すだけだ。
「わたくしの考えが、型にはまりすぎていて・・・それから少しでも外れた人に対して理解をすることが出来ないので・・・それどころか、自分が作り出した枠にその人を近づけようとしているのでしょうね。未熟です」
「神ですらそうなのではないかな」
「えっ」
「その神が推奨している人間像に、その教徒達は近づこうとしておるのだろう。彼らが崇めている、そうであるだろうと伝えられ認識された神は、人間がそうすることを望んでいるのだと考えられているのだろうし。であれば、同じことだ」
「もし、そうであっても、それは、わたくしのような、思慮が浅く見識が狭い人間が思い描く、こうであるべきだという型とは違うのだと思いますもの」
「同じだよ。行為としてはな」
論点がずれているように思うけれど、サラディンの言葉の意味はアイーシャには伝わった。
「それに、アイーシャは思慮が浅いわけではない。経験が不足しているだけだ。しかし、この場合の不足は年齢相応に対する不足ではなく、今、そなたが考えようとしている事柄に対しての、不足なのだろうと思う」
「わたくしが考えようとしている」
驚いてアイーシャは声を荒立てた。が、サラディンは変わらず穏やかで、ちらりとアイーシャを見てからまた前を向く。
「人が、今、持ち合わせている性質のままで、幸せになれるのかと。人間の本質はそうそう簡単に変わるものではない。そして、幸せも測れるものでもない。それでも、人は考えるものだ。そなたが言うように枠にはめようとしながらな」
「経験をこの先つめば、その問いに対する答えは出るのですか」
「まさか。出るはずがない。けれど、考えるということは悪いことではないと思う。考えすぎることは、あまりよくないことが多いのだが」
「では、何のための経験ですか」
「ほどよく考えるための、経験といったところかな」
彼のその曖昧な答えに多少アイーシャはがっかりした様子で、それ以上サラディンに問い掛けることを止めた。サラディンの方も、アイーシャのその様子を見てどうこう追求をするわけでもない。
それから12,3歩の間二人は黙っていたが、まるで念押しのようにサラディンはもう一度、同じような言葉を繰り返した。
「その人間にとっての幸せは他人が測れるものでもない」
「ええ」
「他人は測れないが、他人の存在が関与することもある。だが、ひとつだけ確かなことは、自らがあってこその他人であり、まず他人が先にあっての幸せなぞ、それこそ自己満足に過ぎない。大儀を成す人間は概してそういうものだが、本当はその大儀を果たすことは、その人間の一生の幸せとはかけ離れているように思える」
そうなのだろうか?
アイーシャは足を止めた。
それに気付いて、サラディンもまた。
「どうした」
「わたくし、実はリリーさんのお話をしていたのですけれど」
「そうだな」
実はも何も、アイーシャは自分から「リリーさんが」と口に出している。が、色々な物思いの中で、自らそう言ったことを忘れてしまっていたのだろう。サラディンはただ頷くだけだ。
「サラディンさんがおっしゃっていることは、まるで・・・」
「何かな」
「リリーさんではなく、シエラさんのことのようにも聞こえます」
「そうだろう。あの二人は、似ているから」
そうなのだろうか。アイーシャは困惑の表情でサラディンを見た。サラディンはアイーシャの手からロバの手綱を奪い、彼女の前を通り過ぎるように先に歩き出す。
「不幸だと思わなければ、なんでも幸せだ。彼女達はそれを知っているから、自分達が不幸だとは思ってもいないし、どうすれば幸せになるかなんて考えもしやしない。第一、どうすれば幸せになれるか、なんて考えることの方がおかしい」
どうすれば幸せになれるか。
アイーシャはサラディンの言葉にうまく相槌を打つこともままならず、唇を引き結んだ。
あの人はどうすれば幸せになれるのだろう。
不思議とそんな思いが自分の中にあることに、サラディンの言葉でアイーシャは気付いた。
人の幸せ不幸せを判断することなぞ出来るわけがないと重々わかっている。しかしそれは、アイーシャの目から見てリリーが幸せではないように見えているということの現れだ。
自分のおこがましさよりも何よりも、そう感じさせてしまうあの美しい女性のことを考えて、アイーシャはうなだれた。
他の誰かと何が違うのだろう。あの女性は。

ごつごつした岩肌をものともせず、ケルベロス達はゆっくりと、しかし、決して恐れずに、主であるギルバルトの歩調に合わせて歩いている。人の足で無理な場所はギルバルドもケルベロスに乗るのだが、基本的に彼は、魔獣をただの運搬役と扱いたくないため、自分の足で動ける範囲は最善を尽くす。そんな彼の姿勢が好きで、シエラもいつも真似をしようとするけれど、岩場ではさすがにギルバルドよりも早く限界に達することが多い。
若さも体力も負けていないのに、と、人が聞けば「なんと失礼なことを」と言われそうな負け惜しみを言えば、ギルバルドは笑って「泳ぎはシエラの方がうまいだろうし」とあっさりと受け流す。
あんなに朝は天気がよくて、風は気持ちがよかったのに。
明日あたりから数日、天気は不安定で予測しづらい、とギルバルドは言っていた。本当、当たっている。
そんなことを思いながら、ケルベロスの背に乗っているシエラは、彼女のちょっと先をもう一体のケルベロスと共に歩いているギルバルドの背中を見つめた。
年を取っても戦の前線に現役でいる人間は、こんな筋肉の形になるのか、と剥き出しになっている彼の腕を見て思う。
魔獣使いであるギルバルドは、上半身には薄い布服の上に軽い皮のチュニックをはおり、腕を出している。下半身は薄手の布の茶色のパンツを、なめし皮のブーツの中に入れただけの軽装だ。彼はゼノビアでは多少の有名人だから、いかにも「魔獣使い」という恰好でいることがここでは好ましくない。山岳地帯を抜ければ帽子をかぶり、途中でケルベロスを待たせることになるのだろう、とシエラは予測していた。
彼はシエラの2周りも年上で、包容力もある「大人」だと思う。
シエラが思うに、彼は良識も常識もある大人だ。大人の道理も分別もあるかと思えば、子供のように頑なで譲れないと言い張る部分も失ってはいない。その両方を併せ持つ彼だからこそ、今、自分とここにいるのだと思う。
新生ゼテギネア帝国と戦って、シエラが勝者となったあの戦いの後、シエラと共に旅立った人間は、誰も彼も、彼女に対する厚い忠誠を誓っていた。そんなものは別にいい、とシエラは思うが、何をどう彼女が言ったところで彼らの意志は曲がらなかったし、客観的に見ようとすれば、確かにシエラは誰に対しても命の恩人で、生きる場所を提供した人物だ。
それでも、ギルバルド以外の誰とでも、時折息がつまる、と思える。
暗黒魔法を使うシエラのひけめに彼は何も触れることがないし、面倒な色恋の感情もあろうはずもなく、何よりもそのひととなりが好ましいと思う。
魔道のことはわからないしわかりたくもないものだ、なんて言うギルバルドの健全さがシエラにはありがたい。
ゼノビアに共に赴く相手がギルバルドでよかった、と心から思う。
「ちょっと、休憩するか」
振り向いてギルバルドが声をかけてくる。
「どっちでもいいわよ!」
「ああ、すまんすまん、違う、俺が休憩したいのだ」
「じゃ、そうしましょ。ギル、歩いてるんだもん、当然だ」
大きくて比較的平たい岩の上でギルバルドは腰をおろし、ケルベロス達になにやら合図を送った。シエラはケルベロスの背から降りて、その場で伸びをする。
ちょっと曇りがちな空。雨にならないかとそれだけが心配で気が急いたが、ギルバルドが休憩をするのならば、まだ雨にはならないのだろう、と思う。
魔法を行使する人間は外気の変化にも敏感だ。
シエラは自分もかなり天気については先を見おおせると思っていたけれど、ギルバルドにはかなわない。
「なんだかんだかなり歩いたものね」
「そうだな。シエラといると、自分のペースで動けるものだから、ついつい先へ先へと進んでしまうな」
「褒め言葉なのかどうなのか。あの子達にのっかってるだけなのに」
「やはり、ご老体や女性がいるとなるとな」
それが、サラディンやアイーシャのことを言っているのだとシエラにはわかる。わからないほうがおかしい。
特に何も答えないでいると、ギルバルドがはっと慌てたように
「ああ、シエラが女性らしくないとかそういう意味ではないぞ」
「知ってるってば」
「知ってるとは思うが、礼儀として」
そう言ってギルバルドはわざとらしく肩をすくめた。
「まあ、出来るだけ早くゼノビアについて、出来るだけ早く用事を済ませて戻らないと、リリーが何をしでかすかわからんからな」
「あらあら、ギルまでそんなことを言う」
「間違っていないだろう」
「・・・そうね、ほんと、困った子」
その言葉に愛情が含まれていることをわからないギルバルドではない。
あの戦いの中、シエラの側にリリーがいなければ、シエラ自身ほとほとまいっていたに違いない。
誰もが思う以上に、反乱軍のリーダーとして活躍していた期間、シエラが課されていた重責は大きすぎた。
あれだけの数の兵士達から、唯一の人間として崇めたてられることなぞ、自分はまっぴらごめんだとギルバルドは思う。
トリスタン皇子が軍に加わってからというもの、シエラは非常に難しい立場になったけれど、それでも最後まで毅然とした態度は失わず、取り乱した風もなく淡々と仕事をこなしていた。心中穏やかではないことが多かっただろうに。
それを支えていた−と支えた当の本人は思っているのかどうか−のはリリーだとギルバルドは知っている。
シエラはリリーを側に置いておきたくて、リリーにプリンセスの能力を与えた。(まあ、実際に素質はあったわけだが)そして、そうすることで自分がリリーに対して果たすべき責任を更に負ってしまった。
誰からもリリーがプリンセスになったことを非難させないように、そして、誰もが納得いくような、かつ確実に勝つ進軍を。
ゼノビアの皇子がいるとか、シエラを慕う兵士達がいるとか、そんなことの何倍も、シエラを踏ん張らせた一つの要因なのだ。
その責任はとても愛しい。
ギルバルドには理解を超える愛情は、どんな風にリリーに伝わっているかはわからないが。
「わかっていると思うが・・・ゼノビアで下手なことをするなよ」
「うん、わかっているよ」
「シエラは、俺やデボネアのためには大人しくなってくれないが、リリーのためなら大人しくなるからなぁ」
そういってギルバルドは小さく笑った。
「だって、怖いもの」
「ああ、怖いな」
二人が口に出す「怖い」は、リリーがシエラを怒るから、とか、そんなレベルの意味合いではない。
あの戦いを終えてからの宴で、ゼノビアという国のために聖騎士ランスロットはシエラを殺めようとした。
他者がシエラを手にかけようなどということは、決してリリーが許すわけがない。
それでも、その可能性があると知っていてもリリーはシエラを止めなかった。
それは、相手がランスロットだったからだ。
リリーはどれほどシエラを慕っていても、ランスロットのことに関してはリリーを立ち入らせたくない、というシエラが引いた一線だけは必死に越えないようにと努力をしている。それは、今でも。
リリーからの最大限の愛情がそれだということは、シエラもよくわかっていて、それゆえのわがままを通させてもらっていた。
が、リリーが仕入れてきて「しまった」情報通り、もしもランスロット・ハミルトンが既にこの世に、既にゼノビアにいないとしたら。
それでも、まだトリスタン皇子−現ゼノビア国王だが−がシエラの存在に危惧して彼女を排除しようと試みたら。
それが「ゼノビアで下手なことをするな」の意味だ。
下手なことをした結果で最も恐ろしいことは、あの当時に一命をとりとめたシエラがこんな形でゼノビアに戻って、そして命を落とすようなことになったら、ということだ。
今度は、リリーは容赦しないだろう。
リリーが踏みとどまる原因になっていたランスロットも既におらず、そしてシエラを失ってしまったとしたら、彼女が何をするかはわからない。
「ランスロットが守った国に手を出すな」とシエラが言ったとしても、それを守りながら生きていくような女ではない。どれほどシエラに忠誠を誓っているとしても、リリーの中で「それとこれは別」と判断されることであると容易に想像がつく。
あの戦で、リリーが築き上げた死体の数は計り知れない。
リリーの方から事を仕掛け出せば、リリー一人を仕留める前に多大な犠牲者が出るに違いないのだ。
「だから、大丈夫よ。ありがたいよね、リリーがいるおかげで、色々歯止めがきいて」
「リリーがいなくても歯止めがきくほうがありがたいんだが」
「ごめんなさい。あなた達を軽んじているわけじゃないの」
「わかっている。人には人に譲れることと譲れないことがある。俺達に対して譲れないことでも、リリーの前では譲らざるを得ないから、仕方がない。大した威力だ。しかも本人は、自分がどれだけシエラを助けているのか自覚がないときている」
「ギルもそう思う?」
「ああ、そう思う」
シエラは、何度も切ろうと思いつつ切れなかった長い髪を結びなおした。
自分で編めるのに、リリーがわがままを言って時々編んだり結ったりする髪。
それを触っている時のシエラを、ギルバルドは漠然と「いい」と思うことがある。それは間違いなく、何歳になっても男性が感じる、女性への憧れの念に似ている。
結ばずにほどいて自然のままにしておけば素朴な女性らしいし、高い位置で一つに結い上げれば、綺麗な輪郭が剥き出しになってはっきりとした顔立ちが目立って可愛らしいとギルバルドは思う。そして、細い指先で髪を束ねるその動きはなにやら女くさいと思う。
しかし、その風貌、仕草からは誰も想像出来ない話を、自分達はしている。
まったく、色気も何もないものだな、とギルバルドは苦笑をした。女と女の友情について語らなければいけないなぞ。
「信じて欲しいのにね。十分過ぎるほど、役立っているって」
「そうだな」
「どうしたら、満足させることが出来るのかしら。納得してもらえるんだろうか」
「大変なことだ。シエラは、嫁に行くより嫁を貰うほうが簡単らしい」
「まったくだ」
それは大層失礼な言い草ではあったけれど、肩をすくめておどけた表情でシエラは言葉を返した。
「いっそのこと、ギルバルドに嫁げればいーんだけど」
「ははは。御免だな。命がいくつあっても足りない」
「ふふ、ほんとね・・・冗談にもほどがある・・・わたし、一生、誰の女にもならないわ」
その言葉があまりにもあっさりと、けれども、冗談ではない響きを伴っていることに気づいてギルバルドは眉根を寄せた。
「シエラ。俺の失礼さが気に触ったか」
「まさか。ギルが言うことが、わたしの気に触るわけない」
「そんな信頼されても」
まったく、シエラの発言にいちいち反応するのも忙しい。ギルバルドは驚いた顔で口をぽかんと開けた。それを見てシエラは「ははは」と声をたてて笑った。
「でも、本当。ギルバルドのこと、好きになればよかった。カノープスでもよかった。わたし、二人のこと本当に好きなの」
「・・・」
「ギルバルドが今だってユーリアさんのこと好きでも、カノープスがこの先可愛い人と恋に落ちたって、それでもいい。そうすれば、よかったのに」
「お前の方が失礼だな」
ギルバルドは立ち上がってのびをした。シエラを責めたりはしない。
「そんなことになっていたら、きっとゼノビアは取り戻せなかった」
「そうね」
「・・・デボネアでは駄目なのか」
「・・・そろそろ、行かない?休憩、あなたにしては長すぎるんじゃないの?」
同じくシエラも立ち上がってのびをした。ケルベロス達もその様子に気付き、シエラを乗せようと近付いてくる。
「ハイモス、リュンコス、よろしくね」
軽くケルベロスに声をかけて、シエラはハイモスの背に乗った。それを確認してからギルバルドはまた先頭に立って歩きだす。
先ほどと同じようにシエラはギルバルドの背をみつめた。
あんなにあっさりと告白を出来るのは、既に気心が知れた仲だからとわかっている。
自分とギルバルドの関係はこれ以上動かないだろうし、それをお互い特に望んではいない。負担に感じることが少ない間柄だ。
もしもこの先何かがあって、ギルバルドと道を違えることになっても笑って別れることが出来るだろう。離れ離れになっても互いの信頼関係は続くのだと思えていた。
けれども。
(リリーと離れる日が来たら)
笑って別れることが出来るのだろうか。
信頼関係は続くのだろうか。
そんなことすらわからない、自分達の危うい関係にシエラは気づいている。
リリーは「捨てないで」とシエラに言う。それをいつだってシエラは叱り付ける。拾った覚えなんてないといえばリリーは反発するし、シエラがなだめようとしても言うことを聞かなくなる。
どうやってわからせてあげればいいのか、シエラは時々途方にくれる。本当はリリーがいてくれるお陰で、自分は今こうやって生きているというのに。
リリーがいなければ、きっとあの日あの場で自分はランスロットの手にかかって命を失っていただろうし、それ以前に反乱軍はもっと戦で被害を受け、もっと多くの死者を出して、シエラを恨む人間も多かったに違いないのだ。他の誰を選んでも、あれほど躊躇なく帝国軍をねじ伏せるように力を使えなかったはずだ。
助けられているのはリリーではない。自分だ。
ゼノビアにリリーを共に連れて行くことは不安だったけれど、こうやって離れていることも不安なのは、リリー自身を心配しているからだけではない。リリーが傍にいない自分自身に信頼がおけないのだ。
(本当に、わたしは馬鹿だな)
命をかけてまでも愛していた、と断言出来る男がいなくてもこうやって生きているのに、リリーがいなければ生きていくことが難しいなんて。

「言わなきゃよかった」
「また、その話か。何度も何度も同じことを言うなんて、めずらしいな」
「・・・」
デボネアはパンをちぎる手を止めて、呆れたようにリリーを見た。
宿屋で食事の手を休めてリリーはぼんやりとしている。
食事を出してくれるこの便利な宿屋は、リリーがふらふら出歩く必要がないため監視にはありがたかった。
シエラ達を見送ってからこの2日、リリーがその呟きをデボネアに漏らすのは4度目にもなった。
シエラが戻るのは2日や3日後ではない。もっともっと日数がかかる。
デボネアは話がわからない男ではないが、かといって何に対しても寛容な人間というわけではない。女の愚痴にいつまでも付き合っていることは、彼には相当な忍耐を要したし、しかも、それがいつも手を焼いているリリーであればなおさらだ。
繰り返される後悔はうざったいだけだし、せめてそれが「聞いてもらえればそれで気が済むの」という種類の愚痴ならば多少は付き合っても良いと思える。が、リリーが繰り返す後悔の言葉は、よくわからない何かに、彼女本人もわからない助け舟を出して欲しくて発されているように感じていた。
デボネアはリリーを助けることは出来ないし、彼女の後悔に対して「大丈夫だ」とも言えない。
はじめ、デボネアはリリーの愚痴が「シエラに何かあったら」という心配なのだと思い込んでいた。しかし、繰り返す後悔の言葉を何度か追及した結果、リリーの後悔の方向が、どうも自分が想像していたものとは違うということに彼は薄々気づき始めた。
シエラがランスロットとウォーレンの死の真相を確認に向かったゼノビアは、彼女を排除しようと剣を向けた裏切りの国だ。
彼女が最も愛してやまないあの聖騎士に、彼女に対して剣を抜かせた非情な国。
一国に英雄は1人だけでいい。それは、デボネアもシエラもわかっていたことだった。そして、トリスタン王も。
野放しにしては困るほどシエラは大きな才能をもっていたし、野放しにしてやろうと温情をかけるほど、シエラが彼に忠誠を示すこともありはしなかった。
それはそうだ。彼女は反乱軍リーダーではあったけれど、ゼノビア国民でもゼノビアの騎士でもなかったのだし、当然の結果だろう。
そして、ゼノビアは彼らの運命を大きく変える忌々しい場所となった。
その地に再びシエラが踏み入れること自体、あまりにも危険な行為だ。そして、それはリリーには許せないことでもあった。
何が許せないのか。
危険だからか?
いいや、そうではない。それだけではないのだ。
「あたしだったら、絶対絶対自分を裏切った国になんて、二度と足を踏み入れない」
「そうか」
「全員、ぶっとばしてやるわ。自分を裏切った人間を、王様とかいって崇めているやつらも、みんな」
国を治める人間は、時として国のために非情にならざるを得ないのだ。
そうリリーに言うことはあまりにも無意味なことだとデボネアは知っていた。
民に罪はない、という言葉も、リリーの前では無力で空回りするしかない、ありきたりの戯言となる。
「しかし、裏切られたのはシエラだし、今、ゼノビアに行こうとしているのもシエラの意志だ」
デボネアはそう言ってからスープをすすった。
「そんなことはわかっているわよ!」
「だから、我々は彼女を信じて待つしかない」
「だから、後悔してるんじゃない」
「スープが冷める。早く食べるといい」
「保護者ぶらないでよ、猫舌なんだからこれくらいがちょうどいいのよ」
最後の言葉があまりに彼女のそれまでの剣幕とかけ離れていたため、デボネアは小さく噴出した。リリーはそれをぎろりと恐ろしい形相で睨んで、それでも何も言わずにスープをすすり出す。
確かにデボネアが言うとおり、リリーがごたくを並べている間にスープはすっかり冷めてしまっていた。湯気のひとつも出てはいない。
かちゃん。
リリーはかスプーンを無造作に置いて、象牙色の陶器を両手で掴んで口元にもっていき、一気にスープを飲み干した。その無作法さにデボネアは目を丸くして、閉口する。
野菜を煮込みすぎてどろどろしただけのスープを全て腹に収めて、リリーは席を立った。
「ごちそーさん」
その美貌からは想像もつかないほどぞんざいに言い放つと、彼女はデボネアを残して宿屋からするりと出て行った。
リリーは何を慌てているのか、何を考え込んでいたのか、こういう村や町を歩く時に必ず身につけているフードつきのマントを、椅子の背もたれにかけたままだということにデボネアは気づいた。
「やれやれ・・・」
まったく、あのプリンセスの扱いは難しい。第一、宿屋から出ていってどこにいくというのか・・・。
そう思った瞬間。
何か、嫌な予感がする。
デボネアは急いで自分の食事を終えて、彼にしてはめずらしく大きな音をたてて席を立った。武器の所在、荷物の所在を手早く確認した。それから、彼女がおいていったマントを慌てて丸めて小脇に抱え、彼は彼女を追って宿屋から出た。
「リリー!」
案の定、リリーは既に彼の視界にはみつからない。
宿屋の前で叫んでも、返事があるわけがなかった。
あれほどに目立つ美女だ。誰かに聞けば、絶対にすぐにどちらに向かっていったのかは教えてもらえるはずだ。しかし、なんというタイミングの悪さか、道には人っ子1人いない。
デボネアはわずかに考えた。考えて、リリーが向かった方角は一択しかないと思い、走り出した。
まったく、手間がかかる女だ。
そう思うけれど、彼はリリーのことを嫌っているわけではない。
人間が持つ情熱とやらは、様様な方向に向いている。リリーの方向は、デボネアにとっては理解しきれないものだった。
唯一の人、物を崇める者達は世の中には山ほどいる。自分が帝国の騎士だった頃だって、その忠誠と情熱は永遠に続くだろうと自分でも思っていたわけだし。
しかし、リリーの「それ」は明らかに異質で、過剰なものだと思える。
(あんな、何ももたないまま)
デボネアはリリーの行き先を知っていた。
行き先は、ゼノビアだ。
何の旅支度もない、完全に手荷物が何もない状態でも、あの女ならば当たり前のように行くに決まっている。
だって、彼女は後悔していると言っていたし、そう思ってまでもまだ我慢ができるような女ではないのだから。
「・・・リリー!」
どれほど走ったか。
デボネアは息を切らすほどに走って、ようやく前方にリリーの姿を見つけた。彼の声を聞きつけて、リリーは足を止め、彼が走り寄るまでじっとその場から動かずに待っていた。
もうすぐ村から抜けて、ゼノビアへの街道に出る付近だ。
多くの商人達が荷を確認して、ゼノビアへと出発しようとしている姿があちこちで見られる。この村は、彼らのほんの一泊の憩いの場になるだけの小さな場所なのだ。
デボネアはやっとリリーの傍に辿り着いた。大方、周りの人間は「痴話喧嘩か」とでも思っているに違いない。それは、彼にとっても彼女にとっても不本意極まりないことだ。
「何よ、追いかけてきたの?」
「・・・君は・・・なんて、すばしこいんだ・・・」
「あんた、知らなかったの?多分あたしは反乱軍の中でも、足が速い方だったわよ」
「そう、なのか」
「小さい頃から、山ほど盗みをしては逃げていたからね」
さらっとリリーは言う。そこは笑っていいところかどうなのか、デボネアには判断が出来なかった。
「ゼノビアに・・・行くつもりだろう・・・」
「そーよ」
「駄目だ・・・待つんだ」
「嫌」
きっぱりとリリーは言い放った。
「あの時もそうだったわ」
「・・・?」
「シエラは、わかっていたんだもの。あの男が自分を斬りに来るって」
彼女の声音は荒く、忌々しげに顔が歪められる。普通の女性であれば「あら、こんな顔を見せるなんて」と慌てたり恥らったりするほどの形相だ。残念ながらデボネアは彼女のそんな表情には慣れっこだったし、彼女もまたそれくらいわかっていて隠しもせずに見せているのだ。
デボネアはようやく会話も切れ切れにならずに出来るほどに少しずつ呼吸が整ってきた。
「あの、宴の時の」
「そうよ。あの時も、シエラは手を出すなってあたしに言ってた。だから、あの男とシエラがあの場からいなくなったって、あたしは何も言わずに、誰もそれを気づかないように祈るだけだったわ」
リリーは眉根を寄せたまま続けた。
「でも、あたしはあたしの判断で、シエラとあの男の2人を助けに行った。それは、間違いじゃなかったと今でも思ってる」
「リリー」
「あたし、多分、間違っていないわ。あたしはシエラと一緒にゼノビアに行ったらシエラの足をひっぱるから、絶対一緒に行くわけにはいかなかった。だから我慢した。でも、絶対あたしがいてよかった、ってことになると思うの。そういうことが起きそうで、だから後悔してるんだもの」
「それは、君の勘か」
「そうよ」
デボネアは、しばらくの間リリーを見つめた。
「プリンセスに予知能力があるとは知らないが」
「何それ。そんなもん、ないわ」
「しかし」
「全部言わせないでよ。本当にあんたって、無粋な男ね。あのむかつく聖騎士と、そう、大差ないわよ」
リリーは吐き捨てるように言った。
「そうやって、シエラにとってあたしが必要なときにあたしがちゃんといなかったら、どうなると思うのよ」
それは逆に。
シエラにとって不必要なときにリリーがいては、どうなると思うんだ。
その呟きはデボネアの声にならずに飲み込まれる。
そんなことはリリーにもわかっているのだ。だから、シエラをゼノビアに行かせた。自分はここで待つ、と約束をして。
「あんたは騎士やらなにやらの道理とかで、主のシエラに言われたことは、どんなに納得がいかなくても守るんでしょう?あたしは騎士じゃないから、いくらシエラが言ったからっていい子にしていられないわ。だって、そうしたほうがいいって思うんだもの」
「・・・俺は、君のことを頼むといわれただけだ」
「あっそ」
「何ももたずに、ゼノビアに行けると思うのか」
「なんとかなる。あんたと違って、宿無しで生きていた時間は長いもんでね」
「しかし」
「いざとなりゃー体売ってでもなんでも出来るわ・・・お説教はもうたくさん。どいつもこいつも。アイーシャやサラディンのことは嫌いじゃあないけど、知りゃあしないのよ、そうやって生きてきた人間のことなんて。もちろん、あんたもね。当然あたしはあんた達みたいな生き方は知らないんだし」
リリーは一気にまくしたてた。
デボネアは、彼自身はそうとは気づいていなかったけれども、憐れみを含んだ視線で彼女を見据えていた。
彼は、彼女がまくしたてた内容については、耳から入って逆の耳から抜けるほどどうでもいいと思っていた。
ただ、その言葉を聞いている最中に、先ほどの彼女の言葉の意味がようやくわかってしまったのだ。

シエラにとってあたしが必要なときにあたしがちゃんといなかったら、どうなると思うのよ

どうなると思うか?そんなことは、決まっている。どうにもなりやしない。ただ、シエラが困る。そして、力になれなかったことを知ればリリーが悲しむ。それだけだ。
しかし、リリー本人はそう思っていないのだろう。
ついでを言えば、体を売ってまでも自分のもとにリリーが来ると知ればシエラが悲しむということすら彼女はわかっていないのだ。
デボネアは知らずのうちに、まるでまっすぐ顔を向けていることが辛いように、軽く首を傾げてリリーに聞いた。
「リリー、怖いのか」
「何が」
「シエラが、自分から離れていったらと思うと」
「・・・ほんと、あんたはろくでもないこと言うわね。腹立つったら」
「シエラは、君が納得するほどに君が役立たなくたって、何も、君のことを・・・」
「うるさい!」
リリーは癇癪をおこしたように叫んだ。
その声に驚いて、周囲にいた商人や村から出て行く人間を見送りに来た人々が一斉に2人の方を向く。
「リリー」
声が大きすぎるぞ。
小声でそうたしなめようとデボネアが硬い表情で名を呼ぶと、リリーは背を向けてすたすたと街道に向かって歩き出した。
デボネアは肩をすくめて深い息をついて彼女の後を歩いていく。
「リリー」
10歩ほど歩いてから、今度は先ほどよりもわずかに柔らかい声でデボネアはリリーの名を呼んだ。リリーは立ち止まらずに、デボネアにようやく聞こえる程度の声で言葉を返す。
「しょうがないじゃない。あたし、馬鹿なんだもん」
リリーのその言葉に、あえて返事は何もしたくない、とデボネアは思った。
「・・・君は、目立ちすぎる。とりあえず、マントだけでも身につけた方がいい。持ってきたから」
「・・・そうね」
「リリー」
「・・・何よ。何度も何度も呼ばないでよ。なんであんたまでシエラみたいに、困ったように呼ぶの」
「困っているからだ」
「あら、そうなの」
マントを身につけることに賛同したはずのリリーは、そのまま振り返りもせず歩き続け、街道へ出た。
道は遠くまで何もなく開けており、とても平坦で思いのほか整備されていた。けれど、その両側には木々がぽつぽつと立ち並び、もとは森や林だったのではないかと名残を見せている。シエラ達反乱軍がこの大陸を帝国から取り戻す前に、この道はあったのだろうか?それすら彼らは知らない。
その木々の合間にリリーは歩いていった。
仕方がない、とデボネアは彼女の気まぐれに付き合うように後を追う。
「早くマント、貸して頂戴!」
「あ、ああ」
背を向けたままリリーはデボネアに腕を伸ばした。しようがない駄々っ子だ、と思いつつもデボネアはその手に丸めたマントを渡す。
「何よこれ、ぐちゃぐちゃじゃない。こんなに丸めないでよ」
「・・・まったく、君は・・・」
誰のせいだ、とたしなめようとして、デボネアははっとあることに気づいた。
「リリー」
「何よ」
泣いているのか。
今度はその言葉を飲み込む。
背を向けてマントを羽織、フードを被って調えるリリーの表情はまったく見えない。自分の問いに対して自分の目で確認をすることは出来ないけれど、かといって彼女に聞くことは酷にも思えた。
「・・・あんたこそ、荷物は持ってきてるの?」
ようやくリリーは振り返ってデボネアに聞いた。まったく、大層身勝手なことこの上ない。が、彼女はデボネアの想像のように泣いてはいなかったし、いつも通りの振る舞いをする。
「ああ。大丈夫だ。さほどの荷物はもっていない。君こそ」
「言ったでしょ。どーにかなるって」
そもそも彼らはゼノビアから出立して以来、宿屋の部屋に自分達の荷物をすべて置きっぱなしにするような、そんな呆けたことを一度たりとしたことはない。いつ、誰に何があっても。追っ手が来ても。どんなときでもすぐに対応出来るように必要最小限のものを持ち歩いているのだ。
それでも、いつも手ぶらで歩いていても、いざ町を出る、村を出る、となればリリーは現地調達した食料やら衣料やらを持って出ることが常だったから、まったく荷物がない状態は通常ありえなかった。けれど、それでも別に構わない、とこの女性は言うのだ。
彼女にとっては何もかもが二の次で、きっと、美貌からは想像出来ないほどたやすく「食べ物がないなら、雑草でも食べていればいい」なんてことを口にするのに違いない。そして、「寒ければ自力で火もつけられる」とも。
(そこまで、ありとあらゆる面で自立できるはずなのに、この子は)
それでも、自分が役に立たずにシエラに捨てられたら、という恐れを抱かなければいけないのか。
「君とシエラは似ているけれど、違うな」
ぽそりとデボネアが呟いた言葉を、リリーは聞いていなかった。いや、聞こえないふりをしたのかもしれない。
あの人がいるから。あの人がそう望むから。あの人の役に立ちたいから。
言葉にすることがあまりなかったシエラのその望みをデボネアは嫌というほど知っていたし、そしてまた、シエラのその気持ちに苛立っていたリリーはもっともっと知っていた。
そして、それはそのままそっくり、リリーのシエラへの感情と同じものではないかとデボネアは思う。
シエラは、それが彼の望みと信じて、自分が彼に出来る最後のことと信じて、自らの命をあの聖騎士に預けようとした。
けれど、リリーには、そんなことは出来ない。
もっともっと。
わたしは、あなたに何をしてあげられるの。わたしは、あなたの役に立ちたいの。お願い。なんでもさせて頂戴。
いつでも喉が渇いたように飢えて、そして、リリーは歩いていくのだろう。
シエラはあの聖騎士の要望を満たすように、ただそれだけを思って剣を振るっていたけれど。
リリーは、自分のために、シエラの要望を満たしていくのだろう。
なんというだろう。
それがどれほど利己的であるのか、彼女は知っているのだろうか。いや、彼女が自分で言うほど彼女は阿呆ではない。知っているに決まっている。
たとえ、目の前でシエラが命を失ったとしても、彼女はありとあらゆる手段を使ってシエラを生き返らせるのだろう。それが暗黒の力を用いたものであろうと。
そして、恐ろしいほどに妖艶な笑みで言うのだ。


あたしは何をすればいいの?なんでも言って頂戴。

「リリー」
「何よ」
「約束してくれ」
「何を」
「君の身勝手で、シエラを傷つけないと」
リリーは振り返り、静かだけれどとても厳しい声で言った。
「あんたは、それを約束できるの?」
デボネアは足を止めてリリーを見つめ、言葉を失う。
まっすぐに彼を見上げる、フードをかぶっても隠し切れない強い視線。
そこから感じるのは、デボネアの何倍も何十倍も、シエラを思って傷つき続けてきた女性の有無を言わせぬ強い意志だ。
「そうであろうと努力をする」
「あたしだって努力しているわ。でも、あんたとあたしでは、違う」
「何が」
「誰が何をすることが、シエラにとっての傷になるのか、あんたとあたしでは思うことが違う。あんたは男で、あたしは女だから」
そう吐き捨てるように言って、リリーは再び歩き始めた。
2人の脇を、がらがらと商人の幌馬車が通り、埃を巻き上げた。空を飛ぶ魔獣や、荷運びに役立つヘルハウンドを調教できない商人達は、高い金を払っておんぼろな幌馬車を手に入れる。彼らの前にも後ろにもあちこちにゼノビアに向かう商隊の姿があり、リリーが「あんたがいなけりゃあたし1人なら乗っけていってもらえるのに」と舌打ちをした。
それへの返事はデボネアにはない。彼は、目に入った埃をとるために何度も何度も瞬きをしつつ、まだ先ほどのリリーの言葉を反芻していた。
なんという偏った聡さなのか、とデボネアは嘆息し、そして。
どうすれば、このプリンセスが、傷つかなくて済むのだろうかと、何度も何度も繰り返し考えて。
助けを請いたいとイメージしたときに彼の脳裏に現れるのはやはりシエラの姿だ。
そのことに心底落胆して、デボネアは少し薄い、形の良い唇を噛んだ。


Fin
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モドル