お別れの言葉

「あなたを許します」
許すですって? この男を? 
「あなたを許します」
許せるはずがない。
暗黒道に堕ち、殺戮を繰り返し、母を殺した……このオウガを。
許せるはずがない。
この手で殺してやりたいとずっと思っていた。
わたしが解放軍に加わったのは、まさにその為だったのだ。
「あなたを許します」
わたしから母を奪い、慈愛の信仰をねじ曲げたこの男を許せるはずがない。
それなら……何故わたしは泣いているのだろう。
何故この男の頭を抱きかかえながら、壊れた人形のように同じ言葉を繰り返しているのだろう。
泣きじゃくるこの男を慰めようとしているのだろう。
この男の哀れな魂を救おうと、必死になっているのだろう。
「あなたを……許します」
わたしも泣いていた。
「すまない、アイーシャ。すまない、すまない……」
わたしは彼の額に唇を寄せた。
「泣かないで、ガレス」
気付いていた。
愛おしいと感じた瞬間に、この人を愛した瞬間に、憎しみは溶けて消えてしまっていたことを。



ゼテギネア攻略の包囲作戦でわたしがミカエラ様に命じられたのは、北北東の山岳方面からの奇襲だった。
ゼテギネアはハイランド最後の砦。ハイランドの民にとって、わたしたちは自国の秩序を乱す侵略者でしかない。ザナドゥ解放後ハイランドの民も解放軍の志を支持し始めるようになったとはいえ、やはりわたしたちが都市を訪れるのは民衆感情を刺激するのではないかとミカエラ様はお考えになり、それらは引き続きデボネア将軍やノルン様、ラウニィー様に任された。
雪中での行軍に強いわたしの部隊がこのルートを任されたのは至極当然だろう。副官はデスバハムートを従える魔獣使いで、他にもプラチナドラゴンやフィボルグなど寒冷地に適応した魔獣が多く含まれている。
本拠地から一度東に向かい、そこから一気に北上する。特に町もなく、行軍は順調に進むかのように思われた。
だが純白の世界に、突如敵部隊が現れた。
率いるは、フルフェイスヘルムの隙間から赤く光る目を覗かせ、漆黒の鎧を纏った男。
寒さに凍えた体中の血が一瞬で沸騰するのが分かった。
母の仇。暗黒の騎士。……ガレス。
わたしは最前線でガレスを追い続けた。暗黒の騎士である彼の唯一の弱点は、わたしが行使する神聖魔法。
だから、全ての力を振り絞ってガレスに放ち続けた。味方が傷ついているのに回復魔法を欠けるのも忘れ、彼らが次々に雪に埋もれていくのも見えず、いつしか一人でガレスを追い続けているのにも気付かす。
力尽き、膝が崩れ、吸い込まれるように白い大地に横たわった。



目が覚めたとき、わたしは暖炉の側で横たわっていた。
毛布とマントにくるまれていて、暖かい。指を動かしてみたが凍傷にはなっていないようだった。
部隊はどうなってしまったのだろう。
わたしは唇を噛んだ。
わたしのせいだ。
己の復讐心に駆られて、部下を気遣うのを忘れてしまうだなんて指揮官失格だ。
部下を無事に連れ帰る事、それが指揮官の最も重要な勤めではないか。
こんな女に率いられた為に彼らは大切な命を落としてしまった。
どうやっても償うことなどできない。
「目が覚めたみたいだな」
低い声に驚いて、わたしは飛び起きた。
男は薪を抱えていた。建物の外に出たのか、漆黒の髪には雪が残っている。
わたしを助けてくれたのだろうか。
でもこんな辺境に人が? この辺りにはうち捨てられた教会以外の建物はないはずだ。狩人だとしても、この次期ほとんどの獲物は冬眠しているか温暖な地方に移動している。
わたしはじっと男を観察した。
とても背が高い。多分わたしよりも頭一つ以上大きいだろう。体つきは解放軍でよく見る騎士たちのそれに似ている。色白なのはハイランド人だからだろうか。所作は優雅で、やんごとなき生まれを連想させるが、手は頑健で無骨な戦士そのものだ。
ハイランドの騎士、だろうか。
身体を起こそうとするといくつかの痛みが走った。そっと見てみると薬草を当てて手当がしてある。わたしは小さく癒しの呪文を唱えた。
「……ああ、そうか。君は僧侶だったな」
男の言葉に驚き、詠唱が止まった。
わたしを知っている?
「あなたは……誰ですか?」
わたしは身構えていた。
「オレは……」
男が言うと、デネブさんが以前見せてくれた変化の魔法が解けた時のように姿がぶれた。
「あなた……」
思わず息を飲む。
ぼろぼろの、漆黒の鎧。巨大な戦斧。赤く輝く目。
「ガレス!」
わたしは側にあったメイスを取った。
ガレスはふっと小さく笑うと、わたしに背中を向けて薪をくべ続けた。
「オレを殺すか?」
怒りでどうにかなってしまいそうだった。
無防備な背中にメイスを振り下ろす。簡単な事だ。それで復讐は果たされる。夢にまで見た悲願を達成できる。今のガレスからは邪悪な波動を感じない。疲れているのだろうか。わたしたちの追撃で魔力を使い果たしてしまったのだろうか。
ちょうどいい。
何を迷う必要がある?
わたしはメイスを握りしめるとガレスの側に立った。的を見定め、メイスを振り上げる。
「もう疲れてしまった……」
わたしは動きを止めた。
「君にはオレを殺す権利がある。復讐を遂げろ」
ガレスは顔だけわたしに向け、優しく言った。
青灰色の瞳がわたしを射抜く。
「さあ、早くしろ。オレがオレでいられる時間はそう長くない」
「あなたがあなたでいられる時間……?」
わたしはメイスを下ろした。
「早くしろ」
「聞かせて下さい。どういう意味なんですか」
時間稼ぎには見えなかった。
今のガレスからは暗黒の力を感じない。もしもガレスが暗黒の力を纏っていたら、わたしに宿る魔力はそれを敏感に察知する。わたしを殺す気なら、眠っている間にいつでもできたはずだ。
「……オレは黒騎士のただの核だ。ラシュディの操り人形である黒騎士の核。黒騎士はオレの意志とは関係なしにラシュディが望むように行動し、ラシュディが望むように殺戮を繰り返す。母上と同じように、いや、母上はまだ自分の意識があるようだから母上以上にか、オレはラシュディの駒なのだ」
「ラシュディに利用されているだけ……そう言いたいんですね」
「君の好きに取ってくれてかまわない。元はと言えば、オレに責任がある」
ガレスの口調は投げやりで、自分の全てを放棄しているかのようだった。まるで、立ち枯れた老木のよう。
「オレの姿を見て妙だと思わないか? オレは本来なら四十半ばなのに、ラシュディと契約を結んだ日から全く年を取っていなかった」
今のガレスは二十代後半に見える。ゼノビアでアッシュ将軍に化けてグラン王を殺害したのは二十五年前。確かに、明らかに計算が合わない。
ガレスは自分の手をじっと見た。傷だらけで、繊細な容貌に似合わない無骨な指が微かに震えていた。
「だがな、つい最近から見る見る老いが進むのだ。ラシュディの力に耐えられなくなったのか、捨てられてしまったのか、それともオレの肉体が邪魔になったのか……理由は分からない。ただ、もう長くないだろというのは分かる。オレの肉体は滅び、魂だけが黒騎士を動かすだろう。そうなったら、まさに不死身の黒騎士だ」
ガレスは自嘲気味に笑う。
「これがおそらく最後になるだろう。いや、最後だろう……アイーシャ」
突然名を呼ばれ、わたしは身を竦ませた。
「はい」
かろうじて声を絞り出した。ガレスはわたしが怯えたのを悟ったのか、優しく微笑んだ。
ガレスは火掻き棒を置くとゆっくりわたしに向き直った。そのまま跪き、胸に手を当て頭(こうべ)を垂れる。
「懺悔をしてもいいだろうか?」
あまりにも意外な言葉にわたしは目を丸くした。
どんな悪人にも懺悔する権利はある。でもそれは神を信じているのが前提だ。神の愛を信じ、それによって救われるのを願う人間のする行為だ。神を否定し、暗黒道に堕ちた彼が、何故神の救いを求めるのだろう。
ガレスほど深い闇に堕ちた者が神に許しを請うのは、自分の存在を否定するのと同義だ。魂を破滅させる自殺行為だ。
自分で自分を殺したいの?
わたしが黙っているとガレスはそれを肯定と取ったのか、聖印を切り、祈った。
そして小さな声で紡ぎ始めた。



ガレスには妹がいた。
女帝エンドラの二人目の夫との間に生まれた娘。ガレスの異父妹に当たる。
大人だらけの宮廷の中、頼りになるはずの母は女王としての政務に忙殺され、形だけの父は一年に一度ほどしか姿を見せなかった。そんな中で兄妹は寄り添うようにして暮らした。
妹は幼い頃からひどく病弱だった。年を重ねるに連れ病状は悪化し、ベッドから起きあがれない日々が続いた。
そんな辛い中でも彼女は可憐で明るく、そして信仰深かった。ガレスは妹を溺愛した。彼女をおぶって教会へ行き、共に礼拝した。
ガレスも妹に触発され深く神を信じるようになり、司祭位を賜るまでになった。その頃には外出できなくなっていた妹のために、彼は毎日部屋へ通った。妹は兄を通して神に祈った。
死ぬほどの苦しみを伴う病の中にあっても、彼女は周囲への気配りと愛情を忘れなかった。明るく振る舞い、みなを心配させまいとした。ガレスは祈ることしかできなかった。
そうした日々が続き、ガレスは無垢でいたいけな妹を愛するようになっていた。
それは家族に対するものでなく異性に対するものだった。
ガレスは己の罪深さを悔いた。
だがその背徳を誰にも告げることができなかった。
膨らむ気持ちを隠すために、ガレスの足は妹から遠のいた。
ある日、妹が血を吐いたと知らせがあった。
ガレスが駆けつけた時には、すでに妹は瀕死の床に着いていた。彼女は最後まで兄を一人きりにしてしまうことを嘆き、謝り、そして神に祈った。
彼女は間もなく亡くなった。
ガレスは……慟哭した。
神を疑い、呪った。
何の為の神か。
妹のような罪のない人間をこれほどまでに苦しめて奪うのが神なのか。
神を信じ、祈り続けた人間に対する、これが神の仕業か。
自分が妹を愛したことが罪ならば、それは自分が償わなければならないはずだ。自分に架せられる罰のはずだ。
その時ラシュディがガレスに囁きかけた。
神とやらの本性が見えたか? と。
私の神は、お前を傷つけない。望みを叶える力を授けてくれる。努力に報いるのが、本当の神なのではないか? ……と。
悲嘆に暮れるガレスの心には、ラシュディの甘言をはね除けるだけの力がなかった。



「なんてこと……」
わたしは絶句した。
それほどに無垢な娘だったから神は彼女を召されたのだ。
彼女は神に選ばれたのだ。
そんな言葉が脳裏を過ぎった。
でもそれが何の慰めになるだろう?
それが本当ならば、大神官と崇められた母も、『聖女』と呼ばれるわたしも、とうの昔に天に召されていなければならない。
「アイーシャ」
ガレスはわたしを見つめた。
「オレの懺悔はこれで終わりだ。聞いてくれてありがとう」
彼は許しを求めたりしなかった。
ただ感謝を。
感じたことのない衝動が胸の奥から沸き上がった。
「妹さんの名前は?」
ガレスは目を伏せる。その端から、透明な涙が幾筋も頬を伝った。
「ニナ……」
花の名前だ。
なんて優しい声で呼ぶのだろう。

彼はわたしの母を殺した。
アヴァロンの神官たちを、多くの罪のない人々を殺した。アッシュ将軍を奸計で貶め、輝かしい人生を奪った。たくさんの人々が彼に苦しめられた。
許せない。
でも……。

神よ、何故ですか。
彼は少しの幸せが欲しかっただけではないですか。
何故それを摘み取ってしまわれたのですか。

神は全てを許す存在だから。わたしは神に仕える神官だから。
死に行く彼に、滅び行く彼に、最後の許しを与えてもいいでしょうか? わたしだけでも、彼を許していいでしょうか?

彼が妹を愛したことが罪だとしたら、母の復讐を誓ったわたしを罰しないのは何故ですか。
何故今この瞬間に、罪深い彼に心奪われたわたしを罰しないのですか。

ガレスが哀れで、哀れで。
小さな子供のように身を縮ませて泣くこの男が……愛おしくて。
「あなたを許します」
わたしは、そうつぶやいていた。
ガレスは信じられないような表情で顔を上げた。
わたしは微笑み、彼の頭を優しく抱いた。

あなたに口づけを。
あなたに愛を。
あなたの魂が少しでも救われますように。



翌朝早く、わたしは旅支度を終えて外に出た。
粉雪が静かに降り積もる。まるで周囲の音を吸い込んでしまっているかのようだ。聞こえるのはわたしの隣を歩くガレスが雪を踏む音、それから息遣い。
彼は、また老いていた。目尻には昨晩なかった皺が刻まれ、何歳も年を取ったように見える。
堰き止められていた水が一気に流れ出す。わたしはそんな光景を連想した。
彼にはもう、あまり時間が残されていない。今この瞬間も彼は急激に年老いている。
実感したくなかった。
ガレスが急に止まったので、わたしも足を止める。
「このまま南西に行くと小さな集落がある。おそらく昼頃には到着するだろう。君の仲間たちもそこにいるはずだ」
ガレスは獣道を指さした。
「みんな、生きているの?」
「ああ。全員無事とは言えないが」
「そう……」
「すまない」
謝らなければいけないのはわたしの方だ。わたしが無茶な単独行動をしたために、仲間が犠牲になった。包囲作戦にも支障をきたすだろう。
それに今のわたしの傍らには解放軍の仇敵、ガレスがいる。
何と誹られても言い訳できない。
「アイーシャ」
ガレスはわたしの前に立って呼びかけた。
表情があまりにも真剣だったので、わたしは息を飲む。
「一つだけ、頼みがある」
嫌な予感がした。
「次に出会った時は……君の手で、オレを殺してくれ」
目の前が真っ暗になった。
膝ががくがく震えて崩れそうになる。
想いが言葉にならず、わたしは子供のように激しく首を振った。
ガレスは仕方がなさそうに笑うと、わたしの頬を両手で挟んだ。
「お願いだから……」
目の奥から涙が溢れた。視界がぼやけてガレスを隠す。
ガレスはそっと涙を拭うと、わたしを抱きしめた。
「聖職者である君が殺人の禁忌を犯す事ができないのはよく分かっている。しかし……」
そうじゃない。
「オレの魂まで焼いてしまえるのは神に祝福された神聖魔法だけだ。君の軍にはユーシスや天空の三騎士がいる。彼らは最前線でオレと戦うことになるだろう。だがオレは彼らに殺されたくない。我が儘かもしれない。でもオレは君にやって欲しいんだ」
ガレスはかき口説くように懸命に訴える。
そうじゃないのよ、ガレス。わたしは殺人の禁忌を犯す事を恐れているんじゃないの。
わたしはあなたを失いたくない。
あなたはラシュディに騙されただけ。
自分で暗黒道を選んだわけじゃない。あなたは本当はとても優しい人、そうでしょう?
わたしに話してくれたじゃない。
あなたは信心深い人だった。神の愛を信じていた。
でも……神が妹を奪った。だから。
神の愛を疑ったから、だから。
わたしはガレスの顔を見上げた。
「ガレス、わたしには……」
できない。
そう言うつもりだった。
でもその時、ガレスの頬に落ちた雪が溶けて消えた。
この人は、まだ、人間なのだ。
ぬくもりのある人間なのだ。
わたしを抱く、暖かい腕を持つ人間なのだ。
……それならば、彼が望むのなら、彼がまだ人間であるうちに彼を殺そう。彼の最後の望みを叶えよう。
今はできないけれど、時間をかけて覚悟を決めれば、きっとわたしはできるはずだ。
「分かりました。わたしが、あなたを……殺します」
ガレスは幸福そうに微笑み、強くわたしを抱きしめた。
雪がわたしたちの上に降り注ぐ。
辺りは汚れのない純白に包まれている。
涙が止まらなかった。



わたしの足下に、黒騎士の亡骸が横たわっている。
末端から黒い霧と化して消えて行く。
黒騎士に斬りつけられた傷口から血が滴り、漆黒の鎧の上に落ちた。
「ガレス……」
苦しまなかっただろうか?
涙が黒騎士の兜に落ちて、不気味に歪んだ。
最早聖女ではないわたしに、神は力を与えてくれた。
人には使えないはずの魔法、最上位の天使たちが行使する聖なる奇跡……ジハド。
彼を打ち破る力を、彼を葬る力を、彼の魂を導く力を。
あなたはもうわたしのことなど忘れてしまったかもしれない。
ラシュディの側にいたことで、あなたに残っていた最後の「あなた」が崩れ去っていたかもしれない。
でも……。
「愛してる」
誰にも聞こえないように、とても小さな声でつぶやいた。
「愛しているわ……」
誰にも泣いていることを悟られないように、歯を食いしばった。
わたしは約束を守ったわ、ガレス。

Fin


モドル
ありがとうございます〜
実はオウガ小説をこうやっていただいたのは初めてで、とても嬉しかったですvv
ほぼ無理矢理ゴリ押しで掲載させていただきました。
全国にどれだけいらっしゃるかわかりませんが、ガレス×アイーシャ派の方のために・・・・。
操さん、ありがとうございましたvv