愛しい距離-3-

オハラはおんぼろの椅子に座り、ソニアはベッドの縁に座った。
少しばかりオハラは緊張の面持ちだ。それを解きほぐすようにソニアは少し明るめに声をかけた。
以前ならばそういう術などソニアには皆目検討もつかないことだっただろうが、この旅が彼女を確実に変えているのだろう。
「バルモア遺跡で、ほら、オハラが話があるっていったじゃないか。だから」
「覚えていてくださったのですね。ありがとうございます」
「そりゃ覚えているよ。ま、どっちにしても用事があったんだけど。とりあえず、オハラがあたしにしたかった話を先に聞こうじゃないか」
「・・・あの、それが、実は」
ようやくオハラは困ったように切れ切れに言葉を出した。
「わたし・・・あのとき、感情的になっていて」
「うん」
「本当は、違うんです。わたしがソニア様に話をしたかったんじゃなくて・・・ソニア様のお気持ちを・・・」
「は?」
そこでまたオハラの言葉は切れた。
どう表現したらいいのだろう、と戸惑いを見せて、
「ああ、ここに来るまでに、もっと言葉を考えておけばよかったです」
苛立ちを感じさせるそんなことを言う。彼女のそういった姿はあまり見た記憶がない。ソニアは驚いて
「一体どういうことだ、オハラ」
「わたし・・・わたし、ソニア様に近い人間になったなんていう、そういう、なんていうんでしょう。自慢めいた気持ちになったわけではないんです。でも、あの、わたし、バルモア遺跡で」
「うん」
案外とこういうときのソニアは粘り強い。
オハラの言葉は、心の中や喉の奥で詰まっている絡まりあった無数の糸を解きほぐすために、手元に近い部分を必死にひっぱっているかのようで全然的を得ない。けれど、そうやっている間にどこを引いてどこを通してあげればいいのか判断をつけられる女性だとソニアは知っていたからだ。
「ちょっとそういう気持ちに。いえ、だから・・・自慢ではないんです。でも、少し。ほんの少し、みんなが知らないソニア様の気持ちに近づいたような、気が。力を頂いたから立場が近づいた、とかではなくて・・・」
「あたしの気持ちに」
「ソニア様は」
「なんだ」
「慣れたのですか。慣れてしまうことが出来たのですか」
「なれる・・・ああ、慣れ、か。何に」
「・・・あなただけがもつ力に・・・いえ、そうではないですね。正確には・・・自分だけが、人を揺るがすような力を持っている、ということに、慣れたのですか。それは、一人で乗り越えられる壁なのでしょうか」
オハラの言葉の意味が、初めはソニアにはわからなかった。
が、言い終わってオハラが真剣な瞳を向け、ほんの数秒たった途端。
しまった。
ソニアは苦い表情を浮かべて口元を歪めた。そこへ追い討ちをかけるようにオハラが
「人間の気持ちは、いくら口に出しても相手には伝わらないし、理解してもらえないことも多いです。でも、これは、そういうものとあまりに違いすぎるのでしょうね。ソニア様、お一人で、辛くなかったのですか・・・」

しん、と静まり返った室内でソニアは静かにオハラを見つめた。
まいったな。こりゃ。
心の中で呟いてみるけれど、だからといってオハラにどう答えればいいのか彼女にはすぐには判断がつかなかった。
オハラは、自分がソニアととても近い立場であることを気がついた。
それだけならまだしも、気付いた時にソニアのことをついつい考えてしまったのだろう。
反乱軍リーダー。
25年待ちつづけられ、そしてやっと現われた、帝国に歯向かう気概のある指導者。
洗礼を受け、人々の力量を見定めて上級職の能力を与える儀式を行使する権利を持つ者。
常に前線に立ち、剣を振るって皆の士気をあげる勇者。
聖剣に選ばれた唯一の人物。
天空の三騎士に手を貸してもらう権利を持った特別な下界の人間。
そう。ただの、下界の人間。そのはずなのに。
「同情したのか、あたしに」
「同情・・・そういう、言葉とは違う気がします・・・」
「同情なら、いらない世話だ。あたしは自分から力を求めて、自分から頼み込んで洗礼を受けて今のあたしになったんだから」
「ではどうして」
オハラは眉根を寄せて、声を振り絞った。
「あんなに、わたしのことを気にかけて、他の誰よりも丁寧に気遣ってくださるのですか」
「頭で考えればわかることだろう?オハラ、今のオハラが手にした力はとても大きくて恐ろしい。そんな力を手にしたら・・・そう想像すれば、あたしやヘンドリクセンがオハラの心配をするのは当然だ」
「でも、違います、ヘンドリクセンさんの心配と、ソニア様のお心遣いは、意味が違うように思えて」
「オハラは、何を言いたい。ずばり言っていいぞ。意味があることとないことが世の中にはある。オハラが、あたしに言ってることは意味があることなのか」
酷い言い草だ、とソニアは言いながら思った。
多分多かれ少なかれ、反乱軍の主だった人間はソニアに対して同情の気持ちを持っている。
自分が彼らの立場でも、きっとそうだろうと思うから。
が、それらの同情と、今、オハラが感じている同情の種類は違う。
フェンリルはソニアに同情など決してしない。それは、フェンリル自身が同情をされることをよしとしないからだろう。
けれどもオハラはまだそんな域には到達していないし、そうなるには普通の、本当に生真面目で優しい、一人の女性だったのだ。
「意味は・・・わたしにはありますが、ソニア様にとってはないかもしれません」
「そうか。オハラにとって意味があることなら、仕方ない」
「ソニア様は、とてもわたしに気を使ってくださっていました。でもそれは」
「うん」
「あなたが、本当は、そうされたかったからではないのかと」
「・・・それこそ余計な世話だ、オハラ」
「それとも、そうされて、楽だったから、なのですか」
その質問に「そうだ」とは即答出来なかった。
ソニアは苦笑を見せる。
その笑顔は少し疲れていて、オハラをはっとさせて言葉を遮るのに十分過ぎるほど普段の彼女とは違いすぎる表情だ。
「オハラ」
「はい」
「恐いか」
「・・・何がですか」
「自分の力が」
それはバルモア遺跡でもソニアに問われた言葉だ。
「・・・はい。恐くないと言えば嘘になります」
「そうか。あたしは」
ソニアはぐら、と体を後ろに倒して、ぼふっとベッドの上に仰向けになった。ぶらぶらと足が床に届かずに所在なげに揺れる。
「今でも恐い。でもその恐さはオハラとは違うんだ」
「・・・」
「この力を得ようと思うまでに、色んなことがあった。その出来事に心を動かされて、そして、強くなりたいと単純に願ってこの力を得た。が・・・今となっては、逆なんじゃないかと思える。あたしがこの力を得るために・・・そのために、たくさんのものが犠牲になったのではないかと。自分ではそうは思っていなかったのに、最近そんなことを思う。それが恐い。そして、時折、あまりにみなが優しくて、この軍の居心地がよくて、その犠牲のことを忘れそうになる自分も、恐い」
「力を得るために・・・犠牲に・・・」
「それにさ、オハラと違ってあたしはバカだからわかってなかったんだ。力を得るってことがどういうことなのかを・・・時間をかけて嫌ってほど思い知らされて、やっと人と違うってことがどういうことなのかわかった。オハラとあたしは順番が違うんだよ」
「そう、なのですか」
「だから、心配をしてるんだ。自分と同じなら、見ていれば助けてやれるけど、あたしとオハラは違う。だから・・・」
それは嘘だ。
嘘だけれど、そういうことにしておいて欲しいとソニアは思う。
オハラの言葉はきっと正しい。
ソニアは多分、今彼女がやっているように、誰かに手を差し伸べて欲しかったのだろう。
人ならぬ力を持てば心も揺らぐし、覚悟も鈍る。
自分自身に対する恐れも生まれるし、力を授けたものすべてを憎んだり恨んだり、運命なんていう名のものを呪ったり。
そんなにも不安定で情緒も安定しなかった彼女は、リーダーという地位に縛り付けられて手を伸ばしても伸ばしても助けを得られなかった。どんなにランスロットやカノープスが彼女に気遣っても、それはオハラが今言うように「ソニア様とヘンドリクセンさんの気遣いは違う」ということだ。
それでも。
それでも本当は、「違う」と知りながらも差し伸べてくれるその手で、ソニアは楽になりたかったのだ。
誰の手で?
それは。
時には彼が自分を気遣うその言葉が嬉しくて仕方がなくて、そして時にはそれが彼女にとっての重荷になって。
ソニアがリーダーらしくいること、勇者でいることを誰よりも望んでいる、あの人。
ぐるぐると頭を回ることは、ソニアにとっては嬉しくないことばかりだった。
オハラはじっと、ベッドに体を委ねたソニアの様子を心配そうに見ている。
やがてソニアはふー、と長く息を吐いて、
「ごめん、オハラ、今日はちょっと冷静になれないかもしれない」
「ソニア様?」
「巧い嘘がつけない」
と、降参した。その率直さに少しオハラは表情を緩和させた。
「どうして、嘘をつこうなんて思っていらっしゃるんですか・・・?」
ソニアはゆっくりと起き上がってベッドの端に座りなおす。
「うーん、だってさ」
正面からオハラの視線がぶつかる。
「オハラがあたしだったら、嘘をつきたくならないか?」
「・・・そこまではソニア様のことを存じ上げませんが・・・」
ええ、でも、そうですね・・・と小さくオハラはもごもごと口の中で呟く。
「でも、オハラとあたしが違うってことは、嘘じゃない」
その言葉にオハラは軽く首をかしげた。
「あたしは、この力を恐いとも思う反面、この力を失ったら、とも思うから」
それは右腕を失ったら、という意味だけではない。
ブリュンヒルドやティンクルスター、それらに選ばれたという自分。もしもそうでなくなったら。
ある朝目覚めたら、今の自分ではなくなっていて、上級職にするための儀式を行う力も失い、ブリュンヒルドを鞘から抜けなくなってしまったら。
「オハラが、そうならないといい、と思うし、多分そうならないオハラをうらやましいと思うな」
その言葉の意味はオハラにはよくは伝わらない。
とても複雑で、ネガティブだけれど誰も否定を出来ないだろう思いがソニアにはある。
もう、自分の代わりに誰かがリーダーになればいい、と簡単に口走れたあの頃とは違うのだ。
走り出した頃は、自分がどれだけの人間なのか、何を為さなければいけないのか、が見えていなかった。
今ならばわかる。
ソニアが今のソニアでいる以外に、ここにいる意味はないし、彼女を取り巻く人間関係は成立しない。
「ソニア様・・・」
「オハラ、聞いてくれるか」
「はい」
「今ここにいる誰もが、オハラが力を得る前からオハラのことを知っている」
「はい」
「でも、あたしは、違う。皆に出会ったときからあたしはもう反乱軍リーダーで、洗礼を受けて、選ばれた人間だっただろう?」
その先の言葉が出なかった。
オハラもその先を追及しなかったけれど。
なんて日だ、今日は。ソニアはくしゃ、と左手で前髪をかきあげて床を見つめた。
ランスロットとあんな話をしなければ、もう少しだけ冷静にオハラに話が出来たのに。
これでは自分の愚痴をオハラにぶちまけているようなものではないか。
弱い。
選ばれた人間、なんてものがこんなに弱くていいのだろうか。
オハラはがっかりしたのではないだろうか。
オハラの心配をしているつもりが、逆に心配されて、オハラのために話を聞こうと思ったら逆に話を聞かせてしまっている。
ミイラ取りがミイラに、とはよく言った物だ・・・とはいえ、ソニアはミイラというものがどういうものなのか文献でわずかに読んだだけだったので、ミイラ取りというものがどういうものなのかは、勝手な想像でしかなかったけれど。
長い沈黙。
「・・・戦が終わったら」
先に口を開いたのはオハラだ。
「うん」
「お友達になっていただけますか」
「・・・同情か」
「まったくないといえば嘘になりますけれど、それだけではありません」
「・・・そうだな、友達か。あたしには、そんなものは今まではなかった。これから先もないのかと思っていた」
友達も。恋人も。何もかも。
残されるのは、きっと焼き尽くされた故郷の村と、逃亡中に死んでしまった家族の思い出と、父親と共に旅をしていた、多分あの日死んでしまっただろう気のいい男達との思い出。それだけではないのかと。
時折耳鳴りと共に、ソニアはそんなことを思っていた。
顔をあげると、まっすぐなオハラの瞳がソニアを射抜く。
ああ、丁度彼女と自分は同じ高さに今目線があるのだ。そう思うことはなぜだか嬉しいことだった。
「ごめんオハラ。全然オハラの問いとあたしの答えはあってないけど、許してもらえるかな」
「はい。出すぎたことを聞いてしまいました。ソニア様も、私を許していただけますか」
「うん。そのお、内緒な。これ」
照れくさそうなソニアが、とても女の子らしい表情をしているのを見て、オハラは小さく笑い返した。
「はい」

「うおっ!」
ギルバルドは驚いて飛び上がった。
「ああ、ソ、ソニアか。おどかさないでくれよ」
「なんだ、ギルか」
「なんだとはご挨拶だな・・・」
ケルベロス達の散歩の時間だ。
とはいえもともと散歩、なんてものが決まっているわけではない。
ただ、魔獣達はその筋肉を落とすわけにはいかないから、戦で出陣しないものでも一定の運動はしなければいけない。
ギルバルドは新しくビーストマスターになったばかりの後輩を連れて小屋とはいえないぼろぼろの小屋にやってきて、そこでソニアを発見した。ソニアはケルベロス達に混じっていて、その赤毛のせいか一瞬彼女がいるのを見逃してしまっていたのだ。
「こいつ借りていくぞ」
一体のケルベロスに抱きついてソニアは言った。
「行くって、どこに」
「適当に」
「駄目だ。それにそいつはこれから散歩に行くのだから」
「いいじゃないか、こいつはあたしと散歩だ」
そう言ったと思うと。
「待て、ソニア!」
ソニアはケルベロスの背に飛び乗った。と思うとギルバルドの制止の声も無視してケルベロスは走り出す。
その姿はあっという間に遠くなってしまう。もともと体重が軽いソニアを乗せてもケルベロスは何も困らずに軽快に走って行くばかりだ。
なんてことだ、俺ともあろう者が。
ギルバルドは軽い舌打ちをした。
自分はソニアを制止できないけれど、ケルベロスなら止められる。
ソニアに待て、を言うのではなく、ケルベロスに言えばよかったのだ。

その頃ランスロットはウォーレンと共に、カストロ峡谷方面から戻ってきた兵士の報告を聞いていた。
反乱軍が解放した地域を解放しっぱなしで放置しておくことを彼らには出来ない。今後帝国からこの大陸を取り戻した後、彼らはゼノビア王国復興を望んでいるのだから、行き当たりばったりで戦争を起こしているわけではないのだ。
それをソニアは知っている。ウォーレンやランスロットがそのために反乱軍の一部の兵士を使いたい、と申し出れば、人員を正しく選んで動かすつもりも多少はあったし、彼らは彼らで25年間裏で培ってきた旧ゼノビアの人脈のようなものもないわけではない。
結果として、未だにランスロット達は反乱軍の人間をゼノビア王国再建のための人間として振り回すことは未だになかったし、ソニアがランスロット達に対して、反乱軍の通常業務以外のことをする時間すら与えないということもなく、非常に秘めやかにその行為は行われていた。
ソニアがランスロットを働きすぎだ、というのは、そういったことも彼が裏でウォーレンと行っていることを知っているからだ。
ウォーレンの部屋で、足の長さがそろっていない椅子(一部が腐ってもげてしまったらしい)に座っていたランスロットは、報告を終えた兵士に休むように命じた。
「まあ、カストロ峡谷はとりたてて圧政に苦しんで、というよりもラウニィー殿探索のための荒くれ者達に問題があったような場所だからのう。安定していて助かるものだ」
「確かに」
「それにつけても、今日のソニア殿は大層淡々としておったな。そなた、何を言った?」
ウォーレンの言葉にランスロットはぴくんと反応をする。
「何故そう思われる」
「む?彼女は何故かあまりそなたに話を振らなかったからの。そなたと彼女のやり取りそのものは、いたって普段のようには聞こえていたが・・・図星じゃろうて?」
「・・・言うな、といわれたことを無理強いをして彼女に言い聞かせてしまった。わたしがどれだけ彼女の力になりたいと思っているかと、そして、どれだけ・・・」
ランスロットはウォーレンに苦笑を見せる。それはあまり彼らしくない表情だ。
「どれだけゼノビア復興のため、トリスタン皇子にお仕えするつもりなのかを」
「それではあんな反応も仕方がないものだ」
「彼女は聡明だから、もう、知っていた。それでも言葉で聞くのは残酷なことだ」
「皇子に会ってから話せばよかったものを」
「それでは、遅すぎるんだ」
ウォーレンが言うのは、分かれ道に来てから別れを告げればよいという意味だ。
それが出来るのは余程薄情な人間か、取り立てて仲良くもない間柄だけではないかとランスロットは思う。
自分にとってこの反乱軍リーダーは特別だ。今も、過去も、そして多分これからも。
だから、求められた今、答えを返した。
それがどんなに残酷な答えでも、これが彼女に対する彼の誠実さだ。
「大丈夫だというのに。トリスタン皇子は聡明な方だと。ソニア殿の器を見られないような人物ではないと感じる」
「それは」
ランスロットはやっと素直な笑顔を占星術師の老人に向けた。
「ソニア殿を誉めているのだな」
「当然のことを。星のお告げによって彼女を選んだというのに・・・まあそれでも、いつかは言うべきことだろうからの」
「ああ。そして彼女から要求された。だから、話した」
「ほんの1ミリ離れているだけで」
ウォーレンは自慢の髭を何度も何度もさすりながら、うんうん、と頷いて言葉を続けた。
「お互いがまっすぐ前を見て進めば、一生交わることはない」
「ああ」
「途中で角度を変えれば、交わるが、我々は曲がるわけにはいかぬ」
「・・・そうだな」
「反乱軍という大きな一塊の「モノ」は、ソニア殿が選んだ轍をみなで踏みしめていく。けれど、我々はトリスタン皇子という鍵になる人物を手にいれることで、みなと僅かに角度を変えることじゃろうて」
はじめはほんの僅かな角度。
よく見なければ、同じ点に立っていると思われるほどの。
が、時がたてばたつほどお互いの間は離れてゆく。進む、ということはそういうことだ。
「この先起こるいろんなことに影響されて、少しずつ誰もの角度がずれる。反乱軍を離脱するもの、我らの方へ動いてくるもの、逆に反乱軍に交わるもの。さまざまじゃろうて」
そのとき、荒っぽいノックの音がした。
「誰じゃ」
「ギルバルドだ」
「うむ、何用かの」
ギギイ、と扉を開けたギルバルドはランスロットの姿を見つけると
「やっぱりいた。ソニアが、勝手に出て行った。一応耳にいれておこうと思ってな」
「何?出て行った、とは?」
ランスロットは腰を浮かせながら問う。
「ケルベロスと出かけちまった。カノープスやスチーブに探しにいかせようとしたが、あいつらは食糧調達でガストンのグリフォンと出かけてしまっている。多分、ケルベロスの最近の散歩コースのどこかをうろついていると思う。やつは頭がいいから一定の時間になれば自然と戻ってくるだろうが、こちらから用事があって探すとなると山の方だから歩きは心許ない。ケルベロスはケルベロスで探すのが一番だ。俺が探しにいってもいいが、そのかわり魔獣使いは新兵一人になる。取り立てて今はソニアに用事はないか?」
ああ、ケルベロスとか・・・。
ランスロットは眉間に皺を寄せた。
思っていたよりもソニアを自分は深く傷つけてしまっていたのだろう。そんな気持ちがこみ上げてくる。
あの少女は基本的に嫌なことがあればカノープスに飛んでもらって、どこかで悩んで泣いて、戻ってくる。それが出来ないときは一人でどこかに行ってしまう。
ケルベロスに乗って出かけた、ということは、一人でいることは寂しい、ということの裏返しにランスロットには思える。
「いや・・・今は特には。知らせてくれてありがとう」
「早急な用があったらケルベロスで探しにいくのが一番いい」
「そうじゃな。まあ、一人になりたい時もあるじゃろうて、今は放っておくがよいだろう」
ランスロットは複雑な表情をウォーレンに向けた。ウォーレンはそれに気付いて肩をすくめる。そのやりとりに僅かに含まれた空気に勘付いて、ギルバルドは口元を歪めて嫌そうに言葉にした。ビーストマスターはそもそもそういった勘に鋭いものだ。
「なんだなんだ。あんた達二人があの子に何かしでかしたのか」
「そういうわけではないが、まあ、そうかもしれない・・・長居した。わたしも執務に戻ろう」
ドアに向かって歩きながら曖昧にそう答えるランスロットに対するギルバルドの視線は強い。が、ウォーレンはランスロットの背中に遮られていてギルバルドの表情は見えない様子だ。
「一刻して戻らなかったら、探索させたほうがよかろうな」
「わかった・・・そのときは、ギルバルド、ケルベロスを貸してくれ。誰かを行かせよう」
「ああ・・・じゃあ確かに伝えたぞ。俺も失礼する」
男二人はウォーレンの部屋から出た。少し足早に歩きながらギルバルドが
「あの子に生半可に優しくするな」
「何?」
「俺は最初から思ってた。あんた達二人はいつかあの子を捨てると」
「捨てる・・・そういうわけじゃあない」
「いいや、そういうことだ」
ランスロットはそれ以上ギルバルドには何も言わない。
どういうことだ、とは聞かない。そういうことではない、と反論もしない。
ただわかっているのは、自分はゼノビアの騎士であってソニアの騎士ではない。けれどギルバルドはソニアのためにこの軍にいる、ソニアに命を救われ、それから忠誠を誓っている人物だということだ。
そういう人物から見れば、ランスロットやウォーレンは1つ間違えばソニアを利用しているだけの人間に見えるだろう。
それは、仕方がないと思うし、違うと言い切るほどの烈しい気持ちも今のランスロットにはない。
ぼろ屋を出ると外には洗濯物を取り込み終わって帰ってくる女性兵士の姿や、武器の在庫確認をしている兵士達の姿がちらほらと見える。またわずかに歩くと、蒸し返すようにギルバルドが低い声で言う。
「優しくしないほうが、あの子のためだ」
「・・・そういう、ものか」
「捨てるなら」
「・・・そのつもりは、ない」
「あんたには、な」
「・・・」
「あんたの主になる人間はわからない。騎士の道理を通すのはあんた個人の問題だ」

さて、そんな心配を余所に、ソニアはいい気持ちでケルベロスに体をもたれてぼんやりと空を見ていた。
ごつごつとした岩場をみつけてケルベロスは力強く登っていった。気がつけば少しだけ草が生えている、そんなにおうとつが激しくない岩場に出た。
寝すぎるほど寝たはずだったけれど、なんだか疲れを感じてソニアはごろりと岩の上に仰向けになる。
ケルベロスは辺りをぐるりと走ってから彼女の側に戻ってきた。どうやら敵とみなされるものは周囲にいないらしい。
やがてうろうろと歩き回るのにも飽きた様子でうケルベロスはソニアの側でうずくまる。
「すまないな。どーしても遠くに行きたくて」
が、空を飛ぶ魔獣を一人で操るのは右腕が思うようにまだ動かないソニアには勇気が少し必要だった。
カノープスがいないこともわかっていた。
とはいえ、歩いていけるようなところでは、簡単に誰かにみつかってしまう。
結果ケルベロスに乗っかって・・・と勝手に来てしまったが、きっと帰ったらまた怒られるのだろうと思う。もちろん、それはもう彼女にとっては慣れっこのことだったから別段構わない。
実はバルモア遺跡から戻ってくる途中で気付いていたことがあった。
最近、以前のような耳鳴りが減ったような気がする。
帝国の刺客に追われて逃げ惑っている間に失ってしまった家族のこと、村のこと。それを不意に自分に思い出させる何かが急激に力を失っているように思える。
その代わりといってはなんだけれど、ランスロットのことを考えて思い煩うことが増えた。
人間はたくさんの問題を抱えていても、必ずどれか1つが一番気になるのだ、心がそう感じれば、体もそう感じるのだ、となんとなくソニアはそう思っていた。いろいろな事が頭に沸いては消え、沸いては消えるけれど、決してその他のものと同じではない濃度でこびりつくものがある。今はそれがランスロットのことだ。それを自覚して、それでも頭からそのことを振り払えない自分を恥じた。
(甘えすぎていた)
ランスロットが自分に手を差し伸べてくれていることはわかっていたし、それを頼っていた。
けれど、そうであるほど時折、その手が自分にとっては嬉しくないことも。
所詮自分は、反乱軍リーダーだ。
ランスロットからすれば、ただ、それだけの。
それでも差し伸べられた手を感じれば嬉しくて、そして更に大きな期待をしてしまう。
弱い。
オハラと話していたときに強く思ったように、また、ソニアはそう思った。
いくつか自分にいい聞かせていることが彼女にはあったけれど、今日はランスロットとオハラからダブルパンチを食らってそれがままならなかった。
こんなくらいで心が揺らぐなんて、一体自分はどうなってしまったんだ、とソニアはぎゅっと目を閉じた。彼女はまだ、恋愛というものがそういうものだということをよくわかっていない。そして時折それがいかなる自制心も通用しなくなるということも。
自分を見間違うな。
いつでも強くあれ。
自分を信じて、そして自分のもとに集う人々を信じろ。
けれど、信じすぎるな。
数々の言葉で必死に自制をする術は、旅をしている間に父親から教わった。
草むらに隠れてたった一人で死との狭間にいたときも呪文のように。
叫びだしたくなる恐怖にかられたときも、それを抑える方法をきっとこの軍では誰よりもソニアは知っているだろう。
縄が切れて。
崖から落ちていった妹の姿を見たときに、自分と父親は声を立てなかった。
妹の叫び声、それをみて半狂乱になって叫ぶ弟。
父親は静かにしろ、と弟の口を無理矢理塞ぎながら崖の上によじ登った。
・・・自分の縄が切れても、あたしは、叫ばずにいられるだろうか?
そこまでの自信はなかった。なかったけれど。
右腕をくい、と動かすと、ずいぶんと上がるようになったと思う。
痛いというよりも、完全にそれ以上あがらない関節を持っているように、一定の場所からはまったく動かなくなるけれど、これだけ動けば生きていくことは出来る。
縄が切れるなら、いい。
縄を切られたら。
「ああーーもう、もう、どうしてこんなにあたしは嫌なことばっかり考えちゃうんだ!自分らしくない!」
そう叫んで体を起こすとケルベロスは驚いたようにびくりと動く。
「なあ?お前達もそう思うだろう?」
「グルウ・・・・」
なんだなんだ、とケルベロスは三つの頭を同時にソニアに向けた。
「お前達三人で一人なら、悩みも3倍なのか?それとも3分の1になるのか?おいこら、教えろー!」
そういってソニアはケルベロスの首にがしっと左腕を巻きつけて変な態勢で足を背中にかけた。
はいはいできるようになった子供が何かによじ登るかのようだ。
それが何かの遊びだとケルベロスは思ったらしく意地悪く身をよじった。
「こら!登らせろ!」
ソニアも楽しそうに笑う。いやいや、とケルベロスはするりと交わそうとする。それへまた無理矢理足と左腕でソニアは抱きつこうとする。いつもグルル、と低い唸り声をあげるケルベロスも「遊び」になると突然高い声をあげることがある。時折その声が聞こえて、そのうち横倒しになってソニアのなすがままになった。
ここでこうやっていれば、反乱軍のことも帝国のことも忘れて、ただ自分とケルベロスだけがこの世のものに思える。
・・・それはなんと気楽で、けれども。


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モドル

すみません、あと一回とかいってたのに(涙)こんなにひどい話なのに、ソニアは楽しいなあー(笑)ケルベロスと戯れる彼女を書きたかったので無理矢理構成を伸ばしてしまいました。ごめんなさい。

それにしても・・・。ほんと、残酷物語ですなあ。あたくし思うに、実はランスロットよりもずーっとずーっとアッシュやギルバルドの方がソニアに優しくて彼女を愛してくれるんじゃなかろうかと・・・。それこそ父性愛か(笑)実は今回のギルバルドのシーン、一度ガストンで書いてしまってたのは秘密です。えへ。ちょっとランスロットに釘さそうと思ってギルバルドに変更してみました・・・って、だからケルベロスのこと差し引いても話が伸びるんじゃ!