愛しい距離-4-

ランスロットが少しやきもきしている頃、ソニアはのっそりと廃村の広場に姿を現した。
夕食の準備を始める頃に戻ってきて、さりげなく女兵士達と混じって野菜の選定をする。
きっとランスロットにはもうバレていて、怒られるんだろうな、なんて思いながらもちょっとだけ女兵士を隠れ蓑にしていたのは事実だ。が、ソニアの予想を裏切って彼女を叱り飛ばしにきたのは、ランスロットではなくてギルバルドだった。
「ソニア!」
「あ、ギル。ケルベロスは戻したぞ」
広場で土の上にあぐらをかいて、ハイネやオリビアと野菜をえり分けしていたソニアの首根っこを掴んでギルバルドは無理矢理彼女を立たせた。ソニアの膝の上に乗っかっていた籐のかごがことりと地面に落ちる。
「戻したぞ、じゃない!まったく、勝手なことも大概にしろ!」
あらあら、とハイネとオリビアは困ったようにその二人を見たが、今日は人が違うようね、なんていう程度で視線を野菜に戻し、籠の麻の袋からごろごろ出てきた野菜の数を数えて籠に移す作業を続けた。
一方、ギルバルドは自分を甘やかしてくれる、と勝手に思っていたソニアは少しきょとんとした表情を見せて
「怒ってるのか」
「ああ、怒っている」
「ごめん。勝手にケルベロスを借りて。ギルバルドの管理領域を侵害した」
「そっちのことじゃあ、ない。一人でふらふらとするのはいいが、人が歩いて探しにいける場所にしろ。いざというときに困る。途中でケルベロスに何かあったらどうなると思っている。だから、いつもケルベロスは2体一緒に編成するんだ」
「・・・そうか」
ケルベロスお得意の地形は、人が人の足で登るには険しい場所が多い。
大空を飛ぶ魔獣達が食糧調達で出払っている時にそんな場所にいかれてはたまらない、ということだ。
「そうか。勉強になった・・・すまなかった」
「本当にわかったのか」
「わかった。ごめん・・・でも、確信犯だ」
「それも知ってる。知ってるが、言い聞かせないといけないことがあるからな」
「うん。ごめん」
人がこられない場所に行きたかった。そのソニアの気持ちをなんとなくギルバルドは察知していたけれど、だからといって「そういうこともあるだろう」でなんでも許すわけにはいかない。
あの様子ではきっとランスロットは今日は強くソニアを怒らない。ギルバルドはそんな気がしていた。
彼らの間に何があったのかはわからないけれど、その程度のことがわからない大人ではない。
彼とて伊達に年齢を重ねているわけではないのだ。
「ギルもたまには厳しいんだなあー」
「呑気なことを。ソニアは俺と何歳年齢が離れていると思っているんだ?」
「10歳くらいだっけ?」
「・・・それは世辞なのか?嫌味なのか?」
「えー・・・あんまり年齢とか、気にしたことないからなあ」
どうやら本気らしい。
ソニアはきっとウォーレンとすら自分がどれくらい年齢が離れているか考えてないのだろう。
ただ「弟くらい」とか「父さんくらい」とか「父さんより上かもしれない」とか「村にいた物知りじーさんと同じくらい」「妹くらい」なんていう曖昧な認識しかないに決まっている。
「もう、お説教は終わりか?」
「そういうことをよくも言うものだ、この口は」
「終わりなんだな?」
「・・・ああ、終わったよ」
「そうか。お務めご苦労だな」
「ソニアは、あの聖騎士にもその調子なのか」
それがランスロットのことを言っているのだとソニアが理解するのにとほんの僅かに間があいた。
「まさか。ランスロットにそんなこといったら、もう一度怒られる」
「当たり前だ」
二人は顔を見合わせた。ソニアはぷっと吹き出し、ギルバルドはあっはっは、と彼にしては珍しく声をあげて男らしく笑った。
「ギル」
「なんだ」
「大好きだぞ」
「だからそれは出し惜しみしろというのに」
それに。
「・・・」
「なんだ?急に真面目になって」
ソニアはギルバルドの顔を見上げた。
「あ、いや、なんでもない」
「変なの。わかった、あたしと話してるとバカになっちゃうんだろう」
「かもしれん」
「否定しろ!」
また二人は笑った。けれど、ギルバルドの笑顔は少しだけぎこちない。
出し惜しみしろ。それに。
それに。
一体その先、何を言おうとしたんだったっけ?
一瞬ランスロットのことが頭に浮かんだけれど、どうもギルバルドの中には今自分が考えていることとそれが結びつかなくて、すっきりしない気分になってしまった。

ソニアがとことこと自分の部屋に戻ろうと歩いていると、最近ようやく聞きなれた人物の声が耳に飛び込んできた。
「リーダー!」
「あー、ノーマン。どうした?めずらしいな、ノーマンからあたしを呼ぶなんて」
廃屋の手前で立ち止まって振り向くと、大柄な男がずかずかと歩いてくる。オハラに熱烈ラブアタックを繰り広げている直情型のブラックナイト、ノーマンだ。
「マラノの都に行くって話を聞いたんだけど」
「うん」
「俺も、出陣させてもらえるんだろうな」
「・・・ノーマンは、どーしたいんだ?じきじきにあたしに言いに来る人間なんてそうそういないんだけど」
ソニアは眉をしかめた。
「みんなランスロットに言いに行くもんだが」
「あの聖騎士は俺は好きになれねえんだよ」
それは本音だろう。
オハラがプリンセスに昇格するときに、がーがーとがなりたてたノーマンをランスロットは怒鳴りつけた。
その時から、いや、その前から虫が好かないと思っていたのか、バルモア遺跡で同じ部隊に入っても彼らはあまり口を利いていない。
ランスロットはノーマンを評価していたし、もともと必要以上のおしゃべりをする人間でもないからいいとして、ノーマン側は明らかに話なれてもいないあの聖騎士に対して、歩み寄ろうとする気もない素振りを見せていた。
ソニアはきょとんとした顔を見せてから
「じゃああたしのことは好きなのか」
なんていう。それには即座にノーマンは返答を叫び声交じりで叩きつけた。
「好きじゃない!」
「わっからない男だなあ。で、なんだって?」
「俺も、連れて行ってもらえるんだろうな」
「行きたいのか。なんで」
「・・・オハラが、出るんだろ」
「・・・それと何の関係があるんだ」
ちょっと意地悪そうにソニアがそう言うと、忌々しそうにノーマンはとんとん、と片足を踏み鳴らした。
「バッカ!察しろよ!」
「ノーマンにそんなことを要求されるとは思わなかったなあ・・・」
くすくすとソニアは笑い出す。バカ、はともかく察しろと来たもんだ。色恋がらみで出陣編成を決めていては、リーダーとしては正直失格だ。が、ノーマンにとってはそんなことはどうでもよくて、単純にオハラが心配だから出せ!といっているのだろう。
「さっきオハラが俺のとこに来た」
「へえ」
「・・・俺はよう、今だってオハラがプリンセスになったのは反対してんだ。それでこの前もちっと喧嘩しちまったんだけど」
「そうなのか」
大体のところは予測できた。オハラがプリンセスになったことに対してよくない反応をノーマンがすれば、オハラは別にノーマンのためにこの軍にいるわけではない、なんて手厳しいことも言う。自分が役に立てるなら、と軍に対して彼女はとても献身的だ。そういうところはノーマンには理解しづらい部分だけれど、最近は慣れてもきたのだろう。
プリンセスになった自分のことは、嫌いなのか、とノーマンは言われたという。
そんなわけはない。
ノーマンはオハラに「ぞっこん」惚れているわけで、本当はオハラがプリーストだろうがフレイアだろうがなんだろうがその気持ちは変わらない。それとこれとは違うのに、オハラがどうしてそんなことを言うのかノーマンには理解ができない。
「あたしには、わかるな」
「そうなのか」
「ノーマンが好きなオハラだから・・・だから、プリンセスになったんだよ。だからノーマンがずっとあれを否定していると、オハラからすりゃあ、一体自分の何を見てノーマンが好きだっていってくれてんのかわかんないだろう」
そう言うとノーマンは怪訝そうな顔をした。
「なんだ?」
「・・・あんた、女みたいなことを急に言うようになったな」
「お前、失礼だぞっ!」
誰かが聞いていればきっと笑う場所だったのだろうけれど。
ノーマンは真剣な顔で
「でもさっき、オハラがやってきて、謝ったんだよ」
「え」
「自分がプリンセスじゃなくなっても、自分を好きでいてくれるか、なんて聞いてきやがって」
「・・・ノーマン・・・」
「バカなこと聞くよな。んなもん、当たり前だろう。当たり前だけど、なんかよう、俺、こう、心配になっちまって・・・」
それでソニアに頼みに来た、という話の流れらしい。
そういう説明の仕方ではなかったけれど、無理矢理ソニアは理解をした。彼女より年上のこのブラックナイトは言葉があまりよろしくない上に巧くもない。何を隠して何を作って話せばいいのかもわからないから、ノーマンがソニアに話をするときは、彼の身の上にあったこと丸ごとを話すしかなくなる。ある意味隠し事が出来ない可哀相なこの男を思って、ぶっとソニアはふき出した。
「あははは、ノーマン、可愛いなあー!」
「バッ・・・!てめー、畜生、ふざけたこと言うな!ぶん殴るぞ!」
そういってノーマンはソニアの胸倉を掴んで見下ろした。
「あはは。それに、ノーマンとオハラは、もう、そのう、完全に恋仲になっていたのか?どーなってんのかわくわくしてたんだけど」
「勝手にわくわくするんじゃねえよ!んなことでかい声でいうな、こっ恥ずかしいだろ!」
「ノーマンの声のが大きいって・・・こらこら、そんな近づいたら、首が疲れる」
身長差がある二人はあまり近寄るとソニアはあごをぐいっとあげて見上げなければいけないし、ノーマンは視線だけを動かして見下ろすだけだ。上半身を屈ませてくれないノーマンのその態度は威圧的だ。もちろんソニアは意にも介さないけれど。
「こ、恋仲なんかじゃねーよ!まだ・・・・俺の一方的な・・・」
「ふうん、そうなのか?・・・いてて、ほんとに疲れる。あたしは背が低いんだからっ、もうちょっとノーマンも屈め」
「面倒なこというな」
ぽい、とノーマンはソニアを離した。
「グリフォンを中心とした飛行部隊を、シャングリラ攻略のために準備させる。でもそれはギルバルドに頼んだ。ガストン隊にはマラノに一緒に来てもらうようにするつもりだ。ノーマンは今回もガストン隊で働いてもらうことになるだろう。あたしとは組まないだろうから安心していいぞ。もちろんオハラ隊も。変わらずテリーとゾック、それからニース(タロス)だ」
「そっか」
ノーマンはそれを聞いてほっとした顔つきになった。
「あんたと組まなくていいのはありがたいな。俺は隊長(ガストン)と気が合うから」
それは違うんじゃないかな、とソニアは思ったけれど黙っていた。むしろ自分の方がガストンと気があう、と思っていたからだ。
「あんたはまたオハラのフォローをしてくれるのか」
「出来ない。今回は前線に出る。が、ヘンドリクセンが引き続きフォローをしてくれる。安心しろ」
ソニアがそういうと、ノーマンは小さく「ありがとよ」とつぶやいた。それが彼の精一杯のソニアへの謝辞だった。

ランスロットはゼノビア方面から報告に来た兵士が持ってきた資料に目を通していた。
現在のゼノビアの状況を各種方面から調査した報告書と新王国設立のために必要な資金表。それだけでも目を通すとうんざりの内容が書かれていた。
彼らはゼノビアの王族が隠していた財産が一体どこにあったのか知らない。
すべて帝国に発見されて没収されたのか、いくばくか残されているのか、何ひとつわかることはないのだ。
そういった手探り状態で資金表を見るのはいつも頭が痛い。
トリスタン皇子に一刻も早くこれを見せたいが、見せたところで事が解決するわけでもない。
溜息をついて首を左右に曲げる。
視界の端に、先日までなかったものが見えた。
それは布にくるまれた、ソニアに貸していたオルゴールの姿だ。おんぼろで重いものを置けなさそうなサイドテーブルの上にそっとそれは大事におかれていた。
「・・・布に包んでいるからいけないんだ」
ランスロットはそういうと立ち上がって、オルゴールから布を取り去った。
ほら。
この姿を見れば、思い出すのは、亡き妻のことだけ、そうだろう?ランスロット・・・。
自分にそんなことを言い聞かせなければいけないなんて、どうかしている。
それほどまでに今の彼にとって、ソニアの手から戻ってきたこれは、そのまま彼女の姿を思い出すための媒体になってしまっていた。振り払うにはもう少し時間がいるように思える。
今日は、ひどいことを言った。
けれど、それはいつか言うことだった。
きっかけがなければきっと言うことが出来ず、態度で汲み取ってくれ、と無理強いをしなければいけなくなる、そんな種類の話だった。

人ならぬ力を手にいれたときに、人は立ちすくむものだとあたしは知っているから。多分、他の誰が手を差し伸べても、オハラの不安は消えないだろう

バルモア遺跡でランスロットにさりげなく告げたソニアの言葉。
オハラを慮っての言葉だったけれど、それはランスロットに対する手痛い攻撃の言葉だった。
人ならぬ力を手に入れて、ソニアは立ちすくんだのだろう。そして、誰が手を差し伸べても、同じように人ならぬ力を手にいれたものでなければソニアの不安も消えなかったのだと彼女は言っているのだろう。
それを思うことは辛かった。
自分が差し伸べた手は、彼女にとっては何の役にも立っていなかったのだろうか。
少なくとも今の彼女には、ランスロットの手助けなど、役に立たないのだろう。
それでも伝えなければと思った。役に立ちたいのだと。力を貸したいと。それを言えたことはありがたかった・・・もし、彼女が「そんなのは役に立たない」と鼻で笑い飛ばしたとしても。
「わたしよりも、きみの方が、役に立っていたのかもしれんな・・・」
オルゴールにそっと触れる。
「死んでも尚、きみが残したものはわたしよりも人の心を癒せるのだね。少しだけ、妬ましいよ」
その語りかけは亡き妻へのものだ。
きっとこの姿をソニアが見れば、激昂に駆られて泣き叫ぶのだろう。
それをランスロットは知らない。
そのオルゴールにソニアが癒されていた間は、間違いなくその音はランスロットの妻のものではなく。
彼女にとってはランスロットの存在を感じさせる音だったのに。

ノーマンには、やられたな、とソニアは部屋に入ってから息を深く吐く。
自分がプリンセスじゃなくなっても、自分を好きでいてくれるか。
その問いはノーマンが言う「バカなこと」で「当たり前」なことなのだろう。
恋愛というものはそういうものなのだろう、とソニアはしみじみと実感した。相手の肩書きやら相手が持つ生きて行く上の特技や目標が変わったからって、おいそれと愛しいと思っていた気持ちが変化するわけではない。逆にたった一言で傷付けられて心変わりをすることがあるとしても。
とはいえ恋愛になるためにはいくばくかの要因が必ず隠されている。出会った頃からオハラがプリンセスだったら、多分ノーマンはオハラに恋におちなかったのではないだろうか。何の大きな肩書きもない、たった一人のアマゾネス。反乱軍の役に立ちたいと日夜努力を重ねなければいけなかった、何の力をもっていなかったオハラを見ていたからこそ、ノーマンは恋におちたに違いない。
では、やはり始まる前から破れていた自分の恋が実ることは、永遠にないのではないか。
わかっていたことに、更に太鼓判を押された気分だ。
だって、ランスロットは。
「かーっ!まただ、またまた!バカ!バカバカ!もういいんだ、そんなことは!」
まったくよくないけれど。
それでも、もうこのことを今は考えない、とケルベロスに約束して戻ってきた。約束、といっても勝手にソニアが語りかけていただけなのだけれど。
一日に起きた出来事をその日に問い詰めても答えは出ない。
例えその出来事が前から忍び寄っていた気配だとしても。
「いて」
どうもベッドや椅子に座る気になれずに床に腰をかけ、首を後ろに倒してベッドの上に後頭部をぼふっと置いたみた。ぎりっと走る首の痛み。ノーマンに胸座を掴まれたときに無理矢理見上げていたからだろう。ノーマンの身長は高く、ソニアの胸元を掴んで多少引き寄せても彼らの目線はあまりに遠く、ぐい、と首を不自然にそらさなければ会話が出来なかった。
右腕をかばうために、毎日続けていた柔軟運動をいささか抑えすぎていた。首、肩、腕といった部分を動かさないように。
以前ならあの程度で筋が痛むことなどなかったのに。人の体は退化していくものだ。若くても、突然動かなくなればソニアとて例外ではない。
ノーマンはランスロットより上背がある。
けれど、あんなふうに無理矢理見上げることがそうそうあっただろうか?
「・・・っ!」
突然。
どっとこみ上げてくる熱い液体が流れ出るのを遮るため、ソニアは瞳を閉じた。
それでも、瞼の裏にはとめどなくあふれるそれが外に出たい、と僅かな隙間をこじ開けて無理矢理流れ出す。
「何が悲しいんだ、あたしは!」
慌てて手で瞼を抑えるけれど、それは何の役にも立たない。
自分を見るあの視線の優しさが嬉しかった。
人と話すときは目をあわせなさい、と言われてからわかった。いつもランスロットはソニアの側で話すときはわずかに顎を引いて、時には上半身をほんの僅かに動かして話してくれる。ソニアが横にいるときは、ソニア側の彼の肩がそっとさがり、彼は首をかしげるように、それでも不自然さを感じさせない動きを見せてくれる。
見下ろす、というほど傲慢に思えないその仕草が、彼よりも上背が低い誰に対してもなされているわけではない。
ソニアはかなり小柄だったから、特別だったのだろう。
以前、ランスロットの言葉の意味がわからず、彼の肩をぎゅうぎゅうと押して「ランスロットも歩み寄れ!」と無理矢理屈ませようとしたことがあったのをソニアは覚えている。あのとき、ランスロットは無理なく視線を合わせるようにソニアを城壁に座らせた。
そうだ。あの日からだ。
「歩み寄れ、だって。あたしより余程ランスロットの方が」
歩み寄ってくれている。
だって、彼が軽く体を傾げてくれることで、ソニアは無理に見上げることなく話が出来て。ソニアよりよっぽど彼の方が気をつかってくれていた。
側にいればいるほど、彼はそっとかがんで。ソニアはぐい、と首をあげて。
そうでなければ。
そうでなければ、自分達は近くにいては、視線を合わせることも出来ない。
ソニアに気を使って、彼は精一杯気付かせないようにと軽く首を傾ける。それが当たり前のように感じていた。
なんてそれは、今の自分にとっては痛いことだろうか。
今更にわかった。それほどまでに自分とランスロットが近くにいたなんて!
ランスロットはいつも、「そう」とは自分から言わない。言わないことでソニアを甘やかしてくれている。
けれど、ソニアは、ランスロットから無理矢理言葉を求めてしまった。
あまり言葉数が多くない彼が意識して黙っている、という気遣いが今は欲しくない。そんなもの、いらない。
「顔!洗ってこようっ!!今日は泣きすぎっ・・・せっかく気分転換したのに、ノーマンめ!」
ソニアは八つ当たりともいえる言葉を発して薄くなったタオルを握り締めて部屋を飛び出た。
顔が赤いのが自分でもわかったけれど、別にいい。
あのままうじうじと部屋の中で考え事をしているより、「どうしたんですか!」と皆に心配をかけてでも普段の自分に戻る方がいいに決まっているのだ。本当はあんまり弱みは見せたくない。でも、そんな個人の感情よりも大事なことがあることをこの少女はわきまえている。心が乱れることは災いとなる。だからそれを振り払う方が大切だと思えた。
水汲み場に走って行くと、夕食の仕度をしている女性兵士が何人もいた。それへ挨拶もなしにソニアはずかずかと近づいていく。
「ソニア様?」
「どうかなさいましたか」
「ごめん、顔洗わせて」
「!」
泣いていた顔を人に見せるのは恥ずかしい。実際そこにいた人々・・・プリーストのライラ、ハイネ、フレイアのテスだが・・・は驚きでどう声をかけていいかわからない様子だ。
「ソニア様」
ハイネが心配そうに呼ぶ声を背に受けながら、ソニアは左手でも水を出せる汲み上げ式の取っ手を荒っぽく動かし、水を汲んでばしゃばしゃと顔を洗い出した。とてもぞんざいに、でも、時間だけはたっぷりとかけて。
「うん?」
ようやく顔を洗い終えて辺りを見ると、すさまじい水しぶきを飛ばしていた様子がわかる。3人は目を丸くしてソニアを見つめていた。
「あの・・・」
「ごめん。故郷のことを考えていたら泣いちゃった。情けないから、顔を洗いに来たんだ」
「そう、ですか」
それ以上は3人とも困ったように追求をしない。
変に同情をしたり、それについてソニアの過去を詮索することは彼らには出来ない。
ソニアもそれをわかっていて、ずるいけれど嘘をつかせてもらった。そうするくらいしか方法が思いつかなかったから。
あーあ、これくらいうまい嘘をオハラにもつければよかったのに。今更ながらにそう思いつつ、「邪魔したな」とソニアは背を向けた。

自分でも忙しい人間だなあ、なんて思いながらもう一度部屋に戻ろうとしたソニアの目の前に、残酷な男が姿を現した。
いつもならば声を聞いただけでなんだか嬉しくなるのに、さすがに今日はそうもいかないらしいいな、とソニアは冷静に自己分析をしていた。部屋に向かおうとしたソニアが行く方向の角からランスロットは曲がってきた。ソニアの姿をみつけると彼は驚いたように
「ああ、丁度そなたのところにいってきたのだ。もう戻っているかと思って」
そう言って瞬きを2、3回見せた。
「そうか」
不在にしていたことを、ランスロットはやはり知っていたのだろう、とソニアは思った。所在なく手に持っていたタオルをぐるぐると振り回す。
廃屋とはいっても宿屋だったのでは、と思えるソニアが寝泊りしているそこは薄暗い通路があって、その両脇に部屋が建ち並ぶという作りだった。ソニアとランスロット、ウォーレン、そしてスルストとフェンリルが今はその家屋で寝泊りしている。スルストとフェンリルは眠りのサイクルにはいったため、きっと室内で冬眠のように眠っているに違いない。
「マラノの情報がまた新しくはいって」
通路の先からランスロットが近づいてくる。
「もう一度軍議を開く必要・・・」
「待て!」
「え」
ソニアの声でランスロットは足を止めた。
「そこで待て」
「なんだ・・・?」
眉間に皺をよせてソニアを見るランスロット。
「何かあるのか」
「何もない。いいからそこで待ってくれ」
「・・・?」
いつもならばこんな距離で会話をすることもない、という微妙な空間が二人の間にあった。
それは丁度今朝方ランスロットがソニアにあの残酷な話をするために立ち上がった、そのときに二人の間にあった距離だ。
ああ。
ソニアは息を呑んだ。
彼がほとんどまっすぐ前を見ている。
すごい。なんて遠いんだろう。彼が体を屈めずに肩も上半身も何も動かさずわずかに顎を引くだけで、それだけで自分と目線を合わせられるこの距離は。そして自分がほんのわずか、意識しなければまっすぐに前を向いていると錯覚するほどしか顎をあげなくてもいいこの距離はこれほどまでに遠かったのか。
「何の実験だ?」
「バレたか」
ソニアは素直にそう言って一歩踏み出した。ぴくり、と反応するランスロットに対して彼女は声を荒げる。
「ランスロットは動くな!」
「・・・」
もう一歩、もう一歩、と歩く。ほら、少しずつ少しずつランスロットの顎が引かれ、自分は彼を見上げる。
いつもよりは僅かに遠い間合いでソニアは止まった。
「ソニア殿」
「・・・なんでもない、新しい遊びだ」
「ソニア殿」
「あたしは背が低いから、ランスロットは首が疲れるのだと思って」
突然何をいうんだ、とランスロットは目を丸くして、それから口元を緩ませた。
「いや、そんなことは」
「だから」
ソニアは彼の笑顔をなんとも思わないように続けた。
「ランスロットが大変じゃない距離で話そうと思ったんだ。それだけだ」
「不思議なことを言い出す。やっぱり実験だったのか」
「うん」
「・・・あんな距離では、そなたからの言葉が、届きにくい」
「あの距離で話したくせに」
拗ねたような口調で発せられたソニアの言葉が一体何のことをさすのかランスロットにはわからなかったようだ。彼の方はソニアに言葉を伝えることに精一杯で、今朝方彼女に話をしたときに自分から立ち上がった、なんてことすら覚えていなかったのかもしれなかった。
「それじゃあ、ランスロットからの言葉も届きにくいじゃないか」
「何のことだかわからないが・・・話をしてもいいのかな?」
「ああ」
いつもよりちょっとだけ離れた状態でランスロットはソニアに話を始めた。マラノ付近に送り込んだ斥候から、トリスタン皇子がマラノに潜入していることを確認したという情報が入ったという。また、アプローズ男爵の婚礼の儀とそのためのパレードの詳細もわかったらしい。他にもいくらかの話があるから、主だった者で一度話し合いをしたいのだが、ということだった。
「・・・ソニア殿、もう少し近づいてもいいかな」
「なんで」
「この距離は、話づらいな。なんだか落ち着かない」
「・・・じゃー、いいぞ」
おずおずとランスロットは数歩前に進んだ。不思議なものでそう言われると、普段どんな間合いで話していたのかよくわからなくなってしまい、とまどいがちに彼は近づく。その様子がおかしくて、そして愛しいと思えてソニアは笑った。
「困っているか、ランスロット」
「少し」
「もっと近づいていーぞ」
「いや、こんなものじゃないかな」
なんて間抜けな会話なんだろう。ランスロットもそう思ったらしくちらりと苦笑を見せ、それからまた真面目ないつも通りの表情に戻ってはなしを続けようとした。
「それでだな、ウォーレンが・・・どうした、わたしの顔に何かついているのか」
ソニアはまばたきもせずにランスロットをじいっと見つめている。どうした、と声に出そうとしたときに、どきりとランスロットの鼓動は激しくなって一瞬声がかすれた。
わずかに顎をあげてまっすぐな視線で自分を見上げているソニアを見て、どうしてそんな風に体が、喉が、こわばったのかランスロットはわからなかったし、ソニアはただただランスロットを見ることに集中していてそのかすかな彼のかすれ声に気付いていいないようだった。
「うん?疲れないか、ランスロット。見下ろして話すのって」
「いや、別段・・・そなたは、疲れるのかな、見上げて話すのは」
「いいや、あたしは疲れない。ただ、ランスロットが困るなら・・・」
「大丈夫だ。そんなことは心配ない」
「そうか」
ソニアはそう答えたけれど、ほっとした表情でもなくただただじいっとランスロットを見詰め続けていた。
その様子が少しいつもと違う、と知りながらもランスロットは淡々と連絡事項をソニアに伝えた。そうすることが「反乱軍リーダー」としてのソニアのためだと彼は知っている。
そしてソニアも、それが彼の誠意なのだということを、嫌というほど知っていた。知っていたし、彼のそういう面はうらめしいけれどソニアにとっては嫌いになれない部分だった。
せめてそういうところは嫌いだ、と言えればまだ気も晴れるだろうに。

ランスロットが困るなら、いつでも、捨てればいい。
出そうになったそんな嫌な言葉達を遮ってくれたランスロットの力強い言葉。
それを聞いたのが今日でなければもっと嬉しかったのに。
必要な話を終えて去っていくランスロットはやはり大人で、心が揺れるソニアをそれ以上刺激しなかった。
それをありがたいと思うわけでも悔しいと思うわけでもなく、ソニアはぼんやりと歩いていくランスロットの背中を見ていた。
ランスロットの歩き方は規則正しくて、けれど訓練を受けた兵に多い硬さがなく、男の割に綺麗だと思う。
今まで自分の父やその仲間だった男達を見て来たし、反乱軍として決起してから出会った人間はたくさんいる。
その中でもソニアには彼の足運びが綺麗だと思っていた。いや、そう感じていたのだということに今初めて気付いたといっていいだろう。
いつだって迂闊なのは自分だったのかもしれない。ソニアは角を曲がってランスロットの姿が消えても、彼が歩いていった方向をみつめて立ち尽くしていた。
そうだ。
どうして彼はあの残酷な話をするとき笑顔を自分に向けたんだろう。
またひとつ、聞きたかったことを聞きそびれた。
本当に聞きたいことはそんなことだけではないのだけれど・・・。
「大丈夫、か」
何を、どこまで。
彼はどれぐらい自分を甘えさせてくれるんだろう。
ソニアは自嘲気味に頷いて、タオルでごしごしと意味もなく顔をふいた。もう涙なんて出なかったし、ランスロットの前ではきっとうまく泣けないのだとも思えた。
だって、自分は反乱軍リーダーだし。
彼は、ゼノビアの騎士だから。


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モドル

なんじゃあこりゃあー。おかしいなあ。当初の予定では「ランスロット、好きだぞ」とかソニアが言って「そうか、わたしもだ」とか言って終わっちゃう(爆)話だったのに。(もちろんこの「好き」は・・・そういう「好き」では・・・:涙)サブタイトル「ソニアの忙しい一日」って感じのお話でした。もちろんまだまだ尾をひくイヤーな話です(汗)

今回目指していたのは、あれもこれもと心理描写を嫌ってほど書いておいて「どうしてこうなるの!?」と最後の最後でみなさんにお任せ!というお話でした。が、あまりにもだらだら長かったために、何の余韻も残らない不愉快なテーマの話になってしまいましたね。反省。

またランスロットさんに非難集中しそうな予感ですが、どーせこれから彼はいやってほど大変な目にあうんで、今回は見逃してあげてくださいまし。なんかうちのランスロットって・・・駄目人間か!?(涙)そしてソニアはいやってほど色んな人間に愛されますから(笑)。